聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
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(前レス>>274よりつづく)
★☆★世の終わりのときと推定される年−西暦2030年まであと8年と少しばかり★☆★
西暦2022年を迎えて、カトリック教会の様々な奇跡の起きた年数などから推定される
世の終わりの期限となる年月日−西暦2030年の「復活祭」まであと8年と少しばかり、
そして聖マラキの終末預言に従い世の終わりの最終期限の年月日を
西暦2032年の3月末頃までと仮定した場合には、あと10年と少しばかりとなりました。
聖マラキの終末預言の最終期限の年月日を西暦2032年の「3月末頃まで」とした根拠は、
第165代ローマ教皇ケレスティヌス2世が就任した西暦1143年9月26日から
「徴の中央の心棒 Axis in medietate signi」と預言されている
73番目のシクストゥス5世の就任年月日−
西暦1585年4月24日までが441年と約7ケ月となり、
このシクストゥス5世の帰天による離任年月日−
西暦 1590年8月27日から441年と約7ケ月後が
西暦2032年「3月末頃」となることによります。
ちなみにこの聖マラキの終末預言の最終期限の年−
西暦2032年の「復活祭」は「3月28日」だそうですが、
聖ヒルデガルトが世の終わりのときの期限を西暦2030年の「復活祭」−「4月21日」までと示したように、
聖マラキも世の終わりのときの期限を西暦2032年の3月末頃−
すなわちこの年の「復活祭」−「3月28日」頃までと暗に示したこととなります。
やはり世の終わりのとき−主イエス・キリストの再臨は、
十字架の死をもって全人類の罪を贖い救いだしてくださった
初臨の最後の年−西暦30年の過越祭をもって始まった「復活祭」をしるしのときとしておこる、
すなわちお出でになるということなのでしょうか。 (前レス>>275よりつづく)
そしてここでもうひとつ、世の終わりのときについて考えられることがあります。
それは聖マラキの終末預言の最終期限の年−西暦2032年の3月末頃は教皇様の離任、
あるいは帰天の時、すなわち教皇様不在になる時を表している、という考え方です。
この考え方に従えば教皇様が離任あるいは、帰天されたのちも、
教皇様不在のまましばらくは世が続くということになります。
その場合は「リジューの聖テレーズ」が聖母像のほほえみを目撃し、
聖母マリア様によって病気が癒された年月日−西暦1883年5月13日(聖霊降臨の祭日)が
世の終わりのときを暗示しているように思われなくもありません。
「聖テレーズ」が微笑まれた聖母マリア様の奇跡に与かり病を癒されたように、
150年後の西暦2033年、主イエス・キリストの再臨と前後して全世界に聖霊が注がれ、
瀕死の病に侵されたこの世を癒し救われる、というような奇跡を果たして神様は起こされるでしょうか。
ちなみに「リジューの聖テレーズ」が聖母マリア像(あるいは幻視した聖母マリア様)のほほえみを目撃し、
聖母マリア様によって病気が癒されたその日−西暦1883年の「5月13日」は「聖霊降臨の祭日」であるとともに、
ファティマの聖母マリア様が3人の牧童の前に初めて出現した日でもあります。
西暦2033年の聖霊降臨の祭日−ペンテコステの日は6月5日です。
主イエス・キリストがおいでになるのは「復活祭」のときなのか。
あるいは聖霊降臨の祭日−ペンテコステの日にまた全世界に聖霊が注がれるときがくるでしょうか。
「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」
(新約聖書 使徒言行録2章17節)
ほんとうにアーメンです。 ★☆★世の終わりのときと推定される年−西暦2030年まであと8年と少しばかり(Part2)★☆★
前回のレス→>>275、>>276の続き。
世の終わり−私たち人類の救い主イエス・キリストのご再臨が、
聖ヒルデガルトの終末預言に従えば西暦2030年の復活祭の頃までに、
そして聖マラキの終末預言に従えば西暦2032年の復活祭の頃までを、
それぞれ最終期限の年としておこる可能性が
暗示されているように思われること、
また、カトリック教会の数々の奇跡の起こった年数や
カトリック教会の主だった聖人の方々の生誕年、帰天年などから推定して、
同じく西暦2030年から西暦2033年までのあいだに
世の終わり−主イエス・キリストの再臨がおこりうる
可能性があることを考えてきました。
そして世の終わりに至り、主イエス・キリストの再臨に前後して、
あるいは五旬節の日−聖霊降臨の祭日の頃に、
主なる神様によって「わたしの霊をすべての人に注ぐ。」(ヨエル書2章28節)
というようなことをなされる可能性についてもふれました。
その箇所では、あとに続く聖句を聖ペテロも引用して
「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」
(使徒言行録2章21節)と語っているように、
主イエス・キリストからいただく救いを信じて受け入れ
主イエス・キリストの御名を呼び求めるすべての人々が、
神様の霊(聖霊)をいただけるだろうことについても確認しました。
この旧約聖書にある神様の御言葉によって約束された出来事の結果は、
ローマの信徒への手紙 第8章18-25節などの記述から、
わたしたち人間のみならず、被造世界すべてに及ぶことが示されています。
(次レスへつづく) ★☆★世の終わりのときと推定される年−西暦2030年まであと8年と少しばかり(Part2)★☆★
>>277より続く
「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、
取るに足りないとわたしは思います。
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、
服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、
神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
被造物がすべて今日まで、共にうめき、
共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、
つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
わたしたちは、このような希望によって救われているのです。
見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。
わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」
(ローマの信徒への手紙 第8章18-25節)
(次レスへつづく) ★☆★世の終わりのときと推定される年−西暦2030年まであと8年と少しばかり(Part2)★☆★
>>277 >>278より続く
人祖アダムとイブが神様の御前に犯した「罪」を悔い改めなかったことにより、
私たち子孫である人類はもとより被造世界そのものも、
その「罪」の結果として毀損され
「虚無に服した」滅びゆく状態になりました。
聖書の御言葉に『あなたが、妻の声に聞き従い、
食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、
土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、
あなたは、野の草を食べなければならない」
(創世記3章17節-18節)とあるとおりです。
しかし世の終わりのときには、わたしたち人類とともに
「今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わって」きたこの被造世界も
主イエス・キリストのご再臨とともに、主なる神様によって
「わが霊(聖霊)」が「すべての肉なる者」(ヨエル書2章28節)に注がれることにより、
滅びへの隷属から解放され、創造された頃のような
神様の栄光を現わす世界へと回復されることでしょう。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)
ほんとうにアーメンです。 >>279よりつづく
>>266 >>267→★☆★キリスト教公会議・『アウクスブルク信仰告白』などをとおして読み解く未来(その1・2)★☆★
>>268 >>269→★☆★クザーヌス・ルター・ツヴィングリ・カルバン・アウグスティヌスから読み解く未来★☆★
→★☆★「ファティマ」「アムステルダム」「秋田」の3地域に出現した聖母マリアさまによる奇跡★☆★
→★☆★世の終わりと主イエズス・キリストの再臨が間近い−西暦2030年★☆★
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