>>414
解脱とか涅槃とか悟りと言うのは、迷える衆生に対して示された仮の道しるべです、
というようなことだろう。法華経で言えば、化城だよね。。

本来は迷悟はない、空と言う意味でもないし、無分別であれば、識別されない、認識されない。。

しかし、その本来と言うか、無分別智を得ていないものにとっては、迷悟なんてありませんと言ってもわからない、
ということだろう。。

だから、本来を知るものにとって、世俗諦で、悟りはあります、は仮の意味として、さらには、無分別智として、
理解されたものとしてあるのに対して、凡夫が言う迷悟はありますは、ホントの迷悟がわからないで言っている、
ということだと理解したんだが。。