>>754
空においてはその犬、猫、虎、熊、猿、そして動物という名字(概念)すらも無分別智により滅するのに、苫米地氏の言ってることの方がおかしいと思います。

先日も書きましたが空は概念ではありません、むしろあらゆる概念(名字)を滅したものが空であり言葉で肯定系で説明できるものではありません。
空を概念とする人は、空亦復空として空についてあれこれ戯論をするのをやめないと、勝者ブッダ によってどうしようもない人と呼ばれますw(←龍樹によると)

一切皆空なのですから空即是色、受想行識亦復如是は文法としても成立しますね。

七 もしも何か或る不空なるものが存在するならば、空という或るものが存在するであろう。しかるに不空でないものは何も存在しない。どうして空なるものが存在するであろうか。

八 一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。しかるに人がもしも空見をいだくならば、その人々を「何ともしようのない人」と読んだのである。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9507743

また空は有と無の両方を含む概念というのも違うと思いますね。
有と無の両方を否定しているのが空性という方が正解に近いように思います。

そして無〜無〜の連続はインドではなくて中国の思想だから偽経というのは偽経の根拠としては弱いです。
元ネタの摩訶般若波羅蜜経や大般若波羅蜜多経はインドで作られましたが無〜無〜(na〜na〜)が続くのは同じですので。

そしてあなたも仰っている
色即是無 無即是色 空包摂色 空包摂無
こんな説かれ方したら聞かされた方は余計に頭が混乱するでしょうねw
まずもって空は無を包摂してない、空を無理にこ言語化すれば非有非無の中道ですから。