>>236
「無自性同志が縁起している」


もうこれだけで、仏教を知らないし、仏教を偉そうに語る資格はない
モロ低レベルが露呈してる

こういう言い方をしといて、いくら他に仏教を難しく語ろうが、どんなに用語を重ねようが、
仏教の基本中の基本、土台、根幹のところをまったく理解していなかったわけだから、
すべてがダメなわけだよね


もし、「無自性同志が縁起する」なら、「無自性のもの」 + 「無自性のもの」 という風に、
「無自性のもの」という自性を認めていることになるw

なぜこの言い回しが悪いのが分からないかというと、「縁起によって無自性が証明される」 という理がわかってなかったから
それがわかってなかったってことが、見事に露呈した。

「あるもの」と「あるもの」があって、それが「縁起している」から、「無自性」であることが証明されるんだよ
「縁起」によって「無自性」が導き出される

無自性とわかっているもの同志が、縁起をする・・・・w
こんな珍妙な考え方は、仏教には微塵も無いわw

「無自性のもの」というものは存在しないし、また、それら「無自性のものたち」個々が、
縁起するということはあり得ないw

無自性というときにはすでに縁起しているからこそであって、
そうした「個々」は空になって存在しない

もし、同志が縁起するような「個々」があるとするならば、それこそ、縁起の思想の中において、
実体を認めていることになる

こんな仏教において大切なこと、基本中の基本、骨格的な骨格なものを、
こうも浅はかに間違えるとは、まったく仏教を語る資格はないよ