これを引用するのも何度目になるのでしょうかw

五 業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。

七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。
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これが龍樹や中観派にとっての悟り(ブッダの悟りも多分同じ)であるとして、
言語の対象もなくなるので無分別になるので悟りという概念もなくなる、その境地を悟りと(仮に、世俗に於いて)名付ける、ということになりますかね。