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そして、その次が1972年観音慈恵会旧京都本部に小田師を招いて行われた、
金剛界、胎蔵界の奥伝伝授(阿含宗HP)
この時の写真が、小田師と桐山さんが共に映った例の写真です。
阿含宗ではこの時に、金剛界法と胎蔵界法を三憲により伝授された、とします。
さて、ここで本当に「伝授」されたのか考えてみます。
まず、本来であれば、伝授においては記録媒体、テープ、ビデオ、カメラの類は
持ち込めません。今ならスマホもでしょう。
しかし、この場ではカメラとテープが許されています。
次に、本来の伝授には、法具が並んでいなければなりません。
密教の伝授において、法具の使い方も伝授の中に入っているからです。
しかし、写真で確認出来るのは塗香洒水器と散杖だけです。
桐山さんの左手前には、何らかの次第、ノート鉛筆だけで、他には何もありません。
この状態で伝授は不可能なのです。
また、テープ中で伊舎那天などの事を詳しく説明しておられる、との話が
ありましたが、これも普通の伝授では、ありえません。
伝授は言い換えれば、作法を教える事で、印を結び、間違っていればそれを直し、
真言を教え、観想を教えます。この観想に口伝などが入ります。
各尊の特徴や働きは別途に講義の時間を取る形式の伝授が多い。
しかし、写真で見る限り、これは伝授と言うより講義ではないか。
と言う感触が拭えません。
であれば、塗香洒水器しかない理由がスムーズに、納得出来るからです。
例え、印解き(印の結び方)や真言があったとしても、伝授ではなく、講義をした
そう考えると、印信や折紙を渡さなかった理由も納得できますし、
金剛界法の胎蔵界法を立て続けにやった理由も納得できます。
伝授であれば、金剛界加行と正行、胎蔵界加行と正行はそれぞれ、相応の日数を
開けないと伝授は行えません。
また、法に厳しい小田師がテープやカメラを許した理由とも頷けます。

これらの点から、私は小田師が桐山さんに教えたものは、奥伝や伝授などでは
なく、単なる両界法の講義であったと結論付けます。