>>410
>「今」からちょっとずれると、認識が起きて、ものを認める、ということになるわけです。ものを認めることが一番問題になるわけですね。

>相手と自分のある世界というのは、これはほんとでないと思います。

・・ここで言われているように、自分を認める、相手を認める、というのが、根本的な無明なんです。。
それに気づくことが夢から覚める、無明から脱する、ということなんです。。

自分を認めて、その上で、坐禅してどうなったとかってのは、無明の上の無明ということです。。

だから、まずは認識の上の自分というものが、架空である、ということを理解しないとしょうがない。。