>>310
ホントに、鹿野園ってのはどうしようもないねw
自分で自分のおかしさを暴露してるw

たとえばこれ

>>327
>そもそも無自性って単独のみで独立して成る存在じゃねーからw

「無自性のもの同士が縁起する」

まさに、縁起する以前に、「無自性のもの」が単独で存在していて、
そのもの「同士」が、縁起すると言ってるw

非常に矛盾した異常な文章を作り上げてるわけだw

無自性のものが単独のみで独立してなる存在じゃない、といいながら、
縁起する以前の、「無自性なるもの」と「無自性なるもの」が存在し、それ同士が縁起するという、
珍妙な文章になってるw

無自性なもの同士があるというなら、そもそも縁起する必要がないよね

「無自性」という時は「空」ということであり、
A、B、それぞれの実体が「空」であることを示している

「空なるA」 と 「空なるB」 が 縁起する、

という、摩訶不思議な文章は、仏教には存在しないんだよね

そもそも、「空(無自性)なるA」 = 「無自性なるもの」 という文章は、仏教には存在しない

空になる、ということは、Aという実体が消えることで、
「Aが空になる」という文章は存在しても、「空なるA」というおかしな文章は存在しない

これは、いってみれば、「Aが消える」というところを、「消えなるA」と「消えなるB」が縁起して…
「消えなるもの同士が縁起して」 と言っているようなもんw

また、もっと詳しく言うと、「Aという枠組みが消える(Aという実体が存在しない)」 というところを、
「枠組みが消えたA」と「枠組みが消えたB」が縁起している… と、言っていることになる

「(Aという)枠組みが消えたA」 というものは、論理的に絶対に存在しえない
ましてや、「そのもの同士」ということもあり得ないし、それが縁起するということも、
なお更、ありえない

ここまで間違いがあきらかなのに、まだ人をバカにしながら、自分は絶対にまちがってないと思い込んでる…
こういうことだからもう、議論のできる対象ではない、ということだね