無常・苦・非我なるものは
無常・苦・非我なるものと如実に観察すれば
涅槃を知る事が出来、またその逆も真

プッタタートという20世紀タイの高僧も
「何事も私、私のものと執着するべきでない
という教えが、三蔵中のたった一粒のダイアモンドと言っている。
そうまで言ってくれている「たった一粒」を心経の空と「無」に当てはめれば全部意味が通る。
五蘊にも我は無い(私のものは無い)十二処、十八界にも無いし
覚ったと思った縁起や四諦ですら自分のものでは無い、執着する理由は無い、
菩薩は全ての囚われから解放されて真の自由を得ている・・・
そういう事では?