麦殿へ

その無我=無心という前提で、睡眠時や気絶時のそれは、対象への認識作用がないので、無心とは云わないと思います。


<岩波仏教辞典より>
”心”とは心の働きで、その働きがないことを”無心”という。
仏教では、”妄念を断滅した真心を指して言う(宗鏡録、金剛経、伝心法要)”。
心は対象に具体的な相を認めて働き、その相にとらわれるが、そのようなとらわれ、
迷いを脱した心の状態(無心)こそ真理(法)を観照できるとされる。


<唯識三十頌より>
意識は常に現起す 無想天に生じたると
及び無心の二定と 睡眠と悶絶とを除く