【禅】坐禅と無字と臨済録と聖書2【禅】
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【道元禅師】
坐禅は安楽の法門なり
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。
【無門関】
趙州(じょうしゅう)和尚、因(ちな)みに僧問う、
「狗子に還(かえ)って仏性(ぶっしょう)有りや?」
州云く、
「無」。
【臨済録】
赤肉団上に一無位の真人有り。
常に汝等諸人の面門より出入す。
未だ証拠せざる者は、看よ看よ。
【聖書】
聖書はわたし自身の物語。
あなたが聖書を選んだのでは無い
聖書があなたを選んだのでしゅ。☆🎍
聖書を読みながらわたしは何かを思い出そうとしている。
聖書を読みながら瞑想しているかのように。
マタイによる福音書 7:6
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。
恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、
向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
【お友達が本を出版しました】
新訳日本神話 雪村 基光
※作者本人がこのスレに遊びに来るかもです。
【スレ主から一言】
しよーがないなー
怒って時は怒ってるきり
「わたし」が怒ってる
が余計って事。 >>316
俺は酔拳の達人でな、ひっく。
酔えば酔うほど、ひっく。 4 さて、不生なが仏心、仏心は不生にして、一切の事がすらりすらりと能く調ひまする。ひょっと仏心を念に仕替へますれば、はや不自由に成りまするわいの。
譬へば、女中方が縫物をしてござる所へ、人が来まして、咄を仕掛けまする。不生にて縫うたり聞いたりしまする迄は、両方が調ひまするに、若し、
一念を生じまして、応対せうと、咄に機が付きますれば、縫物の手が留まりまして、また、縫物の念が生じ、機が付きますれば、咄を聞き落して、
咄の埒が明きませぬわいの。これは、仏心が不生の場を退き、仕替へまして、念が一事に貪著しまして、外の事は欠けて、不自由になりまする。
さて、不生であるのが仏心で、仏心は不生で一切の事がすらりすらりとよく片付きます。ひょいと仏心を思いに仕替えると、はら不自由になります。
たとえば、女中方が縫物をしているところに、人が来て話をしかけると、不生で縫うたり話を聞いたりしている内は両方を同時にすることができますが、
若し思いが生じて話を聞こうという思いが出ると、話に気が付くことになり縫物の手が留まります。また、縫物に思いが生じて気がそちらに付くと話を聞き落して話ができません。
これは、仏心が不生の場を退き、仕替えて思いが一事に執着し、他の事はお留守になって不自由になるのです。 >>318
しっかり愛されてんじゃん、うらやまぴー!
ひっく。 泣き言言っているので。
ま臨済録だけにしてやるか・・・・。
可哀そうなので・・・・・。 >>320
これが分からん人が多すぎるのよ。
古仏の言葉の端っこ捕まえて、我欲丸だしを仏道と勘違いしているお馬鹿さんがさ。 >>323
んだ、読んだ本で意味不明な見性味わった坊主の本の提唱で使った言葉で。
いつも、頭に浮かぶ笑。
犬、つちくれを追う
犬、塊を逐う(いぬ、つちくれをおう)
犬、塊を逐う(いぬ、つちくれをおう)
犬は、投げられたつちくれ(土のカタマリ)ばかりを追って、投げた者を追わない。
無知な人は、結果だけを見て、その原因を追求しない。
涅槃経の言葉。
『追う』既に目に見えている物・目標へ向かう。
『逐う』まだ見つけていない物を探す。更に深く知る為に研究する。意識を向ける。注目する。 じいさんは言ったよ。
魚屋は魚食ってから売れって。
だから坊主は自分が死んでから故人に引導渡せって。
自分が未だ楽にも何にもなっていないのに、少しの境地を得たからって他人様の知識を借りて能書きこくってのは、大分間違ってるな。
ひっく。 >>325
まったくです、
俺は、カムイみたいに臨済録の言語なんて、使いたい気おきんでどす。
ま、覚える気がないのと、頭が悪いので即でてこないかもしれんが笑。 >>325
まぁ、そうなんだけど、仏の方から行われてたらいいんじゃないの。 みんな誰それはこう言った、あれにはこう書いてあったって話ばっかりでな、特に宗教板は。
自分の境地と知識を混同している輩ばーっか。
ひっく。 >>328
いや、瞬間のインスピレーションで出る時もある。 まるでヤクザの三下が、組の名まえ出しては意気がってるようで、笑っちまう。
ひっく。 密教に関しては日本の密教坊主が大したことないので鼻高々ですが笑。あとキリスト教も笑。
禅の申し子を宣言する自信も、またそういう気も起きませんが。
臨済録なんて嫌すぎて・・・・・笑。
密教の申し子、キリスト教の申し子は宣言する自信があるなあ・・・笑。 今ね、キリスト教板行ってるんだけど、キリスト教知らない分むっちゃインスピレーションはたらく。 >>323
点検して50点だ、禅よりマシな程度笑。
もっと点検して欲しいのか?笑。 >>333
自分の事だけやってたらいいんじゃない? はははははw
しゃろんも
カムイは罪人やから、優しくしたれ、とのことだから笑。 大体にして仏教ってのは、抜苦与楽が本旨でよ、痩せ我慢や思い込みで楽だってのとは違うもんだろうがってのよ。
ましてや何で楽になるのかって、そのメカニズムさえ理解できていない連中が多すぎてな。
阿呆らしいったらありゃしない、ひっく。 >>336
> >>335
そう思っている自分がいるってだけ。 >>337
んだ、今日宝慶記読んだ。
因果を明らかにする。
師弟の問答、いいわ。あれは。買って良かったばい。 近所の本屋、講談社学術文庫の本置いてない店が増えたのに、
それを買えといわんばかりにあった。
あと、熊野古道日本土着仏教本も買った。ラッキー! >>339
普通の人の考える因果ってのは、とても人知ではおもんべからざるもんでよ。
それより因を観念、果を苦楽って考えた方がよっぽどすっきりするでえ。 >>341
頭悪いんで内容忘れたんだが、
自分の苦悩の原因の解決の回答に思い当たるいい内容だった笑。
マジで思い出せん笑。 本からではなく、
先に解決したんで、その解答の意味を知るとという意味で。
ああ、今思いついた、「自覚するだ」。
カムイにレスしてんたじゃん笑。 >>343
あっ!今日はゴミの日だ!
って気付くのは一瞬でさ。
そっから掃除するのが本当は骨が折れるのよ。 どっかに何かしら「ある」と認めてる
それが錯覚だと気付く
気付いても、やっぱり認めてるものに引っ張られて、またそれをとどめようとしたりで落ち着かない 自分を立ててそのまんまってのと、自分を尽くした仏祖師方のそのまんまってのとイコールだって考えること自体がまるでお笑い。 そのままはそのまま、仏もなく凡夫もなく
でも、そのままは、「そのまま」と認めたところにはないってこと >>349
錯覚をこいてる自分が無くならない。
思い込みで生死の一大事の取引なんかする気はねえ。 >>352
「錯覚だ」と認めて、ごちゃごちゃやってるものが消えれば終わりなんでしょうね >>351
そりゃごもっとも、だからって無くなりはしない。
無いって考えるだけで借金チャラになるか? >>353
錯覚だってのはとうの昔に気がついている。
ただこの自分という思いがどうもならん。 >>330
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそれお前じゃんwww
ホントお前愚痴ぃ〜だなおwww >>353
有るときもあり、無いときもあり。
そんなんで、貴方は納得できます? >>355
えっとね。
思考が自分って言う思いを作るから
思考する隙を与えない。
即今に絶えず意識を置く。
これが無心。
するとどんどん自分が無くなってくのが自覚出来る。 >>354
無いといくら知っても、力を尽くして思い続けても、どうにもならず
>>355
何をどうしても、「自分」がこびりついて生まれ続けますね 言葉の出る前を練るとか、思考の前の場所を練るとか。 >>358
んなの当たり前だのクラッカーってな。
やってるよ、ちゃーんと。
でもなかなか根っこが切れないって、その愚痴の吐露。
ところで切れましたか?
ご自分が? 何んでも、自分の行いを眺めて
「これではダメだ」と何とかしようたしたり
または、「もともと無いからこれで良い」と肯定しようとしたり
「ダメだ」でもなく「これで良い」でもなく、そのままにしようとしてます >>353
自我を尽くして言ってるのか、先人の言い種真似てるだけなのか。 >>361
自分って意識するって、苦痛な時とかだよね。
まぁ、煩悩だけどこれ出てきたら、煩悩に成り切って消して行ってます。
煩悩が減れば自分を意識するのが自ずと減って行きますよね。
な、感じでやってます。 ガチャガチャ、ちぐはぐとなって滞りますけどね
でも、滞っても、
極力、滞ったままに >>363
先人から聞いたことです
私は無くなっていません そんなレベルで?
お笑い草。
苦痛を感じる時だけ?
なにそれって。
あなたの話?
こっちゃ四六時中二十四時間の問題だっての。
ふざけんなって、このど阿呆! >>364
阿呆か。
そんなの放っときゃ良いだけじゃねえか。
今さら何言ってるって。 この「自分が生きてる」ってことがどうなのかを明らかにするものですからね
「振り回されてた思いが外れて楽になった」も良いけど
生死の問題の解決は、もっとしんどいところ 自分がなくなる。戻ってくるときに気が付く
変性意識じゃないんですか 自分の命にけりをつける覚悟がどうしても必要なのかもしれない 自分が死ぬ、自分が悲惨な殺され方をする
そういうことを恐れていては、やり遂げられないのでしょうね
「恐れる」のは、対象として認めるっていうことだから >>376
なにそれ?
死に様想像しながらの修行?
邪魔すぎ(笑) 捨身飼虎でも、雪山童子でも、
自分の身も命も捨ててでも、ってことをやり遂げてはじめて…、
っていう説話ですね
>>378
想像は想像、想像では本当に命の危険にはいたりませんから なんていうか、普段でもプチ見性したら
脳の回路自体変わるよね。 >>379
だからやりとげたのかって?
俺の師匠のせったんは、魚食ってから魚売れって。 >>380
「ダメ」でも、「嘘付き」でも、どちらでも
支店長さんは、本気の命の覚悟をされたことがないのかな? 世の中、いまこの瞬間も、たくさんの人が殺されたり自殺していったりしてる
それを他所にみて、「自分には関係ない」として
それで仏法だとか真理だとかを本気で得られると思っておられるのでしょうか >>367
∞ノノハ∞
川^〇^ハレっ鏡
ほらよっとwww
阿呆! >>388
誤魔化しではないですよ
今、瞬間、例えば凶悪なヤクザの人がやってきたとして
その人に殺される覚悟で己を捧げる覚悟か出来るでしょうか >>389
仮定の話?
ダメだこりゃ。
俺が言っているのはただ、貴方自身が決着付いているかってこと。 想像ではなく、
実際に、繁華街にでもいけば、不穏な人達の集団に出くわすことは難しくない
実際に出掛けていって、その人たちに
己の身の安全の思いを取ることなく、身を投げ出して接せるでしょうか 支店長が言ってるのは、コップの中の水が自分として、ある日コップの底が抜けて、ザザ〜って水が全部出るのを求めてるよね。
これになったらラッキーなんだけど、中々。
なんで、コツコツ水が自然に蒸発して行くのを待つしかない。 >>390
決着とは?
玉が宙に浮く、とか、そういうことですか? この、「人としての生死」が、
全て解決された、流れに浮かぶ玉の中の出来事でしかない
もと解決済みであることに気付く、と >>393
金玉は身体に付いてるっきり。
玉だけどっかに行かれたらどうもならん。 >>396
身体が死んでも、世界が滅んでも、どこにも行かず、失われるものもなく >>398
眠たいことが眠たいことのままに、
全て丸出し、それに落ち着けば終わり >>397
阿呆!貴重な人としての時間が奪われとる。 >>400
失われるものがなく、それに落ち着けば
安心して時間を使うようになる >>392
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ支店長とかいう奴の頭にコップの水かけてやれば少しは酔いも覚めるんじゃないwww >>402
見てる「自分」がおりますよ
でも、「自分」があってもなくても、どちらも変わらずってほどには落ち着いてます >>405
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそれお前なwww >>401
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ今三面鏡見てる楽しいぃ〜〜〜♪ 何を言っても、罵倒も暴言も賞賛も承認も、
縁のままに、外れようもなく、知らないんですよ >>406
ならご託言わずにテメエのことに掛かりきれ。 >>412
「テメエのこと」と、違うことが他所に何かあると思っておられるのかな? >>410
鏡ってのは素通りしていくだけだと思うけど
我を捕まえる >>417
思いは思い、「誰が」とか、知らんものですよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています