阿含宗という宗教 304
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>>208
ブルーマウンテン社の講習会にNさんが参加していたのですか?
YさんかKさんの伝授会ですね。 >>244
ここだけの話ですが、そこの教祖も伝法灌頂は受けていないようです。
醍醐派がバックにおりますが
桐山さんも最初は、金剛院派
規模が違いますが似たような感じです。 ブッダの編み出した法が仙道の源流だとする桐山説は非常に興味深い。
両者は時系列で見ても全く矛盾しないからだ。
この説に従えばブッダは気を巡らす訓練を実際に行っていたことになり、仏教の成立にこうした訓練が関わっていたことになる。
そうなると従来のブッダや仏教観が根底から覆されることになる。
桐山氏の説く気の訓練などやったこともない、或いはやっても途中で挫折した人たちにとってはそれは非常に都合の悪いことだから、桐山氏は荒唐無稽なことを説いたのだと必死になって主張するしかない。
自己を正当化するための独善的な主張のオンパレード。
それがこのスレの現実なのである。 私のは自慢話というより、事実をレスしているのです。深山くんなどは大量に知識を集めているが、単純な真理に気づけない。沢山その例があるが、四禅で解脱した、という頑固な主張もその一つだよ。四禅での心の安定なんか、ちっとも解脱の証明にならないわけだよ。 誰でも四禅は色界の禅定だと分かっているだろ。その上に無色界の禅定があるのだからさ。四無色定というやつだよ。四無色定の一番上が非想非非想処という釈迦がウッダカ仙に習った定だ。それでも解脱ではないのだからさ、四禅で解脱などないわけだよ。 色界の四禅で解脱なんてないのに、深山くんは何年も、延々と四禅で解脱したと主張してさ、私は笑ってレス見ていたけどさ、何時か気づくだろうと思ってさ、でも結局、気づく気配がなかったから、非想非非想処をレスしたわけさ。
知識あれども気づけない例ですよ。 >>248神も仏も名無しさん
中仙道ですか?日本の江戸時代の五街道の一つですよ。
仏教観とは何のことを仰りたいのでしょう。
ムリくりにくっつけることこそ誹謗となる。
学者はそれなりに仏教を区分け選別したりもしますが、
釈迦仏の教えが、仏教ということです。
気を巡らすとかそういうハンパな理屈ではなく、ありのままに
観察するための自然なる呼吸を説いたお経があるだけです。
仏教は煩悩を滅する教えで、そのためには戒めと禅定を以て
知恵を獲得する、その禅定または瞑想の集中には自然な呼吸が
必要ということだけですよ。 >>249-251
ヨル公さんの自慢話ではないということですか、それは失礼しました。
しかし、かなり偏向した仏教観をお持ちのようです。
それもアゴン密教というか、桐山さんの視点から離れられていない。
そう理解してみれば無理からぬことでしょう。
それこそ執着の塊でモノをみて言っているようです。
ただ、他人の言質を批判するならレスアンカーを使うべきです。
そうじゃないとヨル公さんの他人文への読解力がとても稚拙なことを
自分で証明していることになります。
客観的にみても、相手が述べてもいないことを附会して反論しています。
それでは公平な議論になりません。 >>245
法相での修行
うーん。あり得るかもですね。千座行は元々観音懺法がベースなので、
南都が絡んでいる可能性も?
いずれにしても、真言密教からはかけ離れて行きますね(笑) >>247
他宗の事なので、あまり深くは掘りませんが、恵印灌頂で誤魔化したんですかね。 >>245
ああそうですか。法相のほうの。
桐山仏が そう言っていたと聞いていたので。
ですが、桐山爺はテキトーだから、気にしてないのでしょう(笑
ホント、阿含宗って、何から何までいい加減ですよ。
>>246
そうそう。ブルーマウンテンのやつ。
桐爺は二重人格の二面性野郎だと言ってましたよ。
んで、自分はホ・オポノポノもやってると言われていました。
私はNさんの、この発言で、自分は仏教はお釈迦さまのいうように
煩悩を断つということだけ信じて行こうと。
密教とかは趣味で、不思議大好きオタクで密かに行こうと。
そう心に決めましたね。
ブルー山、そうだ、K氏、Y氏だ。
>>247
インチキ野郎は、為すことが似ているにですねw >>242-244
ホントに、カーク・桐ラス、パリス・桐ットマンですよ(笑
あの野郎の人を小馬鹿にした仕草は許せんw
それじゃあなければ、密教だとか滝だとか、わざわざ
やらないでしょう。やる時は本気で、自分は念力護摩やった
弘法大師以上の大阿闍梨だと思ってたき火する。
エロ川さんのコロし文句、、
「釈迦はゲイカを世に出すために出現した」
普通の人がこんな風に言われたら、この女なにを狙っている
んだろうと思いますよ。だけど桐ットマンは、自分でもそう思って
いたので嬉しいとか言って、女を手玉にとる。
映画のパリス・ピットマン・ジュニア(カークさん)も
逃げる時に 馬泥棒やって、そこの女が未亡人だったので、
上手いこと言って、たらし込んだ。映画だけど凄い詐欺師でした。
桐爺クリソツ。
WWW >>246
ブルーマウンテンの伝授と言えば
てんてんが真っ先に出てくるな(笑) >>248
アンタ誰?
もしかしてペテン大作戦かな。
このところヨルコウにおされて 存在感ないもんな。
仙道、ペテン的にはパール使用の任脈督脈クルクル回転の
迷走法だもんなw
こんなもん何の意味があるのよ。
桐山靖雄もあんたもさぁ、仙道と釈迦の修行法が関連あり
という珍説を信じていればいいだろう。結果を出せよ。
まあ、桐山靖雄は珍説を集金・集客に使い、
アンタは自分の妄想脳みその欲望を満たすために使う。
ご利益があってよかったなw
桐山式数息観でもやりながら余生を過ごしたらいいよ。
アンタも「念力の護摩」の話題が嫌なんだろう。
WWW >>248 神も仏も名無しさん 2019/07/12(金) 15:05:49.28 ID:QKhsc5rZ
>ブッダの編み出した法が仙道の源流だとする桐山説は非常に興味深い。
>両者は時系列で見ても全く矛盾しないからだ。
>この説に従えばブッダは気を巡らす訓練を実際に行っていたことになり、仏教の成立にこうした訓練が関わっていたことになる。
>そうなると従来のブッダや仏教観が根底から覆されることになる。
>桐山氏の説く気の訓練などやったこともない、或いはやっても途中で挫折した人たちにとってはそれは非常に都合の悪いことだから、桐山氏は荒唐無稽なことを説いたのだと必死になって主張するしかない。
だから覆してよ。
桐山説を証明するのには、桐山説以外の根拠を示さねばならない。
学者の説でもいいし、それがなければあなたが仏教文献に精通し、仙道にも精通して。
私も無駄に生きてきたが、あなたも無駄に生きてきた人生ではないか。
これからも5年かかろうと10年かかろうと20年かかろうと、その課題を追求して時間を無駄すればよいではないか。
それまでの間、今あなたが言えること?
俺が将来証明してみせた時、その泣きっ面を見たいものだ。覚悟して首を洗って待っとけよ。
とか毒ついてもいいですよ。
しかしそんなことをするより、あなたはこの際仏教なんか離れて、仙道でも修行たらどうですか?
我流ではないではなく仙道や気功のちゃんとした指導者に師事するのです。
超能力なんか得る必要はありませんよ。
若々しい健康な肉体を得られればいいんでしょ?
見事成功した暁にはここに自慢に来てもいいですよ。
我々批判側に対して、お前たちは批判ばかりしてこういう有益な努力をしないとでもなじればいいのですよ。
そしたら私も、いやー素晴らしいですね、私も少しは体を動かすことをしないと、と誉めてあげますよ。
でも桐山阿含宗を擁護したことにもならないし、我々の阿含宗批判に反論したことにはなりませんが。 >>248
桐山さんの説く 気の訓練って何かな。
三円式、放球、プラーナルートのマグマ開発、
お得意のパールちゃんですか?
桐山靖雄さんは、充分 荒唐無稽な珍説を述べていたでしょう。
珍説しかなかったようにも思うが。
護摩法=火界定で、お釈迦が心の中で護摩焚いたと
嘯いているのは、あなたの同門の人物でしょうw
あなたがどれだけ仙道に精通しているか知らんが、
T藤Sイチロー氏の本を参考書にしているようでは、
仙道云々いうには役不足だねw
アンタはT藤氏肯定派だろう。
違いますか?
あの人と話したあるかな。
仙道をやったとかいうのは眉唾ですよ。
まがい物なんだよ。桐山靖雄さんの導引調息服気の法を
体得しているいうのも眉唾よ。
わたくしは、十二段錦法、十八段錦法まで体得している
とか御託こいていたが、インチキデタラメもいいところ。
WWW 批判側の自己弁護全開ですな〜www
まあ言論の自由で何を言おうが構わんが
カッコつけるのだけは止めなさい。
すぐバレルからみっともないですよ。
君らは実際には気の訓練どころか心の集中力の訓練すらしたことはないだろう。
えっ?
何のことかわからない?
桐山本に載っている心の訓練法のことですよ。
あれだけでも大変な力を持ちます。
まず自分で実践してから文句を言いなさい。
批判するだけなら子供でも出来る。
君らはスタート地点にすら立っていないのだ。 >>262
で心の訓練法やって今お宅はどんな感じなの? 桐山さんのかつての滝行の凄さについては擁護側信者が喜ぶようなネタを投下することを恐れずにそういうネタも書いていいと思います。
昭和49年頃には 東京でも目黒不動の滝で確かに滝行はやっていて 青年部の若者も指導していたようです。
またある日は平河町の東京本部道場に来て 柔道の腕を使わない受け身をやってみせたりとか
青年部の若者たちを前に一汗かいたりしたようです。
とにかく桐山さんは結核もないのだし、昔から頑健な体を持っているわけです。
滝行ですがこれはやるでしょう 。
というのは滝行というのはかっこいいものですからね。
もちろん単にかっこいいだけでなく、これは相当の勇気と気力と辛抱と根性が必要です。
気絶する深田さん以上の 勇気、気力、根性を桐山さんは持っているでしょう。
まぁ片方の眉を剃ったという話はこれは大山倍達の真似でしょう。
大山倍達が 清澄山辺りにこもっていた時、眉毛を剃ったというのは昔から有名な話ですからね。
まあ何ヶ月も、半年も山に籠るのであれば この眉を剃るというのは逃げ出したい ことを抑える有効な手段になります。
しかし桐山さんの滝行が1週間か2週間やるのか分かりませんが、 半端な時間ですよね 。
それでもやるというのはこれは真似してみたいという気持ちではなかろうかと思います。
それを身内にも示したいというパフォーマンスかもしれない。
あるいは示さなくても自分自身で 自分は大変な求道者であるかのように自分で酔っているのかも知れません。
ともあれ桐山さんは 激しい滝行には取り組みます 。
でも求聞持法は嘘ですよね。 超能力も念力の護摩も嘘ですよね。
滝行はできますよ。やりますよ。
しかし滝行を真剣に凄くやっていたからといって だからといって 求聞持法や念力の護摩まで本当だという話にはならないのです。
彼はこのまま何事も真面目に取り組めばいいものを、余計なところで嘘をどんどん展開していく悪い癖があるのです。
だから滝行の凄さを 今回明らかにするというのは、私はむしろ桐山さんの評価についてかえって公正で良いのではないかと思います。
これを示したからといって批判自体に何のマイナスの影響も与えないと思っていますし。 私の書いた>>260の書き込みと>>264の書き込みは連関しているということをペテン大作さんは気が付いているでしょうか?
私もすでに旅先に来ているので 明日の3連休からはこちらにも書き込みはしたくないのですが、この2つだけレスしておこうと思った。
260では 仙台さくさんに自慢をしても構わないし こちらのなっても構わないと書いています。
でもそれは桐山阿含宗の擁護にもならずこちらの批判に対する反論にもなり得ないと書いています。
>>264で桐山さんの滝行の凄さを書いてますが、滝の前で久字を切っただけで 流水が 一瞬 寸断してしまうと言う。
それは滝行に励めば誰でもできるとのことであるが、しかし初心者がいきなりそんなことができるわけがない 。
だから桐山さんは初心者でもないわけですよね。
これを読んだだけでペテン大作さんあたりはこれこそ 機気の訓練法だと 喜ばれるのではないかと思います 。
そして私は桐山さんのそういう力に対して否定もしないわけです。
でも桐山さんは嘘つきだぞ 言っているわけです。
流水を一瞬寸断する気の力も持たない奴に批判する資格がないとペテン大作さんは言いたいのだろうが、
私はいいえ、そんな力がなくても批判する資格はあると言っているのです。
またそういう桐山さんの嘘なんです 。
桐山さんの本当の部分と嘘の部分をしっかりと分ければならない。
そして嘘の部分は きっちりと批判をしなければならない、 そういう信念で書いているわけで、
これに対してこちらなじりたいのであればどうぞなじりなさいと私は書いたわけです。 批判側は他人に支配された人生なんだ。
君らの話はいつも桐山さんがどうしたのW田さんがどうしたのというそんな話ばかり。
いつも○○さんが心の中にある。
自分が自分の支配者になっていない。
信者は教団に依存していて、教団をやめた自分等は違うと思い込んでいるようだが、実際は未だに教団の支配から逃れられないのが現実のようだ。
だから一年中桐山さんW田さんと連呼している訳さ。
君等を見ていると桐山さんという親に必死になって反抗している中学生という印象だなwww
元々依頼心が強いから宗教に入ったのだろうが
批判側の連中は教団をやめた今でも現役信者よりその傾向が強い。
いわば宗教の負のエリート達と言える。
逆に擁護側は桐山さんからはとっくに独立しているよ。
自分の身体でつかんだものを信じればいいのであって他人はどうでもいいのだ。
信じられるのは自分だけ。
自分でつかんだものが無いから他人が気になるのだろう。
そういう奴は一生桐山さん桐山さんと喚いていなさいwww >>268
宗教なんかに頼らなければならないのが人生とは思っていないが、 まあそのようになじるのも自由だと言っている。
だってそのようにこちらの論点にはまともに真っ向から反論もできずに、それを言うしか能がないんでしょ。 >>268
擁護側が独立だなんて 阿含宗に属していながら 自立もクソもないだろ 。
こちらは何もいらないのさ。
常に 今現在の自分で十分。 >>268
アンタね、ここは阿含宗の批判スレだよ。
スレタイ見てごらんよ。阿含宗その開祖桐山、その後継のW蛇
この手法やり口等々を批判する。あたりまえのことでしょう。
依頼心とか何とか、会ったこともないマヌケの分際でよく言うね。
アンタのほうこそ 気の訓練だとか パールとかくだらないガラクタ
後生大事にかかえて よく言うよw
そんなにテメエが自立しているというのなら、
「阿含宗批判派を批判するスレ」でも建立して そっちでやれ。
阿含宗は「念力の護摩」とかいうデタラメ手品が元の
「ご聖火」依存の邪教だろうが。こんなもん必要ねえよ。
批判されて当然。偉そうに言う前に、阿含宗は弘法大師の名前
出すような依存をやめろと、おまえがW蛇に直接、意見具申して
こいよw
このダボw >>268
桐山靖雄さんを信じているということは、
あのデタラメ手品の「念力の護摩」と「ご聖火」とやらも
信じているということですよw
桐お骨の威力も信じ、その前で行なう「たき火」も信じている。
そういうことでしょう。完全に依存体質でしょう。
ユビキタスさんが見事にレスしてくれたが、
桐山靖雄の過去の修行まがいのモノにも、事実はある。
滝に入ったとか、作法があるとか。
どなたかが言われたように、詐欺師は大嘘と事実をブレンドして
あたかも真実のように装おう。常人ではできないようなことも
平気でやる。面の皮が厚いというか、もう桐山さんクラスだと
病的を通り越して、意味不明の領域にまで到達している。
(滝の逸話なんかは、それを表現している)
こういう詐欺師の言っていることの核心部分や、
肝心の部分は、大嘘と断定してよい。だが非常に巧みだ。
その解析をすることは、アンタのいう依頼心、依存性を脱却する
のに必要だ。迷える会員さんの多くは当スレの閲覧により
退会し、自由を得ている。
スレ建立には、充分に意義があった。批判にも意義がある。 >>268
桐山さんから独立と書いている時点でもう擁護になっておらず逆に批判になっているんだよ。
現和田体制の桐骨に集中せよなんて話を出さなくても桐山さんの時からグルに師事することを絶対条件としています。
我流を絶対に認めないのです。
だからあなたが自分で掴んだものというのは桐山さんが説いたものでない 。
桐山さんが説いたものでないものを書いたって擁護にもならなければ反論にもならない。
その点和田さんは桐山さんがやってみせた念力の護摩にも挑戦すると言う 。
あなた仙道ごときでなく 念力の護摩をやってみてせたらどうだ。
念力の護摩は嘘だからできないが他の事ならできるなんてのは 擁護ではなく批判なんだよ。 >>268
擁護側に求められるのは城を守るということです。
守るということは大切なことです。これは責任を果たすということですからね。
責任も果たせずに 飛び出した人間は逃げたと言います。
飛び出して我々のように批判しているのならば良いが、 まだ擁護したつもりになっているというのは誰に自分は責任を果たさないで逃げているだけです。
そんなものは世の中に通用しません。
和田体制であろうともその中で守っていかねばならないのです。 桐山師の教えを理解するには、基礎理解力が必要である。四禅+四無色定+滅尽定=九次第定、であることは仏教辞典に書いてある。滅尽定は不還以上の聖者が修することも仏教辞典に書いてある。そしたら四禅で解脱・涅槃などあり得ないと分かるだろう。 >>273
>だからあなたが自分で掴んだものというのは桐山さんが説いたものでない 。
どこまでも桐山さんが説いたものだよ。
イメージでパールを動かすわけだからね。
”パールちゃん”などと馬鹿にしてる人がいるが、こういう人に限って自分では何もやってない。
こういう人は世の中には桐山さんのよりもっと素晴らしい法があると信じて桐山さんを馬鹿にするわけだが、そんな法など何処にも無い。
説かれる法はいくつかあってもイメージを使う原理はみな同じなのだよ。
それが桐山さんが言うところの”心の使い方”だ。
これは地道な訓練をしていかないとなかなか身に付かない。
その地道な訓練というのが『念力』などにある高度な集中力を鍛える12種類の方法などだ。
言うまでもなく批判側でやった人はいない。
基本訓練すらやってないからパールについては尚更やったことはない。
もし桐山さんの説く方法を少しでもやっていたら
例えばここのイメージの使い方をこうすべきだとかいった批判の一つも出て来ていいのだが、そういったものが一つもない。
やってないから批判の仕様がないのだwww
そして形に現れた部分にだけ批判を集中する。
怠惰な元弟子たちに批判されて桐山さんは本当にお気の毒だ。
まあそれが密教というものの難しさであり宿命かも知れない。 四禅+四無色定+滅尽定=九次第定、なのであるから、低い方の四禅で解脱・涅槃などあり得ないのだが、深山くんは延々と四禅で解脱したとレスした。基礎理解力がないわけです。だから桐山師を詐欺師と呼ぶしか能がない。理解力が欠けているから仕方がない。 阿羅漢向は阿羅漢だ、と延々とレスを続けた深山くん。これも四禅で解脱したと主張すると同じく、基礎理解力の欠如のせいです。しかし、批判派の中に、深山くんの誤りを指摘してあげる人が皆無だったことにも驚くよ。おかげで長い間、恥じかくことになったわけだよ。 >>279
>まあそれが密教というものの難しさであり宿命かも知れない
そりゃあ、難しいわw
インチキ デタラメ密教だからな。
形であらわして、これが密教最高の大法だと宣伝して
やったのが「念力の護摩」だろう。
この「念力の護摩」は、どこの密教だ。
真言宗か、天台宗か、それともどこぞの修験寺院か?
出どころ不明の分際で、アンタの尊敬する桐山靖雄ちゃんは、
密教最高の大法だとこいた。言えないこと自体がインチキの
証拠だろうがw
君の言う「密教の難しいさ」の、その密教とやらも
どうせ桐山密教のことだろう。そんなもんは無効だぞ。
おまえの大好きな、その密教とやらがあるのなら、
おまえが「念力の護摩」をやれ。
パールちゃんから、パール様様になれるように、
「念力の護摩」をやってみいw
W蛇のほうが、まだ潔いだろう。
ペテンなんか このスレでは、ヨルコウの次位のイマイチの
存在だからな。パールネタじゃあ存在感がねえぞw
桐山靖雄著「念力」とかテキストにしてる、ダセェな〜、
ダボだな〜 WWW >>280-281
おーい、ヨルコウ老人 喜べよ。
おまえは、擁護派のトップだぞ〜〜(爆
>>279の ペテン大作戦は、次位だからなぁ〜w
ちなみに宝生創価は、ダントツ最下位だからなよお!
しかし、ヨルコウ、ペテン、宝生創価 レベルが低い妄想野郎の
ダボだな〜〜。
いい加減にせえよ〜 WWW >>279
それはこういうことなんだよ。
例えば桐山さんは腹式呼吸を教えますよね。
腹式呼吸が有効であることは生理学的にも証明されて推奨されているわけです 。
そしてこの腹式呼吸は何も桐山さんが考案したものでなく他の指導者たちも教えているものです。
桐山さんも教える。
だからあなたのやっているのはまだこの程度に過ぎないわけですよ 。
だからそれは効果だってあるでしょう。
まあ腹式呼吸やっても病気になる人はなりますけれども 。
だからその程度の話 では 桐山さんの正しいことの証明にはならないんですよ。
桐山さんだって全部が全部間違っているわけではない。
しかしある時から嘘が入るのです。
腹式呼吸あたりでは嘘は入っていない。そういうことです。
だからあなたはパール瞑想ごときではなく、ずば求聞持法を成就して念力の護摩を焚かねば証明にならないんですよ。 深山ユビくんの基礎理解力の欠如は、輪廻は慢という煩悩が原因だ、それだけだ、という考えにも証明される。釈迦の輪廻論では、餓鬼地獄人間天の何処に生じるか決まっている、と説く。つまり、業力と慢は一体なのであるが、深山ユビくんの頭は、そこまで思いつけない。 >>285
仙尼経ではセーニャはまだ慢という煩悩が残っているからお前は まだ来世に生じる と言っているのです。
たぶん人間でしょうね。
地獄に落ちるとは言っていない。
慢だけで地獄に落ちるわけではない。 まだパール瞑想とか言ってる奴がいて爆笑ものなんだけどwww 桐山さんが瞑想って言い出したのって、Y崎教授の論文盗用してからなのかな? パール瞑想だの般若心経瞑想だの輪廻転生瞑想だのは、
それぞれ阿含宗の修行法の中でどういう位置付けですか?
四度加行、成仏法よりは劣る、体系的には独立した
宗教的ないい気分を味わえる桐山教独特の瞑想でおk?
単なる金儲けのための、いつもの思いつき?
伝法会は、伝統的な真言宗の四度加行を模した、一応体系的な修行法の伝授として、
阿含宗団の中ではわりとまともなものだったと思ひます。
もちろん、阿含宗の成仏法などの教義との整合性は議論が出ているとおりですけど。 阿含宗の職員さんに問う。
私は岩波仏教辞典に書いてあることを書いた。
〈阿羅漢〉は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界には
生まれない位をいう。この位に到達した者を(無学)といい、
これ以前の聖者(七輩)を(有学)という。 岩波仏教辞典第二版
これに対して1.5来補(ヨル公)さんは、
岩波仏教辞典に書いてないことを書いたホラ吹き野郎と罵りました。
その後、数十回訂正を求めるも無視するどころか>>171のように
罵りを続けている。この人が阿含宗の仏陀の法で脳細胞が数%目覚めた
と言っている。
岩波仏教辞典第二版422ページ【四向四果】読んでください。
阿含宗の仏陀の法を修行すると常識のない人間になるということで良い?
こんな書いてあることを書いたら、ホラ吹き野郎?
これが阿含宗の仏陀の法の目指した姿でしょうか?
是非、阿含宗としての見解を示していただきたい。
もし1.5来補と阿含宗の見解は一致するということであるならば
スルーして(無視して)いいです。 普通の信者さんは如何思われますか?
深山さんの指摘で岩波仏教辞典の第一版しか持ってないらしいですけど、
私から第二版に書いていると指摘されたら確認するでしょう。そしたら
自分が間違えていたことが分かります。じゃあ
自分は第一版しか持ってないからホラ吹きと言ってしまったけど第二版を
確認したら確かに書いてありました。申し訳ない訂正します。ってなるでしょう。
それが未だに>>171ですよ。>>225ですよ。阿含宗の恥でしょう。
宗教家以前の問題(普通の一般常識)ではないでしょうか。 現在福岡県の春日市に来ていますが雨が降っています 。
9時30分開始予定の野球の試合もまだ始められないでいます。
しかしこの雨は私が止めてみせます。
桐山さんが雨雲を呼ぶ定に入ったというのならば、 私は雨雲を払う定に入るわけです。
あと1時間ぐらいで やませてみせましょう。 試合開始は 遅れるだけで済みます。
そもそも当初の予定は本日は愛媛県今 市で観戦の予定でした。
しかし今治は危険と察知し こちらに変更したところ、案の定今治は本日全試合中止です。
私にはこんな透視能力もあるのです。
だから桐山さんの 力なんてたいしたことないのです。私にもあるのです。
私も祈りによって天地を動かしているのです。 君たちは 私が背水の陣を敷いて宣言したこの決意、勇気を わかるか? お、坂道くんのレスを今見たぞ。何が問題なのかね?きみは深山くんの崇拝者だろ?ということは、四向四果の理解を間違えている、ということだ。岩波仏教辞典の一版二版など、大した違いではない。本質的には大差ない。正しく理解するチャンスだから、勉強しなさい。 坂道くんに告ぐ。深山くんは、何十年にも渡って、阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果だと主張し続けた。預流=預流向+預流果、だと主張し続けたのだよ。私はそれは違う。阿羅漢向≠阿羅漢=阿羅漢果、なのだと主張した。深山くんの主張は仏教辞典に書いてないということだ。 坂道くんは四向四果の何を問題にしているのかね?問題に答えてやるよ。 >>294〜296
違うだろ。日本語の分からないクズ野郎。
岩波仏教辞典に書いてあることを書いたら、
岩波仏教辞典に書いてないことを書いたホラ吹き野郎と罵ったよな。
よく読みなさい。私は岩波仏教辞典に書いてあることを書いた。
お前は岩波仏教辞典に書いてないことを書いたホラ吹き野郎と罵った。
職員、出てこいや。阿含宗の仏陀の法を修行するとクズ野郎になるのか? 私が宣告した通り、いや私が雨雲をこの場から払う定に入った結果として、 見事に1時間くらいで雨は上がりました。
今試合開始の準備に入っており開門待ちです。 >>298
おお、ユビキタスの奇跡
「祈りは天気を動かす」
執筆せねば(笑) 待ち時間まで暇なので書き込みをするが 、昨日 般若心経瞑想法やパール瞑想は阿含宗においてどういう位置づけになっているかという質問がありました。
これに答えるならば般若心経瞑想法はまず桐山さんが般若心経の解説をしたかったのではないかと思われます。
自分は学識があるのだとと示したくて。
だから桐山さんはこんなことを言っています。
本来解脱供養を始めるにあたりチラシのつもりで書いた守護霊を持てがベストセラーになり 、
それに対して仏教史の年表などを添えるなど猛勉強をして書いた般若心経瞑想法がたいして売れないとぼやいていました。
般若心経の解説の内容批判的については今回書きませんが、とにかくそこに瞑想法なるものを添えただけですね 。
真言密教の観法と何ら変わらないものです。 なりきりの観念宗ごっこです。
それからパール瞑想の位置付けですが 、これは私から解説しても良いのですが、
それよりもペテン大作さんに答えて貰えば良いかと思います 。
彼はパール瞑想を担いでますからね。
だからこれは阿含宗においてどういう位置づけなのか、 彼自身の目標と言うかそういうものが見て取れるわけです。
それが説得力を持つものなのかということで彼に答えてもらうのがまず第1ではないかと思います。
彼はマグマの瞑想法で熱感も感じたとのことです。
これは彼に限らず他の人も感じた人はいくらでもいるわけですが。
それは私も否定しません。
しかし目標は熱感を感じるだけでよかったのか ということですね。 その先に何がなければならないのか?
それをパール瞑想ではどう考えているのかその位置付けを彼に語ってもらいたい。 おい、坂道くんのバカ野郎。お前は辞典いくつ持っても無駄なんだよ。根性が曲がっているから、辞典を正しく読めないのだよ。そして辞典に書いてないことまで書くわけだ。お前はほら吹き野郎だよ。 とにかく桐山師は巨峰なのだね。エベレストなわけだ。批判者はエベレストの谷底から、何やらぶつくさ、わめいているだけだ。 >>301
ま〜だ言っている。
岩波仏教辞典第二版の422ページに書いてある。
どこに書いてないことを書いてある。
全く話にならない。ここを見ている職員さんにお願いしたい。
中井職員を呼んでもらえないでしょうか。他の職員の方は良く知らない。
中井さんなら幾らか知ってる。中井さんが職員になる前、色々お世話に
なった。非常に優れた先達だと思っていた。
例えば、桐山さんに内緒で有志と滝行に行ったとか
(私は某氏から話を聞いただけで行ってない)
あるいは今はないO道場で泊まり込みで勉強会を開いたとか
中井さんなら話になるでしょう。
いいですか、阿含宗の一大事ですよ。仏陀の法を修行するとこんなクズになる。
日本語もまともに出来ない、嘘をつきながら人を罵る、愚劣な人間になる。
これでいいのか阿含宗。
なんか阿含宗の擁護みたいになったな(苦笑) >>301
恥知らず、人でなし。大嘘つき。
面が見えなきゃ 平気で卑しいことのできる人間。
>>302
桐山さんがエベレスト??
エベレストだってさぁ。いまどきダセェ ことを言うヤツ。
上野山(上野公園)の間違いじゃねえの。
WWW ちなみに春日球場は11時前に試合開始して観戦しています。
ひとえにわたしが祈りで天地を動かし雨雲を払ったからです。 >>298
ユビキタスさん、命がけの宣言による
雨封じの奇跡譚の演出 ありがとうございます。
これで桐山さんと並んだ、いや、超えました。
後出しジャンケンではなかったw
はっきり証明されたw
ユビキタスさんは いつの間にか、
成仏ホー+雨天封じ(請雨經法の逆法)の大法を体得していたん
ですかね? この調子なら開祖霊諭受信もできそうですね。
それに比べて、ペテンもヨルコウも口だけダメw
口も文字もヘタれでダメw
よほどのダボなんだねw
擁護派は人材不足だね WWW >>306
「祈りは天気を動かす」ですね。
さて、請雨経法に通達した人は、雨の止ませ方も知っていなければなりません。
日照りばかりが自然災害ではないからですね。
雨降らすのが奇跡なら、T教もそんな話ありますよね。
しかも教祖が水利妨害のかどで警察に罰金刑まで受けたって。 戦争の後に宗教家が現れるのは偶然じゃない。人が死ぬこと、犠牲になること。 >>308
日本で唯一宗教団体の名が市の名前になってるとこです。 >>312
ありがとうございます。
「115歳定命」と言っているところですね。 坂道くんは坂道まっしぐらに転がり落ちる。お前は根性曲がりのケチな野郎だよ。人の言葉尻や揚げ足取りに一生懸命の、哀れな奴だよ。枝葉末節でなく、物事の本質を見ろ。いまだに深山くんの四向四果説を正しいと思っているのか?アホ。 >>314
ま〜だ言っている。
わたしは、いわなみぶっきょうじてんにかいていることをかいた。
おまえは、いわなみぶっきょうじてんにかいてないことをかいたホラふきやろう。
と、ののしった。
にほんごをりかいできますか? 〈阿羅漢〉は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界には生まれない位をいう。
この位に到達した者を(無学)といい、これ以前の聖者(七輩)を(有学)という。
岩波仏教辞典第二版422ページ 人の揚げ足ばかりを取る人間が、何を偉そうに言っているのやら。
桐山さんの言うことばかりを鵜呑みにしていたら、人間かくもこんな人間になる
のかと思えるね。
自己の不勉強があればそれを正すのが道と言うものでしょうが。
それに、こちらが問った事には答えず話をはぐらかし、自分の都合ばかりを
書いているのも、大概にしなよ?
釈迦の火界定で念力護摩が焚ける論拠を早く示しなさい! 人々の心が澄みきって、親神様の思召通りの「ようきづとめ」を勤めるとき、この台に、天から甘露(天の与え)が授けられます。これを頂くと、人は皆、病まず死なず弱らずに、115歳の定命じょうみょうを保ち、この世は陽気ぐらしの世界となる、と教えられています。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/jiba_kanrodai/ >>319
あ、115歳でしたね。
こないだ120歳寿命の話をしていたので、間違えましたm(__)m 今日、暇だったので広野さんの本を読み直ししましたが改めて阿含宗は中身がないと感じました。
誠実な姿勢は一切ありませんね。
桐山密教の法の研究は、私と八雲さん、元脇導師さん?で考察してきましたが、創作千座行次第と念力護摩次第が教団の屋台骨でしたね。
中身はそれしかない。
あとは桐山さんの天性の悪い才能が大きかった。
それだけの教団です。 >>321
そこらの、拝み屋さんが、真言宗を名乗って訳のわからないインチキ商売を
するやん。
その中で、インチキ因縁透視と念力護摩がヒットして、ついてきた信者を
逃がさないために、千座行をやらせた。
そして、自分はすごい、って言ってるうちに、念力、超能力、求聞持、
間脳思考、瞑想、仏舎利などをブームに乗って食い散らかした教団
その実は何もない。宣伝宗教ですね。 >>322
お見事な分析です。
>その中で、インチキ因縁透視と念力護摩がヒットして、
入口が占いというのはよくある。
それに拝み屋宗教がくっついてるのは石切さんあたりに蝟集しています。
>ついてきた信者を逃がさないために、千座行をやらせた。
因縁の恐怖、不安心理で千座行をさせ、囲い込んだんですね。
>そして、自分はすごい、って言ってるうちに、念力、超能力、求聞持、
>間脳思考、瞑想、仏舎利などをブームに乗って食い散らかした教団
>その実は何もない。宣伝宗教ですね。
ほんとすっからかんで何も残っていないのが凄い(笑)
「因縁解脱」「霊障」「守護霊」などの発明と商売の天才(=人災)でした。 >>321
そうなのです。
中身はゼロなのです。
観音慈恵会、桐山密教、阿含宗、完全仏教、変身を
繰り返しましたが、中味は見事に空洞でしたw
密教食もいいかげん、ニセビール作りは詐欺で犯罪でした。
求聞持サプリメンは アメリカの業者が作っていたサプリを
名前変えて販売してました。デタラメですねw
中味は、お唱えごと、たき火、音楽のミックス
チンドン屋ですねw
はじめから桐山靖雄さんは、宗教の教祖になろうと、
インチキ占い(因縁透視)から始めたのです。
因縁透視は、まさに投資だったのですよ(笑) >>322
千座行も無ければ、
念力の護摩も無い。
桐山密教で創作したもんだと言えばいいのに、
千座行は太古の時代から有っただの、チベットに有っただの
大嘘で塗り固める。
念力の護摩では、弘法大師がやっただの、興教大師もやっただの
と、これも大嘘をついて宣伝している。
桐山密教、桐山靖雄さんというのは、どうしてこういう
見え透いた大嘘をつくのでしょうか?
後に千座行も無くして解脱宝生行に替え、
念力護摩も通力でたいしたモンではないと言い出す。
(密教最高の大法とか言ってたクセにねw)
もう桐山阿含宗の屋台骨は見破られているわけです。
天性の騙しテクニーク(さじ加減 按配) は桐山さんオンリーワン
ですからね。絶対に後継は無理ですね〜〜 WWW 岩波仏教辞典に、四向四果の深山説が正しいことを書いているか?と私は問題にしているのだよ。書いてないだろ、そんなこと。枝葉末節に拘って、本質の話をそらすでない。本質とは、深山説は「預流向は預流という聖者である」という主張だよ。辞典にそう書いてあるか? 四向四果の議論は、釈迦仏教=初期仏教、の四向四果を論じているのであって、俱舎論の四向四果を論じているのではない。俱舎論では預流向を聖者にしているからだよ。だが、俱舎論でも預流向は預流より一ランク下の聖者としているのだよ。 深山くんは、昨年の今頃も、佛教語大辞典を引いて、辞典に書いていないことを主張したのだよ。それが、阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果、預流=預流向+預流果、という深山説であるよ。辞典にはそんなこと書いてない。辞典には四つの聖者の名称と八輩の名称があるだけだよ。 坂道くんの辞典には、釈迦仏教での七輩を聖者と説明しているのかね?俱舎論では八輩を全て聖者としたのだからね。釈迦仏教と俱舎論を区別しないと間違うよ。混同しているのではないかね。 岩波仏教辞典を持っいるなら、預流の項も調べなさい。「預流とは聖者の流れに入った者で原始仏教では三結を断じた者が得る位であった」と説明しているだろう。つまり、三結を断じていない預流向には、預流の位は得られないということなのだよ。 >>326〜330
何逃げてんだよ。
岩波仏教辞典第二版422ページに
〈阿羅漢〉は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界には生まれない位をいう。
この位に到達した者を(無学)といい、これ以前の聖者(七輩)を(有学)という。
と書いている。
それをお前は岩波仏教辞典に書いてないことを書いたホラ吹き野郎と罵った。
岩波仏教辞典に書いてある。読んでから来い。
護摩化すなクズ。深山も倶舎論も関係ない。書いていることを書いたら
書いてないことを書いたホラ吹き野郎と罵った、ふざけんな人間のクズ。 結局、坂道くんみたいな、深山くんの太鼓持ちが、深山くんを何時までも、間違いに気付かなくしているのだろな。間違ったエールなのだね。間違った主張は止めさせてこそ、本当のエールだろ。 結論を言うと、坂道のバカレスは、私と深山くんの四向四果論には、何の関係もないということだよ。坂道くん、お前はバカものだよ。
私と深山くんの議論の争点も理解出来てない。お前の辞典の引用など、何の役にも立たない。バカ丸出しなだけだよ。 >>325
そうなんですよね。
阿含宗は出す時は、これ以上は世の中にない最高のモノです!
と言って皆が飛び付いて買ったら、別のものを、実はこれが最高でした!
と平気でやらかしてくれる。
挙げ句のはてに、前買った商品?実は大したことなかったんですよ!
って頭の悪いセールスマンみたいな事言ってますからね。
その良い例が護摩木の御法施
毎年新作出して、今年限り!って言いながら、レギュラー化してしまう。
限定商品に弱いおばさま方を狙った戦略ですね(笑) 繰り返すが、深山くんの四向四果説は、阿羅漢向と阿羅漢果は阿羅漢の聖者であり、預流向と預流果は預流の聖者である、ということです。
だが、それは間違いです。阿羅漢向は阿羅漢より一ランク下の聖者なのです。預流向は預流より一ランク下の位なのです。 阿羅漢向と阿羅漢果が同じ位ならば、対にする意味はないのです。阿羅漢向は阿羅漢の予備軍であるから対にする意味があるのです。
阿羅漢向(阿羅漢予備軍):阿羅漢果(阿羅漢になった人)と、いうわけです。 >>332〜333
また逃げやがった。
職員出てこい。お前たちは如何思うんだ。
私は、岩波仏教辞典に書いてあることを書いた、
こいつは、岩波仏教辞典に書いてないことを書いたホラ吹き野郎と罵った。
訂正を求めても、未だにバカものですよ。
これが阿含宗の仏陀の法を修行した者の姿、実態ですよ。
阿含宗としてどうなんだ。お前らも逃げてないで出てこいよ。
他の信者さん、これが阿含宗の目指す姿?
なぜ沈黙しているのか、恥ずかしくないですか? >>335〜336
もう一度言う、
私は書いていることを書いた。
それに対してお前は書いてないことを書いたホラ吹き野郎と罵った。
謝罪と訂正を求めている。
ずーーーーっと言っていることを理解できる? 1.5来補説「深山は、預流向=預流と主張している」
1.5来補説「深山は、四禅で解脱すると主張している」
1.5来補さんによれば、私は上記のように主張しているそうだ。
もちろん、私はこんなことは書いたことはありません。
書いたというなら、根拠を示せと何度反論しても、完全無視して、
一年以上にわたり、これらを書き続けている。
チンピラか、ストーカーに絡まれたようなもので、異様というか、異常ですよね。
四向四果(預流向や預流果など)と四沙門果(預流など)は混ぜてはいけない、
というのが私の主張だから、「預流向=預流」などと書くはずがない。
両者を混ぜたらこんな矛盾が生じるという事例を示したら、それが
私の主張だと1.5来補さんは思いこんだのだから、どうしようもない知性です。
私は四禅で解脱するなんて書いた事もない。
一時、ペテン大作さんが同じようなことを言ったから、私が書いたという
根拠を示すように迫ったら、書いていないことを彼はいったんは認めた。
この意味ではまだペテン大作さんのほうが知性が残っているのでしょう。 信者さんたちに、三十年以上も阿含宗の信仰をして来た1.5来補さんの
「使用後」を良く見てほしい。
私が書いてもいないことを、書いたとインネンを付けて、毎日、書きまくり、
坂道さんが岩波仏教辞典の根拠を示しているのに、
1.5来補さんはこれを嘘つき呼ばわりして、反論されても、
撤回するどころか、開き直りにさらに罵声を浴びせている。
桐山さんでさえも「預流向=聖者」と認めたのに、
1.5来補さんは断固としてこれを認めない。
彼は相手があきれて黙るまで自分の主張を朝から晩まで繰り返す。
私のこの書き込みの後、彼はまた山のように同じ内容を貼り付けます。
まともな知性や良識はなく、恥じる心などカケラもなく、
暇に任せて、針の飛んだレコードのように自分教を書き連ね、
気に入らない相手にはインネンを付け、執念深くつけ回す。
宗教チンピラや宗教ストーカーという言葉以外、1.5来補さんを
描写する言葉を思いつきません。
宗教チンピラや宗教ストーカー、これが阿含宗でいう霊性顕現らしい。
これが三十年以上にわたる阿含宗での信仰の成果です。 2019年6月11日付 阿含宗関東別院ブログより引用
3月3日、関東別院にて「第18回 阿含のお護摩」が奉修された。
関東別院管轄全地区では、開祖眞身舎利をお迎えしようと
一丸となって精進中だが、4月7日でその活動が2年間の区切りを迎える。
そこで改めてその意義を学ぼうと、一般を含む約400人の参拝者が訪れた。
午後1時30分、まず法務部主任・少僧都を導師に、「開祖直伝 念力護摩 初伝」
次第によって護摩法要が奉修され、関東別院では初めてとなる本法要の御聖火
に、参拝者は開祖への御威光顕耀と法恩感謝、そして開祖眞身舎利ご奉安成就を
祈念した。
僧侶職員も念力護摩をやりはじめましたね。
和田女史も、他の僧侶が念力護摩初伝をやっているのに、来年の念力護摩を
まさか初伝でお茶を濁さないですよねぇ? 坂道くん、お前は辞典持っていても基礎理解力が欠けているから意味ないのだよ。そして猿知恵にだけ長けているから、人のあら探しをする。救いようのない奴だね。あんたは四向四果の向と果の違いを分かるのかね? 仏教辞典に、「向は目標、果は到達した境地を示す」と説明があるだろう。向は目標を示し果は到達を示すということだ。阿羅漢向は阿羅漢が目標、阿羅漢果は阿羅漢に到達した、ということだ。つまり、阿羅漢向は阿羅漢より一ランク下の聖者ということだよ。 この四向四果の仕組みを理解出来ない頭では、何を聞いても誤解してしまう、ということだ。そして自分勝手な、間違い解釈で、桐山師の教えと反対のことをしでかす。そして桐山師を詐欺師野郎というわけだ。 >>341
少僧都てどなたですかね?
お次第に初伝・中伝・奥伝があるのでせうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています