狂った物質文明と人の心
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こうした「物質文明と精神文明の対立」という煽りかたは、キリスト教文化圏で生まれたものであり、 キリスト教的な価値観で現世を否定するものでしかない。 「人類はオッペケペーとズビズバの対立した社会で生きてる」と言っても、 「そのオッペケペーとは何なんだ」としかならないが、 我々は既にキリスト教的な価値観に汚染されているので、 「そうだ、物質文明とは悪なんだ」と騙されてしまうわけだ。 争いは対立から生まれる訳だが、 かの邪教は、対立を植え付けて争いを煽りながら、平和を唄って来た訳。 この悪魔の呪縛こそが人類の抱える宿痾であり、 人類の敵となって久しい共産主義もまた、このキリスト教の亜種に過ぎない。 (^。^)そして世界はキリスト教的正義対共産主義という悪夢の世界へと。(笑) 日本弁護士連合会のサイトの中に 「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」 https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/1999/1999_13.html という日弁連が出したPDFファイルがある (1999年3月26日) 内容は、法律家の立場から、今なお問題が多い霊感商法に対して一つの意見を提言する、というもの なかなか興味深い資料ですな 人は、物質的な豊かさ、幸せを求めて 来ましたが ・・・ 1 産業革命( 資本主義 ) ● 人の考え方・行動を、ベルトコンベア式、単一的、機械的にし、人を製品化しています。 人間の個性、自由性、精神性が認められない。 社会のシステムに合わない者は除外され、人間の差別化が起こる。 人間関係の軽薄化。 家庭破壊。 現代の「 姥捨て山 」現象の出現。 産業革命は、必要なものですが、 その取り組みに、失敗したのです。 「 弱肉強食 」( 権力・知識 )が支配する社会となる ネットの発達 人間関係の軽薄化 いじめ パワハラ 暴力 人と人との貶し合い 差別 仕事のストレス 勝ち組負け組 競争社会 子どものころから勉強,受験,上を目指せという教育を受け, 物質文明至上主義の中で育って ... そのあまりの変化に人間の心がついていけていないのです 現代人は、現状に感謝できず欲望が暴走しているとよく言われていますね。 こうなる原因はいろいろとあると思いますが、物質文明の発達による人間関係の希薄化がひとつの原因だと考えています。 野生の動物たちがそうであるように、 またかつての人類が長い間そうであったように、 本来の大自然で生きるということはとても過酷で、お互いが心を通わせながら、 助け合ったり、分け合ったりして生きていく必要があるのです しかし現代は、家電、コンビニ、インターネットなど便利なものがあり、 交通やインフラなども整備されているので、人と中身のある交流をしなくても生活が成立してしまうのです。 そして、これが「ひとりでも生きていける」という錯覚を生み出し、感謝をしなくなる原因になるのだと思います。 物や環境さえあれば一人でも生きていけるような社会が形成されてしまえば、 それを満たせるお金や地位に執着してしまう。また、 心の隙間を埋めるかのように欲望が暴走してしまえば自分のことで精一杯になり、周りのことも考えなくなる。 そしてつながりに感謝することをしなくなる。 権主義に走る人、犯罪を犯す人、精神を病む人が増えていますが、 このような人間関係の希薄化が原因となっている場合もあると思います。 そういう人ほど、「自分のことを分かってくれる人はいない」と言いますが、 とても危険だと思います。より人間関係が希薄化していくのです。 松下幸之助さんの言葉をシェアします。 『きょうこのごろの世の中、心のぬくもりの何とうすくなったことか。 頭がよくて、口先が巧みで、理が立って、それでなお寒々とした心の気配しかつたわらない人の何と多いことか。 そうした人と人との交わり。そこには、ジーンと胸にひびく感動もなければ、互いに募い寄る情感も生まれてこない。感謝の心がないのである。 ありがたく思う心がうすれたのである。米一粒にも天地の恩を感じ、人の情けに涙したあの日本人の心のぬくもりはどこへ行ったのであろう。 音もなく崩れゆくこの日本人の心を、慄然とした思いで省みたい。このままでよいのかと問いかえしてみたい 人の暖かみ全て奪われ、隠されてしまい、無責任な利己主義・個人主義の、人を信じられない、孤独な冷たい社会を作ってしまいました。 人間関係が壊され、私達が喜び・幸せに生きて行く上で、一番大切な根本となる家庭・夫婦関係を崩壊され、少子高齢化社会、未来のない、夢のない、希望のない社会を作り上げてしまいました。 将来の夢・希望・生き甲斐を奪い、悲観的で、「 どうでもいいや 」と焼けっぱちに成る社会、犯罪の横行する社会にしてしまいました この様に、西洋から発生した現代の文明は、 人は、心と体から出来ているにも拘らず、 あまりにも、 物中心の「 衣・食・住」の豊さを求めて行ったために、 心・心情( 思いやり )、「真・美・善 」の世界が消え、 そして、 ( 物質的、科学万能主義となり、 また、人間が物・道具として扱われ、物に支配され奴隷となり ) 人間の 心が荒れ、人間関係の 希薄化・孤立化 が起きたり、 人間を 価値のない物・無力な物 にしてしまいました。 人間は、孤独な寂しい存在 になりました。 その結果、 心〈 心情 〉の世界 や 見えない世界が否定、分らなくさせられ 自殺、離婚、結婚、少子高齢化問題、家庭の孤立化・崩壊、 引き籠り、いじめ・虐待、様々な事件 などの問題を引き起こし、 心の問題 や ストレスに起因した、原因不明の病気、難病、 成人病、癌、認知症 など不幸な病気を、作って来ました。 経済状況も、世界的に悪く、良い方向が見えず、天変地異や テロ( 宗教戦争 )など、不安が増える一方、となってしまい ました。 そして、人々は、何が正しく間違いか分らなくなってしまい、 混乱しております 狂った物質文明?笑わせないでよ gapminderでググりなさい 人類を進歩させてきたのは紛れもなく物質文明 精神の豊さの名の下に物質文明の発展を捨ててはいけない 宗教の創始者たち(イエス、ブッダ、老子)は、 宇宙の本質とは何か、 精神的な本質とは何か、 現実の本質とは何かについては、 それぞれ独自の考えをもっていて 相いれなかった。 しかし、道徳的な教えに関しては、 彼ら全員が一致している。 たとえば、物質的な富の追求は 間違った目的であるという解釈である。 また、没我性と他者への愛を持つことこそが、 人生における幸せと成功の鍵であると 口をそろえていっている >>15 あなたもgapminderでググる必要がありそうね 食べるものも無いような人間がいるのは問題かもしれない しかしそういう人間が求めているのは食べるもの及びそれを得る手段であり 心の救いでは無いのだ 貧乏とは何か? レオナルド・ダ・ヴィンチ 私を軽蔑するな 私は貧乏ではないからな やたらと沢山のものを欲しがる者こそ貧乏なのだ 貧乏とは物質的に金銭的に足りてない者のことではなく 何でも欲しがる者のこと つまり心が貧しい者のこと 貧乏でも満足している人間は金持ち、それも非常な金持ちです。 だが、金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、 冬枯れのようなものです。 シェイクスピア著 『オセロー』 生活に“必要なもの”が揃っていれば、それは“金持ち”です。 しかし、それ以上の“快適なもの”を揃えている大金持ちが他にいると、とたんに “貧しい者”になってしまいます。 資本原理主義の中では、生活に“必要以上”のものを持って初めて“庶民”であり、 “必要過剰なもの”を持って初めて、“金持ち”になります。 搾取する側とされる側、気味の悪い勝ち負けが明確に色分けされた 場所で、自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさは漂うのです 物質的豊かさを蔑ろにして精神だけ豊かにしようとしても かえって精神の余裕を失う本末転倒な結果になるだけだ 実際これからの時代は、“勝ち組”“負け組”の二極化が進み、勝ち組は共食いを始め、 負け組は自殺者が急増するという予想もされています。 年収3000万円以上、資産1億円以上あって、初めて“中流”“小金持ち”とみなされるようです。 日本の平均年収約700万円、 その弱肉強食の社会では、我利我利(ガリガリ)と他との競争で勝つことだけが美徳とされ、共利共存の“弱きをたすけ”という情けを持つ余裕すら許されないでしょう。 そして必要以上のものを求めて、今の自分を必要以下に見てしまうところに、“心の貧しさ”はやってきます。 心の貧しい人ほど、外見や容器や量ばかり気にして、肝心の“中身”に意識が向きません。 某テレビで“幸せ”について語っている某占い師の身につけた何百万円もする装飾品の数々は、逆にその寂しさと貧しさを語っている気がします。 大切なこととは、自分にとって必要なものが何であって、今、苦しくとも自分を楽しませる気持ちがあるか? だと思うのです。 1000円、100万、1000万、10億、100億、1000億円…。 いったいいくらあれば、人は必要量を満たし満足するのでしょうか? 「10億円くらいあれば“ラク”に暮らせるだろう」…、何のために“ラク”である必要があるのか? 本来ならば、10億円投資しなければ達成できない“夢”があって、初めて設けることのできる基準のはずです。 “楽しい”人生と“ラク”な人生の間には、 “死ぬほど生きる”と“死んだように生きる”くらい、かなりおおきな差があります。 年収も、偏差値も、環境も、外見も、結婚相手も、将来も、子供も、“平均”以上でなければ庶民にもなれないという考え方こそ、 “貧しい”ことだと思うのです。 不足感故の、見栄という名の満足の“虚構”…。 電気も通らない学校にも行けない そんな生活を人類に強要するつもりなのか? 私の思う“豊かさ”の基準は、 「好きな時に、好きなことを、好きなだけ行える自分」があることです。 金がない、自信がない、好きなことがない…そう思い込むとき、本当に自分が貧しく感じます。 なぜなら、お金も自信も好きなことも、実は自分で創り出せるものであるからです。 たとえ状況を変えることができなくとも、「だからダメ」ではなく、 「だからこそ」と、自分の心の状態を楽しませることはできるのです。 お金を持っているからといって偉いわけじゃない、お金の遣い方を知っている人、 その品格・態度を持っている人が偉いと思います。 豊かさとは、人と比べた相対的なものでなく、自分の中にある“絶対的”なもので決まります であるのならば回線を切れ 5chだって物質文明の産物だ >>24 >>25 貴方の言ってることは分かります けど物質文明だけでは足らないのです 精神文明をベースにして考えるべきです 電気が通らない学校にも行けないまともな水も飲めない そんなんで心は豊かですだなんて 言いたくもない 勝ち組負け組の問題だって必要なのはよりよい富の再分配の仕組みであって 精神的な救済ではない 日本が世界一貧しい国であることについて ロンドン在住、元国連職員の著者が見た 「日本は世界で"かわいそうな国"だと思われている」衝撃の現実。 若者の自殺、「社畜」的働き方、「人付き合い地獄」の社会、 「みんなで不幸になろう」という足の引っ張り合い、 グローバルな人材なんて育つはずもないおかしな教育、何でも人任せで自分で考えない「クレクレ詐欺」。 空気を読み過ぎて「セルフ洗脳」に陥る日本人たち。 こんな日本人の「貧しさ」を、世界の現実と対比させながら問いかける。 『自分が日本でかかっていた洗脳。 競争しなくてはいけない、 家族や友より仕事、進歩は偉い、田舎はださい、自販機とコンビニは重要、電車とバスは定時でなければいけない、 痩せてなければいけない、 群れなければいけない、流行は追わないといけない。どれも自分を不幸にしていた。』 負け組が精神的な救済の名の下に自らの状況を飲み込むようになってしまったら 余計格差が広がるだけだ むしろもっと強欲でもいいぐらいだ 法律の範囲内でだが 人の幸せは、心の持ち方次第です。もし物質文明が幸せをもたらすなら、私達はとっくに幸せになっていなくてはなりません。 しかし物質文明(科学文明)が進んだ今日、かえって心の不安が高まっているではありませんか?。 後進国の人達が物質文明に取り込まれるに従い、精神的苦しみや自殺や鬱、 ストレスが増大しているのはその良い証です。 心の病が多くなっているということは、その文明が誤った方向へ進んでいる証しなのです 勿論、物質文明にも意味はあります。でもその意味を知った暁は、一日も早く物質文明から卒業しなければならないのです。 キンピカ、キラキラ、天にも届く高層ビルが建ち並び、その間を縫うように高速道路が走るといった文明は、 その限りであることを知って下さい そもそも世界を悲観的に見すぎである ファクトフルネスを読め 人間どうしても華やかなものに目が行きがちですので、物質文明が栄えるのも止むえぬことかも知れません。 しかし大人になってくると、感性や本性が騒ぎ出しますので、精神的なものを求めたくなってくるのです。 人類は今物質文明に酔いしれていますが、やがてその儚さに気付き、 精神文明に大きく舵を切るようになるでしょう 先進国/後進国 の分け方自体が古い 自分達が物質文明によって どれだけ豊かになったか意識するだけで かなり幸せにはなれるはずだ 精神文明とは、人の本質、精神、幸せ、宇宙の本質を詳らかにして真の喜びを発見し、 その喜びに少しでも近づこうとする文明です。つまり天の利を地に降ろし、 天の幸せに劣らぬ幸せを地に開花させる文明です。 私達は幸せを勘違いして捕らえています。幸せは肉体が感じるのでしょうか?、 心が感じるのでしょうか?。心ですね。 ならば心に平安をもたらす文明こそ、真の文明ではないでしょうか?。 確かに便利さや快適さをもたらす物質文明は、心を喜ばす条件の一つではあります。でもいかに良い条件が整っても、 心に悩みがあっては真の幸せを掴むことはできないのです 金があれば本も読めるし映画も見られるし音楽も聞けるしゲームだってできるのだ それで不満か? 物質文明は幸せを獲得する一手段ではありますが、目的では無いのです。 それに対して精神文明(真の自分を知る文明)は、幸せ得る目的そのものなのです。 なぜなら、真の人間を知らずして精神文明はあり得ないし、真の幸せもあり得ないからです。 昔の人達は不幸だったのでしょうか? そうではありません 今の時代の方が精神的に病んでる人 自殺者が圧倒的に多いのです 物質文明では人と自分を比べた時から 不幸(劣等感)が生まれます 人類が物質文明によって得たのは便利さだけではない 表現方法もだ ボカロなんてその最たるもの 今後も物質文明の発展が新たな文化を生み出すかもしれない なんなら金がなければ受けられない精神医療は 心の悩みだって金で解決できることを示している >>40 お金を払ってまで精神科に行き 医者の食い物にされる 大体精神に異常をきたすこと自体がその文明が間違っていて 人を幸せにしていないのは明白です >>39 そりゃ昔は自殺するまでもなく 人が死にすぎていたと言うだけだ 昔の人間は自然と調和して生きていたのではない 自然に逆らえず死んでいただけなのだ 自殺ガン老衰が目立つと言うことは 裏を返せば他の病気では死ななくなってきていると言うこと なんて幸せな時代だろうか 昔の人や1日1ドルの暮らしをしている人は ほかにコンテンツが無いから信心深くあるしかない しかい1日32ドルの暮らしなら 様々なコンテンツに触れることができるのだ いかなる大義名分があろうと 物質文明の発展を止めようとしてしまえば 待っているのは中世化 共産主義国がそうだし そして日本もそうなりつつある もっと幸せになろうとしてもいいの もっと富を得ようとしてもいいの 物質文明の発展と精神の発展は表裏一体なの 人間の心は物やお金では満たされません 同じく精神的なもの 愛や思いやりが大切です https://happylifestyle.com/41 >幸せになるために必要なのは、物質的豊かさではありません。 精神的豊かさです。 精神的豊かさが大切だということは、あることがきっかけで気づきました。 私の家庭は、比較的裕福です。 私が留学できたことも両親のおかげです。 別の言い方をすれば、お金のおかげです。 私は日頃から、高価な物を買っていました。 それもたくさんです。 物がたくさんあるほど、幸福だと思っていたのです。 そのため、以前の私の部屋には、物がたくさんありました。 しかし、違うことに気づき始めました。 高価な物がたくさんあっても、心からの満足感がないのです >しかし、たくさん物を持たなくても、親しい友達が1人いるだけで変わりました。 すぐ心の中が満たされ、幸せを感じることができたのです。 もちろん物を持つことで喜びを感じることもあるでしょう。 しかし、精神的豊かさは、友達や家族など、人が大切です。 そうした経験があり、私は幸運にも幸せに気づけました。 大切なことは、精神的豊かさです。 本当は目に見えません。 もちろん買うこともできません。 幸せとは、当たり前のことです >友達が優しく話しかけてくれたこと 両親からの教育 友達が誕生日を覚えてくれていたこと 自分のことを心配してくれること 誰かが助けてくれたこと どれもささいなことですが、大きな幸せです。 自分の周りには、すでにたくさんの幸せがあることに気づきます。 それらは精神的なことですから、お金で買えるものではないし、見えるものでもありません しかし、生きるために大切なことです。 幸せになるために大切なことです。 それに気づきましょう。 幸せとは、手に入れることではなく、気づくことなのです。 幸せはそこから始まります。 今、置かれている状態がどれだけ幸せであるかということに、 気づくことが大切なのです 「自分自身が平安である人は、自分のまわりのものすべてに平安を認めます。 本質は美であり、真理であり、平安です。人はそれを醜いものとして、間違ったもの、暴力的なものとして捉えます。 …それだけのことです」 「幸福な人生を送るには、心の平安が必要です。人間の心は荒れ狂うガンジス河に似ています。 心はディヤーナ(瞑想)のような歯止めとなるものを効かせて抑制しなければなりません。ディヤーナとは一点集中です。 心の動揺が人類にあらゆる不幸をもたらすのです。穏やかで健全な人生を送るためには、心の平安を培わねばなりません」 「徳高い道に沿って考え、話し、行動するなら、人の意識は純粋となり、 内なる平安を抱きます。 知識は力である、と言われますが、美徳は平安です」 「快適であるということと平安であるということが混同されています。 快適さは平安と同じものであると受け取られています。 富む者、地位ある者、富豪や権力者は誰も平安を得ていません。 それが真実であることは調べればわかります。平安は、銀行の通帳や部屋数の多い家、倉庫や鉄の金庫の中に見出されはしません。 あなた方の態度はすべてあべこべのものとなっています。それは馬の前に荷車をつないでしまうのと同じ程滑稽なことです。 物質的なことは霊性のあとについてくるものです。心が馬であるのに、それが顧みられておらず、旅に備えて訓練されていないのです」 「単に憎しみを取り除いただけではアーナンダ(平安)を確実にすることはできません。愛をもまた、培わねばなりません」 「シャンティ(平安)は神の特性です。根気と忍耐と寛容をもって正しい 霊性の道に従う者のみが平安を得ることができます」 本当に心が穏やかなのであれば 物質文明が狂って見えないはず あなたがどれだけ幸せか気づくことが大事だと得なら その目線を物質文明に向けたっていい 人々は欲を敵視しすぎているの 幸せや霊性を求める気持ちだって立派な欲 否定されてはいけない 自ら不幸になろうとしてはいけない もっと幸せになったっていい >>54 私は別に物質文明が悪いと言っているわけではありません ですが精神的幸福が第一です 今の物質文明が人類を幸福にしていないのは明白です 精神文明をベースに考えるべきでしょう 人類が不幸に見えるのはそれは多分 それはあなたがどこかで不幸を感じていて それを何かのせいにしたいから 人類はあなたが思っているよりずっと幸福になった もし他にも物質文明によって不幸になったと思う人間がいたとしたら 単にそのことを忘れているだけ 人類は昔より遥かに死ににくく より多く知識や文化を吸収発信できるようになった 霊的知識の交換だって情報技術の発展があってこそ 幸福じゃないかこの物質文明は 知識や権力よりも心の平安が大切です 松下幸之助さんも言ってますが 今の世の中頭が良くて口先だけが巧みで心の薄っぺらい人間が多くなったと嘆いています 20世紀は電話、自動車、機関車、飛行機などの発明 また 20世紀後半はコンピューター、インターネットと 我々の生活そのものを変えてしまう ものが 一般化しました。 第二次世界大戦後生まれの人々にとって はあたり前の生活なのですが 実は このようなものが大量生産されることにより コストが落ち 一般大衆にもいき渡ったという 資本主義の意義のあるところです。 しかしながら、物質 つまり ものを追求するために その交換財である 紙幣(お金)を稼ぐことが目的となってしまい、一部の金融機関関係者を中心とした人たちの横暴が 1929年の恐慌をまねき 、また、今回の「金融危機」にいたっているわけです。この金融危機は 欧米ではすでに「恐慌」にはいっているわけですが、発想の転換が必要です。 「物質文明」から「精神文明」への転換です。 日本国は古代より精神文明の国であったのですが、 敗戦により アメリカ占領政策の基 「物質文明」社会への転換を余儀なくされました アメリカ型資本主義が終焉を迎えたのですから、「助け合う」「困った人がいたら助ける」「お互い迷惑はかけない」など 人と人とのつながりを大切にする社会へ脱皮する機会でもあるわけです。 日本人が忘れているアジア型社会の模範は ベトナムにあります。 彼らは 助け合い、周りの人々に思いやりをもち 生きているのです。 儒教を中心として大乗仏教の国という日本と同じ土壌をもっていいます。 「物質文明より精神文明へ」これがこれからのキーワードです 人と人との調和 人と自然との調和を大切にする和の国であったわけです https://youtu.be/7-jCtx0CLqw >>1 たぶん、物質見ていると 心がわからなくなるから 心は「形が無い=存在しない」とまで言うし ここで「物質文明」とされる現代社会では、カルトの連続テロ実行犯は裁かれたし、首謀者も捌かれたが、 では、 「精神文明」とやらだと、「慈悲でヤったった」なんて屁理屈が通って無罪放免なのか?(笑) 物質としての肉体に囚われたらダメなんだよな?(笑) (^。^)昔の日本でも、そんな理不尽は許されませんよ。(笑) 多くの欧米人がいろいろ観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。 だからこそアメリカ人のモースは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。 欧米では、 裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、 この国では全くそうでないことに驚いたのである。 ●イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは、明治22年に東京で開かれたある講演で、日本についてこうまで言っている。 「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。…その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、 その神のようにやさしい性質はさらに美しく、 その魅力的な態度、その礼儀正しさは、 謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。 これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、 あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。 「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。 この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、 そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、 西洋の人々が彼らの重大な悪徳をこの国にもちこもうとしているように思われてならない」 お金や物に囚われない高い精神性 質素で飾らない素朴な生活と人柄 高潔な民度 当時多くの外国人が感銘を受けました https://youtu.be/fgwAMsxozkI 扇動者による世の中の極端な見方に囚われていると言わざるを得ない 何かに飢えているなら 飢えている事に気付くことは 何も役に立たない たらふく食って食いすぎて 幾らか落ち着いて ようやく飢えている事に 気付くことが役立つ事にもなる 何に飢えているかを 出来るだけ具体的に 明確にすることは 役立つと思うが 好きな事をやること したいことをすることで 十分かもしれない 私はそんな風に思うなぁ 心の飢餓 心の貧困ですかね 現代人が陥っているのは 物質的には満たされているのに 精神を病んだり 犯罪が起こったりするのはそれですね 「1」 メーソンというアメリカ人――1879-1914 彼は神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理で、よりよく現代生活に適し、儒教より内面的、 哲学的、かつはるかに深遠で更に西洋文化よりすぐれていると言いました。 「2」 イギリス貴族のポンソンビー1878−1937 皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。 「3」 元フランス大使のクルーデル 私が決して滅んで欲しく無いと願う世界の中の一つの民族は日本だと 「8」英国人ビッケン名古屋商科大学教授 「キリスト教文化は、科学、哲学、産業革命を生み出し現在の経済中心の世界を作り上げた。だが ユダヤ、キリスト教を中心とする宗教は、闘争に明け暮れて、疲れ果てている。 これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。 自然と人間、人間と人間の調和・共生を求める日本の古神道に帰らねば人類は救われない」 「9」 韓国人 金ワンソプ氏--親日派のための弁明より 「私の個人的な意見を言うなら、日本の神道は人類が作り出した、 もっとも理想的なかたちの宗教だ。」 「10」 フランスのエリート 「十数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。 他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じた。」 「14」 ポルトガル人・モラエス 1854年--1929年 「日本には西洋世界に無い、他人を疑わない人情味あふれる人間関係がある。 平和で優美な日本の環境のとりことなった。」 「15」 フランス作家 オリヴィエ・ジェルマントマ 「日本の霊性に感動した、その霊感から発する日本の文化、芸術、文学を愛し溺愛する。 私は師であるアンドレ・マルローを那智の滝に案内した。その時、マルロー師は叫んだ、滝の中にアマテラスを見た、と。 神聖とは何かを日本でつかんだと話された。神道の中に神聖を体感されたのである。」 「16」 米国オハイオ州 コーイチ・パリッシュ氏 ワシントン州 「神ながら神社宮司」 「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。 神道はわれわれ地球人にとって必要不可欠で「人類の宝」と確信する。」 「17」アーノルド・トインビー トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。 それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。 日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」。 物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っている。 「18」アーノルド・トインビー 昭和42年に来日した歴史学者トインビーは、真っ先に伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、「すべての宗教の基底になるものが伊勢神宮にあると感じ」毛筆で神宮に記帳した。 「19」社会学者エマーソン 「日本の神社、鎮守の森の中に神聖がある・・・・・」 繰り返すようだけど あなたが思ってるほど 物質文明は狂ってはいない もし本当に人の心が狂っているとしたら それは多分失われたウン十年で 物質文明の発展が鈍ったから 正しい未来への希望を見失ってはいけない ある行為が「いじめ」であるかどうかの判定は極めて困難であり、むしろその区別にこだわり過ぎているという指摘もある。 1994年の愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件で自殺した生徒の父は「いじめかどうかは重要ではありません。その行為はいじめではない、と言われたら子供だって安心する。 教職員を含めてみんな面倒なことは避けたくて、いじめではないことを心のどこかで望んでいるのかもしれません。 でも本来は、仲間はずれにされたり、傷つけられたり、『ウザい』『キモい』『死ね』とけなされたりする行為そのものが問題なはずです。 定義が曖昧ないじめという言葉は、教委や学校が責任を逃れるための隠れ蓑になっているのではないでしょうか」と語っている 内藤朝雄によれば、いじめは相手の肉体的・心理的苦痛を快楽的に楽しむことを目的として行われるさまざまな行為であり、 学級など簡単には抜けることのできない集団のなかで、群れた「みんな」の勢いや「自分たちなり」の特殊な秩序を背景として、そのような行為がなされることをいう[8] 教育社会学者の藤田英典も(学校での)いじめを次の4つに分類し、多くのいじめに対する言説が その特性の相違点を考慮していない点を批判している[14]。 モラルの低下・混乱によるもの。1980年代中ごろに頻発したタイプで、被害者が偶発的に決定されるところに特徴がある。 一種のモラル・パニックや集団ヒステリーといえる。 社会的偏見・差別による排除的なもの。1のケースと比較するといじめの対象となった理由(特定の社会的属性を持っていたということ)は明瞭であり、 差別意識自体を取り除く指導をすることがこの種のいじめの対策となる。 閉鎖的な集団内で特定の個人に対して発生するもの。教師など外部から実態が把握しにくいぶん、対策は難しくなる。 特定の個人への暴行・恐喝を反復するもの。3のケースと違って、加害者と被害者の属するグループは異なる場合が多い。 日本のいじめは特に1985年(昭和60年)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い[16]。 いじめによる暴行で重篤な場合は重傷を負わせられる、傷害の結果死に至ったり(山形マット死事件)、強姦されたり (1996年の旭川女子中学生集団暴行事件)、自殺する例もある(1986年の中野富士見中学いじめ自殺事件)。 また、中学生が5000万円も恐喝によって得たり(名古屋中学生5000万円恐喝事件、2000年)、いわゆる問題児(モンスターチルドレン、不良行為少年)による単純な暴力だけでなく、 使い走り(パシリ)をさせたり、「物を隠す」「第三者の物を隠し、被害者に罪をなすりつける」「交換日記で悪口を書く」 「机に花を置き死亡したことにする」「被害者の名前を隠語にして被害者がききかえしても別人のことをしゃべっているふりをする」といった 「心に対するいじめ」もあり、シカト(無視、仲間外れ)などは水面下で行われることから、教師や周囲が気づかないうちに深刻な事態になりうる 子供に限らず、社会人(モンスター社員、クラッシャー上司)においても暴力そのものやパワーハラスメント、 セクシャルハラスメントといった職場いじめが起こっている。上司が部下に対し、職場で陰謀を巡らし、 「自分が悪い」と誤解させる状況を、故意につくられるような不当労働行為や、 責任をとって辞めさせるような状況をつくる不当解雇もある。 いかなる理由があろうとも 物質文明の発展が滞れば 待っているのは中世化 共産主義国がまさにその例 インターネットが普及した現代社会ではネット上におけるいじめ、 ネットいじめも存在する[34]。滝川高校いじめ自殺事件(2007年)では学校裏サイトでいじめが行われていた。 イギリスでもインターネット環境の発達とともにネットいじめが増加している[35]。 アメリカ合衆国、カナダでもネットいじめが深刻化している 物質文明を発展させ 未来への希望を見せることが 周り回って人の心を豊かにする 22歳の若さで亡くなったプロレスラーの木村花さんのツイッターに対し、「やめろ」、「気分悪い」、「消えろ」などと書き込んでいたアカウントが23日午後、続々と削除された。 木村さんは「毎日100件近くの率直な意見。死ね、気持ち悪い、消えろ、今までずっと私が1番、私に思ってました。 弱い私でごめんなさい」などと投稿し、悩んでいた様子を明かしている。著名人からはネットリンチについて批判の声が相次ぎ、BBCなど海外メディアも「ネットいじめがあった」と報じている。 これまで起きたインターネット上の中傷を巡っては、名誉毀損や脅迫容疑などで捜査当局が書類送検するケースがあり、 遺族らが投稿者に対し民事で損害賠償請求を起こす場合もある。 《いわゆる米英流の生活のしみを洗い去り、 皇国本来の国家観に立脚した生活の真義を打ち樹てねばならぬ。 金儲けのための生活、立身出世のための生活、 他人の困苦を顧みず己だけ快楽を得さえすればよいという独楽独善の生活、 精神を忘れ 金や物に捉われた生活、これらは何れも生活の真義を遠く離れたものである》 最近になって世界の識者は,従来の西洋的科学物質文明が一つの限界に突き当たっていることに気が付いた。 現在世界を覆っているさまざまの危機の元凶は, 突きつめると,すべて西洋文明を推進してきたその後遺症であることが分かってきた。 たとえば各種の公害,地球環境の悪化,地域紛争の激化,麻薬,暴力,エイズ,性の乱れなどの社会の退廃など, すべて西洋型文明の当然の帰結とみることができる。今や文明の危機であり,人類滅亡の危機が迫っていることが,誰の目にも意識されるようになった。 それは文明の持つ表の華やかさに幻惑されて, そのそこに潜む悪魔性,野蛮性に全く気がつかなかったからだ。 西洋に対する東洋,物質に対する精神, それらを見直すことが,今起こっている世界の諸問題を解決する糸口となるのではないかと期待される。 そちはどうも心が堅うなっておる わしがほぐしてやるぞい^_^) 物質に起因する文明には限界があります。 その一方で精神性に基づいた成長には限界はありません。 形や重さのある物質には限度が存在します。精神(心)には形や重さも無く、 記憶や思考には限界がなく、精神文明には無限の成長が可能です。 心の思いは身体を離れて自由に空間と時間を駆け巡る事が出来ます。 精神とて脳が作り出しているものだから 限界はあるでしょ 薬や物理的な刺激で感情を操作できるようになれば 精神文明は滅んだも同然 データに形も主さもないが HDDの容量に縛られるようなもの > 薬や物理的な刺激で感情を操作できるようになれば 人間はロボットではありませんよ 人間が動物的存在である以上 精神が狂ってきます 人工物ばかりに囲まれた生活をしていても人間の精神は狂ってきます 自然に囲まれた生活が一番動物的であり人間の精神も落ち着き安定するらしいですよ なんだかんだあんたもブラヴァツキーの末弟子なんだな 王仁三郎は、大本弾圧によって、この世から宗教を根絶する型示しを行なった。 『日月神示』には「教えではなく道でなければならない、今までの宗教は全て潰れる」と示されている。 白峰氏は次のように述べている。 「……お釈迦様が説いたものだとしても、仏教ではないのです。 キリストもそうですが、全部、人間としての在り方、自然との在り方を説いたのです。 本来はみな「道」なのです。 それが学問や宗教という枠に閉じこめられたから、おかしくなったのです」 「神、もしくは仏の存在が自明のものとなれば、私たち人類の一人一人がその摂理のもとに素晴らしい人生を送れるようになるでしょう。 そのことによって、初めて私たちはいかなる精神的苦痛もない平和な社会を具現化することができるようになると思うのです」 「いかなる精神的苦痛もない平和な社会の具現化と言うと……?」 「飢えや、病や、戦争や、差別といった、人間社会に巣くっているネガティブな要素が一切存在しないような世界、 言わばユートピアの実現とでもいいましょうか……」 「つまり、人間にとっていかなる不幸も存在しないような社会を構築するために神の実在を人間が願望しているというわけですね」 >>98 こうした「現代の自由経済社会」を否定する連中は、 全て共産主義に操られてる人形でしかなく、 「世界の識者」なんてものではけっしてあり得ない。 ちっぽけな自己満足の為に人類の歴史を歪めようとする大バカ者でしかない。 中国から金を貰って騒いでるグレ太とか見れば分かるが、 この連中は必ず政府を攻撃する。 道理で考えれば、経済を回してる民衆こそを教育すべきだろうに、 その民衆を煽動して政府を悪とする。 勿論、思想は自由だが、 掲げてる大義とは真逆の事をしているのを自覚すべき。 (^。^)キリスト教と仏教が同じ等というデタラメも是に同じ。 多分狂ってるのは物質文明でも人の心でもなく Maria氏の世の中の見かた 何が正しいとか何が狂ってるとか その人のものの見方でしかないのですよ 承狂さんがどういう人かも分かりましたし 承狂さんのものの見方も分かりました >>120 まぁ、判ったと思うんなら、論理的な反論をしてみては如何ですかな?(笑) 騎乗位もええもんじゃがのう 女が自ら腰を振って狂っておる眺めは最高じゃ^_^) >>121 承狂さんはあくまでも中立的なものの見方ですね キリスト教的な考え方でもなく共産主義でもない 仏教に深く精通してる >>123 俺は元、だから「精通」というのは、誤りだね。 思想的には中観派に足を付けながら仏教とは別ベクトルの諸々へ手を伸ばした形だ。 まぁ、思想、価値観、世界観は人の数だけあって、これ等全てが影響しあって多層多重多角とニューロンのように絡み合って機能してるので、 人類社会を、一つの意識複合体として考えると、キリスト教的な、或いはアンチ近代合理主義的な安易な二元論で語るのは、 この複合体を貶める、非常に傲慢な白人的視点と言えますね。 現代日本人の女性が、近代の男性中心の白人社会的な世界観を、今更宣伝するというのは、どういう心理か説明するのも何ですので省きますが、(笑) あなたにそう思うよう仕向けた側は、全く別の意図があるであろう事も認識すべきでしょうよ。 (^。^)あと、そこの変質者は仏教徒のふりをしてるだけのゲスだから、関わらない方が良いよ。(笑) >>124 まあわしのことを言うておるのであろうが、 おぬし人の信仰にとやかく言えるほど偉くなったんかいの? わしの信仰にケチをつけられるのなら言うてみい? ゲスだの関わらない方がいいだの批評するのは別にかまわんがの^_^) そもそも物質的であれ精神的であれ 本当に満たされてると感じてるようなのが 八つ当たりみたいな真似するわけがない 日曜で自粛も解除されてんだから 適当な旨いもんでも食ってこいや スレタイが気になり来てみました。 Mariaさんがこの世を憂いている気持ちは よくわかるのですが、そうすればするほど この世の矛盾、望まない事態が増えていくように 思えます。 人生がうまくいっていると思っている人は、自他共にある精神性など 求めないでしょう。 理想的な社会があればよいとは思いますが、 今回のコロナ自粛での近隣の家族の振る舞いをみて それはないな、と思いました。 なにかを感じるなら、その私自身にこそ もっと気づくべき何かがあるのではないか? と思って生きています。 I am God's child.この腐敗した世界に堕とされた How do I live on such a field?こんなもののために生まれたんじゃない突風に埋もれる足取り 倒れそうになるのをこの鎖が 許さない 心を開け渡したままで貴方の感覚だけが散らばって私はまだ上手に 片付けられずに I am God's child. この腐敗した世界に堕とされた How do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない「理由」をもっと喋り続けて 私が眠れるまで効かない薬ばかり転がってるけど ここに声も無いのに一体何を信じれば? I am God's child. 哀しい音は背中に爪跡を付けて I can't hang out this world. こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い 不愉快に冷たい壁とか 次はどれに弱さを許す? 最後(おわり)になど手を伸ばさないで 貴方なら救い出して 私を 静寂から 時間は痛みを 加速させて行く I am God's child. この腐敗した世界に堕とされた How do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない I am God's child. 哀しい音は背中に爪跡を付けて I can't hang out this world. こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い 沢尻エリカ、大麻パーティーの夜 “衝撃の現場画像”をバルセロナで入手 ©文藝春秋 2019年11月16日、警視庁は合成麻薬MDMAを所持していたとして女優の沢尻エリカ容疑者(33)を麻薬取り締まり法違反の容疑で緊急逮捕した。 「週刊文春」は2012年、 バルセロナでの大麻パーティーの現場写真を報じていた。当時の記事(2012年6月28日号)を再編集のうえ、公開する。 ◆ ◆ ◆ 両手を挙げ、ノリノリの沢尻エリカ。小誌が今回入手した写真は一昨年、バルセロナのビーチ沿いにある「ショコ」というセレブ御用達クラブで開かれた“大麻パーティー”でのスナップである。 「エリカはマリファナを回して吸うのが好き」 「エリカはマリファナを皆で回して吸うのが好きなんだ。 自分の分はたいてい紙に巻いて吸うんだけど、そのやり方が女の子らしくて可愛いんだよ。 キマってくると目が赤くなって、ニッコリ笑顔になった。 大麻で狂うってことはなかったね。ただ、シャンパンと一緒にやったときは悪酔いして、よくソファーの上でぶっ倒れてたよ。朝方、何度も吐いたこともあった」 そう語るのは、仮にも人妻である沢尻と、昨年まで交際していたというスペイン人セルジオ。 上の写真で沢尻の隣に座っている彼は、現地では有名な「ドラッグディーラー(売人)」であり 小誌に「エリカと会うときは毎回マリファナを吸った」と証言した(2012年5月31日号)。 “チョコ”と呼ばれる大麻樹脂を手に満面の笑みを浮かべるセルジオの横で、沢尻はそれらしきものを指に挟み、酔ったような表情を見せている。 このパーティーに参加したというスペイン人男性が話す。 「僕らも大麻をやったしエリカもジョイント(タバコに大麻を混ぜたもの)を吸ってたよ」 五つ星ホテルでも大麻パーティー スペインでは大麻使用は違法ではないが、クラブのような公共の場での使用は禁止。 だが、沢尻はそんなことを気にする素振りも見せず、朝方まで大騒ぎしていたという。 その後、セルジオと別れた沢尻は、日本人の新恋人でレゲエブランドのディレクターN氏を連れて彼の地を再訪している。 「五つ星ホテルの温水プール付きのスイートでパーティーをやったんだ。もちろん、僕らはマリファナを吸った」(別の友人) 沢尻は(2012年)現在、体調不良を理由に休業中だが、「欧州にいる」との証言もある。 再び公の場に現れたとき、一連の薬物使用をどう説明するのだろうか サッカー ベンゲル元名古屋グランパス監督(フランス) 日本人はヨーロッパを美しく誤解している。しかし実際のヨーロッパは全然違う。 日本が東京のような大都会とすれば、ヨーロッパはアフリカのサバンナのようなところだ。 治安が悪いのはもちろんのこと、日本人と比較すればヨーロッパ人の民度は恐ろしく低く、 日本では当たり前に通用する善意や思いやりは全く通じない。 隙あらばだまそうとする奴ばかりだ。 日本と違い階級社会である為、会話の全く通じない無知な愚か者も多い。 私は、時々、欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、精神に異常を来たしてしまうのではないか?と心配することがよくある。 欧州について何も知らない日本人が欧州に移り住むというのは、都会の快適な場所に住んでいる人間を、 ライオンがうようよいるアフリカのサバンナに丸裸で放り込むのと変わらないだろう。 悲惨な結果になるのは目に見えている 突然ですが、ちょっとした心理テストです。 空を風船がフワフワと飛んでいる光景を思い浮かべてみてください。その風船は突然速度を上げて飛んで行ってしまいました。 さて何故でしょう? 我々日本人を含む東洋人の多くは、「風に吹かれて飛んで行った。」と答え、 欧米の人たちの多くは、「風船から空気が出たため飛んで行った。」と答えるそうです。 実はこれ、以前某テレビ番組で取り上げられた「東洋と西洋の文化の違い」を表す例です。 東洋人は、自分と周囲とのつながりや関係を見、行動は周囲からの影響が大きいと考える傾向が強いそうです。 一方西洋人は、対象となっている物(ここでは風船)それ自体が行動をコントロールすると考える傾向が強いそうです。 もちろんこれはあくまでも傾向の話なので、個人差はありますが。 大まかな言い方をすれば 東洋人は利他的で他者を思いやる 或いは他者に影響されて行動する人が多く 西洋人は利己的で自己中心的で自分勝手 もちろん傾向ですが >>133 麻は神道には元々欠かせないものではないのかのう わしは行く行くは日本も解禁すべきじゃと思うがのう >>138 日本産の麻は古代から麻薬性のない害のないものです 害があるのは外国産の麻です その害のない日本産の麻でさえGHQは禁じたのです >>141 大麻は日本の法律では「大麻取締法」で規制されておる 科学的知見で痲薬ではないのじゃよ 覚せい剤等の痲薬は、「麻薬及び向精神薬取締法」で禁止されておるのじゃ >>143 ではおぬしの言うTHCの麻薬性には、具体的にどんな害があるかを教えてくれるか? >>144 大麻は多幸感などをもたらしますが 人によっては 例えば精神症やパニック障害の人は余計に症状が悪化しますね 依存性があります >>145 まあ諸説あるじゃろうがそれは置いといて、 では訊こう。 今人類の多く、大多数というてもええじゃろうが、酒を嗜んでおる 人類はなぜ酒を飲むのじゃと思う? >>146 同じく多幸感を得る為でしょう ストレス発散の意味もあるでしょう ただ私から見れば酒も害のあるものですが >>147 そう もちろん害もあることは周知の通りじゃ しかし禁止も制限もされておらんのはなぜじゃ? >>149 論理的に考えたらわかるじゃろ 酒にはメリットもデメリットもあるが、 メリットの方がデメリットを上回る、デメリットは注意すれば問題ない、 と社会がみなしておるからに他ならん 今世界の多くの国で大麻が解禁の方向に向かっておる理由は、 社会が大麻もそのようにみなし始めたからじゃ 言葉を変えると、今までの科学的知見には間違いが多くあり、 それを無視して嗜好する方が社会にとってはメリットが大きい、とみなしたからじゃな つまりそこにはそれなりの合理性があるということじゃ まあわしが言いたいのはここまでじゃ あとはおぬしが自分の頭で考えてくれればええ^_^) 俺に言わせりゃ禁酒法も運用間違っただけで 失敗だと思ってないけどね 物質文明の問題は「現象世界」が表現されたものに過ぎないのに それが「実在である」と思ってしまっている事です。 既に自己が無限であることを知らず、 「表現された世界」に過ぎない「現象世界」に 無限性を固定しようとして執着する。 科学や物質文明の発達は この「執着」を増加させできたことは否定できません。 その執着が、世界の諸問題の根源ではあります。 もちろん精神文明だけでは足りない でも本来物質的なこととは精神的なものの 後についてくるものの筈です 精神文明をベースに考えるべき 西洋文明は、物質文明を発達させてきました。 競争主義、効率主義、個人主義が、それに拍車をかけたことでしょう。 それは、見せかけの実在の大いなる功績ではあります。 しかし、そろそろ人類は 物質文明を、正しい「精神文明」の 統制下におく時期が来ているのではないでしょうか 物質文明としての西洋、精神文明としての東洋 この二つを内包する、 この「日本」という国が その使命を担わなくてなならないのではないでしょうか 精神文明が産み出したのがカルト教団であり暗黒中世だろ? 物質文明(経済文明)では競争こそが美徳とされ 学校や会社でも他者を蹴落としでも上に上がるものが偉いとされています そして上に上がれなかった者は落ちこぼれとされ 人生の落伍者のように金銭的に貧しい生活を送ります エゴ(EGOH)からエヴァ(EVAH)へ 地球が変わる・人類が変わる 船井幸雄 著 エゴ(EGOH)とは、ある惑星の住人の集合意識が、「エゴ、対立、競争」をベースにしている社会。 それに対してエヴァ(EVAH)とは、集合意識が「愛・調和・互恵」をベースにしている社会ということを、船井氏に伝えてくれたそうです。 競争は善と考えるのは、エントロピーは増大すると考えるのと同じくらい、地球上のある時期、ある場に条件を限定したルールで、 マクロに世の中全体の諸現象から考察すれば、まちがっていると考えた方がよさそうだとも述べています EM―Xの琉球大学の比嘉照夫教授は、「人間も自然も競争より協調した方が、はるかに効率的に生きられ成長できます。 たとえば、人は学び知ることにより成長します。競争社会では、自分が学び知ったことはまず学会で発表するとか、 特許権など権利で保護されないと、他人には教えたがりません。」と船井さんに話しています。 人間の意識レベルが高まり、社会制度が変われば、競争を考えなくてもより社会も可能です。 日米欧などの企業社会の第一線もしくは世の中の正しいルールでは、すでに「競争は善」ではなく、「競争は悪」という考え方が21世紀の社会では定着しはじめています。 (永続可能な社会)の基本理念 非対立(謙虚、調和) ・ 抗議しない、要求しない、責めない、決めつけない、主義主張しない ・ 事実実態を伝える、具体的な提言をする ・ よく聞く、理解する、共に考える、気づくまで待つ など 実践 ・ 気づくチャンスをつくる、気づく邪魔をしない ・ 簡単にできることから始める、無理をしない ・ 自分の実践を通じて伝える、押し付けない ・ 自分が変わることで周りが変わり、社会が変わる など 世の中には奇跡やフシギはないはずです。 それらの現象も「意識や意思を含めてすべては波動であり、存在である」と考えるとすぐに説明がつき、理解でき納得できます。 (松下幸之助) まあ、日本は、西洋の民主主義を、それをそのまま、取り入れても、うまく機能せんわね。 それは、ヨーロッパや米国では、当てはまるかもしれんが、日本では、日本的な民主主義を作り上げんといかん。 そういう努力をこれから日本人は取り組み、つくり上げんとね。 でないと、国民に根付かんね (松下幸之助) 聖徳太子さんのな、あの『十七条の憲法』の第一条に“和をもって貴し”とあるね。 人間は、お互いに仲良くすることが大切であって、争いや戦争などしてはならない、 和の精神を貴び、平和を愛好しなくてはならないということだと思う。 そういうことをいろいろ考えてみると、日本人には、知らず知らずのうちに、和の心というか、精神が培われていると 日本人は、もともと、そうした和の精神を民族の伝統として持っているのであり、そのことを忘れてはならんな。 長い歴史を通じて受け継がれてきた”和を貴ぶ精神”、それをはっきり認識し、その上に立って、 平和というものを求めていくことが、きわめて大切ではないかと思うな 自分が成功者になれなかったのを文明や社会のせいにしてんじゃねぇ 自分の場合はもし成功者に成っていたら、 思い上がった発言と行動で 周りを傷つけたと思う。 現代日本が抱える病 会社に行きたくない病 複雑な人間関係 労働のストレス ストレスによる自殺 金稼ぎの為だけの出社 https://momonestyle.com/i-do-not-want-to-go-to-the-company 自己愛性パーソナリティ障害 誇大な妄想、賞賛への欲求、共感の欠如を特徴とする。 自分の能力を過大評価し、自分の業績や能力を誇張する。 自分が優れて独特であり、または特別であると考えている。 自分の価値および業績についての過大評価は、しばしば他者への過小評価を含む。 患者は大きな空想―圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声および影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験することにとらわれている。 自己愛性パーソナリティ障害者は賞賛を受ける必要があるため、自尊心は他者からの肯定的評価に依存し、このため通常は非常に脆弱である。 自分のうぬぼれの感覚(誇大性)を守るために、せまい世界に引きこもったりすることがある 突然、強い不安とともに動悸や息苦しさ、冷汗、吐気などの発作(パニック発作)におそわれるパニック障害は、 現代において「うつ」と同様、多くの方々が悩んでいる問題です。 初めてパニック発作におそわれた人は、身体的な問題ではないかと考えて内科などを受診することが多いのですが、 検査を行なっても特にその原因と思われるような異常は見つかりません。 新しいタイプの「うつ」では、このパニック障害との境界線はかなり曖昧で、両者が合併していると診断されるケースもあれば、 パニック障害から始まって後に「うつ」が徐々に現われてくるケースもあります 「死ぬかもしれない」不安は、なぜ起こるのか? パニック障害は従来「不安神経症」と呼ばれていたもので、その特徴である発作(パニック発作)は、もともと「不安発作」と呼ばれていました。 このことからもわかるように、パニック障害は強烈な不安を伴っているところが最大の特徴です。 この不安は「このまま死ぬかもしれない」と感じられるようなものであることが多く、それがあまりに強烈であったために、 予期不安と呼ばれる「またいつ発作が起こるかわからない」という心配におびえ、生活にもさまざまな支障を来たすようになります。 それにしても、なぜ「死ぬかもしれない」といった不安が、わざわざ自分の内部から起こってくるのでしょうか 「病というものは、何らかのメッセージを自分自身に伝えるべく内側から湧き起こってくるものである」、 あるいは「病は、その中核的な症状によって、自分自身をより自然で望ましい状態に導こうとしている」という見方で「うつ」について考察しましたが、 ここでもその考え方を用いてみましょう。すると奇妙なことに、「死ぬかもしれない」と自分自身に思わせることにパニック障害の意味がある、という話になってしまいます。 さて、これはいったいどういうことでしょうか。 パニック発作や予期不安は、特に地下鉄や急行・特急電車の中で出やすい傾向がありますが、 同じ乗り物でも、地上を走る各駅停車の電車やタクシーなどは比較的大丈夫なことが多いようです。 これは、地上なのか地下なのかによる「閉塞感」の違いや、「降りたい時にすぐに降りられるかどうか」 という点が重要なポイントになっていることを示唆しています。 ここからある大切なことが推測できるように思います つまり、その人はすでに心理的にいまの生き方に「閉塞感」を感じ、 「降りたい時に降りられない」レールの上を走っているような人生になってしまっているのではないか、ということです。 そうだとすれば、まさに同じような状況が物理的にもたらされた時に、 その人は心理的・物理的に二重に「閉塞」させられるわけで、 それに反発して発作が起こりやすいのも不思議はないと考えられるのです >>174 駄目ですね 相変わらず躁状態と鬱状態を繰り返しています >>175 安定しないのじゃな 周期はどのくらいじゃ? 双極性の診断も受けておるのか? >>176 周期はまちまちですね 診断はされてます ただ最近は診療内科にも精神科にも行ってないですね >>177 お仲間じゃな^_^ 通院しておらんのは何か考えがあってのことか? >>178 単にお金を払うのが馬鹿らしくなったからです >>179 治療の効果が芳しくなったのかのう やたら薬を大量に処方する医者も多いからのう >>180 行っても薬渡されるだけですからね 何の相談も乗ってくれません あの人達は薬で生活してるので 当然といえば当然かもしれません 医は仁術ではなく算術になっておるからのう 特に心療内科分野はひどいのじゃ しかしちゃんとしたいい先生もそれなりにおるぞよ わしの今の先生はすごくいいと思っておる 寝屋川市駅前じゃが 寝屋川はちょっと遠いですね 京都はどこの医院が良いのか分かりませんが なるべく病院に行かず自力で治したいと思ってます >>184 詳しい住所は言いたくないじゃろうから 今度病院行った時に、京都市内周辺とかでおすすめのところないか訊いてみるぞよ^_^) あまり役には立てんかもしれんが >>185 ありがとうございます そのお心だけでも嬉しいです お笑い第七世代の霜降り明星のせいやが、女性とミーティングアプリ『Zoom』で行為をしていたことが週刊文春に報じられている。 今年5月にせいやは女性AをSNSでナンパ。その後にオンライン飲み会をすることになり、その流れで局部を出して自慰行為をしたという。 ただこうした行為はせいやだけが行ったのではなく、女性側も行っていたという。 実は女性は既婚者で、既婚しているどころか相手男性が居ることすらせいやに隠していた。 嫌だったという割りには行為は2回にも及んでおり、女性側も脱いでいたという。 これには女性は脱いでいないと否定しているがそのとき脱いでいたという証拠は無い。 ただせいやの行為は女性Aがスクリーンショットを撮影しておりそもそも晒す気満々で居たのでないかと言われている。 行為が終わってLINEの返事が無く利用されたから週刊誌にリークした、としているがでは何故行為の時点でスクリーンショットを撮影していたのか。 何かしらのリーク前提だったと思われてもおかしく無い ・吉本興業が週刊文春と女性へ法的措置を検討 せいやの所属事務所である吉本興業は今回の報道に対して週刊文春を法的措置を検討していることが分かった。 せいやと女性Aの行為はZoomを使ったオンラインでの出来事ではあるが、誰でも閲覧出来る物では無く、2人だけの空間。 更にパスワードも掛けており閲覧出来る人は限られていた。 それを女性側は撮影、いわゆる盗撮まがいのような行為を行い無許可で週刊文春にリークした。 それだけでなく既婚者という事実を隠し通し、週刊文春が発売される6月17日になり既婚だということを打ち明けた。 普段なら芸能人が叩かれる内容だが、今回はネット上でも 「これハニトラだろ」、「女訴えられるぞ」、「裁判になったら本名出るなw」、 「もみ消そうとしたせいやも馬鹿だけど女はクズ」という意見が書かれている。 また吉本興業は週刊文春だけでなく女性側へも「しかるべき対応をとっていく」としている。 ・リベンジポルノ防止法により刑事訴訟も リベンジポルノ防止法(私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律)がある今、 これは私事性的画像を記録し、不特定若しくは多数の者に提供等、又は公然と陳列した者に対しては3年以下の懲役又は50万円以下の罰金とされている。 民事だけでなく刑事でも訴えられる案件だ。 https://nikkan-spa.jp/wp-content/uploads/2016/09/DSC02026-550x412.jpg https://gogotsu.com/archives/58056 主治医、京都の方はあまり詳しくないみたいじゃ 下記もやはり遠いが特急も停まるので、ひょっとしたらさほど時間はかからんかもしれんな この二院はおすすめなんじゃと 一応知らせとくな http://www.kawamura-nc.com https://www.clinic.kokoro-support.net 通院せずに治したい気持ちもわかるな 昔は精神科なんてなかったんじゃしな わしも紆余曲折あったが今は素直に通院するようにして、それが一番良かったと思うておる 気が向いたら検討してみてくれの^_^) 死は生命にとって最高の発明――。こんな至言を遺した男の思想には、日本由来の「禅」が深く関わっていた。 なぜ内部基板にまで美しさを求めたのか これは、11年10月に亡くなったアップル創業者スティーブ・ジョブズの言葉である。 製品の外装だけでなく、内部のマザーボードにまで美しさを求めたジョブズは、チップや回路をもっとシンプルで魅力的な配置にしたいと考えた。 技術者たちはマザーボードをのぞく者など誰もいないと反論したが、これに対しジョブズが放ったのがこの言葉であった。 製品の本質を重視する彼の精神は、禅の一派である曹洞宗の開祖・道元の教えに通じるところがある。 たとえば道元の教えを弟子たちがまとめた『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』(岩波文庫など)には 「実徳を蔵、外相を荘(かくしてかざらず)」(内面をよくして外面を飾らない)という言葉が出てくる。 実際、ジョブズと禅には深い結びつきがある。 彼は青年時代から禅と接し、曹洞宗の僧侶である乙川弘文(おとがわこうぶん)老師に師事していた。 カウンターカルチャーが全盛を迎えた1960年代から70年代前半、海外の若者たちは物質万能主義に疑念を抱き、 精神世界に関心を向けた。ジョブズも、72年に大学に入ると東洋思想に傾倒していく。 なかでも仏教や禅には強い影響を受けた。 後年彼が語ったところによれば、「抽象的思考や論理的分析よりも直感的な理解や意識のほうが重要だと、このころに気づいたんだ」 (ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズI』講談社)という。 いつの世も物質に恵まれ豊かな状況下では人の心は乱れ、他の人や生きている環境への配慮を忘れ慢心し、努力をしなくなり、 手軽に自己の都合だけで生きるようになります。 厳しい自然環境の中で生きるなら、大自然の掟を学んで自然にマナーも身につくのですが、現実はぬるま湯生活。 現代社会がもたらす物質文明の中で、豊かで便利な生活にすっかりと慣らされてしまっている私たちは、直接自分に影響する物質的なものごと、つまり贅沢や利便性のみに敏感になっています。 人よりも劣っているか優位にあるかが、大きな問題になるのです。待遇は気にするけど、仕事で得られる充実感には期待しないのです。 成功した地位に憧れるのも、その地位とともに得られる物質的な豊かさが目的とも言えます。 苦労してこそ手にできる充実感や幸せを、知らない世代が増加しているのです。なに不足なく育っているので、 希望もなく、夢もなく、やる気もなく、努力なしで、目の前の快楽が得られればいいという感覚が身についてしまっています どこの家でも思わず一挙に捨てたくなるほど、家の中は使わないモノで溢れています。シンプルライフってどこの話しですか?と言いたくなります。 整理整頓出来る状態ではなく、バザーに出すために買っているようです。膨大な浪費です。 人は辛さを知って、人にやさしくなれます。気配りができるようになります。 豊か過ぎる物質文明の中で不自由なく成長した人々が作り出している社会の状態は、新聞の社会面を見ればよくおわかりでしょう。 わが子に対する信じがたい虐待行為の多発。平気で親を殺す。平気で結婚相手を殺す。 平気で教え子を凌辱する。金の為に人を殺し、万引きを注意すると親が出てきて金さえ払えばいいんだろという態度。人にぶつかっても挨拶もできない。 電車、バスなど、ところかまわず躾の悪い犬のようにモノを喰い、モノを投げ捨て、ゴミは散らかし放題、注意するとキレて殺す始末。 この他、あきれるような事が日常化してきています。 西洋文化を取り入れた弊害です 過去半世紀、躾や作法の教育を忘れた社会は人を確実に野獣化させています。 モノが豊かな社会なのに、人の心は混迷を深めていくばかりです。 お互いにやさしく気配りを持って支えあう心豊かな社会を実現させるために、日本伝統の素晴らしい躾や作法の教育が今こそ必要です 児童虐待が殺人にまで至ったケースやいじめによる自殺など、 暗いニュースばかりです。しかし、なぜ人と人はこうしてまで争いをやめないのでしょうか?個人の虐待やいじめに始まり、 国同士でも争ってしまうことを考えると、人間とはそもそもが好戦的な存在なのかもしれません。 いじめにしても児童虐待にしても、自分の攻撃性を制御、コントロールできずに、 他人に向けてしまうといった構造は同じです いじめは大人の中でも存在し、パワハラやセクハラがその構造は同じものです。 いくら、仕事ができないからと、相手を攻撃したり、無視をしたりすることでは、その問題は解決しません。 むしろ、職場の雰囲気が悪くなり生産性が落ちるのが関の山です。 しかし、それでも人間は他人を攻撃することをやめないのです。 愛と平和を唱えることが今必要なのでしょう。 千年以上も前から「和をもって尊しとなす」を憲法の第一条においた聖徳太子の偉大さが、今になってようやく実感できます。 個人のレベルでも、国のレベルでも物理的な争いでは物事は解決せず両者ともに不利益を被ることは、 過去の歴史がすでに証明しています。 話し合いや協力といった 平和的解決でなければ、真の解決は得られないと思います 詐欺の疑いで逮捕された母と娘。 娘が母に買うよう頼んだものとは、一体何だったのか。 25日朝、検察に身柄を送られた親子。 うつむき加減に警察車両に乗り込む鈴木江利子容疑者(33)と、母親で千葉・銚子市の職員・鈴木光志(みゆき)容疑者(59)。 24日、詐欺の疑いで逮捕された親子。 娘は母親に、盗んだクレジットカードで買い物をさせていたという。 娘の江利子容疑者は、アルバイト先で盗んだ同僚のクレジットカードで、母親の光志容疑者に買い物を依頼。 2020年3月、母親がクレジットカードの所有者を装い、商品を購入した疑いが持たれている。 近所の人は、「(母親は)市役所に勤めているから、お金には困ってないと思うけどね」、 「よく草刈りとか2人でやっていらっしゃる、仲が良さそうなところは(見たことがある)。 法に触れるようなことをする方だとは、ビックリしましたね」などと話した。 娘が盗んだカードで母親が購入した商品は全部で15点。 その中の1つが...。 娘・鈴木江利子容疑者の供述「盗んだクレジットカードだと母親に伝えたうえで、ぬいぐるみを買ってきてと話した」 33歳の娘に、ぬいぐるみを買うよう頼まれた母親は...。 母・鈴木光志容疑者の供述「成田市内でぬいぐるみを買った」 母親は自宅のある銚子市から、ぬいぐるみを買うために成田市へと向かう。 目当てのぬいぐるみが近所になかったからなのか、母親は自宅のある銚子市から直線距離でおよそ50km離れた成田市内の雑貨店へ。 しかし、なぜ頼んだものが“ぬいぐるみ”だったのか。 盗んだカードで買ったものがぬいぐるみだったことについて、親子を知る人は「なんだそりゃ! 考えられない、ちょっと」、 「そんなに小さなお子さまもいらっしゃるわけじゃないし、ぬいぐるみ...ちょっとわたしには結びつかないですね」などと話した。 娘の江利子容疑者は、同僚のクレジットカードを盗んだ事件ですでに逮捕・起訴されていて、今回の詐欺容疑についても認めている。 一方、母親の光志容疑者は、「娘が使っても大丈夫と言うので、カードを使って買い物をしました」と供述し、容疑を一部否認。 警察は、余罪についても調べを続けている。 戦時中の日本 《いわゆる米英流の生活のしみを洗い去り、 皇国本来の国家観に立脚した生活の真義を打ち樹てねばならぬ。 金儲けのための生活、立身出世のための生活、 他人の困苦を顧みず己だけ快楽を得さえすればよいという独楽独善の生活、 精神を忘れ 金や物に捉われた生活、これらは何れも生活の真義を遠く離れたものである》 よくわかってんじゃん 戦時中に戻れって言ってることが 俺はそんなの嫌だね そう思う人が それを理想とした生き方したら 良いと思うけどな そういうことではないの? 機械文明の正体 ガンジーは、今の社会の一番の問題は機械に頼りすぎていることだと主張しています。 そして機械に頼るから人間はとても忙しいのだと言います。私たちの生活を振り返ってみてどうでしょうか、やはり忙しいですよね。 忙しいから本当に考えないといけない大切なことを考えられなかったり、大切なことをやらないで流されてしまったり、そうやってなんとなく人生が過ぎていってしまいます。それで人生になんとなくむなしさを感じている人が多いのではないかと思います。 そこでガンジーは言うんです。「機械に頼るから忙しいんだよ」と。しかしこれは理解するのが難しいかもしれません たとえば農業ひとつとっても、機械ができたおかげで、田植えだって稲刈りだって楽になったとみんな思っています。 でも、どうでしょうか。稲刈りのシーズンになるとコンバインで稲を刈っています。あっという間に一つの田んぼを刈り終えて次の田んぼへ、そしてまた次へというふうに、次々と刈っていきます。 でもそこには人がいません。たったひとりの人間が一台のコンバインを運転して、あちこちの田んぼを刈っていきます。だから、1日中働いているのです。 コンバインがあるおかげで収穫が早く終わるようになり、そうして生まれた時間で農家の人が幸せになっているかというとそうではありません 機械がなかった昔には、みんなで協力して稲刈りをし、終わったあとには収穫を喜びお祝いをするということもあったのでしょうが、 そういう光景は今の農村にはありません。 そして今ではひとりの人間がたくさんの面積を耕せるから大量のお米が収穫できます。 そうして収穫したトラックいっぱいのお米を積んで農協に持っていくと、今度はすごく安く買いたたかれます。 大量のお米を生産し売ったにも関わらず、それで得たお金で一年間生活するのに充分かというと、かなり厳しいです。 ですから農家の人たちも農業以外の仕事に就いているし、若者たちは都会に出て働くわけです。このようにコンバインや田植機があっても、そこからゆとりは生まれていません。そして都会に出た若者たちはというと、やはり都会でゆとりある生活はしていません。 こき使われて、働いても働いても楽にならないワーキングプアのような生活をしている人がたくさんいます。 なぜ私たちは、機械を利用していてもゆとりがないのでしょうか。それは機械がどういうものかを考えるとわかります。 たとえば、糸車のような簡単な道具なら、自分で作って誰でも所有し使うことができます。しかし今の近代機械文明で使われているような機械やそれを動かす工場となると、 大金持ちの資本家しか所有することができません。 そしてそういうものに頼った近代機械文明を続けていくとどういうことが起こるかというと 工場などを所有している一部の大金持ちの資本家と、その工場で雇われている大多数の労働者というふうに、人間が二つに分かれてしまいます。 そして機械というのは毎年改良され進歩していきますから、機械を持っている資本家の立場がどんどん強くなっていきます。 たとえばある年に、ある機械を使って、十人の人を雇い、一年間に百個の物を生産していたとします。ところが機械が進歩したので十人でなくても、八人でよくなりました。だからと言ってすぐに二人の人をクビにできるわけではありません。 これまで通り十人を雇い続けないといけませんから、百個作る代わりに百二十個作ろうか、というふうに、作る量を増やすわけです つまりこのシステムは、機械の進歩に合わせて、毎年生産量を増やして行くことができないと、人がクビにされていく、そういうシステムだったのです。 そうやって日本は、戦後から今まで経済を拡大してきました。戦争直後は焼け野原でいろいろなものが不足していましたから毎年生産量が増えるのはよいことだったかもしれませんが、 これだけモノが溢れた時代になるとこれ以上生産量を増やせなくなります。だから「仕方がないからクビにしよう」という方向へ圧力がかかるわけです。 それで今リストラされる人が増えていますし、あるいは大学を卒業しても就職先がないという状況が起こっています。 そういう状況になり失業している人が大勢いれば、今度は賃金が下がっていきます。 たとえば今まで時給千円を支払っていた工場があったとして、八百円でもいいから雇って欲しいと言う失業者がいれば、 じゃあ時給八百円で人を雇おうか、ということになります。つまり今のシステムというのは、資本家がどんどん得をするようにできているわけです。 そして労働者のほうは、労働力を買いたたかれて、しかも機械が進歩すればするほどイスがどんどん減っていくイス取りゲームに参加させられているようなもので、悪い条件でも働いてしまいます。 悪条件で朝から晩までこき使われて、奴隷のような状態に陥っているわけです。 ガンジーは言います。 「機械の持つ根本的な問題に気づいて目覚めなさい。そして機械に頼ることをやめさい。 機械に頼ることをやめたほうがむしろ、私たちは本当にゆったりとした人間らしい生き方ができるのです」と。 機械というのは他にも様々な問題を作り出しています。 物が売れなければ失業者が出るわけですから、とにかく消費を煽り、まだ使えるものも捨てさせて、新しいものを買わせようとします。 そのためにゴミは増える一方ですし、たくさんのものを作ろうとすればするほど資源も必要になるから資源も枯渇するし、公害などの環境問題も引き起こします また資源の奪い合いは戦争にもつながります。 作った商品を売りつける市場を確保するためには言うことを聞く植民地のような国も必要となってきます。 このように戦争や環境破壊、貧富の格差など、この社会にある様々な問題が、 実はこの機械というものに端を発しているんだとガンジーは言うわけです。 しかもそういう社会の中で人々の仕事はどうなってしまったかというと、ものを作るという喜びに溢れた仕事がなくなり、 販売や営業といった仕事が増えています 無能が居場所を失うことは自然なこと むしろ無能が人類や社会の足を引っ張るようなことがあってはならないの 無能に残された道は奴隷か死 悔しかったら勉強するしかない むしろ無能が淘汰されることが人類の未来のために必要なこと ノルマを課せられてこれだけ売ってこいと言われ、ノルマが達成できなければあなたの替わりはいくらでもいるよと言われます。 本当におもしろい仕事、自分がやっていて誇りを持てるような仕事というのがなくなってきています。 その結果、心を病み、自殺する人も増えています。 このように全ての問題が、 近代機械文明を人々が良いことだと思って受け入れたことに端を発しています だからガンジーはそういったことに目覚めなさいと主張し、イス取りゲームに参加していかに残っているイスにしがみつくかを考えるよりも、イスの数を増やし、 手仕事や農業をしながら、みんなで協力しあって生きていく生き方をしていこうと訴えたのです。 そして、その生き方は農村にありました。 ガンジーは農村を中心とした社会で、大地の恵みを手作業でみんなで加工して、 みんなが協力しあう、そういう生き方を目指したわけです ガンジー・ジーは娘さんが異教徒と結婚しようとした時に反対したらしいし、 民族主義者としてヒンドゥのアヒンサという教えに従って、非暴力主義を貫き呼び掛けた方。 つまり、共産主義のような皆が平等な社会なんてものは、全く考えてませんでした。 またカーストがヒンドゥの教えにあるのは常識でしょう。 つまり、ヒンドゥ教徒として、異教徒の支配、人種差別と戦った方であり、 現に、日本の頭山氏という、当時の右翼の有力者に「方法は違いますが、共に戦って行きましょう」という手紙を送っています。 「ガンジーは平和主義者」というのは市民活動屋さんなどの共産主義勢力がよく使う言葉なので、 騙されないようにしましょう。 だいたい、グレ太郎とか市民活動屋さんみたいに、綺麗事を言う連中ってのは裏が真っ黒なんだよ。(笑) (^。^)てか、世の中綺麗事だけで渡れるような甘いものじゃあないしな。(笑) >なぜ人は.共産主義に騙.され..続け.るの.か >> >>初代FBI長官のジョン・エドガー・フーヴァー氏は、 >>左翼(コミンテルン)を「公然の(共産)党員」「非公然の党員(共産党の極秘活動に従事する人)」 >>「フェロー・トラベラーズ(共産党の同伴者)」、「オポチュニスツ(機会主義者)」、 >>「デュープス(騙されやすい人)」の5種類に分類している。(この分類は、 >>江崎道朗氏の著書『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』に紹介されている。)このうちの最初の3つが中核層、 >>利権層がオポチュニスツ、浮動層がデュープスに対応する。 ツイッターで♯安倍辞めろとか♯検察庁法改正に抗議しますとか 書き込みの少ない時間帯に組織的に大量に書き込んでトレンドを操作しているのは 全体主義者とその下部組織による扇動工作でしかない きゃりーぱみゅぱみゅや芸能人は「デュープス(騙されやすい人)」で 肉球新党や拡散部などの日本共産党の下部組織は「非公然の党員(共産党の極秘活動に従事する人)」で ツイッターの組織的な大量の書き込みをまるで民意の表れだと嘘を報道して 視聴者を騙すテレビや新聞などのマスメディアは「フェロー・トラベラーズ(共産党の同伴者)」で 抗議の欺瞞的内容やトレンドに騙されて追従して書き込んでる一般人は 「オポチュニスツ(機会主義者)」という感じ 「現在日本の西洋式偽文明が(中略)無味拙劣なるものと感じられる(後略)」 この厳しい一文は、永井荷風の『日和下駄』に出てくる。荷風は、明治大正昭和の三代にまたがって活躍した文学者だが、日本の近代化に背を向け続けた。 平成の我々は、荷風の時代よりさらに近代化・西洋化が進展した社会に住んでおり、そのことに特段の疑いを持たない。 しかし時には、荷風の指摘に耳を傾けてもよいだろう。 日和下駄は、『荷風随筆集(上)』(岩波文庫)に収められている随筆で、『一名 東京散策記』という副題が付いている。副題の通り、荷風は東京のあちこちを散歩して感じたことを綴っている。 荷風は下駄を履き、晴れた日でも蝙蝠傘を持って、徹底的に歩き回った。 なぜ、ひたすら散歩をするのか。その理由を荷風はこう書く 「今日東京市中の散歩は私の身に取っては生まれてから今日に至る過去の生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。 (中略)およそ近世の文学に現れた荒廃の詩情を味おうとしたら埃及伊太利(エジプトイタリー)に赴かずとも現在の東京を歩むほど無惨にも傷ましい思をさせる処はあるまい」 荷風は東京を散策しつつ、江戸時代から残っている日本固有の美を見つけては、見事な名文で描写する。日本固有の美とは、 寺であり、淫祠であり、雑草であり、路地や坂である。 その一方で、明治時代から始まった日本の伝統を破壊する動きを否定し、馬鹿にする。 再三出てくる批判の例をいくつか紹介する。 「当世人の趣味は大抵日比谷公園の老樹に電気燈を点じて綺麗綺麗と叫ぶ類のもので、聖夜に月光を賞し、 春風に梅花を愛するが如く、風土固有の自然美を敬愛する風雅の習慣今は全く地を払ってしまった」 「古社寺保存を名とする修繕の請負工事などと来ては、これ全く破壊の暴挙に類する」 「当路の役人ほど馬鹿な事を考える人間はない。 東京なる都市の体裁、日本なる国家の体面に関するものを挙げたなら貧民窟の取払いよりも先ず市中諸処に立つ銅像の取除を急ぐが妥当であろう」。 もっとも荷風は本気で銅像を片づけろと言っているわけではない。 江戸時代の町並みに戻せとか、近代化を止めよ、とも言わない。 もう元に戻せないことをよく知っていたからである。 そのかわり、こんな風に書く。 「私は日本人が日本の国土に生ずる特有の植物に対して最少し深厚なる愛情を持っていたなら、 たとえ西洋文明を模倣するにしても今日の如く故国の風景と建築とを毀損せずに済んだであろうと思っている」 「われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、 国語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考うるのである」 荷風は、過去の建造物や自然の破壊に止まらず、テクノロジーについても仮借ない批判を浴びせている。 「およそ近世人の喜び迎えて『便利』と呼ぶものほど意味なきものはない。 東京の書生がアメリカ人の如く万年筆を便利として利用し始めて以来文学に科学にどれほどの進歩が見られたであろう。 電車と自動車とは東京市民をして能く時間の節倹を実施させているのであろうか」 万年筆をパソコン、電車と自動車をインターネットに置き換えて、この疑問文を読み直してみると、色々なことが考えられる。 また、次のような一文がある。 「私は新開町の借家の門口によく何々商会だの何々事務所なぞという木札のれいれいしく下げてあるのを見ると、 何と言う事もなく新時代のかかる企業に対して不安の念を起こすと共に、その首謀者の人物についても甚しく危険を感ずるのである」 電車や自動車、新時代の企業とその首謀者を嫌悪する荷風は「現代の生活は亜米利加(アメリカ)風の努力主義を以てせざれば食えないと極ったものでもない」と言い放つ。 実際、彼はアメリカ風の努力などせず、自動車が入ってこない裏道を好んで歩いた。 そして次のような、一種の居直りというか諦めを表明する。 「何気なく裏町を通りかかって小娘の弾く三味線に感動するようでは、私は到底世界の新しい思想を迎える事は出来まい。 それと共にまたこの江戸の音局をばれいれいしく電気燈の下で演奏せしめる世俗一般の風潮にも伴って行く事は出来まい 荷風は若いころ、アメリカやフランスに住み、現地の企業に就職までしている。 つまり、欧米のことを同時代人の誰よりもよく理解していた。 その彼がここまで日本の近代化・西洋化を嫌悪したのは、我が国の西欧模倣のやり方があまりにも軽佻浮薄だったからである。 テクノロジーに関わる人は、技術者であろうと、利用者であろうと、荷風の苦い指摘を受け止める必要があろう 「わが旧時代の芸文はいずれか支那の模倣に非らざるはない。 そはあたかも大正昭和の文化全般の西洋におけるものと異なるところがない。 我国の文化は今も昔と同じく他国文化の仮借に外ならないのである。唯仔細に研究し来って今と昔との間にやや差異があるが如く思われるのは、仮借の方法と模倣の精神とに関して、 一はあくまで真率であり、一は甚しく軽薄である。一は能く他国の文化を咀嚼玩味して自己薬籠中の物となしたるに反して、 一は徒に新奇を迎うるにのみ急しく全く己れを省る遑(いとま)なきことである」 日本は先進国です。 国民総生産で世界3位。極東の世界の端っこの島国にしては出来過ぎと言っていいでしょう。 ところが日本は先進国であるはずなのにブラック企業が幅を利かせて、国民総社畜状態。 まぁ、それは言い過ぎかもしれませんが、ヨーロッパやアメリカの人たちが法律に定められた労働時間を守られ、 毎年一ヶ月バカンスを過ごすことを考えれば、日本の労働者は疑いようもなく明らかな社畜です。 戦争に負け、日本は焼け野原でした。 全員が貧しい時代、そんな時にみんなが馬車馬のように働いたとしても、それは誰も疑問に思いません。 みんなが生きることに必死でしたから、必死に働くのは当たり前でした。 必死に働くのは貧困から抜け出すためでした。 でもそういう時代が終わり、社会が安定し、物があふれる時代になっても、みんなは余裕を持って生活するということをしませんでした。 なぜでしょうか。 日本人は組織に依存する 『ブラック企業が日本で成立する理由は「和」にある』でも書いたのですが、日本人は「和」の民族です。 和という集団に属し、和のルールを守り、和に自分の価値を依存します。 欧米では全知全能の神が人間を作っています。神が人間を作った以上は、無駄な人間なんていないんです。 完璧に計算して人間を作っているからです。だから人間は生まれた時点で「意味がある」のです。 でも、日本人は神様が人間を作っていません。となると、個々人の存在意義は神に依存しない代わり、別の何かで補填しないといけません。それが「和という集団」です。 和に自分の存在価値を依存します。集団からハブられるのが日本人は一番怖い。 だから集団が「サービス残業するべき!」「過労死寸前まで働くのが正義!」という価値観を持つと、日本人はそのルール(価値観)から逸脱することが出来ません。 というわけで日本は会社組織に依存するし、会社組織のブラックなルールを真面目に守っちゃうんですね。 でも、これは、ブラックな会社に個人が依存する理由にはなっても、日本全体が社畜になる理由にはなりません。 日本の社会全体が社畜になるのはまた別の理由があります。 それは「金は穢れている」という日本の価値観です。 日本人は穢れを非常に嫌います。 最初の最初、穢れの根本は病気や腐食物でしたが、どんどんと穢れの範疇は増えていって、いろんなものが「穢れ」に含まれるようになりました。 金儲けの穢れ その穢れの中に「金」が入るのです。 正確にいうと「金」が穢れているんじゃなくて、「金銭欲」という穢れを嫌うのです。 お金に対する欲を嫌う。お金儲けに邁進することを「穢らわしい」と考えていて、お金のために必死になっていると思われなくない。 必死に労働することは「清らか」なんですよ。汗をかいて泥にまみれても、それは穢らわしいということはない。むしろ美徳です。 ただそれは「生きるための労働」の範囲ならばの話。 生きる以上の「ただの金儲け」は「穢れてる」と日本人は考えているんです。 ●欲を嫌うのは仏教の影響もあるでしょう。仏教では解脱を目標としていて、解脱に必要なのは執着心を捨てること。 つまり欲を捨てることは基本中の基本。必須です。 ●儒教国では汗水流して働くことは美徳ではなく、汗をかくことは恥です。 ●日本は現在よりもバブル期の方が累進課税制度がキツかったです。収入が多い人ほど、税率が高かった。昭和49年で最大75%・昭和59年で最大70%。 つまり、会社は優秀な人間にお金を払っても払っても税金になって消えるだけ。だから会社は優秀な人間だからと言って給与を多く出さなかった。この累進課税を取ったのは深い意味はなかったのだけど、 金儲けをする人は「穢らわしい」という感覚はあったと思う。 ●欧米では累進課税制度をすることで、高収入の人間がワーカホリックにならないように抑制する効果がある。 優秀な人間に給料を出さないということは仕事が減るからです。しかし、日本では和の民族なので、優秀だからといって定時帰宅は出来ない。優秀な人ほどサービス残業・無給労働が増える。 ●政策は文化に合わせて変えていかないといけない。 欧米がそうだから、日本もそうする、では失敗する みんなが貧乏な時代。みんなが汗をかいて泥にまみれて働いていた。それは美徳。 でも、高度経済成長に入り、豊かになってくると、これ以上、必死に働くというのは「生きるための労働」じゃないんです。 ただお金を儲けようとしている「欲」です。 となると、お金は貰えない。 貰いたくない。 もらったら恥です。 栄養ドリンクを飲んで徹夜して仕事をすることを… 長い通勤時間を… サービス残業を… いかに人生を会社に捧げているのかを… 家族を犠牲にしているのかを… 自虐気味ながらも、どこか誇らしげに自慢する。 自慢にはならないはずなのに、無理して労働することを「良し」とする。そこには金儲けを穢れと考える日本人の性質があるのです。 これが日本の「社畜文化」の根本です。 ●そこに和の性質が拍車をかけていますよね。 破壊の調は 道理を覆し 救い齎す 「『鐘の音は鳴ったか!?』」 「『正義はお前を救ったか!?』」 綺麗事はいらない お前に必要なのは 我々の言葉だけだ 「HATE」 『PAIN』 「RUIN」 『DESTROY』 「COLLAPSE」 『SACRIFICE』 「DESIRE」 『MADNESS』 「欲望を 焚べて讃えて!」 『感情を捧げ 誓って!』 「邪を教義と為して!」 『譜面の試練を打ち砕いて!』 https://www.youtube.com/watch?v=3nSO6Ad_Na4 飽食の時代と呼ばれ 人類は物質文明を発展してきました しかし人類の欲望は満たされません 何故なら欲望は肥大化していくからです https://books.google.co.jp/books?id=0USXCAAAQBAJ& ;pg=PT28&lpg=PT28&dq=%E7%89%A9%E8%B3%AA%E6%96%87%E6%98%8E+%E6%AC%B2%E6%9C%9B&source=bl&ots=NCbZ1ONb8T&sig=ACfU3U0LdyIvESUgDISegUTlbm-oRMHEjA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwili5PimsLqAhXIGaYKHf3EDhEQ6AEwAnoECAgQAQ#v=onepage&q=%E7%89%A9%E8%B3%AA%E6%96%87%E6%98%8E%20%E6%AC%B2%E6%9C%9B&f=false 人間は自由なので欲望をいくらでも追究していける しかしこれでは宇宙や地球 人間の為になりませんし地球環境も保てません 本当に人類や地球のことを考えるなら どこかで歯止めをきかせ動物や自然との共生をどこかのタイミングで考えなければいけません そしてこれこそが叡知なのです 我々の時代は、物質文明が発達した御蔭で、生活は快適になりましたが、代わりに精神力や、 精神からくる生命力が怠惰になる傾向を帯び、科学が発展し、大規模に、分業化し、専門化するにつれ、人類だけの幸福を追求するあまり、全体の地球環境や、全宇宙的視野を失い、 利己的視野や思想、観点が生まれ、自然な物質力の制御を失い、温室効果等の環境問題を生じるに至っています。 現在の物質主義の、このような傾向は、そっくりそのまま、アトランティス時代の、「気孔術」主義の失敗にみることができます。 現在と同じように、人類は、過去でも、気孔術を、利己主義的に用いた為に、地球環境の保存体系を著しく変えてきたのです。つまり、人間が変わるのと同様に、地球環境も変わってきました。問題は、そのことに、人類が自分でした行為の大きさに気がつかないことです。 そして、アトランティス大陸は、現在の水没地域のように、徐々に環境破壊が進んで、水没していったというわけです。 ノアは、アトランティス時代の最も賢い預言者で、人類の運命を預言により予感し、 予め、アトランティス時代の技術を集め、7人の優秀な弟子を選び、引き連れて、水没の難を免れ、東の方に移動し、 現在の中国とインドの中間辺りに、アトランティスの文明を基に社会をつくったといいます。 ノアの箱舟とは、恐らく、ノアの集めた教えのことで、気孔術を基にした、預言術のことだと思います。 つまり、ノアの箱舟とは、人類救済の教えで、アトランティス大陸の水没と同じように、二度と同じ過ちを犯さないような教えで、 そのような教えを広めることにあったと思います。現在でも、地球のことを、宇宙船地球号とも呼びますが、我々人類は、 いわば、地球環境の守り手である船長でなければならないという教えのことだというわけです。 それがスピリチュアルとは程遠い「歌」を聞いた感想? なるほど? アトランティスは強大な軍事力と科学力を持って世界を掌握しようとしていました しかし現代と同じような物質主義に走った為に自然破壊の報いを受けて 自然災害で滅びました 人類は一万年前と同じ過ちを繰り返そうとしています あんたの正義が成し遂げられたとして それで他ならぬお前は救われるのか? 2015年12月、電通の新入社員だった高橋まつりさんが長時間の過重労働を苦に、自ら命を絶った。 だが現在、この事件を受けても東大生には「自分は過労死をしないから大丈夫」「激務でも自分なら大丈夫」と根拠のない自信を持つ傾向が少なからず存在するのではないか。 「彼女の死はあくまで例外的な出来事だから」。就活を控えた東大生の一人がぽつりと口にした言葉から、その根拠なき自信が透けて見えるように感じた。 東京大学新聞社は母親の高橋幸美さんや関係者の方々に高橋まつりさんがどんな東大生だったか、どんな思いで電通に就職したのか話を聞いた。 高橋まつりさんの境遇は、就活を控えた学生にとって果たして人ごとの話だろうか 「新人研修は課題も多く、結構大変」。電通に就職を決めた後、高橋まつりさんはそんな言葉を漏らすこともあったが、 基本的には前向きな気持ちで研修や仕事に取り組んでいた様子だったという。 だが入社6カ月後、「会社を辞めたい」という内容のメールが高橋幸美さんのもとに届く。その頃、研修期間が終わった高橋まつりさんの仕事量には際限がなくなり、 残業で早朝の4〜6時に退勤することが日常茶飯事となっていた。 「まつりは電通を辞める際の資料としてメールやメモなどを残していました。 そこから分かったのは、まつりはずっと黙って我慢を重ね、最後に自殺を踏み切ったわけではなく、人事部、上司、同僚と社内のいろいろな人に相談をしていたことです。 助けてほしい、と必死に声を挙げていました。まつりは母親である私にだけは心配させまいと悲観的なことを伝えておらず、 今はあの子を助けてあげられなかった後悔しか残っていません」 パソコンに保存されていたメールには高橋まつりさんのこんな記述が残っている。 「電通にすごく入りたくて入った。けれど、自分がここまで消耗して、 それと引き換えにキャリアを積もうとはもう思わない」 14日 「眠りたい以外の感情を失った」 21日 「もう4時だ 体が震えるよ…しぬ もう無理そう。つかれた」 11月3日 「生きているために働いているのか、働くために生きているのが分からなくなってからが人生」 5日 「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」 10日 「毎日次の日が来るのが怖くてねられない」 12日 「がんばれると思ってたのに予想外に早く潰れてしまって自己嫌悪だな」 18日 「毎朝起きたくない?」「失踪したくない?」 12月9日 「はたらきたくない1日の睡眠時間2時間はレベル高すぎる」 17日 「死ぬ前に送る遺書メールのCC(同時送信)に誰を入れるのがベストな布陣かを考えてた」 20日 「男性上司から女子力がないと言われるの、笑いを取るためのいじりだとしても限界である」 「鬱だ」 平成27年12月、クリスマスの早朝に、 「仕事も人生も、とてもつらい。今までありがとう」 静岡県の母・幸美さんにメールが届きました。 そのメールを受信したお母様は、急いで電話し「死んではだめよ」と、元気づけました。 力ない声で「うん、うん」と返答し、その数時間後、高橋さんは寮から飛び降り命を絶ったのです。 「過労死ライン」は月80時間とされていますが労災認定は遅すぎました 確かに電通は滅べとは思ってたけど あくまで電通が悪いだけでは 私だったらと考えると 少しでもきついなら 無理だなとすぐにやめてしまうので 問題が起きないのかもなあ その生き方自体の問題になっていくわけだけどね >>252 こんなことは氷山の一角に過ぎないですよ 日本にどれだけのブラック企業があると思ってるんですか >>253 確かに辞めたら済む話だけど 辞めるに辞められない事情があったとか 責任感や使命感みたいなものに苛ませれていたとか もしくは会社から圧力がかかっていたとか 今、世界のトップリーダーたちは「東洋思想」をこぞって学び始めています。それはなぜでしょうか。 はじめに「東洋思想とはどのようなものか」をきちんと定義し、解説しておきましょう。 私の言う東洋思想とは「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の五つの思想を指しています。 日本に八世紀以上存在し、精神性や風土に根づき、息づくことで、私たち日本人の暮らしの源泉となっている「知的資源」と呼べるものです。 これら東洋思想に共通する特性を、近代西洋思想と対比すると、両者がいかに「相補い合う関係」にあるのかがはっきりと見えてきます。 西洋は「外側にある(すなわち、誰も見ることができる)真理に迫っていく」という真理探究方式を採る一方、 東洋では「自分の中にある仏性、神的性に迫っていく」という真理探究の方式を採ります。 西洋思想では、どちらかと言えば「外側」に関心の中心が置かれ、「誰でも理解できること」「普遍性」を重視し、モジュール化に適しています。 反対に、東洋思想では「自分の心の中」に関心が向けられます。自己の内なる仏や神に気づくこと、自己の仏性、 神的に目覚めることを重視します。それだけ精神性に豊んでいるということです。 西洋…外側にある対象に向かう 東洋…内側にある対象に向かう このように、まさに正反対だからこそ相補(complement)の関係に成り得るのです。 一八〇年前の幕末の思想家佐久間象山は「渡洋道徳、西洋芸(技術)」という言葉で、両者を対比し、その特性の違いを見事に表現しました。 東洋は『精神』領域に長けているので、そこに資する知見を提供すべきであり、西洋は『技術』において1日の長がある。 佐久間象山は「両者の得意分野を融合して使うべきだ」と言っているのです。 まさに「西洋と東洋の知の融合」です。 今、時代は大きな転換期を迎えています。 情報のやり取りはほとんどがインターネットを介して行われるようになり、その量は激増、スピードは圧倒的に速くなりました。 誰もが、どんな情報にも瞬時にアクセスできるようになり、情報の機密性は大きく損なわれ、ガラス張りの世の中が誕生しました。加えて、今日では発信者という境界線はほぼ完全になくなりました。 今や個人の誰もが発信者となり「有名・無名」「個人・組織」の区別なく、あらゆる情報が自由に発信され、それを誰もがキャッチできます。 古代中国の思想家である老子は「戸を出でずして天下を知り、牅より窺わずして天道を見る」 (外に出なくても天下の情勢を知り、窓から外を窺わなくても世の中の道理がわかる)と語っていますが、私流に言うならば、 数千年前に老子が予測した通りの時代が今「現実世界」として実現しているということに、とても驚嘆しています。 もう一つの重要なことが「西洋と東洋の知の融合」です。 じつはこれまで私たちが生きてきた時代、社会というのは、原則として「近代西洋思想」をベースとして形作られていました。 私たちのライフスタイルはもちろん、働き方も、会社のあり方も、法律、政治、経済の様式まで、あらゆるものが近代西洋思想、近代西洋文明に則って作られてきました。 現代の私たちにとって当たり前のことばかりです。しかし、そんなパラダイムが古今東西すっと続いてきたかと言えば、そんなことはありません。 実際には150年から200年ほど前に、中世ヨーロッパ社会が終焉を迎え、産業革命が起こり、近代という時代が始まりました。 そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、近代という時代が始まりました。そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、今現在、広く世界を覆っています。 私たちの「当たり前」の根源はそこにあるのです。 しかし今、時代は再び大きな転換期を迎えています。 言い換えるなら、近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、あちらこちらで破綻し始めているのです。 これもまた、今起こっている「変化の正体」の一つです。 これまで全地球規模で世界をリードしてきた近代西洋文明をベースとしたパラダイム。 そんなパラダイムが揺らぎ始めた今日、揺り戻しのように世界中で見直されているのが東洋思想です。 今、世の中では「近代西洋思想的な発送」から「東洋思想的な発想」へとさまざまな側面で転換が起こっています。 行きすぎた資本主義が格差社会を増長し、世界中で問題になっているのもその一つの表れです。 物質的充足より、心の充足を求める人が増え、その延長でマインドフルネスや禅仏教が世界的に流行しているのもその一つ。 あるいは「所有よりもシェア」という意識が広がり、シェアビジネスが増えているのも、東洋思想的アプローチの一側面と捉えられます このように今さまざまな側面で東洋思想への揺り戻しが起こっているのです。 もちろん近代西洋文明のすべてが悪いというわけではなく、 あくまでも「西洋と東洋の知の融合」が求められ、そうした動きが世界中で起こっているということです。 世界のトップリーダーたちはなぜ東洋思想を学ぶのでしょうか。 もちろん単なる教養として学んでいるのではありません。 時代を読み解く切り口として、あるいは新しいビジネス発想を持ち得るための思考の源泉として、彼ら、彼女らは東洋思想を学んでいるのです。 ヨーロッパ中心主義(ヨーロッパちゅうしんしゅぎ)とは、本来は地球上に数ある諸文明の一つに過ぎない欧州文明を格別のものとしてみなす考え。 欧米文明を西洋としこれ以外の文明を全て東洋とすることなどはその一例とされる。 ヨーロッパ中心主義は、15世紀から17世紀の大航海時代に始まる。当時の文化的先進地域であったインドや中国、 中東と比べ経済的発展が遅れていた欧州諸国は大洋に乗り出し、アメリカ大陸や東南アジア島嶼部、北アジアなどの植民地化を進め、欧州文化が世界各地に伝播する。 ただし、中東・インド・東アジア・東南アジア大陸部においては在来文明の勢力が強く、当時は欧州文化があまり浸透しなかった。 しかし、18世紀から19世紀にかけて、欧州の経済発展および技術革新の速度は、中国や中東、インドの技術レベルや学問レベルの発展を大きく上回り、技術的、軍事的な欧州の優位が確立した。 中国やインド及びその周辺にも列強(西欧・ロシア・アメリカ合衆国・日本)の勢力が浸透し、欧州文明は世界を席巻する。 この過程で植民地になった諸国では自国の歴史、技術、文化を劣ったものとみなし、欧州文明を普遍のものとする価値観が広まった。 哲学の始まりをギリシャからとし、それ以外の地域の哲学は傍系のものとする。 欧州文明を西洋として、それ以外の文明を東洋としてひとまとめにする。 欧州の技術、科学が全時代にわたって他文明のそれに対して優位にあったと見なす。 欧州文明は合理的であるとし、それ以外の文明は非合理的であるとする。 人気俳優の三浦春馬さん(30)が18日、港区の自宅で死亡しているのが明らかになった。自殺とみられる。 この日仕事の予定だったが、仕事に現れなかったため、関係者が自宅を訪れると首をつった状態で見つかったという。搬送先の病院で死亡が確認された。 気になるのは自殺の動機だ。「変わった様子はなかった」とする証言がある一方、ある芸能プロ関係者はこんなことを言う。 「昨今の芸能人のスキャンダルに対し、マスコミや世間が一斉にバッシングする風潮に疑問を感じていたんですよ。 東出昌大の唐田えりかとの不倫もそう。明らかになった数日後、自身のツイッターで苦言を呈したことがあった」 たしかに、三浦の1月29日付のツイッターには「明るみになることが清いのか、明るみにならない事が清いのか… どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。 国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…」とある。 ところが、これがネット民の猛反発を呼んだという。 同関係者は「お前は東出を擁護するのか、と。 当時は東出が大バッシング中でしたからね。 逆に三浦が集中砲火を浴びて、けっこう参っていたと聞く。最近も木下優樹菜が引退に追い込まれたし、絶望したのかもしれない」と話す。 三浦さん自殺の一報が流れる数時間前、同じ事務所で親交のある俳優の賀来賢人(31)はインスタグラムのストーリーで以下の投稿をしている。 「人が好きなモノや、一生懸命やっている事を馬鹿にするのなんか超簡単で、否定したり、好きだ嫌いだ言う事も超簡単。 本当に超簡単。靴紐結ぶより。SNSがもっとポジティブになる事を願ってます。」 ファンの間では「意味深だ」と騒然となっている。 学生と大人で自殺の原因は異なり、学生の自殺の引き金となるのは、 1位 いじめ 2位 ネットいじめ 3位 ヒキコモリ(他者からの孤立) 4位 経済的な問題 5位 受験での失敗 6位 就活の失敗という結果。 大人の自殺の引き金になるのは、 1位 病気などの健康問題(精神疾患が最多) 2位 貧困や事業不振、倒産、リストラなどによる経済状況の悪化 3位 家庭問題 4位 職場の人間関係 外国人から見ると日本は先進国で恵まれているのに、なぜそんなにも不幸に感じている人が多いのか疑問を感じるみたい。 「豊かさのハードルが上がっていて、幸せの不感症になっているのでは?」と言われるとなんともいえないけど、男女別の要因では、日本人男性が不幸な原因は間違いなく、世間体の目が厳しく社会的なプレッシャーがあることと、根が真面目すぎて完璧さを求めるから。 「社会人ならこうあるべき」、「男ならこうあるべき」など身内をはじめとする周りの目が厳しく、海外では個人主義なので我が道をいく楽観的な人も多いけど、 日本人は真面目なので一定のレールから外れると生きづらくなり、ヒキコモリを選んだり自ら破滅の道に進む人も一定数いるのが現状。 ほかにも、勤務時間と通勤時間が長く社畜状態なのも、不幸感に拍車をかけている。 しかも、いまの若者は年金ももらえるかわからないため貯金に励み、余暇のレジャーになかなかお金を使えず、 バカンスという概念がないのも気分転換できずに鬱々してしまうことにつながっている 発展途上国は自殺がほとんどないというけど、それは生きるのに精いっぱいだから。生きることに喜びや希望を持てるから。 先進国はすでに物質的に満たされているため、それ以上の希望を見つけにくいのかも…。 自殺をするぐらいなら全てから逃げてほしいと切に思います。 この様に、西洋から発生した現代の文明は、 人は、心と体から出来ているにも拘らず、 あまりにも、 物中心の「 衣・食・住」の豊さを求めて行ったために、 心・心情( 思いやり )、「真・美・善 」の世界が消え、 そして、 ( 物質的、科学万能主義となり、 また、人間が物・道具として扱われ、物に支配され奴隷となり ) 人間の 心が荒れ、人間関係の 希薄化・孤立化 が起きたり、 人間を 価値のない物・無力な物 にしてしまいました。 人間は、孤独な寂しい存在 になりました。 その結果、 心〈 心情 〉の世界 や 見えない世界が否定、分らなくさせられ 自殺、離婚、、少子高齢化問題、家庭の孤立化・崩壊、 引き籠り、いじめ・虐待、様々な事件 などの問題を引き起こし、 心の問題 や ストレスに起因した、原因不明の病気、難病、 成人病、癌、認知症 など不幸な病気を、作って来ました。 経済状況も、世界的に悪く、良い方向が見えず、天変地異や テロ( 宗教戦争 )など、不安が増える一方、となってしまい ました。 そして、人々は、何が正しく間違いか分らなくなってしまい、 混乱しております 経済の停滞が叫ばれて久しい昨今。「がんばろう日本」「絆」「助け合い」は死語になってしまったのでしょうか。 私たちの社会の暖かさは、どこへ行ってしまったのでしょうか。 2011年3月、困難を抱えた人に共感し、助け合うことによって、この社会は大きな困難を乗り越え、より良くなるのだということを、私たちは知りました。 あれから9年、今日、コロナショックの中で苦しむ私たちの仲間にかけられる声は、大変冷たいものです。 非正規の方々が派遣切りにあっているというニュースが出れば「非正規に甘んじたのだから自業自得だ」という言葉が並び、 舞台俳優やキャバクラの従業員が困っているという話が出れば「今まで好き勝手に生きてきたんだから自分で努力しろ」という声が浴びせられる。本当に冷たい社会になったなぁと思うんです。 なぜこうなってしまったのか。社会に殺気のようなものが漂い、まるで足を引っ張り合うかのような空気に支配されてしまったのはなぜなのか。 私はここ何年かで大きく進んでしまった、この国の競争社会化にあると考えています。 「競争社会にすることでみんなが努力するようになる。」 「いま怠けている人たちは保護されすぎなんだよ。」 「貧しい人は努力しなかったんだから自己責任だ。なぜ税金で助けるんだ。」 最近は、競争を促して「怠けている人」を含めた全員を努力させようという「競争社会志向」が 私たちの間で高まっているように感じます。 あるいは「怠けて努力しなかった人」へのバッシングが頻発するようになったとも感じます。 生活保護バッシングや貧困バッシングがわかりやすい例でしょう。「国は敗者に甘くしてはいけないし、敗者は国に甘えてはならない。 平等を求めるのではなく、勝った人には甘く、負けた人にはさらに厳しくしてこそ、みんなが努力するようになる。」 そうした競争社会の主張が、本当に多くの方に支持をされているのです 社会のせいにして自分を変えようとしない姿勢が間違っているのさ まりあもこんなところに張り付いていないで運動なり勉強なりしたらどうだ? 競争社会化は実は日本を良くしない 競争社会化は逆効果だとすら思います。 一方は車で、もう一方は足かせを着けて42.195kmを走れと言われても、後者は走ろうとはしないでしょう。明らかに勝てませんから、走るだけ無駄だと思うはずです。 あるいは、生まれつき足かせをつけていれば、走り方すら知らないかもしれません。しかし、今の日本はこれです。 もし、競争を始めたいのなら、ただ単にスタートの乾いたピストルの音を鳴らすのではなく、その前に平等なルールを整え、 私たちをスタートラインにしっかりと立たせるのが先です。 全員に走り方を教え、走る道具を与え、少なくとも走る意義を見出せる状態にしてから競争をはじめるべきでしょう。 そうすることでどっちも努力するようになるからです。 勉強も運動もろくにできないようなのに 国をよくできると思うことそのものが間違い 私はいまの日本をサバンナに見立てて「弱肉強食社会」と揶揄しています。この状態で努力を求めても誰も努力しません。 サバンナではシマウマの子は当然シマウマであり、ライオンの子は当然ライオンです。 さあ、ここで自由に競争してくださいと言っても答えは見えています。シマウマはライオンに食われるでしょう。 シマウマがライオンを上回って食物連鎖の頂点に立とうと努力するかと言えばしないでしょう。それはできないからです。 一方のライオンも、シマウマに自らの地位を奪われる危険はありませんから、何らかの努力もしないでしょう。 このシマウマとライオンからなる競争社会(弱肉強食社会)では誰も状況を変えるための努力をしていないということになります。日本はこれです。 「誰だって努力すればなんにでもなれる」などといって、野口英世だの田中角栄だの、様々な例外を持ち出してくる人がいますが、基本的には前述の通り、 シマウマの子は今もシマウマであり、それを覆すことも、覆そうと思うことも日本では難しいのです。 野口さんや田中さんは私のように、絶望を脱する奇跡にたまたま巡り会えたにすぎません。 スピリチュアルや宗教とて 結局は強者が弱者から搾取するためのしくみに過ぎない やるべき事を間違えていないか? 私は競争そのものは否定しません。確かに、それは人々を努力へと駆り立てるものです。 しかし、それはそもそも努力できる環境や、努力すれば誰でも競争に勝てるという状況を作って初めて人々を駆り立てるのです。 私たちは、サバンナの、乾いた風が吹いて殺伐とした弱肉強食社会のなかで競争を主張するような無意味なことは、今すぐやめるべきでしょう。 私たちがまずはじめにやるべきなのは、競争を強化することではなく、人々を競争の舞台に立てるように支え、努力できるようにすることなのです。 確かに、子どもたちを親から切り離して、みんな同じ条件で育てることも、みんなの性格や生まれもった才能を均一にすることもできません。完全に平等なスタートラインなど不可能です。 でも、だからといって何もしない訳にはいきません。私たちには、できることがまだあるはずだからです。 一人親家庭で、養育費が払われず、困っている親子に、私たちはまだ何かできるはずです。 家計を気にして、就職しようとしている高校生の少年に、夢を諦めさせない方法がまだ何かあるはずです。 将来はどうにもならないからと、勉強をあきらめている子ども食堂の少女に、私たちはまだ何かできるはずなのです。 「怠け者」と突き放すのではなく支えてほしいのです。完璧な目標の達成が難しくても、それに近づけば近づくほど、社会は良くなるのです。 本当に意味のある競争社会の実現のためには、まずそれしかありません。 ひとりがみんなのために、みんながみんなのために支えあって、結果的に支えた側も支えられた側も幸せになれる。そんな社会を目指しませんか? 足を引っ張り合って社会が崩れてしまうような、弱肉強食の競争社会ではなく、 切磋琢磨して共に向上する、助け合いの競争社会こそ私たちが目指すべき社会なのではないでしょうか。 足が引っ張って社会が崩れるというのなら 社会が崩れても生きていけるだけ強くなればいいだけ 信仰なんて役に立たない だからアメリカに戦争で負けた 「自己防衛、投資、日本脱出」 これを説いたのが占い師だってのが皮肉 >>294 まぁ貴方の言うように この世界は弱肉強食で 弱者は嫌でも強者の言うことを聞かなければいけない 戦争に負けて日本はアメリカの言うことを聞くだけの不甲斐ない国に成り下がった でも全てを周りに合わせる必要もない 日本は日本だけの文明を築いていけるはずです それが国家です 数十万年前 私達(人間)は意識を持ち 奇妙な世界に居ることに気付いた https://youtu.be/MBRqu0YOH14 そして原始の人達は この世界は神様が作ったものだと 考えた それが世界の始まり 宗教は信じることから始まる けれども科学は世界を疑うことから始まる 科学は世界を解明した 世界は私達の為に造られたのではなく ただ存在してるだけだった 科学は神様の存在をも否定する そこから人類の歯車が狂い始める 私達は何の為に存在していて 何の為に生きているのか 世界が分からなくなってしまったのです 世界を分かっていなかったのは宗教を信じていた時代の方 権力者のための嘘を「真実」だと思い込んでいたのだから その嘘がバレたというだけ >>298 まぁそういうことですね 神は実在しても実在しなくてもどっちでもいい 現代人は心の拠り所が欲しいのです その為に人間は神や仏を心の拠り所としてきたわけですから >>297 科学は 神を否定などしていないよ。 むしろ 科学は神へ至る道。 科学者は 自分の研究に 様々な制限を荷しているだけ。 >>297 たった今の問題の核心から もろにズレている。 いまさら精神性を説いたところで 説得力は皆無です。 『パパラギ』は、都市人間の机の上の一本の椰子だ。――浅井愼平 (解説より) 現代社会に警鐘を鳴らす歴史的名著。 南海の酋長ツイアビは、はじめてパパラギ(=白人)たちの「文明社会」に触れた驚きを、 島の人々に語って聞かせる。 お金、時間、都会、機械、情報、物欲・・・・・・。 その内容は、深い洞察と知恵、 素朴にして痛烈な啓示に満ちた文明批評として、今なお輝きを失っていない。 豊かさを追い求めてモノと時間を切り刻み、 無辺の闇にたどり着いてしまった私たちが、今こそ真摯に受け止めるべきメッセージ。 ▼本書の内容 *パパラギのからだをおおう腰布とむしろについて *石の箱、石の割れ目、石の島、そしてその中に何があるかについて *丸い金属と重たい紙について *たくさんの物がパパラギたちを貧しくしている *パパラギにはひまがない *パパラギが神さまを貧しくした *大いなる心は機械よりも強い *パパラギの職業について--そしてそのために彼らがいかに混乱しているか *まやかしの暮らしのある場所について・束になった紙について *考えるという重い病気 *パパラギはわたしたちを彼らと同じ闇の中に引きずり込もうとする 著者について ●編著者:エーリッヒ・ショイルマン 1878年、北ドイツ・ハンブルク生まれ。画家を志してドイツ各地を旅した。 1910年頃ヘルマン・ヘッセと知り合い、その東洋への憧れと神秘主義に強く影響されて、 当時ドイツの植民地だったサモアへ旅した。 第1次世界大戦勃発でサモアを追われ、米国に渡り、そこで『パパラギ』を著す。 その後ドイツに帰国し、1957年没。 2020年5月20日に日本でレビュー済み 現代人はものに溢れた生活に慣れきっている。 人間があたかも世界の支配者たる驕りを認識させてくれる1冊だとおもう。なぜならば、人間はあくまでも自然の一部でしかないのに、それを忘却することにより多くの自然からの逆襲を悟れないでもあるからだ。 ウィルスによる攻撃も、細菌による疾病も、自然破壊から創造して生まれ出でたことなのすらわからないでいる。 つまり、人間は自らを自らのその手で豊かにする半面で、こうしたものを創造しているにも関わらず!わからず終いには大騒ぎをする。 この本のデメリットは、この話をフィクションとして受け取れてしまうことが、唯一の欠点ではないのかと思えるところだ。 2020年04月02日サモアの酋長ツイアビの文明批判。 彼らがキリスト教徒なのが意外だった。白人すなわちパパラギは彼らにキリスト教をもたらし、彼らを救った。 しかしパパラギ自身は神を信じてはおらず、金や物や時間を盲目的に信じ、人間至上主義で生きている。 サモア人たちはキリスト教がもたらされたことで古くからの偶像崇拝を捨て、大いなる心・神に感謝して平和に豊かに生きられるようになったが パパラギは現世的で金臭い偶像にとらわれ、本当の豊かさや幸せを見失い、サモア人を貧乏だと哀れみながら疲れた顔で生きている。 鋭い文明批判だし、ツイアビの語ることはもっともではあるけれど、今このパパラギと同じ価値観に生きる日本で何ができるだろう。 まずは、与えられたものに感謝することからだろうか。なんだか苦しくなる。 2018年02月11日 サモアの酋長ツイアビが欧州視察の旅で見聞きした白人文化を、サモアの人々に語って聞かせる演説をまとめたもの。 ほぼ100年前の話だが、不思議と現代と何も変わらない。忙しさ、お金、時間、仕事、機械、物欲、家族、住まい、都市・・・。白人(パパラギ)の家には光も風も届かない。腕に機械を巻きつけ、時間ばかりを気にしている。 仕事を一つ覚え、一生その仕事から離れず魚も取れなければ畑を耕すこともできない。自然のままに生きてるサモアの人々から見ると、白人の生き方は不思議で危険なのだろう。 2018年11月29日 白人が作り上げた文明世界こそ進んでいて、島々で暮らすような未開発な土地で暮らす人々こそ遅れている。 一般的な認識はそうだ。 しかし、ツイアビ酋長は全てが魔法のような文明世界を目の当たりにして、その暮らしを羨むどころか、悲観した。 文明、科学が発達したことにより、物質的豊かさは手に入れたが、それと引き換えに精神的豊かさを失った白人世界。 物質的豊かさは無いものの、精神的に豊かに暮らしている未開発な土地に暮らす人々。 本来人間というものは自然の一部である。 自然、神とつながっているのが本来の姿。 そのつながりを自ら断ち切っていく白人の生活を見たツイアビの言葉は、現代社会を生きる僕達に考えさせられるものがある。 14 名前:名無しヒーリング[sage] 投稿日:2020/07/27(月) 16:11:09.91 ID:gVO8oIJc スピリチュアル、特に地球の代表ヅラして偉そうに説法説いとる霊能者やその信者どもに求めることー! 科学や文明の発展・成果の恩恵(電気・水道・インターネット・三権分立・民主主義・スーパー・コンビニ・印刷)だけもらって その尻馬に乗りつつ楽して自分たちの手柄にしようとするのをやめてほしい スピリチュアルと言いつつ、地上の人間たちが研究・発展を重ねてきた経済・科学・心理学などに比べても、 天と地ほどの差があるくらいあからさまに時代遅れな現実逃避的で選民思想的な精神論のレベルを未だにドヤ顔で語ってるっていう、 井の中の蛙の裸の王様っぷりに早く自分たちで気づいてほしいということ。 もっと地上の社会人・経済人たちの、苦労やメカニズムを理解しようとする努力を少しは見習って、いいかげん人類の成長の足を引っ張るのを本当にやめてほしい。 彼らには荷が重いか… 教団それぞれが優位性を主張し合い、より権力を充足しようとすると、中身よりも名目のみがふくらみ続け、信者のレベルはかえって堕落する。 今日の宗教嫌悪がそれを物語っている。 高度経済成長が始まった頃からは清貧・修行・自戒という古来の宗教は姿を消し、いかにして大衆におもねり、だまし、カネを吐き出させるかに努力が集中した。 たとえば信者を作り出す方法として、@気安く読ませろ A不安をつくり出せ Bもっと依存させろ Cいろんなご利益を強調しろ Dここだけが本物 E救済に時間制限をつけろ、 といったさまざまな搾取戦略が考えられ、こうした戦略にもとずいて信者を堕落させる宣伝が行われてきた。 道徳もなにもあったものではない。 目的地に早く着くことが、 たいした得になるわけではない。 ぶらぶら歩き、さまよう楽しみを、 私たちを迎えてくれる、 しかも思いがけない目標に出会う喜びを、 彼らはすっかり忘れてしまった。 かしこいサモア人なら、暖かい光の中で手足を伸ばし、何も考えない。 頭だけでなく、手も足も、腿も、腹も、からだ全部で光を楽しむ。 考えるということは、道をふさいでどけようもない、 大きな熔岩のかたまりのようなものだ。 パパラギという人間の中では、 欲望と精神が敵意を抱いて対立しているようだ。 彼らは、くだけてふたつに割れた人間だ。 考えるという重い病気が、彼らを襲っている 白人の世界で1人の人間の重さを測るのは、気高さでも勇気でも心の輝きでもなく、 1日にどれくらいたくさんのお金を作る事ができるか?どのくらいたくさんのお金をしまっているかである。 ギラギラ光り、ピカピカ輝き、しじゅう色目を使って自分を目立たせようとしている白人の物は、体を美しくしたとしても、 その目を輝かせた事もその心を強くした事もない。 私たちの言葉に「ラウ」というのがあって、 これは「私の」という意味であり、同時に「おまえの」という意味でもある。 白人はいつも早く着く事だけを考えている。早く着けばまた新しい目的に呼ばれる。こうして一生休みなしに駆け抜ける。 同じ仕事の繰り返しほど人間にとって辛い事はない。 教養のある人間になにか質問するとしよう。 おまえの口がまだ閉じていないのに、彼はお前を目がけて答えを発射する。彼の頭にはいつでも弾がこめられていて、いつでも撃てるようになっている。 どのヨーロッパ人も、自分の頭をもっとも速い銃に仕立てる為に、その生涯の最良の時を費やしてしまう。この考え病を治す方法は、忘れる事、思想を投げ捨てる事である。 私たちは、からだをいっそう強くし、心をいっそう楽しく快くすることでなければ何もしてはならないし、する事は許されない。 神様の光とは、互いに愛し合い、心にいっぱいのあいさつを作る事。 パパラギは、「金」にとらわれている、 パパラギは、「時間」にとらわれている パパラギは、「自分」を中心に考えている パパラギは、「欲」に目が眩んでいる パパラギは、「自然」をないがしろにしている パパラギは、「神」をないがしろにしている 過信 勘違い 思い上がり ゆがんだ価値観 A新聞という“まやかし”(「まやかしの暮らしのある場所について、束になった紙について」) パパラギはまやかしの中で暮らしている。そこでも顕著なものは、情報が束になった紙、「新聞」である。 新聞は沢山の情報を提供し、その場にいずとも何が起こったのか知ることが出来る。だが、この新聞は2つの弊害をもたらす。 まず、多くの人が共通した情報を知るため、人とのコミュニケーションが減る。 ほとんどは既知のことが増え、それを繰り返すだけになるからである。自分の目で見ずに、他人から聞いたことがあるだけの情報では人の心を動かすことができない。 そして、新聞は自身の考え、それも莫大な量の情報を人に送り出す。それをパパラギは前日の情報をも処理できぬまま、頭に詰め込む。次第にパパラギは消化不良に陥り、“まやかし”に追われ、それが真実だと考えるようになり、 思考を止める。 これは新聞だけでなく、情報に溢れたインターネットにも共通したことだと感じ、情報を詰め込むだけでなく、 時に立ち止まって自分で思考することも忘れてはならないと思った。たまには本を読むことを止めて旅に出るのも悪くないかも。 B「考えるという重い病気」(p132〜) 村長がパパラギに対して疑問を感じたことの中で、一番私が衝撃を受けた話。村長たちにとっては、パパラギが“考え続ける”こともおかしいというのである。 パパラギは考え続けることに慣れ、常に思考することを好む。旅行の際にも、この次はどうなるのだろうか、と考え続ける。 だが、これでは心ここにあらずで、旅行していないのと同じであると村長は言う。 パパラギは考え、それを書物に書き溜め、次世代にも受け継ぐ。思考することは良いが、同じ思想を詰め込むことになってはならない。詰め込むだけにならないためには、「忘れること」も必要である。 だが、パパラギは思想を捨てることができず、詰め込み過ぎて病んでしまった。適度に忘れる。覚えることが善とされた我々が、 それを大切だと感じるにはどうすればいいのだろうか。 全体を通して先進国に住む人間にとっては感じることの多い本だった。勉強する、詰め込むことがすべてではない、だとすればどうしていくべきか。 詰め込むにしてもいま詰め込んでいることは本当に必要なのか。自問自答するいい機会となった。 >>312 科学の発展 経済の発展が人類の成長だと思ってることが思い上がりで 傲慢極まりないことですね それは先住民の文化を破壊し 蹂躙し植民地支配をした白人達と同じ考え方です 自分たちの文化こそが優れているという傲慢な考え方です ホピ族の予言 神に導かれ現在の地にホピの人々がやってきた際、大精霊から告げられた予言が「ホピの予言」として知られている。 現在から未来にかけての予言は「世界は今物質への強欲のためにバランスを失っており、このままでは世界は終わる」という警告であった。正しい道を選べば発展の道が残されているという。 おおよそ100年前に描かれたロードプランと呼ばれる岩絵には二つの道が記されている。 下の道はホピの道と呼ばれる謙虚につつましく生きる道、上の道は欲望のまま生きる道である。人類がホピの道を選んだ場合、未来永劫に豊かで幸せな道が続いている。 しかし人類が上の道を選んだ場合、ジグザグ線で示された混乱の道を歩み、その先はない。 あのなぁ 筋肉が使わないと衰えるように 脳だって使わないと衰えるんだよ 考えるのをやめるな >>324 考えることは悪いことだとは思いませんが 考え過ぎることがいけないとサモアの酋長は言ってます 何より考え過ぎれば脳が疲れてしまいます 絶えず思考を張り巡らせることが危険だと酋長は言ってるわけです 我々は既に西洋的な価値観に汚染されている為に絶えず思考を張り巡らせるのは高尚なことだという思い込みを持ってます 夫(36)に向かってボーガン(洋弓銃)を発射し、包丁で切りつけて殺害しようとしたとして、 神戸市兵庫区の集合住宅に住む無職の妻(33)が26日、兵庫県警に殺人未遂容疑で逮捕された。夫はけがをしたが、命に別条はないという。 【写真】殺人未遂事件のあった集合住宅付近 兵庫署の発表によると、妻は26日午前5時50分ごろ、自宅で就寝していた夫に対してボーガンを発射し、さらに首を包丁で切りつけたりした疑いがある。 ボーガンの矢は夫の頭近くをかすめただけで命中しなかった。事件後、妻は自ら「夫を刺した」と110番通報したという。 捜査関係者によると、妻は「新型コロナウイルスの影響で失業し、いらいらしていた」と供述しているという。さらに、6月に兵庫県宝塚市で家族ら4人がボーガンで襲われ死傷した事件から発想したなどと述べ、「ボーガンは殺害するために購入した」と話したという。 県は宝塚市での事件を受け、ボーガンの所持・販売への規制を強める条例案をまとめ、近く定例県議会に提出する予定だ。 現場は神戸高速鉄道新開地駅から北西約3キロの住宅街。 >>324 たまには考えるのを止めて 太陽の光をいっぱい浴びて転た寝するのも気持ち良くて良いものですよ ・肉食脳って? 肉食脳は目に見えるモノがこの世の全てと思い込む。・・物 金 外見 西洋脳・・・「微視的」「具象的」「物質」 東洋脳・・・「全体的」「抽象的」「精神」 '90年代から"イケメン""茶髪""美白"などがもてはやされ出したのも 実は食肉消費と西洋化に関連している。 本来の日本人はこれほど外見にはとらわれない。 日本画…抽象的 西洋画…写実的 アレルギー <=免疫抑制剤で制御 がん <=抗がん剤で叩く 外ばかり見るのが西洋医学。 東洋医学では万病は内側からと言って体質(原因)を相手にする。 自由がなければ善も悪もない 北朝鮮で核兵器作っている人も家族を養うためにやむを得ずしているのかもしれないし 宗教は善悪を教える前にまずは人を自由にすべき 働かなくても生きていける世の中を作る事が神のご意思なのだよ 死は生命にとって最高の発明 これは、11年10月に亡くなったアップル創業者スティーブ・ジョブズの言葉である。 製品の外装だけでなく、内部のマザーボードにまで美しさを求めたジョブズは、チップや回路をもっとシンプルで魅力的な配置にしたいと考えた。 技術者たちはマザーボードをのぞく者など誰もいないと反論したが、これに対しジョブズが放ったのがこの言葉であった。 製品の本質を重視する彼の精神は、禅の一派である曹洞宗の開祖・道元の教えに通じるところがある。 たとえば道元の教えを弟子たちがまとめた『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』(岩波文庫など)には 「実徳を蔵、外相を荘(かくしてかざらず)」(内面をよくして外面を飾らない)という言葉が出てくる。 実際、ジョブズと禅には深い結びつきがある。 彼は青年時代から禅と接し、曹洞宗の僧侶である乙川弘文(おとがわこうぶん)老師に師事していた。 カウンターカルチャーが全盛を迎えた1960年代から70年代前半、海外の若者たちは物質万能主義に疑念を抱き、 精神世界に関心を向けた。ジョブズも、72年に大学に入ると東洋思想に傾倒していく。 なかでも仏教や禅には強い影響を受けた。 後年彼が語ったところによれば、「具象的思考や論理的分析よりも直感的な理解や意識のほうが重要だと、このころに気づいたんだ」 (ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズI』講談社)という >>331 現実には、宗教コミニティーは一部の権力者を肥えさせる為のコミニティーだけどな 下っ端の資産を吸い上げ0にして組織に依存させ、後は働かせては金を巻き上げる。 下っ端信者が塩飯食いながら「幸せです〜」とか言ってる間に、教祖は巻き上げたお布施で A5ステーキをガバガバ食う。 信者と書いて儲けとは良く言ったもんだよ。 物質文明に生きてると自分一人で生きてるような感覚に陥る これはとても危険なことだ ・肉食脳って? 肉食脳は目に見えるモノがこの世の全てと思い込む。・・物 金 外見 西洋脳・・・「微視的」「具象的」「物質」 東洋脳・・・「全体的」「抽象的」「精神」 '90年代から"イケメン""茶髪""美白"などがもてはやされ出したのも 実は食肉消費と西洋化に関連している。 本来の日本人はこれほど外見にはとらわれない。 日本画…抽象的 西洋画…写実的 アレルギー <=免疫抑制剤で制御 がん <=抗がん剤で叩く 外ばかり見るのが西洋医学。 東洋医学では万病は内側からと言って体質(原因)を相手にする。 「考えるという重い病気」(p132〜) 村長がパパラギに対して疑問を感じたことの中で、一番私が衝撃を受けた話。村長たちにとっては、パパラギが“考え続ける”こともおかしいというのである。 パパラギは考え続けることに慣れ、常に思考することを好む。旅行の際にも、この次はどうなるのだろうか、と考え続ける。 だが、これでは心ここにあらずで、旅行していないのと同じであると村長は言う。 パパラギは考え、それを書物に書き溜め、次世代にも受け継ぐ。思考することは良いが、同じ思想を詰め込むことになってはならない。詰め込むだけにならないためには、「忘れること」も必要である。 だが、パパラギは思想を捨てることができず、詰め込み過ぎて病んでしまった。適度に忘れる。覚えることが善とされた我々が、 それを大切だと感じるにはどうすればいいのだろうか。 全体を通して先進国に住む人間にとっては感じることの多い本だった。勉強する、詰め込むことがすべてではない、だとすればどうしていくべきか。 詰め込むにしてもいま詰め込んでいることは本当に必要なのか。自問自答するいい機会となった。 スピリチュアル、宗教、特に地球の代表ヅラして偉そうに説法説いとる霊能者やその信者どもに求めることー! 科学や文明の発展・成果の恩恵(電気・水道・・ガス・インターネット・三権分立・民主主義・農業革命・スーパー・コンビニ・電車・印刷)だけをもらってるくせに、 その尻馬に乗りつつ楽して自分たちの手柄にしようとするのをやめてほしい 現代の経済や文明におんぶだっこで、電化製品や印刷技術やインターネットや貨幣経済を使い甘えながら戯れ言を吐くなということ 通俗スピ本からパクった浅い思想で現実逃避的な観念論に逃げるなということ もっと地上の社会人たちの、苦労や問題を解決しようとする努力を少しは見習って、いいかげん人類の成長の足を引っ張るのを本当にやめてほしい。 彼らには荷が重いか… 福岡市の商業施設で女性が殺害された事件で、銃刀法違反容疑で逮捕された少年が逮捕前に6歳の女の子に刃物を向けて馬乗りになったとみられることが分かりました。 28日夜、福岡市の商業施設で吉松弥里さん(21)が刃物で刺されて殺害されました。現場近くでは、自称・15歳の少年が包丁を所持していたとして逮捕されています。警察によりますと、少年は逮捕前に6歳の女の子と39歳の母親に包丁を突き付けていましたが、捜査関係者によりますと、少年は逃げようとして転んだ女の子の背中に馬乗りになっていたことが分かりました。近くにいた男性らが刃物を取り上げて少年を取り押さえたため、女の子にけがはありません。警察は、人質にして逃げるためだったとみて調べています。 俳優が自ら命を絶ったとみられる事態が相次いでいる。自宅で40歳の若さで亡くなった竹内結子さんのほかにもこの2カ月あまりで三浦春馬さん(享年30)、芦名星さん(同36)、藤木孝さん(同80)。 一体なぜ自殺の連鎖が起きているのか。専門家はコロナ禍による仕事の減少が「喪失体験」となり、知らず知らずのうちに心に大きな負担を与えている可能性があると指摘した。 トップ女優のあまりにも突然の別れに悲しみが広がるとともに「なぜ役者ばかり…」と疑問の声が上がっている。 現在、新型コロナウイルスの影響で俳優業界全体が低迷し、仕事が激減している。 テレビ関係者は「コロナ禍で映画やテレビドラマの制作が一時的にストップしたことで、役者の需要が落ち込んでしまった。ペースが戻らない」と嘆く。 関係者によると、トップ俳優の場合は2年先くらいまで出演予定が決まっているが、 一度撮影が延期や中止になるとスタッフや共演者との兼ね合いもあり、再度スケジュールを組むのが困難になるという。 竹内さんは金銭的には問題がなかったようだが、「彼女のような主演級は出演作も慎重に選ぶ。バラエティー番組などに安易に出るわけにもいかず選択肢が限られる」(映画関係者)と指摘する。 >>310 確かに白人(現代人)の生き方は危険だ 先進国の人達は心を病んで自殺したり 鬱とか精神病の人ばかりだ ムーンショット目標 1.2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現 3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現 4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現 5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出 6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現 7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現 誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター 基盤** 2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。 2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。 注:サイバネティック・アバターは、身代わりとしてのロボットや3D映像等を示すアバターに加えて、人の身体的能力、認知能力及び知覚能力を拡張するICT技術やロボット技術を含む概念。 Society 5.0時代のサイバー・フィジカル空間で自由自在に活躍するものを目指している。 サイバネティック・アバター生活 2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。 2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。 ムーンショットが目指す社会 人の能力拡張により、 若者から高齢者までを含む様々な年齢や背景、価値観を持つ人々が多様なライフスタイルを追求できる社会を実現する。 サイバネティック・アバターの活用によってネットワークを介した国際的なコラボレーションを可能にするためのプラットフォームを開発し、様々な企業、組織及び個人が参加した新しいビジネスを実現する。 空間と時間の制約を超えて、企業と労働者をつなぐ新しい産業を創出する。 プラットフォームで収集された生活データに基づく新しい知識集約型産業やそれをベースとした新興企業を創出する。 人の能力拡張技術とAIロボット技術の調和の取れた活用により、通信遅延等にも対応できる様々なサービス(宇宙空間での作業等)が創出される。 まー何を言ってるか超ざっくりと言うと、 人間と機械を融合してより高次元の人間になりましょうってこと ロボットと融合して、身体能力、記憶能力、時間、空間を超えて新たな生活をてにいれるという未来を描いています。 なので、現在既に頭ないし体にマイクロチップを入れている人がおり、北欧ではスイカの代わりに触れるだけでジュースが買えたりする。 また、すべての個人情報もマイクロチップに入っているのでわざわざパスポートがとかマイナンバーカードが不必要ってことです。 便利に聞こえますが、これは全ての生活が監視されていると言う認知としても取れます。 AIスコアと言うものがアプリとしてリリースされてたりもしますがこれはオンライン上で書いてあることなどを判断して、それを数値化しているものです。 これだけでもぞっとしますが、さらにそれらの内容がAIにより選別されていると言うものです。 ヒエラルキートップの人達は77億人の人口を5億人まで減らし監視すると言うものがあるみたいで、 前回書いたコロナウイルスがそれに関連していると考えられております。 これらのことはアジェンダ21で既に決定しているということです。 もし5億人まで人口を減らすなら95%は人類がいなくなると言うことになります。 自分ではっとした方いるのではないでしょうか? 誰かを吊し上げたり、暴言吐いたり、人の揚げ足を取って嘲笑ったりしているあなたはもう手遅れかもしれません。 なぜ人口を減らしにかかっているかについてはまた後日書いて行こうと思います。 もし、コロナの記事見てなければ見てみてください。 問:霊性向上を目的とした宗教志向は神の目から見ていかがでしょうか。 答:「人のために役立つことをする――この心掛けでの平凡な日常生活の方が、浮わついた言動や非常識な生活をするよりも立派です」 問:人間は地上生活での興味に心を奪われず、霊的な探求によって魂を向上させるべきではないのでしょうか? 答:「人間の霊性を高める苦難は自然の成り行きで遭遇するものに限られます。神が用意したものだからです。人間が自らの考えで自らに課したものは、結果的に人のために役立つことに寄与しないかぎりは無意味です。 インドや山に旅行をして瞑想ごっこをしているスピリチュアルマニアや、布教に熱心などこかの宗教の狂信者たちは、それによって一体どれだけ霊性が向上したというのでしょう? そんなことをしている暇があったら、なぜ地上の貧しい同胞のために慈悲を施さないのでしょうか。 着るものにも事欠く人に衣類を与え、喪の悲しみの中にある人に慰めの言葉を与え、食べるものにも事欠く人のために自分のものを分けてあげ、そのために自分は断食もあえてする ――そういう生活こそ有意義であり、神の意志に適っております。 自分のためだけに修行をする者は一種の利己主義者です。他人のために自分が苦しんでこそ慈悲の法則を実践したことになります。 それがイエスの教えです」 問:動物性食品を摂取するのは自然法則に反しますか。 答:「地上の人間の体質からすれば、体力を維持するためには動物性食品は摂取する必要があります。それを欠くと体力が衰えます。 自己保存の法則は健康と体力を維持する義務を要求します。そうしないと仕事の法則が成就できないからです。身体器官の必要性に応じた食品を摂取すべきです」 神や教祖の威光をふりかざして自分をえらく見せようとする行為 それが宗教 虎の威を借る狐 神の予言、悟り、先祖といった目に見えないもの、実態のあいまいな、つかみどころのない、それでいて権威のあるものを利用して自分たちを特別であるかのように見せかける 自分らを民衆より一段も二段も高い階級に置くこと、王や貴族よりももっと高い最高の地位に居座ろうとすること、それがやつらの全て それを証拠に教祖と信者が対等な関係にある宗教などひとつとして存在しない 古今東西全ての宗教家は信者や弟子を必ずと言っていい程自分の前に平伏させる 神を拝めといいつつ自分の足元に跪かせている さらにひどいことには信者を操って金品を貢がせる なんだかんだ言いくるめてたぶらかして社会から隔離し自分の言いなりになるよう洗脳する どんな強盗や詐欺よりもはるかに悪質でその被害総額ははかりしれない 宗教は個人で信仰を拒否できるけど、新自由主義は誰もが強制参加させられる 新自由主義は欲望を肯定する ライオンとウサギを同じ檻に入れて勝つほうが善とする思想だ しかもその思想を世に推し進めてるのがライオンという始末 かろうじて生き延びたウサギが精神的な拠り所を求めて宗教を信仰することがある 二重に搾取されるという悲劇だ 力のないものに救いはない 「ワールドメイトってどんな団体? 」より引用 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537627950/589 >589 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/24(火) 12:26:43.59 ID:p5njZQeL >教祖様は本当に神人合一しているのでしょうか? > > https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537627950/597 >597 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/28(土) 22:37:03.13 ID:pAS3pbOT >>>589 >神人合一するくらいの状態になれないと >神様は来ませんから >条件がそろわないかぎり神様は来ません 『宗教名目による悪徳商法―日弁連報告書にみるその実態と対策 』 (緑風出版) (1996/5/1) 日弁連は1987年7月と翌1988年3月の2度にわたって、霊感商法の実体とその対策について提言する詳細な報告書を公表した。 第二 実体 この提言で対象とする典型的な事例を10種類選択して紹介する。いずれも弁護士や消費者センター等の相談窓口に寄せられることが多いものばかりであり、事件を担当した弁護士や被害者から直接事情徴収してまとめたものである。・・・ 8)教祖の著作を書店で見て、この教団(法人格はない)に関わりを持つ人が多い。悪霊を払って善霊を呼び開運すると銘打った除霊の儀式(5万乃至数十万円)や、 有料の気学や、やせる・美人になる・金持ちになる等の各種講演会、秘法等のイベントなどに若い人を中心に多数参加している。 子供の病気等の悩みを解決するためには除霊をしないといけない、といわれて、 教祖や教団内の資格を持った幹部の儀式、鑑定などを度々受けたため、多額の出損となったという事案を初めとして、相当数の被害相談がある。』 宗教に入る奴は精神的弱者 責任や重圧そして孤独=無意味な人間として見られるのに耐えられない欠陥を持っている 何かをやるに当たって失敗しても責任を取ってくれる奴がいるしそいつの指示でやった事に出来る それが何であれ必要とされてる無意味な人間でないと思い込める 一人で何かを決め、一人で動く人間こそ人という生物として完成されている 引き籠りは他人に寄生して生きてるだけで一人で稼ぐという行動をしてないから別物だからな は 神 る 妄 れ 想 わ 宗 喰 教 巣 は は 欺 ホ 瞞 ア 信 じ る 地 基 う 外 狂 が い 作 買 り が 詐 鹿 欺 馬 師 て が 売 っ | h 天地創造 〃〃〃〃| | | | もう寝るわ | ∧_∧| クイッ ( ´∀` )づ / _ノ⌒⌒⌒`〜、_ ( ̄⊂人 //⌒ ノ ヽ) ⊂ニニニニニニニニニニニニニニ⊃ ||| || | ||| || | ガッ h ∧天地創造 ( `Д´)つ / _ノ⌒⌒⌒`〜、_ ( ̄⊂人 //⌒ ノ ヽ) ⊂ニニニニニニニニニニニニニニ⊃ 七日目の出来事w ◆◆◆1/20縁命乞い人形(人類60億救済プロジェクト)◆◆◆ 人類60億の救済を祈る「1/20縁人形」が、今年も行われることになりました。 これは神様が、昨年1年を通して60億人の人形潔斎を達成した私たちの功を愛で、「今年も行うべし」との 許可を下さったものです。 ◆ 伊勢の失敗を繰り返さない 昨年の伊勢岩戸開き大神事は参加者の誠が極まらず、雅子様のご流産という形で神様から警告があったこと は、皆さんも記憶に新しいことと存じます。また1/20縁人形も、神事当日になっても目標の60億まで数 億人分足りなかったのです。 こうした状態の中、深見先生は神事に先立ってこうおっしゃいました。 「皆が情熱をもってやらなかったら、やらなかった分だけ、災害が弭化できない。1/20縁人形を書ききれ なかった人数の分だけ、救済の手が届かない…。 神事とかご神業というのは、そんなに甘いものではありません。……1/20縁人形をやろうよと口でいかに 言っても、実践が遅れたらこうした災いが起こるんだという神様のきつい戒めです」 この衝撃的なお話しを受け、神事会場の参加者は必死になって人形を書き続けたのです。そしてその結果、補 足神事(昼版)になってようやく目標を達成することができたのです。 「今年は同じ失敗を繰り返さないよう、普段から日本と世界の人々の幸せを祈り続け、人形を書き続けて下さ い。皆さんの誠が極まった分だけしか、世界の人々は救われないのですから」 と深見先生はおっしゃっています。私たちはこのお言葉を真摯に受け止め、鹿島海原びらき大神事に向けて祈 りを極め、1/20縁人形をかいていかなければなりません。 友達はすでに俺の事は忘れている。人の心から俺が消えているんだよ。 そして人の心から消えた俺は、他の人で補われている。そういう理論で出来ている。 『宗教名目による悪徳商法―日弁連報告書にみるその実態と対策 』 (緑風出版) (1996/5/1) 日弁連は1987年7月と翌1988年3月の2度にわたって、霊感商法の実体とその対策について提言する詳細な報告書を公表した。 第二 実体 この提言で対象とする典型的な事例を10種類選択して紹介する。いずれも弁護士や消費者センター等の相談窓口に寄せられることが多いものばかりであり、事件を担当した弁護士や被害者から直接事情徴収してまとめたものである。・・・ 8)教祖の著作を書店で見て、この教団(法人格はない)に関わりを持つ人が多い。悪霊を払って善霊を呼び開運すると銘打った除霊の儀式(5万乃至数十万円)や、 有料の気学や、やせる・美人になる・金持ちになる等の各種講演会、秘法等のイベントなどに若い人を中心に多数参加している。 子供の病気等の悩みを解決するためには除霊をしないといけない、といわれて、 教祖や教団内の資格を持った幹部の儀式、鑑定などを度々受けたため、多額の出損となったという事案を初めとして、相当数の被害相談がある。』 普段、都会でせかせかしながら生きている人が、都会を離れ自然の中に身を置いてみると、どこからともなく、いままで考えつかなかったアイデアが浮かんできたりする。 そんな話をたまに耳にしますよね。日々、無機質な壁の中で暮らしている私たちは、”自然”と、どのように関わっていけるのでしょうか? 自然から離れるほど、人間は不幸になる 現在、都会でコンクリートのビルに囲まれ、スーツを身にまとって、ハイテク機器を使いこなしているビジネスマンであっても、一万年前にさかのぼれば、すべての人達が大自然の中で暮らす野生人でした。 しかし、2010年の時点で、都市に住む人の割合は先進国で70〜80%に達し、2050年には約90%の人達が都市に住むだろうと予測されていますが、近年、世界中の人達の死や悲しみの原因になっている、 心臓疾患、肥満、うつ病、そしてガンは、私たちが自然界の設計を無視して生活してきた代償であり、人間は自然から離れれば離れるほど、不幸になっていくと言います 実際、都会の生活には変化がなく、いつもエアコンで部屋の温度は同じで、明るさも一定、これでは体の感覚がおかしくなってしまいますが、 さらに東京に限っては、通勤電車が想像以上にダメージを与えており、バル=イラン大学で心理学を教えるメニ教授によれば、通勤ラッシュに巻き込まれる人が受けるストレスは、臨戦態勢の戦闘機のパイロットや機動隊員よりも大きいと言われています。 東京に住む人は、別にきつい肉体労働をしているわけではく、売れっ子芸能人のように分刻みでスケジュールが入っているわけではありませんが、 なぜか毎日忙しく感じて、心にゆとりがなく、暮らし自体が雑になってしまって、毎日にうるおいがありません。 キャンプに出かけて、自然の中に身を投じ、3日目の朝を迎えると、自分が普段都会で送っている生活が自然のリズムと合っていないことに嫌でも気付かされます。 それ以外にも、自然の中で食べる食事はいつもより美味しく感じたり、キャンプファイヤーの火を見ると、なぜか今まで秘密にしていたことや悩み事を急に話したくなったという経験は誰にもあると思いますが、 これはバイオフィリアと呼ばれる、生物や自然への愛情が人間のDNAに組み込まれているからであり、エクセター大学の調査では、室内に簡単な植物を置くだけで、幸福度や創造性が47%も上がったと報告されています キャンプ3日目には、自分と自然界のズレにはっきりと気づく 実際、自分の仕事を全部パソコンに詰めて都会を離れ、毎日キャンプしながら生活をすることが、一番人間らしい生活なのかもしれませんが、恐らくそれができるのは、日本中でもごく一部の限られた人達だけでしょう。 アップルも企業見学に来ると言われる、アウトドア・ブランドのスノーピークは「アーバン・アウトドア」という概念を考え出し、都市空間の中でも人と自然を繋ぐアクションを積極的に起こしていますが、 例えば、都会にあるマンションをひとつ取ってみても、工夫仕方次第では、都会にいながらキャンプ場の空気を感じ、人と自然が繋がることで、人間性を回復させていくことは十分できるのかもしれません。 アーバン・アウトドア「工夫次第では都会のマンションをキャンプ場化できる」 アーバン・アウトドアのコンセプトは特別なキャンプ場にいかなければ味わえない経験を、もっと日常的に体験するもので、従来の日本のマンションにある「◯LDK」という概念を取っ払い、部屋の区切りを無くしたり、 キャンプ用の家具や食器などを設置して、自然の中の雰囲気をマンションの中に作り出し、そこで呼吸できる喜びや飲むコーヒーの美味しさなど、生きていることの実感を再度認識できるような概念を基に、住居を設計していきます。 もともと日本人の大半は農民の子孫ですが、もしかすると農民のDNAを持っている私たちが、都会のビルの中に押し込まれて生活していること自体、どこかおかしいのかもしれません リラックスをするということ ITやお金の特徴は、自分に代わって物事を処理してくれるかわりに、驚きや楽しみを奪ってしまうことにありますが、 もしかすると私たちは、物事を効率化して生み出した時間を結局また仕事に使ってしまい、自然から離れた人間らしくない生活をする時間が、また多くなってしまっているだけなのかもしれません。 元NHKアナウンサーで現在はエッセイストの下重暁子さんは、著書「持たない暮らし」の中で次のように述べています。 「日本では、お風呂も勝手にお湯が入って、満杯になれば、自動で止まるか、“お風呂が沸きました”と教えてくれる。炊飯器だって、“ご飯が炊き上がりました”といちいちアナウンスする。そのたびに私は“うるさい!”と怒鳴っている。 無駄な音声が多すぎるし、何もかも自動になってくると、確かに便利ではあるが、慣れてしまうと、もともと人間がもっていた感覚を失って、機械に頼るようになってしまう。」 現在、都会で生活する人達は自然への結びつきをどんどん失っていますが、自然を少しでも意識した生活を心がけることで、 よく考えたら、自分がどれだけ無駄なことに時間を使っているかに気づくキッカケになるかもしれません。 また、子供が物事に集中できなかったり、すぐキレたりするのは、しっかりと自然の中で遊んでいないことが原因であるという調査もあり、カナダの生物学者、ディビッド・スズキ氏によれば、 カナダの子供たちは、1日に8分しか外で遊ばないのに、テレビやゲームの画面を見ている時間は6時間もあると述べており、東京大学名誉教授の養老孟司さんは、 子供から自然を取り上げると、いじめみたいな人間世界の中でのマイナスの重さが2倍になってしまうと言います アメリカでは、自閉症の子供を夏に1ヶ月キャンプに連れていったら自閉症が治ったという話もありますが、 満員電車で通勤し、朝か夜かの区別もつかないまま、スクリーンとにらめっこしているビジネスマンにとって、自然の必要性はなおさらのことでしょう。 なぜ、自然の中で食べるモノは美味しいのか、なぜ自然の中でキャンプファイヤーの火を目にすると、正直な気持ちになってしまうのか、明確な理由はよく分かりませんが、 もし、都会に心も身体も染まり、自然の中で食べるモノの味と、飲食店で食べるモノの味の違いが分からなくなってしまっているのであれば、すでに人間としての機能が低下してきている証拠でもあります。 ひと言で言えば、「アーバン・アウトドア」はそんな都会人には絶対に必要なリカバリー・プログラムなのかもしれません。 まあ、農業って面白いからね。 都会で人間の愛憎が渦巻いてるとこにいると キチガイになるし。 農業最高よ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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