@まだ漏尽通が理解できない深山さん
(こりゃ絶望的ですなw)

あれほど説明したのに、漏尽通の意味がまだ理解できないとは。
『準胝尊真言行とは』、『般若心経瞑想法』、岩波仏教辞典、
この三つに書かれた内容は全く矛盾していない。
漏尽とは「煩悩が尽きた状態。煩悩を尽くすこと」(岩波仏教辞典)です。
だから漏尽通というのは、煩悩が尽きたことを知る通力であり、また煩悩を尽くす通力でもあるのです。
煩悩を尽くすことから、尽きたことを知るまでの全部を漏尽通と言うのです。
漏尽通には煩悩を尽くす能力と煩悩が尽きたことを知る能力の二つがあるのです。
これは中村博士の『広説佛教大辞典』や「望月佛教大辞典』
にある説明どおりです。
そして『準胝尊真言行とは』、『般若心経瞑想法』、『岩波仏教辞典』
の三つは、それぞれ一つの能力のことを言ってるだけで
残りのもう一つの能力を否定はしていない。
触れていないだけです。
ところがあなたの場合は、漏尽通の前に解脱したと主張して、
煩悩を尽くす能力を否定してしまった。
だからあなたの主張は間違っているのです。
煩悩を尽くすことができなくて、どうして煩悩が尽きたことを確認できるのかという話だと言ってるでしょ?
100メートル走れなくて、どうして100メートル走ったことが分かるのですか?
これと同じことです。
あなたもかつては阿含の信者だったのだから、これ以上バカな主張を続けて、阿含宗の評判を落とさないでください。