宗教は心の貧しき者のためにある
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自らの知恵ですべき事、すべきでない事を判断できない者のために戒律はある
自らの未来に希望を抱けない者のために天国はある
自らを肯定できない者のために神はある
足の弱った者のために杖はある
杖がなくとも十分に歩ける者、これから歩き方を覚える子供は杖に頼ってはならない
それは足を弱らせ、歩き方を忘れさせる
心の弱った者のために宗教はある
宗教がなくとも自らの道を見出せる者、これから道を探す子供は宗教に頼ってはならない
それは心を曇らせ、道を見失わせる 宗教は痛み止めの薬に過ぎない
苦痛を和らげはするが病を治しはしない
だが不治の病に苦しむ者にとってそれは救いとなる
宗教は麻薬である
一度依存してしまえば抜け出す事は難しい
だが終わりのない苦しみに苛まれる者がそれに縋る事を誰が責められようか 騒音はないんだけど、防犯カメラに散歩中の犬と飼い主が敷地に入って犬にションベンさせてるのが再三映ってる
たまたまリアルタイムでとっ捕まえた時はコンコンと説教したんだけど、別の犬、別の飼い主がやってくる
いちいちとっ捕まえなきゃならんのかコレ
なんつー地域だよここは 心の貧しき者は幸いである。神の国は彼らのものだ
心の豊かな者は幸いである。人の国は彼らのものだ 子供の心を宗教の枠に嵌めるのは虐待
宗教の力を借りなければまともな子育てもできない親は子孫を残さなくてよろしい 日本に大乗仏教を広めるため
「日本の神社の神は本当は仏様の化身だったんだよ。すべては仏なんだ」と言い出したのが
本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)
「いやいやそうじゃない! 仏の本当の正体が神様で、神様がちょっと仏のフリをしているだけなんだ」
と神道家が大乗仏教に対抗して言い始めたのが
反本地垂迹説(はんほんじすいじゃくせつ)
それぞれの宗教、宗派が自宗にのみ都合のいい理論を展開していく
それが宗教学の不毛さである
それぞれの宗門宗派で「ウチが最高!」「いやウチ以外は全部邪教!」と言い合っているだけなのである
一貫性や普遍性がまるでなく、学問として何の役にも立たない
いや明らかに有害である
道歌
宗教は 大言壮語神格化 言葉によりて 創るまぼろし 心の貧しい人というより心の満たし方を知らない人じゃね
腹はタダじゃ膨れないけど心だったらいくらでもタダで満たせるのに
だから壺や宗教団体内での地位のような即物的なもので心を満たそうとする
物質世界、精神世界という尺度で見るなら宗教はガチガチの物質世界
精神的な豊かさの代わりに物質的な豊かさを得て満足している ツボは偶像
そういう偶像をぶっこわすVRのトレーニングゲームとかあればいいのに
創価の御本尊も偶像 VRで壺を壊せば壊すほど徳が積めるぞ!
課金すればもっとたくさん壊せます!ヤッター!
みたいになるのがオチ
頭の弱い奴はどんどん搾取されて淘汰された方がいいんだよ
可哀想だけどいちいち面倒見てたらきりがない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています