>>117

素直に読んで行けばそうなる筈ですからね

ガチガチの教条主義=上座部が有って 自由思想の大衆部=大乗が有れば両者の良いとこ取りをする中間的な部派が生まれるのは自然な事ですから

一方で一言一句違えるまいとする伝統派があり もう一方で違えてならないのは教条や経典ではなく その本質だと考える部派が現れたら
ブッダの遺した言葉でさえも「〜ではない」論法で本質を濾しとる流れが生まれるのも必然だし どちらも尊重しつつ更にその中道を行こうと模索する教団がでても何の不思議も無いばかりか
それこそブッタが言葉に依って言葉を打ち消した果てに残る筆舌に尽くし難い何かだという事になると思われます