リンクが張れないようなのでコピペ。。
「心の時代へようこそ」No. 567 原田雪渓師

白鳥:  文字ではない、と。文字によって書かれた経典ではない、と。
 
原田:  ええ、そうです。だから「教外別伝(きょうげべつでん)」教えの外に伝われるものがなければいけない、と。
 
白鳥:  なるほど。「教」―教えという字が、そういう意味なんですね。
 
原田:  そうです。教の外に伝えるべきものがあるんだ、ということなんでしょう。だから「不立文字、教外別伝」という言葉になって出てきているわけです。
 
白鳥:  そしてそれはつまり坐禅―坐ることによって、そういった経典等の手続きを経ずして法がわかる世界というものがあるんだ、と。
 
原田:  そうですね。ですから禅というものが、究極に至る、法に至る手段や方法として使われないようにしないといけない、
ということなんですね。「禅そのものが、法そのものである」ということですから、それを〈なるほど、
そうだったのか〉と、こういうふうに自分自らが気付くことですから、坐って経典に書かれる文言を頭に浮かべながら、
〈「空(くう)」ということはこういうことか。「無(む)」ということはこういうことか。なるほどそうか〉というような解釈だけ
でしたら、それは禅にならない、ということですね。そういうことでしたら、学校へ行って、そういう文字の勉強をすれば
いいことですから。