>>624
「何を言ってるんだって」何も矛盾していないのですが。

一回だけ説明します。
この説明で納得されない場合は堂々巡りになる確率がこれまでの問題から非常に高いので、これ以上は続けません。

まず>>620の筏の喩えから

世俗諦であるブッダの説法で第一義(勝義)に至った修行者はブッダの教えを捨て去るべきである。
ブッダの説法の中でも中核である十二支縁起も第一義においては捨て去るべきである、それに捉われてはならない。
そして、その十二支縁起は第一義に至るための最高の教えであると龍樹は勧誡王頌の中で王に説いているということです。


次に中論25章涅槃の最後の偈

二四 〔ニルヴァーナとは〕,一切の得ること(有所得)が寂滅し,戲論(想定された論議)が寂滅して,吉祥なるものである。
ブッダによって,どのような法(教え)も,どのような処でも,誰に対しても,説かれたことはない。

これは第一義の法は言葉で定義できるものではないので説かれたことはないということ。
その第一義に至るには世俗諦を用いなければならないのですが(中論24章)、その世俗諦の教えの中でも最高の教えは十二支縁起であると龍樹は勧誡王頌の中で王に説いているということです。

次に般若心経ですが、本来言葉で定義できない第一義を世俗諦で何とか表現したのが是諸法空相以下であり、第一義においては十二支縁起は捨てるべきですし実体がないので第一義として成立はしません
(説一切有部などの部派仏教では第一義においても法有を認める部派が殆どなので第一義でも十二支縁起は成立するのでしょうが)。
しかし、十二支縁起は間違った教えであるというようなことを般若心経で説いてるわけではないというのは勿論のことです。
この辺は空なればこそ四聖諦は成立するとした中論第24章で確認してください。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5343&;id=66474415
般若心経で十二支縁起の次に無とされている四聖諦についての説明ですから。

般若経の空思想の影響を受けそれを理論化した龍樹と般若経の大般若波羅蜜多経を要約引用している般若心経との関係において、十二支縁起はそのように見做されているということで、全てが同じ見做し方であり何も矛盾はありません。


以上で説明は終わりです。
これで納得いかないのなら納得いかないまま生きていけば良いと思います、あなたの人生ですから。