>>356
これもその通りで

「友、サーリプッタよ。 老死は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、 あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」
「友、マハーコッティカよ、 老死は自作ではありません、そして他作でもありません、 自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
〈老死はそれらのどれにも該当しません〉 生に縁りて老死があるのです」
(相応部経典 12.67 蘆束)
https://w.atwiki.jp/waikei2008/pages/19.amp

この老死は四苦のひとつであり苦と言い換えてももちろん構わないでしょう
事実>>339のティンパルカや同じ相応部の12-17ではカッサパという人が主語を苦にしてお釈迦様に問うてきてお釈迦様はサーリプッタのとほぼ同じ回答をしています

さて中論を見て見ると

一 苦しみは<自らによってつくられたものである>(自作・じさ)、<他によってつくられたものである>(他作・たさ) 、<両者によってつくられたものである>(共作・ぐうさ)、 <無因である>(無因作)と、ある人々は【それぞれ】主張する。
しかるにそ【の苦しみ】は結果として成立するというのは正しくない。
(「中論」第一二章 苦しみの考察)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9507580

とお釈迦様やサーリプッタと同じことを説いています

苦しみについては無常であり無我であり空であるというのはお釈迦様もサーリプッタも龍樹も変わらないですよね>>387

有にももちろん色々ありますが
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89
アビダルマ的に言えば苦は「実体として存在する実有」ではないということですね

七 において、「有り」と「無し」という両者が、有に無とを説き給う尊師によって論破せられた。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9529952

そのカーティヤーヤナに教える【経】では世間(現象世界)は有でも無でもないとして中道によって法を説いています
その中道とは縁起の理法となりますね