--佛教論議の伽藍スレ-- 第四巻
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仏教に関するKeyword 「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、 原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、 激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。 尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。 基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、 もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。 -------------------当スレの戒律(マナーとルール) ------------------- 条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可) 2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう) 3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。 4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。 5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。 6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。 (1950年の世界仏教会議にて決議した) 7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう) 8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。 9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2の戒律と資料リンク)を変えないこと。厳守!! 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。 >自分自身については、何も知らない無知なんだといっては猫を被る 中観帰謬の体験をしたことがないので それゆえに 本当に理解してないのでつ ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ これは確かに >>192-193 の 承狂元密教僧が云うように 悪鬼のケンゾク?に取り憑かれて (無明に依存して)妄想から他人を断罪してる ということで おじゃりますな? ところで 悪鬼のケンゾクって何ぬねの? >>258 >>175 で「善意で人を惑わす」と書いたのは、おじゃるさんのことで、(笑) 「妄執を真理と説く」と書いたのは宝珠さんのこと。(笑) おじゃるさんのは「紹介」で宝珠さんのは「論戦」で、ここは議論スレなんだから、マナー違反はおじゃるさんだよ。(笑) (^。^)特に>>258 はヒドイね、俺は宝珠さんを「悪鬼の」とか言ってないのに、言ったことにして「断罪」するとか。(笑) なかなかイヤラシイ書き込みをするじゃあないか。(笑) ちょっとムカついたよ。(笑) > マナー違反はおじゃるさんだよ ということは 戯論とか適当な事を語るスレからも、撤退した方が良いでつかね 「撤退せよ!」というのであれば 戯論とか適当な事を語るスレからも、出て逝く所存で おじゃります >>260 「撤退せよ」とは書いてないよ。(笑) その調子で「他人の言葉を」利用して全く違う、 おじゃるさんの「意見」を正当化しようとする、 という手口は、宝珠さんと同じだと言ってるの。(笑) (^。^)俺は誰も「断罪」してないよ、「こうじゃないのか?」とケンカ売ってんの。(笑) 買うなら相手しますよ?って話。(笑) >>261 > その調子で「他人の言葉を」利用して全く違う > おじゃるさんの「意見」を正当化しようとする > という手口は、宝珠さんと同じだと言ってるの ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ 了解で おじゃります ちなみに これからの 方向性としては 戦うという方向性ではなく 手放す(ことができるのか?) というような方向性で逝ってみたい所存で おじゃります ということで とりあえず 戯論とか適当な事を語るスレに おじゃる妄想による妄言を逝っておきます ☆ できれば せぶん禅師にも 戯論とか適当な事を語るスレ こちらに来て頂きたい所存で おじゃります 質問とかもある(かもしれない?)ので ヨロ m(_ _)m ☆ いえ おじゃるの責任で せぶん禅師は悪くないと思います スマソ m(_ _)m 議論スレで空気を読むとはこれ如何に。(笑) (^。^)この日本教徒どもめが。(笑) >>252 >事の始まりは、この私から仏教界に対して、それまでの無我についての常識を疑うという意味でのアンチテーゼを示したこと。 >及び、邪見(断滅論/唯物論及び三世業論の否定)の蔓延る様に対する危惧に端を発しているのです。 断滅論について詳しく説かれている梵網経では、(主に瞑想によって)アートマンがあると思い込み、 身体の破壊によってそのアートマンは断滅し消滅することを断滅論としているのであって、アートマンの有無には言及していないことに注意は必要です。 加えて言えば色界、無色界の瞑想で捉えたアートマンについてはおそらく否定しています。 梵網経 https://buddha.pink/buddhism/49/ つまり梵網経は我があるという根拠にはなりません。 相応部でブッダがカッチャーヤナに説いたように我があるとかないとかへの断定は極端であるというのがやはりブッタの思想なのではないかと思います。 多分、我のあるなしへの執着は煩悩となって再生の素因となるのですよ。 だから諸々のブッタは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた(中論18-6)のではないかと まあ来世を望むならば我のあるなしを大いに議論すべきとも思いますがw 骨髄ドナーや献血が増えているそうな。 これまでも、有名人の白血病等多々あった筈だが、ここまでではなかったわけで。 以前、一代が、 日本でも、一人逸材が出るだけで変わるというようなことを言ってたが、 「池江効果」とか「却ってよかったかも」なんて言い方をすると件の大臣の如くになってしまうが、 これによって、血液系の病気の「社会的」サポートが充実していくことにはなるかもしれない。 世の中、何がどう絡んで影響してくかわからんね・・。 http://www.fbs.co.jp/news/news162125146.html 桜田五輪担当相の12日の記者団とのやりとり全文は、以下の通り。 記者:池江選手が自ら白血病であること、しばらく休養することを公表した。桜田五輪担当相の受け止めは? 桜田五輪担当相「びっくりした。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿になって戻ってもらいたいというのが、 私の率直な気持ちだ」 記者:競泳の中でも有力な選手だ。 桜田五輪担当相「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手だから、本当にがっかりしている。早く治療に専念していただいて、 また元気な姿を見たい」 記者:これまで池江選手の活躍をどう見てきたか? 桜田五輪担当相「日本が誇るべきスポーツ選手だ。最近水泳が盛り上がっていて、オリンピック担当相としては、 オリンピックで水泳に期待している部分もある。一人リードする選手がいると、全体が盛り上がる。 そうした盛り上がりが若干、下火にならないか、ちょっと心配している。 我々、一生懸命がんばって、いろんな環境整備をやる。 とにかく治療に専念して、元気な姿を見せていただいて、またスポーツ界の花形として、がんばっていただきたいというのが私の考えだ」 記者:池江選手にエールを送るとしたら? 桜田五輪担当相「とにかく治療を最優先して、元気な姿を見たい。またがんばっている姿を期待している」 諸仏両足尊 法は常に無性なり 仏種は縁に従って起ると知しめす 是の故に一乗を説きたまわん 是の法は法位に住して 世間の相常住なり 道場に於て知しめし已って 導師方便して説きたまわん >>245 魔術の起源は、 アトランティス時代にまで遡ります。 神智学的には、現在でも見られるような類の魔術すべては“時代遅れ”のものとして、 そこに価値を認めて人々に推奨するということはありません。 魔術は、 香インセンスと数字とマントラム(呪文)を用いて、 エレメンタリ(現象物質を構成する微細な不可視生命体)に働きかける術です。 白魔術と黒魔術との決定的違いは、それを行う者の意図と目的の違いであり、 白魔術は善意に基いてグループに所属し、高次のディーヴァ存在(善意の妖精/神々的な生命)を動かそうとしますが、 黒魔術は利己的な個人主義に基づきグループとして機能しません。 そして、利己的な目的のためのパワーを求めて“悪の勢力”のフォース(力)を引き出そうとします。 これは密教(金剛大乗)にもいえることなのですが、 その気になれば密教の神秘力も黒魔術的な利己的悪意あるものとして使うことはもちろん可能です。 だから、誰にでも秘術を授けるようなことはできないのです。 >>268 とても良い投稿をありがとうございました。 ヤル気のある方の参加については大いに歓迎します。 (私からの投稿は、すぐに返せないことが多々あることをご了承下さい) 尚、いきなりでは分からないのも無理ありませんけれど、 私の主張はこういうものです(以下に要約)。 ・ブッダはアートマンの有無を説かなかった。つまり、アートマンについては“無記”の態度でした。 にも関わらず、“アートマンは無い”とするのがブッダの見解であるとして、 ヒンドゥーを断罪して馬鹿にしたり、軽視するのは止めなさいな。といってるのです。 ・また、ブッダの教えは、ヴェーダの説くアートマンのようなものではなかったけれども、 しかし、必ずしも全面否定に繋がるものではないどころか、その逆に、寧ろアートマン思想とも共通する部分が多岐に渡っている。 ・そもそもが、アートマンは無い”という無我の間違った理解は二千年来の部派の見解であり、現代の仏教諸派のすべてがこの伝統を継承してしまった。 この間違った違った部派教義の影響を受けて、現存する仏教諸派のすべてが無為、無我、空... といった重要かつ、基本的な仏教理論の根幹の多くについて、その理解を間違った。 ・伝統教義に同意するものとして、“三世に跨る業報輪廻”を私は認めます。 しかし、世襲制に拠る二世住職たちが増えたことが原因してか、仏教界に唯物主義(これは120%間違いだ)が蔓延り、 輪廻転生を認めない僧侶や信徒が増えつつあることを私は大いに危惧します。 そして、彼らの主張の一部には、「アートマンは無い(ブッダが説きもしないことを勝手に決め付け)から輪廻もある筈がない」 という理解を根底に置いていることが明確に確認できる。 以上ですが、 宜しくお願い致します! >>前スレ958承狂 >ここのコテだと宝珠さんだけ肚の据えかたが別だよな。(笑) だから、コレは遊びじゃないのでね。 >>同860承狂 >ド素人が伝統ある余所様の宗教に口出すな!ってなんない?(笑) きっと、 --ド素人--だからこそイイのだろうとも思うわけです。 バリバリの僧侶や宗門の体制側ドップリさんでは、その“気付き”は難しいのでしょ? ましてや、“自浄改革”なんてものが望めるべくもない...。 だから、これは外部からの、つまり非体制側のド素人だからこそのものなのですよ。 この私の基本スタンスは世の改善に向けて実行動を採るというものです。 私の妻はとても嫌がりますが(いつも「止めなさいな」って怒鳴られてますよw)、 例えば、TV放送で間違いやデタラメ解説をやっていたら、 TV局までわざわざ苦情の電話をします(いわゆるクレーマーという奴か?)。 もちろん、正しい解答と合わせて「こうしなさい.あぁしなさい」と教える。 担当者からは、「一体、どちら様の教授さんですか?」といわれたりもしますwww 政府や(小泉首相)へもメールでも手紙でも何でも書く。 まず、 “間違い”に対しては声を上げることが、とにかく非常に重要なのです。 それが世を動かす小さな小さな第一歩となる。 この私は、「バタフライ効果」という考え方を支持しているのです。 つまり、一匹の蝶の羽ばたきで起きる空気の動きは極僅かなものですが、 しかし、この僅かな空気の動きが実は我々の知らない領域で様々なものと繋がっていて、 それが結果的には、何か大きな事物の変化となっているかもしれないのだ、という考え方です。 だから、たった一匹の蝶の羽ばたく空気の動きすらも馬鹿にはできないのです。 フォトンベルトの件では、 各研究機関へ5ヶ所ほど問合せして、それから、国立天文台には直接電話した。 NASAが公式見解を発表したのは、その後に間もなくしてからなので、 もしかしたら、私からの問い合わせがキッカケとなって 彼らがNASAに問い合わせた結果であったのかもしれないと思っています。 以前、私からの地震予知情報(クリール諸島の大規模地震の危険性について)を新聞社へと送信したこともあるし、 ロシア通信がどうやら私の発進した情報を元に警告を発した可能性もあるとして、 一部ネット上の仲間内ではこれが話題になったことがある(私は民間の地震予知研究者の一人でもある)。 今でも、『日本仏教協会』にデタラメを宣伝するのは止めなさいとも告げるし、 それから、信奉している真言宗智山派の総本山にも、お盆の説明が間違いだらけだとクレームを付けた (ブッダはそんなことは説いてない!)。だから、たぶん嫌われたと思うw 私が支持を表明している神智学系グループからも、 「ただ祈っているだけではダメだ」“実行動を起こすように” (それが最も重要である)と、いつも指導されています。 社会の不正義に対に対しては「NO!」といいなさい。 勇気を以て、あなたの意志を表明しなさい、と。 >>193 承狂 >「自分は正しい仏教を理解している」という妄想から他人を断罪してるわけだろ? >これとトサツされたブタの「正しい仏教に導くためにポアしてやろう」なんて極悪非道なタワゴトは、 >なにか違うんだろうか。 いやいや.ジョーダンじゃない! そんな極悪非道な妄想の類と一緒にしないでもらえます? 唯物主義の間違いについての指摘はプッダからの教えであって、仏典にはその記述が明確なものです。 あなたの三世業報輪廻否定の(仏教的な)不都合を誤魔化すために、勝手にこの私の主張を妄想扱いしないでもらえますか? 尚、同じく私から伝統教義の間違いを指摘したもののすべては、仏典にその根拠が確認できるものばかりです。 私からの伝統教義批判は、その伝統が仏典の記述に反しているからだというものです。 それが、もしも間違いだというのならば、仏典そのものがダメだということに他ならない。 >私からの 批判は、 伝統が仏典の記述に反しているから 対論者の多くも、仏典の記述に反しているから 貴方を批判してるわけで。 つまり、AもBも、同じ文章を基準としているわけで・・w じゃあ、なぜ対立してしまうのだろう? 「読み方・解釈、及び原典批判的読み」の、まさに読み方の相違なのだろう。 で、 >もし 間違い ならば、仏典そのものがダメ ということは、 結局、自分の意見に合致するかしないか、でしかない、 ってことでね。 だから、 自身の(追)体験、相似体験が重要なわけでね・・・。 ┐(´ー‘)┌ その流れで、 ウダーナ8で、何が言われているのか、と。 ああ、 そういえば、宝珠は、田上さんにこそ、凸して確認すべきじゃないかな?w 「ブッダはアートマンとなった」 の真意をw まだ御存命と思うけど。 対話ができるかどうかは知らん。 もう、結構な御歳になられているだろうから。 アートマンの話と ブッダの無我の話は違うんじゃないの? 認識不可能なアートマンなる個人の中枢のようなものが、こころの深いところにある って言うけど これは、現実の行為とは離れた存在としての我が別個にあるみたいなやつで 静寂の地点のことだろうけど そのようなものが、あることを、またないことも、問題にしてないのがブッダのほうで こちらは、現実そのものの、方に溶けてるが アートマンの方は現実の、根幹にあるところがあり、現実の深海のようなとこに、溶けてる 現実そのものに解放されてる方は、我が消えてるけど 深海に潜ってる方は、残ってる だから、 (如来蔵本覚思想は又別の議論としてもw) 臨済系(達磨以降の禅系)―特に、「近現代」の禅宗系の教学―に於いて、 「有我」になってないか?という批判があるわけでw あるともないとも言わないなら、それは無いのと同じなわけで、 全ての教法・行法が、あること前提では成立しない。 もし、(延命十句ではないが)常楽我浄を言うとしても、 少なくとも、それは―或は臨済の言う「真人」、現代禅の言う「仏心」等―が、 『仏教以前から言われていた「我」(アートマン)』 と同一ではないという建前には、拘らざるを得ない。 勿論、 「釈尊が有無を避けた≪我≫は、『仏教以前から言われていた「我」(アートマン)』であって、 『そうではない真の自己』は、明言はしなかったがあるのだ、それに気付くことが悟り(≒涅槃)である、 という、まさに近現代の臨済禅的なものが、本来の仏法、釈尊が真に説いたことであった」 という仮説を立てることは可能いだけれども。 >>281 その意味では、 もしかしたら、現代臨済宗は、まるっと神智学とイコールだったりしてなw 難しいからアレだけど 真人とか仏心を マハルシなどの説いたアートマン つまり ハートの奥にある静寂と解釈してる人がいるってことはあるだろうけども 元々の意味は 真人といっても、この体と心と、それから、その対象、活動、そのものと離れた別個の存在のことなんか言ってない だから、この、真人というのは、認識不可能な存在の基盤としてのアートマンみないなのとは明らかに違う 一方は、今現にここで、把握されるところの我の在り方に目を向けているのに対して もう一方の方は、今現にあるところの我ではない、ほんとうの我が、認識していないところなら存在していると つまり 今現にある、在り方と違う在り方へと目を向けているのであって 方向性が違う どっちが正しいかは、わからんけども 菩薩様の言であれ、如来位の言であれ、それは月を示したのであって、その指は月ではないって何かにあるだろ。 シンチガクは、その指先を端から見て 「大体コッチ側で、他の指先がアッチ側だから、その交点は大体この辺でしょ?」 って話。(笑) 残念ながら、其々の指先は厳密には違うものを指し示したから意味はないんだがね。(笑) 例えば、視覚を通常の千倍にする方法と、聴覚を千倍にする方法があるとして、 どちらも超人となるわけだが、その働きかける脳髄部分は異なるし、その際の身体機能への留意点も異なる。 それらのプロセスを研究し解明したところで、超人にはならないし、 ましてやゴッチャになんかしたら、そんなものは廃人を作る外法なだけでしょ。(笑) 「輪廻転生とは」とか「悟りとは」なんて、俺には言えないが、(笑) 現実を無視したファンタジーが仏説だなんて話は、指差して笑うわな。(笑) というか、新興宗教なんかの「仏教も○○も同じ」なんて連中は、 経典片手に「俺らの理解した仏教こそが正しい」って言いたいだけで、(笑) それは、あの売国テロリストブタ教祖が「解脱者」と詐称したのと同じにしか見えないね。(笑) (^。^)「本当の釈迦の教え」とか、お前ら何様だっての。(笑) 独善的な正義感を下手な例えと下劣な言葉で吐き続ける承狂はあぼーんするに限るなw スッタニパータのパスーラ経を読みましょう http://suttanipata.com/afaafaf/ 832 (特殊な)偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、汝はかれらに言え、ー「論争が起っても、汝と対論する者はここにいない」と。 >>245 追記: 召喚と発動のための要素で一つ抜けがありました。 「香インセンス」と「数字」と「マントラム(呪文)」に加えて、 もう一つは、「音」でした。 >>286 承狂 神智学は、 そのような研究者(人間たちが行ったもの)に拠る勝手な推論などではなく、 すべてを知り賜える叡智の存在から授けられたものです。 尚、私が普段から述べている仏教理解と仏教知識のすべては 私個人が独自で学習したものであって、それらはいかなる神智学系からの教示とも無関係です。 ただし、もちろん私の仏教理解と神智学とには何ら矛盾はありません。 『神智学は神々のもち給う智識であるから、それは決して憶測でもなければ学説でもなく、また、些少の人間の知慧が造り出した 神学や教学でもない。それは宇宙の生成と人間の生成と両者の関係(一言でいえば神の経綸とその行程)等の全事実に関する体系で ある。言い換えれば、それは神々の側より啓示された、かつ不可視の世界より人類を霊導される、高位の存在方みずからが直接体験 によって直知された、宇宙生成学と人間生成学とである。故にそれは信仰ではなく信仰の次元を超えた知識である。』 (H・P・ブラヴァツキー著『神智学への鍵』) >>288 私もよく引用させて頂いた経文ですけれど...。 ブッダが在世で、直接に指導された弟子たちであれば、 「論争を挑む彼らなど相手にするでない」は、まさにその通りであると私も思います。 しかし、ブッダが世を去って数百〜数千年と経ていく中においては、 いずれがブッダからの正しい教えであったのかについて、あれこれ論議する必要が生ずることはやはり必然かと。 仮にも経典の記述が正しいものとして信用したいところでありますが、 その経典の記述にも従わず、それに反しているのであれば話にならないでしょう。 私からの指摘は、現存する仏教諸派はすべて経典(原始経典)の記述に反した教義を信奉しているというものです。 すでに私からの論証は終わっていますけれど、また、いくらでもお話します。 まことに残念ながら、 ブッダからの純粋かつ正しい教えは、現存する教団には継承されずに消失したものと見ています。 この経文が、勝手教義を掲げる大乗の出現と、そして、テーラワーダを含めてブッダの教えを失ったことを予言されたものでしょう。 そして、それは確かに現実のものとなったのです。 まだ、できることは経典の記述を再確認して、今ある教団の姿を見直すことです (そうすることで原始仏教の教えと近づく)。 『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。 如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応しているものであるが、 それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさな いであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。 これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、弟子たち の説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心 を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。 かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典は消 滅してしまうであろう。 比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間 のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。耳を傾け、了解しようとい う心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう]と。』 (『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5) >>289 そのデブの婆さんの与太を「信じてる」ってだけだろ。(笑) 「知識です」ってんなら、ブタ教祖の与太も「知識です」から。(笑) そして、その「知識」を元に宝珠が都合の良いように「解釈」した「仏教」なんだから、 そりゃあ「シンチガクとも矛盾」しなくて当たり前。(笑) (^。^)そんなに「素晴らしい知識」なら、仏教云々言わずに堂々と「シンチガク」の旗の下でやんなよ。(笑) それじゃ、世間様に笑われるから「仏教ではー」とか「ガンジーがー」とか使うわけでしょ。(笑) どんな屁理屈並べようが、やってることは虎の威を借る狐さんだよ。(笑) >>292 >仏教云々言わずに堂々と「シンチガク」の旗の下でやんなよ。(笑) 心配は御無用! 別に私自身は何も不足してないし、まったく困っていないから。 だから、仏教界への介入は単に私個人によるお節介だといってる。 尚且つ、私の社会改善活動の一環ですよ。 あなたにいわれる筋合いはない! 「伝統仏教に口出しすんな」のセリフは、 あなた自身が三世業報輪廻(伝統教義)を理解してからいってはどうだい? >>293 「社会改善」には成らないでしょ。(笑) 単なるモンスタークレーマーでしかない。(笑) 世の中は、そんなクレーマーにも漸く問題意識持ち始めたから、 今後もそんな風だとそのうち痛い目を見ますよ。(笑) つっても、数年後の話だから宝珠は御先祖さんの徳分で大丈夫かもしらんがね。(笑) (^。^)「仏教に口出しするな」じゃなくて、宝珠は人の道から外れてるよねって話なんだよ。(笑) 宝珠が日本仏教諸宗派に何をしようが、俺は一向に構わんよ。(笑) どちらも俺には全く関係ないからね。(笑) >>291 ブッダ生前のまだ経典が誕生してない時代の説法に「これらの諸経典は〜」というのは変だと思う。 これは後世に付加された文である可能性がありますね。 また詩文調というのは韻文のことを指すかもしれず、そうなるとスッタニパータや相応部の韻文の部分が外道に由来するものとなるという、 従来の学説とは真逆の考察もできないでもないかもしれません。 まあ原文で諸経典がどう書かれているか、またそれを翻訳したのは誰なのか、翻訳者の註釈はないのか、など気になるといえば気になりますね。 古代インド文献研究には、 「苦行者文学」という括りがあって、 仏教興起以前から、「宗教的生き方」「方法論、指南、参考」「戒め・覚書・備忘録」 等の要素が、 「憶えやすい(―日本的に言えば、語呂のイイ・五七五等のリズムに乗った―)言い回し」で残されていて、 その多くが、場合によっては【そのまま】、仏教内部に導入されてたりするらしいからね。 で、厳格でストイックで原理主義的な釈尊なれば、 古くから言われている、(或る種ことわざ的な)言辞を、そのまま利用した可能性も大きいからねぇ・・・ (^^; そー言えば、これは書いて無かった気がするんで、書いておくか。 「人類は進化している」「次は霊的な進化をする」という妄想について。 キリスト教の呪縛のごく一部を、進化論が破壊したが、 そのあと、「霊的な進化」、「社会の進化」という妄想が代わりに広がり、ニューエイジなどのオカルトと共産主義という両極端な妄想が生じた訳だが、 この「霊的な進化」という妄想の中の一つがシンチガク。 そもそも「進化」とは、本来は単なる「適応化」という意味でしかなく、 「より良く変化する」なんて話ではない。 人体の「進化」も脳機能の「進化」も増設に次ぐ増設に過ぎず、場当たりてきなものでしかない。 「絶対的存在」が世界を管理するというキリスト教の妄想から、 複雑化する生態や機能に「絶対的存在」の意思を幻想しているに過ぎない。 以前、「キリスト病」の一つがシンチガクだと書いたのはこのためだ。 (^。^)従って、俺から見たらシンチガクも共産主義も同じ穴の狢って話。(笑) だから宝珠は「唯物主義者」を目の敵にしている訳だが、 この「唯物主義者」というのは共産主義者の側であり、 「悪」、つまりキリスト教から派生した「社会が進化している」派に見えている訳。 勿論、連中の考えてる「進化」自体が妄想なので、 この「唯物主義者」も実在はしていない。(笑) 従って、最終的にはポル・ポトのように、「何となく気に入らない」から「悪」とするようないい加減な話でしかない。(笑) (^。^)要はド派手な色眼鏡かけて「世界は美しい!」とかほざいてるって訳よ。(笑) >>299 まっ、取りあえずは特に反論しないでおきますけれど...。 では、何故に何処の銀河においても、やがて無機物から有機物が生じて、 最後には意識を持つようになるのかをまともに考察してみなさいな! そして、その物質を認識するのは意識によってだ。 ところで承狂さん、 あなたの私宛(またはわたしからの投稿に関する)の最近の投稿は、 その殆どすべてが、“わたし個人(個人的な資質など)に対する誹謗中傷と神智学の悪口”に終始しています そして、肝心の私からのあなたに対する仏教的諸問題については、“逃げ回ってその解答を避けたり”しますね。 こういうのは、議論に負けたことを自ら世間に露呈しているに等しい痴態というものです。 見ている人(閲覧者)にはすぐわかるのですよ!! それから、 >>275 を見れば誰にも一目瞭然で分かるように、 この私からの仏教に関する主張(仏教界に対する批判的意見)は、神智学とは正直いってまったく関係がない。 ヨカッタじゃないですか!...“逃げ口上”のすべてを神智学のせいにすることができて。 (敢えて、こちらは逃げ口を残して上げているだけだというのに...) いや. もしも本気でヤル気があるのならば、 仏教問題>>275 でいつでも全面的にあなた個人と対論しますよ! 私の方は構いませんからね。 >>301 「何処の銀河でも」「意識を〜」 (^。^)あぁ、○○星人とチャネリングしてるんですね。(笑) 楽しそうで何よりです。(笑) エロワは、日本で仏教を学んだフランス人作曲家です。 ミクロとマクロの反転を表現しているのだと思います。 大画面・大音響で聴いてみて下さい。迫力があります。 ↓ Jean-Claude Eloy - "Yo In" Act 1: Dawn. Morning call. Ritual of ... https://www.youtube.com/watch?v=xM_U4rMWq5Q Jean-Claude Eloy -- Shanti / "Prémonitions" (1973) - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=2QAsCaX_0lE Karlheinz Stockhausen -- FREITAGS-GRUSS (WELTRAUM 1/2 ... https://www.youtube.com/watch?v=NJfI_wwLbQs >>298 宝珠の霊的知識にはなんとなく違和感を感じてたんだけど、なんとなく見えてきた。 つまり、宝珠の言う新時代とは、覚者方が扇動して人類を引っ張っていく・・・ そこには、大多数の人類を悟りに導くという、一般的に言われているアセンションのようなものはなく、 今の人類の指導者が、超越的な人物にとって代わるというイメージだろう。 人類はそれについていくだけで、人類自体が高次の存在に変容するという感じはない。 そして通常のアセンションのように、今までの世界が滅びて、高次の世界に変容するという考え方もない。 こういう考え方だと、一般の個人が超越的人物のイニシエート無しに悟りを得ることが出来ないということで、 仏教と相いれないんじゃないか? また、最終的な新時代の形が、個々人が悟りを得ることじゃなくて、なんら意識的変化なく、超越的な人物に従うことで 地上天国となっていく感じで、仏教の縁起の世界観と相いれないものになってる。 宝珠の言う新時代とは、真実の仏教やキリスト教と相いれるものじゃなくて、物質主義的なオカルト思想のようにみえるね。 ここでいう物質主義とは、メンタリティの問題で、宝珠の言う新世界では個々人の我がバラバラのようなイメージ。 覚者方、一般の人類、それぞれが我の世界を保ったままの新世界 だから、口では霊的なことを語っていても、その発想は唯物思想と同じようなもの。 本来オカルトとは「我」(自分の夢や理想、欲にまつわるもの)の考え方だから、オカルト的な新時代というのはそういう風に、 仏教やキリスト教とマッチしなくなっちゃう。 人類の真実の姿、キリスト教や仏教の教え、新時代、 宝珠の考え方だと、これら3点はどうしても結びつかないだろう。 統合的に話せない。 まあ、 「高次」なんて概念は、基準取りでどうとでもなるしな。 たとえば、 「種、及び一集団としての総合力」で言ったら、 蜂や蟻の方が、圧倒的に 『優れた「生物」』 だと言わざるを得ないしね。 (人間のような愚かさもないしw) でも、西洋(キ教)的価値観、及び神智学的世界観では、 ピラミッドの底辺だから。 >>294 承狂 >単なるモンスタークレーマーでしかない。(笑) >世の中は、そんなクレーマーにも漸く問題意識持ち始めたから、 > 今後もそんな風だとそのうち痛い目を見ますよ。(笑) >(^。^)「仏教に口出しするな」じゃなくて、宝珠は人の道から外れてるよねって話なんだよ。(笑) いやいや.ジョーダンじゃない!! わがままが通らず自分の思い通りにならないからといって、 ギャーギャーと身勝手な文句と暴言を吐く社会悪としてのクレーマーなどと一緒にしないでくれます? 政治の世界でもそうだし、これはなんでもそう。社会悪と間違いやデタラメに対しては、 キッパリ「NO!!」を突きつけて、そこを指摘しないと決して良くならないのです。 放置や黙って従うことが最も良くない。 悪政についてもそう。 まずは、声を上げることがとにかく大切。 なので、署名活動とか、時には集会とデモ行進(暴力ではなく)にも参加すべきでしょう。 >>299 >キリスト教の呪縛のごく一部を、進化論が破壊したが、 >以前、「キリスト病」の一つがシンチガクだと書いたのはこのためだ。 一応、誤解を避けるためにいっておきます。 ダーウィンの進化論(不完全ながら)の基本的な線は、神智学は肯定の立場ですからね! ただし、当然ながらこれには霊的な視点が完全に欠如してますから。 そして逆に、キリスト教神学に対する全面的否定意を説くのが神智学です。 だから、神智学に対して異常なまでにかっこ“攻撃的”なのがキリスト教徒(信者レベル)たちです。 他の諸宗教からは、そういうことは起きていない。 >>302 私は、宇宙論的視点として述べたのです。 つまり、何処の銀河宇宙であろうも、エネルギーから鉱物が生じ、 そこには恒星があって、そして、惑星があり...。 やがて、そこには有機物が発生して生命体となり、遂には自我意識を持つに至る。 それは更に、下等生命から高等生命へと進化していく... という一連の流れは、必然であるとしてどの科学者たちも考えています。 それから神智学では、 “チャネリング”はしていませんし、もちろん推奨もしません。 それらはすべてアストラルレベルの低活動であって、そこには覚者からの情報はありません。 >>295 自分の教え(説法)のことを「経典」としていることについてですが、 中村 元氏も石飛道子氏も同じく、これを「経典」と訳しています。 まだ経典がないにも関わらずと思われたでしょうが、しかし、これは“予言の言葉”なのです。 そういう意味でも、ズバリ「経典」とあってもおかしくないかもしれないということ。 だから当然、 自分の言葉が後に経典として纏められるということくらいはブッダは分かっています。 ここでいう“外道に由来するもの”とは、大乗諸経典のことと見なすのが普通の見解と思われます。 事実、ある意味では仏教のヒンドゥー化であるという評価がなされているのが、近代仏教学の正統評価でしょう。 そして、“如来の説かれた〜諸経典は消滅してしまうであろう。”とは、 シナ仏教と日本仏教においては、漢訳四阿含経が小乗仏教のレッテルを貼られて実際に殆ど顧みられなかった (天台の推奨する絶対的な価値観としての法華経がメインに置かれてた)ことを意味するものと見られています。 “彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。 それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。” については、 結果としては南方仏教のテーラワーダも含めて、私は然りだと個人的には見なしています。 何故ならば、彼らは経典の記述上における「法」と「一切」、そして「無我」についての教えとは異なる理解にあるからです。 このことはまた、後ほどやります。 >>296 興味深いお話をありがとうございました。 これは特に反論ということではありませんけれど、 ゴータマ・ブッダを“原理主義的”という扱いで述べられることはあまりないように思います...。 逆に、どちらかというと、“反伝統的な革新派”という扱いかと思いますが。 確かに、まずは伝統修行の実践ということで、凄まじい苦行に没頭したことは事実ですが。 >>前スレ969 >>同975 >>同977 >>同981 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/969-981 はい、 私も120%同意します。 師や先達が“指導の名の元に” 弟子や後輩に対して“修行と称する”体罰を行うなど言語道断です。 修行を指導することというのは、シゴキや体罰などとはまったく違うことです。 今、ニュースでも日本中で問題となっている通りであり、 至急、改善が望まれるシゴキと暴力が完全に日常化してる相撲界や、 そして、スポーツの世界での実態も同じことですよ。 それらが本当に修行として、指導の在り方として適切であるかどうかです。 あくまでも正当化を図ろうとするのであれば、仏典からその正当性を証明しなければならない。 >>306 いえいえ全然、違いますよ。 これらの見方は完全な勘違いと決め付けです。 ニューエージの主張のような、 まるで全人類が一斉に意識の変容を遂げる出来事がある、 という安直な考え方の方こそが漫画チックな妄想なのではありませんか? 私が述べた話というのは、確かに超人的人物の出現についての情報ではありますが、 しかし、それは我々を教え導いてくれる教師の存在を意味するものであって、 その教えを自ら学んで実践していく過程というのは、“あくまでも自分自身の努力と行動によるもの”ですよ。 だから、最終的には個々の人間による個人的な意識の進化の必要性、つまり、一人一人が悟りの達成に至るための経過です。 その基本的な構造というのものは、古代の仏教〜今の仏教だろうとも、 そして、私がこれから起こるとしている出来事の話についても何も変わらない。 そもそもこの話というのは、 当時のゴータマ王子によって予言された後継者であられる“弥勒仏の出現のこと”なのであり、 それがいよいよ現実の社会の中で起ころうとしている、という驚嘆すべき情報を提供するものです。 なので当然、これらの話は何ら仏教の教えともまったく相反しません。 もしも、言えることがあるとするならばこうです。 ゴータマ・ブッダが世を去られて以降〜二千五百年間の仏教世界においては、 ブッダのような存在はついに一人も出現されなかった。だから、覚者からの直接指導というものはなかったです。 しかし、その暗かった時代はとうとう終焉を迎え、 <<弥勒仏と弟子である覚者方からの直接指導の下に我々は前へと進むことができるようになる>> ということ。 『その時代には、兄弟よ、Maitreya(慈悲に満ちる者)と呼ばれる高貴なる者が世界に現れる。彼は阿羅漢であって、 完全な啓明に達した者である。智恵と正義を備え、幸福なる方であり、世界のすべてを知る方であり、人類を率いる無類の 戦士、デーヴァ達と人類の教師にして、高貴なる者、わたし同様の仏陀である。わたしが今そうであるように、彼はその超 常的な大いなる力によって世界を見通し、且つ、それによって世界中に、デーヴァ達の世界にも、マーラー(魔王)達、ブ ラフマン達、出家僧達、バラモン達、デーヴァ達にも人類と同様に、その人であると知られるであろう。 彼はその時代の初めおいて、その時代の中頃において、それゆえ、その時代の終わりにおいても、巧みに規範を公布する だろう。彼は純粋さにおいて、その中に含まれる霊と言葉の意義の両方において、完全無欠で正しい姿の正命を、わたしが 今それをなしているように、人々に示すであろう。私が今、何百人の比丘と比丘尼の教団を率いているように、彼はその時 には何千人もの兄弟団を率いるであろう。』 (ディーガ・ニカーヤ第六経『転輪聖王修行経』より) すでに投稿済のこちらも合わせてご参考願います。 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/84 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/593-594 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/622-624 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/628-632 >>308 ○○星人とチャネリング、じゃあないんなら、どーやって 「どの銀河でも〜」 なんて話が出てきたのかな?(笑) ひょっとして、宝珠さんが銀河を飛び回ってるんですか?(笑) (^。^)ちょっと俺の処にも飛んできてくれないか?(笑) >>313 これは訂正。(笑) >>301 は「どの銀河でも〜考察してみなさい」だったね。(笑) んで、てっきり○○星人とのチャネリングの話でも元に「考察しろ」ってことかと思ったんだった。(笑) 世の中に、なにかしら「どの銀河でも〜意識をもつ」だなんて答えが出せる資料がある訳だ。(笑) 俺はちょっとお目にかかったことないんだが、何の資料を元に「考察」したら、(笑) そんなバカな妄想 を思い付くのか、教えてくれないかな?(笑) (^。^)真面目に「考察」したんだよね?(笑) 俺は中村元の本で育ったから嫌いじゃないんだけど よく本の書評とかでこの本は適切に中村元の仏教学を批判しているとか書いているの見かけるんだが ただその批判の内容って何か分からんのだが 別の現代の仏教学者から見て中村元の仏教学の問題点って何? 伝統的に(各伝承部派の解釈上で)取られてきている「読み」 よりも、仏教興起以前の文化、価値観から、文を読み、単語を解するところ。 勿論、(奈良さんの謂い同様―といっても、奈良さん自身、中村さんの直弟子だけどw―) 一言で言えば、読み方が「インド的(ヒンドゥ的)」「東洋全般的」なとこ。 各種ある伝承諸文献の読みを、「総合校訂したあとの解釈に一本化している」とこ。 (現行文献の読みとは明らかに違う筈なのであって・・。) ヒンドゥ文化の中で発生した仏教なれば、「最初期は」「その価値観で彩られ」ていても当然なわけで。 (その意味での、上記の苦行者文学。) 現在伝わる諸文献は、長い年月の中で 「解釈し直されてきた」「敷衍増広、或いは添削されてきた」ものだから。 だから、現行諸派の読み(―片山さんのライフワークは、まさにここにあるわけだけど―)は、 古代インドへ遡るだけでは読み違える。 また、あらゆる術語、文を、系譜抜きで、全部一律に始原へ遡るだけでは駄目だし、 たとえ古くからの言い回し、単語でも、 初期仏教時点で、もっと言えば釈尊その人の段階で、「換骨奪胎」されている可能性もあるわけで。 その意味で、双方向的に、その為の原典批判的研究でもある。 まあ、功罪の「功」の部分が桁違いに大きいから、偉大な学者に変わりないけどね。 >>315 >>316 なるほどなるほどいやあよく分かったわw 中村さんは原始仏教的理念型をまず想定して、その始原から解釈しているってことね 批判されるのももっともだわ 俺が中高生の時に中村さんの岩波文庫読んで衝撃を受けたのも、その理念型が明快だったからだしな その理念型から仏教史を読み解くとただの誤読と誤解の歴史みたいに見えてくるもんな それで高校生の俺みたいなゴリゴリの原始仏教原理主義みたいな浅はかな考えも生まれてくるわけだしなw 中村さんはヴェーダーンタ学者だから 分かりやすい一元論のヴェーダーンタ的原風景から眺めた理念型の原始仏教が果たして仏教の仏教性をきちんと掬い取っているかという問題になる 実際はその仏教性を掬い取る為の努力こそが喧々囂々とした仏教の歴史ということになるわけだから そうなるとヴェーダーンタ学者の中村さんの理念型が正しいかってことになるわけっすな 俺6年前ぐらいによく名無しで書き込みしてたけど 当時、隠居だの在家だのキリスト教のオカマのおじさんが暴れてたりしたけど みんな希望通り死んで御仏になった感じ?w ☆ ↓キリスト教のオカマのおじさん? https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1322148727/237 てす 237サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c 2013/05/01(水) 00:01:47.54 真言宗のビンラディン♪ _ _ ↑↓たぶん別人だと思うけど面白そうな感じもする https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1513948234/754 仏教哲学総合スレ4 754美魔女2018/05/18(金) 00:28:35.130 お肉食べよう ↑たぶん宗教哲学系の人? 間違ってたら スマソ m(_ _)m >>309 まあ、確かに、今使われるニュアンスでの「原理主義」には当てはまらないけどw、 「道を歩む者に、最低限必要なことや、押さえておかねがならないこと、 或いは逆に、あってはならない要素、考え方」等には厳格だった筈だしね。 その意味で、「釈尊自身が想う(→体現している)理想形」ってのは、必ずある筈で、 それを原理とするなら、そこから外れる者は、まさに波羅夷に値するわけで。 また、(特に晩年だろうけど)日日の運用についても、 そうした厳格なラインと一般のラインとの間で落としどころを見つけてたのが 阿難や舎利弗かもしれない、と。 そういうような意味で、 入滅時、「これで、うるさい大長老がいなくなった」という発言が生じた理由として、 (たとえば9条絶対主義みたいなw)原理主義的ところはあったんじゃないかな、と。 「お悟り(涅槃、勝義)」及び「その為の行」に関しては。 (これは奈良さんのおまけ話で、未だ確認取れてないがw) 通り掛かった阿難が、投獄されてる者にすがられて、 (特に仏陀の)出家者は特別な立場を得られるから必死だろうしw、 なんとか助からないか、と相談されて、釈尊は、回心してるならすぐ外に出せばいい、といったらしいが、 阿難は、きちんと手続き踏んで、 王や役人に、「こいつこんなに反省してるし、二度とこんなことなく仏道に邁進するし、私ら先輩がちゃんと見ますし云々」 と説得したとかしないとか。 (有部の毘奈耶雑事辺りの中にはありそうなんだけどね・・) そういう意味では、 貴方も私も原理主義w >>309 一度仏教議論スレの有名人達でオフ会して欲しいよなww サロメボウディアとか名前見ただけで吹きそうになったわww ☆ >仏教議論スレの有名人達でオフ会して欲しい 僧侶じゃなくても 全員 頭が、はげた 粗大ごみ扱いされてる おさーん だったりして? おじゃる? (おじゃるは 社会不適合者なので独身で おじゃります) 私から---投稿を---お断りした方は、 二度と(三日坊主じゃなく)出て来ないで貰いたい! 返事投稿も要らない!!! /怒 こんな人が「霊的な進化」とか「人格攻撃」とか「本当の仏教」とか言ってるんだから、笑っちゃうよ。(笑) (^。^)霊的に進化すると、そんなんになるんでっか?(笑) >>323 そんな貴方は、 NHK「トクサツガガガ」を視聴して、(仏教)ヲタの立場を知ることが初手かとw つか、あと2回で最終回だけど。 https://www.nhk.or.jp/nagoya/gagaga/story/ >>311 違うんですよ、宝珠さん、あなたは決定的な間違いをしている。 新時代とは単なる指導層の交代じゃないんですよ。 交代だけだったら世界は何も変わらないでしょ? 人民は相変わらず二元性の世界のままだ。 つまり、カルマのまま旋回輪となって回ってるだけ。 なぜそれを新時代と言えるのか…? マイトレイアが出ることに依存はない。 だけど出たことによって、多くの人が悟った状態になるから新時代になるんだよね? そういう預言なんだよ。 マイトレイアが出ただけじゃ何もならない。 全人類が一斉に意識の変容を遂げるのを安直というけれど、それは竜華三会が安直だと言ってるのと同じだよ。 また救世主ってのは、行いによって人々の前に公平に現れるんだよ。 行いにもよらないものが、あの人は救世主でどこそこに居る、っていって現れるんじゃない。 何にもやってないじゃないか。 本当の救世主ってのは、誰が言わなくとも多くの人がその行いを見て、 この人こそ救世主に違いないと思うことで現れるんだよ。 クートフーミーもモリヤもイーストエンドの得たいの知れないヤツなんて はなから相手にしてないわけ。 世界の7大聖は地球人類が二元性の世界を越えるように努力してるわけだ。 >>311 >その教えを自ら学んで実践していく過程というのは、“あくまでも自分自身の努力と行動によるもの”ですよ。 >だから、最終的には個々の人間による個人的な意識の進化の必要性、つまり、一人一人が悟りの達成に至るための経過です。 >その基本的な構造というのものは、古代の仏教〜今の仏教だろうとも、 >そして、私がこれから起こるとしている出来事の話についても何も変わらない。 だいたい宝珠はこのように書いてるけど、覚者方のイニシエート無しに個人は悟りを得られない というスタンスなんだろ? つまりここで言ってる個人の努力と行動ってのは、イニシエートを受ける資格を得るための努力であり行動であり、 あるいはイニシエートを潤滑に進ませるための努力・行動というわけだ。 全然仏教と違うじゃないか。 ここのところをどのように整合性をとるの? 仏教にもイニシエートがあると主張するのか、個人で悟ったものでも何らかのイニシエートを受けたのだと主張するのか、 そもそも個人の悟りは存在しないと主張するのか。 宝珠の新時代論を聞いてると、この人は二元性を越えるということを分かってないんじゃないかと思うんだけど、 その辺どうなの? >>329 仰りたい趣旨については理解できますし、 私も基本的にはまったく同意しますよ。 つまり、それらの疑念については何も問題はないといっておきます。 あなたがこのグループからの情報を詳しく知るようになれば、 それらの疑念や懐疑については消散するものと思います。 >>330 もちろん、Maitreyaや地上に出現されようがされまいが... 今でも個人の努力と進歩によって個人の意識の進化が起こり、個人の悟りも起こっています。 しかし、これからは地上でMaitreyaと覚者からの直接指導があるということです。 これまではなかった。 すべての人間がその進歩に伴って、 第一段階と第二段階のイニシエーションを受ける際には、 例外なく全員共にMaitreyaの下で彼が振り下ろすロッド(杖)でエネルギーを注がれる内的体験をします。 しかし、その体験記憶は残りません。 第三段階において、人は初めて本格的なイニシエートとなることができます。 この第三段階イニシエーションは、シャンバラにてサナット・クマラ(永遠の少年である世界主/惑星ロゴスの反映)の御前にて受けます。 これを受けた者は初めて、ハイアラキーの一員としての“使命”を無意識的ながら自覚するようになります。 このことはその人が仏教徒であるか、キリスト教徒であるかはまったく関係がなく、また特定の信仰を持つかどうかについても無関係です。 あくまでも、その個人の意識発達に応じて自然と起きる事柄です。 Maitreyaが出現されて以降については、地上で第一・第二のイニシエーションを受けることになります。 尚、Maitreyaは世界教師として人類の前に顕れるのであり、 悟りを求める修行者たちの指導が任務ということではありません。 全人類を救済する方向性で健全な人生へと教え導く役目です。 プロフェッショナルな修行についての細部における直接指導は、 Maitreyaが育て上げた直弟子の覚者方(複数人)が行います。 参考: https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1533070464/278 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/14 >>319 そうでしたか! とにかくお元気で何よりでした。 エーと、例えば在家さんについていうと、 この私とはその主張内容の骨組みがほぼ共通路線だったので、 私の方は彼に親近感を持っていましたが、しかし、向こうはそうではなかったのだろうと思います。 実際、この私との間では直接的な対話は殆どなかったのでした。 彼はイエスについて熱心に勉強しており、通常では知り難い情報について欲していましたから、 私から神智学ではありませんが、神智学とは親戚に近いような秘教的組織からの一冊で、 超お薦めとなるオカルト文献を彼に紹介させてもらいました。 彼はすぐに取り寄せて購入して、その内容にはとても満足されていました。 喜んでもらえて私もとても嬉しく思いまして、もし良かったらメールでもとプライベートの交流を呼びかけたのでしたが、 勧誘でもされると思ったのか? そのまま音信不通となって消え去りましたね(苦笑)。 逆に、カラスさんは2ch上では強面で恐ろしい印象でしたが、 メールの会話を何度も交わし合いましたけれど、プライベートではとても気さくな優しい方でした。 やはり、ただの2ch上での作りキャラだったようです。 今は、ツイッター上で自分のコンテンツを立ち上げて更新を続けていますね。 >>314 承狂 >世の中に、なにかしら「どの銀河でも〜意識をもつ」だなんて答えが出せる資料がある訳だ。(笑) >俺はちょっとお目にかかったことないんだが、何の資料を元に「考察」したら、(笑) >そんなバカな妄想 >を思い付くのか、教えてくれないかな?(笑) イヤハヤ. こんなのは宇宙論的な理解についてのあまりの基本的部分過ぎて、そのソースすら見つけることも困難ですよw 例えば、この“ドレイクの方程式”では、 地球を含めた我々の太陽系のみならず、広く銀河系内のすべてを同じ条件で均一的に地球外文明の数を算出しています。 そのことは地球と地球人類の存在が偶然によるここだけの奇跡などではなくて、 同じような天体と知的生命体が確率的に他にも同様に存在しているという見解を意味します。 もちろん、このような見解はあらゆるすべての星雲と銀河においても然りです。 ということは、一定の法則が全宇宙空間に作用しているという見解だということ。 では、その法則は何故あるのかな? 『ドレイクの方程式(ドレイクのほうていしき、英語: Drake equation)とは、我々の銀河系に存在し人類とコンタクトする可能 性のある地球外文明の数を推定する方程式である。この方程式は、1961年にアメリカの天文学者であるフランク・ドレイクによって 考案された[1][2][3]ことから、その名を取って名付けられた。「我々の銀河系に存在し人類とコンタクトする可能性のある地球外文 明の数」Nを推測するドレイク方程式は以下のように記述される。 N = R ∗ × f p × n e × f l × f i × f c × L ただし、各変数は次の通りである。』 (Wikipedia/ドレイクの方程式) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8f >>333 「一定の法則が全宇宙空間に作用している〜何故あるのかな?」 (^。^)はぁ、誰かが推定したら、それで「全宇宙に」その法則が「作用している」事になるんですか?(笑) え?あんた頭おかしいの?(笑) じゃあ、俺が「宝珠はバカだなぁ」って推定したら、全宇宙でそんな法則が発動するんだ?(笑) ひょっとして、在日なのかな? 「推定」って言葉が理解出来てない? バカカルトも「相当」とか「承る」とか意味が理解出来ない連中だったが、 これはどういう事なんだろう? (^。^)まさか、本当にカルト信者って在日二世あたりが組織的に?(笑) やべぇ、俺、消さりたりしないよな?(笑) ちょっとお前ら、 「安重根はテロリスト」 って言え。(笑) (^。^)まさか全員在日じゃあなかろうな?(笑) (少し上にも、宝珠の反論が載ってるが)、 出会った頃から一貫して、神智学という体系に抱く印象は、やっぱり 「西洋キリスト教的ピラミッド」なんだよね。 そこには、 「みんな違って、みんな(・∀・)イイ!!」 という視線が欠如してる。 仏教の五道六道の階層は、 確かに「能力」の差異に基づくヒエラルキーと言えなくもないけれども、 けど、そこに優劣は無い。 あるのは、 「仏の教えに近接する機会が多いか少ないか(人身受け難し仏法聞き難し)」 でしかない。 >>332 色々水面下では連絡しあってたんですねw 宝珠さんは相変わらずって感じですがベンジャミン・クレームさんも死んで 今神智学系でリーダー的に情報発信してる人なんているんっすか? クレームさんで終わりな感じ? ベンジャミンクレームは神智学を利用しているだけで、ブラヴァツキー直系の神智学とは言えないだろ。 神智学を自分のカルト宗教に利用した。 神智学自体はおそらく本物なんだよ。 だけど、ベンジャミンクレームは悪質な偽物だ。 神智学の内容をそのまんま利用し、自らのカルトに流用した。 これを本物の神智学の継承と思っちゃうといけない。 なぜこういうのにダマされちゃうかというと、その宗教が何を目指しているのか、その先に何があるのかということを、 教義抜きに語れる本質的な幸せ(ゴール)というものを分かってないから。 宝珠はこのゴールを語れない。 ゴールを語ることより、超人たちの出現の方が重要なんだよな。 それがカルトの特徴でもあるわけだ。 ニューエイジと言われる連中もそういう発想で、本質的な人間の幸福のゴールというものを問題視せず、 ただ表面的な奇跡や、我欲的な幸福を求めてる。 しかし、本物の新しい霊的進化を語る人達は、その中にはもちろん、ブラヴァツキーの神智学も含まれてると思うが、 「我」無い世界が人類の真の幸福の世界だと知ってて、そこを目指してる。 またそういう世界が間もなく来ることも分かってる。 根本的に我欲を満足させる思想と違うんだよ。 凄い世界が来るんだー、みんなの知らない超偉人達が出現するんだー、というのは、 我欲を満足させるんだよね。 自分が人より高みに立ちたいと思ってる人は注意しないといけない。 真実の新時代を求める人でも、そういう方向に振られないよう、どんな世界が来るかということよりも、 今やるべきことに意識をシフトさせていった方がいい。 >>335 承狂 >ひょっとして、在日なのかな? >(^。^)まさか、本当にカルト信者って在日二世あたりが組織的に?(笑) 本来、「在日」という言葉そのものには、何らの差別的意味合いもないのですが、 しかし、あなたのように相手を馬鹿にするための“差別言葉として意図的に使用”する人が時折、見られます。 こういうのは今、社会的にも大きな問題となってきていますから、今の内に辞めといた方がイイですよ! あなたも一応、仏教徒のレッテルで見られる人間でしょうから敢えて言っておきます。 あなた一人の行う恥ずべき醜態が、そのまま仏教徒に対する低評価へと繋がってしまいますから...。 つまり、仏教徒に対しての悪評の一つになっていきますよ。 だから、今後は辞めておきなさい。 >>334 >(^。^)はぁ、誰かが推定したら、それで「全宇宙に」その法則が「作用している」事になるんですか?(笑) >え?あんた頭おかしいの?(笑) あのだね... 変わってるのはあなたですから。 この地球だけが唯一にして特別。 従って、人類(文明を持つ知的生命体)もこの地球人類しかいない、 などという見解にある科学者などというのは、まずいないですから。 そういうものこそが“キリスト教”的な思考でしょうよ! なので、これはドレイク氏一人による勝手妄想ということではありませんから (だから、基本概念として広く支持されているのです)。 この地球だけが唯一の特別ではなくて、 確率論的に他にも同様の惑星が生じていて、その中の何分の一という発生確率において、 地球人類のような異星人がいるものというのが一般的なものであり、そして、これが主流派の見解ですよ。 あとは、その存在の発見確認と、そして、コンタクトの有無成功の問題だとなる。 だから、つまり「エネルギー」→「鉱物」→「有機物」→「生命」→「知的生命体」という 宇宙空間におけるこの発動的な展開は、全宇宙のすべてにおいて同様に働く一定法則に基くものだ、 という意味になる。 また、 では何故、異星人とのコンタクトに成功していないのか? について、 その原因と理由を考察したものが“フェルミのパラドックス”ということになる。 もちろん、この中には地球人類しかいないからであるというのも、確かに一つの可能性としては含まれることになる。 まっ、あくまでもこれは正統科学での一般論にしか過ぎませんが...。 まっ、解らないなら、もうイイからね! そもそも実際、あなたもココ“論議スレ”には向かないんじゃないの? レベル的に ??? 参考: (この宇宙に、宇宙文明はいくつあるのだろうか? - 京都大学宇宙総合学) https://www.usss.kyoto-u.ac.jp/etc/symp7/ohta_k.pdf (Wikipedia/フェルミのパラドックス) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 >>340 私自身も、まだまだ理解が浅いですけれど... ベザント第二会長の時代以降〜大分裂を起こして、 様々に分派していったこの神智学からの流れですが... アディヤール派の本家『神智学協会』、ジャッジ派の『米国神智学協会』や『ドイツ神智学協会』、 そして、レーリッヒ派の『アグニ・ヨガ協会』、シュタイナー派の『人智学協会』、 それから、ベイリー派の『アーケン・スクール』とクリシュナムルティ派 などがあって... レーリッヒとベイリーについては、 ハイアラキーの覚者からのコンタクトをとりつつの活動でしたが、 しかし、今ではどうでしょうか...。たぶん難しいものと思います。 ベンジャミン・クレーム氏によるこのグループ(クレーム派『シェア・インターナショナル』)は、 クレーム氏の師であるヒマラヤの覚者(名前は非公開でしたがベイリーを指導していた覚者である可能性が指摘されています) からの徹底した指導のもと、非営利・非組織を理想としてやってきました。 たとえば、メンバー間には特別な地位を与えてはならないことや、非メンバーとの如何なる垣根も作ってはならないという指導の通り、 今でも会員制というものを敷かないので会費徴収という収入すらもなく、当然、非会員との区別すらもありません。 日本の新興宗教というのはすべてが会員制です。それは、つまり会員イコールで信者ということであり、 そして、会員を増やすことがそのまま会費集めとなる。 しかし、覚者とのコンタクティーであったクレーム氏がいなくなって、 今は、この日本においてはカリフォルニア在住の通訳担当:石川氏が中心になっています。 これまでの歴史を見れば、必ず誰かがまた新しい覚者のコンタクティーとして出現してきたのですが、 今のこの私程度の情報収集力では、その情報は残念ながら得られてはいません (私がこの活動を知った時<約30年前>には、すでにクレーム氏は高齢だったので、 いつかそういう日がくるものという覚悟はもともと持っていましたけれど)。 もしも、新しいコンタクティーが出現しないならば、 それは“その必要性がもうない”ということだろうと思います。 >>306 >>329 私の説明がヘタということもあると思います。 公式サイトで、正確な情報を得ることをお薦めします。 参考: sharejapan.(70億人に伝えない/シャア・ジャパン公式サイト) https://sharejapan.org/ >>341 >宝珠はこのゴールを語れない。 >ゴールを語ることより、超人たちの出現の方が重要なんだよな。 いえ、まったくそんなことはありませんから。 決め付けないで下さい! >凄い世界が来るんだー、みんなの知らない超偉人達が出現するんだー、というのは、 >我欲を満足させるんだよね。 いやいや. 全くそういうことではありませんから。 世界人類は今、大変な危機の中にいる。 世界の工業先進国が天然資源の3/4を消費し、世界貿易の80%を支配し、工業技術と科学的研究成果の殆ど100%を独占している。 それにもかかわらず、先進工業国に生活している人々は全世界の人工の1/4にも満たない。 他の3/4の人々はその残りもので、何とかやっていかなければならない。 こうして、数千万の人間が貧困の中で飢え死にしている傍らで、 金持ちは金銀紙幣を見せびらかし、先進国の庶民らはポケモンGoで遊んでいる。 この人間としての尊厳、その霊性を踏みにじるような冷淡な行為によって第三諸国との間には埋められない不均衡が生じた。 そして、それが紛争とテロの原因にも繋がっている...。 無実の子供たちが戦場で銃を持たされ、少女たちは身カラダを男たちへと売られている。 この日本おいても地震と津波が襲って、多くの人々がコンクリや岩石の下敷きとなって潰されて死に、そして、大切な家族と家を失った。 また以前として、核ミサイルの脅威も残っており、原発事故からの放射能の恐怖も続ている...。 なのでこれは、 地球人類からすべての戦争を止め、国家や人種や宗教間の違いを超えて全人類が互いに兄弟姉妹として認め合い、 貪欲にもとづいた資本主義競争の狂気から目覚めて、互いに分かち合って飢餓貧困を終焉させること。 地球人類すべてが同じ兄弟姉妹として、互いに愛し合うこと。そして、共に幸せに暮らすべきであるという訴えです。 その「(Maitreyaからの)呼掛けにみんなで応えよう!」ということをこのグループは伝えている。 もちろん、それは個人の我欲というものが破滅的なものであることを教えるものですよ。 >今やるべきことに意識をシフトさせていった方がいい。 今の自分に何ができるか? 何をすべきかを重視するのはもちろんですよ。 >神智学の内容をそのまんま利用し、自らのカルトに流用した。 そういうレッテル貼りをする人を相手する気はありません。 まっ、ご自由にして下さい! こちら北海道では、21日の午後9時22分過ぎに、 北海道胆振東部地震の最大余震として、M5.8最大震度6弱という大きな地震が再び襲った。 そのために震源付近の厚真町は、またまた断水の被害を受けました。 私の地域は、幸い震度3で何事もないけれども、緊急地震警報の音は怖いものがある。 まっ、前日に20年近く飼育している愛魚クラウンちゃん(淡水熱帯魚のドジョウ系/クラウンローチ)が、 大暴れしていたので「こりゃ〜来るな!!」というのは、妻と二人して事前に分かっていた。 この魚は真面目に凄いよ!! かなりの的中率として太鼓判を押せる筈です。 たまたまだけれど、 NNHKで夜中にやってる『オトナの一休さん』をついつい見てしまうw 『室町時代に実在した「一休さん」は、とんでもないお坊さんだった! リアル一休さんの破天荒エピソードを、一休さんや弟子たちが残した文献を基にアニメ化。 すべてのオトナたちへ、クスッと笑えて心が楽になるひとときを。』 http://www4.nhk.or.jp/P4039/ それから、 七セブンに是非とも視聴をお薦めをしたいのがコレですw かなり優秀に現象を捉えた“座敷童”の心霊現象ですよ! 確かに、覚者の起こす奇跡に遭遇できるというのはなかなか難しいけれど、 しかし、唯物主義を打破する一役と成り得るものであり、 そして、容易にスポットへといくことができるのが心霊現象ですからw (尚、TV番組などは所詮、すべてヤラセだと決めつけてる人は見なくてもいいですから。無意味なので...) 『世界の何だコレ!?ミステリー』 2019年02月06日山形県の座敷童の話(22:10〜35:16) https://www.youtube.com/watch?v=Pfzxffsxg10 2019年2月20日島根県出雲市(25:36〜36:21) https://www.youtube.com/watch?v=1U4D8uXv8V4 >>343 >>301 で >では、何故に何処の銀河においても、>やがて無機物から有機物が生じて、 >最後には意識を持つようになるのかを>まともに考察してみなさいな! >そして、その物質を認識するのは意識>によってだ とあるが、 その根拠を出しなさいと言っているんだよ。 確率論的に知的生命体がいるというのは常識だが、 地球と同様に有機物から人類のような知的生命体がでるかは「推定」しか出来ないのは、君のコピペからも明らか。 地球外では、まだ有機体の痕跡らしきものしか発見されてないのに、 何を根拠に「意識をもつようになる」と断定しているのか、答えなさいと言っている。 科学的根拠無しに、推定を断定にしただけでしょ。 日本語が解ってないとしか、思えませんな。(笑) (^。^)「推定」の意味を解ってないなら、知能に問題があるか、外国人かのどちらかだろ? それとも知能障害者扱いしてほしかったかな?(笑) >>350 ハァ? (科学的には)未確認なのだから、 それはもちろん推定であり、ただの理論に過ぎないに決まってるでしょ! 何をいってんの??? >何を根拠に「意識をもつようになる」と断定しているのか、答えなさいと言っている。 だから、 地球だけの唯一の出来事とすることこそが無根拠なの。 わかります? ここに起きたということは、他でも起こるものと考えることがごく自然な発想であって、 従って、それが科学的な思考なの。 やってられんわ! 勝手にしてくれ〜 >>345 誤字訂正: ×(70億人に伝えない/シャア・ジャパン公式サイト) ○(70億人に伝えたい/シャア・ジャパン公式サイト) 大変、失礼しました-大間違いです。 宇宙に対して「ま、こんなものだろう」という態度の人は、 仏教に対しても同様に「ま、こんなものだろう」となるし、 自分の信念に対してすら「ま、こんなものだろう」となる。 こうした人は議論しているつもりでも、勝手なレッテルを張り付けて我を通して空気を読む事が出来ない。 悪いとは言わないが、そんなことをしていると、 「人類の霊的進化がー」とか「今、人類は大変な危機にー」なんて言う痛い子になっちゃいますよ。(笑) (^。^)あ、もう手遅れかな?(笑) 因みに、俺は>>350 にも書いたように、 「確率論的に地球外生命体がいるのは常識」 として知っているし、否定したこともない。 しかし、宝珠としては俺がキリスト教的であってほしいので、この文章は無視して、 承狂は「地球だけの唯一の出来事」だと考えていると断定する。 同様に 「ここで起きたことは他でも起こるのが」「科学的」だと断定する。 地球で起きたことと、他の星で起きていることが同様だろうと推定する事と、断定することは科学的にも確率論的にも全く違うにも関わらず、だ。 これが、「ま、こんなものだろう」と言うこと。 因みに、「人類の危機」なんてものは人類発生から今まで、つねに直面している。 人と同じで、何時まで大丈夫、なんて保証は一切ない。 ウィルス、隕石、ポールシフトなど、運が悪ければ簡単に人類は絶滅していた。 霊的な進化もあり得ない。 この辺は長くなるから割愛する。(笑) (^。^)数十レス使って説明書いても、宝珠みたいに都合の悪い所を改変して読むからね。(笑) >>354 訂正 ×霊的進化もあり得ない ⬇ ○人類の、霊的な進化もあり得ない >>346 ほらほらボロが出た〜〜 宝珠さん、違うんですよ。 工業先進国がぁ〜〜 金持ちがぁ〜〜 戦争がぁ~~ 数千万人の貧困がぁ〜〜 テロが、地震が、津浪が、少女たちがぁ〜〜 だから、これら一つ一つの問題を解決すべく、超人的な指導者が出現して、 リーダーシップを取るってことでしょう・・・? お互いが人類兄弟と認め合うようにして、互いに分かち合うようにする。 互いに愛し合うようにする。 これはね、仏教とは違うんですよ。 マイトレイアが人類が兄弟として仲良く幸せに暮らしましょうなんて呼びかけをすることが マイトレイアの役目じゃない 宝珠さんの新時代ってのは、やっぱり予想通り、二元性の世界の中から脱しきってないんですよ。 二元性の世界の中でなんとかしようとしてる。 それでよくなりますか・・・? 良くならないんですよ。 血で血を洗うようなもんです。 親鸞はそこに気付いたわけです。 自分の思考でああしようこうしようってやったって、どうにもならないってことに気が付いた。 ああしよう、こうしようってのは業なんですよ。 思考は業ということ。 二元性の世界ってのは、業の世界ってこと。 マーヤーだ。 夢の苦しみをどうこうやったって、夢から目覚めない限りいつまでも苦しみは続くんですよ。 夢の中の苦しみを夢の中で解決しようとするんじゃなくて、ただ目覚めればいい。 そこを目指せばいいわけ。 そこを目指すのが仏教であり、弥勒であり、新時代なんだよ。 宝珠さんの新時代は、全部マーヤーの中の出来事。 血で血を洗ってる。 泥で泥を洗ってる。 そうじゃない。 蓮の花は泥に影響を受けないということを知らないといけない。 泥と蓮の花は全く相いれないということに気付かないといけない。 そして、泥がいくらあろうと、花は最初からそこに咲いていると気づかないといけない。 自分で泥の中に花を咲かせるんじゃない。 泥の中に花を咲かせても泥まみれだ。 親鸞はいくら泥を被っても、仏の世界には全く影響しないということを知っていた。 泥の汚れ具合が1であろうが5であろうが、泥の中で丈比べをやっててもしょうがないわけ。 1であろうが100であろうが、泥の中にいる限り、同じマーヤーとして平等なんだよ。 仏の世界からすれば関係ない。 泥というカルマは過去世の記録がそのまま回ってるわけだから、自分ではどうしようもないわけ。 泥はそのままに、蓮の花の方にシフトした方がいいわけよ。 それが親鸞の場合念仏だった。 この泥から蓮の花へのシフトが新時代であって、宝珠の言うように泥の中を浄化して 花を咲かせるのが新時代ってことじゃない。 泥ってのは二元性の世界であって、人間の思考が作り上げた世界。 その中でいくら泥を退治したところで、本当の仏の世界、新時代にはたどり着けない。 宝珠はまさに、二元性の世界に捉われた新時代感を 語っているということになるよね 仏教のいう本当の幸せとは何かということも分かっていない。 仏教の大眼目である二元性を越えるということも分かっていない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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