新興宗教・真如苑 vol.128
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新興宗教・真如苑 vol.127
前スレ:新興宗教・真如苑 vol.126
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新興宗教・真如苑 vol.127
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☆ここは、真実追及と意見交換の場です。
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。 25 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
最初に遍くお力が流れてきて救われるが、次第にカネ、ヒマ、社会的信用を犠牲にして献金、無償労働、勧誘をしなければそのお力は続かないと言われる。それはまるでお力がマルチ商法で掴まされる粗悪品で、それを人にも掴ませないと階級が上がらない構造と同じではないか。 26 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
信者は頭の中に常住する教祖一家のお力に執着するが、簡単な言葉でその手口を気付かされてしまう言葉を恐れる。だからたたみかける様に信者の周囲の人の言論を統制しようとするのである。 27 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
教え通りならば徳が積まれ、教えに背けば徳が減る。徳が無ければ因縁に倒され、徳が積まれれば勧誘が成功し、勧誘すれば成功に至らなくても徳が積まれると言われる。それは方便である。 28 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には−八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する−と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
この教えをやっていれば何をしても許される。そんな誇大妄想を信者はお力と思ってトラブルを起こす。教えを否定されたら後が無い、追い詰められたトラブルメーカーである。 29 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
真心が下心となって人の不幸を観察する信者。この教えのみ仏のために人材を教団施設に連れて行く取り組みは信者の安易な行動によって反感を買い、ネットで手口を晒される。 30 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
お力の為に教祖一家に媚びるのは、その対象が世の中の媚びる対象から置き換わっただけである。気づくのはあっという間だからとことん搾取される。 31 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
善法に従わなきは心にぞ
邪楽しむ心宿るらむ
【教主注釈】
涅槃の教えは有難い−とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。
↑
自分だけ救われたいの心を教えに刺激され、依存するが疑ってしまう心にお力が流れてこない恐怖を突きつけられる。この教えに依存する空しい時間が過ぎていく。 1 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
信者に無限の希望を与える教えは、実は物事に後から取ってつけた言葉が飛び交っているだけである。そこでさせられる取り組みはカネ、ヒマ、社会的信用を教団に貢ぐことである。そのために、献金、無償労働、勧誘をしなければならない。 2 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真道院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
この教えに結ばれると救われる。そう宣言する信者が不幸のねずみ算で勧誘される不安を人に与える。信者自身は勧誘する不安を感じながら勧誘している。故に不幸のねずみ算である。 3 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
教えに選ばれた人と持ち上げられ、教義の無い後付けの言葉で因縁を示されて人をそれに巻き込もうとする信者。哀れと思われても仕方あるまい。 4 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
自分の家の宗教を護りながらこの教えを歩むように指導される。家の仏壇に教祖一家の写真があればかなり洗脳されている。伝統仏教ならば実践の無い葬式仏教と信者は見下すが、やっていることは勧誘中心のねずみ講型新興宗教である。 5 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
どんな事も教えにこじつける信者は、教えを信じない人は徳がなく、救われない霊に引かれて不幸になるので可哀想と思うように洗脳されている。それらは菩提心ではなく、新興宗教を信じさせられる劣等感の裏返しの優越コンプレックスである 6 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと−とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
世に悩む信者がカルトに価値観を否定され、霊の世界の事象を信じるようになると、お力をもたらす教祖一家を否定する者に攻撃するようになるのである。 7 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
教えの如く歩むならば勧誘させられる。それは沢山示された霊による後付けの言葉によって洗脳された結果である。 8 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
密教と含みをもたせて、もったいぶりながら話す信者の言うとおりに行っていたら、実は勧誘しなければ救われないねずみ講型新興宗教だった。そこからどこへ進むのかが重要である。ネットで知識を得よう。 9 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった−等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
教えの為に感情をこらえる信者。その反動で教えを信じない者を見下して苛立ちをぶつけようとする信者。ここの信心は迷惑そのものである。 10 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え−涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
この教えを人に押し付けることによって、人がどれだけ嫌な想いをして迷惑か。認識できない信者が教えを貶めるのである。その結果、自分を貶める。だから否定されると逆ギレするのである。 お力という粗悪厚品幸を多くの人に掴ませなければならないマルチ商法型新興宗教信者の行末ですね。 11 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
この教えで信者が幸福になってしまえば、お力を求めなくなり教えの為にならない。良ければ教えのお陰と言われるが、不幸と霊が絡められた不幸を抱えながら「こんなに救われている」と言っている信者が教えを護るのである。 12 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
本能、理性の問題ではない。世の中の誘惑に欲しい欲しいの餓鬼の心から、お力欲しい欲しいの餓鬼の心に置き換えられるだけである。それは向上ではない。 この前立川駅から小さな子がチマチョゴリみたいなの着て親子で歩いてたけどあれなんの儀式なの? 13 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
お力のお陰でこんなに救われている。不幸でもこれくらいで済んだ。それを人に押し付けると、教えを信じない人は不幸でなければならないと信者による人為的嫌がらせが向けられるのである。 14 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる−と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
世の執着を断ち、この教えに因縁から護られていると思わされると、その人ごとに示される因縁と取り組むことを課題にさせられる。気づくまで逃れられない因縁地獄に突き落とされるのである。そして、ここで示される因縁が重くなっていき、因縁にどう倒されるか分からない恐怖からお力を求めるのである。 15 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す−と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
あらゆる宗教、騙しの良いとこ取りをした教え。霊が示すとおり、どうとでも言いくるめることができるので、批判しようも無いと思われるが、気づけば実のない教義であることが分かる。 16 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
この歌は、信者が教えを知らない世の人に向けて思うこととも取れるが、教団関係者が世の哀れから逃れようと教えのお力を切望する騙された信者に向けて思うこととも取れる。 17 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。−と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
元々自己犠牲的で喜べない信者が救いの道を示され、喜んで勧誘、無償労働、献金をする様に追い詰められる。人の為とは教えの為だけとなり、自分がさせられていることの真実を言われると後が無いので逆ギレするのである。 18 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは−人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
根拠のない霊による因縁から救うために駆遣訶責する信者は、相手の知りえないことを知っていると思わせるために後から言葉を取ってつける。そのコールドリーディングの手法は見抜かれればただの論理的思考の伴わない戯言である。 19 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
この教えはやってはいけないことを指導するが、教団のために容認する。信者は教えの為ならば許されると卑怯な手を使っても勧誘、献金、無償労働をするし、人にも強いる。 20 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
歩むとは、一番の取り組みが勧誘して信者を増やすことである。その前提として教えを否定するその場の雰囲気を作ってはいけない。それを信者以外の人に強いる時、自己中心的な信者の態度が反感を買うのである。 21 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏−と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
信仰を阻害するもの、それは教えの手口に気づき、手口を信者に伝えてしまう人も含まれる。信者の輪をつくり、教えを否定するものを排除する習性は教えの中で培われる。熱心な信者が高齢化しているのは、事実がネットで知られてしまうからである。 >>782
日本三大宗教にも入れない
老害信者だらけの真如猿
https://m.youtube.com/watch?v=bjXkaEbFdd4
真如猿は今後崩壊へと向かう
死に間際に霊感商法に入信していたことに気づく哀れ狂信者 22 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
今だけ。因縁は待ってくれない。抜苦代受はいつまでも続くわけではない。お力をマルチ商法の粗悪品と同じように掴まされていることを明かしているが、盲信している人にブレーキはかからないだろう。その手口を知ったならば、距離を取ろう。 23 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
仏教の無常を説いても教祖一家の常住を意識させようとする教え。遍くお力が上から流れてくるのは仏教ではなく、指導者に逆らったらお力が流れてこないと脅す為である。だから信者の喜びには違和感がある。 25 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
因縁はこの教えに示された霊が作り出す妄想である。それらを消すために献金、無償労働、勧誘をさせられるのは、三つの搾取である。 24 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
父母は教祖夫婦を思わせる。理想の親を見せて、理想ではない父母を勧誘することもあり得る。 25 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
因縁はこの教えの霊に示された取り組みを行うことによって教えに都合よく深まっていく。それを幸福の取り組みと思わされる信者が人の幸福を否定するようになるのである。そして、不幸の使者となる。 26 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
何でもお見通しのように自分が物事を知ると思わせるための信者の話し方。実はお見通しではなく、後から取ってつけた言葉である。後出しジャンケンである。見苦しい。 27 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
こちらが聞いてもいないのに人の言葉から歪んだ答えをこじつけて異常性を訴える信者。教えに力が無いから不幸だと言いがかりをつけているだけと相手に知られているのに気づけない信者。 28 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
この教えに騙され続けることが一生続くことは、示され続ける霊から救われるお力を信じさせられ続けることである。人にそれを強制で信じさせようとするのは、信教の自由の侵害である。 29 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
信者が複数集まるとたちが悪い。後から取って付けた言葉で情報操作し、教えを信じない人は隔離しようとするが、その人の不幸な出来事に上から目線で「教えを信じないから」と言わんとする。それは、また教えを信じるだろうと数少ないターゲットにされているのである。それは手口をネットに広められるきっかけになるだけであるが。 30 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
その道を進めば何をさせられるかを意識せずに進めば、騙されることがある。勧誘ではない。無償労働ではない。献金ではない。教えに都合の良いことは肯定され、都合の悪いことは否定されるだけの集まりにいては搾取されるだけである。信者を否定すると切れられるので、距離のとり方にも気をつけなければならない。 1 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
「させていただく」と謙る信者だが、教えをほのめかす言葉が効かないと分かっても、教えに結ばれている自分は徳が高いと思ってるので、上から目線は変わらない。低能な事を言ってそれらを示そうとするが、距離を取って被害を最小限にしよう。 2 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
勧誘しても門前払いはお見通し。勧誘しなくても人が集まる宗教ではない。秘密裏に人を集団に誘い込まなければならない。今はそれもできない。 3 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
自己肯定感の少ない人は自分を粗末にする。悪ければ取り組みが足りないの言葉に自分を責め、人のせいにする信者が「お前が教えを信じないから自分がなかなか救われない」と言わんとばかりに教えを信じない人を責めてくる。 4 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
この教えのみ仏にまかせることは、後から取って付けた言葉に依存することである。それは教え指導者から操作される危険な思考である。 5 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
信者が教えを信じない人に負の働きかけをするほど嫌悪が増して、ネットにも負のコメントが流れる。それは人を不幸にしてお力を掴ませようとする教えが悪いのである。 6 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
過去の囚われをこの教えの霊による原因論に置き換えられた時、お力に固執する盲人にさせられてしまうと、機会あれば勧誘する厄介な人になるのである。 アトピー重症のお子さんは一般的に短気で怒りやすく、わがままが強い傾向にあるようです。
アトピー重症のお子さんは一般的に短気で怒りやすく、わがままが強い傾向にあるようです。
しかし、そうしたことをアトピー本人に戒めるのではなく、。
しかし内向的心理傾向がまたアトピーを長引かせていることが多いのは事実で、
こうした性格はもともとの子供の性格とアトピーになったために二次的にできた性格が合わさって出来ていくものと思われます。
精神発達が未熟である、自我力が弱い、情緒的な負荷にもろい、
現実解決力が乏しい、行動がとろくて反応がワンテンポ遅れる、自分のもっているものを出しにくい、
自分を押し殺す、子供らしくない、過度に周囲を気にする、対人関係では易怒性を認めすぐ怒る、それを表出せず抑圧する傾向がある、
干供は母に愛情欲求をうまく出せない、母も子供の愛情欲求を感知できない、
こういった本人の性格、家族環境から、大人のアトピーは抑うつ感と不満感が強いようです。
アトピーが治りにくくなる他の要因に、家族のアトピーの子供への対応のまずさもあげられます。 7 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
後から取って付けた言葉による教えにとらわれた信者はそのお力を貪ろうとする。こころを忘れるどころか、人としておかしくなるのである。 8 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
上から目線を隠して人の不幸を見極め信者が声をかけてくるときはかなりの勧誘成功率を見込んでいるときである。世間の権威を利用できるときは「あゆませる」の言葉の如く強制力が伴う。 9 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
勧誘することで人を救い、自分が救われる教義は、人にも勧誘しなければ救われないという不幸を与えることである。不幸のねずみ算である。マルチ商法にも例えられる。 10 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
信者からは秘密裏は感じるが知恵は感じない。この教えは過去に無かった涅槃経を経典とした仏教教団と強調し、ネズミ講型の教団であることを隠そうとする。 11 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
信じる理由は教えが正しいから。自分が信じているから。教書の内容は「○○がああ救われた、こう救われた」と機関誌の寄せ集め。人の不幸に詰め寄って教えを信じないならば人為的に貶めるしかない信者。 12 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
他の為に勧誘すればその人が救われ、やがて自分も救われる。それは徳というポイントが貯まるからである。お力も徳も架空のもので後からどうとでも言えるものと指摘されるとなぜか信者は切れるのである。 13 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
信者はなぜ教主注釈の態度を取る人間が大半なのか。教えを歩むとむしろその不順な心が助長され、教えに縛られて、教えを信じない人に攻撃的になり許されない存在となっていく。 14 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
世間の人間関係で苦しんでこの教えに救われたとしても、教えの中の人間関係で苦しむ。むしろ、この心もとない教えの教義に基づいて勧誘競争をさせられる不幸の方が不快ではないか。 15 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
目をつむって読経し、目を見開いて教祖一家の肖像画を見ると光が目に入り込んできて後光がさす。それは知覚のコントラストというマインドコントロール手法である。そんな技術も着実に使われている。 16 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
食事(じきじ)観念と言って信者が唱えた後、教祖一家に感謝の言葉を付け加えて食事をする。食事ができるのも何事も無いのも教えのお陰。しかし、後出しジャンケンで不幸が示され続けるのを気づかなければ、不幸は深まっていくのになぜ信者は気づけないのか。 【真如苑】洗脳を解きたい、家族を救う方法【新興宗教】
51歳、強力洗脳された独身男信者を救う方法
https://m.youtube.com/watch?v=pFJoVqZRVP8 17 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
何も考えていなくともただ信じていれば毛穴から教えのお力が入り込むと指導されることもある。安易だが、それはどこにいても監視され、逃げられない静かな恐怖を信者に与えているのだろう。 18 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
世の中で誠実でなくとも、教えに忠実ならば救われると信じて教えの為ならば人の都合を考えられない信者。信者の思いどおりになるには世との軋轢が生じるのは当然である。それらもお力を求める為の霊による因縁とされてしまうだろう。 19 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
勧誘すれば非難されるが、元々秘密裏が基本なので非難やざん謗を避けるように信者は行動する。信者が静かだからといって油断してはならない。 20 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
接心によって過去、現在、未来が分かると言われる。それは、後からつけられた言葉で過去、現在、未来を憂い、教えのお力に頼らされる道を歩むことになる。 21 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
まやかしの言葉で説明されるお力を求めさせられると、教えのための勧誘、献金、無償労働をして、もっとお力を求めるように要求される。自分で気づくまで搾取され続けるだろう。 22 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
他の宗教を信じていても、いずれこの教えを信じるようになるという傲慢な教え。それを示している。まやかしの言葉を信じている信者が無断入信の信者の分まで負担するだけであろう。 23 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
後から取って付けたまやかしの言葉によって成り立つお力を悟られない為に教えは深いものであると言われる。人によってはすぐに気づき、人によっては一生騙される。 24 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
報謝、感謝はこの教えの献金の袋に書いてある。この教えの中ではいつの間にか遍くお力を頂いてばかりで返すことしか言われなくなる。後から取って付けた言葉で。 25 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
霊のせいや人のせいにする人が集まると、訶責はハラスメントとなる。後から取って付けた言葉による霊的ハラスメントは人の数以上にこじつけられている。 26 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
元々お力など無い。悪因縁を示してそこから救われるために徳というポイントを積むために三つの搾取(勧誘・献金・無償労働)をさせるために騙すことから始まる。 27 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
やってみなけりゃ分からない。それはネットで情報を得られない時代の手法である。メディアで国民を騙している国でもネットで真実を知る人がいて、悪行は隠せないのである。 28 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の中の何かを捨てたと思っている信者がお力への執着を隠しきれない。しかも、霊位が上がると勧誘のために人に宗教を強要することもいとわない。これは勧誘ではないと平気で嘘をつくようになる。 29 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
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自分が救われたと人の不幸にこの教えを共感なく当てはめようとするのはハラスメントである。相手に気づかれているのにハラスメントし続ける信者自身がこの教えを貶めているのである。 30 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
仏教で無常を説く様で、教祖一家の常住による監視を信者に洗脳すると、世間でもお力を意識して教えに対してネガティブな思考をかき消すようになる。人がどう思うかは人の課題だが、人の教えに対するネガティブな思考も無いものとしようとするから、有害なポジティブを信者は振りまく。 31 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
夢みせて出離の道を教ゆるも
佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり
【教主注釈】
夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。
↑
信者に教えをやっていればうまくいくと不幸はありえないプレッシャーを与え、夢までも教えのお力にこじつける。今の時代成り立つのだろうか。 1 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
日々この教えのお力に生かされているという妄想を押し付けられても、取り合ってはいけない。距離を取るのである。そして、その手口に騙され続ける信者を憂えるしかない。 2 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
教法を学ぶというよりも、楽してお力を頂くという思考に流される信者が騙されるのである。教えに依存すると教団に尽くすことがまこととなる。 3 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
教えの如く人を救うことは勧誘してその人を歩ませることであり、つまりねずみ講の取り組みである。教えのお力無しでは生きられない生かされる喜びは、実はお力が流れてこなくなると因縁にどう倒されるかわからない恐怖が根底にある。 4 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
喜んで献金することを仏教の修行と位置づけている。手口がネットで知れると、巧妙に人を騙せる信者は育たないのだろう。 5 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
人には歓楽を抑制させて、上へ上がればそれが許される。そのルールが新興宗教ではある。教祖一家がその典型であり、特別扱いを受けたい信者が実は搾取されていて、勧誘で同様な人材を集めさせられようとしているだけである。 6 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
この教えを無心に信じるという危険な思考を植え付けようとしている。勧誘しなければ救われないねずみ講の教えに。たまたま霊言が当たり、お力に感謝するようなループにはまると人の都合を考えずに教えを押し付けるようにもなる。 7 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦と喜びの因果関係を教えの霊にこじつけられて教えでの因縁が深まる信者。信心が深まれば教えどおりに歩まなければお力を取り上げられる恐怖が深まるのである。 8 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
教祖一家のお力から発せられる霊言を有相接心でいただき、それを世の事象にこじつけるのが無相接心である。それは信者本人の状況を知る指導者が助言することでホットリーディングの働きとなり、更に霊言が当たったと思わせるのである。 9 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
いずれは自分のためになると諭されて勧誘などの取り組みをさせられる。つまり、我が為である。行き詰まるのは教え中心という自分中心だから。 10 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
ここで示される聖なるものに依存させられると、世の財的なものを貢がされ、この教えでの地位を救われるために求めさせられる。それが仏教の言葉に置き換えられて意味も操作されている。 11 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
ねずみ講型の教えの向かうところに全力を尽くすと、勧誘できるできないで人を見るので軋轢が起こる。この教えの神仏は教えの為にしかお力をくれないことになっているので、教えの為以外には力を尽くさない。駅前の掃除は教えを良く見せるアピールである。 12 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
他が為は人を救う勧誘であり、我の徳というポイントが教えの中で上がることで自分が救われる我が為である。ねずみ講型の新興宗教に殉教しても、カネ、ヒマ、社会的信用を搾取されるだけである。 13 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
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そこに悪ければ修行が足りない、良ければ教えのお陰、という見かけの因果律が介在する。後からどうとでも言える因縁である。 14 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
世の執着を捨てさせられ、教えに貢がせ、教えを求めさせられる。それは教えの中のお力、霊位、人間関係に執着させられるようになるだけである。やがて外の世界は不浄で敵ばかりと思うようになる。 15 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
理想の親を求める人の心を狙って理想の親が示される。理想の親の歩みと言われる物語を信じさせられるのがカルトを含む宗教である。悪い情報は極力削除されて完璧な物語が語られ教えの為に貢がされる。 16 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
この教えに一切を委ねてお力を期待してカネ、ヒマ、社会的信用を犠牲にして献金、無償労働、勧誘をさせられるようになる。これがカルト宗教の一つの形態である。 17 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
感謝が要求される。徳は教えの為に勧誘、無償労働、献金が行われると積まれると言われる。しかし、実際に残るのは教えを強要して、信教の自由を侵害した相手との軋轢である。 18 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他が為はこの教えの為に勧誘してその人を救うことである。その人の不幸をこの教えの因縁メニューに合わせて当てはめなければならない。それは人を陥れる不幸の使者となることである。 19 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
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人に関心を持つことは良いことであるが、それがその人の不幸を教えに誘い込むための原因として因縁づける目的では自分がされたように人を不幸にする行為となる。それに気づけないまま良いことをしていると思える信者は距離を取られる結末となる。 20 我浄 【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
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自分の中に霊因縁から救ってくれるお力に依存する心を見出してしまうと、尊いものに結ばれたと勘違いしてしまうこともある。そうならないように後付けの言葉を真に受けないようにしなければならないだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています