大乗仏教には、インド伝来の釈迦仏教(原始仏教)以来の伝統があります。戒・定・慧の三学を兼修して総合的に学ぶことです。鎌倉新仏教(祖師仏教)のように、宗祖が選び取った一つの行を専修する方法は大乗仏教のあり方ではありません。宗祖が選んだ易行を専修する「撰択の仏教」には、釈迦の精神を継承する正当性や正統性が欠落しています。大乗仏教の精神を継承する適格性があるとは考えられません。「宗祖が選び取った教え」を仏教の全てと考えることは、釈迦仏教を否定し、大乗仏教の精神を否定することになるのです。これを布教する行為は、妄想を語るプロパガンダでしかないと考えられます。
http://shukyo-kataru.com/archives/3152