8 神も仏も名無しさん 2019/09/15(日) 15:57:17.47 ID:XmztJfh4
仏陀はかつて、以下のように述べた。
「sabbaa disaa auparigamma cetasaa nevajjhagaa piyatara-mattanaa kvaci
Evam piyo puthu attaa paresam Tasmaa na himse paramattakaamo」
「たとえ人が、あらゆる(十の)方向に向かって一生懸命に探しても、他人を愛する程度が、自
分を愛するよりも深い人を見つけることはできない。同じような理由から、十の方向にいるすべ
ての衆生は、他人より自分自身を愛するものであり、故に、自分自身が安楽であるようにと願う
人は、他人を傷つけてはならない」(増支部−1―75)。
故に、自分自身をもって他人と比較するために、および修行者の心が柔和になり、善く和むよ
うに、修行者は先に自分自身に対して、慈愛を養成しなければならないのである。

9 神も仏も名無しさん 2019/09/15(日) 16:01:25.88 ID:XmztJfh4
修行者は以下の四つの意念を養成することによって、目的に到達することができる。
一、 願わくば、私に危難の無きように(aham avero homi)
二、 願わくば、私に精神的苦痛のないように(abyaapajjo homi)
三、 願わくば、私に身体的苦痛がないように(aniigho homi)
四、 願わくば、私が平安で楽しくあるように(sukhi attaaanam pariharami)
もし、修行者の心が柔和で、善く和やかで、寛容で思いやりがあるとき、他人への慈愛を育て
るのは難しくない。故に、修行者が自分自身に対して養成する慈愛は強く、力のあるものでな
ければならない。このことは非常に重要なことである。修行者の心が柔和で、善く和やかで、ま
た他人に対する同情心と寛容の心を備えるようになったとき、他の衆生に対する慈愛心の養
成を始めることができる。