坐禅と動中の工夫23
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坐禅の仕方
一息を離さないようにして念が入る隙を与えないようにします。
吸う息と吐く息と両方意識します。
しかし、いつのまにか一息から離れて念を追っかけてますので、気がつけば一息に戻ります。
雑念が出たら即「この念、何処から来たか」と、間髪を入れずその根元に一息で切り込むのがいいです。
念が出る前の心が禅定です。正念相続です。
動中の工夫
何もしてない時は坐禅と同じで一息に意識を置き余念の入る隙を与えない。
今の動作に意識を置きます。
他ごとを考えながら今の動作をしない。
動作はゆっくりと丁寧なほうが良い。
動作に隙を作らない油断しない。
真剣に命がけでする。
今やってる事を一心不乱にやればいい。
自分から目を離さない。
禅とは単を示す。
仏道はただ一つの道である。
仏道のただ一つの道とは一息です。
※前スレ
坐禅と動中の工夫22
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1629975144/ >>652
馬鹿そんな事より先に口のききかたから気を付けなさい。 隣町の佐藤さんの家の電気を消してこいでも、山手線を止めてこいでも、お寺の鐘の音を止めてこいでも同じ事。
坐禅すりゃどういう事かそんな事はハッキリと分かる。
逆に分かりもしないのに語るのは……
まぁ語るのは自由だけどね。
よくそんなんで語れるよなぁwって呆れてスレを見てるけどね。 >>652
もうそういうのやめたら?
いい加減に貴方のそういうのを見てると、哀れみさえ覚えるんだけど。
いい加減に坐りましょうよ。
坐り倒してみましょうよ。 三世諸仏有を知らずとはなぜか?
これ、答えは、従容録の著語に書いてあります。。
「有を知るが故なり」
でも、その意味がわかるかどうかって話だな。。w これは南泉の言葉で、あの大趙州のお師匠です。。
非常に優れた、問い、お話だよね。。 こんなのわかっちゃえば簡単なんだよ、えっへっへ〜〜。。w 悟れなくても威張れる派の鹿野園が言う、ことである。大爆笑である。 こんな話がある。
ある記憶喪失になった老人が
「ここは何処じゃ?」と通りがかりの男に尋ねた。
「ここは、3丁目ですよ」
「3丁目?何処の3丁目じゃ?」
「何処って、歌舞伎町ですよ」
「歌舞伎町?何処の歌舞伎町じゃ?」
「も、勿論…東京の歌舞伎町ですよ」 >>658
ロン氏は、た〜くさん答を集めたんだろうね〜
でも、それ本当の答じゃ無いでしょ、知ってる答は、ち〜がうんだよね〜
ロン氏はそのたくさんの答を忘れられるかな?
坐る度に、答が頭に浮かんで来やしないかな、その度にまた別の答で頷いたり
どうなんかね〜 >>662
男は訝しげな面持ちで付け加えた
「東京意外…歌舞伎町ってあったかな?」
老人は不思議そうに尋ね続けた。
「東京?東京って何処じゃ?」
男は呆れ顔で苦笑いしながら言った。
「いいですかお爺ちゃん?東京は東京ですよ。ここは日本。そしてあなたは日本人。それじゃ、私は忙しいんで。失礼します」
老人は目を剥いて叫んだ
「待たれい!日本とは何処じゃ!?」
男は立ち去ろうとした足を止め、老人の方に向き直って言った。
「どう説明しましようか?分かるかなぁ…分かんねぇだろうなぁ…」
男はイラついていたが、事細かに説明する羽目になった。
地球の地形と境界線
太陽系の位地関係
更には銀河系の形成から星々の成り立ち
結局、男はビッグバンまで遡るに到った。
もう、これ以上の事は分からなかった。
額から汗が滲み出る。
老人は平然とした顔で男に更なる質問を浴びせた。
「ところで、あんた誰じゃ?」
男は顔をひきつらせて言った。
「私…ですか?…私は…私は…」
「私は………誰かぁ〜〜〜!!!」
完
パチン☆!!
https://youtu.be/A5aO97x_aJw >>664
パチパチパチ👏
決まったね最後! 久しぶりに感心した、名作だわ、これ ヤバい!笑いが止まらない!最後だけ見ても、笑い転げる!( ^ω^ ) 老人が亀仙人みたいなので、マンガで描いたら面白いだろうね〜
ところで、あんた誰じゃ?
ワロタ〜 >>666
ありがと
本当に
ありがとう
喝采を!
スタンディングオベーションを!
手ぶらエンターテイメントショーでしたぁ!!!
Thank You!!! >>656
wwwwwwwwwwwwwwwww
水爆級に吹いたw w w w w w w
室内で公案の見解に著語なんて云おうものなら……
いや、やめておこう。 >>669
でも、結局わからんでしょ?w
これ試金石だよ。。
坐らないとわからない。。
体験がないとわからないものです。。w www
はいはいw
分かりませんw
分かりませんw 余裕のポーズもハッタリ園、
しかし、ロンハンターのせいで、
小学生鹿野園が張り切っているじゃないか
笑 >>673
仏教では「煩悩障は法の用に迷い、所知障は法の体に迷う」って言いますけどね。
それを理想の境地とする宗教があれば、常・一・主・宰なる我などないとする仏教もあるという事でしょう。 即非の論理っていうのがあるんです。
>AはAに非らず、故にAといわれる
って事の様なのですが、関心がある方はお調べ下さい。
「有」をそこに当てはめると
>有は有に非らず、故に有といわれる
となりましょうか。 仏教はある意味言語哲学的な要素が濃いと言われてます。
仏教では「有」を感覚器官によって把握されたそれの言語化(分節)されたものとして捉え、それ(「有」)を「有以外の排除(他者の排除、アポーハ論)」として見てるんです。
つまり、有は他の排除(分節)によって成り立つ実体が無い空性なものとして否定され(有は有に非ず)つつ、相依性の中で成り立ってる(故に有といわれる)という事でしょう。 >>677
何にも大した体験なんてないですよ。。
ただ、いつも見ている物が、まるで生まれて初めて見るもののように感じられたりってことはありましたね。。
実在に触れたっていう感覚はありましたけれど。。
まあ、過去の思い出なんで、妄想体験かもしれません。。w >>678
じゃ、まだ体験してないんですね、あれを。 面白いものですね。
一方で「知らぬが仏」と云いながら一方では「知は是れ妄覚、不知は是れ無記」ともいうんです。
で、道は「知にも不知にも属さぬ」とw 「道」ってなんでしょうね。
それを尋ねたら「あんた、路上で何を言ってるんですか?」って云われそうですけどw >>678
本当大した体験でないですね。
それでここまで偉そうに書いてるのには関心されます。 過去の禅師方の言葉を出してW俺様〜Wするのは馬鹿にでも出来るコピペ作業な訳で、それに重ねて「分かるかなぁ〜?」とか、もっての外ではないのでしょうか。
更には言い出した本人がそれも分かってないとか、もう言語道断ですね。 僕が体験したのは、いろいろありますが、最近では上で書いたやつです。。
金魚の鱗を見て、なんだこりゃ〜、という体験、ギョギョギョ体験です。。w
面白いよね、何が起こるかわからんから。。w 三世諸仏有を知らず、というのは、従容禄第69則。。
示衆がなかなかいい、頌にもいい言葉がありますよ。。
自ずから知る田地の穏やかなることを >>686
今、今を体験しているよ。。w
進行中の体験だよね。。 悟れなくても威張れる派の鹿野園が言う、ことである。大爆笑である。 体験自慢大会したい人がるのかな?w
のど自慢の方がいいと思うが。。w 自慢できるもの、誇りに思えること、なんて何にもない方がいい、というか、あったらおかしいんだよね。。
なんにもない、何に持っていない、に落ち着くしかないわけだから。。
そうじゃないと、収まりようがないよ。。
心の平和がないよね。。w
だから、わかったら捨て、悟ったら捨てを繰り返していって、何にも残らない、というのがいいんだよ。。w
というか、それしかないんだよ。。
そうじゃないと、いつまでたっても、終わらない、輪廻する、ということです。。 もう三十数年前の話だけど、初めて摂心に行った後に自動車を見て何か分からなかった。
まぁ、ロンさんが今頃そんな体験してるって事は、どうせ大して坐ってないんだから、私の言ってる事はおそらく一生分からず終いって事になるだろうね。 691.692.バカになる競争である、か。
大爆笑である。 何故なら、禅宗では定慧一等って言うんだけど、禅定の深まりがそれなりないと智慧の顕現も浅いって事だから。
参考になるかどうか、私の体験から言うと、その後に一如だの即今だのがあって、最初の摂心から6年位して見性体験をしました。
それが早いのか遅いのかは分かりませんけど、見性した頃は坐禅会は4箇所掛け持ちの月1〜2回摂心、毎週末坐禅会朝夕とかでした。 勿論、ここの住人は在家で雲水さんの様な生活は出来無いから空いてるをうまく活用するしかないんだけどね。
だから、歩きながらムー、電車の中でムーって、勿論声は出さないけど、そんな感じでしたよ。 >>695
誰かのブログとかにそう書いてあったんですか。 最後に帰り着くところはどこか、ということだよね。。
それがわからないと、どんな体験しようが、見性しようがまた迷う。。
逆に途中であって、それがわかっていれば、水を得た魚、というか、解放されるわけだ。。w 悟れなくても威張れる派の鹿野園が言う、ことである。大爆笑である。
見性しても悟り、を知らない鹿野園である。か。
大爆笑である。 間違えた。。
逆に、途中であっても、落ち着くべきところがわかれば、解放される、ということ。。 おれはこうだから・・・というのが、あれば、不可なんだよ、何体験しようが。。w
そこが己事究明であって、おれがこうだから・・・というのがあれば、自救未了だよね。。w
どこまでいっても、そこで躓いている人が多いんでないの?
仏道を成ずるになんなんとして、十劫樹を観ず‥虎の欠けたるが如し、馬のよめの如し、だったか。。 仏教云々、悟りが云々、思っているときは、まったく外れていて、そんなことまったく思いもしないで、縁に任せて活動しているときそれ、という感じかな?
自覚できないものなんだよ。。w
自覚があったら、不可、というか、外れている。。w 701.700.バカ丸出し、を推奨するバカである。
大爆笑である。 そこらへんの問題が、牛過窓レイでしょ?
これ、クリアーしないと、全くダメだ、とせったんさんが言っていたやつ。。w おれもわかってしまえば、簡単でーす、と言っておこうか。。w >>703
あなたが無字に徹してきた人には全然見えませんが。 まちがえた。。w
これも、わかってしまえば、簡単だよね。。w >>691
だから、わかったら捨て、悟ったら捨てを繰り返していって、何にも残らない、というのがいいんだよ。。w
というか、それしかないんだよ。
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分かったら、と言うか、そのような事が起こったら、と言うこと
そして、捨てているうちは、まだそれは起こっていない、と、言うことで、
捨てている、と言うことは、また拾ってしまう、と言えるでしょう
また、分かるのと言う事では無くて、分かっているような事実が起こったなら、その時に、もう捨てるで無くて、捨てようと思うような物の方から、
果実が熟すと、独りでに落ちるかの如く、対象の方が、独りでに落ちて離れて消える、ということが起こる訳です
なので、捨てる捨てないという、能動性のことでは無く、受動的に自動的にそれは起こり、そして起こり続けるでしょう 710.無字の公案、にこたえられれば天才である。
鹿野園はムリである。
ロンもダメである。
大爆笑である。 例えば、決定的な事実が起こって、悟りと言われる、決して逆戻りしない事とは
地獄に踏み込んでも、渦に巻かれて抵抗しばければ、独りでに渦から放り出されるように、気が付くと地獄から出てきているようなものです
そして、その悟りと言われるような事実が起こると、経典・本を捨てるとか、過去の悟った方々にみられる事実は、
これも、能動的に捨てるというのでは無くて、読もうと思っても、読めなくなるという事実が起こっているってことです
決して能動的に不要!とした訳では無く、悟る直前のこと、もの、の全てが、キレイさっぱり脱落消滅する訳です、悟る前に居た人間は、それが起こると、もう同じ人間は居ない、ということです
経典・本を大事にし読み、一心に坐わり、全ての時間を修行に捧げていた者は、消えてしまって、もう存在せず、その人は 新たに生まれた 新しい人間として歩み始めます
一時〜数日、経典も忘れれば、師・法友の名前から、自分の過去の物語までが、ぬぐい去られてしまいます、自分の過去までが、まるで誰かのもののように感じたりします、それ程に染み付いていた諸々がぬぐい去られます
全てが新しく、初めてのこととして、生き生きと、生き始めます、そしてもう元には戻らない、
川は流れ去り、海に至ると、もう川の名は消えている。 【赤っ恥告白!大した体験もなしに知識だけで偉そうに威張れるろん氏】
この程度だと禅でなくも体験するよね・・・
670 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 05:32:10.79 ID:Id+gp3lt
>>669
でも、結局わからんでしょ?w
これ試金石だよ。。
坐らないとわからない。。
体験がないとわからないものです。。w
678 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 14:11:28.15 ID:Id+gp3lt
>>677
何にも大した体験なんてないですよ。。
ただ、いつも見ている物が、まるで生まれて初めて見るもののように感じられたりってことはありましたね。。
実在に触れたっていう感覚はありましたけれど。。
まあ、過去の思い出なんで、妄想体験かもしれません。。w
684 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 16:02:50.42 ID:Id+gp3lt
僕が体験したのは、いろいろありますが、最近では上で書いたやつです。。
金魚の鱗を見て、なんだこりゃ〜、という体験、ギョギョギョ体験です。。w
面白いよね、何が起こるかわからんから。。w
687 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 17:34:42.91 ID:Id+gp3lt
>>686
今、今を体験しているよ。。w
進行中の体験だよね。。 結局何を体験しても、それを見ているうちは、そういう自分を認識しているうちは、ダメ。。
見ている自分と見られる自分に二分裂。。w
自我に覆われていた人が、更にその覆いを分厚くしてしまうというだけ。。
この簡単な原理、迷いの法則みたいなのに気づかないと、やればやるほどおかしくなる、もとに戻れなくなる、ということだね。。
やればやるほど、おかしな奴、困ったさん、はた迷惑さんになってしまう、というだけです。。w
そうじゃなくて、自分知らない、自分を問題にしない、というもともとに帰るんだよ。。
そうならないのであれば、やる前よりも悪い、やらなければよかった、ということになる。。w 何であれ、物事は独りでに起こると、悟りもそう、
気が付いたら全て脱落して、何も無いと、こうであるなら、元にはもどらない、不還
元には戻らないが、螺旋状に一周して元と同じになっている、であれば事は起こったと言えるでしょう
こうであれ、ああであれ、こうなら良くて、ああなら駄目でってなってると、これは何処にも何も起こっていないことに、
一周したら、それ迄いた自分がいない、いない事に、十年二十年と気が付かず、遠くまで来て初めて嘗ての自分を思い出す
まあ普通の人も同じでしょ、60才くらいになって、20歳の頃の自分を懐かしんだりね、同じああ過ぎ去ったんだなあ〜って、
それが単時日に起こり、自分が無くなったとべつの意味で後で気が付く >>719
それがおまえなの
だからやめろといってんの
なに言っても妄想だっつってんの
早く気づけ あれれ、もう来ないって言ってた人がまた来てる。。w 楽しい人だよね。。w
で、心優しい人なんでしょう。。
ご親切に指摘してくださってるんだからね〜。。w >>719
ロンさん、
……そんな大口叩いて恥ずかしくないんですか?
レスを見てる方が冷汗三斗なんですが😓
禅宗では鑑覚の病って云うのかな。
龍樹のいう空空の一歩手前の唯識が残ってる状態な訳ですけど、それってまぁ修行も仕上げに近い人の最後の難関とかなんですけど。
その前に超克される階梯が数多あるんですけど。
資糧位にも届かない貴方が語る事じゃないんですけど。
もしかしてそんな事も知らないでどっかのブログを見て語ってたんですか? >>724
おまえはなにを根拠にピーチクパーチク騒いどるんだ? おそらく今のロンさんのペースと資質だと見性しないで人生を終えるでしょうから、そんな遥かな先の通過点の事を此処で語っても絵空事で無意味だし、馬鹿にされるだけですよ。 ロンさん、
鑑覚の病とか貴方には生涯無縁の事でしょうから、そんな起こりえない病の心配よりも先ずはコツコツと坐禅したらどうなんですか? 鹿ちゃんは、結局何言っても自己紹介なんだよね。。w
メッセージ内容に意味はなく、メタメッセージにおいて「どうだ、おれスゲーだろ」があるだけ。。ww
これは毎回同じ。。
で、内容はすっからかんで、それらしいこと並べているだけ。。
本当は何もわかってないのが見え見え。。w
精神的に幼稚園児並み、に自己意識がない。。
無意識で動かされている夢遊病者のよう。。
だから、禅とかは初めから無理なんだよ。。w
器じゃないの。。
有心我欲の延長で、我欲しかないんだから。。w
だから、いつまでたっても満たされない、不満、憤懣、怒り、否定性、をまき散らして、自他を害する。。
何年たっても同じ。。
それだけだね。。w
こういうのは、まともな人が見ると、一目瞭然に気付く。。w
みんな気付いているから、誰からも白い目で見られるよね。。w ま、これは、鹿ちゃんだけではなく、ここはそんなんばっかだとも言えるけれど。。w
そういうのが集まるところだよね、否定性の吹き溜まり。。w >>726
お前、鹿野園に餌やって増長させとるようにしか見えんから、
来るな、
消えろ >>726
お前、鹿野園に餌やって増長させとるようにしか見えんから、
来るな、
消えろ >>726
お前、鹿野園に餌やって増長させとるようにしか見えんから、
来るな、
消えろ
根拠とか、くだらん
わ >>730
∞ノノハ∞
川^〇^ハレロンちゃんもタダそう思っただけなんですよね
六根の眼・耳・鼻・身・意の意が機能しただけwww 729.鹿野園は、おれは坐禅している、からエライと思う。
本を読んでいるから優秀だ、と思う。
そこの次元で止まっている。
それで、悟れなくても威張れる派の鹿野園が言う、ことである。ことになる。
大爆笑である。 >>733
おまえバカか?
人とか関係ねーだろ
根拠を聞くから話が展開するんだろうが
まーコイツは反論を恐れて言わないのか
大した根拠が無いのか都合悪いようでスルーしてるがな
オレの読みではコイツが719で言ったことはブーメランだと思うがな 老婆心ながら、実際そうでしょ?
師家に付いてない、坐禅してないですから。
そんな人が唯識の滅(=鑑覚の病の滅、修道の終わり)の段階まで至るわけないでしょ。
至る訳のない難関の事を言っても無意味でしょ? だから、おれ最近、鹿ちゃんのレス読んでない。。w
眺める程度。。w
まったく内容に意味は無いから。。
ポッタンと同じ扱いだな。。w
似たもん同士なんでしょう。。w
ごちゃんの土佐衛門とは、この人です。。w 一応「仏は有を知らない」だの「鑑覚の病」だの、それがどういう事かの見解は示しました。
勿論、それは私の唯識な訳で、人それぞれの唯識がある訳ですけど、おかしな事を言ってるとは思いませんけどね。 自分を許せない人は、他人をも許せない。。
だから、必ず、誰かを否定します。。w
で、かつ、他人の承認を喉の奥から手が出るほどに必死に求めます。。w
でも、心の奥底では自分を許せない、許せていない、自己評価が恐ろしく低い、から、他人からも認められることはありません。。w
これは、ホントに地獄か餓鬼の世界です。。w
だから、まずは、自分で自分を許せていない、で、他に向かっても解決がなく、逆に泥沼にはまり込むだけである、ということに気づかないといけない。。
まずはそこからだよね。。 転倒想滅すれば、肯心自ら許す、とあるけれど、まず、自分を許してから、自分なし、自己を忘れる、というプロセスがいいよね。。
自分を許せていない人が、自己を一瞬忘じても、こんどは、それを根拠に、自分を支えようとします。。w
その体験を自我とし…だから俺は…と、必死に他者の承認を求めます。。
で、結果、以前よりももっとわる泥沼にハマります。。w
こういうパターンの人が多いみたいね。。w 自分を許す、認める、というのは、無根拠じゃなきゃいけないんだよ。。w
子供と一緒と言えば一緒。。
無根拠に自分を許せばいいだけ・・・根拠があれば、それを突かれれば、倒れるわけだから。。w
自分を手放して、手放したはずなのに、なんか楽しいぞ、心が軽いぞ、という感じかな。。w
坐り始めの功徳ですね。。w 他人に自慢できるもの何にも無いからこそ、喜びがある、解脱がある、ということで、
その逆は、苦しみと輪廻、でしょうね。。w だから、自分悟ってるか悟って無いかなんて、問題にしないんだよ。。
そんなの、坐禅オタクの頭の中にしかないでしょ?w
いろんなやつがいる、というだけなのが、現実です。。
で、それでいいんです。。w 自分も知らない、知り得ない、で他人も知らない、知り得ない。。
でも、やり取りしてみると、面白い。。
いろんな人がいる。。
わいわい言って酒飲むのもいいよね。。
そんだけの世界ですよ。。w どういうことかと言うと「お前ら身なりがなってないなぁ」と偉そうに吹聴してる奴に「あなた、ズボンのチャック開いてますよ?!」って注意した様なもんです、
そりゃ、面子もあろうから指摘されたらカッとなるでしょうがね。 だから、「解脱」がないとまったく意味ないんだよ。。w
「解脱」を相続しないと意味がない。。w
そのためには、自己を明らめる、生死を明らめるということです。。
まあ、がんばって下さい。。w だから、拈華微笑とかは、いいお話だよね。。
正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門… >>743
おまえそれオレが聞いた根拠か?
それとも全く違う話してるのか?
もしそうならまぎらわしいんだよ
オレが聞いてんのはおまえがペラペラと書いてる根拠だよ
自分を許すとかそんな話してないぞ
まともに会話できないのか? >>751
あなたも実は、相手にしていません。。w
担いでいるものが重そうなだな〜くらいの感想しかないですわ、ごめんなさい。。w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています