阿含宗という宗教 324
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過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
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前スレ
阿含宗という宗教 323
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1621775593/ >>428 神も仏も名無しさん 2021/09/24(金) 18:35:44.81 ID:OCMW8bxh
>実際に紫微斗数のプロに見てもらったのなら、阿含宗のコンピューター占いとは違うことに気付くハズです。
>私の場合は鑑定(看命)料をウン万円出して結果を文書で貰っている。
どうでもよい話ですが、ついでだから聞いておきましょう。
紫微斗数ではなく、紫微斗数以外に淵海子平(四柱推命)の占いでプロに診てもらったことはありますか?
桐山さんによると、全ての運命学の源流である密教占星術に次いで精密正確なのは淵海子平だと書いている。
だったら紫微斗数も良いが、それよりも淵海子平・四柱推命こそプロに診てもらうべきではないですか? >>429こそ他人様の名前をパクるなよ
私は名前をパクッているのではない。
私は桐山靖雄である。仏界から信者諸君にテレパシーで語り掛けているのだ!
これは御霊諭である!
「千景がいなくてサビチイ!」 >>430
詐欺集団、阿含宗の手先である君に、ニルヴァーナから語りかけよう
これは御霊諭であるぞよ!
最近、千景はどうしておるかね?
妹と姉妹どんぶりを楽しませてもらったが
また吉兆やホテルオークラでの豪勢な食事を楽しみたいものだ。
最近御供養金が足りないようだが、新たな霊障ネタはないのかね
そうだ、今度はペットの御供養を始めよう
ネコのタマが地獄に落ちて、霊障を起こしているから一体50万円で
宝生解脱犬猫供養なんてやればもうかるかも。
また、浣腸の魂が込められた壺や念珠も一個100万円で売り出したらどうか?
護摩木もいっそのことメモ用紙にして一枚千円でうりだせば、ぼろ儲けだがどうかね?
くだらないことばかり書いて申し訳ないが
キリンビールのラベルをコピーして偽ビールを作るしか能がない小卒の私には
これくらいしか思い浮かばんよ!
え、求聞持法?そんなもん成就してるわけないだろ!
早稲田大学入学と同じ詐称だよ、詐称!
そんなわけで、浣腸の御例諭を謹んで敬って受け取るように! >>428
だから紫微斗数の市販本と同じような傾向がコンピューター占い
に書いてあって(違いは霊的脅しの文面が書いてある)それは本を読んだ人
なら誰でもわかるわけなの
プロの鑑定って面談しながらやるわけだろ あるいは個人レベルでの細かいことを相談しながらその人個人の鑑定を行う、占術の種類だけにより違いが生まれるわけではない で、紫微斗数をプロに見てもらったわけだw
コンピューター占いと違っているのは当たり前じゃん、アホなのw
いっておくけど、私だけじゃなく、もっとたぶん原点の本まで読んだ
深山さんも同じ意見だし、占いに詳しかった人(密教占星術を標榜している関係で当時 占いをやっている信者もけっこういました。)も同じ意見でしたね
「これ紫微斗数だよ」って、そして結局コンピューター占い
が廃止になったのも紫微斗数がギリギリで広大な体系の密教占星術はコンピューター占いには出来ないんじゃないのってのが大半の意見でしたね。
まあ結局は阿含宗で説く密教占星術自体、嘘だったんですけどね そうなんだよね。今廃止になってるんだよね。
素晴らしいんだったら、今どうして廃止になってるのってな話なわけよ。 容貌しか当たっていると思われるところがない。
自分でプロの鑑定士に紫微斗数で占ってもらった。
これって結局阿含宗のコンピューター占いなんて大したことないと、実際には否定したような行動ですよね。
本人が気が付いているかどうか分からないな。 桐山氏が何を基準にしてサッサ、さっさと個人への指導をしていたか?
お告げデスよ、神霊のお告げなのです。
紫微斗数やら四柱なんたらは、我々素人向けの偽装と思いなさい。
詳細は示さないが、
若いうちに、個人面接指導を受け「黄変死の因縁有り」と諭された御仁、
ある天然災害に巻き込まれ、奇妙なご逝去。
その様な実例を幾つも見聞きしてます。
およそ宗教家として世間に立って行ける条件は集約すると二つになります。
1正確なお告げを示す
2祈って病を治癒させる
1と2が出来れば万全ですが、1だけでも充分に宜しい。
1を満たした行者で近年有名な人は、弁天宗の開祖の小母さんでした。
興味のある方はお調べください。
1が出来るかどうかで、とやかく言うてる間は宗教の価値が判って居ないですね。
宗教の価値は、救いが在ることに尽きる。
其れが無い者が宗教を説いても只の屁理屈であり、高所、他所から物差しで商量したところで
見当違いの無駄骨。
死んでから題目、念仏、真言を上げたって無駄、あれは生きる人間の為の台詞です。
死んでから悟りは開けないと覚えるべし、生きてるうちに的に当てよ。 >>446神も仏も名無しさん2021/09/25(土) 10:35:50.87ID:GS+g+kdv
>桐山氏が何を基準にしてサッサ、さっさと個人への指導をしていたか?
>お告げデスよ、神霊のお告げなのです。
また空気も文章も読めない信者の慢心お説教が始まった。
宝生創価センセは因縁透視の話を完璧に知らないのですね。
阿含宗立宗以降の話をほぼ知らないようだ。
因縁透視は神霊のお告げではなく、コンピューター占いです。
しかも、それは桐山ゲイカによる個人指導です。
コンピューターって、なんだか知っていますよね?
紫微斗数という人間が作った占いをコンピューターに入れて、
漏れなく「霊障のおそれあり」の言葉が出てくるように工夫して、
信者に「霊感」と称して、お金を取って出していたのです。
桐山さんは自分の「霊感」と言ったのだから、阿含宗の教義でも、
神霊のお告げなどではありません。
今ならパソコンで簡単にできるが、四十年前ですから、平河町の道場に
大型コンピューターを入れて、専門家にプログラムを作ってもらうなど、
大きな投資をした新手の霊感商法です。
ただ、霊感商法なのだから「桐山靖雄大僧正猊下の霊感」(>>439)という表現は
正しかったかもしれない。 >>446神も仏も名無しさん2021/09/25(土) 10:35:50.87ID:GS+g+kdv
>若いうちに、個人面接指導を受け「黄変死の因縁有り」と諭された御仁、
>ある天然災害に巻き込まれ、奇妙なご逝去。
もしかして、これは宝生創価センセの体験談ですか?
桐山さんから「若いうちに、個人面接指導を受け」たという話は本当だったのだ!
何度お願いしても、面接指導の話をしないので、てっきり嘘だと思っていました。
桐山さんと同じで嘘が平気な人で、病的な嘘つきなのだと思っていました。
しかし、面接指導を受けて、しかも、黄変死を付けられて、
ばっちり当たってしまい、黄変死されたのですね。
前に、宝生創価センセの横変死の因縁はどうなったのだと質問したが、
やはり桐山ゲイカは黄変死を付けたのだ。
しかも、ズバリ、宝生創価センセの因縁を当てたのだ。
宝生創価センセも桐山さんと同じブッ界からここに書きこんでいたのだ!!
前からどうして宝生創価センセの文章は支離滅裂で、脈絡がなく、自己陶酔と
自己満足しかないのか不思議だったが、「ブッ界脳味噌」だからだ。
宝生創価センセは熱心に修行されたわりには、黄変死の因縁が出ちゃいましたね。
阿含宗では因縁は切れない、因縁切りなど嘘だと身をもって証明された。
桐山夫人も身をもって因縁切りなど真っ赤な嘘だと証明された。
さっきから気になっていたのですが、黄変死の因縁て何ですか?
宝生創価センセは知らないようですが、阿含宗では横変死の因縁はあるが、
黄変死なんてない・・・あ、わかった。
脳味噌も根性も腐って、黄色になる因縁ですね。 あ、そうそう、ペテン大・・・いや、紫微斗数のプロの鑑定士の鑑定を受けたお方に質問します。
そのプロの鑑定士と阿含宗のコンピュータ因縁透視の両方を受けられたんですよね。
もはや占断の表現の違いはどうでもよいが、占断内容は一致しましたか?違いましたか?
違っていたとしたら、どちらをあなたは信用しますか?
阿含宗のコンピュータ占いの方が信用に足るものでないと、阿含宗の擁護にならなくなるわけですが。 >>430 神も仏も名無しさん 2021/09/24(金) 18:52:22.44 ID:OCMW8bxh
> >429こそ他人様の名前をパクるなよ。
>>431 にも書いたがブッ界の桐山ゲイカの名を騙り、発言や見解の責任をすべて開祖に
丸投げしているのは「開祖霊諭」を乱発する阿含宗そのものです。
ちょうど >>442 さんが
>>442 桐山靖雄 2021/09/25(土) 05:07:52.77 ID:Np6ezXP/
> 詐欺集団、阿含宗の手先である君に、ニルヴァーナから語りかけよう
> これは御霊諭であるぞよ!
> 最近、千景はどうしておるかね?
と書いていて、批判派はおもしろおかしく読んでいるが、教団が出すものとこの
書き込みのどちらが信憑性があるかということをまだ知性を残している信者の方は考える
べきです。死んだ人間がブッ界通信で阿含宗にメッセージを送ることを信じるのであれば、
これも信じないといけない。もしかしたら案外リアリティある霊諭かもしれないwww
桐山さんがまだ元気だったころの会員は誰でも知っていることだが、当時重要な
お知らせは「管長メッセージ」として、桐山さんの筆跡が残された原稿用紙のコピーが配られて
いました。ハラの中はどうかわからんけど、すくなくとも桐山さんが書いたものであるということ
が確認できたわけです。筆跡だって法話で板書きしたものや自動書紀として本に書かれたもの
(あれは脳腫瘍の症状として説明できるが)と一致していた。
一方今はどうか? 紙に書かれたものをF田さんなり信者なりが棒読みし、映像ヤマトがテロップ化して
配信w していて、本当に桐山さんの意思なのか確認する術が全く提示されていない。
「開祖への報恩感謝」とかいうスローガンに踊らされている信者はともかくとして、少しでも冷静になれば
こんな「霊諭」なんてデッチアゲにすぎず、教団は発言の責任をすでに死んだ桐山さんになすりつけている
卑怯者にすぎません。
もし機会があれば宗務局に「開祖霊諭は阿含宗のどなたがどうやって受取り、文字に起こされるのですか?
開祖がインドで受けた仏勅のように自動書紀などで記録されていたりしないんですか? また霊諭を受け取る際
の儀式などはあるのですか?」と質問してみてください。 >>450 桐山靖雄 2021/09/25(土) 19:00:00.71 ID:taM4KEZz
そんなこんなで、信憑性のカケラもない「霊諭」が教団から乱発されているのであれば、
紫微斗数のプロに鑑定してもらったと自慢するペテなんとかさんとか、
>>446 神も仏も名無しさん 2021/09/25(土) 10:35:50.87 ID:GS+g+kdv
> 桐山氏が何を基準にしてサッサ、さっさと個人への指導をしていたか?
> お告げデスよ、神霊のお告げなのです。
などと、論理が破綻した書き込みを繰り返し、漢字すらまともに書けない宝生創なんとかさんも、
桐山さんの霊諭を勝手に受信して、大々的に一宗派を立ち上げてみたらどうなんでしょうか?
同じスレの住人として、指差して笑ってあげますよwww だいたい阿含宗商法?の失敗作 コンピューター占い を出してきて
深山さんをやり込めることが出来るだろうという浅はかな考えでwww・・・。
すぐ廃止になったやつだから、さすがに深山さんでも内容はわかるまい
これでボコることが出来る! って思ったんでしょうかね?w
これ出していた時期って阿含宗全盛期で、いろんな人がいましたよね
ほとんど辞めちゃったけど ペテン氏だか誰かしらないけど、そのころ道場にきて
話したりしたことありますか?法友というか阿含宗で親しくなった人とかいますか?
道場へもあまり行かず梵行なんてやったことないんじゃないですか?
独りよがりで阿含宗に対する知識常識どんな教学を説いていたのか本当はわからないのでしょう
ただ宗務局の発信する情報を鵜呑みにしているだけ、毎月送ってきてた会報と時々買う
法友、青蓮華、大法城 などの機関誌を読むだけで「阿含宗、桐山管長は素晴らしい!」
と舞い上がって周りが見えていない その状態がマンマ今日まで続いているんでしょうw ≫437
>私は占星術や運命そのものについてここで議論したことはありません。
>なぜなら、ここはこれらを議論するスレではありません。
そういう月並みな逃げ口上は勿論想定内です。
占星術や運命「そのもの」など言い出して、何とかそこから逃げようとしているのはあなたの方です。
単語を並べて逃げるところは、あなたの同僚である指ちゃんにとても良く似ています。
(指ちゃんの場合は「一般論w」でした)
占星術も運命も阿含宗とは無縁ではないどころか、切っても切れない関係です。
阿含宗は観音慈恵会の頃から、占星術を用いて会員を指導してたのでしょう?
占星術→運命→因縁です。
占星術で人の運命がわかるのだという。
そしてそこから因縁というものが出て来る。
だからその占星術というものが全く当たらないものならば、阿含宗の主張は成り立たなくなるのです。
占星術を否定すれば阿含宗「そのもの」を否定できるのです。
阿含宗を否定したければ占星術という元を叩けばいい。
それには、占星術などまるで当たらないことを証明すればいいのだ。
わざわざ釈尊を担ぎ出すことはない。
だが当たる当たらないと言ったところで、
人生の諸項目では主観が入ってしまい、当たっているともいないとも言えないことが多い。
その点、容貌ならハッキリしている。 ≫437
>私は占星術や運命そのものについてここで議論したことはありません。
>なぜなら、ここはこれらを議論するスレではありません。
たかが容貌だと言うなかれ。
結果に何種類かのパターンがあるにしろ、生年月日時間だけでそれ(容貌)がわかることは大変なことです。
私は自分以外の二人の人間の結果を見たが、なる程本人の特徴を良く捉えていました。
容貌についての記述は、かなり客観的なものです。
ハンサムだとか美女だとかいった非常に主観的な内容ではありません。
そうではなくて、大きな切れ長の目だとか、掘りの深い顔だとか、耳が反り返っているとか、まあ誰が見ても本人だと認められるような客観的な特徴です。
深山さんの占いにだって、あなたの顔の特徴が書いてあるでしょう?
だったらそれを書いて、あなたの実物を良く知る読者に判定してもらえばいい。
勿論、醜男だとか不細工とかいった主観的なことは書かれていないから臆することはない。
そして、ああ実物とは全く違うね別人だよ、となれば、やっぱり占いなんて当たらないことになって、教団の教義の否定に繋がります。
これなら簡単でしょう?
今までの様に、苦労して経典や仏教辞典から引用する必要はないのです。
だから占いの結果を書いたらどうかと勧めている。
もっと頭を使って楽をすることです。
もしどうしても、あなたが占いの結果を書けないのなら、それは占いの結果が当たっているからです。
もし書いたら、深山さんが誰だかわかってしまうから書けない。
そうなれば「占星術→運命→因縁」が正しいことを、あなたは見事に証明したことになります。
おめでとう。
(ところで私の場合は、いくらここで、占いに書かれた自分の容貌を書いたところで、私の実物を見たことのある読者はいないだろうから最初から意味がありません) >>449
>もはや占断の表現の違いはどうでもよいが、占断内容は一致しましたか?違いましたか?
大体のところは一致していましたね。
特に健康面では、大きな病気もせず生涯を送れて長寿であり、また晩年は安定していること。
プロの占断によると健康面で超能力を発揮する星を持っているそうです。 >>453 神も仏も名無しさん 2021/09/26(日) 02:34:47.94 ID:mcXrA9kn
>阿含宗は観音慈恵会の頃から、占星術を用いて会員を指導してたのでしょう?
>占星術→運命→因縁です。
その通りです。観音慈恵会の昔こそ占星術を強く打ち出していた。
それは密教占星術1という本を読めばよく分かります。
霊視という言葉を使っていませんでした。透視です。
その透視とは結局生年月日をもとに行われる占いです。
観音慈恵会から会員の情報とは生年月日しかありません。面接なんかしません。
桐山さんの作り話の著書を読んでも面接する前に占いで因縁透視してます。
だからこういうものは本来どんなに複雑であろうと、コンピューターにプログラミングすることが可能なんです。
だとすると生年月日が同じ人間は同じ運命になるのかという矛盾点が生まれます。
だから阿含宗になるとこの辺をぼかすようになってきたと思われます。
>占星術で人の運命がわかるのだという。
>そしてそこから因縁というものが出て来る。
>だからその占星術というものが全く当たらないものならば、阿含宗の主張は成り立たなくなるのです。
>占星術を否定すれば阿含宗「そのもの」を否定できるのです。
>阿含宗を否定したければ占星術という元を叩けばいい。
>それには、占星術などまるで当たらないことを証明すればいいのだ。
これは話をまとめすぎですね。
いかにも頭の悪い奴のやりそうな話です。
まず我々は占いを全否定などしていない。
是非型というのは占いなんてものはそもそも朝のはずがないと言う立場ですね。
全否定ができるほど、占いになど通じてもいないからです。
ただ占いと名乗れば全部当たるはずがありませんよね。
それはあなたでも分かりますよね。
世の中には当たる占いがある。当たらない占いもある。当たる鑑定士もいる。当たらない鑑定士もいる。
このくらい分かりますよね。
全ては個別に見ていかなければならないのです。
だから阿含宗のコンピューター占いが間違っていたとして、紫微斗数そのものを否定したことにはならないのです。
こちらは阿含宗の占いのいい加減さを指摘できればそれでよく、占いそのものを否定する必要は全くありません。
いい加減なことをやっていても、たまたま当たる部分は新しい当たらない部分は当たる。
だから偽物は全部外れてインチキだ、本物は全部当たるなんて単純に物事を考えないのです。
また本物のよく当たる占いでも外すことはあるし、インチキ占いでもたまたま当たることもある。
こういう想定も絶対に必要ですね。
今自分は何を検証しようかということを細かく分けて考える必要があるのです。
紫微斗数という占いはひょっとするとかなりよくできているものなかもしれませんが、
少なくとも阿含宗のコンピューター占いは占う時間を設定しておらず統一しちゃってるんだから、もうこの時点でダメですねとそこだけですよ。
そして釈尊が占いを否定したというのも、その理由は別に占いが当たる当たらないで考える必要はないのです。
こんなものは想像力を働かせてもいくらでもわかりますよ。
あなたの視野が狭すぎるだけで。 >>455 神も仏も名無しさん 2021/09/26(日) 03:02:36.83 ID:mcXrA9kn
>大体のところは一致していましたね。
>特に健康面では、大きな病気もせず生涯を送れて長寿であり、また晩年は安定していること。
>プロの占断によると健康面で超能力を発揮する星を持っているそうです。
それは素晴らしいですね。
と言うならということならば、プロの鑑定士ではない阿含宗のコンピューター占いでも、
特に健康面で霊障の恐れありなんてことも書かれず、悪いことは書かれなかったんですね。 たまたま当たる部分は新しい当たらない部分は当たる→たまたま当たる部分は当たるし当たらない部分は当たらない
すみません。 >>455 神も仏も名無しさん 2021/09/26(日) 03:02:36.83 ID:mcXrA9kn
>大体のところは一致していましたね。
>特に健康面では、大きな病気もせず生涯を送れて長寿であり、また晩年は安定していること。
>プロの占断によると健康面で超能力を発揮する星を持っているそうです。
だとするとこと健康面に関しては阿含宗でいう因縁解脱なんて必要ないことになりますね。
因縁切りなんてことをしなくても健康面が保証されているようなものだから。
プロの鑑定士は占いの結果を示して、まあせいぜい生活上の注意点でもアドバイスしておけばそれで終わりです。
ところが阿含宗は因縁を通して後はこの悪い因縁をいかにして切るかということの入り口ですから、その辺が全然違います。
ペテン大作さんは現在でもパール瞑想とかしてそれは特にガンなどの予防に役立てると書きました。
すごく健康面には注意しているように見受けられました。
超能力なんか要らないけれども、健康体は普通の健康体は欲しい、とまあ当たり前ですけどね。
ところが両方の占いで健康面が保証されているのであれば、そんなにあくせくしなくてもわざわざ特殊な瞑想なんかしなくても
それは獲得できるのではないかと思われ、何か話が矛盾しているように思われます。
そういう意味では何か桐山さんに似ていますね。
桐山さんは俺は特別だったんだと空虚の自慢をしたい。
だから信者には因縁を切らないと大変なことになると脅し、誰でも因縁解脱は可能と説いて、
自分の因縁切りの体験などを示したつもりが、時々それに反するような自慢話を書いている。 >>454 神も仏も名無しさん 2021/09/26(日) 02:45:38.77 ID:mcXrA9kn
>容貌についての記述は、かなり客観的なものです。
>ハンサムだとか美女だとかいった非常に主観的な内容ではありません。
>そうではなくて、大きな切れ長の目だとか、掘りの深い顔だとか、耳が反り返っているとか、まあ誰が見ても本人だと認められるような客観的な特徴です。
知ってますよ。私の場合は顎が張っていると書かれていた。そしてそれは外れていた。
時間をきちんと限定すれば変わるのかどうかは分からないが。
ちなみに私は午前11時30分頃の生まれなんで、時間がお昼正午に設定しているとするならば、
その辺の時間差というのはどの程度影響するのか知りませんが。
それにハンサムと深山さんが書いたのは、これは単にあなたに対する皮肉のジョークだと私は読み取れましたけどね。
>そして、ああ実物とは全く違うね別人だよ、となれば、やっぱり占いなんて当たらないことになって、教団の教義の否定に繋がります。
>これなら簡単でしょう?
>今までの様に、苦労して経典や仏教辞典から引用する必要はないのです。
だからこの辺が話をまとめすぎて視野が狭いんですよ。
占いの話は占いの話、仏教の話は仏教の話。
我々は阿含宗に見られるインチキ、嘘、デタラメを、これは実は単一ではなく複数あるから、
気がついたものはそれを全部チェックをして行こうと思っています。
たったひとつの嘘で、これは全部嘘なんだと結論付けるなんて頭の悪いことはしません。
ここも嘘だったね、ここもインチキだったね、じゃあ皆さんどう判断されますか?それは皆さんにお任せします
と言う立場なんですよ。
だから釈迦仏教でないと言うネタも別に書いているわけです。
たった一つの決定打で全てを判断させようなんて頭の悪いことは思っていません。 桐山因縁というものは実は密教占星術という占いの技術によって導き出せるものだということは、
密教占星術1に書いてある「人はどんな因縁を持つか」の因縁分類に個別に星の名前を書いていることからもわかりますね。
その星の名前とは実は二十八宿のサンスクリット名を音訳した漢字なわけで、
そんなこと誰も分からないだろうと、いかにも密教占星術はこんなことまでわかるんだと権威付けるためにやったことなんでしょうけれども。
とにかく人の因縁は密教占星術でわかるんだとあの本は示したわけです。 だから私は、
容貌の占いは外れた→だから占いというものは当たらない→だから運命の因縁なんていうものはない→だから阿含宗はインチキだ
なんて短絡的な思考はしません。
こんな短絡的な思考をする人間なんているのかなと思います。
あ、いた(笑) あと全然話は変わりますが三元九星の話です。
私は他人の九星のを見てアドバイスするなんて霊感商法には加担しませんでしたが、
もっぱら時々自分のことを占ってました。
そして結構な頻度で行なっていると、年柱、月柱、月柱、時柱とわかっている中で、
いま自分が何か占おうとしたら、何を占っても結果はよくないんじゃないかなと分かってしまうこともありましたw 最近出てこなくなったから名前が思い出せないけど、えーと・・・あ、そうそうアラカンポ先生だ
アラカンポ先生は昔こんなこと書いてましたね。
自分は占い師に自分の過去を当てられたことがある。
鶏かなんか虐待したことがあるのかその占い師はガーガーと鳥が鳴く仕草をして見せた。
自分しか知らないはずのことを示したというわけです。
そこでアラカンポ先生は人には運命があると悟ったとのことでした。
そして阿含宗で運命転換、因縁切りの信仰に励むわけです。
これが彼の阿含宗新興の根拠なんだそうです。
これにはいくつもの意味のない強引な関連付けがありますよね。
どうしてわかったのかわからないが、過去が分かったら未来も全て分かり、
人は運命があると証明できるという話です。
それとその過去を言い当てた占い師というのが阿含宗の誰かとか桐山さんであれば話がわかるが、全然関係ない別の人です。
となるとその占い師が正しくても阿含宗がが正しいという話にはならないということは誰にも分かりますよね。
ペテン大作さんも同じような頭の悪い話をしているのです。 人の過去は分かるといえば、例えば京極夏彦の小説に出てくる榎木津礼二郎という探偵がそうでした。
その人のトラウマになっている記憶にアクセスできてしまい、それが彼の目には映像となって見えるというお話です。
もちろん小説ですから何の科学的根拠もありません。
別の作者の小説でも、人の脳の記憶領野にアクセスできてしまうことを書いている人もいる。
つまり人の過去が分かったと言っても、それは運命で決まっているから分かるのであり、
だから未来もわかるのだという理屈にはならないとわかりますよね。 釈尊だってこの人の命があとどれくらいということ話すシーンもあります。
ところがそれを言うなら医者だって病状を見て、余命があとどれくらいかと宣告するのは、
これは生まれた時から決まっている運命なんですかってな話です。 自分の視野の狭さというのは、なかなか自覚できないものなのかもしれないな。 生年月日時の同じ人をたくさん集めて、その人たちの人生軌跡は、容貌含めて共通か?ってな話です。
もちろんそんなことをする人はいない。
結果はわかりきっているので、占い商売の妨害としか言われないでしょう。
じゃあ占いがおかしかったら人には運命というものが無いという結論になるのか?
決してそうとは言い切れない。
釈尊の高弟モッガラーナは異教徒の執拗な攻撃迫害を受けるのだが、
彼はこれを自分が前世に為したことの報いなんだから避けられず受けるしかないと述べている。
やはり運命的なものもあると言える。
変えられる変えられないは別として。
でもそれって生年月日時の占いに出るものなの?ってな話です。
だから占い否定→運命否定→因縁解脱否定という話の筋にはできない。
そんなことは我々はわかっているから、どこかの視野の狭い人以外はしない。
しかし桐山占いはインチキで桐山因縁はデタラメという批判はできます。
運命全般の否定まではする必要もない。 日本人は大体切れ長の目なんだから、何人かはあたるでしょうw
健康長寿といっても、大体の日本人は80、90歳まで生きるのが今の世の中です。
そもそも、おかしいのは、このコンピューター占いは昭和の時代にやっていたはずで
例え、占断時に小学生でも、今になれば容貌以外でも自分の人生を
当てているかどうかわかるはずです。
>>454
(ところで私の場合は、いくらここで、占いに書かれた自分の容貌を書いたところで
私の実物を見たことのある読者はいないだろうから最初から意味がありません)
それはその通りで、お互い他人同士ですから結局当たってる、当たってないは水掛け論になって
しまうので、ここでは客観的な対象者して阿含宗開祖、桐山靖雄を見てみましょう。
紫微斗数以外にも、あらゆる占術の奥義を極め、大極秘伝「密教占星術」完成させた
桐山靖雄はあらゆる困難を予知して事前にその災難から逃れたでしょうか?
思いつくだけでも
・脳梗塞を二回も発症してロレツが回らなくなってしまった。
・愛人に裁判で訴えられて、あまつさえ週刊ポストに載ってしまい
日本全国に大恥をさらした。
・違法密教食を摘発され、読売新聞社会面にでかでかと載る
・国際警察関係者に違法に現金を渡して、関係者を辞任に追い込む
ついでに言えば、阪神大震災も東日本大震災も予知できず
晩年は三人の娘たちにも逃げられ、自称仏陀を超えた大聖者が
病床から「千景がいなくてサビチイ」と連絡する始末wwwwww
とても、自分の運命を予知していたとは思えませんね(爆笑)
自分の悲惨な運命もロクに予知できない、桐山靖雄が果たして他人の
運命など予知できるでしょうか?
阿含宗開祖、桐山靖雄の占いなど当たらない、でっち上げであるという結論しか出てきません。
紫微斗数をどうこう言うつもりはありませんが、
少なくとも、阿含宗の占いは当たらないというのは桐山靖雄をみた時の結論です。 それにね、他人が運命を信じていようが信じていまいが、そんなこと各自任せでどうでもいいではありませんか?
そんなことより阿含宗の批判点について反論した方がこのスレに参加する意義がありますよ。
反論できないなら参加しなくてもかまわないけど。 >>474
ユビさんは阿含宗信者時代に宗教に金を幾ら使ったんです、
かなりの額かな?
自分が女に金を使うことなくそれで宗教に使ってた金が教祖は
それで愛人と旨いものを食いチョメチョメし小遣いを上げていた事への
反動のバイタリティがあるんでしょうか >>475
解脱供養は冥徳含めて23体でしたからこれは少ない方だと思います。
護摩木は毎年1000本か2000本くらいですが、終いの方では、法施とやらのグッズ、
祭壇に置いておくスペースもなく、資格に達していても申し込みませんでした。
で、当時なら趣味の登山を日本アルプスにも出掛けていたし、禁欲派でないから
スケベ屋さんにも出費してたんで、そちらに関する怨みもそんなに無いんですよね。
スケベ屋さんは退会した後、ほとんど行かなくなりましたが、タマには行ってもいいかなと
思いますが、コロナのせいでそれも封じられてます(笑) 何を言いたいかと言うと、要するに批判の目的は、そんな個人的な恨みつらみじゃないということです。 >>434
>私は因縁透視と紫微斗数が「=」だなんて書いていない。
>「『紫微斗数全書』を元にしている」(>>384)
と書いているのが彼には読めないし、読まない。
>彼ならこちらのちょっとした言葉尻をとらえて、
因縁を付けてくるだろうから、「=」だなんて危なくて書けない。
深山さんは、本当に呆れた嘘つきですね。
彼は次のように書いている。
>>211
>実際、後にコンピューターを使って「因縁透視」をした。
>この因縁透視は紫微斗数という中国で有名な占いを使っていました。
>「紫微斗数全書」という原典があり、この因縁透視の文言はこれから持ってきたものです。
彼は「因縁透視は紫微斗数という中国で有名な占いを使っていました」と書いたのです。
因縁透視は紫微斗数を使っていたと言うのなら、因縁透視の中身は紫微斗数であるということになる。
誰が読んでもそういう意味に取れます。
だから深山説では因縁透視=紫微斗数です。
彼が「=」と書かなくてもそういう意味になります。 >>454神も仏も名無しさん2021/09/26(日) 02:45:38.77ID:mcXrA9kn
>(ところで私の場合は、いくらここで、占いに書かれた自分の容貌を書いたところで、私の実物を見たことのある読者はいないだろうから最初から意味がありません)
読者の皆さん、この文章が奇妙だと気付きませんか。
前半で長々とスレの主旨を無視した話を羅列して、最後にまるで付け足しであり、
読者には読まれたくないかのように、カッコ書きで書いた。
必死に彼の容貌のことを書かなくてもいい言い訳をしている。
彼の今回書いた文章で一番重要で、本音や憎しみに満ちた腹の底を
示すのが上記です。
他の文章はただの目くらましで、上記のみが意味がある。
因縁透視の容貌のことを書いたのは454さんです。
こちらが出したのではない。
容貌が当たっていたから、阿含宗は正しいと主張した。
彼の阿含宗擁護はたったこれだけなのを皆さんは頭に置いてください。
なぜなら、彼はなんとか話をずらそうと必死にゴマカスからです。
454の文章などその典型で、阿含宗の議論と関係しているのは実は上記の文章のみです。
この男はいかにも格好良く正面から戦うような素振りを見せるが、実際には
卑怯でズルイ男で、特に長く書いた時には、なんとか誤魔化そうと
している時だから、まともに文面を受け取らないで、疑うことです
(きっと、彼はオマエモナーと言うでしょう)。 >>454神も仏も名無しさん2021/09/26(日) 02:45:38.77ID:mcXrA9kn
>(ところで私の場合は、いくらここで、占いに書かれた自分の容貌を書いたところで、私の実物を見たことのある読者はいないだろうから最初から意味がありません)
因縁透視が正しい証拠として、容貌の記述が当たっていたと出したのは454さんです。
だったら、具体的にどういう内容が当たっていたのか、説明するのが当然です。
それには、彼がもらった因縁透視の容貌を出すのが順序です。
お金を出して専門家に占ってもらったなんて話は関係ない。
だが、彼はその証拠を出そうともせず、脈絡もなく、深山のを出せとしつこく迫る。
「実物を見たことのある読者はいない」というのだから、彼は
一般信者で、容貌の記述をここに出しても何の問題もないはずです。
だが、上記のように出さなくてもいい言い訳を一生懸命に並べている。
親、兄弟、妻子に関する記述があり、「大体のところは一致」(>>455)
したのだから、それぞれを出して、当たっていると主張すれば、
彼が建前として出している因縁透視の正しさの傍証にはなる。
だが、彼は絶対に出さない。
非常に奇妙ですよね。
なぜなら、建前の阿含宗擁護と本音の目的が違うからです。
彼が容貌の記述を出さない卑怯でズルイ理由は主に次のようなものです。
・因縁透視はどうにでも取れる内容なので、出せば彼の御都合解釈を
嘲笑われると予想できるから。
・本音の目的は阿含宗擁護ではなく、深山憎しだから。 >>454神も仏も名無しさん2021/09/26(日) 02:45:38.77ID:mcXrA9kn
>もしどうしても、あなたが占いの結果を書けないのなら、それは占いの結果が当たっているからです。
>もし書いたら、深山さんが誰だかわかってしまうから書けない。
上記に454さんの目的がはっきりと書いてある。
この人は、深山を特定して、一撃を加えて復讐心を満足させるのが目的です。
阿含宗の擁護など二の次です。
彼は、彼が嫌っていた横浜道場の某先達を私だと思っている。
某先達は特徴ある容貌をしていた。
私はこういう場合、肯定も否定もしていません。
なぜなら、憶測の書き込みを見れば、彼の知性、性格がわかるからです。
長年の書き込みから、もし彼が現実世界にいたら、彼の職場の
人たちがそうであったように、彼とは慇懃に関わらないようにします。
彼の執念深い憎しみと復讐心に勝てる人は誰もいないからです。
容貌を書いたら私が誰なのか特定されてしまうそうです。
前から言っているように、私もまた一般信者にすぎなかった。
占いに「切れ長の目だとか、掘りの深い顔だとか、耳が反り返っている」(>>454)
と書いてあると、私が誰なのかわかるのですか?
ありえない。
阿含宗の擁護と何も関係ないのに、どうして454さんは何とか深山の容貌の
記述を引き出そうと必死になっているのでしょう?
単に深山憎しだという私の指摘を裏付けている。 >>478神も仏も名無しさん2021/09/26(日) 11:58:20.13ID:jyANUB+m
>だから深山説では因縁透視=紫微斗数です。
読者の皆さん、478さんの執念深さを見てごらんなさい。
私は「霊障のおそれあり」は紫微斗数にはないとはっきり書いている。
だったら、「=」なはずがあるまい。
こうやって、彼は懲りずに言葉の端々に因縁を付けて来る。
ものすごくしつこく、執念深く、悪意に満ちている。
こちらの批判は紫微斗数が当たるかどうかの話をしているのではありません。
・釈迦仏教では占いは禁止なのに、阿含宗は占いを使っている、
・因縁透視は桐山さんの霊感などではなく、占いのパクリにすぎない。
霊感ではなく、占いを使った霊感商法だと批判しているのです。
信者さんたちもこの点を気を付けてほしい。
因縁霊視や因縁透視が桐山さんの霊能力や霊感ならば、仏教の占い禁止には
直接的には当てはまらない。
だが、両方とも占いを用いている。
因縁透視が占いであることは信者である478さんさえも認めている。
運命があるかどうか、占いが当たるかどうかを議論しているのではなく、
阿含経を護持すると称しながら、釈迦仏教で禁止されている占いや
護摩を焚いているのはおかしいと批判しているのです。
478さんはこれには正面からは答えないで、紫微斗数の容貌の話にそらそうと必死です。
彼がもらった占い師からの占断では超能力を発揮する星があるという。(>>454)
たしかに、彼の執念深い憎しみの強さは並外れており、超能力と言われれば、
そのようにも見えます。 >>478 神も仏も名無しさん 2021/09/26(日) 11:58:20.13 ID:jyANUB+m
>彼は「因縁透視は紫微斗数という中国で有名な占いを使っていました」と書いたのです。
>因縁透視は紫微斗数を使っていたと言うのなら、因縁透視の中身は紫微斗数であるということになる。
>誰が読んでもそういう意味に取れます。
>だから深山説では因縁透視=紫微斗数です。
正直何を言いたいのか分からない部分があるので確認整理しておきましょう。
この因縁透視とはあくまでもあの時に行われたコンピューター占いだけの話です。
こちらはそれ以外にすべからく阿含宗の桐山さんがやる因縁透視は紫微斗数で作られているなんていう気は全くありません。
コンピューター占いだけなんです。
桐山さんが建前として示す因縁もわかる密教占星術の正体が紫微斗数なんてことは全く言う気はありません。
あなたもこちらがそんなことを言っていると言う気はないでしょうが、一応念のため、確認のため。
と言うのは三元九星の著書も出て伝法も行われましたが、そこから先が全然進みませんが、
あれが密教占星術だなんて思ってないですよね?
密教占星術奥伝なんて伝法会もあって、このネーミング何とかならないの?と思ったものだが。
本来桐山密教占星術というのは奥が深いもので、いきなりそれをマスターするのは困難なので、
まずは訓練のため、カンを養うために三元九星を教えるというのがそもそものスタートでした。
そこから先が全然進まないだけで。
そういうなかなか奥へと教えてくれないと言う経緯を諦め的にも知っているので、
こちらはコンピューター占いなんて言っても、そんなものはそんなに期待しませんでしたよ。
信者時代ですら「そんなもの」と言う捉え方でした。私は。
そのコンピューター占いが本当の桐山密教占星術であるはずがないと思っていました。
ただ桐山著書分類流にも広い密教占星術の体系の中で、淵海子平もあれば紫微斗数もあるというのだから、
そういったものを使ってコンピューター占いというものは可能かもしれない。
何もやらないよりはそういうものを示すのも一つの参考になるかもしれないと私はその程度の認識でしたよ。
まあ私は1988年に再入行した後にまだその頃残っていたコンピューター占いも申し込んだのだと思うのですが。
だからこちらはあのコンピューター占いに関しては紫微斗数をもとに作られているとしたわけです。
ただしちゃんとした紫微斗数ではなく、すごくいい加減な設定だし、余計なものも入っているので、イコールにはならないが、
という意味です。
あのコンピューター占いを以て、実は阿含宗の因縁透視というのはその正体は紫微斗数なんだよなんて言う気は全くありません。
そういう証拠にはなりません。
あのコンピューター占いだけでそんなことは判断できません。
ただそれは別にして、じゃあ本当の桐山密教占星術はどこにあるのかと言うと、
これは多分そんな実体なんか全くないんだろうと私は思っているわけです。
とにかく人を脅す因縁を先に作って、後はそれを導き出す占星術体系があるかのように見せかけて、
その実体は何もないと言う認識でおります。 >>354深山
>これは1978年に月刊『宝石』に出た「桐山靖雄とは何者か」という批判記事を
書いた作家に対する非難です。
>作家Aを三流作家と罵っているが、直木賞作家です。
直木賞取ったから一流なのかどうかは知らんが、この批判記事の内容について開祖は本の中で反論されていましたね。
詳しいことを知ってる人は教えてください。 >>354
この作家が直木賞を取ったのは1980年だから月刊宝石の記事より前です。
直木賞作家が一流だというのなら、宝石の時点では一流ではなかったことになる。
ということで以下の批判は事実と異なっており開祖に対する中傷です。
至急取り下げされたし。
↓
>>354
これは1978年に月刊『宝石』に出た「桐山靖雄とは何者か」という批判記事を
書いた作家に対する非難です。
ごらんのように、四半世紀も前のことを思いだして書いた恨み節です。
批判に反論するならまだわかるが、ただの悪口、腐しです。
作家Aを三流作家と罵っているが、直木賞作家です。
桐山さんは立宗の後も小説を出したが、何かの賞の候補になった話もありません。
この結果を見れば、どちらが三流小説家は明らかでしょう。
因縁切りが終わり、求聞持脳や仏陀の智慧を持っているというなら、
芥川賞くらい取れたはずなのに、候補にもならなかった。
批判への怒りだけでなく、文章の端々に直木賞作家への激しい嫉妬、
嫉み、悔しさが溢れている。 そんなことより
開祖が早稲田大学国文学科中退というのは
学歴詐称ということは認めるのですね。
学歴詐称の破廉恥行為を開祖に
代わって謝罪して下さい。 >>484 神も仏も名無しさん 2021/09/27(月) 15:20:41.53 ID:PVSNInnM
>直木賞取ったから一流なのかどうかは知らんが、この批判記事の内容について開祖は本の中で反論されていましたね。
>詳しいことを知ってる人は教えてください。
一流だの三流の件は後述するとして、その桐山開祖が著書「変身の原理・復刻版」(平河出版,2002年12月)ではこのように書かれています。
俺がバナナの叩き売りならば、おめえはちんどん屋じゃねえか。
これはこの著書が本屋に並ぶ直前の2002年12月例祭の法話で、桐山さん自身の口から読み上げられました。
著書にはお前と書いていますが、読む時の桐山さんは確かおめえとかてめえとか言ってました。
桐山さんの著書の文体をまるでバナナの叩き売りのようだと志茂田景樹さんが表したのに対して、
腹を立てた桐山さんがまあ志茂田景樹さんというのは、あの通りの奇妙な衣装や髪の毛の色などで知られてましたので、
それをチンドン屋と言ったわけですね。
桐山さんは確か、バナナの叩き売りに対して、それだって実は才能がないとできないできるものではなく、
職業に貴賎なしで馬鹿にできたものではないともっともらしいことを言っていたことがありますが、
今回はちんどん屋を相手を貶す目的に使ったというのは、職業に貴賎なしも説得力を持ちませんね。
非常にレベルの低い話です。
当時道場内でも笑声が起こりましたが、レベルの低い話だなと思いました。 >>484 神も仏も名無しさん 2021/09/27(月) 15:20:41.53 ID:PVSNInnM
>直木賞取ったから一流なのかどうかは知らんが、
>>485 神も仏も名無しさん 2021/09/27(月) 15:43:30.60 ID:PVSNInnM
>この作家が直木賞を取ったのは1980年だから月刊宝石の記事より前です。
>直木賞作家が一流だというのなら、宝石の時点では一流ではなかったことになる。
>ということで以下の批判は事実と異なっており開祖に対する中傷です。
まず一流とか二流とか三流とかいう用語を優劣の比較評価の話として捉えるよりも前に、
このようにある人を名指しで三流などというのは、侮辱発言であることを認識してください。
桐山さんは明らかに侮辱発言をしたのです。
三流に三流と言って何が悪い?とでも言いますか?
こういう他人を侮辱するような発言は吐くものではありません。
私だったら桐山さんにこの発言の撤回を求めたい気持ちですよ。信者だとしても。
深山さんも三流小説家はどちらの方だかと書いているが、これは桐山さんが志茂田さんに対して侮辱発言をしたのだから、
その侮辱発言は自分に返るよと示しただけと分かります。
2年後に直木賞も受賞する作家を、受賞前は三流、受賞したら三流卒業という考えなんですか?あなたは?
本当にこちらが軽蔑したくなるような物事の考え方ですね。
人間というものは作家であるならば、売れない人だからといって三流などと罵られる謂れはない。
努力が実って直木賞の受賞したりするのだから人のことを三流などと言ってはいけません。
そして月刊宝石が出た2年前も志茂田景樹さんは桐山さんが知らなかっただけで、
確かに作家活動をして執筆していたわけです。作品も世に出していた。
だからこそ月刊宝石でも作家志茂田景樹とと名前を出して批判記事を、出版社は載せるのを認めたのです。
自分が知らなかっただけで相手を三流とは何事ですか?
それに志茂田景樹さんの批判記事に反論したかったらその内容にのみ反論すればいいわけで、
相手が売れているかいないか、一流か三流かなんて関係ない話じゃありませんか?
それとも人間は芥川賞や直木賞をとると説得力があり正しく、それを取らない人は説得力がなく正しくないとでも言いたいのですか?
だから今回のあなたの発言は、本当にあなた自身を軽蔑したくなるようなつまらない人間だと私は認識しました。
これは侮辱というよりも理由をつけての評価ですね。 バナナの叩き売りとちんどん屋の発言は、深山さんが>>354ですでに引用していましたか。 あと深山さんは今回一流という表現をどこにも使ってませんからね。
だから私も直木賞を取ったら一流とは書かずに、直木賞取ったら三流卒業という表現にしています。
しかし直木賞取ったから三流を卒業したのではなく、三流などではなく、既に三流とは言えない実力があったから、
直木賞も取れたと考えるのが当たり前じゃないですか。 「Aが、名の通った大作家であったら、わたくしも、なんらか、身にこたえていたであろうが、
Aは三流作家であったから、わたくしは気にもとめなかった。
「ふん、おれがバナナのたたき売りなら、おまえはチンドン屋じゃねえか」
とわたくしは、鼻の先で笑っていた。」
(『変身の原理』552頁、2002年)
このように桐山さんもあからさまに書いて、権威とか名声に平伏していて、
自分の信念すらも持たない軽蔑すべきつまらない人間だと私は評価しています。 >>485神も仏も名無しさん2021/09/27(月) 15:43:30.60ID:PVSNInnM
>ということで以下の批判は事実と異なっており開祖に対する中傷です。
>至急取り下げされたし。
「Aが、名の通った大作家であったら、わたくしも、なんらか、身にこたえていたであろうが、
Aは三流作家であったから、わたくしは気にもとめなかった。
「ふん、おれがバナナのたたき売りなら、おまえはチンドン屋じゃねえか」
とわたくしは、鼻の先で笑っていた。」
(『変身の原理』552頁、2002年)
これは桐山さんが、1978年に作家Aの書いた阿含宗批判記事に
対する反論というよりも、嫉妬丸出しの罵声です。(>>354)
485さんは私の354は桐山さんへの中傷だと反論した。
その根拠は、直木賞を取った時期で、
「作家Aは1978年には直木賞を取っていなかったから、一流ではないから、
その時の記事に対して、桐山さんが2002年に作家Aを三流作家と非難しても悪口ではない」
これで理屈が成り立っていると思っているのだ・・・。
いかにも485さんらしい木に竹を接ぐ屁理屈です。
私は、信者さんたちの中に、桐山さんの上記の文章に対しても、
また485さんの理屈にならない詭弁も恥ずかしいと感じる人がいると期待している。 >>485神も仏も名無しさん2021/09/27(月) 15:43:30.60ID:PVSNInnM
>この作家が直木賞を取ったのは1980年だから月刊宝石の記事より前です。
>直木賞作家が一流だというのなら、宝石の時点では一流ではなかったことになる。
桐山さんが作家Aを三流作家と罵ったのは2002年で1978年ではない。
桐山さんは作家Aが直木賞作家であることを知った上で三流作家呼ばわりしたのです。
1980年よりも前に三流と書いたのではなく、
直木賞を取ったはるか後に、三流作家と罵ったのです。
485さんの表現を借りるなら、2002年の段階では作家Aは「一流」だったのに、
桐山さんはこれを三流と罵った。
私は作家Aを一流だの三流だのと評したことは一度もありません。
だが直木賞や芥川賞を取った作家を三流とは普通言いません。
それを桐山さんは三流と言ったのは、小説家を希望していた彼の悪口、罵り、
罵倒、誹謗中傷、嫉妬、嫉み、恨みでないなら、何なのですか?
・作家Aの小説は、桐山批判の正否とはまったく関係ない。
・作家Aが何流であるかは、桐山批判の正否とはまったく関係ない。
この点を信者さんたちはよおく自覚することです。
桐山さんと485さんは、作家Aの小説や彼が何流であるか
という話に論点をすり替えて、自分を正当化しようとしている。
すり替えて騙そうとしているのか、論点を一つの焦点を定めることが
できない脳なので横滑りするのか、どちらかでしょう。 >>484神も仏も名無しさん2021/09/27(月) 15:20:41.53ID:PVSNInnM
>直木賞取ったから一流なのかどうかは知らんが、この批判記事の内容について開祖は本の中で反論されていましたね。
>詳しいことを知ってる人は教えてください。
おそらく484さんは作家Aの批判記事を読んでいないのでしょう。
擁護側がわざわざこの記事を取り上げるのは墓穴を掘るに等しい。
なぜなら記事には反論できない桐山さんの悪事が暴露されているからです。
にもかかわらず484さんが咬みついたのは、読んでいないからでしょう。
批判記事の要点を引用してあげてもいいが、484さんは、私から、
読んでいないと言われて、きっと怒り狂ってこれをここに示すでしょうから、
読者の皆さんは引用を待ちましょう。
本で反論していると記憶しているなら、まず自分で本を調べ、
次に宗務局や先達に尋ねるなどの努力をするべきです。
私も桐山さんの反論とやらを読んでみたいので、早く引用してください。
私の知る範囲では、反論ではなく、嘘の上塗り、恥の上塗りはしていた。
484さんはいつもこの調子で、ろくに調べもしないし、
調べても一知半解で自分に都合よくしか解釈しないから、今回も
「至急取り下げされたし」などと早々に勝利宣言をしている。
取り下げるのは484-485の内容だが、彼は絶対に自分の非は
認めない(きっとオマエモナーと書いてくるでしょう)。 「ふん、おれがバナナのたたき売りなら、おまえはチンドン屋じゃねえか」
485さんのような恥知らずはどうでも良い。
上記の文章を読んで、信者さんたちの中に、信仰する教祖の文言として
「恥ずかしい」と思った人たちがいたはずです。
2002年は桐山さんはすでに有余依涅槃の聖者を宣言していた。
有余依涅槃の聖者とは、阿羅漢、解脱者のことです。
仏教の阿羅漢は、煩悩から解放された人のことです。
阿含宗でも解脱者とは桐山カルマと煩悩の両方を切ったことになっている。
煩悩から解放されたはずの人の発言が、チンピラのような品性の卑しい上記です。
普通の国語力のある人が読めば、桐山さんの作家Aへの激しい怒り、憎しみ、
小説家として成功した彼への嫉妬などの煩悩が満ち溢れているのがわかる。
この時、すでに24年も経過していてこの有様なのだから、
桐山さんの怨みと憎しみの執念深さはまるで霊障のホトケです。
文章には桐山さんの「悔しい、憎らしい、うらやましい、復讐してやる!」
という煩悩が荒れ狂っている。
485さんが桐山さんに共鳴するのはこの激しい憎しみや復讐心でしょう。
煩悩が切れているどころか、むしろ、普通の人よりもはるかに強い。
この煩悩が暴風のように荒れ狂う桐山さんを、信者さんたちは
煩悩から解放された解脱者だと信じている。
まるで麻原彰晃は粗食でガリガリに痩せていたと信じているようなものです。 「ふん、おれがバナナのたたき売りなら、おまえはチンドン屋じゃねえか」
宗教を抜きにしても、桐山さんの「おまえはチンドン屋じゃねえか」などと
いう表現はとても品性の卑しい言葉で、普通の人でも言うのをためいます。
怒りに任せてうっかり発言しても、間違っても文章にしようとはしない。
大人なら、四半世紀にもなってまだ怨みを持ち、怒りと憎しみを
相手にぶつけるなど恥ずかしいからです。
ところが、これを桐山さんは本に書いたのだから、恥ずかしいとさえも思わなかった。
そして、少なくとももう一人、484さんも桐山さんの文章を恥ずかしいと
思っていないから、わざわざこの話題を蒸し返した。
彼なら深山への復讐心しかないから、そうでしょう。
批判記事の内容は大半が事実で、反論ができないから、悔し紛れに
作家の小説を罵り、溜飲を下げるしか方法がなかった。
心ある信者さんたちはこの桐山さんの姿を見て「情けない男」と思いませんか?
「必ず勝つ」と教団内で叫んでも、現実世界に一歩出ると「三流作家」から
悪事を暴露されても何一つ反論できなかった。
桐山さんの無能無策の惨敗、つまり上記はただの負け犬の遠吠えです。 志茂田景樹 Wikipedia より
28歳の保険調査員時代に地方出張の移動時間を利用して読書をしているうちに作家を志すようになった。29歳の時、虫垂炎と腹膜炎で長期入院したことをきっかけに短編の執筆を開始、それから仕事の傍ら作品を応募し続ける。3〜4年目くらいから候補作には毎回のように挙げられるようになってきたものの受賞には至らず、メディア業界の知人から受けた「短編を書くならストーリーの面白さよりも登場人物を重視するといい」というアドバイスを参考に書き上げた『やっとこ探偵』で、1976年小説現代新人賞を受賞、プロデビューを果たす。1980年、国鉄職員だった父が北海道に赴任した際に聞いた話をもとに書き上げた大作『黄色い牙』で直木賞を受賞した。
1976年には小説現代新人賞受賞しているじゃないか。
それ以前も色んな賞の候補作にはノミネートされている。
つまり三流作家というのは当たらない。
桐山さんのやっかみに過ぎない。 しかし深山さんの揚げ足を取ったつもりのネタ(揚げ足が全然取ってないけれども)が、
よりによってこんなネタを題材にするかというものですね。
つまり人間としての倫理性というものを疑います。
人間的に軽蔑すると書いたのはこのことです。
およそ倫理の問題に対して意識が希薄な人が擁護側に多いんじゃないかなと思います。
だからこういう人は仏教も基本的に理解できません。
いつ解脱したとか瞑想がどうこうとか論じても、仏教の解脱は何であり、どういうことを目指すのか、
それが全く理解されていません。
これで仏教教団の信者というのだから笑えます。 >>496 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2021/09/27(月) 21:29:25.11 ID:+Qgu1DrB
> 「ふん、おれがバナナのたたき売りなら、おまえはチンドン屋じゃねえか」
>
> 485さんのような恥知らずはどうでも良い。
> 上記の文章を読んで、信者さんたちの中に、信仰する教祖の文言として
> 「恥ずかしい」と思った人たちがいたはずです。
物事を知らず恥知らずな信者はどうでもよいとして、「変身の原理」2002年平河版の桐山さんの
あとがきもまた「恥ずかしい」どころか「恥知らず」な内容です。
> しばらくして、ある著名な文芸雑誌が、「作家の価値一覧表」ともいうべき企画をして、
> 多くの作家たちの個々の評価を一覧表にして載せていた。その中にAが出ていた。見ると、
> 「芸術性」という欄に「0」となっており、「娯楽性」という欄に、「八〇点」とあった。
> わたくしは、それを見て、抱腹絶倒した。
>「なんだ。バナナの叩き売りは手前のほうじゃないか」
> (「変身の原理」2002年平河版 554ページ )
ご存知の通りこの作家Aは直木賞作家の志茂田景樹ですが、直木賞は大衆文芸賞なのだから
「娯楽性」を評価されるのは良い評価です。間違っても「バナナの叩き売り」レベルでは「80点の娯楽性」なんて
取れないでしょう。桐山さんは作家Aの名前も素性も明かさずにこのように罵倒したわけです。
また、作家Aと並んで、仲良しの石原慎太郎を実名で登場させて、「独特のレトリックを持つ」と書いたことを
嬉しがってさかんにヨイショしている。石原慎太郎は芥川賞とっているわけですが、芥川賞と直木賞は並んで
話題になっている文学賞です。作家としての評価はどちらも高く「一流の作家」と言ってよいはずだが、
批評で悪口を言ったほうはこの扱いです。まがりなりにも作家志望だった桐山さんが直木賞の位置づけを
知らないということはないでしょうから、これは「30年越しのハライセ」にしかすぎません。 そういえば例祭法話で変身の原理復刻版を桐山さんが読んだ時は、
なんだ、バナナの叩き売りはてめえの方じゃねえか
という口調で話してました。
娯楽性80%とバナナの叩き売りとは違いますよ。
バナナの叩き売りでは娯楽性80%という高い評価を獲得することはできません。
志茂田景樹さんも小説を書くにあたりストーリーよりも人物を描くことにアドバイスを受けて受賞もしたわけですが、
確かに直木賞作品とか読んでも本当に人物が良く描かれていると感心します。
一体芥川賞作品と直木賞作品とどちらが優れているのだろうかとさえ思えてしまいます。
桐山さんの小説は人物がちゃんと描けているでしょうか?
密教誕生は康安と康融と康円の3人のシャミが出て、それぞれ個性が違いますが、
しかしリアリティという点ではまだまだという気がします。
1999年地球壊滅に至っては、全然描けてないなという印象があります。
どう考えても文芸賞を取るような作品ではありません。
もちろん目的は文芸作品ではないと言うかもしれませんが、阿含宗という狭い教団の枠の中でしか認められない作品だと思います。 それに月刊宝石の批判は桐山さんのバナナの叩き売りのような文体評価の話だけでなく、
そんなことよりも酒税法違反や学歴詐称等の前科事実ですからね。
これらの前科があることは、私も当時月刊宝石を本屋で立ち読みして初めて知り、ショックを受けました。 >>501 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2021/09/28(火) 23:22:19.33 ID:+5jdlc+R
> 確かに直木賞作品とか読んでも本当に人物が良く描かれていると感心します。
> 一体芥川賞作品と直木賞作品とどちらが優れているのだろうかとさえ思えてしまいます。
> 桐山さんの小説は人物がちゃんと描けているでしょうか?
芥川賞は主に短〜中編の純文学作品、直木賞は長編の大衆文学作品と対象ジャンルが
違うだけで、どちらも文藝春秋と日本文学振興会が共同で運営している、現在の日本では
最も権威ある文学賞です。
そして信者のみなさんにとっては残酷なことかもしれないが、我らが開祖の桐山靖雄さんは、
芥川賞や直木賞の候補どころか、
>>500 桐山靖雄 2021/09/28(火) 13:56:41.20 ID:6jHCldV/
> > しばらくして、ある著名な文芸雑誌が、「作家の価値一覧表」ともいうべき企画をして、
> > 多くの作家たちの個々の評価を一覧表にして載せていた。その中にAが出ていた。
> > (「変身の原理」2002年平河版 554ページ )
この「作家の価値一覧表」に名前すら挙がっていません(挙がっていたならば桐山さんが
これでもかというほど自慢するでしょう)。文芸雑誌のこの企画に桐山さんの名前が挙げられ、
作家Aこと志茂田景樹より高い点数を掲げて評価されているというのであれば、
罵倒を浴びせるのはまだ分からないでもないけれども、実際は桐山さんは作家としては
全くの無名です。
予選落ちのアスリートが金メダリストを罵倒するような文章を自分の本のあとがきに掲載する。
「変身の原理」2002年の「平河版・あとがき」はそのくらい「恥知らず」な文章なのです。 まあ桐山さんが仮に一流文芸作家だとしても志茂田氏に対して、お互いの文芸作品の話でなく、
自分が宗教活動含めた前歴のことを暴露批判されたのならば、これを相手は三流と罵ってはいかんよな。
それとこれとは別の話だ。
あくまでも批判されたネタで弁明なり反論をすべきで、ここに三流作家発言を持ち出すことが適当でなく、
それって、すごく恥ずかしい話だ。
だから、>>485さんにはその視点が欠如している点で軽蔑もしたのです。 2002年の12月例祭に参拝して桐山法話を聴きました。
当時既に擁護側のユビキタスとして当スレに登場したばかりです。
議論、と言ってもこちらの考えを書いて反論されてそれに反論もできなかったですが、
そういう機会を得て、いろいろと考える機会を得た時だったから、例祭法話を聴いても
少しそれまでと受け止め方が違っていたように思います。
桐山さんはかつての脳梗塞の時の思い出しながらやっとのことで話す時と違って軽い口調は往年のそれを思い出しました。
元気が出たのを喜ぶ反面、皆と一緒に手放しで笑えない部分もあったし、
桐山さんがいろいろと言われ続けた過去を振り返って語り、しかし自分は勝ったのだと語り、
涙を流した時も、え?そこで泣くの?と疑問に感じた。違和感を覚えた。
周囲では女性信者を中心にもらい泣きのすすり声も聴かれたが、私にはそんな気には到底なれなかった。
その後も当スレに参加し続けて、結局この例祭参拝を以て最後となる。
初護摩にはついになんか行く気になれず参拝しなかった。
桐山さんの聖誕祭が日曜日にあり、初護摩参拝しなかったのだから、せめてそこには行かねばと思った。
しかし考えてみれば桐山さんをヨイショするだけの一番つまらない会合と言える。
重い腰を上げて関東別院に向かったが、直接向かわず、まず東京駅近くの大型書店に立ち寄った。
法話でもあった変身の原理復刻版を確認しようと思った。
立ち読みしたら、まさに法話そのまんまで何も追加される話はなかった。
読んでいるうちに馬鹿馬鹿しくなり、関東別院の聖誕祭に行くのをやめて、
八重洲地下の足の裏マッサージの店に行ったものだ。
その後の時間は過去スレを読む時間に割いた。
それから4日後に退会決意します。 あと例祭では、皆が笑い声に包まれる中、少し離れて横にいる職員の表情もたしかめていたなあw >>484神も仏も名無しさん2021/09/27(月) 15:20:41.53ID:PVSNInnM
作家Aの批判への反論とやらを待っていたのですが、出てきません。
作家Aが三流かどうかではなく、問題は批判内容です。
その一つが桐山さんの学歴詐称です。
作家Aの批判記事には、1970年、小田師の伝法講義に
提出された桐山さんの履歴書が引用されています。
「最終学歴 昭和十八年 早稲田大学国文科中途退学」
(『宝石』1978年11月号、146ページ)
早大中退なんて、もちろん真っ赤な嘘です。
履歴書は桐山さんが求聞持法を成就して念力の護摩を焚いた後に提出された。
求聞持法を成就して桐山さんはホモエクセレンスになり、
「無限に発達した道徳意識」(「密教超能力の秘密」29頁)
を持ったはずなのに、実際の彼は学歴詐称をした。
桐山さんの学歴詐称は報道されているだけでも二度ありました。
「一、昭和十三年三月 東京府立第四中学校卒業
一、昭和十四年四月 早稲田大学第一学院入学
一、昭和十六年三月 早稲田大学国文科入学
一、昭和十八年八月 病気の為右中途退学」
(「文化評論」1984年7月号、56頁〜)
これは昭和43年に天台宗に僧籍取得のために提出された履歴書の学歴で、
「文化評論」には桐山さんの直筆の原文が掲載され、桐山さんの字に見えます。
二度の学歴詐称の指摘に桐山さんは抗議していませんから、認めたことになる。
桐山さんが作家Aを三流と罵ったのは、悪業を指摘され反論できなかったからです。 桐山さんの自伝『現世成仏』の記述と比較すると、
二つの履歴書の学歴がほぼ全部嘘だとわかります。
自伝では私立の大成中学に入学して中退した。(『現世成仏』26ページ)
「文化評論」の履歴書には府立中学校を卒業とあるが、自伝とは違う。
「そういう次第で、合絡はしたけれども、
府立四中の夜間部に実際に入学することは断念せざるを得なかった。」
(『現世成仏』32ページ)
府立第四中学校に入学さえもしていないのです。
つまり、「東京府立第四中学校卒業」という学歴は虚偽です。
早大中退の学歴詐称が有名だが、桐山さんはいくつも学歴詐称をしている。
信者さんたちに確認してほしいのは、桐山さんは中学校中退ですから、
彼の学歴は小卒だという点です(小卒を小馬鹿にしているのではありません)。
その上で、再度桐山さんが履歴書に書いた学歴を見てください。 「一、昭和十四年四月 早稲田大学第一学院入学」
*どうやって高校を受験できたのか?
中卒の資格のない桐山さんがどうやって、第一早稲田高等学院を
受験できたのですか?
第一早稲田高等学院は今の高校です。
高校は中卒の資格がなければ受験できない。
だが、桐山さんは大成中学は中退し、府立中学夜間も入学しなかった。
中卒の資格を持たない桐山さんが高校に相当する第一早稲田高等学院に
入学や卒業どころか、受験さえできなかったはずです。
*卒業した学校の名前を間違えた?
早稲田大学第一学院ではなく、第一早稲田高等学院です。
桐山さんは自分が卒業した高校の正式名称を忘れた!!
しかも、桐山さんはここを二年で卒業したことになっているが、
第一早稲田高等学院は三年制で、第二早稲田高等学院が二年制ですから、
前者を二年で卒業したはずがない。
嘘だから支離滅裂なのです。 「こうして、朝から夜遅くまで、出版の仕事を一人でやっていたので、仕事にはありつい
たが、夜間学校にはとうとう通学できなかった。当時、私立の夜間学校に籍だけおいていた。」
「徴兵検査延期のため、その頃、ある私立学校に籍をおいていた。」
(『現世成仏』38〜39ページ)
大成中学は中退し、府立四中の入学は断念したが、私立の夜間学校に入学したようです。
しかし、彼は小卒の資格しかありませんから、この夜間学校とは夜間高校ではありません。
夜間中学か専門学校と考えられるが、名前を出さないところをみると後者でしょう。
しかも「通学できなかった」とあり、私立の夜間学校でも、
通学しない生徒を卒業させるはずがない。
つまり、桐山さんは中卒、高卒のどちらの資格もなかった。
ところが、彼は大学に入学したと書いています。 *どうやって大学を受験したのか?
「そこで、どうしても純文学をやり直さなければならないと考え、当時江古田にできたば
かりの日本大学芸術科学園の文学部創作科に入った。」
(『現世成仏』46ページ)
桐山さんは中学校を中退しており、私立の夜間学校も卒業できたはずがない。
ところが自伝では、大学に入学したとあります。
中学さえも卒業していない桐山さんがどうやって大学受験ができたのでしょうか。
桐山さんの時代でも、大学受験には高卒の資格が必要だった。
高卒どころか、中卒の資格もない桐山さんが大学に入れたはずはない。
だから、日大を中退もできません。
*学校の名前をまた間違えた
日本大学芸術科学園ではなく、日本大学芸術学園です。
信者さんたちは細かいことだと無視するだろうが、自分が入った大学の
名前を間違えますか?
桐山さんは自分が入ったという高校も大学も名前を間違えている。
桐山さんは求聞持脳という超人的な記憶力を持っていると自慢していた。
その彼が自分の出身の学校の名前を忘れた?? *学歴詐称で嘘の上に嘘を重ねる聖者?
1978年の学歴詐称の批判に、桐山さんが1983年に自伝を書いた反論とは、
新しい学歴詐称だった。
1983年は、桐山さんはアナゴンという聖者に達したと宣言した後です。
その桐山さんが学歴コンプレックスを丸出しにして、
前に二度の学歴詐称で恥をかいたのに、三度目の学歴詐称をくり返した。
信者さんたちに見てほしいのは、学歴詐称は必要のない嘘だという点です。
天台宗僧侶や伝法受講にも学歴は関係ないのに、わざわざ詐称した。
批判されると、自伝でも書く必要がないのにまた学歴詐称した。
信者さんたちは知らないようだが、学歴コンプレックスの阿那含や
嘘をつきまくる解脱者など、仏教には存在しない。 >>507 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2021/09/30(木) 18:39:01.58 ID:at4FCDB4
>その一つが桐山さんの学歴詐称です。
>作家Aの批判記事には、1970年、小田師の伝法講義に
>提出された桐山さんの履歴書が引用されています。
>「最終学歴 昭和十八年 早稲田大学国文科中途退学」
>(『宝石』1978年11月号、146ページ)
>早大中退なんて、もちろん真っ赤な嘘です。
>履歴書は桐山さんが求聞持法を成就して念力の護摩を焚いた後に提出された。
>求聞持法を成就して桐山さんはホモエクセレンスになり、
>「無限に発達した道徳意識」(「密教超能力の秘密」29頁)
>を持ったはずなのに、実際の彼は学歴詐称をした。
1978年当時新聞を見出し広告で桐山批判記事を知って、私も本屋で立ち読みwしたのですが、
酒税法違反の前科も初めて知りショックだったのですが、実はそれ以上に理解できないのが上記でした。
桐山さんが観音慈恵会を始める以前に前科があったことはショックだが、
しかしとにかく昔はとんでもない悪党だったのが、そんなこともあって信仰に励み、
これを克服する修行してきたのだなあと思いました。
桐山さんは常々わかっちゃいるけどやめられないという人間の矛盾性を強調してますが、
これには自分の体験があり、本当に自分自身そういうわかっちゃいるけど止められないという
コンプレックスと戦ってきたのだなと解釈して納得することに自己洗脳しました。
ところがそのように修行を進めて、まだ修行のほんの初期であればまた悪い自分に戻ることも分かりますが、
1970年と言ったらもう念力の護摩を焚いた年です。
そして念力の護摩を焚く前提として求聞持法を成就していることは桐山さんが著書に書いたその通りです。
そして実は念力の護摩とは単に念力が強いから火が出るとか、求聞持法とは単に記憶力が高まるとかそんな話ではないんです。
これらの法は人間の深層意識を開発して深層意識をコントロールする技術であったことが桐山さんの著書を読んで分かります。
求聞持法と念力の護摩の間には大随求法というのがある。
つまり変身の原理とはまさにそこに真髄があるのです。
これらの深層意識のコンプレックスの課題を克服してすべて成就したのが1970年のはずです。
だからもはや深層意識にそのようなコンプレックスもなく解決されているはずなのに、
なんでここでまだ嘘をつく必要があるのか?これだけがどうしても理解できませんでした。 >>513 何事か成し遂げ、または現在躍進中の人物には、評価が付きもので
善くも言われ、悪し様にも評判が立てられる。
死後に於いて尚,人生に於いての行跡がトヤカク言われ続けるというのは
今なお、生存して居るほどの影響力が残存するからに他ならない。
桐山氏の蓋棺録は此れでもかと、書き足らないと思う人が多いらしいのだ。
話は少し観点を変えて見たい、そこでこんな事実がある。
桐山氏が関東出身とご存じだろう、氏は昭和30年代に京都に御縁が生じて
東山方広寺の境内地をお借りし、小さな道場を建立し昭和60年代に本建築の道場に
移転するまで毎月の例祭の導師を勤められている。
この木造モルタル塗り建築の道場で昭和45年正月の護摩法要で「念力の護摩」が修されているのは
ご存じだろう。
こうやって書き連ねると只の紹介と思うだろうが、「京都へ東京から一人で来て道場を建て、
然も次第に盛んに運営し、排他的な土地柄の京都に違和感なく一個の地位を築いた。」
ある実業人が「」内の事柄を知り、桐山氏は信じられない成功をしていますねと云う。
桐山氏は、地道な努力を継続していたのです。 地道な努力を成す人が犯罪に手を染めるか、間違ったとか手違いとかじゃねーだろ
反省もせず 重ね重ね犯して そしてねtからの嘘つき
だから酒税法違反で収監されたんだろ あまりにも悪質だったから罰金刑だけじゃ
済まなくなった。
後に知恵をつけて宗教を利用すりゃ犯罪者にはならない税金も払わなくて済む
で誕生したのが阿含宗なわけだわなァ >>514
桐山さんとは努力する人ですよ。
ぐうたら怠け者ではありません。
だから真夏に延々と護摩だって焚きます。
しかし、だから偉いのですか?
だから説いていることに嘘は無いのですか?
嘘をつくことと、ある特定のことを地道に努力することは別の話です。
嘘がなく地道に努力する人であれば尊敬もできますが、嘘があったら全てが説得力がありません。
そして学歴だけでなく、一番肝心な宗教の内容が嘘なんですよ。
その念力の護摩こそ嘘の最たるものだし。
京都に進出するとか商売の為の努力はします。
それを言うならヤクザも暴力団も詐欺グループも不断の努力をしています。 >601 神も仏も名無しさん 2021/04/16(金) 20:38:07.80 ID:umBtmbOo
>20代前半、入行して2年目程の時期、毎日の勤行の最中に男の亡霊が話しかけてくる
>数十日後には三メートルほど離れた場所に正座して此方を伺う始末だ。
信者の皆さん、宝生創価センセの貴重な体験談です。
霊障のホトケや破滅のカルマがどれほど恐いか、
また、桐山ゲイカの因縁を見抜く力がどれほどすごいか、
黄変死の因縁で横変死してしまった宝生創価センセの体験です。
彼の話は慢心と無恥という大黒柱に無知がからみついているので、
何を言ってるのか、良くわからない。
そこで、私が彼の貴重な体験を順序良く解説しましょう。
上記が宝生創価センセの黄変死の因縁の話の始まりです。
彼は慈恵会時代に入信して毎日勤行していたら、不成仏霊が現れ、
話しかけて来たというのです。
そこで父親に不成仏霊の様子を話すと、ある親族の名前をあげた。 >601神も仏も名無しさん2021/04/16(金) 20:38:07.80ID:umBtmbOo
>その名前を聴いた途端に。私の身に異変が起きる、鼻水、涙,せき、喉つまりなどが
>瞬間的に引き起こされる、私は父にこの人は首吊りだろ?と追いかけると
>その通りとの答え。
信者さんたちはご存じのように、これは霊障のホトケによる霊障発現です。
宝生創価センセの文章は次の桐山さんの描写とそっくりなのは、
パクリの得意な教祖の信者ですから、気が付かなかったふりをしましょう。
「心経一巻、半ばまで読誦するかしないかに、わたくしの身に異変が生じたのである。
突如、のどがしめつけられるようになって声が出なくなった。呼吸ができない。涙
がボロポロと流れる。鼻ミズが垂れてくる。」
(『守護仏の奇跡』33〜34ページ)
この霊障発現を受けて、宝生創価センセは桐山ゲイカに相談した。
慈恵会時代は、まだ桐山さんに御伺い書(御指導願い)を出すことができたからです。
御伺い書に対して、桐山ゲイカは次のように面接指導をした。
>21神も仏も名無しさん2020/10/30(金) 13:58:35.81ID:JiyGEbr1
>数十年も経過し、記憶の片隅から浮かんだので記述。
>その日は桐山猊下と個人面談の日で、順番を待ち乍ら椅子に座る。
この面接指導内容をぜひここに公開してくれと何度頼んでも、
宝生創価センセは書こうとしなかった。
それは彼がドケチで、吝嗇で、貪りが強いからだけでなく、
実はその時、桐山ゲイカから次のような恐ろしい御霊諭があったからです。 >>446神も仏も名無しさん2021/09/25(土) 10:35:50.87ID:GS+g+kdv
>若いうちに、個人面接指導を受け「黄変死の因縁有り」と諭された御仁、
二十代の宝生創価センセにとって、大霊能者であり、未来を予知し、
事物の明解な認識力を持つ桐山ゲイカから、黄変死を宣告されたのは
死刑宣告にも等しく、大ショックだったのでしょう。
だから、彼はここに面接指導の内容を書けなかった。
信者さんたちもお気づきのように、宝生創価センセに首を吊った霊障のホトケが
憑いていたから、彼自身も横変死の因縁を持っていたのです。
「横変死の因縁をもっている人をみると、
必ず横変死をした人の霊障がともなっている。」
(現世成仏255頁)
桐山ゲイカも上記のように、横変死の因縁を持っている人は横変死した霊障の
ホトケを持っており、逆に、横変死した霊障のホトケを持っている人は
横変死の因縁を持ち、運命の反復をすると述べています。
そして、桐山ゲイカの面接でも、はっきりと「黄変死の因縁有り」と
宣言されてしまった!
信者さんならこの後、どうしますか?
もちろん、霊障のホトケを解脱させて元を断ち、阿含宗の真っ白な
シッポのある応供如来に徳を積んで、必死に横変死の因縁を切りますよね。
だが、若くてドケチの宝生創価センセは違った。
解脱供養を出さなかったのです。 >617神も仏も名無しさん2021/04/20(火) 18:13:05.81ID:PdfH55Uu
>このオジサンの供養には、
>塔婆供養当時はひと月300円を半年程度しました。
阿含宗での卒塔婆供養とは慰霊供養で、成仏供養ではありませんから、
霊障のホトケは成仏しません。
まだ本格的な解脱供養は始まっていなかっただろうが、
特定の死者の供養は10万円で受け付けていたし、
立宗数年前には桐山ゲイカは阿含経を読破して釈迦の成仏法を体得
していたから、霊障のホトケを成仏させられたはずです。
だが、ドケチで吝嗇で貪りの強い宝生創価センセはそれをケチって、
300円×6カ月=1800円で済まそうとした。
阿含の沙汰も金次第と言われるほど現金決済の応供の如来様が
こんなことを許すはずがありません。
そして、宝生創価センセの身に悲劇は起きた。
予言の当たったことのない桐山ゲイカの御霊諭「黄変死の因縁有り」が
宝生創価センセにだけは当たってしまったのです。 >>354
>「Aが、名の通った大作家であったら、わたくしも、なんらか、身にこたえていたであろうが、
Aは三流作家であったから、わたくしは気にもとめなかった。
>「ふん、おれがバナナのたたき売りなら、おまえはチンドン屋じゃねえか」
とわたくしは、鼻の先で笑っていた。」
>(『変身の原理』552頁、2002年)
>批判に反論するならまだわかるが、ただの悪口、腐しです。
>作家Aを三流作家と罵っているが、直木賞作家です。
桐山氏の言う三流作家とは、事実ではないことを書いて、訂正や謝罪もしないことでしょう。
名の通った大作家ならそんなことはしない。
それが直木賞作家であろうがなかろうが関係ない。
批判側は中身よりも肩書きで人を評価する軽薄な人たちです。
マトモな人たちは彼等など相手にしない。 >>521
じゃあ、桐山さんは三流の宗教家ってなるよね。
大嘘吐きで反省も謝罪もない。 >>521神も仏も名無しさん2021/10/02(土) 13:34:38.35ID:6/dELBeE
>桐山氏の言う三流作家とは、事実ではないことを書いて、訂正や謝罪もしないことでしょう。
違います。
信者なら、また反論を書く時はせめて桐山さんの本くらい読んでからにしてはどうか。
桐山さんは作家Aが「事実ではないこと」を書いたから三流と言ったのではありません。
良く読みなさい。
「Aが、名の通った大作家であったら、わたくしも、なんらか、身にこたえていたであろう
が、Aは三流作家であったから、わたくしは気にもとめなかった。
「ふん、おれがバナナの叩き売りなら、おまえはチンドン屋じゃねえか」
とわたくしは、鼻のさきで笑っていた。Aは、珍奇な服装で、人前に現れることを売りに
している男だったのだ」(『変身の原理』552頁、2002年)
「なんだ。バナナの叩き売りは手前のほうじゃないか」(『変身の原理』554頁、2002年)
ごらんのように、桐山さんが作家Aを三流と罵ったのは、批判内容が
「事実でないことを」書いたからではなく、「珍奇な服装」で小説の評価が低いことが理由です。
桐山さんの本をきちんと読み、普通の読解力で理解してから書きなさい。 >>521神も仏も名無しさん2021/10/02(土) 13:34:38.35ID:6/dELBeE
>批判側は中身よりも肩書きで人を評価する軽薄な人たちです。
>>485神も仏も名無しさん2021/09/27(月) 15:43:30.60ID:PVSNInnM
>直木賞作家が一流だというのなら、宝石の時点では一流ではなかったことになる。
「名の通った大作家」とか、485では「直木賞が一流なら」というのだから、
肩書で評価しているのは521さんのほうですよね。
桐山さんも「Aが、名の通った大作家であったら、わたくしも、なんらか、
身にこたえていたであろうが、」とあなたと同じで肩書きで評価しています。
批判側は、作家Aが一流作家だから正しいなんて言ったことはありません。
「それが直木賞作家であろうがなかろうが関係ない」という
あなたの意見に賛成で、その上で桐山さんの学歴詐称を批判しているのです。
桐山さんは批判内容に反論できないから、悔し紛れに
直木賞作家Aを三流作家と罵った情けない男だと批判しているのです。
521さんは「開祖は本の中で反論されていましたね」(>>484)と書いていた。
私がその反論を引用しました。
作家Aは桐山さんが学歴詐称をしたと指摘した。
「最終学歴 昭和十八年 早稲田大学国文科中途退学」
(『宝石』1978年11月号、146ページ)
批判側も作家Aも「肩書きで人を評価」しているのではなく、
桐山さんの学歴詐称という事実をただ指摘しているのです。
作家Aが指摘した学歴詐称が事実でないなら、作家の服装や小説ではなく、
学歴詐称の批判が嘘だと反論すればいいだけです。
どうぞ、521さんが反論を引用するか、ご自身で反論してみてください。
できませんよね。
あなたの思い込みと違い、桐山さんは学歴詐称の指摘に正面から
反論したことはなく、「チンドン屋」「三流作家」が数少ない桐山流反論です。 >>521神も仏も名無しさん2021/10/02(土) 13:34:38.35ID:6/dELBeE
>批判側は中身よりも肩書きで人を評価する軽薄な人たちです。
批判側が、作家Aの指摘した学歴詐称を引用し検証しているのだから、
521さんが、小卒の桐山さんが早大に入学したと弁護すればいい。
できないから、悔し紛れに「肩書きで人を評価する軽薄な人たち」と罵った。
さすがは桐山さんの信者で、桐山さんとそっくりです。
桐山さんも作家Aの指摘が事実で、何も言えなくなり、悔し紛れに
「チンドン屋じゃねえか」「バナナの叩き売りは手前のほうじゃないか」
と罵って溜飲を下げた。
学歴詐称は事実だから、仏陀の智慧の桐山さんは相手の服装や小説を罵るしか手がなく、
信者はただ軽薄と罵るしか手がない。
桐山さんは学歴詐称を批判されて、さらに本で学歴詐称の上塗りをした。
521さんはこういう桐山さんの行状を見ても、何も感じないのでしょう?
桐山さんと道徳レベルが同じだから、桐山さんが開き直りで学歴詐称を
繰り返した不道徳な行為に何も感じないのでしょう?
それでこそ、桐山さんの愛弟子です。 >>521 神も仏も名無しさん 2021/10/02(土) 13:34:38.35 ID:6/dELBeE
>桐山氏の言う三流作家とは、事実ではないことを書いて、訂正や謝罪もしないことでしょう。
事実でないことを書いたとはどこの部分を指すのですか?
ちなみに桐山さんの偽ビールの前科なら桐山さんはこれを事実として認めています。
それは桐山さんの「現世成仏」という自伝の著書を読むと、はっきりと自分が偽ビール製造販売に関わって、
刑務所に入れられた事実を書いている。
つまり宝石に暴露された事実はその通りだったのです。
それまでそんな事実は信者ですが知らなかったのだが、暴露されてそれが事実なので、
仕方なく認めざるを得なかったのです。言い訳をつけて。
それ以外に学歴詐称とかの記述で、事実と異なる話があったのならば、これは桐山さんは堂々と反論すべきですよね。
訴えることはしなくても、せめて信者には事実はこうなのだと著書、あるいは法話でも示すべきですよ。
そんなことをしたことは一度もありません。
それをしない代わりに相手を三流作家と罵るですか?
そんなウジウジと男らしくないことをするのだったら、堂々と反論、否定すればいいだけの話じゃないですか。
否定していないんですよ。 >>521 神も仏も名無しさん 2021/10/02(土) 13:34:38.35 ID:6/dELBeE
>桐山氏の言う三流作家とは、事実ではないことを書いて、訂正や謝罪もしないことでしょう。
つまりこれらの事実には反論も否定もできないから桐山さんは口を拭ったのです。
そしてケチをつけられるのはバナナの叩き売りの部分だけでした。
あなたは宝石の記事を読んだことがあるでしょうか?
バナナの叩き売りとは桐山さんの文体を指します。
桐山さんが著書ので示す表現がなんかバナナの叩き売り口上みたいで胡散臭いと感想を書いたのです。
まあ桐山さんの前科だけではない一つだけではない嘘を示しているわけですから、
やはり胡散臭い奴だと思うのも無理はないと思います。
ただしバナナの叩き売りというのは文体の話だから、これ自体が嘘とは言っていないのです。
だから感想なんです。これは主観の話です。
人があることに対して何をどう感じて感想を書いても問題はありません。
なぜならば読む人はこれはその人の主観の感想に過ぎないと分かるからです。
これが実は桐山さんはその昔バナナの叩き売りの商売をしていたなんて書いたら、これは事実に反する話ですよね。
ところが文体から感じた感想を書くだけの話であったら、これは事実と異なるなどというあなたの指摘は全く当たりません。 >>521 神も仏も名無しさん 2021/10/02(土) 13:34:38.35 ID:6/dELBeE
>>354
>名の通った大作家ならそんなことはしない。
>それが直木賞作家であろうがなかろうが関係ない。
>批判側は中身よりも肩書きで人を評価する軽薄な人たちです。
>マトモな人たちは彼等など相手にしない。
読んでて笑えたのだが、自分で矛盾したことを書いてると気がつきませんか?
名の通った大作家とあなたも書いているが、あなたも大作家の条件として、
「名の通った」と書いているではありませんか?
その作品が素晴らしいとかいう話ではなく有名であるということです。
となると直木賞とか芥川賞と受賞などというのはその有名作家の条件の一つと言えますよね。
そもそも直木賞の受賞前に宝石を書いたのだから志茂田景樹氏は三流作家ではないと言い切れないと書いたのはあなたの方です。
あなたが直木賞受賞を指標としたのです。
私らはそれに付き合わされたに過ぎない。
付き合わされたと言っても、我々は直木賞を指標にしたことなどなく、誰が指摘しようともそれは変わりないと書いたのです。
そして桐山さんも名の通った大作家から志茂田さんと同じ指摘を受けていたらこたえたろうが、と書いているのです。
大作家ならばそんな根も葉もない事実を書くわけがないなんて書いていないのです。
つまり桐山さんは名の通った大作家からバナナの叩き売りみたいな文体だと書かれたらこたえたであろうと書いているのが読み取れませんか?
志茂田景樹さんが奇抜な衣装や髪の毛の色をしているから、俺がバナナの叩き売りならおめえはチンドン屋じゃねえかと書いて
それで溜飲を下げて、三流作家に言われたところで俺は答えないと虚勢を張ったのです。
ちなみにバナナの叩き売りとチンドン屋というのもこれも少し違いますね。
バナナの叩き売りというのはあくまでも桐山さんの文体から受ける印象を書いたものです。
チンドン屋というのは志茂田景樹さんの見た目の話ですが、実を言うとこれは志茂田景樹さんの文芸作家としての作品の内容とは全然関係ない話です。 もっと護摩木を焚いて、破滅のカルマを燃やし尽くそう 若い頃は詐欺師だったのに、回心して偉い宗教家になった
我々も見習うべきお手本となる人物 >>521 神も仏も名無しさん 2021/10/02(土) 13:34:38.35 ID:6/dELBeE
> 桐山氏の言う三流作家とは、事実ではないことを書いて、訂正や謝罪もしないことでしょう。
> 名の通った大作家ならそんなことはしない。
> それが直木賞作家であろうがなかろうが関係ない。
> 批判側は中身よりも肩書きで人を評価する軽薄な人たちです。
> マトモな人たちは彼等など相手にしない。
「宝石」に書かれたことが事実ではないと桐山さんが主張したことがありましたか?
犯罪歴は後にゴマカシを入れながら教義に組み込んだし、学歴詐称は口を拭ったまま
死んでしまいました。
批判派は「神も仏も名無しさん」だろうが「深山」さんだろうが「ユビキタス」さんだろうが
肩書なんて関係なく、書いたことの内容で他人を評価している。一方この人は
「名の通った大作家ならそんなことはしない」と書いた2行後には中身よりも肩書で人を
評価するのは軽薄だ正反対の矛盾したことを言っている。
そもそも桐山さんのいう「三流作家」というのはそういうものではありません。
> ところが、この作家の批評たるや、悪口の連続である。明らかにこの作家は、わたくしに
> たいして最初から悪意を持って筆を執ったのに相違なかった。
> (「変身の原理」2002年平河版 551ページ)
とあるとおり「『悪口』を書かれてムカついた」から「三流作家」にしたのです。
(批判記事の内容を「悪口」とゴマカしていますが...) >>521 神も仏も名無しさん 2021/10/02(土) 13:34:38.35 ID:6/dELBeE
> 名の通った大作家ならそんなことはしない。
内容よりも肩書で人を評価しているのは、>>521 を含めた狂信者のほうです。
「宝石」の批判記事はノンフィクションの文章だから重大な誤りがあれば訂正されて
然るべきだが、訂正が必要な状況が示されたことはない。
また、作家というのはフィクションの文芸作品も書く職業なので、架空の世界を描いた
小説が「事実ではない」からといって訂正や謝罪する類のものではありません。
そもそも肩書にこだわっているのは「名の通った大作家なら」と繰り返し喚いている狂信者、
そして桐山さんです。桐山さん自身、これでもかというほど名誉を買い漁っていたし、
「文芸雑誌の『作家の価値一覧表』」という肩書を持ち出して作家Aを貶している。
おまけに、
> いまー、阿含宗は、京都市のど真ん中、山科区に、十万坪の境内地を擁し、建坪三
> 千平方メートルの純日本式辞試飲の総本殿を建立し、立派な滝行場と護摩堂を併せ持つ。密教
> の何処の総本山にも遜色がない。もはや、いかなる礫にも動ずることはないのである。
> (「変身の原理」2002年平河版 559ページ)
と、総本殿という外見や対面を持ち出して「いかなる礫にも動ずることはない」と自慢している。
総本殿建立まではこんな感じで信者を焚き付けていたわけですが、少しでも考えれば
「教え」や「法」よりも見栄や外見にこだわっている軽薄な開祖だということです。 >>505 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2021/09/30(木) 12:36:06.60 ID:8GoLuMgP
> 桐山さんはかつての脳梗塞の時の思い出しながらやっとのことで話す時と違って軽い口調は往年のそれを思い出しました。
> 元気が出たのを喜ぶ反面、皆と一緒に手放しで笑えない部分もあったし、
> 桐山さんがいろいろと言われ続けた過去を振り返って語り、しかし自分は勝ったのだと語り、
> 涙を流した時も、え?そこで泣くの?と疑問に感じた。違和感を覚えた。
確かに2002年平河版「変身の原理」の「平河版・あとがき」は脳梗塞から回復した後の文章ということで
とっくに退会していた私も注目していました。以前であれば法話で「ここだけの話」と前置きして話して
いた内容というか漫談がそのまま垂れ流されていたので驚いたものです。
良い意味でいえば「抑圧意識がとれた」悪い意味でいえば「空気をよまずに言いたいことを垂れ流すワガママ
おじいちゃんになった」という感じです。批判に対する反論であればまだしも、延年と他者の悪口を書き、
周囲にそれを止める人間がだれもいないので、ほぼそのままの構成で「平河版・あとがき」をつけた形で
出版されてしまう。
宗許家(?)としての桐山さんと教団が劣化したのがはっきり示された文章だと思います。 バナナの叩き売りの口上みたいだと言われたことに対して、桐山さんは初期の頃は余裕をかまして著書に書いている。
バナナの叩き売りと言うけれども、あれも一種の才能がないとできるものではないと。
しかし本音は悔しかったのでしょうね。
そもそも桐山さんは法話でこんなことを話していたのを覚えている。
教祖というものは断言することが大切だ。
学者みたいにこういう説もありますね、ああいう説もありますね、なんて説き方をしていてはだめだ。
嘘でも間違っていても断言することが大切なんだ。
嘘でも言ったかどうかは記憶が正しくないかもしれないが、とにかく断言の内容が正しくなくても断言することが大切だということを言ったわけです。
そういう意味ではバナナの叩き売りというのは本質をついており、桐山さん自身もそれを意識しているはずの話なんですよね。 そしてバナナの叩き売りとは実はちゃんとバナナを売るんですよ。
バナナの叩き売りと言う言葉が、実はバナナを売らないのにバナナを売ったかのように叩き売ると言うのであれば、
これは事実でないことを指摘したということになりますが、そんなことありません。
ちゃんと売るのはバナナです。
このバナナを食べれば父ちゃん元気で夫婦円満、子孫繁栄とか話を盛って売るだけの話です。
だから桐山さんの言う間違っていてても断言することが大切だとその表現にインパクトを与えるという点では、
別に批判にもなっていないはずの話です。
だから事実と異なることを書いたから謝罪訂正すべきだなんて話は全く適用されません。 >>523
>ごらんのように、桐山さんが作家Aを三流と罵ったのは、批判内容が
「事実でないことを」書いたからではなく、「珍奇な服装」で小説の評価が低いことが理由です。
>桐山さんの本をきちんと読み、普通の読解力で理解してから書きなさい。
それだけではないだろう。
あなたが引用した『変身の原理』は2002年だが、それより前に、本や機関誌の名は忘れてしまったが、桐山氏は宝石の記事について反論している。
私が入会する前だから随分昔の話になる。
その中には当時の平河町にあった教団施設にについても触れていて、宝石の記事の内容と実際に完成した施設が違うという話が出ていた。
他にも色々あったが忘れてしまった。
桐山氏としては批判記事に嘘まで書かれて相当不愉快であったろう。
そのことも例の発言に繋がったと容易に推察される。
「珍奇な服装」と書かれてあっても、それだけが理由ではないのです。 >>533
>「宝石」に書かれたことが事実ではないと桐山さんが主張したことがありましたか?
あなたが桐山さんでないことがバレてしまったね。
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