>>922
言葉の律法が不要だと主張しているわけはありません。^^;
言葉の律法の母体となった良心・道徳心が全ての人の心に備わっているのでは?ということです。

であるならば、その良心・道徳心の痛みを心で感じたとき、律法を知らなくても、
人は罪を感じることができるのでは?というわけです。

聖霊と言うと聖書の特別な名詞と思いがちですが、
世間一般でいう良心・道徳心・神を崇め清くありたいという心と同じだと思います。

しかし人の良心は主観により揺れ動きやすいので、
言葉の律法によって自らを律することも必要なことだと思います。

また他方では、言葉の律法による弊害をあるので、
律法の定められた原点に戻って、自らに愛があるのか問い直すことも必要だと、
イエス様は言っていると思います。