空と言うのは、教科書的には、縁起で無自性だから、空である、というのだけど、
こちらからの是非善悪とか、肯定・否定の判断作用、認識作用のようなものが落ちた状態を空、
と言う師家もいる。。

人間の認識を離れて万物がある、すべてのものがそのものとしてある。
そういう感受の仕方を空と言う場合がある。。

こっちは理屈ではない。。
こういう空を見るというか、体験するために坐禅があるんだろうけれど、これを悟りとし、
是非善悪を迷いだとか思ってしまうと、またちがう。。

是非善悪し、思考し、感情が動きと言う、それら全部ひっくるめて空であり、真理である。。

そうでなければ、新たな分別を作り、取捨し、好悪することになってしまう。。