「小空経」『マッジマ・ニカーヤ』第121経(PTS Text,MN.Vol.3,pp.104-109.)
漢訳:中阿含経、一九〇経(『大正蔵』一、七三六下〜七三八上)。
チベット訳もあり。北京版、九五六、第三八巻(p.272-1-2〜p.279-3-7)。

かれはこのように知る。
(すなわち)この無相心三昧は作られたものであり思念されたものである。何であれ作られたものであり思念されたものは、無常であり滅する性質のものであると知る。
かれは、このように知って、このように見て、欲の煩悩から心が解脱し、生存の煩悩から心が解脱し、無明の煩悩から心が解脱する。解脱したものについて、解脱したという知がある。滅尽したのは生まれることである。完成したのは、清浄行である。為したものは、為すべきことである。ふたたび、この状態(この世)に戻ることはない、と知る。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/sunna.html

>>807 横レス失礼します
数息観だけではなく四念処も「作られたものであり思念されたものである。何であれ作られたものであり思念されたものは、無常であり滅する性質のものであると知る。」の禅定でしょうね