狂った物質文明と人の心
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飽食の時代と呼ばれ
人類は物質文明を発展してきました
しかし人類の欲望は満たされません
何故なら欲望は肥大化していくからです
https://books.google.co.jp/books?id=0USXCAAAQBAJ&pg=PT28&lpg=PT28&dq=%E7%89%A9%E8%B3%AA%E6%96%87%E6%98%8E+%E6%AC%B2%E6%9C%9B&source=bl&ots=NCbZ1ONb8T&sig=ACfU3U0LdyIvESUgDISegUTlbm-oRMHEjA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwili5PimsLqAhXIGaYKHf3EDhEQ6AEwAnoECAgQAQ#v=onepage&q=%E7%89%A9%E8%B3%AA%E6%96%87%E6%98%8E%20%E6%AC%B2%E6%9C%9B&f=false 人間は自由なので欲望をいくらでも追究していける
しかしこれでは宇宙や地球 人間の為になりませんし地球環境も保てません
本当に人類や地球のことを考えるなら
どこかで歯止めをきかせ動物や自然との共生をどこかのタイミングで考えなければいけません
そしてこれこそが叡知なのです 我々の時代は、物質文明が発達した御蔭で、生活は快適になりましたが、代わりに精神力や、
精神からくる生命力が怠惰になる傾向を帯び、科学が発展し、大規模に、分業化し、専門化するにつれ、人類だけの幸福を追求するあまり、全体の地球環境や、全宇宙的視野を失い、
利己的視野や思想、観点が生まれ、自然な物質力の制御を失い、温室効果等の環境問題を生じるに至っています。
現在の物質主義の、このような傾向は、そっくりそのまま、アトランティス時代の、「気孔術」主義の失敗にみることができます。
現在と同じように、人類は、過去でも、気孔術を、利己主義的に用いた為に、地球環境の保存体系を著しく変えてきたのです。つまり、人間が変わるのと同様に、地球環境も変わってきました。問題は、そのことに、人類が自分でした行為の大きさに気がつかないことです。
そして、アトランティス大陸は、現在の水没地域のように、徐々に環境破壊が進んで、水没していったというわけです。 ノアは、アトランティス時代の最も賢い預言者で、人類の運命を預言により予感し、
予め、アトランティス時代の技術を集め、7人の優秀な弟子を選び、引き連れて、水没の難を免れ、東の方に移動し、
現在の中国とインドの中間辺りに、アトランティスの文明を基に社会をつくったといいます。
ノアの箱舟とは、恐らく、ノアの集めた教えのことで、気孔術を基にした、預言術のことだと思います。
つまり、ノアの箱舟とは、人類救済の教えで、アトランティス大陸の水没と同じように、二度と同じ過ちを犯さないような教えで、
そのような教えを広めることにあったと思います。現在でも、地球のことを、宇宙船地球号とも呼びますが、我々人類は、
いわば、地球環境の守り手である船長でなければならないという教えのことだというわけです。 それがスピリチュアルとは程遠い「歌」を聞いた感想?
なるほど? アトランティスは強大な軍事力と科学力を持って世界を掌握しようとしていました
しかし現代と同じような物質主義に走った為に自然破壊の報いを受けて
自然災害で滅びました
人類は一万年前と同じ過ちを繰り返そうとしています あんたの正義が成し遂げられたとして
それで他ならぬお前は救われるのか? 2015年12月、電通の新入社員だった高橋まつりさんが長時間の過重労働を苦に、自ら命を絶った。
だが現在、この事件を受けても東大生には「自分は過労死をしないから大丈夫」「激務でも自分なら大丈夫」と根拠のない自信を持つ傾向が少なからず存在するのではないか。
「彼女の死はあくまで例外的な出来事だから」。就活を控えた東大生の一人がぽつりと口にした言葉から、その根拠なき自信が透けて見えるように感じた。
東京大学新聞社は母親の高橋幸美さんや関係者の方々に高橋まつりさんがどんな東大生だったか、どんな思いで電通に就職したのか話を聞いた。
高橋まつりさんの境遇は、就活を控えた学生にとって果たして人ごとの話だろうか
「新人研修は課題も多く、結構大変」。電通に就職を決めた後、高橋まつりさんはそんな言葉を漏らすこともあったが、
基本的には前向きな気持ちで研修や仕事に取り組んでいた様子だったという。
だが入社6カ月後、「会社を辞めたい」という内容のメールが高橋幸美さんのもとに届く。その頃、研修期間が終わった高橋まつりさんの仕事量には際限がなくなり、
残業で早朝の4〜6時に退勤することが日常茶飯事となっていた。 「まつりは電通を辞める際の資料としてメールやメモなどを残していました。
そこから分かったのは、まつりはずっと黙って我慢を重ね、最後に自殺を踏み切ったわけではなく、人事部、上司、同僚と社内のいろいろな人に相談をしていたことです。
助けてほしい、と必死に声を挙げていました。まつりは母親である私にだけは心配させまいと悲観的なことを伝えておらず、
今はあの子を助けてあげられなかった後悔しか残っていません」
パソコンに保存されていたメールには高橋まつりさんのこんな記述が残っている。
「電通にすごく入りたくて入った。けれど、自分がここまで消耗して、
それと引き換えにキャリアを積もうとはもう思わない」 14日
「眠りたい以外の感情を失った」
21日
「もう4時だ 体が震えるよ…しぬ もう無理そう。つかれた」
11月3日
「生きているために働いているのか、働くために生きているのが分からなくなってからが人生」
5日
「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」
10日
「毎日次の日が来るのが怖くてねられない」
12日
「がんばれると思ってたのに予想外に早く潰れてしまって自己嫌悪だな」
18日
「毎朝起きたくない?」「失踪したくない?」
12月9日
「はたらきたくない1日の睡眠時間2時間はレベル高すぎる」
17日
「死ぬ前に送る遺書メールのCC(同時送信)に誰を入れるのがベストな布陣かを考えてた」
20日
「男性上司から女子力がないと言われるの、笑いを取るためのいじりだとしても限界である」 「鬱だ」
平成27年12月、クリスマスの早朝に、
「仕事も人生も、とてもつらい。今までありがとう」
静岡県の母・幸美さんにメールが届きました。
そのメールを受信したお母様は、急いで電話し「死んではだめよ」と、元気づけました。
力ない声で「うん、うん」と返答し、その数時間後、高橋さんは寮から飛び降り命を絶ったのです。
「過労死ライン」は月80時間とされていますが労災認定は遅すぎました 確かに電通は滅べとは思ってたけど
あくまで電通が悪いだけでは 私だったらと考えると
少しでもきついなら
無理だなとすぐにやめてしまうので
問題が起きないのかもなあ
その生き方自体の問題になっていくわけだけどね >>252
こんなことは氷山の一角に過ぎないですよ
日本にどれだけのブラック企業があると思ってるんですか
>>253
確かに辞めたら済む話だけど
辞めるに辞められない事情があったとか
責任感や使命感みたいなものに苛ませれていたとか
もしくは会社から圧力がかかっていたとか 今、世界のトップリーダーたちは「東洋思想」をこぞって学び始めています。それはなぜでしょうか。
はじめに「東洋思想とはどのようなものか」をきちんと定義し、解説しておきましょう。
私の言う東洋思想とは「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の五つの思想を指しています。
日本に八世紀以上存在し、精神性や風土に根づき、息づくことで、私たち日本人の暮らしの源泉となっている「知的資源」と呼べるものです。
これら東洋思想に共通する特性を、近代西洋思想と対比すると、両者がいかに「相補い合う関係」にあるのかがはっきりと見えてきます。
西洋は「外側にある(すなわち、誰も見ることができる)真理に迫っていく」という真理探究方式を採る一方、
東洋では「自分の中にある仏性、神的性に迫っていく」という真理探究の方式を採ります。 西洋思想では、どちらかと言えば「外側」に関心の中心が置かれ、「誰でも理解できること」「普遍性」を重視し、モジュール化に適しています。
反対に、東洋思想では「自分の心の中」に関心が向けられます。自己の内なる仏や神に気づくこと、自己の仏性、
神的に目覚めることを重視します。それだけ精神性に豊んでいるということです。
西洋…外側にある対象に向かう
東洋…内側にある対象に向かう
このように、まさに正反対だからこそ相補(complement)の関係に成り得るのです。
一八〇年前の幕末の思想家佐久間象山は「渡洋道徳、西洋芸(技術)」という言葉で、両者を対比し、その特性の違いを見事に表現しました。
東洋は『精神』領域に長けているので、そこに資する知見を提供すべきであり、西洋は『技術』において1日の長がある。
佐久間象山は「両者の得意分野を融合して使うべきだ」と言っているのです。
まさに「西洋と東洋の知の融合」です。 今、時代は大きな転換期を迎えています。
情報のやり取りはほとんどがインターネットを介して行われるようになり、その量は激増、スピードは圧倒的に速くなりました。
誰もが、どんな情報にも瞬時にアクセスできるようになり、情報の機密性は大きく損なわれ、ガラス張りの世の中が誕生しました。加えて、今日では発信者という境界線はほぼ完全になくなりました。
今や個人の誰もが発信者となり「有名・無名」「個人・組織」の区別なく、あらゆる情報が自由に発信され、それを誰もがキャッチできます。
古代中国の思想家である老子は「戸を出でずして天下を知り、牅より窺わずして天道を見る」
(外に出なくても天下の情勢を知り、窓から外を窺わなくても世の中の道理がわかる)と語っていますが、私流に言うならば、
数千年前に老子が予測した通りの時代が今「現実世界」として実現しているということに、とても驚嘆しています。 もう一つの重要なことが「西洋と東洋の知の融合」です。
じつはこれまで私たちが生きてきた時代、社会というのは、原則として「近代西洋思想」をベースとして形作られていました。
私たちのライフスタイルはもちろん、働き方も、会社のあり方も、法律、政治、経済の様式まで、あらゆるものが近代西洋思想、近代西洋文明に則って作られてきました。
現代の私たちにとって当たり前のことばかりです。しかし、そんなパラダイムが古今東西すっと続いてきたかと言えば、そんなことはありません。
実際には150年から200年ほど前に、中世ヨーロッパ社会が終焉を迎え、産業革命が起こり、近代という時代が始まりました。
そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、近代という時代が始まりました。そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、今現在、広く世界を覆っています。
私たちの「当たり前」の根源はそこにあるのです。 しかし今、時代は再び大きな転換期を迎えています。
言い換えるなら、近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、あちらこちらで破綻し始めているのです。
これもまた、今起こっている「変化の正体」の一つです。
これまで全地球規模で世界をリードしてきた近代西洋文明をベースとしたパラダイム。
そんなパラダイムが揺らぎ始めた今日、揺り戻しのように世界中で見直されているのが東洋思想です。
今、世の中では「近代西洋思想的な発送」から「東洋思想的な発想」へとさまざまな側面で転換が起こっています。
行きすぎた資本主義が格差社会を増長し、世界中で問題になっているのもその一つの表れです。
物質的充足より、心の充足を求める人が増え、その延長でマインドフルネスや禅仏教が世界的に流行しているのもその一つ。
あるいは「所有よりもシェア」という意識が広がり、シェアビジネスが増えているのも、東洋思想的アプローチの一側面と捉えられます このように今さまざまな側面で東洋思想への揺り戻しが起こっているのです。
もちろん近代西洋文明のすべてが悪いというわけではなく、
あくまでも「西洋と東洋の知の融合」が求められ、そうした動きが世界中で起こっているということです。
世界のトップリーダーたちはなぜ東洋思想を学ぶのでしょうか。
もちろん単なる教養として学んでいるのではありません。
時代を読み解く切り口として、あるいは新しいビジネス発想を持ち得るための思考の源泉として、彼ら、彼女らは東洋思想を学んでいるのです。 ヨーロッパ中心主義(ヨーロッパちゅうしんしゅぎ)とは、本来は地球上に数ある諸文明の一つに過ぎない欧州文明を格別のものとしてみなす考え。
欧米文明を西洋としこれ以外の文明を全て東洋とすることなどはその一例とされる。 ヨーロッパ中心主義は、15世紀から17世紀の大航海時代に始まる。当時の文化的先進地域であったインドや中国、
中東と比べ経済的発展が遅れていた欧州諸国は大洋に乗り出し、アメリカ大陸や東南アジア島嶼部、北アジアなどの植民地化を進め、欧州文化が世界各地に伝播する。
ただし、中東・インド・東アジア・東南アジア大陸部においては在来文明の勢力が強く、当時は欧州文化があまり浸透しなかった。
しかし、18世紀から19世紀にかけて、欧州の経済発展および技術革新の速度は、中国や中東、インドの技術レベルや学問レベルの発展を大きく上回り、技術的、軍事的な欧州の優位が確立した。
中国やインド及びその周辺にも列強(西欧・ロシア・アメリカ合衆国・日本)の勢力が浸透し、欧州文明は世界を席巻する。
この過程で植民地になった諸国では自国の歴史、技術、文化を劣ったものとみなし、欧州文明を普遍のものとする価値観が広まった。 哲学の始まりをギリシャからとし、それ以外の地域の哲学は傍系のものとする。
欧州文明を西洋として、それ以外の文明を東洋としてひとまとめにする。
欧州の技術、科学が全時代にわたって他文明のそれに対して優位にあったと見なす。
欧州文明は合理的であるとし、それ以外の文明は非合理的であるとする。 人気俳優の三浦春馬さん(30)が18日、港区の自宅で死亡しているのが明らかになった。自殺とみられる。
この日仕事の予定だったが、仕事に現れなかったため、関係者が自宅を訪れると首をつった状態で見つかったという。搬送先の病院で死亡が確認された。
気になるのは自殺の動機だ。「変わった様子はなかった」とする証言がある一方、ある芸能プロ関係者はこんなことを言う。
「昨今の芸能人のスキャンダルに対し、マスコミや世間が一斉にバッシングする風潮に疑問を感じていたんですよ。
東出昌大の唐田えりかとの不倫もそう。明らかになった数日後、自身のツイッターで苦言を呈したことがあった」
たしかに、三浦の1月29日付のツイッターには「明るみになることが清いのか、明るみにならない事が清いのか…
どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。
国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…」とある。
ところが、これがネット民の猛反発を呼んだという。 同関係者は「お前は東出を擁護するのか、と。
当時は東出が大バッシング中でしたからね。
逆に三浦が集中砲火を浴びて、けっこう参っていたと聞く。最近も木下優樹菜が引退に追い込まれたし、絶望したのかもしれない」と話す。
三浦さん自殺の一報が流れる数時間前、同じ事務所で親交のある俳優の賀来賢人(31)はインスタグラムのストーリーで以下の投稿をしている。
「人が好きなモノや、一生懸命やっている事を馬鹿にするのなんか超簡単で、否定したり、好きだ嫌いだ言う事も超簡単。
本当に超簡単。靴紐結ぶより。SNSがもっとポジティブになる事を願ってます。」
ファンの間では「意味深だ」と騒然となっている。 学生と大人で自殺の原因は異なり、学生の自殺の引き金となるのは、
1位 いじめ
2位 ネットいじめ
3位 ヒキコモリ(他者からの孤立)
4位 経済的な問題
5位 受験での失敗
6位 就活の失敗という結果。
大人の自殺の引き金になるのは、
1位 病気などの健康問題(精神疾患が最多)
2位 貧困や事業不振、倒産、リストラなどによる経済状況の悪化
3位 家庭問題
4位 職場の人間関係 外国人から見ると日本は先進国で恵まれているのに、なぜそんなにも不幸に感じている人が多いのか疑問を感じるみたい。
「豊かさのハードルが上がっていて、幸せの不感症になっているのでは?」と言われるとなんともいえないけど、男女別の要因では、日本人男性が不幸な原因は間違いなく、世間体の目が厳しく社会的なプレッシャーがあることと、根が真面目すぎて完璧さを求めるから。
「社会人ならこうあるべき」、「男ならこうあるべき」など身内をはじめとする周りの目が厳しく、海外では個人主義なので我が道をいく楽観的な人も多いけど、
日本人は真面目なので一定のレールから外れると生きづらくなり、ヒキコモリを選んだり自ら破滅の道に進む人も一定数いるのが現状。
ほかにも、勤務時間と通勤時間が長く社畜状態なのも、不幸感に拍車をかけている。
しかも、いまの若者は年金ももらえるかわからないため貯金に励み、余暇のレジャーになかなかお金を使えず、
バカンスという概念がないのも気分転換できずに鬱々してしまうことにつながっている 発展途上国は自殺がほとんどないというけど、それは生きるのに精いっぱいだから。生きることに喜びや希望を持てるから。
先進国はすでに物質的に満たされているため、それ以上の希望を見つけにくいのかも…。
自殺をするぐらいなら全てから逃げてほしいと切に思います。 この様に、西洋から発生した現代の文明は、
人は、心と体から出来ているにも拘らず、
あまりにも、
物中心の「 衣・食・住」の豊さを求めて行ったために、
心・心情( 思いやり )、「真・美・善 」の世界が消え、
そして、 ( 物質的、科学万能主義となり、
また、人間が物・道具として扱われ、物に支配され奴隷となり )
人間の 心が荒れ、人間関係の 希薄化・孤立化 が起きたり、
人間を 価値のない物・無力な物 にしてしまいました。
人間は、孤独な寂しい存在 になりました。 その結果、
心〈 心情 〉の世界 や
見えない世界が否定、分らなくさせられ
自殺、離婚、、少子高齢化問題、家庭の孤立化・崩壊、
引き籠り、いじめ・虐待、様々な事件
などの問題を引き起こし、
心の問題 や ストレスに起因した、原因不明の病気、難病、
成人病、癌、認知症 など不幸な病気を、作って来ました。
経済状況も、世界的に悪く、良い方向が見えず、天変地異や
テロ( 宗教戦争 )など、不安が増える一方、となってしまい
ました。
そして、人々は、何が正しく間違いか分らなくなってしまい、
混乱しております 経済の停滞が叫ばれて久しい昨今。「がんばろう日本」「絆」「助け合い」は死語になってしまったのでしょうか。
私たちの社会の暖かさは、どこへ行ってしまったのでしょうか。
2011年3月、困難を抱えた人に共感し、助け合うことによって、この社会は大きな困難を乗り越え、より良くなるのだということを、私たちは知りました。
あれから9年、今日、コロナショックの中で苦しむ私たちの仲間にかけられる声は、大変冷たいものです。
非正規の方々が派遣切りにあっているというニュースが出れば「非正規に甘んじたのだから自業自得だ」という言葉が並び、
舞台俳優やキャバクラの従業員が困っているという話が出れば「今まで好き勝手に生きてきたんだから自分で努力しろ」という声が浴びせられる。本当に冷たい社会になったなぁと思うんです。
なぜこうなってしまったのか。社会に殺気のようなものが漂い、まるで足を引っ張り合うかのような空気に支配されてしまったのはなぜなのか。
私はここ何年かで大きく進んでしまった、この国の競争社会化にあると考えています。 「競争社会にすることでみんなが努力するようになる。」
「いま怠けている人たちは保護されすぎなんだよ。」
「貧しい人は努力しなかったんだから自己責任だ。なぜ税金で助けるんだ。」
最近は、競争を促して「怠けている人」を含めた全員を努力させようという「競争社会志向」が
私たちの間で高まっているように感じます。
あるいは「怠けて努力しなかった人」へのバッシングが頻発するようになったとも感じます。
生活保護バッシングや貧困バッシングがわかりやすい例でしょう。「国は敗者に甘くしてはいけないし、敗者は国に甘えてはならない。
平等を求めるのではなく、勝った人には甘く、負けた人にはさらに厳しくしてこそ、みんなが努力するようになる。」
そうした競争社会の主張が、本当に多くの方に支持をされているのです 社会のせいにして自分を変えようとしない姿勢が間違っているのさ まりあもこんなところに張り付いていないで運動なり勉強なりしたらどうだ? 競争社会化は実は日本を良くしない
競争社会化は逆効果だとすら思います。
一方は車で、もう一方は足かせを着けて42.195kmを走れと言われても、後者は走ろうとはしないでしょう。明らかに勝てませんから、走るだけ無駄だと思うはずです。
あるいは、生まれつき足かせをつけていれば、走り方すら知らないかもしれません。しかし、今の日本はこれです。
もし、競争を始めたいのなら、ただ単にスタートの乾いたピストルの音を鳴らすのではなく、その前に平等なルールを整え、
私たちをスタートラインにしっかりと立たせるのが先です。
全員に走り方を教え、走る道具を与え、少なくとも走る意義を見出せる状態にしてから競争をはじめるべきでしょう。
そうすることでどっちも努力するようになるからです。 勉強も運動もろくにできないようなのに
国をよくできると思うことそのものが間違い 私はいまの日本をサバンナに見立てて「弱肉強食社会」と揶揄しています。この状態で努力を求めても誰も努力しません。
サバンナではシマウマの子は当然シマウマであり、ライオンの子は当然ライオンです。
さあ、ここで自由に競争してくださいと言っても答えは見えています。シマウマはライオンに食われるでしょう。
シマウマがライオンを上回って食物連鎖の頂点に立とうと努力するかと言えばしないでしょう。それはできないからです。
一方のライオンも、シマウマに自らの地位を奪われる危険はありませんから、何らかの努力もしないでしょう。
このシマウマとライオンからなる競争社会(弱肉強食社会)では誰も状況を変えるための努力をしていないということになります。日本はこれです。
「誰だって努力すればなんにでもなれる」などといって、野口英世だの田中角栄だの、様々な例外を持ち出してくる人がいますが、基本的には前述の通り、
シマウマの子は今もシマウマであり、それを覆すことも、覆そうと思うことも日本では難しいのです。
野口さんや田中さんは私のように、絶望を脱する奇跡にたまたま巡り会えたにすぎません。 スピリチュアルや宗教とて
結局は強者が弱者から搾取するためのしくみに過ぎない やるべき事を間違えていないか?
私は競争そのものは否定しません。確かに、それは人々を努力へと駆り立てるものです。
しかし、それはそもそも努力できる環境や、努力すれば誰でも競争に勝てるという状況を作って初めて人々を駆り立てるのです。
私たちは、サバンナの、乾いた風が吹いて殺伐とした弱肉強食社会のなかで競争を主張するような無意味なことは、今すぐやめるべきでしょう。
私たちがまずはじめにやるべきなのは、競争を強化することではなく、人々を競争の舞台に立てるように支え、努力できるようにすることなのです。
確かに、子どもたちを親から切り離して、みんな同じ条件で育てることも、みんなの性格や生まれもった才能を均一にすることもできません。完全に平等なスタートラインなど不可能です。
でも、だからといって何もしない訳にはいきません。私たちには、できることがまだあるはずだからです。
一人親家庭で、養育費が払われず、困っている親子に、私たちはまだ何かできるはずです。
家計を気にして、就職しようとしている高校生の少年に、夢を諦めさせない方法がまだ何かあるはずです。
将来はどうにもならないからと、勉強をあきらめている子ども食堂の少女に、私たちはまだ何かできるはずなのです。
「怠け者」と突き放すのではなく支えてほしいのです。完璧な目標の達成が難しくても、それに近づけば近づくほど、社会は良くなるのです。
本当に意味のある競争社会の実現のためには、まずそれしかありません。
ひとりがみんなのために、みんながみんなのために支えあって、結果的に支えた側も支えられた側も幸せになれる。そんな社会を目指しませんか?
足を引っ張り合って社会が崩れてしまうような、弱肉強食の競争社会ではなく、
切磋琢磨して共に向上する、助け合いの競争社会こそ私たちが目指すべき社会なのではないでしょうか。 足が引っ張って社会が崩れるというのなら
社会が崩れても生きていけるだけ強くなればいいだけ 信仰なんて役に立たない
だからアメリカに戦争で負けた 「自己防衛、投資、日本脱出」
これを説いたのが占い師だってのが皮肉 >>294
まぁ貴方の言うように
この世界は弱肉強食で
弱者は嫌でも強者の言うことを聞かなければいけない
戦争に負けて日本はアメリカの言うことを聞くだけの不甲斐ない国に成り下がった
でも全てを周りに合わせる必要もない
日本は日本だけの文明を築いていけるはずです
それが国家です 数十万年前
私達(人間)は意識を持ち
奇妙な世界に居ることに気付いた
https://youtu.be/MBRqu0YOH14 そして原始の人達は
この世界は神様が作ったものだと
考えた
それが世界の始まり
宗教は信じることから始まる けれども科学は世界を疑うことから始まる
科学は世界を解明した
世界は私達の為に造られたのではなく
ただ存在してるだけだった 科学は神様の存在をも否定する
そこから人類の歯車が狂い始める
私達は何の為に存在していて
何の為に生きているのか
世界が分からなくなってしまったのです 世界を分かっていなかったのは宗教を信じていた時代の方
権力者のための嘘を「真実」だと思い込んでいたのだから
その嘘がバレたというだけ >>298
まぁそういうことですね
神は実在しても実在しなくてもどっちでもいい
現代人は心の拠り所が欲しいのです
その為に人間は神や仏を心の拠り所としてきたわけですから >>297
科学は 神を否定などしていないよ。
むしろ 科学は神へ至る道。
科学者は 自分の研究に 様々な制限を荷しているだけ。 >>297
たった今の問題の核心から もろにズレている。
いまさら精神性を説いたところで 説得力は皆無です。 『パパラギ』は、都市人間の机の上の一本の椰子だ。――浅井愼平
(解説より)
現代社会に警鐘を鳴らす歴史的名著。
南海の酋長ツイアビは、はじめてパパラギ(=白人)たちの「文明社会」に触れた驚きを、
島の人々に語って聞かせる。
お金、時間、都会、機械、情報、物欲・・・・・・。
その内容は、深い洞察と知恵、
素朴にして痛烈な啓示に満ちた文明批評として、今なお輝きを失っていない。
豊かさを追い求めてモノと時間を切り刻み、
無辺の闇にたどり着いてしまった私たちが、今こそ真摯に受け止めるべきメッセージ。 ▼本書の内容
*パパラギのからだをおおう腰布とむしろについて
*石の箱、石の割れ目、石の島、そしてその中に何があるかについて
*丸い金属と重たい紙について
*たくさんの物がパパラギたちを貧しくしている
*パパラギにはひまがない
*パパラギが神さまを貧しくした
*大いなる心は機械よりも強い
*パパラギの職業について--そしてそのために彼らがいかに混乱しているか
*まやかしの暮らしのある場所について・束になった紙について
*考えるという重い病気
*パパラギはわたしたちを彼らと同じ闇の中に引きずり込もうとする
著者について
●編著者:エーリッヒ・ショイルマン
1878年、北ドイツ・ハンブルク生まれ。画家を志してドイツ各地を旅した。
1910年頃ヘルマン・ヘッセと知り合い、その東洋への憧れと神秘主義に強く影響されて、
当時ドイツの植民地だったサモアへ旅した。
第1次世界大戦勃発でサモアを追われ、米国に渡り、そこで『パパラギ』を著す。
その後ドイツに帰国し、1957年没。 2020年5月20日に日本でレビュー済み
現代人はものに溢れた生活に慣れきっている。
人間があたかも世界の支配者たる驕りを認識させてくれる1冊だとおもう。なぜならば、人間はあくまでも自然の一部でしかないのに、それを忘却することにより多くの自然からの逆襲を悟れないでもあるからだ。
ウィルスによる攻撃も、細菌による疾病も、自然破壊から創造して生まれ出でたことなのすらわからないでいる。
つまり、人間は自らを自らのその手で豊かにする半面で、こうしたものを創造しているにも関わらず!わからず終いには大騒ぎをする。
この本のデメリットは、この話をフィクションとして受け取れてしまうことが、唯一の欠点ではないのかと思えるところだ。 2020年04月02日サモアの酋長ツイアビの文明批判。
彼らがキリスト教徒なのが意外だった。白人すなわちパパラギは彼らにキリスト教をもたらし、彼らを救った。
しかしパパラギ自身は神を信じてはおらず、金や物や時間を盲目的に信じ、人間至上主義で生きている。
サモア人たちはキリスト教がもたらされたことで古くからの偶像崇拝を捨て、大いなる心・神に感謝して平和に豊かに生きられるようになったが
パパラギは現世的で金臭い偶像にとらわれ、本当の豊かさや幸せを見失い、サモア人を貧乏だと哀れみながら疲れた顔で生きている。
鋭い文明批判だし、ツイアビの語ることはもっともではあるけれど、今このパパラギと同じ価値観に生きる日本で何ができるだろう。
まずは、与えられたものに感謝することからだろうか。なんだか苦しくなる。 2018年02月11日
サモアの酋長ツイアビが欧州視察の旅で見聞きした白人文化を、サモアの人々に語って聞かせる演説をまとめたもの。
ほぼ100年前の話だが、不思議と現代と何も変わらない。忙しさ、お金、時間、仕事、機械、物欲、家族、住まい、都市・・・。白人(パパラギ)の家には光も風も届かない。腕に機械を巻きつけ、時間ばかりを気にしている。
仕事を一つ覚え、一生その仕事から離れず魚も取れなければ畑を耕すこともできない。自然のままに生きてるサモアの人々から見ると、白人の生き方は不思議で危険なのだろう。 2018年11月29日
白人が作り上げた文明世界こそ進んでいて、島々で暮らすような未開発な土地で暮らす人々こそ遅れている。
一般的な認識はそうだ。
しかし、ツイアビ酋長は全てが魔法のような文明世界を目の当たりにして、その暮らしを羨むどころか、悲観した。
文明、科学が発達したことにより、物質的豊かさは手に入れたが、それと引き換えに精神的豊かさを失った白人世界。
物質的豊かさは無いものの、精神的に豊かに暮らしている未開発な土地に暮らす人々。
本来人間というものは自然の一部である。
自然、神とつながっているのが本来の姿。
そのつながりを自ら断ち切っていく白人の生活を見たツイアビの言葉は、現代社会を生きる僕達に考えさせられるものがある。 14 名前:名無しヒーリング[sage] 投稿日:2020/07/27(月) 16:11:09.91 ID:gVO8oIJc
スピリチュアル、特に地球の代表ヅラして偉そうに説法説いとる霊能者やその信者どもに求めることー!
科学や文明の発展・成果の恩恵(電気・水道・インターネット・三権分立・民主主義・スーパー・コンビニ・印刷)だけもらって
その尻馬に乗りつつ楽して自分たちの手柄にしようとするのをやめてほしい
スピリチュアルと言いつつ、地上の人間たちが研究・発展を重ねてきた経済・科学・心理学などに比べても、
天と地ほどの差があるくらいあからさまに時代遅れな現実逃避的で選民思想的な精神論のレベルを未だにドヤ顔で語ってるっていう、
井の中の蛙の裸の王様っぷりに早く自分たちで気づいてほしいということ。
もっと地上の社会人・経済人たちの、苦労やメカニズムを理解しようとする努力を少しは見習って、いいかげん人類の成長の足を引っ張るのを本当にやめてほしい。
彼らには荷が重いか… 教団それぞれが優位性を主張し合い、より権力を充足しようとすると、中身よりも名目のみがふくらみ続け、信者のレベルはかえって堕落する。
今日の宗教嫌悪がそれを物語っている。
高度経済成長が始まった頃からは清貧・修行・自戒という古来の宗教は姿を消し、いかにして大衆におもねり、だまし、カネを吐き出させるかに努力が集中した。
たとえば信者を作り出す方法として、@気安く読ませろ A不安をつくり出せ Bもっと依存させろ Cいろんなご利益を強調しろ Dここだけが本物 E救済に時間制限をつけろ、
といったさまざまな搾取戦略が考えられ、こうした戦略にもとずいて信者を堕落させる宣伝が行われてきた。
道徳もなにもあったものではない。 目的地に早く着くことが、
たいした得になるわけではない。
ぶらぶら歩き、さまよう楽しみを、
私たちを迎えてくれる、
しかも思いがけない目標に出会う喜びを、
彼らはすっかり忘れてしまった。
かしこいサモア人なら、暖かい光の中で手足を伸ばし、何も考えない。
頭だけでなく、手も足も、腿も、腹も、からだ全部で光を楽しむ。
考えるということは、道をふさいでどけようもない、
大きな熔岩のかたまりのようなものだ。
パパラギという人間の中では、
欲望と精神が敵意を抱いて対立しているようだ。
彼らは、くだけてふたつに割れた人間だ。
考えるという重い病気が、彼らを襲っている 白人の世界で1人の人間の重さを測るのは、気高さでも勇気でも心の輝きでもなく、
1日にどれくらいたくさんのお金を作る事ができるか?どのくらいたくさんのお金をしまっているかである。
ギラギラ光り、ピカピカ輝き、しじゅう色目を使って自分を目立たせようとしている白人の物は、体を美しくしたとしても、
その目を輝かせた事もその心を強くした事もない。
私たちの言葉に「ラウ」というのがあって、
これは「私の」という意味であり、同時に「おまえの」という意味でもある。
白人はいつも早く着く事だけを考えている。早く着けばまた新しい目的に呼ばれる。こうして一生休みなしに駆け抜ける。
同じ仕事の繰り返しほど人間にとって辛い事はない。
教養のある人間になにか質問するとしよう。
おまえの口がまだ閉じていないのに、彼はお前を目がけて答えを発射する。彼の頭にはいつでも弾がこめられていて、いつでも撃てるようになっている。
どのヨーロッパ人も、自分の頭をもっとも速い銃に仕立てる為に、その生涯の最良の時を費やしてしまう。この考え病を治す方法は、忘れる事、思想を投げ捨てる事である。
私たちは、からだをいっそう強くし、心をいっそう楽しく快くすることでなければ何もしてはならないし、する事は許されない。
神様の光とは、互いに愛し合い、心にいっぱいのあいさつを作る事。 パパラギは、「金」にとらわれている、
パパラギは、「時間」にとらわれている
パパラギは、「自分」を中心に考えている
パパラギは、「欲」に目が眩んでいる
パパラギは、「自然」をないがしろにしている
パパラギは、「神」をないがしろにしている
過信
勘違い
思い上がり
ゆがんだ価値観 A新聞という“まやかし”(「まやかしの暮らしのある場所について、束になった紙について」)
パパラギはまやかしの中で暮らしている。そこでも顕著なものは、情報が束になった紙、「新聞」である。
新聞は沢山の情報を提供し、その場にいずとも何が起こったのか知ることが出来る。だが、この新聞は2つの弊害をもたらす。
まず、多くの人が共通した情報を知るため、人とのコミュニケーションが減る。
ほとんどは既知のことが増え、それを繰り返すだけになるからである。自分の目で見ずに、他人から聞いたことがあるだけの情報では人の心を動かすことができない。
そして、新聞は自身の考え、それも莫大な量の情報を人に送り出す。それをパパラギは前日の情報をも処理できぬまま、頭に詰め込む。次第にパパラギは消化不良に陥り、“まやかし”に追われ、それが真実だと考えるようになり、
思考を止める。
これは新聞だけでなく、情報に溢れたインターネットにも共通したことだと感じ、情報を詰め込むだけでなく、
時に立ち止まって自分で思考することも忘れてはならないと思った。たまには本を読むことを止めて旅に出るのも悪くないかも。 B「考えるという重い病気」(p132〜)
村長がパパラギに対して疑問を感じたことの中で、一番私が衝撃を受けた話。村長たちにとっては、パパラギが“考え続ける”こともおかしいというのである。
パパラギは考え続けることに慣れ、常に思考することを好む。旅行の際にも、この次はどうなるのだろうか、と考え続ける。
だが、これでは心ここにあらずで、旅行していないのと同じであると村長は言う。
パパラギは考え、それを書物に書き溜め、次世代にも受け継ぐ。思考することは良いが、同じ思想を詰め込むことになってはならない。詰め込むだけにならないためには、「忘れること」も必要である。
だが、パパラギは思想を捨てることができず、詰め込み過ぎて病んでしまった。適度に忘れる。覚えることが善とされた我々が、
それを大切だと感じるにはどうすればいいのだろうか。
全体を通して先進国に住む人間にとっては感じることの多い本だった。勉強する、詰め込むことがすべてではない、だとすればどうしていくべきか。
詰め込むにしてもいま詰め込んでいることは本当に必要なのか。自問自答するいい機会となった。 >>312
科学の発展 経済の発展が人類の成長だと思ってることが思い上がりで
傲慢極まりないことですね
それは先住民の文化を破壊し
蹂躙し植民地支配をした白人達と同じ考え方です
自分たちの文化こそが優れているという傲慢な考え方です ホピ族の予言
神に導かれ現在の地にホピの人々がやってきた際、大精霊から告げられた予言が「ホピの予言」として知られている。
現在から未来にかけての予言は「世界は今物質への強欲のためにバランスを失っており、このままでは世界は終わる」という警告であった。正しい道を選べば発展の道が残されているという。
おおよそ100年前に描かれたロードプランと呼ばれる岩絵には二つの道が記されている。
下の道はホピの道と呼ばれる謙虚につつましく生きる道、上の道は欲望のまま生きる道である。人類がホピの道を選んだ場合、未来永劫に豊かで幸せな道が続いている。
しかし人類が上の道を選んだ場合、ジグザグ線で示された混乱の道を歩み、その先はない。 あのなぁ
筋肉が使わないと衰えるように
脳だって使わないと衰えるんだよ
考えるのをやめるな >>324
考えることは悪いことだとは思いませんが
考え過ぎることがいけないとサモアの酋長は言ってます
何より考え過ぎれば脳が疲れてしまいます
絶えず思考を張り巡らせることが危険だと酋長は言ってるわけです
我々は既に西洋的な価値観に汚染されている為に絶えず思考を張り巡らせるのは高尚なことだという思い込みを持ってます 夫(36)に向かってボーガン(洋弓銃)を発射し、包丁で切りつけて殺害しようとしたとして、
神戸市兵庫区の集合住宅に住む無職の妻(33)が26日、兵庫県警に殺人未遂容疑で逮捕された。夫はけがをしたが、命に別条はないという。
【写真】殺人未遂事件のあった集合住宅付近
兵庫署の発表によると、妻は26日午前5時50分ごろ、自宅で就寝していた夫に対してボーガンを発射し、さらに首を包丁で切りつけたりした疑いがある。
ボーガンの矢は夫の頭近くをかすめただけで命中しなかった。事件後、妻は自ら「夫を刺した」と110番通報したという。
捜査関係者によると、妻は「新型コロナウイルスの影響で失業し、いらいらしていた」と供述しているという。さらに、6月に兵庫県宝塚市で家族ら4人がボーガンで襲われ死傷した事件から発想したなどと述べ、「ボーガンは殺害するために購入した」と話したという。
県は宝塚市での事件を受け、ボーガンの所持・販売への規制を強める条例案をまとめ、近く定例県議会に提出する予定だ。
現場は神戸高速鉄道新開地駅から北西約3キロの住宅街。 >>324
たまには考えるのを止めて
太陽の光をいっぱい浴びて転た寝するのも気持ち良くて良いものですよ ・肉食脳って?
肉食脳は目に見えるモノがこの世の全てと思い込む。・・物 金 外見
西洋脳・・・「微視的」「具象的」「物質」
東洋脳・・・「全体的」「抽象的」「精神」
'90年代から"イケメン""茶髪""美白"などがもてはやされ出したのも
実は食肉消費と西洋化に関連している。
本来の日本人はこれほど外見にはとらわれない。 日本画…抽象的 西洋画…写実的
アレルギー <=免疫抑制剤で制御
がん <=抗がん剤で叩く
外ばかり見るのが西洋医学。
東洋医学では万病は内側からと言って体質(原因)を相手にする。 自由がなければ善も悪もない
北朝鮮で核兵器作っている人も家族を養うためにやむを得ずしているのかもしれないし
宗教は善悪を教える前にまずは人を自由にすべき
働かなくても生きていける世の中を作る事が神のご意思なのだよ 死は生命にとって最高の発明
これは、11年10月に亡くなったアップル創業者スティーブ・ジョブズの言葉である。
製品の外装だけでなく、内部のマザーボードにまで美しさを求めたジョブズは、チップや回路をもっとシンプルで魅力的な配置にしたいと考えた。
技術者たちはマザーボードをのぞく者など誰もいないと反論したが、これに対しジョブズが放ったのがこの言葉であった。
製品の本質を重視する彼の精神は、禅の一派である曹洞宗の開祖・道元の教えに通じるところがある。
たとえば道元の教えを弟子たちがまとめた『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』(岩波文庫など)には
「実徳を蔵、外相を荘(かくしてかざらず)」(内面をよくして外面を飾らない)という言葉が出てくる。 実際、ジョブズと禅には深い結びつきがある。
彼は青年時代から禅と接し、曹洞宗の僧侶である乙川弘文(おとがわこうぶん)老師に師事していた。
カウンターカルチャーが全盛を迎えた1960年代から70年代前半、海外の若者たちは物質万能主義に疑念を抱き、
精神世界に関心を向けた。ジョブズも、72年に大学に入ると東洋思想に傾倒していく。
なかでも仏教や禅には強い影響を受けた。
後年彼が語ったところによれば、「具象的思考や論理的分析よりも直感的な理解や意識のほうが重要だと、このころに気づいたんだ」
(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズI』講談社)という >>331
現実には、宗教コミニティーは一部の権力者を肥えさせる為のコミニティーだけどな
下っ端の資産を吸い上げ0にして組織に依存させ、後は働かせては金を巻き上げる。
下っ端信者が塩飯食いながら「幸せです〜」とか言ってる間に、教祖は巻き上げたお布施で
A5ステーキをガバガバ食う。
信者と書いて儲けとは良く言ったもんだよ。 物質文明に生きてると自分一人で生きてるような感覚に陥る
これはとても危険なことだ ・肉食脳って?
肉食脳は目に見えるモノがこの世の全てと思い込む。・・物 金 外見
西洋脳・・・「微視的」「具象的」「物質」
東洋脳・・・「全体的」「抽象的」「精神」
'90年代から"イケメン""茶髪""美白"などがもてはやされ出したのも
実は食肉消費と西洋化に関連している。
本来の日本人はこれほど外見にはとらわれない。 日本画…抽象的 西洋画…写実的
アレルギー <=免疫抑制剤で制御
がん <=抗がん剤で叩く
外ばかり見るのが西洋医学。
東洋医学では万病は内側からと言って体質(原因)を相手にする。 「考えるという重い病気」(p132〜)
村長がパパラギに対して疑問を感じたことの中で、一番私が衝撃を受けた話。村長たちにとっては、パパラギが“考え続ける”こともおかしいというのである。
パパラギは考え続けることに慣れ、常に思考することを好む。旅行の際にも、この次はどうなるのだろうか、と考え続ける。
だが、これでは心ここにあらずで、旅行していないのと同じであると村長は言う。
パパラギは考え、それを書物に書き溜め、次世代にも受け継ぐ。思考することは良いが、同じ思想を詰め込むことになってはならない。詰め込むだけにならないためには、「忘れること」も必要である。
だが、パパラギは思想を捨てることができず、詰め込み過ぎて病んでしまった。適度に忘れる。覚えることが善とされた我々が、
それを大切だと感じるにはどうすればいいのだろうか。
全体を通して先進国に住む人間にとっては感じることの多い本だった。勉強する、詰め込むことがすべてではない、だとすればどうしていくべきか。
詰め込むにしてもいま詰め込んでいることは本当に必要なのか。自問自答するいい機会となった。 スピリチュアル、宗教、特に地球の代表ヅラして偉そうに説法説いとる霊能者やその信者どもに求めることー!
科学や文明の発展・成果の恩恵(電気・水道・・ガス・インターネット・三権分立・民主主義・農業革命・スーパー・コンビニ・電車・印刷)だけをもらってるくせに、
その尻馬に乗りつつ楽して自分たちの手柄にしようとするのをやめてほしい
現代の経済や文明におんぶだっこで、電化製品や印刷技術やインターネットや貨幣経済を使い甘えながら戯れ言を吐くなということ
通俗スピ本からパクった浅い思想で現実逃避的な観念論に逃げるなということ
もっと地上の社会人たちの、苦労や問題を解決しようとする努力を少しは見習って、いいかげん人類の成長の足を引っ張るのを本当にやめてほしい。
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