ついでに

櫻部 それで『?舎論』と仏教の他学派、とくに大乗仏教の諸派、との関係に自然話が行くわけですけれども、説一切有部は今おっしゃった点を他学派のみんなから衝かれるわけです。
    そういうものを認めるならば、諸行無常ではないではないか、それは仏教ではないではないか、というふうに皆から言われる。
    それを説一切有部の立場から釈明すれば、それはスヴァバーヴァがなければダルマとはいえないのだけれども、そのダルマはみんな瞬間滅であってけっして常ではないんだ、
    法体恒有なんだけれどもしかも瞬間滅で無常なんだ、と言うのです。
    その二つ(法体恒有ということと瞬間滅ということと)をそれぞれにはっきりさせないから誤解が君たちに生じるけれども、われわれの考え方からいえば、
    むしろ法体恒有であればこそ諸行無常ということも成立するんだ、と言うのです。
    (上山春平;櫻部建.仏教の思想2存在の分析<アビダルマ>(角川ソフィア文庫)(Kindleの位置No.3475-3482)..Kindle版.)

という文中の

 >その二つ(法体恒有ということと瞬間滅ということと)をそれぞれにはっきりさせないから

と云うのもインド的唯名論の証左と言えるでしょう。