坐禅と動中の工夫23
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坐禅の仕方
一息を離さないようにして念が入る隙を与えないようにします。
吸う息と吐く息と両方意識します。
しかし、いつのまにか一息から離れて念を追っかけてますので、気がつけば一息に戻ります。
雑念が出たら即「この念、何処から来たか」と、間髪を入れずその根元に一息で切り込むのがいいです。
念が出る前の心が禅定です。正念相続です。
動中の工夫
何もしてない時は坐禅と同じで一息に意識を置き余念の入る隙を与えない。
今の動作に意識を置きます。
他ごとを考えながら今の動作をしない。
動作はゆっくりと丁寧なほうが良い。
動作に隙を作らない油断しない。
真剣に命がけでする。
今やってる事を一心不乱にやればいい。
自分から目を離さない。
禅とは単を示す。
仏道はただ一つの道である。
仏道のただ一つの道とは一息です。
※前スレ
坐禅と動中の工夫22
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1629975144/ >>624
だからさぁ……
貴方の投げた釣り針が貴方の背中に掛かって自分を釣り上げてる様が滑稽だから指摘してるんですけど……
いい加減に気付いてよ。 で、ルアーをどんなに攻撃しても、こっちにはまったく届かないというオチだね。。w
はい、残念でした。。w 両頭にいない人間はどこにいるのか?
あるいは、どういう状態なのか?
だれか、まともに答えられる奴いないのか。。
鹿と、もう一人のマヌケには期待しない。。w >>626
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
へ、/ / ) )
\( ( / / //
`/(_r\// /\//
(_) \\/ \ガッ☆
`/ /
\ /☆ .'◎
\/⊂(#。Д。)つ ロンちゃん >>627
いや、実際そうでしょ。
貴方、自分で放り投げた釣り針を背中に引っ掛けて自分で吊り上げて騒いでるだけなんですよ。
周りから見ればタコの足食いみたいなもんなんです。
少しは周囲の冷たい視線に気付いたらどうですか? >>629
座布団一枚あげる。。w
>>630
おれはぜんぜん騒いでない。。
でも、あなたにはそれが見えないし、感じられないだろう。。
で、たとえ話に引っかかってるのが、あなた。。w
別の譬えで言うなら、月を落とそうとして、棒を振り回しているのがあんたら。。w ついでながら言うと、誰もが月になれるんですよ。。
ごちゃんの土佐衛門じゃなくてね。。w >>631
∞ノノハ∞
川^〇^ハレありがとうwww >>631
って、自分の投げた釣り糸を背中に引っ掛けて巻き上げてるのがあなたなんですよ。
つまり、一人相撲。
背中を見てみたら? >>632
ジロォー・・ (¬¬) ¬¬) ¬¬) ¬¬) ¬¬) ¬¬)¬¬)・・・・ロンちゃん 月を見て月になり、月を忘れる。。w
で、つまんない日常だけがあるってことだよね。。
毒身40男、汚い部屋で、ごちゃんをやってるってだけ。。w
いやいや、仕事もやってますが。。w でも、ホントはつまんなくもないかな〜。。
仕事嫌いでもないし。。 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレロンちゃんは栄進たんより若かったんだね
でおーたんは幾つくらいなんだろう >>638
>ロンちゃんは栄進たんより若かったんだね
そういうことにしておこう。。w 今考えてるのは、金魚の子ども、というか、もう当二歳なんだけど、
それらをどっかにあげるか売って、石庭のような、エビちゃん水槽を作ろうかな、ということ。。
せったんさんは、生き物好きだけど、おれは石も好きなんだよね。。
石とか岩とか好き。。
日本神話には、岩長姫なんてのが出てきます。
禅語にも、よく石女というのがあります。。
石の功徳ってあるよね。。
何十億年かわからんが、地質学的、あるいは、宇宙的なとてつもない時間を経てきた重みみたいなものが。。
石を見て、こういう時間を感じられるか否か?
たまには、庭石でも見つめてみるのもいいかもしれない。。w さざれ石と巌を入れて、苔むした苔をエビちゃんに食わせる生態系。。w
いいと思うんだけどね〜。。
水草水槽なんかよりもよっぽど管理は楽だろうし。。 な? 夢の中に居るだろ?こいつ
相手せんほうがいいタイプだな 逆恨みとか逆ギレするタイプだわコイツ
おれは相手せんことに決めましたわ
やばいなまじで・・・ 夢の外に現実が在る、というのは、実はちがうんだよね。。
これ、わかるひといるかな?w 2021.09.24
円覚寺『今日の言葉』 分からぬことの尊さ
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仏教、とりわけ禅では分からないこと尊びます。
今北洪川老師の語録に、
「大慧禅師曰く「不知則如金、知則如屎」」という言葉があります。
大慧禅師は、不知は金のようであり、知は屎のようだというのです。
大慧禅師の語録の本文を参照しますと、
「不會如金。會得如屎」
「不会」は分からないことであります。
「会」は分かることであります。
分からないことが金で、分かることが屎だというのであります。
それほどまでに、分からないことがすばらしいのであります。
達磨大師から六代目の法を受け継いだ六祖慧能という方がいらっしゃいます。
六祖の語録である『六祖壇経』に、こういう問答があります。
六祖が教えを受け継いだのが、五祖禅師であり、黄梅山に住していました。
ある僧が六祖に聞きました。
『黄梅の仏法は誰が受け継がれたのでしょうかと。』
六祖は答えました、
『 仏法を会得した者が継いだのだと。』
では、【あなたは仏教を得たのでしょうか?】と聞くと、六祖は、
『 私 は 仏 法 を 会 得 し て い な い ・・・』と答えました。
《仏法なんて分からない!》と答えたのです。
分からないと言った六祖にこそ、真に仏法は伝わったのです わかったも30棒、わからんも30棒と言われる。。w
だから、わからないのがいい、なんてことではない。。w 達磨の不識って、『知らない!』で無く、『認識出来ない!』の方が良くないですか?
つまり、『無心』、その別表現が『認識出来ない!』で、無いものは知ること認識することが、 不可能で出来ませんよ!って意味合い >>646
たぶん、だが
六祖の《仏法なんて分からない!》も、達磨の不識と同じかなと わかったら、離れる、距離ができるからね。。
架空のものを、思っていなければ、法に溶けている状態。。
知らぬが仏だね。。w …未だやってんだ。
例えば法相宗では五八っていうけど、阿頼耶識は一旦置いといて、眼耳鼻舌身がそのまま色声香味触であるのを、これを現量って言うんだけど、それがいいって言われてるんです。
禅宗も同じ。 臨済が黄檗に仏法を三回尋ねて三回叩かれたでしょ。
そんだけの事って事。
黄檗の仏法に不思議なし。
無はム、隻手は隻手、本来の面目はそれそのもの。
そんだけの話。
勿論こんなのは一枚悟りだけど、先ずはそこなんです。 三世諸仏、有を知らず。。w
これ、なんでかわかるか?w >>652
馬鹿そんな事より先に口のききかたから気を付けなさい。 隣町の佐藤さんの家の電気を消してこいでも、山手線を止めてこいでも、お寺の鐘の音を止めてこいでも同じ事。
坐禅すりゃどういう事かそんな事はハッキリと分かる。
逆に分かりもしないのに語るのは……
まぁ語るのは自由だけどね。
よくそんなんで語れるよなぁwって呆れてスレを見てるけどね。 >>652
もうそういうのやめたら?
いい加減に貴方のそういうのを見てると、哀れみさえ覚えるんだけど。
いい加減に坐りましょうよ。
坐り倒してみましょうよ。 三世諸仏有を知らずとはなぜか?
これ、答えは、従容録の著語に書いてあります。。
「有を知るが故なり」
でも、その意味がわかるかどうかって話だな。。w これは南泉の言葉で、あの大趙州のお師匠です。。
非常に優れた、問い、お話だよね。。 こんなのわかっちゃえば簡単なんだよ、えっへっへ〜〜。。w 悟れなくても威張れる派の鹿野園が言う、ことである。大爆笑である。 こんな話がある。
ある記憶喪失になった老人が
「ここは何処じゃ?」と通りがかりの男に尋ねた。
「ここは、3丁目ですよ」
「3丁目?何処の3丁目じゃ?」
「何処って、歌舞伎町ですよ」
「歌舞伎町?何処の歌舞伎町じゃ?」
「も、勿論…東京の歌舞伎町ですよ」 >>658
ロン氏は、た〜くさん答を集めたんだろうね〜
でも、それ本当の答じゃ無いでしょ、知ってる答は、ち〜がうんだよね〜
ロン氏はそのたくさんの答を忘れられるかな?
坐る度に、答が頭に浮かんで来やしないかな、その度にまた別の答で頷いたり
どうなんかね〜 >>662
男は訝しげな面持ちで付け加えた
「東京意外…歌舞伎町ってあったかな?」
老人は不思議そうに尋ね続けた。
「東京?東京って何処じゃ?」
男は呆れ顔で苦笑いしながら言った。
「いいですかお爺ちゃん?東京は東京ですよ。ここは日本。そしてあなたは日本人。それじゃ、私は忙しいんで。失礼します」
老人は目を剥いて叫んだ
「待たれい!日本とは何処じゃ!?」
男は立ち去ろうとした足を止め、老人の方に向き直って言った。
「どう説明しましようか?分かるかなぁ…分かんねぇだろうなぁ…」
男はイラついていたが、事細かに説明する羽目になった。
地球の地形と境界線
太陽系の位地関係
更には銀河系の形成から星々の成り立ち
結局、男はビッグバンまで遡るに到った。
もう、これ以上の事は分からなかった。
額から汗が滲み出る。
老人は平然とした顔で男に更なる質問を浴びせた。
「ところで、あんた誰じゃ?」
男は顔をひきつらせて言った。
「私…ですか?…私は…私は…」
「私は………誰かぁ〜〜〜!!!」
完
パチン☆!!
https://youtu.be/A5aO97x_aJw >>664
パチパチパチ👏
決まったね最後! 久しぶりに感心した、名作だわ、これ ヤバい!笑いが止まらない!最後だけ見ても、笑い転げる!( ^ω^ ) 老人が亀仙人みたいなので、マンガで描いたら面白いだろうね〜
ところで、あんた誰じゃ?
ワロタ〜 >>666
ありがと
本当に
ありがとう
喝采を!
スタンディングオベーションを!
手ぶらエンターテイメントショーでしたぁ!!!
Thank You!!! >>656
wwwwwwwwwwwwwwwww
水爆級に吹いたw w w w w w w
室内で公案の見解に著語なんて云おうものなら……
いや、やめておこう。 >>669
でも、結局わからんでしょ?w
これ試金石だよ。。
坐らないとわからない。。
体験がないとわからないものです。。w www
はいはいw
分かりませんw
分かりませんw 余裕のポーズもハッタリ園、
しかし、ロンハンターのせいで、
小学生鹿野園が張り切っているじゃないか
笑 >>673
仏教では「煩悩障は法の用に迷い、所知障は法の体に迷う」って言いますけどね。
それを理想の境地とする宗教があれば、常・一・主・宰なる我などないとする仏教もあるという事でしょう。 即非の論理っていうのがあるんです。
>AはAに非らず、故にAといわれる
って事の様なのですが、関心がある方はお調べ下さい。
「有」をそこに当てはめると
>有は有に非らず、故に有といわれる
となりましょうか。 仏教はある意味言語哲学的な要素が濃いと言われてます。
仏教では「有」を感覚器官によって把握されたそれの言語化(分節)されたものとして捉え、それ(「有」)を「有以外の排除(他者の排除、アポーハ論)」として見てるんです。
つまり、有は他の排除(分節)によって成り立つ実体が無い空性なものとして否定され(有は有に非ず)つつ、相依性の中で成り立ってる(故に有といわれる)という事でしょう。 >>677
何にも大した体験なんてないですよ。。
ただ、いつも見ている物が、まるで生まれて初めて見るもののように感じられたりってことはありましたね。。
実在に触れたっていう感覚はありましたけれど。。
まあ、過去の思い出なんで、妄想体験かもしれません。。w >>678
じゃ、まだ体験してないんですね、あれを。 面白いものですね。
一方で「知らぬが仏」と云いながら一方では「知は是れ妄覚、不知は是れ無記」ともいうんです。
で、道は「知にも不知にも属さぬ」とw 「道」ってなんでしょうね。
それを尋ねたら「あんた、路上で何を言ってるんですか?」って云われそうですけどw >>678
本当大した体験でないですね。
それでここまで偉そうに書いてるのには関心されます。 過去の禅師方の言葉を出してW俺様〜Wするのは馬鹿にでも出来るコピペ作業な訳で、それに重ねて「分かるかなぁ〜?」とか、もっての外ではないのでしょうか。
更には言い出した本人がそれも分かってないとか、もう言語道断ですね。 僕が体験したのは、いろいろありますが、最近では上で書いたやつです。。
金魚の鱗を見て、なんだこりゃ〜、という体験、ギョギョギョ体験です。。w
面白いよね、何が起こるかわからんから。。w 三世諸仏有を知らず、というのは、従容禄第69則。。
示衆がなかなかいい、頌にもいい言葉がありますよ。。
自ずから知る田地の穏やかなることを >>686
今、今を体験しているよ。。w
進行中の体験だよね。。 悟れなくても威張れる派の鹿野園が言う、ことである。大爆笑である。 体験自慢大会したい人がるのかな?w
のど自慢の方がいいと思うが。。w 自慢できるもの、誇りに思えること、なんて何にもない方がいい、というか、あったらおかしいんだよね。。
なんにもない、何に持っていない、に落ち着くしかないわけだから。。
そうじゃないと、収まりようがないよ。。
心の平和がないよね。。w
だから、わかったら捨て、悟ったら捨てを繰り返していって、何にも残らない、というのがいいんだよ。。w
というか、それしかないんだよ。。
そうじゃないと、いつまでたっても、終わらない、輪廻する、ということです。。 もう三十数年前の話だけど、初めて摂心に行った後に自動車を見て何か分からなかった。
まぁ、ロンさんが今頃そんな体験してるって事は、どうせ大して坐ってないんだから、私の言ってる事はおそらく一生分からず終いって事になるだろうね。 691.692.バカになる競争である、か。
大爆笑である。 何故なら、禅宗では定慧一等って言うんだけど、禅定の深まりがそれなりないと智慧の顕現も浅いって事だから。
参考になるかどうか、私の体験から言うと、その後に一如だの即今だのがあって、最初の摂心から6年位して見性体験をしました。
それが早いのか遅いのかは分かりませんけど、見性した頃は坐禅会は4箇所掛け持ちの月1〜2回摂心、毎週末坐禅会朝夕とかでした。 勿論、ここの住人は在家で雲水さんの様な生活は出来無いから空いてるをうまく活用するしかないんだけどね。
だから、歩きながらムー、電車の中でムーって、勿論声は出さないけど、そんな感じでしたよ。 >>695
誰かのブログとかにそう書いてあったんですか。 最後に帰り着くところはどこか、ということだよね。。
それがわからないと、どんな体験しようが、見性しようがまた迷う。。
逆に途中であって、それがわかっていれば、水を得た魚、というか、解放されるわけだ。。w 悟れなくても威張れる派の鹿野園が言う、ことである。大爆笑である。
見性しても悟り、を知らない鹿野園である。か。
大爆笑である。 間違えた。。
逆に、途中であっても、落ち着くべきところがわかれば、解放される、ということ。。 おれはこうだから・・・というのが、あれば、不可なんだよ、何体験しようが。。w
そこが己事究明であって、おれがこうだから・・・というのがあれば、自救未了だよね。。w
どこまでいっても、そこで躓いている人が多いんでないの?
仏道を成ずるになんなんとして、十劫樹を観ず‥虎の欠けたるが如し、馬のよめの如し、だったか。。 仏教云々、悟りが云々、思っているときは、まったく外れていて、そんなことまったく思いもしないで、縁に任せて活動しているときそれ、という感じかな?
自覚できないものなんだよ。。w
自覚があったら、不可、というか、外れている。。w 701.700.バカ丸出し、を推奨するバカである。
大爆笑である。 そこらへんの問題が、牛過窓レイでしょ?
これ、クリアーしないと、全くダメだ、とせったんさんが言っていたやつ。。w おれもわかってしまえば、簡単でーす、と言っておこうか。。w >>703
あなたが無字に徹してきた人には全然見えませんが。 まちがえた。。w
これも、わかってしまえば、簡単だよね。。w >>691
だから、わかったら捨て、悟ったら捨てを繰り返していって、何にも残らない、というのがいいんだよ。。w
というか、それしかないんだよ。
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分かったら、と言うか、そのような事が起こったら、と言うこと
そして、捨てているうちは、まだそれは起こっていない、と、言うことで、
捨てている、と言うことは、また拾ってしまう、と言えるでしょう
また、分かるのと言う事では無くて、分かっているような事実が起こったなら、その時に、もう捨てるで無くて、捨てようと思うような物の方から、
果実が熟すと、独りでに落ちるかの如く、対象の方が、独りでに落ちて離れて消える、ということが起こる訳です
なので、捨てる捨てないという、能動性のことでは無く、受動的に自動的にそれは起こり、そして起こり続けるでしょう 710.無字の公案、にこたえられれば天才である。
鹿野園はムリである。
ロンもダメである。
大爆笑である。 例えば、決定的な事実が起こって、悟りと言われる、決して逆戻りしない事とは
地獄に踏み込んでも、渦に巻かれて抵抗しばければ、独りでに渦から放り出されるように、気が付くと地獄から出てきているようなものです
そして、その悟りと言われるような事実が起こると、経典・本を捨てるとか、過去の悟った方々にみられる事実は、
これも、能動的に捨てるというのでは無くて、読もうと思っても、読めなくなるという事実が起こっているってことです
決して能動的に不要!とした訳では無く、悟る直前のこと、もの、の全てが、キレイさっぱり脱落消滅する訳です、悟る前に居た人間は、それが起こると、もう同じ人間は居ない、ということです
経典・本を大事にし読み、一心に坐わり、全ての時間を修行に捧げていた者は、消えてしまって、もう存在せず、その人は 新たに生まれた 新しい人間として歩み始めます
一時〜数日、経典も忘れれば、師・法友の名前から、自分の過去の物語までが、ぬぐい去られてしまいます、自分の過去までが、まるで誰かのもののように感じたりします、それ程に染み付いていた諸々がぬぐい去られます
全てが新しく、初めてのこととして、生き生きと、生き始めます、そしてもう元には戻らない、
川は流れ去り、海に至ると、もう川の名は消えている。 【赤っ恥告白!大した体験もなしに知識だけで偉そうに威張れるろん氏】
この程度だと禅でなくも体験するよね・・・
670 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 05:32:10.79 ID:Id+gp3lt
>>669
でも、結局わからんでしょ?w
これ試金石だよ。。
坐らないとわからない。。
体験がないとわからないものです。。w
678 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 14:11:28.15 ID:Id+gp3lt
>>677
何にも大した体験なんてないですよ。。
ただ、いつも見ている物が、まるで生まれて初めて見るもののように感じられたりってことはありましたね。。
実在に触れたっていう感覚はありましたけれど。。
まあ、過去の思い出なんで、妄想体験かもしれません。。w
684 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 16:02:50.42 ID:Id+gp3lt
僕が体験したのは、いろいろありますが、最近では上で書いたやつです。。
金魚の鱗を見て、なんだこりゃ〜、という体験、ギョギョギョ体験です。。w
面白いよね、何が起こるかわからんから。。w
687 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2021/09/29(水) 17:34:42.91 ID:Id+gp3lt
>>686
今、今を体験しているよ。。w
進行中の体験だよね。。 結局何を体験しても、それを見ているうちは、そういう自分を認識しているうちは、ダメ。。
見ている自分と見られる自分に二分裂。。w
自我に覆われていた人が、更にその覆いを分厚くしてしまうというだけ。。
この簡単な原理、迷いの法則みたいなのに気づかないと、やればやるほどおかしくなる、もとに戻れなくなる、ということだね。。
やればやるほど、おかしな奴、困ったさん、はた迷惑さんになってしまう、というだけです。。w
そうじゃなくて、自分知らない、自分を問題にしない、というもともとに帰るんだよ。。
そうならないのであれば、やる前よりも悪い、やらなければよかった、ということになる。。w 何であれ、物事は独りでに起こると、悟りもそう、
気が付いたら全て脱落して、何も無いと、こうであるなら、元にはもどらない、不還
元には戻らないが、螺旋状に一周して元と同じになっている、であれば事は起こったと言えるでしょう
こうであれ、ああであれ、こうなら良くて、ああなら駄目でってなってると、これは何処にも何も起こっていないことに、
一周したら、それ迄いた自分がいない、いない事に、十年二十年と気が付かず、遠くまで来て初めて嘗ての自分を思い出す
まあ普通の人も同じでしょ、60才くらいになって、20歳の頃の自分を懐かしんだりね、同じああ過ぎ去ったんだなあ〜って、
それが単時日に起こり、自分が無くなったとべつの意味で後で気が付く >>719
それがおまえなの
だからやめろといってんの
なに言っても妄想だっつってんの
早く気づけ あれれ、もう来ないって言ってた人がまた来てる。。w 楽しい人だよね。。w
で、心優しい人なんでしょう。。
ご親切に指摘してくださってるんだからね〜。。w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています