さて

あなたがたはどれほど自分に気づいているだろうか?
あなたはあなたの一挙手一投足に気づいていなければならない。

例えば上司が舌打ちをしてあなたの目の前でこう言った「チッ!使えないヤツだ」と。

するとあなたは思う。

「なんという態度!上に立つ者としてあるまじき言動だ!」と。

いいかね?

全てでっち上げだ。
あなたはどんな仕打ちも受けなかったし
あなたの中だけのおとぎ話でしかない。

上司が舌打ちをして「使えないヤツだ」と言ったのをあなたは自分のこととして受け取った。

何故あなたは自分のこととして受け取ったのか?

もし仮にその上司があなたに向けて言ったのだとしてもあなたは心のおもむくが
ままに上司の態度に良し悪しの判定を下した。

そうか私にいたらないところがあるのだなと謙虚に受け取ることも出来た筈だ。

何故あなたは「これは上司にあるまじき言動だ」としたのか?

何故ならあなたは外側の刺激に目を向けているからだ。

自分はどう思われているのか?
彼は何を考えて私にどうして欲しいのか?

そんなことばかり考えていては到底自分に気づくことは出来ない。

上司が舌打ちしたのは、“あなたに”ではなく他の何かかもしれない。
”馬”の可能性だってあるのだ。

その上司が競馬でガチガチの本命に大金を賭けて擦った可能性を誰が否定出来よう。

つまりあなたは際限のない上司の舌打ちの理由を気にするのではなく、
その不安げに他者を気にしている自分に気づいていなければならないのだ。

仏陀は言った「気をつけること」と。

あなたがたは忍耐強く自分に気づいていなさい。

それが仏陀の言う「忍耐は最上の行」の意味であり、努め励むことなのだよ。

怠ることなく努め励めよ!比丘らよ。