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【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:44:43.20ID:LRrea0rA
お釈迦さまの教えとサマタ・ヴィパッサナー冥想に関心のある人、実践している人、
体験や変化を 実際に経験している人、初心者、先達の方々、預流果の方々、
更なる成長を求めて語り合いましょう。

前スレ
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14 [転載禁止]©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1533980076/

※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、日本テーラワーダ仏教協会や
そこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。
日本には他にも上座部仏教修道会、日本上座部仏教協会、日本ヴィパッサナー協会など
多種多様な団体があります、
諸外国においてもタイ・ミャンマー・スリランカ・ラオス・カンボジアなど、国ごとの違い
もあります。
そこを踏まえてご参加ください。
0002神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:47:00.26ID:LRrea0rA
一回アゲ
0004神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 06:20:10.11ID:Jn57F/tt
五戒を守られている人はヴェジタリアンのようですが、
寒い冬に、当然、ダウンやウールのものも着ないのでしょうか?
0005神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 08:35:45.21ID:0pnE72oN
自分は五戒を守れているが、ベジタリアンでは無い。
肉魚は健康に悪いのであまり食べない。
ダウン、ウールは着ない。暖かすぎるから。冬は少し寒いぐらいがいい。
0006神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:34:24.76ID:xOI+p6Ez
自分は魚以外の肉は食べるよ
魚は放射能が多いから食べるなと言われ、それを守っている
肉を食べるのは本当はいけないことだというのは分かっているが、出家しているわけでもないので
0008神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:05:22.62ID:sN9GYGoR
智慧者はどちらか。

立派な細工の施された金の指を抱えて、月を見ない者。
簡素な指の指す方角を見て、月を見る者。
0010神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:21:46.80ID:sN9GYGoR
三十八の吉祥について臆念されることを提案いたします。
0011神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:07:48.96ID:0pnE72oN
愚者たちに親近せず、賢者たちに親近すること、供養するに相ふさわ応しい人々を供養すること、これが最上の吉祥です。
適切な処に住むこと、前世で為された福業、自己について正しく志向すること、これが最上の吉祥です。
たくさん聞き学ぶこと、技芸、善く身についている躾、言葉が善く語られること、これが最上の吉祥です。
父母に孝行すること、妻子への責任を果たすこと、混乱のない仕事をすること、これが最上の吉祥です。
布施、教法に適う行い、親族への責任を果たすこと、咎のない行為、これが最上の吉祥です。
悪法から離れ去ること、飲酒を自制すること、教法において怠けないこと、これが最上の吉祥です。
尊敬、謙譲、足るを知ること、恩を知ること、適時に教法を聞くこと、これが最上の吉祥です。
耐え忍ぶこと、素直に聞き入れること、沙門たちを見習うこと適時に教法について話し合うこと、これが最上の吉祥です。
修行をすること、聖者に相応しい行為、[四]聖諦を観ること、涅槃をありありと覚ること、これが最上の吉祥です。
世間のものごとに触れても、心が動揺しないこと、憂いがなく、汚れがなく、安らかであること、これが最上の吉祥です。
以上のように行って、如何なる処でも打ち負かされず、あらゆる処で平安を得る、それが彼ら[人・天]にとっての最上の吉祥です。
吉祥経
0012神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 16:42:56.15ID:e0/zOpUG
大乗仏教の悟りの考えでは、52の位があるそうだけれど、不退転の悟りは40以上のものだそう。
禅宗の祖である達磨大師は不退転ではないという意見がある。他の偉人もそう。
テーラワーダでは預流果以上が不退転だから、こちらの方が達成は易しいと感じた。
0013神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 17:59:19.10ID:P/LNkNDM
もともと最初から過去仏から連綿と受け継がれてきた如来の功徳と、
菩薩の最勝波羅蜜が本生譚と共に説かれているので
仏教に大小優劣の区別をつけるというのは、あくまで方便ではありませんか。

月に大小優劣なんてないでしょう。
0014神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 18:19:05.54ID:P/LNkNDM
釈尊の過去世であるスメーダー菩薩が、菩薩としての請願を立てる時点で、
「その気になればいますぐ阿羅漢になれるけれども、衆生のために如来になる」
ことを決意したと伝えられています。
如来になるために必要な修行(十の最勝波羅蜜)や必要とされる期間なども
経典に残っています。

これはあくまで個人的な解釈ですが、仏教は最初から菩薩乗を含んでおり、
何乗になるかは読み手の資質や選択次第なのではないでしょうか。

しかし実践や布教においては、混乱を避けるためにも部派の伝統は変えず、
なおかつ混ぜないことが大事ではないかと思います。
0015神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 19:14:08.48ID:Zza2z5Iw
白隠禅師は「大悟十八度、小悟数知らず。」と言ってますし、澤木興道老師は「悟りは無い。」と言うそうです。
禅の方では人それぞれじゃないですかね。
真理としては四向四果で間違い無いと思いますが、悟りを求める修行者としては悟りをどう捉えるかは時と場合によると思います。
0016神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 19:37:59.83ID:Zza2z5Iw
混ぜる混ぜない、大乗小乗と言うことより、真の仏法僧。
ブッダとは何か、真のブッダの言葉は何か、その意味は何か。
法とは何か、真理、ダンマを真に体得できるのか。
僧とは何か、本物の僧は誰か、どのような生き方が本当の僧か。
を明らかにするのが大事じゃないですかね。
0017神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 01:13:16.40ID:h8wq6CoW
澤木興道老師の本数年ぶりに見たけど
あの頃とは全く持って違った感性(染み渡るような)で見れてるような気がします
単にあの頃を忘れてるせいかもしれませぬが・・・
0018神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 01:42:07.05ID:Q1dv9NCP
ある国の王様が、あるとき、「私がつらつら考えてみるのに、どう考えても自分より愛しいものはない。そなたはどうか」とお妃に尋ねたのですが、お妃も、考えてみるとやはり自分がいちばん愛しい。

それで、お釈迦さまにおうかがいしてみることにしたのです。
お釈迦さまは、

「自分がいちばん愛しいと知ったら、人もまた自分がいちばん愛しいとわかるはず。だから、人を害してはならない。」
と教えられたのでした。
0019神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 12:57:09.58ID:0B0vsl/n
澤木老師の言葉は完全に悟りきった立場からなので注意が必要。
悟りは無いとか、何にもならん坐禅をするとか、ただ坐禅すればそれで仏とか。
澤木老師も若い時は死ぬ気で坐られた。悟りたくてどうしようもない時期もあった。
必ず一度は命を捨てて、坐ったまま死のうと思わないと澤木老師には近づけない。
0020神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 12:57:31.36ID:+D8irzl7
>>18
だが、私はそなたが一番いとおしい・・・
そう言ってお釈迦さまはお妃をだきよせ、荒々しく唇をうばいました。
んっ・・・・だめ・・・・・・なぜ・・?
私は自我を乗り越えているから、自分よりいとおしい者がいるのだよ。
そんな二人の背後で王様がクサリ鎌をにぎっていたが
だれも気付かなかった。
0021神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 13:05:44.60ID:0B0vsl/n
在家こそ命懸けで修行しなければいけない。出家の3倍ぐらいの勢いで。
仕事もして家族の面倒も見なければいけないのだから。
自分の命を捨てるぐらいのことは当たり前で、妻子も仕事も財産も全て、いつでも捨てられるように覚悟したほうがよい。
武士道の勉強をするといい。武士は死ぬのが仕事。鎌倉時代から禅を修行する武士は多かった。
0022神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 15:29:15.42ID:GD422/7M
無常調御丈夫、天人師が語る仏法は他者を導けるが
禅の老師の言葉は人を選ぶ気がする。
患者と処方があってないと、猛毒にもなりかねない。
0023神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 15:34:06.48ID:0B0vsl/n
在家の頭陀。衣食住を最低限にする。
服は古着、もしくはユニクロなどの安い物。髪はシャンプーしない。お湯で流すだけ。
食事は一汁一菜。酒は飲まない。肉魚は控える。しっかり身体を動かし、腹を空かせてから玄米などを食べる。
家は買わない。安アパート、公営住宅に住む。全自動洗濯機、掃除機、大型冷蔵庫などは買わない。なるべく人力で掃除、洗濯する。
保険には入らない。携帯を持たない。テレビは見ない。ちょっとの事では医者に行かない。なるべく質素に暮らし、倹約する。
大企業、ブラック企業などの利潤を追求するところで働かない。なるべく暇が多く、収入の少ないところで働く。
0024神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 15:42:29.62ID:GD422/7M
それは良いですね。

八戒(布薩戒)は経典どおり。
各自が各自の進捗と状況に応じて適用すれば良いのでは。
0025神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 16:12:20.05ID:0B0vsl/n
山岡鉄舟居士は若い頃、ボロ鉄とあだ名されるほど貧乏だった。
家に畳は一枚しかなく、奥さんは着物が一枚しか無かった。
剣と禅の修行に明け暮れていたので食べるものがなく、庭に植えたミョウガを食べて飢えをしのいだ。

在家がどんなに頑張っても、托鉢する出家よりは贅沢になってしまう。
その出家でも悟りに達するものは少ないのだから、在家は本当に考えないといけない。
死ぬか、悟るか。現代日本で飢え死にすることはまず無い。それはある意味不幸だ。
在家でもいつでも死ぬ可能性がある、死が身近に感じられる環境を作るといい。
0027神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 16:33:43.15ID:0B0vsl/n
>>26
ヤフオクで6000円で買ったパソコンをYahooBB ADSL 12Mで繋いでる。
ネットが無いと何かと不便なので。仏教の勉強したり、環境問題、健康問題について調べたり。
Amazonはたまに使う。中古の仏教書はAmazon。安い。
0029神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 16:50:17.35ID:rA8sUvVj
安いカメラ付きタブレットにすれば
図書館の本を写して読めるよ
0030神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 17:53:55.74ID:ZK7zPvc1
>>25
出家でも悟りに達するものは少ない、とあるけれど、そうなのかな?そう思うソースはどこ?
このスレでも悟った人が何度も現れているから、出家ならなおさら、悟る人は多いと思うんだけど。
0031神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 18:09:30.95ID:0B0vsl/n
>>28
前はやってたけど、ノイローゼになってからは二層式洗濯機を使ってる。
壊れにくくメンテナンスしやすい。
0032神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 18:13:39.30ID:0B0vsl/n
>>30
たしか道元禅師の言葉があった。
宋の修行道場には大勢僧がいるが、悟るものは少ないと。
テーラワーダは禅より僧の悟る率は高そう。よく知らないけど。
いずれにせよ、出家しても悟りに達するのは一部でしょう。
0033神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 18:22:10.59ID:4UdFgjiD
ノイローゼになるほどできるって凄いね

自分はつまんなくなって
やっぱり求めてることが違った
と気付くことが多いかもなあ
0035神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 18:28:32.14ID:0B0vsl/n
在家でも今生で悟らなければ、来世はどうなるか分からない。
死んでも悟るべきだ。と思ってたけど、正しく誓願すれば輪廻の中でいつか解脱できるみたいね。
心配しなくてもいいみたい。スマナサーラ長老によれば。
http://www.j-theravada.net/howa/howa165.html
0036神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 18:33:14.66ID:0B0vsl/n
育児ノイローゼになった。
家事、育児だけでも大変なのに、子供が寝てからあれをしよう、これをしよう。
自分の限界までやろうと思ったら限界を超えてしまった。
白隠禅師の内観法と慈悲の瞑想で治った。2年ぐらいかかった。
死ぬほどキツかったけど修行が一気に進んだ。
病気の時こそ修行の絶好の機会。

お釈迦様のお見舞い: 気づきと正知による覚りへの道
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N74MJ5W
0037神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 19:18:18.87ID:h8wq6CoW
お子さんやご家庭があっての修行は大変でしょうね
0039神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 21:02:23.31ID:0B0vsl/n
分からなくなってきた。爪先経、盲亀浮木のたとえもあるのに。
正しい誓願をすれば今生でなくても、いずれ解脱するんだろうか。地獄、餓鬼、畜生には生まれないんだろうか。
五戒を完全に守れるんだろうか。長い輪廻の中で誓願が無効になったりしないんだろうか。
ダンマパダを読んでも、急げ、怠けるな、すみやかに努めよ、と説かれているのに。
在家はゆっくりしていてもいいんだろうか。
0040神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 21:28:29.28ID:ZK7zPvc1
>>39
ゆっくりしていたらいけないと思います。
でも自分のペースでやることも大切なんじゃないでしょうか。
アッパマーダで。
0041神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 23:23:38.56ID:CqyIdyus
我利我利してたら畜生道に落ちるよ
0042神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 23:51:26.39ID:GD422/7M
瞑想中に預流道智が生じたとして、果智が生じる前に瞑想状態から
落っこちた場合、道智のまま停滞しているってこと、あり得ますかね。
0043神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 00:12:20.25ID:8Oo43+hW
【一】戒清浄
      五戒、八戒 ←いまココ
【二】心清浄
      近行定、安止定
【三】見清浄
    1.名色分離智
【四】度疑清浄
    2.縁摂受智
【五】道非道智見清浄
    3.思惟智
    4.生滅智
【六】行道智見清浄
    5.壊滅智
    6.怖畏智
    7.過患智
    8.厭離智
    9.脱欲智
   10.省察智
   11.行捨智
   12.随順智
   13.種姓智
【七】智見清浄
   14.道智 ←問題はコレ
   15.果智
   16.観察智 ←悟りの智慧

まだ気にしなくていいらしい。
0044神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 06:44:31.83ID:V9QDdX6s
こんなに事細かな説明に合致する
進む方をしたいなら
特定の師について
日常の生活含めて師に見定められ
教えられた通りに行動し
ある種の経験や結果を
細かく師に尋ねて確認しながら
歩むやり方になるんじゃないかな
出家しないと成り立たなそうだ

それを自分だけでやるって
ある種の職人に独学でなるより
無理そうだ、
0045神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:17:16.23ID:Lw8v2QHM
普通に戒を守って瞑想してたら十六観智を通る。
修行者が通る道にいちいち名前をつけたのが十六観智。
途中で引っ掛かって修行が進まなくなるのは、安心してしまう、怖くなってしまう、欲望に引っ張られてしまう、増上慢を起こす、などだろうね。
0046神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:41:04.61ID:Lw8v2QHM
331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。
332 起てよ、坐れ。平安を得るために、ひたすらに修行せよ。汝らが怠惰でありその〔死王の〕力に服したことを死王が知って、汝らを迷わしめることなかれ。
333 神々も人間も、ものを欲しがり、執著にとらわれている。この執著を超えよ。わずかの時を空しく過ごすことなかれ。時を空しく過ごしたひとは地獄に堕ちて悲しむからである。
334 怠りは塵垢である。怠りによって塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。
0047神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:49:46.10ID:Lw8v2QHM
時間を無駄にしただけで地獄に落ちるって、よく考えたらエグいな。
0049神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 12:03:26.76ID:8Oo43+hW
まず5ちゃんをやめないと先に進む気がしない。
0050神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 12:56:45.12ID:Lw8v2QHM
耳が痛いよ・・・

>第三は「正語(しょうご)」。人は誰でもしゃべる。しかし、ウソをついたり、人を非難侮辱する言葉を話したり、噂話、無駄話をしたりしてひどい目に遭っている。
>不幸になっている。生きるためにあるわずかな時間を極端に無駄遣いしているのです。それさえやめれば、正語です。
>しゃべる言葉は有意義になります。相手が真剣に耳を傾ける人間になります。他人に信頼されます。その上、時間が余る。
>粗悪語、無駄話、嘘などを語ると、心が悪の感情で腐るのです。精神病に陥るのです。正語でこれがなくなって、微笑みが現れるのです。
http://www.j-theravada.net/howa/howa160.html
0051神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 15:18:38.95ID:blKpHz+K
正語っていろんな意味があるんですね
人を非難したり侮辱したいるするのは、慎まなければ
これが正語に反しているとは気づかなかった
0052神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 15:34:11.95ID:Lw8v2QHM
釈迦牟尼仏陀のmuniは、もともと沈黙行の修行者のことを言うらしい。
ブッダは「聞く相手に好まれるか否かに関わらず、相手の役に立つ事で、また真実のみであるならば、時と場を考慮して話す」
それ以外は心の中にさえ言葉は無いようです。

沈黙行とは黙ることではない 〜仏道とは聖なる沈黙行なのです〜
http://j-theravada.net/howa/howa156.html
0053神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 15:45:36.09ID:blKpHz+K
>>52
すごく興味深いです
ありがとうございます
0055神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 22:06:53.52ID:THYt8ytL
>>18
(III.1.8)【マッリカー】 (第一章) サンユッタ・ニカーヤ I
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52217923.html

ここに出てくるコ―サラ国王パセーナディと王妃マッリカー夫人の子供が>>54の勝鬘夫人。

また、一説によるとマッリカー夫人は釈迦族の下女の娘で、それを知ったマッリカー夫人の子の毘瑠璃王が釈迦族を滅ぼしたとも言われていますが、
北伝と南伝で毘瑠璃王の母が誰なのかが違っていたような記憶があります。
0056神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 08:26:11.10ID:9zO+BMBM
大乗経典の作者は罪深いね。
架空の如来を登場させるなら勝手にしろと思うけど、ブッダを出すのはマズいよね。
内容が良ければまだしも、内容も二流。
達磨大師が不立文字を唱えた理由が分かるわ。
0058神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 10:15:02.09ID:NxOZXs4i
実際に、仏教の根本ってのは瞑想することにあって、ありがたいお話聞いて、
良かったですね。では、意味がないよ。
0059神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 10:15:56.19ID:NxOZXs4i
大乗が仏教瞑想へ導くための方便と言うのなら分かるけどね。
0060神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 10:38:59.12ID:xMOs37QZ
>>59
スッタニパータのダンミカの経を読めばお釈迦様は在家信者には瞑想をすることを勧めたりしてないことが分かりますよ。
それでも
瞑想だけが仏教ではありませんよ。

https://gamp.ameblo.jp/ajtwpd/entry-11587867928.html
396 さらには、そのように為す者が
善き弟子と成る、
在家者の行持を、
あなたたちに説きましょう。
なぜなら、これは
比丘の法(教え)として
あるものの全部は
執持の対象(所有物)を有する
在家者には、行うことが
できないからです。

そのように為す在家者の行持は396に続く詩句のなかで語られていますが、その在家者の行持を為す在家者も良き弟子(仏弟子)であるとお釈迦様は説いています。
その在家者の行持には瞑想はありません。
0061神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 10:40:07.50ID:xMOs37QZ
>>60
2行目の
それでも
は余計でした(削除し忘れ…
0062神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 11:03:44.25ID:A/j/O5EW
念仏も瞑想だと思う
念仏が深まれば、瞑想状態になると思うので
これがわかってから、大乗仏教に対する認識も肯定的なものになった
0063神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 12:03:15.99ID:NxOZXs4i
>>比丘の法(教え)としてあるものの全部は執持の対象(所有物)を有する
在家者には、行うことができないからです。

全部は出来ないけど、一部は出来るのでは?高度な禅定とかは出来ないかも知れないけど、
歩く瞑想くらいなら出来るんでないの?
0064神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 12:13:16.36ID:+sfHtEob
1)分別智もあるし、無分別智もある。  →最上最勝の道(出家比丘)
2)分別智はないが、無分別智はある。 →自分は救えるが人を導いたり、説明したりできない
3)分別智はあるが、無分別智はない。 →如来や菩薩に救いを求めることはできる(在家仏教)
4)分別智もないし、、無分別智もない。→邪見に陥っている

一)出世間の宝と、俗世間の宝を授けられる。←最上最勝
二)出世間の宝は授けられるが、俗世間の宝は授けられない。←小乗扱いされる
三)出世間の宝は授けられないが、俗世間の宝は授けられる。←大衆信仰
四)出世間の宝も、俗世間の宝も授けられない。←問題外
0065神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 12:24:58.13ID:+sfHtEob
人間の側(各々の波羅蜜)に違いがあるのであって、普遍的な真理に上下優劣の
違いがあるとは思わない。

十波羅蜜の三段階
1)波羅蜜(Parami)            ←阿羅漢
2)上波羅蜜(Upaparami)        ←菩薩
3)最勝波羅蜜(Paramattha Parami) ←如来

大乗を信仰している人は、自分を大乗だと思って他を見下しているのかもしれないが
その人自身に波羅蜜がないなら、その人自身は阿羅漢に及ばないでしょう。
勘違いしない方がいいと思います。
0066神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 12:32:01.44ID:+sfHtEob
もし、わたしの目の前で一休さんが「釈迦といういたずら者が世に出でて〜(以下略)」
などと言いはじめたら、豆腐の角で打ちのめしてリングに沈めて猛省を促すと思います。
0067神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 13:24:35.45ID:9zO+BMBM
「在家には難しいから五戒だけでも守ってね、ウポーサタもたまにやってね。」と言われて、
「はい、わかりました。」といってそれだけ守り、瞑想しないのはバカでしょう。
在家には難しいと言われたら、出家に負けてたまるかという気持ちを奮い起こして瞑想すべきでしょう。
ブッダが在家の模範としてみなしたチッタ居士は不還果。瞑想しなければ行けない境地。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi65.html
0068神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 13:36:19.88ID:WK0lfQ7N
>>63
お釈迦様はアーナンダに修行について問われたときにこう言いました。

183 すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、──これが諸の仏の教えである。

184 忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は<道の人>ではない。

185 罵らず、害わず、戒律に関しておのれを守り、食事に関して(適当な)量を知り、淋しいところにひとり臥し、坐し、心に関することにつとめはげむ。──これがもろもろのブッダの教えである。
(ダンマパダ)

183は漢訳法句経から大乗経典にも取り入れられました。
七仏通戒「諸悪莫作  衆善奉行  自淨其意  是諸仏教」
として漢訳では知られています。

184の忍耐・堪忍は最上の苦行は、苦行は一般にブッダの教えでは否定されますが、ここでの苦行の原文はtapoであり悪い意味で使われているわけではないようです。
(だから最上の苦行と中村氏は訳しているのだと思います)
https://i.imgur.com/ErtlM2N.jpg
これは後に忍辱という修行と位置づけられました。

七仏通戒と最上の苦行・修行である忍辱
これは在家でも生産や所有を放棄しなくても出来そうです。
ただ、それをやり遂げるとなると難しいのでしょうが。
0069神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 16:59:39.07ID:A/j/O5EW
https://www.youtube.com/watch?v=x_IG8CITaxw
この動画の1時間26分ごろから。瞑想よりも観察の方が重要だといわれている。
ある程度見ないと真意が分からないけれど、なるほど〜となった。今日の成長。
0070神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 17:01:53.97ID:A/j/O5EW
スマナサーラ長老の動画なので、嫌いな人は見ない方がいいのかなと思います。
0071神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 18:09:28.69ID:9zO+BMBM
>>66
禅僧の言葉には深い意味があって、それは公案になる。
釈迦がいたずら者とはどういう意味か?
その意味が分かるまで修行したい、と思えればしめたもの。
0072神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 18:22:33.93ID:WK0lfQ7N
>>67
大パーリニッバーナ経には在家信者で悟った人の名前がたくさん出てきますよ。
https://i.imgur.com/bqOeW6U.jpg
https://i.imgur.com/5kffuea.jpg
https://i.imgur.com/T9FZwWq.jpg

ただここでの四向四果についてはその後のアビダルマ教学とは違っているらしいです。
https://i.imgur.com/CHNNvBc.jpg
https://i.imgur.com/UirD4ck.jpg

まあ自分にとっては悟りの段階とかはどうでもいいですがw
あくまで「自分にとっては」の話です。
0073神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 18:54:46.63ID:+sfHtEob
>>71
それはタイやミャンマー、スリランカといった上座部仏教国で
テーラワーダ仏教徒を相手に話す時の文脈でも同様に通用するものなのでしょうか。
0074神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 19:36:03.31ID:9zO+BMBM
>>73
テーラワーダでも、アーチャンチャー、プッタタートなど、禅を評価している人もいるようです。
真理を見た人同士で通じる話があるんじゃないですかね。禅でもテーラワーダでも。
要は戯論、妄想を止めるということに尽きると思います。
0075神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 19:40:55.72ID:+sfHtEob
禅全体についてではなく、一休の「釈迦という」や、「仏を殺し」の文言について
仏教の教えとして通用するでしょうかね。
0076神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 20:10:16.68ID:uiYnf+zK
結局のところ小乗のが正しいよね
0077神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 20:30:59.28ID:9zO+BMBM
何でもそうですけど、その教えが正しいかどうかは自分で確かめてみないといけない。
「諸法無我」だって正しいかどうかは自分の修行でしょう。
朝から晩まで、私が無いとはどういう事か、実体が無いとはどういう事かに引掛って、
ご飯もおいしくない、仕事も手につかない、修行すれば分かるというが、どうにも実感が無い。
考えても分からない、考えなくても分からない、そもそも修行して分かろうとしてるのは私じゃないか、
もうどうしようもない、手も足も出ない、と追い詰められた時にはっと悟り、初めて諸法無我が分かるんでしょう。
釈迦がいたずら者かどうかは一休と同じところまで修行しないと分からないと思いますよ。

ちなみに一休も臨済も、僧侶として、人間として、朝から晩まで命懸けで仏法を追い求めた修行僧で、
多くの弟子をとり、何百年も語り継がれる立派な禅僧ですよ。
そんな簡単に彼らの言葉を理解できないですよ。一休は普通ただの破戒僧だと思われてますから。
0078神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 20:40:29.82ID:+sfHtEob
澤木老師: 「悟りはない」
京都学派: 「悟りはない」

言葉は同じでも、意味が全然違う。
0079神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 20:46:12.53ID:9zO+BMBM
あ、でも最終的にはテーラワーダ、パーリ経典に立ち返って判断すべきでしょうね。何が正しいかは。
0080神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 20:49:50.84ID:+sfHtEob
少なくとも言葉で仏法を伝える場合、パーリ三蔵に依拠する仏教では
経典全体に通底する文脈と背景があり、言葉の意味を取ることができる。
その意味にも一貫性がある。

その文脈を無視して、唐突に禅の文脈から切り取られた禅語を部分的に
ねじ込まれても、どうしても違和感を感じてしまう。

分かる人同士は分かるんだぜ、という優越感を感じたいのか、本当に
その禅語を聞かされる人の悟りに資するために発話しているのか、
本当か?本当か?本当か?
と疑念を禁じ得ない。
0081神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 20:56:19.94ID:+sfHtEob
>>76
彼岸に渡れる一人乗りの船が沢山あるのと、
人は沢山乗れるが、誰も彼岸に渡れない船が一隻あるのと、
どっちが大乗なのかっていう観点もあり得る。
本当はどっちがでかいのか。
0082神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 20:57:33.72ID:+sfHtEob
彼岸に渡れる乗り物を死守している人々を貶すのは、本当に悪業だと思うよ。
0083神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 21:00:44.60ID:9zO+BMBM
言葉って何?意味って何?
本当のものなんか無い、という事が分かれば疑が無くなる。
0084神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 21:02:29.81ID:+sfHtEob
じゃあ、何のために仏陀はお話しされたの。
何のために経典の結集をしたの。
究極的には言葉や思考を越えるのでしょうけれども。
0085神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 21:03:44.35ID:9zO+BMBM
人があって、乗り物があるうちは輪廻する。
人も乗り物も無くなるまで修行しなければいけない。
0086神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 21:06:29.31ID:+sfHtEob
違う観点から述べているだけで、別に矛盾することではないのだろうけども。

乗り物を死守するのは、後に続く人のためでもあると思うし、阿羅漢が律に
従うのはそのためだと思ってる。
0087神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 21:18:30.07ID:9zO+BMBM
ブッダは人類と神々の偉大な親父みたいな人でしょうね。
ただいつまでも親父の袖にくっついているのは子供。
マハーカッサパ尊者だけはブッダの言う通りにはしなかった。
0088神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 21:27:00.76ID:+sfHtEob
解脱していない人間が三宝から離れても、三毒以外に寄る辺なしでしょ。
0089神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 21:29:50.27ID:+sfHtEob
禅語を掲げてテーラワーダの修行者を仏法僧への信と帰依から引き離そうとするのは、
修行者を解脱の道から遠ざける、無責任かつ危険な言論に見える。
0090神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:01:54.79ID:9zO+BMBM
禅語を読んだだけで薄れる程度の信と帰依なら望み無しだから諦めた方がいい。
預流果に悟ってたら信は揺がない。
0091神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:03:41.17ID:+sfHtEob
預流果に悟った者は、三宝への信が確立する。
0092神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:04:32.21ID:+sfHtEob
預流果の聖者が、仏法僧への信と帰依を否定することは考えられない。
0093神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/15(土) 22:06:34.31ID:+sfHtEob
悟りや解脱を諦めることを薦める意味も分からない。
0094神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:13:43.02ID:9zO+BMBM
仏法僧も無我。仏陀も無我、法はもちろん無我、僧も無我。
それを理解するのが仏法僧に対する本当の信。それは何があっても揺がない。
死んでも揺がない仏法僧に対する信があってこそ悟れる。
禅語を読んで薄れる信ではどうしようもない。
0095神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:15:10.60ID:+sfHtEob
>>83
>本当のものなんか無い、という事が分かれば疑が無くなる。

これ、どういう意味?
0096神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:16:23.70ID:+sfHtEob
>>94
輪廻転生ってありますか?
0097神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:22:29.86ID:9zO+BMBM
>>95
何かの意味を追いかけても現実は一瞬しか無いのだから捉えられない。
無常だから、そこには実際に存在がある訳じゃない。無我。
無我を理解すれば有身見が無くなる。疑が無くなる。
無我を理解すれば輪廻は止む。我、実在、実体、存在を妄想すれば輪廻する。
0098神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:24:20.85ID:+sfHtEob
>>97
涅槃はどこにあるって言いましたっけか?
0099神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:26:15.69ID:9zO+BMBM
貪瞋痴が無くなったところ。戯論の無くなったところ。
0100神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:28:36.99ID:9zO+BMBM
変化し続ける六根と六境に対して、喜ばず、嫌わず、それに対して妄想しないでいるところが涅槃。
0101神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:31:15.83ID:+sfHtEob
>>97
輪廻が止む以前、過去世の生存はありましたか?
0102神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:36:05.86ID:9zO+BMBM
>>101
知らない。
0103神も仏も名無しさん
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2018/12/15(土) 22:46:26.93ID:9zO+BMBM
洞山禅師は、仏とは何かと聞かれて、麻三斤と答えた。
諸法無我、ブッダも無我、が分からないとこうは言えない。
0104神も仏も名無しさん
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2018/12/16(日) 00:43:36.40ID:2tkmyDGi
般若心経とか中論とか読むと大乗と小乗の違いは大きな船と小さな船とか衆生を救うとか救わないとかじゃなくて、
法(存在)の実在を認めるか認めないか、法の自性を認めるか認めないか、ということになると思う。

小乗は部派仏教と呼ばれるものでテーラワーダももちろん含んでいるけど法の実在も自性も認めている。
一方の大乗は法は空であり実体はなく無自性であるとする。般若心経ではそのことがわかりやすく解説されている。
0105神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 07:49:56.47ID:oKvwB8pS
謎の単語自性(svabhāva)はブッダは使ってない。初期の経典には無く、ミリンダ王の問いに出てくる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Svabhava

ブッダの教えに忠実である事を守る立場、テーラワーダもしくはスマナサーラ長老からは、
法無我、自性などの概念を作って議論してはならない、実践を重視しなければいけない。ということのようです。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp47.html
0106神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 08:10:55.59ID:v9Svf66/
http://www.j-theravada.net/qa/qahp47.html

>(テーラワーダと)説一切有部との同じ点は「自性」(svabhâva)と言う単語を使うとことです。
>異なる点はその自性は瞬間だけのことだと言うところです。

空論ではその瞬間だけの自性ですら認めない。

以下龍樹

あらゆるものの自性は、原因であれ、条件であれ、その合体であれ、どこにも無いのだから、空である。(空七十論3)

眼は自性として空であり……、物体もまた同じ有り様で空であり、その他の知覚の場もおなじ有り様で空である。(同上53注解)

条件として生起しているから、思惟の対象も自性が空であり、一方、思惟もまた自性が空である。(同上61注解)

それら存在は自性が空である、とありのままによく知るならば、迷いは生じない。(同上65注解)

自性として、「存在」があるのでもなく、「無存在」があるのでもない。原因と条件から生起した「存在」や「無存在」は空である。(同上67)

ものはすべて自性が空であるから、ものの「依存関係による生起」(縁起)を無比なる如来は教示された。究極の真理はそれに尽きている。(同上68、69)

自性がないにもかかわらず、自性があるように見えるのは、迷妄によるのである。(六十頌如理論26、27の注解)
0107神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 08:14:35.45ID:n2c7EFl3
>>104
私の感じるところではどちらも正しいということのようです。
どちらも真実を秘めていると思う。でもどちらかは、片方も含めていると思う。
相対性理論が、古典力学を含めているようなもの。でも、古典力学は相対性理論を含まないけれど。
0108神も仏も名無しさん
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2018/12/16(日) 08:26:25.47ID:oKvwB8pS
まず説一切有部が自性という単語を使い始めたんでしょう。
それに対して龍樹は乗っかってしまった。議論してしまった。
自性なんてないよと。それは龍樹の間違い。

ブッダに「自性とは何ですか」と聞けば、「そんなものは知らない」で終了です。
0109神も仏も名無しさん
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2018/12/16(日) 08:52:58.20ID:C2N493qj
>>108
説一切有部の自性(実体のこと)は三世に渡って実有である論
経量部やテーラワーダの自性は現在のみある論
大乗仏教の自性なんて最初からないよ自性があるというから戯論が生じるんだよ論

あなたの立場に立てば自性というものを言い出した人たちがドグマを作り出したということになる
0110神も仏も名無しさん
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2018/12/16(日) 09:53:12.11ID:4KZXJQ8o
般若心経では色は空とか
是諸法空相と出てくるけど
法そのものが空なんて書かれてないよ
0111神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 10:11:09.62ID:n2c7EFl3
本来は私というものはない。感覚器官に対象が触れることによって、
さらにその感覚を無自覚に暴走させることによって、私という実感が生まれる。
多くの人は感覚器官が作用するままに生きているている。だから私があると感じる。
0112神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 10:14:31.77ID:4KZXJQ8o
>>106
に出てくる文章内だけならテーラワーダでも特に否定しないだろうけど
涅槃と輪廻に違いは無いとか言い出すとちょっと待ちなさいよってなるんじゃない
0113神も仏も名無しさん
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2018/12/16(日) 10:49:30.76ID:HqoUqeZL
色声香味触法の法が無我だってことを言ってたの?
当たり前でしょ(苦笑
0114神も仏も名無しさん
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2018/12/16(日) 10:51:36.64ID:HqoUqeZL
最初っからそう言われてるのに、何を力んで躍起になってるのか意味が分からない。
0115神も仏も名無しさん
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2018/12/16(日) 10:54:00.34ID:DlzvJXUR
スポーツや音楽などである程度の段階に進むと「脱力」という要素が絡んでくることが多いのですが、
この脱力って瞑想に近くないですか?
サティ状態にならないと本当の脱力にはたどり着けないし、逆もそうだと思います
みなさんどう思われますか?自分はピアノと柔軟体操でそう思うようになったのですが
0116神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 11:01:06.76ID:HqoUqeZL
完全にリラックスした状態と、完全に集中した状態は同じですね。
でも、世俗に身を置いて日常生活のなかでその状態に達し、
なおかつ維持するまでに至るには、相当の修練が必要だと思います。

どんな技能・学識の習得でもそうですが、一日でも練習・学習を休む
ようなら、趣味レベルを越えて習得の見込みはないと思われます。
0117神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 11:09:14.10ID:HqoUqeZL
大乗仏教をやってる人が、テーラワーダ仏教をやってる人より上だとか
優れているとか、そういうことは全然ない。
それは完全に誤解、錯覚、勘違い。

言葉を尽くして説明しなきゃならないのは、冥想ができない=智慧がない証拠。
龍樹を読んで得意になってる類は、むしろ劣等。
エックハルト・トールも、クリシュナナンダも同じ。
冥想できる人はそんな本読まない。
0118神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 11:13:23.34ID:z5nUcOOp
自分が納得できればそれでいい
と思うね

一つのやり方に帰依したいなら
出家して師について
それだけに専念する環境に
身を置いたらいい

私なら
自分の生き方のなかで
その時その時に
自分が納得できる生き方を通して
自分自身を知っていく
ようなやり方だ

誰にとっても正しい
誰にとっても間違ってる
なんてことはないと思うね
私にとっての正しいか間違いかだけだ

自分の生き方を全うしたいね
0119神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 11:22:05.22ID:IqIAxfJZ
>>113
テーラワーダの論書「アビダンマッタサンガハ」によると当たり前というわけでもないですよ。

http://liberi.jp/abhidharma/ad-text_1.pdf
↑の3ページをご覧ください。

>第一義法(勝義法)Paramattha dhamma 自性が変わることが無い法
>1. 心 89 Citta 所縁を知る
>2. 心所 52 Cetasika 心に依存して心を飾る
>3. 色 28 Rþpa 寒暖などの反対の現象によってはっきりと分かるように変化する*
>4. 涅槃 Nibbæna 全ての苦が滅した、欲貪などの十種の火が消えた、渇愛から自由になった、本当の幸せ
>*色(物質)以外の法も変化するが色(物質)ほどはっきり見ることができない。

>第一義諦 Paramattha sacca では人、男、女は存在せず名(心・心所)、色だけが真理だが一方、
>世間(世俗)諦 lokiya sacca は世間一般に認められている真理なので人、男、女などは存在すると言っても良い。
>名前や概念などを施設と呼ぶが第八章の終わりに詳しく述べてある。

これらテーラワーダでは自性がある、真理であるといわれている法(事物)を
大乗仏教では無自性である、空である、と説いているわけです。

言い換えれば、テーラワーダでは不変・不滅の法が存在する、
大乗仏教では諸々の法はどこまでも空であるとしているわけです。

どちらが正しいかなどということは私自身の存ずるところではありませんが・・・。
0120神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 12:29:58.13ID:HqoUqeZL
仏陀と龍樹だったら、仏陀の説を採ります。
0121神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 12:52:39.07ID:IqIAxfJZ
>>120
その仏陀の説は法に自性がある?ない?どちらなのでしょう?
0122神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 13:10:59.42ID:IqIAxfJZ
>>117
もう一つ質問させて頂きます。
唯識瑜伽派の人達は瑜伽派と言われるだけあって瞑想を重要視し瞑想によって末那識や阿頼耶識を見つけたとされています。
しかしスマナサーラさんは阿頼耶識などない、愛尽大経でサーティ比丘が輪廻の主体を識として仏陀から叱責されましたが唯識ではそれと同じ過ちをしている、と批判しました。
さて、唯識瑜伽派の人達は正しい瞑想が出来てなかったのでしょうか?
0123神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 13:15:10.91ID:HqoUqeZL
ご質問にお答えできる立場でもないので、自分自身の解釈における理解ですが、
そうした矛盾や対立は、言語化、概念化した時に生じるものだと思います。
0124神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 13:16:13.62ID:HqoUqeZL
大乗仏教を否定しているのではなく、大乗仏教の概念で
テーラワーダを貶す姿勢には断固反対します。
大乗仏教を排撃する気は毛頭ありません。
あしからず。
0125学術
垢版 |
2018/12/16(日) 13:18:40.54ID:hxdVpiO6
説法の効果がよく練られていて、いいものですよね。
0126神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 13:32:15.23ID:IqIAxfJZ
>>123
>そうした矛盾や対立は、言語化、概念化した時に生じるものだと思います。

これは龍樹と同じことを言ってると思いますよ。

テーラワーダ含む部派仏教は我空法有として有とする法を言語化して仕分けしていますからね。
0127神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 13:38:11.36ID:HqoUqeZL
>>126
三蔵経典全体を通して、言語表現の対象を定義してあるから
その文脈のなかでは不都合は生じないのだと思いますよ。

別の言語体系にぶち込むから不都合がでるだけじゃないかな。
0128神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 13:43:21.51ID:HqoUqeZL
名色でも五蘊でも十二処、十八界でもいいけれども
それらは無常であり、苦であり、無我である。
それらは縁起に依って生滅を繰り返している。
これに含まれないのが涅槃。

四諦のひと言に要約されるけれども、そこに自性の有無という
問題意識が入り込む余地があるんですかね。そもそも。
0129神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 14:35:11.68ID:muEo8aYP
>>122
>しかしスマナサーラさんは阿頼耶識などない、愛尽大経でサーティ比丘が輪廻の主体を識として仏陀から
叱責されましたが唯識ではそれと同じ過ちをしている、と批判しました。

スマナサーラは、口先ではさも分かっているような批判を言うだろ?
何年か付き合ってみると分かるんだが、ルサンチマンをため込んでいるのに気付かず
テーラワーダ協会の信者に毒針を刺すような罵詈雑言を浴びせているよ。
本人は説法のつもりらしいから笑える。
阿頼耶識はあってもなくても、スマナサーラには無意識の嫌な感情を無視したり
スルーしたつもりがため込んで暴発する悪癖があるね。
0130神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 15:16:39.32ID:FDW2J1E9
人間の過去生のカルマが溜まってる場所あると思うよ。それを、阿頼耶識と言うのか、
アカシックレコードと言うのか分からないけど。ヴィパッサナーじゃない他の瞑想
方法で分かる。それをテーラワーダはやらないだけなのか、やってて知ってて言わないのか
判断しかねる。
0131神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 15:22:15.74ID:FDW2J1E9
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アカシックレコード
妄想たくましくさせたらすいません。
0132神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 15:24:32.41ID:n2c7EFl3
自分を観察してみると、私という実感はないんだけど、何かの実感はあるんだよな。
これを真我というのかどうか分からないけれど、真我が存在すると言う人の立場も分かる気がする。
たぶん、脳と体が作り出した何かだと思っているんだけど。つまり生きているという実感かな。感受と脳の電気信号だと思う。
0133神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 15:33:03.72ID:n2c7EFl3
宇宙は何もないのではなく、何かがある、といいます。
このことは人間にも適用できると思います。
0134神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 15:50:43.60ID:IqIAxfJZ
>>127
龍樹は出家してすぐに小乗仏教(部派仏教)の三蔵を90日で読破し、
またその後インド中を遍歴し仏教、非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。

というのが一般的な龍樹伝ですので言語自体の壁も言語体系自体の壁もなかったと思いますよ。

>>128
>四諦のひと言に要約されるけれども、そこに自性の有無という
>問題意識が入り込む余地があるんですかね。そもそも。

ではなぜテーラワーダ含む部派仏教の僧侶は自性としての法があるということにこだわったのでしょうか?
あるいは、もしこだわったというのに引っかかるのなら、なぜ法には自性があるとわざわざ論書に何度も書き入れているのでしょうか?

>>129
スマナサーラさんの般若心経批判の本は般若心経をこきおろすのに悪ふざけが過ぎているような印象を受けました。
彼の阿頼耶識批判もその本の中に書いてあったことです。
0135神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 16:39:42.96ID:oKvwB8pS
ブッダは自性という言葉は使わず、諸法は無我とだけ説いた。
清浄道論も本来は余計。説一切有部に反論するために書かれた。
ブッダはただ業とだけ説いた。阿頼耶識は説いてない。
唯識は、どうしても識を実体化して考えたい、妄想の産物。
識蘊が無我であることが分からない証拠。瞑想が足りない証拠。
0136神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 16:49:25.29ID:2ed/WrOt
>>128
その四諦において自性つまり実体のあるなしが問題になったんですね

中論24章.四つのすぐれた真理(四諦)の考察
https://blogs.yahoo.co.jp/zenzai9000/4304827.html

時間に余裕があったら一読してみると良いかもしれません
0137神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 17:02:28.49ID:2ed/WrOt
>>135
無我というから実体のあるなしが問題になるのです
中村元先生のように非我を使えばその混乱はなくなります

ちなみに中論も中論というタイトルに相応しく無我よりも非我の方に近い立場をとっています
というよりも有我も無我も非我も言葉による虚妄分別というのが龍樹のスタンスかな
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=77219688
0138神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 17:07:00.46ID:oKvwB8pS
実体という意味なら無い、存在しないです。無我です。
ただ自性という言葉は、定義があいまいなまま使われていて、それぞれの立場で意味が違う。
なので使ってはいけない。議論してはいけない。瞑想して無我を悟らなければいけない。
ブッダが説いたのは諸法無我。人間の思考、概念には実体は無いということです。
0139神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 19:31:35.82ID:oKvwB8pS
頭燃を払うってブッダがオリジナルだったんだな。
有身見を無くす、無我を悟るために必死に修行しなきゃいけない。

「刀が体に剌さっている場合に〔刀を抜き去る〕ように、 〔ターバンを捲いた〕頭〔髪〕に火がついている場合に〔急いで火を消そう と努める〕ように、
<自身ありという見解>を捨て去るために、 修行僧は気をつけなから遍歴すべきである。」
0140神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 19:42:10.95ID:HqoUqeZL
龍樹を読んでても有身見から抜け出せないより、
龍樹は知らんでも有身見から抜け出せた方がずっといい。
全然比較にならない。
0141神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 19:50:31.95ID:IqIAxfJZ
>>136
20偈以降が特に説得力がありますね。

>>138
その概念を含む法には実体はあるとしたのが説一切有部(五位七五法)、経量部(五位百法)、テーラワーダ(勝義法)など我空法有を主張した部派仏教です。
ちなみに自性は法の自性という使い方をした場合には曖昧さはないと思います。


こう言っているわたしですが、法に自性はあるのかどうか、
例えばテーラワーダの第一義諦である貪、瞋、痴、受、想、色、声、香、味、触などは果たしてテーラワーダが主張するようにそれ自体として成立する自性のあるものなのか、
それとも龍樹のいうようにそれらも空であり縁起の産物なのかどうかまでは分かりません。
ただ自性があるという捉え方をしているのがテーラワーダなどの部派仏教、全ては縁起であり空とするのが龍樹を始めとする大乗仏教、それが違いというのは分かります。
0142神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 19:52:25.51ID:HqoUqeZL
>>130
瞑想比丘の場合、やってて知ってて言わないだけっぽい。

というか、そういう話は経典にわんさかでてきますよね。
なぜか恣意的な再解釈がなされて、文学表現だとか言われるのだけど
仏説より自分の脳内フィルターの方が正しいと思ってるのが大抵。
仏教徒ですらそう。
0143神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 20:01:29.44ID:HqoUqeZL
テーラワーダのアビダンマのどこに自性なんて出てきますの?
名色に自性があるなんて思ってる人、言ってる人って誰かいますか?
0144神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 20:02:46.22ID:HqoUqeZL
>>141
すいませんね、賢い方なんでしょうけど、わたしからみると
ありもしない問題を妄想して「分かります」と独り合点しているように見えるのですが。
0145神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 20:09:15.44ID:HqoUqeZL
心 89種
心所 52種
色 28種
涅槃

どこに自性があるのか教えて下さい。涅槃ですか?
あるいは、自性があると主張しているテラワダの典籍や人物がいたら
指摘してみて下さい。

わたしはいつから「説一切有部」という奴の信者になっていたのですか。
ぜんぜん気づきませんでしたけども?
0146神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 20:34:07.08ID:oKvwB8pS
全ての法、概念、思考に実体が無いのを諸法無我という。
色声香味触法の法は行によって生まれ消えていく、それが諸行無常。
瞬間で生まれ消える法は虚しい、空しい、空である、苦である、それが一切皆苦。
0147神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 20:37:52.12ID:oKvwB8pS
そもそもこの世の中に、ひとかけらでも実体があるものがあれば、無執着は成り立たない。
一切、六根、六境、五蘊のどこを探しても、実体が無い、存在が無い、空である、苦であるからこそ無執着が成り立つ。
0148神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 21:10:14.16ID:IqIAxfJZ
>>143-144
>>113をご覧ください
ご覧になった上でまた感想くださいね

>>146-147
あなたも>>113を是非ご覧あそばせ
0149神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 21:41:27.11ID:IqIAxfJZ
>>145
>>113の他にもう一つ参考になるものを提示してみましょう。

ブッダの実践心理学 第一巻 物質の分析

勝義諦はそれ以上変化できない真実そのもの
 世俗諦の根底にある勝義諦を見る
 ウサギとライオン
勝義から見ると、ものごとは四つだけ

四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)
 勝義諦1:心は一つ「講義する機能」だけ
  心=認識するはたらき=生命
  たった一つで全てを知る
  一つの心が八十九種類に
 勝義諦2:心所は認識すると生まれる感情
  心所は五十二種類
心所は心に必ず溶けている
身体の感覚も心に生まれる心所
心所の四つの特色
 特色1:同起
特色2:同滅
特色3:同所縁
特色4:同基
「我」「魂」はどこにあるの?
心にも心所にも「我」も「魂」もない
心が生まれるその場所に心所も生まれる
身体の中で認識・心が生まれない場所
心が生まれなければ心所も生まれない
同所縁と同基のポイント
勝義諦3:物質は変化する本質のもの
 物質を全てのエネルギーのレベルで見る
物質は二十八種類
心、心所、物質のポイント
勝義諦4:涅槃は寂静
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784901679145

ですからその4つとも自性があります。

そして誰があなたのことを説一切有部の信者であると言ってますか?
そう言ってるレス番を挙げてみてくださいな。
0150神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 21:43:00.58ID:oKvwB8pS
自性も無我、部派仏教も無我、テーラワーダも無我、ブッダも無我、龍樹も無我。
私も無我、世界は無我、無我も無我。

自性に、部派仏教に、テーラワーダ、ブッダ、龍樹、私、世界、無我、何ものにも執着してはいけない。
0151神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/16(日) 22:48:46.58ID:IqIAxfJZ
>>148
>>149

自己レス

>>113ではなく>>119
でした、確認を怠り大変失礼しました。

改めて>>119をご覧頂いた上でよろしかったら感想をください。
0152神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 00:18:19.76ID:Joa2E4US
仏陀の四諦も、龍樹の空も、単に説明の仕方が違うだけとしか受け取れない。
0154神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 01:00:33.18ID:Joa2E4US
>もし事物に自性を認めるならば、かえって縁起を否定することとなる。

であるなら、縁起を認めるなら、自性を認めることにはならない。
アビダンマの Abi がどうだろうと、論理的にはそうなるし、観測事実もそうであるはず。

取りあえず現時点で頭で考える限り、仏陀の悟りの言い換えに過ぎないとしか解釈できない。
0155神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 01:14:04.95ID:Joa2E4US
まず、その文脈で言う「自性」という言葉が指し示しているものは、本当にアビダンマ
が主張しているんでしょうか。

例えば、アビダンマにおいて物質の滅する性質も色(rupa)とされていたと思いますが、
これを以て大乗側は、アビダンマは滅する性質に「自性」を主張している、と言うのでしょうか。
0156神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 01:15:56.33ID:Joa2E4US
龍樹が論駁した論敵は、いまこの地球上に現存しているんですか。
0157神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 01:19:34.00ID:Joa2E4US
うん、やっぱり誤解してる。
読めば読むほど、大乗側からみた小乗というのはもはや空想上にしか存在してない。
0158神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 01:32:12.81ID:Joa2E4US
>>153
完全に油断してたでしょうけど、バカにし過ぎです。

仏教は仏教なんだから、言葉や概念で上下優劣を付けようとして
エゴを強化・正当化するのはやめた方がいいと思います。
0159神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 02:06:59.14ID:Zi7Mn91Z
(第25章・第19詩)輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別
もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。

(第25章・第20詩)ニルヴァーナの究極なるものはすなわち
輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なるいかなる
区別も存在しない。

これ言っちゃっていいのかな
0160神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 02:23:22.30ID:PJC8wm61
>>155
テーラワーダでは色法の中の相色の色老性や色無常性といったやはり自性のある法で色は古くなって老いたり無常性故に滅したりします。
色はそれ自身自性として老い滅するということです。
0161神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 02:38:37.67ID:PJC8wm61
>>159
生死即涅槃

で検索すると満足のいく答えが見つかるかもしれません。
0162神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 09:09:43.75ID:e5uDZgIt
「涅槃」と言ってみても涅槃自体が存在するわけじゃない。「輪廻」と言ってみても輪廻自体が存在するわけじゃない。
全ての概念は無我、幻で実在しないわけだが、現実に感じることができる眼耳鼻舌身意も、瞬間に生滅していて、
無明、行という原因によって生まれ、消えるものだから、空、夢、幻のようなもの。

瞬間に生滅する心は瞬間的に存在するじゃないか、実在じゃないかと勘違いしがちだが、
人間の認識が成立するより高速で生滅しているものは存在とは呼べない。
それを禅語で説似一物即不中という。「これ」といった時点でそれはもう変化しているのだから「これ」ではない。
人間が捉えることができないそれを捉えようとするからこそ苦しみが生まれる。
放っておけば苦しみは生まれない。それを禅語で放下著という。
0163神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 13:40:51.80ID:t8BxWrCa
 日本語で「分別する」と言うとあまり好ましくないですが、初期仏教・テーラワーダ仏教では、自分たちのことを分別論者 vibhajja-v?din と言います。
大乗は自分のことを大乗仏教と言いますが、そのように我々も自分たちのことをテーラワーダ・上座部と言うよりも、もし威張って言うならば、分別論者だと言うのです。
我々は、存在という幻が消えるところまできめ細かく分析するのです。
物事をそのまま、全体的に、大乗が言うように「すべては」とか「一切は」などとまとめて説明することはしません。
そんな大雑把でいい加減な説明は、始めからどうせ間違っていますから。
 例えばテーラワーダ・ヴィバッジャワーダの人に「ご飯はおいしいですか?」と聞いても、答えません。
まず分析してみないと分かりませんから。 真理はそんなものです。
ご飯は東洋人には馴染んでいるからおいしく感じられ、西洋人にはやはりパンの方がおいしく感じられるとか、立場によってもころころ変わるものです。
大雑把に「ご飯はおいしい」などと言えないのです。
 ご飯がおいしいと感じる人でも、いつでもおいしいと感じるわけでもありません。
午後三時の疲れているときには、ご飯よりは甘いケーキの方がおいしく感じるでしょう。
時期によってもその人の体調によっても、判断はころころ変わります。
いろいろ分析して考えると、何も確かには言えないのです。
0164神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 13:41:46.81ID:t8BxWrCa
 真実を知るためには、分析するしか方法がありません。
総体的に大雑把にまとめてみても、いい加減 なだけで、何も分かりません。
テーラワーダ仏教の特色は、本当に、とことん分析してみるということです。
その特色だけは守りましょうということで、「 Vibhajjav?d? Bhagav?. 世尊は分析論者だ」と言います。
分析しないでまとめて、「すべては梵我一如」などと言えば、それは邪見・邪教です、と簡単に捨ててしまいます。
 森羅万象の中で同じ一つのものはないかと探すのも、またちょっとした心の間違いです。
もし真剣に調べて、分析して、同じ・不変の一つのものを探そうとしたら、見つかるのは「無常」ばかりです。
あるいは今説明した、積集、相続、老性、無常性の四つの共通項目しか、最終的には見つかりません。
物質をどんなに探しても梵・ブラフマンも我・アートマンも、神も見つかりません。

アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第1巻 物質の分析)
0165神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 15:46:42.67ID:/70/mLau
釈迦族は誇り高きクシャトリヤの階級なのだから
なにをおいてもするべき修行は
近接格闘訓練とサバイバル訓練です
0166神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 15:54:42.74ID:/70/mLau
釈迦族に一番必要なものとはなにか?


インドを守る愛国心やろがああああああああああああ
0167神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 16:31:53.64ID:3A2NB79d
>>159
こういうことでしょう
https://i.imgur.com/IopZ4di.jpg
https://i.imgur.com/i8lu8dE.jpg
https://i.imgur.com/3GEv511.jpg
https://i.imgur.com/Sf784nO.jpg
https://i.imgur.com/xp2yJQV.jpg
https://i.imgur.com/SLAfOQy.jpg
https://i.imgur.com/DMv5jPj.jpg
https://i.imgur.com/0qgRjEn.jpg
https://i.imgur.com/9xXvTwK.jpg
https://i.imgur.com/mouSO6o.jpg
https://i.imgur.com/y6K9HEl.jpg
https://i.imgur.com/NcnN7Hl.jpg
https://i.imgur.com/xBPTBas.jpg
https://i.imgur.com/zv6Pbx4.jpg
0168神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 22:03:55.76ID:e5uDZgIt
瞑想しないのにアビダンマ読むと悟れなくなるってさ。
しかし長老元気そうでなによりだ。

『清浄道論を読む』第1回 講師:アルボムッレ・スマナサーラ
https://www.youtube.com/watch?v=gwXJ6KEDDk8
0169神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 22:43:15.91ID:PJC8wm61
>>162
物質の章の最後に 、なぜか涅槃が少し説明されています 。
心、心所、物質、涅槃の4つだけが実際に 「ある」ものだと 『アビダンマッタサンガハ』の最初に喝破されましたが、その心を、心所を、そしてそれらによる業と輪廻のからくりを分析した後で、
この章で物質の分析を終えるにあたり、「実在」の最後の1つ 、涅槃も一緒に、紹介しています 。
涅槃は本来、語れない境地ですから、一章をわざわざ割くほどの分量がないのです。

藤本晃『アビダンマッタサンガハ』を読む
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51e1lkGgnaL._SX355_BO1,204,203,200_.jpg
より引用


ということで、テーラワーダの教義では涅槃は実在するもの(テーラワーダにおける勝義諦)となります。
0170神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 22:50:10.27ID:KawbU7T7
>>163
>>164

そのわりにはその人「大乗仏教は」「キリスト教徒は」「イスラム教徒は」って
総体的に大雑把にまとめてばっかだよね
0171神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 23:10:40.17ID:/70/mLau
シッダールタ王子のお言葉より

釈迦族の部族長達のクシャトリヤ武勇伝を聞けい
0172神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 23:11:51.22ID:/70/mLau
釈迦族はクシャトリヤ
日本で言えばおサムライ

まず釈迦になりたいなら武術の鍛錬んんんん
0173神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 01:13:44.66ID:duco9mhI
>>170
そうですね、それに加えて

中論24章の

10.世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。

>世俗としての言語でなければ究極の真理を説くことはできない、しかし究極の真理に達していなければ、ニルバーナを得ているわけではない。

や般若心経の空即是色をスルーして一切皆空で済ませてしまうのが大乗ですというミスリードをしています。

また唯識の五位百法もスルーしています。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/86/0fba4fcc2f41b09842820463c6bf115e.png
唯識五位百法はテーラワーダのアビダルマの勝義諦(勝義法)や説一切有部の五位七五法と違って実体はなく空であるとされていますが、分析をしていることには変わりありません。
http://www.obpen.com/essay/20170711_03.html

スマナサーラさんはおそらくそういう大乗の教理は分かっていて、でもあえてスルーしているのだと思いますね。
テーラワーダだけが正しいという前提で説法するのにそのスルーが必要になるからだと思います。
しかしそれは情報隠蔽ですがw
0174神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 08:03:45.66ID:/+AGXll+
>>169
>>168の動画では、心も無い、物質も無いっておっしゃってますけどね。チラっとですが。
有る、無いの意味を理解しようと思うと悟らないとダメみたいですけどね。
0175神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 08:14:08.13ID:/+AGXll+
>>173
まず空即是色は議論するまでもなく間違いですからスルーしたんでしょう。
おそらくは梵我一如、一即一切を邪見とおっしゃっているのだと思います。
ブッダも一切という言葉を使いますから。

次にスマ師が分析と言っているのは択法覚支、ラベリング、四念処の事ですよ。
真理を発見するためには、現象を正しく分析しなければいけない。瞑想によって。
アビダンマなどの学問的な分析はむしろ余計です。
アビダンマが生まれる前にも悟った方は大勢おられた訳ですから。
0176神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 10:34:13.84ID:gZBc36NZ
アビダンマを学ぶと 、「存在とは何か 」「何を目指して生きるべきか 」が分かる可能性があります 。
心の分析と働き、物質の分析と働きも説明されていますが、アビダンマ学の 9 0パ ーセントくらいは心の働きを説明しているので 、「アビダンマとは仏教心理学だ 」と言えるのです。
俗世間の心理学と違うのは、心を成長させるためにあえて育てるべき能力について語っているところです 。それから、俗世間的な心が出世間的な解脱の心に成長するまでのプロセスを詳しく語っています 。
しかし、以上のことを発見できるのは、アビダンマ学を理解できたならば 、です 。
アビダンマを考えた優れた能力を持っていた聖者たちの思考パタ ーンと、現代人の思考パターンは同じではありません 。
桁違いの天才の考え方が 、我々のような凡人にはまったく分からないということは 、昔も今も同じです。
分からないものは諦めるのが一番簡単なやり方です 。しかし 、その人に脳を開発するチャンスがなくなります 。
いくら難しくても 、歯を食いしばってなんとか理解しようと努力するならば 、そのぶん自分の能力は成長します 。というわけで、アビダンマ学をどうしても理解してみたいものです 。
(アルボムッレ・スマナサーラ)
0177神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 10:50:38.89ID:gZBc36NZ
>>174
あなたは瞑想でその存在論もすでに何か気づいているのではないのですか?

ちなみに
>説一切有部を批判するためにテーラワーダ仏教がアビダルマを発展させたと言っても過言ではないほどです。
>テーラワーダ仏教は「三世実有」に真っ向から反対するのです。テーラワーダにおいては、存在するのは、今の瞬間のダルマだけです。
http://www.j-theravada.net/qa/gimon58.html

結局は心(チッタ)も貪瞋痴も四大も五根も今の瞬間には存在していることを認めていますし、
それらは施設ではなく第一義、根本的、勝義として存在していることも認めているのです。
それがテーラワーダの教義です。

その瞬間のダルマをヴィパッサナーでは観察するといいます。
ご存知のように刹那滅の間だけ(でも無数に湧き上がる)のダルマを観察してはその移り変わりを見て無常を知るとされています。
それを分析したのをまとめたのがアビダルマ(優れた法)なわけですから、テーラワーダにとってはアビダルマは(師から授けられる)教科書です。
その教科書に載ってない阿頼耶識みたいなのはいくら唯識瑜伽行者が瞑想で発見したとしても否定するテーラワーダの僧侶もいるのです。

それからもし心も物資も実体として何もない、勝義のダルマとしても存在しないというようなことをスマナサーラさんが言われてたとすれば、
何もないところからなぜ心や物資が実感できるのかを空即是色やそれに類似する概念を使わずにどう説明するのか疑問がありますね。
0178神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 12:52:28.38ID:/+AGXll+
禅の方では趙州無字の公案があります。
犬に仏性はあるか?の問いに、趙州和尚は有ると言ったり、無いと言ったりする。
その意味を求めて死ぬほど坐禅する訳ですが、犬も本来は空、仏も空だから有るも間違い、無いも間違いな訳です。
この場合空は、存在としての、常住としての有るではないし、何もない虚無の無でも無い。
真理は言葉では言い表わせないのだから、究極的には有も無も空も間違いであるが、
不完全な言葉という道具を使うにはそうとしか表現しようがない。

サンユッタニカーヤでも、ブッダは阿羅漢も「わたし」という表現を使ってもよいとおっしゃった。
「わたし」という自我意識を持たない阿羅漢でも、言語表現として、仮の表現として、「わたし」を使わなければ喋れない。
言語は人間の認識によって成り立っていて、認識は「有る」ということが前提なのだから、有、無から離れることは出来ない。

であるから、黄檗禅師は臨済禅師に「仏法の一番大事なところは何ですか?」と聞かれて、ただ殴った。
痛みの感覚、言語を超えた感覚にこそ仏法はあるのだよ、との教えだが、臨済には最初、何の事だか分からなかった。

瞑想して、眼耳鼻舌身意の感覚を観察してみれば、瞬間にでも有るとか無いとか言えない事が分かると思います。
黙っているしかない。しかし説明する場合は何かを言わなければいけない。この事も一切皆苦に含まれるでしょうね。
0179神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 13:17:34.04ID:/+AGXll+
例えば二枚の大きな板を少し隙間を開けて並べて、その隙間を見ている人がいるとする。
その板の裏でリンゴを投げる。見ている人はリンゴがチラっと見えるが、それが何か分からない。認識できない。
その人にとってリンゴは実在するかどうか。
さっき投げたのはリンゴですよ、と答えを聞かされれば、あぁ確かにリンゴはありましたよと言うかも知れない。認識できてないのに。
答えを聞かされていなければ、リンゴという発想は無いからリンゴは無かった事になる。しかし実際にはリンゴが投げられた。
確かに言えるのは「チラ」はあったということだが、チラはリンゴでは無い。
0180神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 13:22:00.12ID:gXZKQjD6
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。f

池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです 

その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
0181神も仏も名無しさん
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2018/12/18(火) 13:44:04.95ID:up8xD8NL
釈迦族とはクシャトリヤの階級の戦闘部族
禅宗の開祖ダルマもまた少林寺拳法の武人

殴ってみて立っていたらとりあえず本物でよろしいではないか

なあ?
0182神も仏も名無しさん
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2018/12/18(火) 14:57:10.98ID:duco9mhI
■観(ヴィパッサナー)■

上座部のアビダルマ哲学では、物質は17刹那の間だけしか存在しないと考えます。
1刹那で「生」じ、15刹那「住」し、1刹那で「滅」します。
通常の意識では1刹那の「滅」は認識できないのですが、「観」ではその「滅」を観察しなければなりません。
(1刹那の「生」は意識の上る前に終わってしまうので、認識できません。)

そして、それらへの執着をなくしてきます。

この諸行の「三相」を対象とする「観」が自然に「涅槃」を対象とする特別な「観」になって聖者に至ります。

現代の上座部の改革派であるマハーシ・システムでは、まず、呼吸によるお腹の動きや、歩行動作を中心対象にします。
そして、その対象以外のものが意識に上ってくると、それに気づいて、手放します。
対象に気づいた時は、言葉に表して(ラベリング)意識します。
アビダンマ哲学に沿った細かい「法」の識別などの観察は行いません。

また、ゴエンカ・システムでは、感覚を対象にして観察することに徹します。
そして、身体感覚を順に観察することを行います。

(略)

上座部のアビダルマでは物質が15刹那「住」しますが、これは「本質」を保った存在が存続するということです。
大乗の「空」の思想、「法無我」の思想は、そのような「本質」を認めず、従って、「生」も「住」も「滅」もないと考えます。

つまり、「共相」としては「空性」で、それは上座部の言う「生滅」ではなく「不生不滅」です。
また、主体や概念を対象とする点も、大乗の「観」の特徴です。

https://ameblo.jp/morfo/entry-10820378088.html
0183神も仏も名無しさん
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2018/12/18(火) 15:35:03.70ID:/+AGXll+
大乗の空と、ブッダの空、龍樹の空は違う。ひとくくりにしない。
龍樹は縁起により生滅する現象が空と言っている。
ブッダは世界を空なりと観よとおっしゃった。
物質が、心が、有ると思ってはいけない、無いと思ってもいけない。空である。
存在に執着してはいけない、有る、無しに執着してはいけないということだろう。

スマ師は、「有るように感じるだけ」「無い花を見ている」と言っている。ここでは。
https://www.youtube.com/watch?v=wo-FOvcDyxE
0184神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 16:14:50.11ID:duco9mhI
一八 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。

一九 なんであろうと縁起して起こったものではないものは存在しないから、いかなる不空なるものも存在しない。
0185神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 18:38:29.18ID:gZBc36NZ
>>178-179
それは大乗仏教の理論ですね。

>真理は言葉では言い表わせないのだから、究極的には有も無も空も間違いであるが、
>不完全な言葉という道具を使うにはそうとしか表現しようがない。

空即是色とはそういうことです。
まあ厳密には究極的には空であって、その空は本来は言葉で説明できないということになりますが。

テーラワーダでは色は四大や浄色、境色、心色、命色、食色などの自性のある法(実体)によって施設されたものと言葉で言い表すことができます。
流石に部派名を分別説部というだけはあります。
言葉で言い表せないのは四つの勝義諦の中の最後、無為法の涅槃だけです。
0186神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 18:39:54.39ID:gZBc36NZ
>>183
縁起によって消滅する現象が空ではなくて縁起によって和合したものを空といったのだと思います。
0187神も仏も名無しさん
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2018/12/18(火) 18:56:22.45ID:/+AGXll+
>>185
それは概念としての色です。それは言葉でしか説明できません。
言葉で説明することを概念と言います。
では色自体を説明できますか?言葉よりも、概念よりも早く生滅する色を。
真理は諸行無常です。それはあまりにも早く、言葉、概念が追い付かない世界を言います。
そこには色も無く、心も無い。何も無いから空です。
この場合本当に何も無い虚無という意味ではないですよ。
認識できないという意味です。
0188神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 19:11:28.47ID:gZBc36NZ
>>187
すみません、テーラワーダの教義だと
「生 、住 、滅という 3刹那が 1心刹那です 。その心刹那 1 7回が 、物質というもの (色法 )の寿命 ( 1刹那 )です」
とちゃんと生滅の時間まできっちりと説明されるんですねえ。
0189神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 19:47:25.94ID:/+AGXll+
>>188
ですからその説明も概念でしょ?頭の中の。
色自体を観察して、実際は地水火風の四大分別観、カラーパの生滅を観察して、
これはこのような色である、と言えないという事です。
その感じている「それ」は言葉、概念の無い世界、という意味です。
0190神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 19:51:40.30ID:/+AGXll+
アビダンマもダンマ、法でしょう?意門の対象でしかないです。
現実は、実際の世界は眼耳鼻舌身意であって、それらはいくら意門で、法で処理しようとしても無理ですよ。

教学をいくら頑張っても、瞑想体験は理解できないです。
瞑想の世界は概念の無い世界です。
0191神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 19:57:27.27ID:gZBc36NZ
>>187
>では色自体を説明できますか?言葉よりも、概念よりも早く生滅する色を。

これは概念ではないですか?頭の中の。
0192神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 20:04:30.86ID:/+AGXll+
>>191
はい。人間なので言葉で説明しなければいけない。
その場合は概念を使う必要がある。しかし現実には概念は当てはまらない。
概念を作った時点で現実は過ぎ去っている。
それを諸法無我といいます。法は実物ではない。
逆に言えば実物は法で表せない。
0194神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 20:36:43.93ID:gZBc36NZ
>>190
テーラワーダの教義では六境の法所縁とは、浄色 、細色 、心 、心所、涅槃、施設という6種類にまとめられます 。
浄色とは眼耳鼻舌身根のことです。
その6種類で一切です。一切法無我の一切法には当然眼耳鼻舌身も含まれています。

>>192
概念より早く生滅する色
は概念ではないのですか?と訊いています。
概念ではないのなら
概念より早く生滅する色
の証明をしてみてください。
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 20:38:34.23ID:gZBc36NZ
>>193
なるほど

ではポーティラのようにならないために
概念より早く生滅する色
の実証をしてみてください。
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 21:11:20.21ID:/+AGXll+
証明になるかどうか分かりませんが。
https://pao.hamazo.tv/e5605641.html

カラーパの生滅に無常、苦、無我を観ることになっています。
無我であれば、実体は無く、概念で説明することは出来ません。
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 21:21:50.68ID:/+AGXll+
また四界分別観として、呼吸に風の要素を感じる、
身体の重さ、地を感じる、身体の熱、火を感じてみたりすると、
それらは超高速で変化しており、概念などが当て嵌らないことが分かります。
0198神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 21:29:55.09ID:/+AGXll+
>>194
その浄色も概念です。
眼耳鼻舌身意について考えた、思考した、概念としての眼耳鼻舌身意です。
現実の眼耳鼻舌身意には名前がついていません。
実際には眼は無い、というか眼ということはできない、瞬間瞬間に生滅している何かです。
0199神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 22:04:58.51ID:gZBc36NZ
>>196
>カラーパの生滅に無常、苦、無我を観ることになっています。

なっています、ということはあなた自身はそれを体感してないのですか?
なっています、だけでは概念の域を超えません。
あなたはそうなるはずだという概念を信仰している段階です。
>>188の17刹那もカラーパも似たようなものです。どちらも信仰ですし、体感したものには現実となるでしょう。

>>197
>それらは超高速で変化しており、概念などが当て嵌らないことが分かります。

超高速で変化しているという概念が当てはまるでしょう。
変化しているということがちゃんとイメージ、認識できれば充分です。
0200神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 22:08:21.39ID:gZBc36NZ
>>198
>実際には眼は無い、というか眼ということはできない、瞬間瞬間に生滅している何かです。

眼が瞬間瞬間に生滅していることの実証をしてみてください。
移り変わりの実証ではなく、刹那生滅していることの実証です。
0201神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 22:13:10.92ID:/+AGXll+
私はカラーパはやってませんが、四大は観察してます。
超高速で変化しているという概念は諸行無常です。
諸行無常は法です。現実では無いんです。
諸行無常について考えても、イメージしても、本を読んでも、諸行無常を理解したことにはならないです。
戒を守って、サマタ瞑想をして心を落ちつけ、現象、諸行を観察して初めて諸行無常が理解できます。
十六観智の生滅智あたりです。
0202神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 22:18:01.04ID:/+AGXll+
>>200
ヴィパッサナー瞑想が実証の作業というか実行ですね。
0203神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 23:25:57.02ID:gZBc36NZ
カラーパもニミッタも刹那滅もお釈迦様ゴータマ尊の教えではありません。
刹那滅、刹那生滅は部派仏教の時代に法有と無常の辻褄合わせをするために生まれた概念であってお釈迦様の教えではありません。
0204神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 08:20:12.87ID:ORIDQHX8
確かに刹那とか、現在の瞬間というのは理論上、概念上のもので、実際に触れたり認識したりはできないでしょう。
地球の中心みたいなものだと思います。理論上存在はするが、誰も見たことが無い。
しかし実際に瞑想してみれば、一刹那でなくても、個人個人の気づきのスピードで生滅は観えます。
その気づきのスピードが瞬間的にでも、十分に早くなったとき、現象のスピードに近づいた時に、真理が見えるんだと思います。

ニミッタについては実際見えるものだからしょうがないです。
仏典では梵天が光と共に現れたりしますが、梵天は禅定の結果ですし、禅定に入る時にニミッタを使ったりするので、
光と禅定、梵天は関係が深いんじゃないでしょうか。
細かい瞑想テクニックについては結集の時に、あえて仏典から外した可能性はありますね。混乱を避けるために。
0206神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 12:29:50.73ID:48HTTA+E
スマナサーラ   麻原は自分が瞑想していると、チカチカ光が見えたと自慢げに語っていました。
それで、自分が最終解脱に達したのだと言って、教団までつくってしまった。
解脱に達したならば、犯罪を起こすどころか、うそをつくといった罪さえ犯すことはないでしょう。
 呪文などを唱えると、脳がくたくたに疲れてきます。そのとき、予測外の現象が起こります。
よくあることは、光を見ることです。目の前にある光ではなく、脳が勝手に光を認識してしまうのです。
迷信・先入観のある人にとっては、驚くべき経験です。
しかし、なんのこともありません。脳の幻覚なのです。

スマナサーラ   脳は幻覚をつくります。夢のような幻覚は誰にでも起こります。
呪文を唱えるなどの特定の訓練をして、幻覚を引き起こすこともできます。
いい悪いを別として考えると、幻覚をつくることは脳にとって異常現象ではないのです。脳の普通の働きなのです。
 このポイントは、脳の機能を開発するために仏教でも使用しています。
特に、集中力を育てるサマーディ瞑想の場合は使用します。呼吸だけ観察して、ほかの思考を抑える修行をします。
脳にとって、普通とは違った訓練です。その結果、脳が光の幻想をつくり出します。
仏教の場合、それに驚いたりしません。自分の瞑想修行は進んでいる、というしるしなのです。
 次のステップに入って、その幻覚を管理してみようとします。見えた光が小さなものなら、大きくしてみるのです。
かすかな光なら強い光にしてみるのです。光が大きく見えたならば、それを徐々に小さくしていくのです。
このように、自由自在に光の幻覚を制御してみるのです。それも瞑想修行のひとつです。
幻覚とは、本人に管理できない現象のはずですが、仏教のサマーディ瞑想の場合、管理できない幻覚を管理してみるのです。
 その結果、観察能力が向上します。幻覚はまさに幻覚であること、事実ではないということを、はっきり理解できるようになります。
幻覚によって頭がおかしくなるということは、まったくありません。
「悟ったぞ」という誤解も起こらないのです。

アルボムッレ・スマナサーラ; 有田秀穂. 仏教と脳科学: うつ病治療・セロトニンから呼吸法・坐禅、瞑想・解脱まで (サンガ新書)
0208神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 17:42:57.70ID:Jhc64/Jf
今日も仏教の勉強をしていたのですが、やっぱり頭での理解ではだめで、体感からくる理解が必要なんですね。
12縁起のことを振り返っていたのだけれど、
毎日の瞑想実践のおかげで、以前より、納得度が増して感じられました。

ありがたいことです。
0209神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 18:01:01.11ID:u1IUUE0w
>>206
なーに他人事みたいに言ってんだよ。
シンハラ人仏教徒による異教徒虐殺にシラをきっているくせに。
今なお続く、シンハラ人仏教徒の異教徒迫害にも嘘を教えてる分際で。
破戒僧スマナサーラが他人を叩くときは自分等の問題を隠したい時。
0210神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 18:03:02.37ID:u1IUUE0w
これがオウムより危険な公権力と一体化したスリランカ仏教の危険性のごく一部。

スリランカ仏教僧侶イスラム教徒の商店を襲撃
https://www.youtube.com/watch?v=xETXBF9UgsA
スリランカ仏教僧侶ロヒンギャ難民を攻撃
https://www.youtube.com/watch?v=shEUdSxiuS4
スリランカ仏教僧侶キリスト教会にテロ
https://www.youtube.com/watch?v=8S_YRGybdjw
スリランカ仏教僧侶キリスト教施設にテロ
https://www.youtube.com/watch?v=BDbOr1bSkds
スリランカ仏教僧侶カトリックを脅迫
https://www.youtube.com/watch?v=A_QtZxpdH48
スリランカ仏教過激派BBSによるイスラム教徒襲撃
https://www.youtube.com/watch?v=Ds0AB8ISOko
イスラム教徒の店を襲撃
https://www.youtube.com/watch?v=0eLfJWydlqg
スリランカ仏教の暴力的側面
https://www.youtube.com/watch?v=VRB3aS75ZLY
レイシスト坊主ウィラトゥ、スリランカ仏教僧侶と共闘
https://www.youtube.com/watch?v=MM0ZwphBbcc
https://www.youtube.com/watch?v=9Ws5wjjJJK4
暴力をふるうスリランカ仏教僧侶
https://www.youtube.com/watch?v=nTYvSWOpcdc
0211神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 18:05:14.59ID:u1IUUE0w
スマナサーラカルトの話題はこっちでやれ

【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1525741182/
ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1289708760/
テーラワーダ仏教協会を批判スレ [無断転載禁止]・2ch.net
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1498970887/
【上座】アルボムッレ・スマナサーラ専用スレ【仏教】2(ワッチョイ・IPなし)
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1525744160/
仏教界の勝ち組、佐藤哲朗さんについて語ろう!
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1318228341/
0212神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 19:13:17.26ID:ydKPoyla
>>204
生滅というか、例えば想念(イメージ、表層、表象)は精神統一できずに雑念が湧きすぎる場合は言葉でのラベリングが追いつけないほど次々ど湧いてくるのは確かですね。
でもその時の「言葉でとらえるのが追いつかないほど想念、雑念が湧いてきた」という認識もまた虚妄とは言えないと思います。
その認識も無常だから虚妄であるという仏教的な言い方は出来ますが、そういうことで混乱を招かぬように龍樹は中論24章で、

24-8
二諦をもって、すべてのブッダは法を説かれた。世俗諦と勝義諦だ。

24-9
この二つの真理を区別できない者は、ブッダの法の深く微妙な所をまだ理解しているとは言えない。

24-10
世間の言葉に頼らなければ究極の真理を説くことができない。
究極の真理に到達しないなら、涅槃を体認することはできない。

と釘を刺しておいたんですね。
果たして二諦をもってブッダが法を説いたかどうかというのはさておき。


あとナーマカラーパも元々は部派仏教で考案された概念です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/57/2/57_KJ00005421866/_pdf
この佐々木氏の論文の最後にあるような、カラーパとか極微とかの概念は説一切有部やテーラワーダの勝義諦(この場合はの勝義諦は龍樹の空とは違って自性のある法)と
整合性をつけるのが難しくなるのではという見方もあるという話には私もそうではないかと思います。
カラーパや極微はどのみち概念なので整合性があろうがなかろうが真理には関係のない話ですが。
もちろん人間の眼は顕微鏡ではないのでカラーパを見ることはできません、しかしカラーパというのがあると最初に聞かされてから瞑想を進めるといつかカラーパが認識できるようになるかもしれません。
プラシーボ効果と同じようなものだと思っております。
0213神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 19:46:14.48ID:ozf6W4on
カラーパは概念じゃないと思う。目を瞑るとものすごい数の粒子が見えるよ。
0214神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 20:19:56.55ID:M6yC2rJk
瞑想しなくても見えるよねそれは
子供の時から見えてる
けど大人になって瞑想していくうちに消えちゃった
加齢で消えたのかもしれないけどww
0215神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 20:21:37.01ID:ydKPoyla
>>212
ルーパカラーパだった…
0216神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 20:24:14.58ID:ORIDQHX8
>>212
言っていいかどうか分からないですが、ラベリングも全部、虚妄ですよ。
「膨らみ」「縮み」とラベリングしても、実際には何も膨らんでないし、何も縮んでない。
お腹の感覚に、自分で勝手にラベリングしたんです。勝手に名前をつけても、それは真実にはならない。

下らない妄想には雑念と名付け、真理に対する妄想は聖なる思考だ、勝義諦だと名付けても、
実際はどちらもただの思考、妄想ですよ。何かの因縁で生まれ、消えるはずのただの妄想です。
だからブッダだろうが何だろうが、一切の概念は虚妄ですが、
その事を世界で最初に発見されたブッダは偉大です。

個人的にはカラーパは網膜の神経細胞だと思います。
液晶ディスプレイは小さな光のドットの集まりですが、網膜にも神経細胞がたくさん集まっているみたいです。
集中力が高まるとひとつひとつの神経細胞の情報が強くなって、ツブツブが見えてくるんじゃないですかね。
0217栄進
垢版 |
2018/12/19(水) 20:25:31.06ID:lbG+opqn
>>213
飛蚊症^^
0218神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 21:24:34.38ID:ORIDQHX8
因縁により生滅する現象に対しては、欲を出すか怒りを出すかの反応しかない。理解できない、反応できない痴もあるが。
欲、怒りを出すと我が生まれてしまう。対象を「私」の方に引きよせたい、「私」から遠ざけたい。
現実には現象が生まれ、消えただけなのだが、「私」という余計な妄想、錯覚が生まれてしまう。
この私という錯覚が輪廻を継続させてしまう原因で、さらに新しい現象、サンカーラ、眼耳鼻舌身意を生む。
そしてまたその現象に対し、欲、怒りを出すが、現象は一時的であるから欲は完全に満たされることはなく、
怒ろうが怒らまいが、嫌いな現象は因縁によって生まれてしまう。
よって輪廻の中で永久的に苦しみ続ける。解脱するまでは。
0219神も仏も名無しさん
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2018/12/19(水) 22:00:47.56ID:48HTTA+E
一切皆虚妄

色即是虚妄
虚妄即色

虚妄亦復虚妄
0220神も仏も名無しさん
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2018/12/19(水) 22:01:54.87ID:48HTTA+E
>>218
解脱もまた虚妄
0221神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 08:11:51.59ID:JTeri1pi
>>220
一切が虚妄であると知った人はその一切を捨てる。
一切が、現象が、サンカーラが停止した状態が涅槃。
涅槃だけが虚妄ではない真実。
一切の虚妄を捨て去る事を解脱という。
0222神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 08:36:36.62ID:v64e71u1
>>221のレスも虚妄
0223神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 08:42:00.83ID:JTeri1pi
>>222
そう。
一切の言語、概念、思想、見解、教義、経典は虚妄であるから、
それらを捨てさって瞑想に専念しなければいけない。
瞑想によって涅槃を体得することだけが真実。
0224神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 08:44:13.39ID:v64e71u1
>>223のレスも虚妄
0225神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 09:07:37.17ID:JTeri1pi
嘘をつき地獄に落つるものならば なき事作る釈迦いかがせん
一休

虚妄を語ったブッダは地獄に落ちなきゃおかしいw
0226神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 09:12:34.87ID:JTeri1pi
世の中はまどろまで見る夢のうち 見てや驚く人の儚さ
一休

世の中は全て夢、幻なのに、世間の人はそれを見て驚く、儚いことだ。
0227神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 09:19:32.35ID:JTeri1pi
世もすがら仏の道を訪ねれば 我が心にぞ訪ね入りぬる
一休

世の中を、仏道を探して歩くなら、自分の心の中を探すとよい。
0228神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 10:12:39.80ID:v64e71u1
以上、虚妄を書き連ねた虚妄のレスの三連投ですた

ついでに
>>223
瞑想も亦虚妄
0229神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 10:16:04.25ID:v64e71u1
一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄である

一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄である

一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄である

一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄である

以下エンドレス 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0230神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 12:17:54.55ID:JTeri1pi
>>229
一切の想いを無くせばその無限ループ、虚妄は止まる。
禅語では莫妄想。
道元禅師が言う非思量。
一切の想い、虚妄を手放す訓練をヴィパッサナー瞑想という。
0231神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 12:26:01.11ID:v64e71u1
一切の想いを無くせばその無限ループ、虚妄は止まる。

という思考、思想、考察、そしてそのレス文もまた虚妄。
0232神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 12:26:40.17ID:JTeri1pi
837 師は答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。
諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤(かご)を)見て、固執することなく、
省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」

839 師は答えた、「マーガンディアよ。『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、
わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である)」
0233神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 12:29:21.80ID:JTeri1pi
嘘をつき嘘と知らする嘘こそは これぞまことの赤まことかな
一休

一切は虚妄であるという言葉も虚妄ではあるが、これこそが真実の中の真実。真っ赤な真実。
0234神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 12:31:07.54ID:JTeri1pi
9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである
0235神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/20(木) 12:33:32.35ID:JTeri1pi
「一休の釈迦をそしりたお蔭にて 多くの人がうろたえぞする」 一休

一休がブッダをディスったから色んな人がうろたえた。一切が虚妄であることを知らないから。
0236神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 13:06:53.79ID:J3xtgDoJ
ニミッタを見たらそれを心臓にあわせるんだっけ?

それってお釈迦様が説いたことなの?
0237神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 16:36:13.78ID:v64e71u1
『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。
『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である)」とわたしは説く。
0238神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/20(木) 20:09:53.02ID:JTeri1pi
271 、272 、 わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。
それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。
修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。
http://www.j-theravada.net/howa/howa158.html
0239神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 21:28:04.03ID:PlRBHBqa
無明は虚妄であり無明が尽きることがないのも虚妄であり
老師も虚妄であり老師が尽きることがないのは錯覚である
苦しみも苦しみの原因も苦しみの消滅も苦しみをなくす修行の道も虚妄である
智恵も虚妄で得るというのも虚妄である

そして以上のまた説法も虚妄である
0240神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 21:28:37.53ID:PlRBHBqa
老師は虚妄であるが老死もまた虚妄である
0241神も仏も名無しさん
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2018/12/20(木) 21:55:40.99ID:opeTSZeo
結局、初期大乗仏教の人達(般若時の比丘)が空病に陥らないためもあって空即是色とわざわざ入れたように、空とか虚妄のままで終わったのでは話が成立しないわけで。
言葉、概念、それらは真実ではなく虚妄である、虚妄であるがゆえに世間でのコミュニケーションのためには共通概念を見出し概念に言葉をつけて分別する、
と色即是空空即是色と同じことをしないと虚妄病に陥ってしまうのですね。

それから真実というのは本当に今の瞬間でしかないのか、極端に言えば今見えているペテルギウスは500〜700年前の姿を眼識で識別しているわけですが、
この私たちが見ているペテルギウスは今現在のペテルギウスではなく過去のペテルギウスなわけです。
しかし、だからといってそのペテルギウスが真実ではないといえるのでしょうか?
真実とは今だけなのかそれは定義によって変わります。
0243神も仏も名無しさん
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2018/12/21(金) 08:14:26.71ID:AeAZf1m4
仏教で一切と言う場合には行と法の2種類あって、諸法は無我で、実体が無く、ただの概念であるから虚妄。
一切の諸行は実際に眼で見たり耳で聞いたりする事だが、それらは一瞬で生滅していて全く捉えることができないから皆空。または皆苦。
過去は妄想、未来も妄想、現在の一瞬には、認識できないほど刹那的な何かが眼に、耳に触れているだけ。
その瞬間的な何かを蓄積して、まとめて、合成して、虚妄である概念、法を作り出して認識している。
この認識プロセスを見破る事ができれば、認識の原因、虚妄の原因、諸行を止める事ができる。
諸行が停止した状態、認識が停止した状態、虚妄が停止した状態を涅槃という。

極端な虚妄論者、虚無論者、空論者は一回思いっきり殴られると目が覚める。
痛いの?怒るの?何で?虚妄なのに?空なのに?
0244神も仏も名無しさん
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2018/12/21(金) 09:28:34.28ID:4JyTepTO
>>243
>仏教で一切と言う場合には行と法の2種類あって、諸法は無我で、実体が無く、ただの概念であるから虚妄。

テーラワーダ 仏教では色、心、心処、涅槃の4つのみが実在(実体、自性のあるもの)としています。
物事は瞬間的にしか成立しないので、瞬間を構成していある、或いはその可能性のある要素が実体です。
0246神も仏も名無しさん
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2018/12/21(金) 10:17:39.52ID:4JyTepTO
それ自身の本質を梵語でsvabhavaといい、鳩摩羅什はsvabhavaを自性と訳しました。
近年の日本ではsvabhavaの訳として西洋哲学でよく使われる実体という言葉を当てます。

一切のsvabhavaは空であると説いたのは龍樹です。

テーラワーダとかの部派仏教はそうではないです。
人無我についてはアートマンなる常一主催はないということで理解し、法についてはそのsvabhavaは実在するとしています(法有)。
0247神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 12:07:47.34ID:AeAZf1m4
テーラワーダにおける自性とは

パーリ仏典において、一般的に最初期であると考えられている文章の中に、自性は出てこない。
後期のミリンダ王の問いに出てきて、そこでは「(心の)状態」「真実の性質」という意味で使われる。
アビダンマにおいては、最小単位の、縁起による、瞬間的な現象と、一般的に作られた物体を区別する為に使われる。
したがって、視覚、触覚の連続により、一般的に「テーブル」と呼ばれるものが心の中で作られるが、
それら構成要素の向こうに、「テーブル」という実在(自性)は無い。

ピーターハービーによると、テーラワーダのアビダンマにおける自性は、条件的で、相互依存するものである。
「法は自性、独自の性質を維持し、条件によって、またその独自の性質によって維持される。(Asl.39)
ここでいう独自の性質とは、その法に固有の特別な性質ではなく、直前に生じた法と、その法を支える条件によって生じるものである。
大乗仏教が批判する説一切有部の自性と、テーラワーダのそれとはおおよそ無関係であることは重要である。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Svabhava#Therav%C4%81da
0248神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 12:26:44.69ID:AeAZf1m4
説一切有部の自性は実在論+性質論。
テーラワーダの自性は無常論+性質論。

テーラワーダで言う自性があるは、無常で生滅する現象には、心、心所、色、涅槃の4つがあって、それぞれの性質はいろいろですよ、という意味。
実在に関しては最初から最後まで無我。現象に関しては最初から最後まで無常。
0249神も仏も名無しさん
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2018/12/21(金) 12:33:18.20ID:AeAZf1m4
しかもテーラワーダが一番大事にするパーリ仏典に自性は無く、外典、注釈書にチラっと書いてあるだけ。
0250神も仏も名無しさん
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2018/12/21(金) 12:36:42.54ID:4JyTepTO
>>247
テーブルは説一切有部でもテーラワーダでも実体ではありません。
テーブルを構成する諸々の法の中でも勝義の法に実体があるとします。
テーラワーダではテーブルはその法による施設であるとします。

>>248
実在に関してはテーラワーダでは何刹那から実在していることを認めます。
刹那住している間は実在です。
経量部の現在有体過未無体と同じようなとらえかたです。
0251神も仏も名無しさん
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2018/12/21(金) 12:38:17.73ID:4JyTepTO
>>249
説一切有部でも経典はアーガマ(パーリだとニカーヤ )なのは一緒ですよ。
そのアーガマには自性という概念はおそらくはありません。
0252神も仏も名無しさん
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2018/12/21(金) 12:45:11.14ID:4JyTepTO
五位

類似概念

上座部大寺派
なお、上座部大寺派、すなわち現在の南伝上座部仏教では、『アビダンマッタ・サンガハ』などの記述に依り、
以下の計170法を、「性質(=自性)が変わることが無い法」としての「勝義法」(第一義法、巴: paramattha dhamma, パラマッタ・ダンマ)として挙げる[25]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BD%8D
0253神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 12:54:15.57ID:AeAZf1m4
じゃあもう自性という概念は使わなくて大丈夫ですね。
問題は刹那に生滅する現象は実在かどうかですね。
理論的には何かがあると言えそうですね、現在の瞬間に。
ただそれを誰が認識できますか?捉えられますか?掴んでおくことができますか?
捕もうと思っても捕めない、認識しようにも認識できない、幻のような、空虚な、雲のような、幽霊のようなものが実在ですかね。
実在するとか、しないとかが成立する以前に消えていく「それ」が実在ですか?
0254神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 13:31:20.87ID:4JyTepTO
>>253
何をごちゃごちゃ言われてもテーラワーダの教理ではそうなっているというだけでありまして、私自身の見解は述べていません。
ただ、テーラワーダではそう説いているということを紹介しているだけです。
納得いかないのならテーラワーダのお坊さんに質問してみてください。
0255神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 13:46:16.49ID:AeAZf1m4
そもそもアビ「ダンマ」、勝義「法」ですからね、全て理論であって実体は無い、無我。
心も心所も色も涅槃も実体は無い。仮に「ある」としての議論ですからね。
しかもアビダンマはただの注釈書で、読んでも読まなくてもどうでもいいものがテーラワーダの教理では無いでしょう。
0256神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 13:49:03.53ID:4JyTepTO
心自身もものすごい速さで変化生滅を繰り返しているということには 、もっと気づきにくいのです 。自分が自分を知ることは 、大変難しいことなのです 。

どういうことかといいますと 、心が生じたときは 、その心で外界を認識しますから 、自分の心はいつでもそこにあるのです 。
自明のことになってしまうのです 。
自分のことは調べもせずに 、心が生じて認識できるようになったら 、すぐ「『私が 』 、外界を見ている」と、「私が」という気持ちがかならずセットで生まれるのです 。
心が生まれて外界を認識しているときには、認識する 「私が」いることには、疑いは起こりようもないのです 。
「我思う 。ゆえに我あり」な世界なのです 。

では、心が滅しているときはどうでしょうか 。
滅したときは、さすがに心も滅するのだと分かるでしょうか 。
無理ですね 。心が滅したので 、滅したことに気づく 「私が 」いないのですから 。
寝ている間のことは、寝ていると分からないのす 。
だから、「私 」の刹那滅・無常、つまり無我に、なかなか気づけないのです 。

幸か不幸か、普通の心の認識能力では、ちょうど物質 1回分の寿命、1 7心刹那くらい生滅を繰り返して、やっと対象を認識するようになっています 。
テキストはこれから心の対象認識の仕方を、ちょうど、物質1回分の寿命 、1 7心刹那分で分析します 。

(『アビダンマッタサンガハ』を読む 藤本晃)
0257神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 13:52:58.25ID:4JyTepTO
>>255
経典だけならどの部派も使ってるものは基本一緒なので部派の主張は論書にありますから、テーラワーダの教義といえばテーラワーダのアビダルマになるのです。
ちなみに中論は龍樹の論書ですが、その元になっている経典はアーガマであって対立派(説一切有部といわれている)と変わりません。
0258神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:01:40.89ID:AeAZf1m4
>>257
じゃあテーラワーダはブッダゴーサが開祖になってしまう。
アビダンマは説一切有部に反論しただけでしょう。どうでもいいものです。
0259神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:07:02.76ID:AeAZf1m4
しかも説一切有部は色んな方面から批判されて大昔に消えたんでしょう?
消えた部派に対する反論を教義とは言えないでしょう。
0260神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:07:16.54ID:4JyTepTO
>>258
説一切有部の教理も阿毘達磨発智論などのアビダンマ文献によって知ることができるのです。
テーラワーダの教理も同じです。

同じアーガマ(ニカーヤ)という経典を用いていても解釈の違いで教理は別れる。
その解釈が書かれているのが論書であり、部派仏教ではアビダンマが論書になります。

阿毘達磨
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AF%98%E9%81%94%E7%A3%A8
0261神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:07:59.78ID:4JyTepTO
>>259
批判されて消えたのではありませんよ
0262神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:17:49.46ID:AeAZf1m4
テーラワーダのお坊さんが、「誰もアビダンマを勉強しなさいとは言ってない。」
「興味が無い人は読まなくてもいい。」とおっしゃってます。
https://www.youtube.com/watch?v=c6yMQVFtDcA
0263神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:23:59.52ID:AeAZf1m4
テーラワーダのお坊さんが、「清浄道論は難しい、理解できない、ちょびちょびと参考にするだけ。」
とおっしゃってます。
https://www.youtube.com/watch?v=gwXJ6KEDDk8
0264神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:29:50.19ID:AeAZf1m4
>>260
仏教の基本は瞑想ですよ。経典は二の次であり、その解釈はさらに次です。
テーラワーダの教義も基本は瞑想でしょう。アビダンマは必須ではない。
0265神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:34:43.69ID:AeAZf1m4
テーラワーダ仏教はお釈迦さまの教えをできるだけ忠実に守ろうとするので、保守的だと言われることもあります。
でもテーラワーダでは、お釈迦さまの教え以上の道はないことを、自分たちの体験から確信しています。
お釈迦さまが説かれた道とは、簡単に言うと、四聖諦、因縁の教え、八聖道と、悟りを開いて解脱をするためのヴィパッサナー瞑想という修行方法です。
お釈迦さまは、解脱をするために必要なことは心の執着をなくすことであり、煩悩を消すことであるとおっしゃいました。
テーラワーダの長老方は、お釈迦さまの教えからはずれないように、ただ一心にお釈迦さまの教えを守っていくことに自分の全責任をおいていらっしゃいます。
お釈迦さまの教えに自分の解釈を加えたりすることは、いっさい拒否します。
そしてパーリ経典に記されたお釈迦さまの道からはずれないように生きることを何よりも大切にします。
http://www.j-theravada.net/pali/key-theravada.html
0266神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:38:47.26ID:4JyTepTO
>>264
テーラワーダの先人達は説一切有部の瞑想法に不満を持って別れたわけではなく、主に三世実有に矛盾を感じて別れたとされています。
それで法が実在するのは現在(の◯刹那)だけであるという教理に変えたと。

もちろんテーラワーダ流の観行瞑想もテーラワーダの教理です。修法も教学もどちらも教理です。
0267神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:40:34.81ID:4JyTepTO
>>265
スマナサーラさんは経典を紹介するときも自己流の解釈を加えて誤解を生じさせることが多々あるので、そこに書いてあることも鵜呑みにはしないことです。

以上、今日はおしまい。
0268神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 14:52:36.43ID:AeAZf1m4
私は十数年、スマナサーラ長老のお話を聞いて、誤解を生じたことは無いですが。
テーラワーダは三世実有に反論しただけで、現在の瞬間の法有がテーラワーダだ、と主張してないでしょう?
新しい何かの概念を作り出して、これがテーラワーダだ!!!と主張してるなら問題ですが。
0271神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 19:18:36.26ID:AeAZf1m4
「有にもあらず無にもあらざるその中に 我がふる里の人の知らずや」 一休

有るでもない、無いでもないその境地に私の故郷があるが、人はそれを知らない。
0272神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 19:22:16.02ID:AeAZf1m4
「心とて実には心のなきものを 悟るはなにの悟りなるらん」 一休

心といっても、実際には無いものなのに、悟りというのは何を悟るというのだろうか。
0273神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 19:34:38.15ID:AeAZf1m4
カステラを包丁で真っ二つに切り、左は過去、過ぎてしまったから捨ててしまおう。
右は未来、まだ来てないから捨ててしまおう。その間の現在を食べましょう。
0274神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 20:08:58.57ID:AeAZf1m4
ブッダの言葉にも、現在には実体が無いというものがあった。

過去に引きずられず
未来を期待しない
過去はすでに終わり
未来はいまだ現れてない
現在の法(現象)を
その場その場で観察する
しかし現在にも実体がないことを知る
そのように知る人に、成長がある
今日のうちに努力すべきである
明日は死なないと知る方法はない
死王の大軍隊と関わりをもってはならない
このように努力する人の日々は好日である

http://www.j-theravada.net/kogi/kogi124.html
0275栄進
垢版 |
2018/12/21(金) 20:43:29.15ID:VU+n3zxE
ブッダは約束の時間守らんの^^
0278神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 23:10:31.74ID:dElS3nyk
Atîtam nânvâgameyya,
nappatikankhe anâgatam;
yadatîtam pahînam tam,
appattanca anâgatam.
Paccuppannamca yo dhammam,
tattha tattha vipassati;
asamhîram asankuppam,
tam vidvâ manubrûhaye.
 
過去に引きずられず
未来を期待しない
過去はすでに終わり
未来はいまだ現れてない
現在の法(現象)を
その場その場で観察する
しかし現在にも実体がないことを知る
そのように知る人に、成長がある

その場その場で観察する・・・tattha tattha vipassati
しかし現在にも実体がないことを知る・・・asamhîram asankuppam,
そのように知る人に、成長がある・・・・tam vidvâ manubrûhaye.

かな?

でもさ

asamhîram asankuppam を しかし現在にも実体がないことを知る
と訳すのはかなりの意訳 というよりも意図的な改竄

不動で、揺るぎない が直訳
https://76263383.at.webry.info/201601/article_8.html

実体という言葉をわざわざ入れて訳して果たしてよいものか・・・?
0279神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 23:50:02.41ID:dElS3nyk
>>274
経典のその部分の英訳

Do not recollect the past, nor desire the future,
The past is over, the future has not come.
These things of the present, see them with insight as they arise
Not faltering and not moved, think about them.
Today itself the dispelling should be done
Tomorrow death might come
We will not have any associations with Death and his great army
You should abide dispelling thus, day and night zealously,
This is the single auspicious attachment, the appeased sage tells.”

まあグーグルやエキサイト翻訳などて訳してみてw
0280神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 07:30:09.86ID:FQbYAarO
インドネシア ジョグジャカルタ

小乗仏教の読経の様子

https://youtu.be/hpFPj_VZi_8
0281神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 07:33:36.77ID:FQbYAarO
インドネシア

ジョグジャカルタ

精進料理をいただく様子
https://youtu.be/iB0BmdYmOgA
0282神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 08:35:38.16ID:r20U8CiM
asamhîram asankuppamは涅槃を示す慣用句みたいですね。

現在の法をその場その場で観察する、それすなわち涅槃であるが、智者はそれを修習する。

という意味ですかね。パーリ語は難しい。
0283神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 08:36:58.54ID:r20U8CiM
涅槃は無我ですから、実体が無いと訳してもよいと思います。
0284神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 09:12:35.88ID:L/5edhP6
>>283
仏教の世界でも、「無」「空」という概念は人気があります。
それは、虚無主義ではなく、我々が経験している現象の世界は、実は実体のないものです、という意味です。
この存在は、「空」というのです。

しかし、涅槃は「空」だというと、正しくないのです。
そうなると、輪廻も涅槃も同じものになるのです。であるならば、修行しなくても、努力しなくても良いことになるのです。
釈尊は、涅槃を anakkhâta (ineffable)表現不可能だと説かれているので、涅槃を「空」とは言わないのです。
しかし、「有」でもないのです。
その境地は観念的なものではなく、経験できるものです。
http://www.j-theravada.net/howa/howa125.html

というわけで、残念ながら涅槃を空=実体がないとするのは正しくないとスマは言っている

私見ながら涅槃を無我とするためには涅槃は無常であり苦であらなければならないと思う
しかし涅槃は果たして無常だろうか?苦だろうか?違うと思う
0285神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 12:21:48.65ID:FWDbBbXc
結局>>267なんですね。
0286神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:03:47.90ID:HuytOlJX
無為にして不生不滅
0287神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:04:11.70ID:r20U8CiM
涅槃は行が停止した状態だから、無常もない、苦もない。だから空もない。
しかし涅槃は法だから、無我。
空にも実体は無いが、無我も実体は無い。実体があるものは何もないから、
一切を虚妄であると知れ、世間を空と観よと説かれる。
0288神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:12:17.48ID:HuytOlJX
>>236
>それってお釈迦さまが説いたことなの?

心基を対象として禅に入るとか、そういうことなんじゃないの。

八正道の正定は、色界四禅を含む九次第定。
禅の定義は、五蓋が鎮伏され、(五)禅支のみがある状態。
その集中の対象は、呼吸瞑想においては呼吸。

呼吸を対象として完全な一境性がある時、名色がどうなっているか。
それは各自が確認すれば分かるはず。
0289神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:14:46.56ID:HuytOlJX
在家向けの指導内容に、仏教のすべてが包含されていると思っているとしたら
それはおそらく勘違いでしょう。
0290神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:18:14.97ID:HuytOlJX
禅定の入り方は、禅に入れる段階にまで達したら禅の先生に聞くのがよろしいと思います。
マハーシ式で修行している方は、マハーシ式の指導に忠実に沿えばよろしいと思います。

どこからどう進もうと、中道は中道。
結局のところ最終的には同じになっていくと思います。
0291神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:36:07.12ID:HuytOlJX
>>288
何かひとつの対象で禅定を習得できたら、それ以降は
任意の一点を対象にして禅に入れるそうです。

呼吸でなくとも、つま先でも心臓でも、何でもいいらしい。
サマタ40種類、ヴィパッサナーの対象の名色も多種多様。
0292神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:46:04.82ID:0NK8W7NI
>>291
何も考えずただ黙って座るのは、禅、瞑想ではないのでしょうか?
初心者です。
0293神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:53:06.00ID:HuytOlJX
>>292
禅、瞑想とは何かという本質的な問いのような気がします。
迂闊なことも言えませんので、何ともお答えしようがありません。
仏陀またはお師匠からのご指導を仰いだ方がよろしいのでは。
0294神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:56:11.90ID:HuytOlJX
本当に何も考えないでいられたら、それは凄いかも知れませんね。
わたしはどうしても無駄なことを考えてしまうので、どこか一点に注意を縛り付けておかねばなりません。
0295神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 15:59:56.23ID:0NK8W7NI
>>293
分かりました。
身体の一部に集中して瞑想してみたのですが、なかなか良い感じです。
よく集中できます。
0296神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 16:12:15.63ID:HuytOlJX
わたしも、一瞬でつま先に集中して禅定に入れるぐらいになりたいものです。
0297神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 16:25:44.31ID:L/5edhP6
>>287
スッタニパータ

756
見よ、神々並びに世人は、
非我なるものを我と思いなし、
<名称と形態>(個体)に執著している。
「これこそ真実である」と考えている。

757
或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、
そのものはそれとは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。

758
安らぎは(nibbanam)虚妄ならざるものである。
諸々の聖者はそれを真理であると知る。
かれらは実に真理をさとるが故に、
快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
https://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201501/article_14.html

世尊いわく涅槃は虚妄ならざるもの
0298神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 16:49:23.83ID:r20U8CiM
>>297
涅槃には諸行が無い、識別作用が無い。
一切が無い。だから虚妄も無い。
そこには何も無いからこそ言葉で説き得ないと言われる。
0299神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 17:34:48.28ID:HuytOlJX
>>283
>涅槃は無我

>>298
>涅槃には一切がない。
>そこには何もない

無常なる一切の中に涅槃を含めてしまうのですか?
それとも、一切の中に涅槃を含めないのですか?

>>284 が既に指摘していますが、改めて確認してみて下さい。
0300神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 19:21:56.94ID:r20U8CiM
これが涅槃だ、ここに涅槃がある、涅槃を見た、涅槃を聞いたという事は無いでしょ?
涅槃は概念、法。諸法無我だから涅槃は無我。
涅槃は無明が無くなった状態だから、行も無い、名色も無い、六根も無い。
生命にとっては六根が全て、一切であり、涅槃には一切が、六根が無いという。
一切が、諸行が無いから無常も無く、苦も無く、空も無い。

法と行、ダンマとサンカーラは仏教のキモ。瞑想して「あぁこれが法か」「あぁこれが行か」というのを体験として理解しないと、なかなか難しい。
0301神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 19:23:17.21ID:HuytOlJX
>>300
根本的に勘違いしてると思う。
0303神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 19:26:05.21ID:HuytOlJX
>>300
>涅槃は概念

この一言にすべてが集約されてる。
0304神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 19:26:51.29ID:HuytOlJX
一切って、有為法のことでしょ。
0305神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 19:36:05.87ID:r20U8CiM
有為法というか有為ですね、一切は。
有為という単語はブッダの単語じゃないと思います。
行、サンカーラ、形成作用とか言ったりします。原始仏教では。
0306神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 19:37:41.84ID:AzdZ3r9m
よく涅槃が一切に含まれるかどうかが議論されますが、テーラワーダの教義、教義というのに差し支えがあるならテーラワーダのテキストのアビダルマッタサンガハ、では涅槃は一切に含まれます。


所縁 (対象)でまとめると 、所縁とは 、色所縁 、声所縁 、香所縁 、味所縁 、触所縁 、法所縁という 6種類です 。
その (六所縁の)中 、色が色所縁です 。同様に 、声などが声所縁などです 。
法所縁とは 、浄色 、細色 、心 、心所 、涅槃 、施設という 6種類にまとめられます 。
(アビダンマッタサンガハ)

(藤本晃の解説)
意門に入るもの 、つまり心の対象となるものは 、ただ 「法 」とだけ言われることが多いです 。
この場合の 「法 」は 「ものごと 」という意味ですので 、何でもかんでも 、ということです 。
過去のこと 、現在のこと 、将来のこと 、あるもの 、ないもの 、何でも 、心で受け取ることができるものが 、対象です 。
とりあえずここで分類しているのは 、まず物質です 。
第六章 「物質の分析 」で詳しく分析されますが 、物質についても 、意門で感受するという視点から 2つのものが挙げてあります 。
1つは浄色です 。これは 、眼耳鼻舌身根のことです 。
根とは 、機能です 。特に 、物質 ・身体にある方の 、見る聞く嗅ぐ味わう触れて感じるための機能です 。
眼球には見る機能があります 。聞く機能はたぶんないと思います 。その場合の眼球が 、見るための浄色です 。
このような感覚器官を 、意は対象として感じています 。
細色とは 、物質そのものより 、物質から受け取れる感受の方です 。目では色を受け取ります 。その色が 、細色と呼ばれます 。
同様にして 、声 、香 、味 、そして 「触れられるもの 」は地 (固さ )と火 (熱 )の 2種類に分けられますので 、 6種類が 、意によって受け取れる物質です 。それが細色です 。
心と心所は 、心ですから 、当然 、意の対象です 。
涅槃も 、変な話ですが 、意の対象です 。
最後の施設とは 、 「仮に設定したもの 」ということで 、本当は存在しない 、空想 、妄想の産物ということです 。
「亀の毛 」などという意味だけでなく 、 「家 」とか 「人 」 、 「車 」などというものも 、仏教から見れば組み合わせただけの 、実在しない施設です 。
0307神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 19:51:49.42ID:r20U8CiM
法は意門の対象としての法と、概念としての法の二種類ある。
意門の対象としての法は、行により、因縁により生滅している無常の現象。
概念としての法は、法が意味する概念。
例えば涅槃について思考する。その思考は因縁により生滅している。
涅槃という単語が示す、概念としての涅槃は実体を持たない、無我。

ちょっと怪しいけど、Wikipediaにも二種類の法について説明されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
0308神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 20:00:28.48ID:r20U8CiM
《法句経》の中で、仏陀は言いました:「諸行無常;無行是苦ママ、諸法無我」(Sabbe saṅkhārā anicca;sabbe saṅkhārā dukkha;sabbe dhammā anatta )
諸行とは一切の色法、心及び心所を含みます。そして、諸法は、諸行を含む以外に、涅槃と概念法を含みます。
あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。
諸行は無常・苦・無我ですが、涅槃は常、楽、無我なのです。
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352
0309神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 20:11:17.67ID:HuytOlJX
確認ですが、
涅槃は諸行には含まないが、諸法には含むという包摂関係ですか?
0310神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 20:41:17.10ID:r20U8CiM
そうですね。
ただややこしいのは、涅槃についての思考は諸行に含まれますね、確かに。
でもそれは涅槃というより思考ですからね。どうでもいいものです。
0311神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 21:02:34.64ID:L/5edhP6
>>308のパオ・セヤドーの問答も別にどうでもいいものだということ?
0312神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 21:13:45.01ID:r20U8CiM
パオセヤドーは瞑想により涅槃に入ってから、涅槃についての考察をした訳です。
考えて、思考して、涅槃を入った訳じゃない。誰でもそうですが。
基本的に涅槃についての考察は、涅槃に入ってからじゃないと意味がない。
涅槃は瞑想しないと入れない。
まず最初の難関は預流果に悟ることで、預流果に悟れば後は瞑想するだけ。
預流果に悟るために勉強すべきなのは、六根、五蘊、無常、苦、無我、四諦八正道、七覚支、四念処ぐらいじゃないですかね。
あとは瞑想して悟ったお坊さん達のエピソードとか。
0313神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 21:17:59.93ID:r20U8CiM
スマナサーラ長老もアビダンマの解説、イヤイヤやってるみたいですからね。勉強しても無理なんだ、悟れないんだと。
でもお坊さんとしては説法を断わることはできない。質問されれば答えないといけない。
https://www.youtube.com/watch?v=gwXJ6KEDDk8
0314神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 22:18:21.47ID:L/5edhP6
>>312
>あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。

なぜ自分の涅槃の経験から答えずに仏陀の言説をもってくるかね?
0316神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 09:53:52.00ID:F/q1Mdd1
>>314
諸行無常、諸法無我は、普通の阿羅漢の智慧ではなくて、ブッダの究極の智慧から生まれた言葉。
涅槃を経験した阿羅漢でも、「それ」を完璧に説くことはできない。能力次第。
何故、智慧第一と言われたサーリプッタ尊者が存在したか。
智慧が無い阿羅漢もいたから。涅槃を経験し、執着は無くなったけども、
それを上手く言葉で表現する能力が無い阿羅漢もいる。
0317神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:05:38.60ID:F/q1Mdd1
ブッダによれば、現在の法、即涅槃だから、
現在の刹那生滅、実在、勝義諦、法有などと議論することは、
涅槃について議論しているようなもので、説き得ないものを説こうとしている。
0318神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:09:03.43ID:a/r9clvz
ここで弁が立つ人たくさんいるけど、彼らよりも語れない阿羅漢もいるんだよな。
そう考えると不思議だ。
でも出家者だったら勉強も沢山してるのかな。
0319神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:22:23.28ID:Q3hYl3WY
>>313
断れるよ。
スマナサーラのスケジューリングはテーラワーダ仏教教会事務局が
事務的に行っているし。
生身の人間が、オファー全部受けるとか無理なのわかんないか?
スマナサーラは、実際会って話してみると気まぐれで 話したくないときは
相手を無視しきってソッポを向く。餓鬼みたいな老人だ。
0320神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:24:25.60ID:k3yCj0BC
素直な感覚として、一切のなかに涅槃を含める教学的な意図が分からない。
だって一切行苦でしょう。

そして、輪廻は概念であって実在しないんだ、ってわけか。
おれは悟った。だから正しいぞ、と。
うーん
0321神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:26:58.77ID:k3yCj0BC
仏典や比丘の言葉を引きながら、如何に涅槃が虚妄かと力説するわけだが、
そもそも当の仏陀が、涅槃は虚妄であるなんて言いますかね。
0322神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:27:52.49ID:k3yCj0BC
涅槃の概念が虚妄に過ぎないとか、涅槃に関する議論は戯論に過ぎないと言うなら分かるのだけど。
0323神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:52:00.84ID:k3yCj0BC
悟ったという老師が、悟ると仏教のすべてを無効化するような
人を煙に巻くようなことを言って、人を当惑させる。

中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
と言い切って、机上の空論に陥る。

そういうのが嫌でテーラワーダに来ているのに、そのテーラワーダの
集団に向かって、虚妄主義の禅語を浴びせる意図も、よく分からない。
素朴な感想として、迷惑。
0324神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 10:54:10.62ID:k3yCj0BC
パーリ三蔵経典を仏陀の新説と信じて教学や行学に取り組んでいるのだから、
そういう人に向かって仏陀を殺せだの、涅槃は虚妄だの、わざわざここまで
出張して主張したいんですか?
0325神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:06:26.46ID:k3yCj0BC
禅語を語った老師は悟っているのかも知れないが
禅語を引用して自説を主張する人が、その老師のように悟っているとは限りませんしね。
0326神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:11:16.07ID:AkgaMVue
パオ・セヤドー問答集~#353~#366問答(16)問16-73-16-86<証悟涅槃編>14編。

問16-81 涅槃とは、常、楽、我であると言いますが、これは正しいですか?

答16-81 正しくありません。涅槃は恒常で、かつ寂楽ですが、しかし、無我です。

《法句経》の中で、仏陀は言いました:「諸行無常;無行是苦ママ、諸法無我」(Sabbe saṅkhārā anicca;sabbe saṅkhārā dukkha;sabbe dhammā anatta )
諸行とは一切の色法、心及び心所を含みます。
そして、諸法は、諸行を含む以外に、涅槃と概念法を含みます。
あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。
仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。
諸行は無常・苦・無我ですが、涅槃は常、楽、無我なのです。
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352
0327神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:12:03.68ID:AkgaMVue
よく涅槃が一切に含まれるかどうかが議論されますが、テーラワーダの教義、教義というのに差し支えがあるならテーラワーダのテキストのアビダルマッタサンガハ、では涅槃は一切に含まれます。


所縁 (対象)でまとめると 、所縁とは 、色所縁 、声所縁 、香所縁 、味所縁 、触所縁 、法所縁という 6種類です 。
その (六所縁の)中 、色が色所縁です 。同様に 、声などが声所縁などです 。
法所縁とは 、浄色 、細色 、心 、心所 、涅槃 、施設という 6種類にまとめられます 。
(アビダンマッタサンガハ)


(藤本晃の解説)
意門に入るもの 、つまり心の対象となるものは 、ただ 「法 」とだけ言われることが多いです 。
この場合の 「法 」は 「ものごと 」という意味ですので 、何でもかんでも 、ということです 。
過去のこと 、現在のこと 、将来のこと 、あるもの 、ないもの 、何でも 、心で受け取ることができるものが 、対象です 。
とりあえずここで分類しているのは 、まず物質です 。
第六章 「物質の分析 」で詳しく分析されますが 、物質についても 、意門で感受するという視点から 2つのものが挙げてあります 。
1つは浄色です 。これは 、眼耳鼻舌身根のことです 。
根とは 、機能です 。特に 、物質 ・身体にある方の 、見る聞く嗅ぐ味わう触れて感じるための機能です 。
眼球には見る機能があります 。聞く機能はたぶんないと思います 。その場合の眼球が 、見るための浄色です 。
このような感覚器官を 、意は対象として感じています 。
細色とは 、物質そのものより 、物質から受け取れる感受の方です 。目では色を受け取ります 。その色が 、細色と呼ばれます 。
同様にして 、声 、香 、味 、そして 「触れられるもの 」は地 (固さ )と火 (熱 )の 2種類に分けられますので 、 6種類が 、意によって受け取れる物質です 。それが細色です 。
心と心所は 、心ですから 、当然 、意の対象です 。
涅槃も 、変な話ですが 、意の対象です 。
最後の施設とは 、 「仮に設定したもの 」ということで 、本当は存在しない 、空想 、妄想の産物ということです 。
「亀の毛 」などという意味だけでなく 、 「家 」とか 「人 」 、 「車 」などというものも 、仏教から見れば組み合わせただけの 、実在しない施設です 。
0328神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:12:22.47ID:k3yCj0BC
涅槃が我だなんて、その質問者以外に誰が言ってるの。
要するに、恒常不変の真我ってことでしょう。
0329神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:13:18.56ID:k3yCj0BC
テーラワーダを攻撃するために、テーラワーダのテキストから引用してない?
0330神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:14:08.47ID:AkgaMVue
涅槃は恒常で、かつ寂楽ですが、しかし、無我です。
0331神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:15:37.32ID:k3yCj0BC
概念は生滅するものであるのに、生滅しない涅槃が同じカテゴリーに分類できるのは何故。
0332神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:16:16.58ID:k3yCj0BC
>>330
繰り返しになるが、涅槃が我という主張はしていない。
0333神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:17:57.43ID:k3yCj0BC
>>326
文脈から類推するに、涅槃についての概念を、概念法としているだけのことではないの。
その文章の原文と翻訳者の確認をとらずに、5ちゃんの名無しの恣意的な引用を真に受ける気にはなれない。
0334神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:21:59.16ID:k3yCj0BC
本当に仏陀の親説なら、三蔵のなかに典拠を求められるはず。
0335神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:25:46.65ID:k3yCj0BC
経典の中で、仏陀が一切について述べた経文を読んだ記憶によれば
五蘊、十二処、十八界のことを一切と言っていたのであって、そこに
涅槃を含めるような意味にとれる文言を見かけた記憶はない。
0336神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:26:13.98ID:AkgaMVue
>>323
>中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
>に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
>と言い切って、机上の空論に陥る。

戯論 けろん papañca(または、prapañca)。

国語辞典的には以下の通りである。
仏教用語。無意味で無益な 言論のこと。
愛着心から行う言論であるところの愛論と,偏見より行う言論であるところ の見論とがある。
仏教では形而上学的な議論は戯論に属する。

したがって、たとえば、『中論』の第18章5偈を中村元の訳で読むと以下のようになる。

業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。
業と煩悩とは分別思考から起る。
ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起る。
しかし戯論は空において滅びる。

ところが斉藤明の論文を読んでいて仰天した。彼の訳で読むと以下のようになる。

行為(業)と煩悩が尽きることによって解脱がある。
行為と煩悩は分析的思考(分別)による。
それら(の分別的思考)は概念化にもとづく。
しかしながら概念化は空において抑止される。


つまり、papañcaは形而上学的論議(戯論)というよりも、概念化のほうが今日的で理解しやすいのである。

煩悩の根源は、分析的思考であるが、その分析的思考はことばによる対象の概念化にもとづくということなのである。
https://blogs.yahoo.co.jp/daikukoarao_2/34098637.html

中論は仏教の哲学化、形而上学的論議(戯論)は意義がないことを主張している
哲学化したのはアビダルマ哲学を構築した小乗仏教の各部派。
0337神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:29:33.73ID:AkgaMVue
>>335
一切は六根六境
テーラワーダでは涅槃は法所縁であるから一切に含まれる
パオセヤドーも諸法の中に涅槃を数えている
0338神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:30:37.02ID:k3yCj0BC
中論が戦った相手は、ここには居ない。
居ない相手の象を投影されて、非常に迷惑している。
0339神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:31:05.41ID:AkgaMVue
テーラワーダは部派仏教の唯一の生き残りを自称する
部派仏教のアビダルマ哲学は外界実在論である
0340神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:32:30.47ID:k3yCj0BC
触は触という働きがあるし、受には受の働きがある。
働きには働きがある。
働きは働きなのだから、ほかに言いようがないのでは。

仏陀も触や受で説明しているわけで、これらの用語を使わずにどうやって
仏教について話せというの。
もはや言いがかり以外の何物でもないと思うのだが。
0341神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:33:54.39ID:AkgaMVue
>>338
君が中論と戦ってるw
0342神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:34:02.62ID:k3yCj0BC
触や受に、恒常不変・永遠不滅の実体があるなどという主張はしていない。
ところが、空論を振りかざしてパーリ三蔵仏教を攻撃する者は、
恒常不変・永遠不滅の実体について「自性」と名付け、「自性」を攻撃している。

その「自性」を主張する者は、ここにはいない。
0343神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:35:10.71ID:k3yCj0BC
>>341
「中論」は龍樹のもの。
その他人が語った「中論」に執着して、ありもしない敵を妄想して戦いを挑んでいるのが、いまのあなたでは?
0344神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:35:55.60ID:wrzdlK65
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴 2鼻毛
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535885654/
スマナサーラ 批判
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535982873/
ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1289708760/
テーラワーダ仏教協会を批判スレ [無断転載禁止]・2ch.net
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1498970887/
日本の僧侶には破戒僧しか残ってないの?
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1401719776/
カルト【破和合僧】佐藤哲朗【誹謗正法】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1545486457/1

過去スレ
仏教界の勝ち組・佐藤哲朗先生について語ろう!
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1318228341/
0345神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:36:06.01ID:AkgaMVue
>>340

(8) 二つの真理(二諦)に依存して、もろもろのブッダは法(教え)を説いた。
〔その二つの真理とは〕世俗の覆われた立場での真理と、究極の立場から見た真理とである。

(9) この二つの真理の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深遠な真理を理解していないのである。

(10) 世俗の表現に依存しないでは究極の真理を説くことはできない。
究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。

(11) 不完全に見られた空は知慧の鈍いものを害する。
あたかも不完全に捕らえられた蛇あるいは未完成の咒術のごとくである。

(12) それ故にその法が鈍いものどもによってよく領解されえないことを考えて、聖者(ブッダ)が教えを説示しようとする心はやんだ。

― 『中論』24:8-12[8]
0346神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:38:23.18ID:k3yCj0BC
>>341
中身もみずに名前だけで判断するのが戯論じゃないの。

龍樹が中論で行ったことは、本来の仏教から逸脱したセクトに対する反論を通して
本来の釈尊の仏教を護ろうとしたという側面もあるでしょう。
本来の釈尊の仏教から逸れていないグループに対して、そんなもん振りかざして
こられても当惑するしかないのよ。
0347神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:38:36.24ID:AkgaMVue
>>343

>>323
>中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
>に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
>と言い切って、机上の空論に陥る。
0348神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:39:56.27ID:k3yCj0BC
>>345
勝義諦は、言語表現にバリエーションがあるだけで
勝義諦そのものに、あの勝義とか、この勝義なんてものはあり得ないでしょう。
居ない敵と戦っているんだよ。
0349神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:40:14.19ID:AkgaMVue
>中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
>に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
>と言い切って、机上の空論に陥る。

こんな人現実的にいるのかね?
0351神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:41:35.77ID:AkgaMVue
320 名前:神も仏も名無しさん :2018/12/23(日) 10:24:25.60 ID:k3yCj0BC
素直な感覚として、一切のなかに涅槃を含める教学的な意図が分からない。
だって一切行苦でしょう。

そして、輪廻は概念であって実在しないんだ、ってわけか。
おれは悟った。だから正しいぞ、と。
うーん
0352神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:42:19.96ID:AkgaMVue
>>350
いない敵と戦ってるのは君の方だな
0354神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:43:38.63ID:k3yCj0BC
>>352
違うね。
パーリ三蔵に自性の主張などない。
その無いものに批判の矛先を向けてきたのは、そちら。
0355神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:44:40.91ID:AkgaMVue
>>351
>素直な感覚として、一切のなかに涅槃を含める教学的な意図が分からない。
>だって一切行苦でしょう。

テーラワーダのきょうがくてきかな意図が分からないと言ってるわけだね
0356神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:45:19.53ID:k3yCj0BC
中論の自性とは、恒常不変・永遠不滅の実体のことを指している。
アビダンマの自性とは、働きは働きだと言っているに過ぎず、そこに
恒常不変・永遠不滅の実体があるなどとは言っていない。
0357神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:46:48.21ID:AkgaMVue
>>354
テーラワーダのテキストには自性の主張はやまほどある
0358神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:47:35.53ID:k3yCj0BC
>>355
悪意ある解釈に同意・賛同を示すつもりはない。
0359神も仏も名無しさん
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2018/12/23(日) 11:49:14.90ID:AkgaMVue
>>356
どちらも性質が変わることがないという意味で同じ
0360神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:49:44.48ID:k3yCj0BC
>>357
まともな仏教徒で自性を主張したり、信仰したりする仏教徒などいないでしょ。
やはり、予めテーラワーダを攻撃する意図があっての言論だったわけだ。
どうも臭うと思った。
0361神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:50:27.70ID:AkgaMVue
>>358
解釈ではなくテキストにそう書いてあるしパオセヤドーもそう言ってるのだが
都合のいいことばかり言ってはあかんよ
子供じゃないんだから
0362神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:51:43.99ID:AkgaMVue
>>360
テーラワーダはまともな仏教徒ではないということをいってるの?
0363神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:52:25.79ID:k3yCj0BC
>>359
では、仏陀が説いた十二縁起の触や受はどうなりますか。
これも自性の主張だというつもりですか。

無理がありますね。
縁起によって生滅するのが前提の話なのだから。
0364神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:56:03.57ID:k3yCj0BC
>>362
あなたのテーラワーダに対する態度がまともじゃないとは思いますけど。
0365神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:58:29.19ID:AkgaMVue
>>363
テーラワーダ=仏陀が説いたこと

ではない
0366神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:59:05.60ID:k3yCj0BC
>>362
まず、自性という単語が指し示す意が違う。
その違いを無視して自性を攻撃することを通して、テーラワーダを排撃しようという強い意志がありますよね。
0367神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 11:59:29.80ID:AkgaMVue
>>364
論理的に反論できないと人格攻撃?
0368神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 12:01:00.65ID:k3yCj0BC
>>365
テーラワーダが信奉しているのは、パーリ三蔵経典であるから、
テーラワーダという名前にはさして意味はない。

そもそも龍樹の時代は、現代の第六結集を経たテーラワーダと違うのではないか。
0369神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 12:01:43.15ID:AkgaMVue
>>366
>まず、自性という単語が指し示す意が違う。
>>359
0370神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 12:02:34.63ID:k3yCj0BC
>>367
論理的には既にあなたのオカシイ部分の心臓部を指摘した。
すなわち、中論とテーラワーダのアビダンマでは自性の意味が違う。
本当はこのひと言で、とっくの昔に決着はついてる。
0371神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 12:07:08.46ID:AkgaMVue
>>368
パーリ三蔵の論蔵のアビダンマ・ピタカに目を通した上でそのレスを書いているのかい?
0372神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 12:15:55.39ID:IMitFdyT
自性とか難しいから
己とか、わたし、とかオレとかでたのみますw
0373神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 12:17:00.63ID:IMitFdyT
オレは縁によってあるけども、オレというものが、独立して存在してないってことでしょ
0374神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 12:18:28.96ID:IMitFdyT
中論はとか、アビダルマはとかいうけど
元は釈迦の話なんでw
0375神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 13:00:22.15ID:k3yCj0BC
>>371
論点ずらしか。
嘘つきの本性が出てきたな。

まず龍樹中論側の「自性」という言葉の定義、
アビダンマの「自性」という言葉の定義、
これを確認すれば、そもそもこんな議論は起きない。

龍樹の文脈でいう「自性」を主張しているとしたら、それは邪見外道と言っているに等しい。
それは完全に間違い。

テーラワーダ仏教徒を装って、テーラワーダ仏教を破壊しようとする試みは仏陀の仏法僧に対する攻撃に等しい。
こういう姑息な真似もやめた方がいい。
0376神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 13:07:58.31ID:k3yCj0BC
龍樹は、自性を主張すれば四諦は成り立たないと言っている。
要するにアートマンのような実体を認めれば、四諦は成り立たないということだが、
そんな主張をしている箇所が、経典のどこにあるというのか。

そして、アビダンマというのは、当然の前提として経を踏まえているわけだから
四諦を説く文脈で、龍樹がいうような自性の主張が成り立つはずもないし、出てくる
はずもない。
0377神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 13:52:41.51ID:F/q1Mdd1
初めに説一切有部が自性という言葉を使っておかしな事を言い始めたんでしょう。
それに対して龍樹や大乗やらが反論した。その自性という言葉を使って。それはおかしいよと。
その説一切有部がもう存在しないし、邪見ということで共通理解がある。
だからもう自性という言葉は要らないでしょう。邪見が前提の言葉なんだから。
0378学術
垢版 |
2018/12/23(日) 14:05:38.09ID:KhNV8Sgw
宗教を血統にすると欺瞞や不正が流行って良くないだろう。まだその時きたらずやならいいかも。
0379神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 15:54:26.04ID:k3yCj0BC
仏法の知識を悪用して、仏法僧を破壊しようとする試みは全て打ち砕く。
どこに隠れていようと、必ず見つけ出して仕留める。
0380神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 16:22:15.81ID:AkgaMVue
>>379
で、一切法の中に涅槃を入れるのか入れないのか?

パーリ三蔵の論蔵に目を通した上でパーリ三蔵は全て仏陀の説いたことと言ってるのかそうでないのか?

テーラワーダでは真に存在する勝義諦として心、心所、色、涅槃を挙げているがそれを外界実在論として認めるか否か?

逃げずに返答よろ
0381神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 16:44:38.64ID:gXPlUTzP
中論1-3

復た次ぎに、
如(も)し諸法の自性、縁中に在らずんば、
自性無きを以っての故に、他性も亦復た無し。

もろもろの事物をそれらの事物たらしめるそれ自体は、もろもろの縁のうちに存在しない。それ自体が存在しないならば、他のものは存在しない。
(中村元訳)

ここでは龍樹は法の属性という意味で自性を使っています。
0382神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 16:44:47.67ID:a/r9clvz
横レスだけど
>>勝義諦として心、心所、色、涅槃
は世俗諦だと思う。宇宙初期のことを考えれば。初期宇宙では生命は存在できない。
0383神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 16:46:33.41ID:a/r9clvz
現在の宇宙には4つの力があって、強い力、弱い力、電磁気力、重力がある。
これらは宇宙の初期では統一されていた。
当然世界も違ってくる上に、生命は存在できない。
0384神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 16:58:47.01ID:a/r9clvz
訂正。色を素粒子ということで見れば、勝義諦かも。
涅槃も勝義諦かもしれませんね。
涅槃を体験する生命はいないけれど。
0385神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 17:16:06.34ID:k3yCj0BC
>>380
あんたのやってることは机上の空論でしかない。
0386神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 17:18:06.11ID:k3yCj0BC
5ちゃん自体もそうだが、何の役にも立たない。
この手の議論なら書籍や論文でとっくに取り上げられて答えも出てるのではないか。
0387神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 17:34:41.18ID:F/q1Mdd1
確かに全部、5ちゃんねる自体、机上の空論だね。
一切の法、概念は机上の空論、実体が無いので無我であり虚妄。
実際の現象、一切の行、見たり聞いたり感じたり考えたりすることを停止するのが実際の涅槃。
0388神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 18:04:10.20ID:0lAKVqsw
個人的には他人に説明出来ることさえ
なんの役にもたたないと思ってるな
0389神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 19:42:19.15ID:F/q1Mdd1
「生まれつくわが悪念を直さずに 学問すれば身を害すもの」 一休

生まれついた自分の悪いところを直さずに、学問をすれば余計に自分をダメにする。
0390神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 19:57:37.35ID:F/q1Mdd1
涅槃は貪瞋痴が無くなった状態とも言える。
自分が持っている欲、怒り、愚かさを無くすことが涅槃なのに、
涅槃の為に欲、怒り、愚かさを出したら本末転倒。
0391神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 20:44:52.55ID:F/q1Mdd1
本を読めば読むほど、思考すればするほど戯論は増えるのだから、
仏教でいう無智、無明、愚痴は増えていく。
0393神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 20:58:41.54ID:F/q1Mdd1
例えば洗濯する時、洗濯物に洗剤という汚れを付けて、一生懸命かきまわし、最後にすすぐと洗濯物はきれいになる。
洗剤は汚れを落とすものだからと、ダバダバ入れて、かきまわすこともせず、すすぐこともしなければ、洗濯物は汚れていく一方。
仏教の本も、適量だけ読むことは必要だが、その知識を利用して、自分の心の汚れを実際に落とすことが重要。
0394神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 21:04:21.43ID:F/q1Mdd1
特にアビダンマなどの超強力洗剤に漬けっぱなしにしたら、衣類はもう着られなくなる。
0395神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 22:05:05.48ID:AkgaMVue
ほう、スマはブッダの実践心理学〜アビダンマ講義シリーズ〜なんで分厚い本を8巻も書いてる
あれテキストはアビダルマの入門用テキストのアビダンマッタ・サンガハだから薄いもんなんだよな
それをわざわざ張り切って解説つけて8巻まで分厚い本として出版させてる
自分が体験してない滅尽定のこともさも体験したような口ぶりで書いている(おそらく無色界禅定も体験してないだろう)
机上の理論を書くのに張り切ってるお坊さんがスマだってことか
あーでも本の中ではテーラワーダ以外の仏教や他宗教をdisったりしてそういうところにもエネルギーを費やしての8巻だったなw
0396神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 22:25:26.30ID:F/q1Mdd1
アビダンマが悪いって訳じゃない。
瞑想していてその都度疑問に思ったことを、少し調べてまた瞑想に戻る。
頑固な部分汚れに、少し使う分には役に立つ。
無色界禅定も、滅尽定も、解脱には必要無い。第一禅定で十分だと言われている。
そこは重要じゃないから、机上の空論でも何でもかまわない。読み飛ばせばいい。
0397神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 22:48:19.03ID:AkgaMVue
>>396
>無色界禅定も、滅尽定も、解脱には必要無い。第一禅定で十分だと言われている。

言われてないでしょ
仏陀がそれを否定している


修行僧たちよ、このように(わたしに非想非非想定を授けた)ウッダカ・ラーマプッタはわたしの修行仲間であるけれども、わたしを師の地位に置いた。
そして、わたしを最上の敬意をもって礼拝した。
修行僧たちよ、そのとき、わたしはこう思った。
 『この教えは厭い離れることに導かず、貪りを離れることに導かず、[煩悩を]滅することに導かず、
寂静に導かず、証知に導かず、正しい目覚めに導かず、ニッバーナに導かない。
<想いが有るのでもなく、ないのでもないという境地>に達するのみである』と。
そこで、修行僧たちよ、わたしはその教えに満足せず、厭って、その教えから去った」
(中部 聖求経)

このように無色界禅定の最高の非想非非想でも解脱できなかったとはっきり言ってますが

第一禅定で充分だなんて誰が言ってたの?
0398神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 23:11:27.47ID:k3yCj0BC
涅槃は概念であり、実在しないってのもたいがいじゃないの。
0399神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/23(日) 23:38:43.95ID:AkgaMVue
>>398
龍樹は涅槃を四句分別することを否定しただけだよ
0401神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 07:58:39.05ID:cIW0sfnr
言葉のすれ違いが無限に続いていく。
馬鹿馬鹿しい。
0402神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 09:03:50.49ID:sjnFb1a1
>>397
禅定はサマタ瞑想。ひたすら集中力を高める瞑想。
その方向には解脱は無い。
解脱に達するための瞑想はヴィパッサナー瞑想。
ヴィパッサナー瞑想では禅定を重視しない。観察を重視する。

以下、Wikipediaの引用
「伝統的に上座部仏教においては、サマタ瞑想を先に修行して、それからヴィパッサナー瞑想へと進むという階梯がとられてきた。
ヴィパッサナー瞑想を行なうためには少なくとも第一禅定(最高で第四禅定)に入っている必要があるとされ、
そのためにはサマタ瞑想を行なわねばならないのである。
これに対し、最初からヴィパッサナー瞑想のみを中心に修行するという道も、少数派ながら古くから存在した。
これは、ヴィパッサナー瞑想を行うことによって、自然に第一禅定がもたらされるという事実に基づいている。またより重要な問題点として、
サマタ瞑想にあまり重点を置きすぎると、それによってもたらされる三昧の快楽に耽ってしまいがちであり、
なかなか悟りが開けないという点も指摘される。
ブッダの悟りあくまでもヴィパッサナー瞑想によって開かれたとする観点による。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3
0403神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 09:13:28.49ID:sjnFb1a1
涅槃だろうがブッダだろうが悪魔だろうが神だろうが、自分だろうがキャベツだろうが、一切の概念は実在しない。
それを諸法無我という。これは預流果に悟らないと分からない。逆に言えば、理解できれば預流果に悟れる。
一切の概念で一番大事にされているのが「私」。私という概念に実在が無いことが分かれば有身見が無くなる。
0404神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 09:28:40.51ID:sjnFb1a1
霊雲禅師は三十年修行したが悟りが開けなかった。ある時散歩していて桃の花を見た瞬間悟った。
何を悟ったか。
「花」は概念であって実在しない。目の前にあるのはただの光のチラつき、色でしかない。
そして「我」も概念であって実在しない。私と呼ばれるそれは、色声香味触法と眼耳鼻舌身意のチラつきでしかない。
花も無我、我も無我。ただあるのは六根、六境のチラつき。無常。
0405神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 09:45:04.34ID:sjnFb1a1
では無常たる六根、六境は実在か。
涅槃を体験すれば分かる。それらは空であると。
六根は無明により、因縁により生滅しているに過ぎない。
無明が無くなれば六根は無くなる。
無明とは何か。
無常、苦、無我を理解しないこと。
世間には何か実在があると勘違いし、それに捉われること。
その実在に対し、貪瞋痴の心を持ってしまうこと。
0406神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 09:57:50.68ID:cIW0sfnr
お釈迦さま、六根なかったんやな。
0407神も仏も名無しさん
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2018/12/24(月) 12:22:59.11ID:4RG8WLU6
結局仏教っていうのは無常、苦、無我をどれだけ悟れるかということなんですね。
簡単なことのようでとても難しいと思うけれど。
シンプル。
0408神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 12:57:54.59ID:sjnFb1a1
阿羅漢にある肉体、五蘊、六根は、悟る前の業の結果。
六根に、五蘊に実体が無いことを知っているので、業の結果を受け取らず、新たな業は作らない。
最後の身体が無くなるのを待っている。
0410神も仏も名無しさん
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2018/12/24(月) 13:20:12.29ID:4RG8WLU6
>>409
詳しく。
何を大事にしたらいいでしょうか?
0411神も仏も名無しさん
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2018/12/24(月) 14:12:41.21ID:sjnFb1a1
無常、苦、無我を理解しようと経典、その他を読むのは当然間違い。
じゃあ瞑想してやろうと、無常、苦、無我を求めて、悟りを求めて瞑想するのも間違い。
現在の瞬間にはっきり目覚めていて、妄想せず、気づきを確立し、(不痴)喜ばず、(不貪)嫌わず、(不瞋)いられれば、
悟りは向こうからやってくる。
要するにヴィパッサナー瞑想に専念する事。死んでも不貪、不瞋、不痴を守ること。
この事が仏教を真に理解するということ。
0412神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 14:59:01.38ID:cIW0sfnr
「群名無し象を評す。三蔵結集ありがたし。」 三休
0413神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 17:04:06.65ID:pdJLitA/
>>404
花は施設であり世俗諦ですが、花を構成する色などの方は現在という刹那には実在するというのがテーラワーダの教義です。

ではその刹那とはどのくらいかというと

どのように 〔心が生起するの 〕でしょうか ?
生 、住 、滅という 3刹那が 1心刹那です 。
その心刹那 1 7回が 、物質というもの (色法 )の寿命 ( 1刹那 )です 。

とアビダルマッタサンガハにあり、その刹那の長さは現在では現在の基準に即した単位で出ています。

物質の変化生滅は、本当は原子のレベル 、光のスピ ードで起きている。
ということは 、心は 、普通の心でも光より 1 7倍も速い速度で生滅している。

と現代テーラワーダの僧侶は言います。
0414神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 18:16:38.78ID:sjnFb1a1
>>413
それは理論、法、概念であって、実体は無い、現実では無い、無我。
現実はどうか。
現在の瞬間は捉えられない。無常、苦、空。
テーラワーダの教義としては、瞑想せよ、現実を観よ、という事のほうが重要。
0415神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 18:20:52.80ID:sjnFb1a1
理論を勉強するなら、まず預流果に悟らなければいけない。
諸法無我という真理を悟らなければいけない。
全て、人間の考える概念、理論、思考には実体は無い、現実では無い、本物では無いという事を。
そうでなければ、法に執着してしまう、法に振り回されてしまう。
そして諸法無我という真理から遠ざかってしまう。
真理から遠ざかりなさいというのがテーラワーダの教義なわけないでしょう。
0416神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 18:26:14.62ID:sjnFb1a1
例えば、野球のバッティング理論で、「ボールを切る」とか「バットを投げる」とか言ったとして、
現実にボールは切れる訳では無いし、バットを投げたら怒られる。

理論は物事を分かりやすく説明して、現実に上手く対応できるようにするためのもの。
0417神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 18:29:53.15ID:4RG8WLU6
話変わるけれど、預流果になっても7回も転生しないといけないのだから、結構大変だよね。
その生で苦しいことはたくさんあると思う。人生は何が起こるか未知数だから、危険なこともあるだろう。
一来果以上を目指したい。
0418神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 18:46:43.47ID:sjnFb1a1
例えば曹洞宗の教義は正法現蔵じゃない。しっかり坐れというのが教義。
ブッダの教義もパーリ仏典じゃない。ブッダの教義は菩提樹の下での悟りそのもの。
パーリ仏典は、ブッダの瞑想体験記。
経典の中に真理は無い。瞑想の中に真理はある。体験記を読んでもそれは分からない。
清浄道論はテーラワーダのお坊さんの一人、ブッダゴーサの瞑想体験記。個人的な手記。
0419神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:17:49.22ID:cIW0sfnr
この無駄なおしゃべりが一番無駄。

経典やお坊さんのお話を聞くならまだしも、自称預流果の5ちゃんの名無しが
経典や仏陀の言葉を否定するのを見ているより、ずっと役に立つ。

言葉や概念が瞑想の体験智でないことは当然の前提認識であって、言葉で
会話のやり取りをすることしかできない場所で、言葉のやり取りを否定する
ことに、どれ程の意味や妥当性があるのか。
0420神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:18:57.30ID:cIW0sfnr
瞑想実践が大事なら、ぐだぐだ屁理屈を言うより
「黙って坐れ」のひと言で終わりでしょうに。
0421神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:22:28.53ID:zeHCQFd9
>>414
ではAbhidhamma思想家が物質よりこころは17倍早いと計って分かったのですが。
これは冥想の達人達が得た超越した知恵に基づいて言っていることで、一般的には理解できないものだとAbhidhammaがサンザン言っています。
それはそれで、Abhidhammも一つの学問だと思って考えてみましょう。
そのとき私に見えたことは「物質の明確な認識の最小の単位を起こすために17種類の心が働くということです。
こころは一つのながれなので、多数の心は一緒に働くのではなく一つ一つのこころは自分の機能を起こして消えるのです。
こころに触れた物質は消えるまで反応を起こします。その間心が17回生まれて消えます。
それで物質よりこころは17倍早いということになったのです。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp32.html

瞑想が達人的な域に達すると心の速さは物質の速さの17倍であることがわかるんだとさw
君もそこまで目指して頑張りたまえ!
0422神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:23:52.92ID:cIW0sfnr
名無しの自称預流果が、仏法僧を否定とか無責任なことすんなや。
危なすぎるだろが。まず誰かに師事しろよ。
自宅でひとりで瞑想して悟りましたとか、通信講座で空手の黒帯になったので
道場破りします、みたいな話だろ。
0423神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:24:18.74ID:sjnFb1a1
じゃあブッダも黙ってた方が良かったのか。
毒をもって毒を制す。
概念を持って概念を制す。
達磨大師は黙って9年坐られたけど、「教外別伝、不立文字、直指人心、見性成仏」とは唱えられた。
0424神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:25:42.63ID:sjnFb1a1
>>421
仏教では解脱が大事。
それ以外に価値は無い。
0425神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:27:14.39ID:cIW0sfnr
>>423-424
おまえ、涅槃を概念だと言ってるだろ。
概念は涅槃じゃねえええええええっ
ばかかあああああああああ
0426神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:27:56.60ID:4RG8WLU6
まあ、ここは会話するための場だから、議論はいいことだよ。
黙ってすわってろ、で済ませるのなら、このスレには誰も書き込まなくなるし。
見ている分には楽しいよ。ただ、節度を保ちましょうね、ということなのかな。
0427神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:31:54.85ID:sjnFb1a1
>>425
概念としての涅槃と実際の涅槃は違う。
法としての涅槃、行としての涅槃。
実際には行を停止するのが涅槃だけども。
実際の涅槃はどうとも言えない。有るとか無いとかも言えない。
「涅槃」とも言えない。
0428神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:33:37.24ID:cIW0sfnr
仏陀が涅槃と言ってるものを、涅槃と言わない預流果が居るわけないだろ。
0429神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:34:42.09ID:cIW0sfnr
悪いこと言わんから、まず正師につけ。
0430神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:36:59.50ID:sjnFb1a1
当たり前の話だと思うんだが。
「ご飯」について語っても満腹にはならない。
実際にご飯を食べて満腹になる。
「ご飯」は概念、無我、実体が無い。
0431神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:37:26.27ID:/XK3FvWS
釈迦は指を指しただけ
「凡夫よあれが太陽だ」
「わかりました、太陽とは白くて流れて消えていくものですね」
「凡夫よ、それは雲だ、、」
0432神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 19:58:35.99ID:sjnFb1a1
やっぱり預流果に悟ってないと話が通じないかもね。
何が概念、法か、何が実際の現象、サンカーラか。
実体が無いとはどうゆうことか。
実際の現象には名前が付いてないのだが、それ名前を付け、概念として捉えて戯論を作る。
実際の涅槃という体験にも「涅槃」という名前は付いてない。概念化した瞬間、戯論にした瞬間に「涅槃」になる。
戯論、概念はもう実際の現象とは違う、別物になっている。
0433神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 20:07:38.29ID:sjnFb1a1
まずは法、概念、思考に対する執着を捨てないといけない。
平気な顔をしてパーリ仏典を投げ捨てられるようにならないといけない。
瞑想するのに邪魔なんだと。余計なんだと。
読むと気分が良くなるし、どうしても読みたいのだけれど。
0434神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 21:13:07.45ID:sjnFb1a1
もしくは禅を勉強するのもいい。
概念、思考、論理に対する執着をことごとく、ぶち壊してくれる。
0435神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 21:44:20.91ID:sjnFb1a1
まともな印刷技術がおそらく無かったであろう大昔の中国でさえ、
経典に対する捉われ、文字、概念に対する捉われが問題になったのに、
本やインターネットで大量の文字、概念に囲まれている現代人は、よほど気をつけないといけない。
仏法であれ、経典であれ、一切の概念、思考、理論、理屈はクソだと思ったほうがよい。
仏とは何かと問われ、乾いたクソだと答えた禅僧がいた。
0437神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 22:01:59.99ID:5hSU2EXM
大昔なら大事な書物は
誰もが読めるものじゃないし
それ相応の縁がないと
書物に出会うことさえ稀な機会

今はなんの準備も無しに
誰でも読めるからね
0438神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 22:04:14.19ID:BnVGl5bd
ところで、オウムの持ってるパーリ語経典って
外に出てないの?
0439神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 23:15:20.75ID:cIW0sfnr
>>435
それはテーラワーダ仏教とは言わないでしょう。
テーラワーダの伝統でそんなことをしたら、まず理解されないし、有益な影響も及ぼさないだろう。

奈良時代以降の日本における状況と、瞑想修行を積んだサンガが護持するパーリ三蔵経典が
伝わっている現代とでは、状況が違う。
0440神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 23:17:33.49ID:cIW0sfnr
正法が伝わっていたい時代と場所において、人々がそれぞれに考える
想像上の仏法しかない状況であったからこそ、禅宗のスタイルがベター
であっただけのことで、もし釈尊在世時のインドに生きていたら、状況は
一変していたはず。
0441神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 23:19:51.55ID:cIW0sfnr
いまは、京都学派のような「輪廻はない。釈迦は輪廻を否定した。」などという
仏教学が幅を利かせている時代でもない。
一応、それなりに正法が伝わる状況になってる。
0442神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 23:22:33.48ID:cIW0sfnr
如来の十力を舐めすぎだし、如来の十力に価値を置かない預流果
なんてものが居るはずがないと思う。
阿羅漢でもないのに乗り物を捨てるという発想もナンセンス。
0443神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 23:48:11.03ID:cIW0sfnr
>>435
あなたの悟りの内容とは、おそらく次のようなものだろう。

「輪廻は空であり、実在しない。
 同様に、過去世も実在しない。
 そもそもわたし自身が実在しない。
 そのことを悟ったわたしに、もはや来世の生存、輪廻はない。」

これは有身見から出てくる発想、つまり概念だと思いますよ。
これを考えているあなただけが、その虚無思想だけがあなたにとっての
リアルなわけですからね。

その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
づけたことにあるのではないですか。
0444神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/24(月) 23:48:34.63ID:cIW0sfnr
それは断滅論です。
0445神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 00:20:53.43ID:s5aW2b51
不断・不常の中論がなんで断滅論なんだよw
0446神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 00:22:28.95ID:Yoo/3ltG
中論を読んで、虚無解脱する人は多いでしょ。
0447神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 00:27:36.06ID:Yoo/3ltG
>>435の自称悟りが断滅論という話なので、
中論が断滅論かどうか、という風に論点をずらすのは適切ではないね。
中論の正統性を問題にしているわけではないので。
論点すり替え。
0448神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 00:34:53.46ID:rjm0cWeR
意味不明 >>438

全部揃った原文は、シャム王室版、セイロン版、ビルマ版、そしてPTS版くらいじゃないか?
で、オウム独自の翻訳も、一度は書店に並んでいる。
当然、今や絶版だろうし、扱う書店も無いだろうけど。

いずれにしても、「外に出てる」とか関係なく、
訳し方の違いなだけで、それは、
正田訳とか中村訳とか水野訳とか前田訳とか片山訳とか、
或は、干潟訳とか高楠訳とか大御所含めたその他若手の南伝大蔵経版とか、
数え上げたらキリがないが、そうした各種訳出のバージョンの中の一つとしてオウム訳がある、
と思えばいい。
0449神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 00:35:39.63ID:s5aW2b51
>>447
>>443
>その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
>づけたことにあるのではないですか。

と自分から言っておいて今更それはないな
論点すり替えてるのは君の方だわ
0450神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 00:38:00.92ID:s5aW2b51
比丘たちよ、このように説き、このように論ずる私を、一部の沙門婆羅門たちは、不実ゆえ、虚偽ゆえ、虚妄に、偽って、誹謗します。
『沙門ゴータマは虚無論者であり、存在する有情の断滅、消失、非有を説く』と。
(中部 蛇喩経)

虚無論者と言われていたのは生前の仏陀だよ
0452神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 06:06:26.75ID:Yoo/3ltG
>>449
そっちじゃない。
思弁哲学によって悟るのではない、ということ。
仏陀が教えたのは瞑想による悟りであって、哲学で悟るなら
菩提樹のもとで座る必要はなく、哲学すればいい。
そういう意味。
0453神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 06:09:35.33ID:Yoo/3ltG
>>450
悟る以前、過去世はありましたか、との問いに知らないと答えたでしょう。
あなたの本当の答えは、「過去世などない」のはずです。
それは断見ですよ。
0454神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 06:10:56.44ID:Yoo/3ltG
ずいぶんと巧妙なエゴをお持ちのようだけど、どうしてそんなんなっちゃったのか。
論点ずらしと屁理屈が巧妙すぎる。
0455神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 06:11:37.43ID:Yoo/3ltG
中論を読んで考え続けることを、ヴィパッサナー瞑想とは呼ばないですよ。
0456神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 06:19:33.84ID:Yoo/3ltG
龍樹を読んで虚妄解脱する人は後を絶たないけど、
仏陀の説法を聞いて断見に陥る人はいないんですよ。
龍樹や大乗仏教が仏陀の説いたものより上だなんて、幻想なんです。
0457神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 07:29:36.72ID:s5aW2b51
>>453
そんなことは自分は言ってないし
君がレスした>>435の人のIDを追ったら禅(臨済禅か)は何度か出してるが龍樹なんて一言も出してないし

君は興奮して憶測でものを語り事実確認を怠ってるのだよ

それで中論を読んで断滅論に陥った人っているのか答えて欲しい
中論では26章で無明に覆われたものは輪廻するとちゃんと説かれているのに

中論26章
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9530381
0458神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 08:18:00.72ID:Q3C/Fuuq
中論は読んだこと無いですねぇ。龍樹の悟りは信頼してますが。
過去生は知らないですよ。神通力がある訳でもないので。
過去生があったはずだとは思いますが。いずれにせよ終わったことですからどうでもいいことです。
自分はガチガチのスマナサーラファンです。あと禅も好きです。
0459神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 08:55:47.09ID:Q3C/Fuuq
いずれにせよ七覚支の最後は捨覚支ですからね。
預流果に悟る瞬間でも、眼耳鼻舌身意、色声香味触法に対する執着を捨てないといけない。
当然「法」に対する執着も捨てないといけない。
まぁ死ぬ気で瞑想してたら、捨てようと思わなくても捨てる事になるとは思いますが。
0460神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:03:10.26ID:s5aW2b51
>>458
君が>>435の人かね?
スマは一切が虚妄などということを言ってたのかね?

>>459
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老によると、「捨」は「感情の波が立たない」平静な心であるが、
それは「鈍感で、何も興味がない、気にしない、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ閉じこもっている」ということではなく、
「人々・生命のことを、(直情的に反応するのではなく)どうすれば問題解決できる(できた)かを智慧を以て見守る気持ちで観る」ことだという[4]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%A8_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
だそうだ。
0461神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:06:17.58ID:Q3C/Fuuq
あと「空」を「無い」と勘違いしてるみたいですね。
実在が無いという事は、何にもない虚無ではない。
一切が虚妄という事は、一切が何も無いということでもない。
因縁により生滅していることを空と呼び、有るでもなく無いでもない、人間には認識できない、という意味です。
だから常見でも断見でもない。
あらゆる見解、偏見が成り立たないというのが正見です。
0462神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:09:14.82ID:Q3C/Fuuq
涅槃を経験したい者は、哲学的・宗教的教義を含め、世界へ縛るすべてのものから自分自身を解放しなければならない[4]。
Paul Fullerは、八正道の最初の一つに挙げらていれる正見は、究極的には正しい見解というよりも、
認知の型からの解放を目指していると解釈している[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B_(%E4%BB%8F%E6%95%99)

正見は不戯論と言ってもいいかもしれないですね。
0463神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:09:19.56ID:s5aW2b51
>>461
それはスマではなく龍樹の言説の方に近いでしょうに
0464神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:13:04.06ID:Q3C/Fuuq
>>460
スマナサーラ長老は御自身の意見を持たれない。
全てブッダの意見を紹介するだけ。
一切が虚妄とはブッダの言葉。
https://76263383.at.webry.info/201601/article_17.html
そしてその引用は慈悲喜捨の捨ですね。
七覚支の捨とは別物です。
0465神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:16:49.69ID:Q3C/Fuuq
>>463
スマナサーラ長老は空を使わずに、苦を使いますが、
苦、ドゥッカには空しい、虚しいという意味もあります。
無常であるから苦、と、無常であるから空は同じ意味だと思っています。
苦だと「苦しみ」という意味が全面に出てしまいますから、
空しいという意味では空の方がいいんじゃないかと個人的には思っています。
0466神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:18:26.45ID:s5aW2b51
>>464
いや、こんなことは修行の役に立たないといいながら私見ですがといって自分の意見をいいまくってるぞ毎回
それに仏陀は一神教やバラモン教はもちろん当時のバラモン教のことでさえバラモンの宗教的儀式などは批判していたけどヴェーダ聖典などは批判していない
スマは批判するけどなw
0467神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 09:20:22.42ID:Q3C/Fuuq
>>466
最近はいろいろおっしゃいますね。
昔の説法はキレッキレで、完全に無我って感じでしたが。
0468神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 11:51:07.06ID:Yoo/3ltG
自称悟った名無しが何人もいて持論を展開とか、魔窟に見えて仕方が無い(苦笑
苦でいいんだよ。
空を混ぜるな、ややこしくなるから。
0469神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 11:51:59.02ID:Yoo/3ltG
苦は苦しいじゃなくて、苦だから。
0470神も仏も名無しさん
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2018/12/25(火) 11:53:56.27ID:Yoo/3ltG
苦しいは dosa
苦は dukkha
0471神も仏も名無しさん
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2018/12/25(火) 13:08:10.31ID:Q3C/Fuuq
苦、ドゥッカはいろんな意味がある。苦しみ、無常、無価値、空しい、虚しい、不満など。
仏教の全てが含まれている。

27.(新連載)なぜ苦は偉大なる真理なのか (1)私たちの知らない巨大な真理
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi153.html
0472神も仏も名無しさん
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2018/12/25(火) 14:54:04.33ID:Yoo/3ltG
個人的な意見としてはっきり言っておきたいことは、
禅語で如来の十力を否定するのは、テーラワーダの文脈にはそぐわないと思う。
禅語を語った坊さんたちは、自分個人は悟れるかもしれないが、如来のように
他の有情を覚らせる力を持っているわけではない。
禅語を聞いて覚るような人は、もともとそういう機根がある人。
0473神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 16:00:16.69ID:XuxrhxfH
英文法書をよく読んで理解することと、英語が読み書きできることは違う
言語化出来る世界ですらそうなんだ
仏典を解釈することと、瞑想が悟りに向かうこととはなおさら違うだろう
0474神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 16:07:49.01ID:Q3C/Fuuq
禅僧の人達も、一日中禅語を言い合っている訳ではなくて坐禅ばっかりやってる訳で。
目一杯坐禅した上で、どうにも悟りが開けない、修行が進まない、何かに引っ掛かっている。
その何かは概念上の、思想上の、頭の中にあるもので、それを師匠が外してあげるための言葉が禅語だと思いますね。
その言葉は荒々しいものだったり、常識外れだったり、仏教否定だったり、自由自在な訳です。
その言葉は結局、悟らせるため、修行を完成させるため、仏道を成就するためなんですね。
0476神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 17:53:18.03ID:tjYvj72h
四念処を7年から7日間やれば悟れるとういことで、やっているのですが、なかなか難しいようですね。
7日間で悟れる人は相当選ばれた人なのでは?
皆さんも四念処やっておられるのでしょうか。
0477神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 17:54:47.04ID:tjYvj72h
相当ではなく、極めてといった方がいいでしょうか。
毎日途切れることなく7年間もやるのは大変ですな。
忘れる日もあります。
0478神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 18:19:03.76ID:Yoo/3ltG
片山一良先生の「パーリ仏典入門」の序章に、法(dhamma)の語義4つなど、
ここでいま提起されている議題に関して、まとまった記述があるのを見つけました。
0479神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 19:18:09.86ID:Q3C/Fuuq
>>477
まず慈悲の瞑想、アーナパーナ、数息観など、自分に合うサマタ瞑想を十分やり、
気分が良くなってから四念処をやると良いですよ。
四念処だけやるとなると精神的にキツいと思います。
四念処、ヴィパッサナーは楽しい時期、つまらない時期、苦しい時期などありますが、解脱の為には必要なものなので最後までやらなければいけない。
サマタは真剣にやれば、いつでも気分が良くなる瞑想ですから、サマタとヴィパッサナーをセットでやるのがいいと思います。
瞑想が趣味になると、やめろと言われても毎日やるようになります。
0480神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 19:22:30.83ID:rjm0cWeR
そう。  >>474-475

その意味で、禅語は全て、
当該人物只一人の爲にだけ有って、
彼以外の人物には、チンプンカンプン、無効な言葉なわけ。

けど、それでも、
 「参考にはなるから」、
教材として(≒公案として)提示される。

フレーズに拘れば本末転倒、
かと言って無視しても本末転倒。

たかが言語されど言語。
珍重し過ぎてもよくないが、だからと言って、くだらない戯論だと切り捨てるのも、これまた愚行、とw
0481神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 19:40:59.63ID:tjYvj72h
>>479
なるほど。ありがとうございます。
0482神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 20:08:24.13ID:s5aW2b51
インドで瞑想していた僧侶がヒョウに襲われ死亡 数週間で5人目
https://www.cnn.co.jp/amp/article/35130144.html

これは悲劇なんだけど仏陀の教えにはある意味忠実だったとも言えるんだよなあ
合掌


963 師(ブッダ)は答えた、
「サーリプッタよ。世を厭い、人なき所に坐臥し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。

964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻と蚊と爬虫類と四足獣(獅子や虎やヒョウなど)と人間(盗賊など)に触れることである。

965 異った他の教えを奉ずる輩を恐れてはならない。──たといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。──また善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

966 病いにかかり、餓えに襲われても、また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶべきである。かの<家なま人>は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固に努力をなすべきである。
0483神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 20:52:49.70ID:Q3C/Fuuq
出家はいつでも死ねる覚悟が無いとダメなんだよね。
在家は安全かというとそうでもなく、誰でもいつでも病気や事故で、簡単に死ぬ可能性はある訳で。
生きること自体、苦しみと危険に満ちてるって事だろうなぁ。
0484神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:00:24.81ID:8iWH+9Rn
覚悟なんて無くても
外でものごいして
行脚して生きてたら
怪我や病気で簡単に死ぬから
並外れて丈夫な身体も重要だよ
0486神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:11:25.27ID:rjm0cWeR
>>484
そうじゃなくて、

 たとえ一秒後に死んでも、 「後悔がない」「し残したことがない」 境地でいなさい

ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)
0487神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:12:35.66ID:rjm0cWeR
× >ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)

○ >ってことだろ。(その本質で言えば、出家も在家も変わらない)
0488神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:18:53.74ID:5OdDomqQ
「死んでも死なない生命を生きなさい」
という内山老師の声が聞こえた気がする
0489神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:36:04.83ID:Yoo/3ltG
>>457-458
断見の虚妄解脱は言い過ぎました。
ごめんなさい。
あと、人違いした方の方も失礼しました。
0490神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:44:47.90ID:5OdDomqQ
不二いのち〈純粋自己の畢竟帰〉
平成九年三月二十九日 内山 興正
 
老い最後
生死一つのいのち知る
生と死でなく
生死一つの
 
光暗
一つの蒼空深き如
生死一つの
いのちの深き
 
いま出会う
深きいのちを拝みつつ
拝む深さで
いのち深さ行く
 
分け別ける
思い手放しただ拝む
不二のいのちの
いのちのままに
https://youtu.be/v19SZ0Kf3uM

すごいよね
0491神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:47:37.35ID:Q3C/Fuuq
>>489
気にしなくてもいいですよ。たかが匿名掲示板での話ですから。
むしろ、いろいろ勉強になったので良かったと思ってます。
0492神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:52:45.06ID:Q3C/Fuuq
>>490
どうかね。
まだ命があるの?
まだ生死があるの?
って思っちゃうけどね。
0493神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 21:55:31.45ID:s5aW2b51
>>489
興奮していたのは俺のほうだった
こちらこそごめんなさい
0494神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 22:16:06.93ID:5OdDomqQ
怖れないということと、殺されろということは違うんじゃないかなぁ
続く言葉が「諸々の危機に打ち勝て」なのだし

ムツゴロウさんはライオンに頭をまるっと噛まれた時に
頭をライオンの中にぐっと突っ込んだという
ライオンもオエッってなるよねw
それは怖ればかりの中では出来ない

>>492
「死からみた生」は生死一つなんだ、と言ってるんよ
言えないって
0495神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/25(火) 23:22:09.49ID:HZG28ZMB
490.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0497神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/26(水) 10:26:25.07ID:pz+TS4oF
一回瞑想会行こうと思うのですが
ドネーションはいくらぐらいが適正でしょうか?
0498神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/26(水) 11:25:37.82ID:9Bw2GIPz
「生死もみないつわりの世の中に 誠というもなにあらばこそ」 一休

生死もみな虚妄である世の中で、真実というものがあるはずがない。
無明が無くなれば生死は無くなる。生死は本来空。幻想。
0499神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:20:45.50ID:yoBj8VkD
禅宗もいいですね。
0500神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:34:09.27ID:+cXn5CgX
>>497
適性かどうかは時と場合によるのでしょうけど、
自分の場合、毎回1000円〜任意ぐらいです。
0501神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/28(金) 02:22:05.47ID:3Z84GhyC
>>500
有難うございます
0503神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:44:59.48ID:ntWAHvSE
涅槃と無心になることとは違うのでしょうか?
何も思考しない、何もしようとしない、というのとは違うのかな。
0505神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:09:33.01ID:sNlySlnI
涅槃は「無我」だけど、
何もしない「我」なら、涅槃とは違うのかな。

無我についても、四諦の悟りレベルの無我と、五蓋が鎮伏された時に
欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消え
てしまうのとでは、おそらく全然違うのだろうとも思う。
0506神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:10:23.14ID:sNlySlnI
欲界の我が活動停止してても、それを見ている意識はあるからね。
0507神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:15:04.58ID:mfgFyHBY
涅槃を知覚するのは五蘊なのかどうかだな
0508神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:22:26.57ID:q5UALzDH
僕の場合ですが、思考を止めても、生きている、という実感は残ります。
涅槃に至ると、その実感さえなくなるのでしょうか?
その実感は、心臓が動いている、体の細胞が新陳代謝している、と言ってもいいと思います。
0509ポッタン師
垢版 |
2018/12/29(土) 13:17:17.18ID:JS2DF5FH
508.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0510神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 14:05:54.68ID:q5UALzDH
>>509
なぜカルマを増やすようなことをするのですか?
怖くないのですか?
死ぬとき後悔しますよ。
0512神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 15:01:00.08ID:P1rlM1bg
>>511
勝義諦と世俗諦が大乗仏教のそれになってますね
0515神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 16:41:56.08ID:92hxkl81
如実知見はテーラワーダだとヴィパッサナー?ニッパパンチャ?
0516神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 17:16:44.47ID:q5UALzDH
>>511
涅槃の説明で、名・色の停止、とありますが、全部ではないですよね?
全部停止する時は死んだ時だと思います。
活動が極度に弱まったと見るべきでしょうか?
0519神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 21:19:02.21ID:5Pu3Qfdz
>>516
ウ・ジョーティカ師の本(について藤田一照師が解説した文章)の中に「精神的・物質的プロセスの停止、つまり涅槃」とあるので、図の内容と一致しているのではないでしょうか?
0520神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 22:33:50.27ID:5Pu3Qfdz
>>518
魚川祐司氏の「仏教思想のゼロポイント」に下記の記述があり、「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。
間接的ですが、>>511の「無分別」が勝義となるのでは?

---以下引用---
 例えば、テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。
 このうち、心と心所と色は世間諦(loka-sacca)と呼ばれ、涅槃は出世間諦(lokuttara-sacca)と呼ばれる。
(略)
世間諦の三つが形成する現象を、私たちは如実に知見することができずに概念(pannatti)や分別の相(papanca,本書の用語で言えば「物語」)を作り出すのだが、そのうち、人々が「正しい」と慣習的に合意しているものが、「世俗諦」と称されるということである。
(略)
テーラワーダの教理に即して言えば、心・心所・色・涅槃を勝義であるとするのだから、世間諦と出世間諦の二層が「本来性」に当たることになり、世俗諦の通用する「物語の世界」の層は、それに対する「現実性」であるということになるだろう。
---以上引用---
0521神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 23:12:06.66ID:P1rlM1bg
>>520
引用されたゼロポイントの文章を読ませて頂きましたが

「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。

とは書いてないですよ

勝義諦のうち世間諦の三つ(心、心所、色)によって【形成される現象】を概念化して分別した結果、世俗において正しいと認められているものを世俗諦とする、ということが書いてあります。

【形成される現象】のことを施設と言います

勝義諦の心、心所、色も言葉であり、心所にある52の法も言葉で示されていますが、世俗諦との違いは施設ではなく自性(本性)があり、それ以上は分別できないところまで分別されているところです
ですから勝義なわけです


大乗仏教ではそれらの法にも自性はなく空であるので(一切皆空)最初から分別できない、でもそれでは

一〇 世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。 (中論24章)

ということで、空即是色(空即是受、空即是想、空即是行、空即是識)として概念を分別させて世俗諦とします

テーラワーダでは法には自性があるので我空法有
大乗仏教では法は無自性なので我空法空
この違いがあります

自性がある法は分別されたものです
ですから>>511の勝義のところに無分別とあるのはテーラワーダの教えではなく大乗仏教の教えというわけです
0522神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/29(土) 23:20:04.98ID:P1rlM1bg
>>521
補足として

「般若心経は間違い?」という本を読んで、スマナサーラという御方は大変頭が良いと思いました。この本以外に般若心経が間違ってるという本・論文が御座いましたら教えて頂きたいのですが。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11151715406?__ysp=6Iis6Iul5b%2BD57WM44Gv6ZaT6YGV44GE

このベストアンサーの方の回答は理解するのの手助けになるかもしれません

特に
2.「色即是空」は正しいが、「空即是色」は正しいとは言えない。
の回答が

ちなみに
3.釈尊の教法の五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦などを否定する。
これは回答者は「智慧の完成の段階に来た時は、それらからも離れなさいと説かれています」という説明をされていますが、阿含経でも筏の例えとして有名な説話となっています
0523神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 00:04:28.99ID:+ACrhCcT
 
>>522

ご教示ありがとうございます m(_ _)m

スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
  _  _  _

仮設としての
無明を手放し滅し終わっているのなら
苦集滅道の必要はない
それゆえに
無苦集滅道なので

バラモンの神々よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
たとえ雨の中に飲み込まれたとしても
もう妄想の渦の中に巻き込まれることはない
0525神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 07:20:41.57ID:emzwY8u2
空即是色は完全に間違いだろ
色は物質だからね、名前が付いてないとかそういう話じゃなくて
空である、空性があること、それすなわち物質である、は意味がメチャクチャだろ
0526神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 07:30:09.63ID:emzwY8u2
智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、
それらを無と否定した時点でそれらに捉われていることになる
正しく言うなら、五蘊は空、無明が無ければ十二処は無い、四聖諦は無我だね
空と無と法と行と無我と無常と、般若心経はいろいろ勘違いしてる
全部一緒くたにして無だ空だと言えばいいってもんではない
0527神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 08:27:44.96ID:satqZRHL
>>505
>>511の図でいうと、下記対応になると思います。

> 何もしない「我」
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応

> 四諦の悟りレベルの無我
→「如実知見」に対応

> 五蓋が鎮伏された時に欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消える状態
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応
0528神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 08:55:56.66ID:ezlS1BdA
>>525
一八 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。

一九 なんであろうと縁起して起こったものではないものは存在しないから、いかなる不空なるものも存在しない。

二〇 もしもこの一切のものが空でないならば、【何ものかの】生起することも無いし、消滅することも無いであろう。【そうして】汝にとっては四つの真理(四聖諦)が存在しないということになるであろう。

中論24章
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9530364

これが理解できれば空即是色はすんなり理解できると思うよ

>>526
>智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、

般若波羅蜜とは智慧を完成させる修行、般若波羅蜜多とは智慧の完成のことです
0529神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 09:05:42.47ID:emzwY8u2
龍樹は縁起により生滅する色は空だと言っている
空、空なるものは縁起により生滅する色だとは言ってない
どうやら般若心経の著者は般若波羅蜜を行じても智慧が完成してないみたいで
0530神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 09:21:09.75ID:emzwY8u2
色は空
受は空
空は色
空は受
なら色は受か
物質は感覚である、意味不明です
ブッダの五蘊説の否定になります
正しくは五蘊は無常である、無常であるものは空である、でしょうね
パーリ経典でもそうなってるでしょう、五蘊は無常である、苦である、無我である、このように観る人に智慧が生まれると
0531神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 09:29:10.29ID:PscY8ihh
空即是色の「即是」は、中国語の文法規則で「イコール」を表しているわけ
ではなく、そのことを知っていれば間違いではない、という話も聞きました。

色即是空
空即是色
色受想行識亦復如是

つまり、

五蘊は空である。
空であるものとは五蘊である。

五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦を、空というひと言に要約
したということでしょうかね。
まぁ、純テラワダ的にやっていく分には余計な知識かも知れませんが。
0532神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 09:32:20.27ID:PscY8ihh
テーラワーダを説一切有部と混同して、龍樹を援用して叩くのも適当ではないが
漢訳大乗経典をよく研究しないうちに、全部間違いと切り捨てるのも適当ではない
のではないかなぁ。
専門外なら専門外で分からない。ノータッチと割り切る方が賢いかも知れん。
0533神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 09:33:46.73ID:PscY8ihh
>>530
般若心経を書いた人も、信奉している人々も、さすがにそこまでアホじゃないですよ。
われわれテラワダが、大乗仏教徒が考えているほどアホじゃないのと同じぐらいには
そこそこの知能はあります。
0534神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 09:36:26.26ID:PscY8ihh
無明がなければ十二処がない、ってどういうことなんでしょうか。
釈迦牟尼の十二処はどうなっているのですか。
0535神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 09:37:37.14ID:ZtDlhR/G
空即是色という逆の視点
あらゆるものは空であり自性がない。それが色即是空。
しかしこれを逆に考えると、自性がないからこそ世界にはあらゆる姿をした物体が存在できているとみることができる。
もし固定的なものが存在していたら、それは変化をしないものとなってしまうからだ。

しかし世の中にそのようなものはない。
すべてのものが「変化する」という理のなかにある。
だからこそ、あらゆるものが生まれることができる。

固定的なものがないからこそ、あらゆる存在は流動的に変化をして、その結果万物として存在することができる。
つまり、存在には自性のような固定性はないが、固定性がないからこそ万物に姿を変えて生まれ変わることができる柔軟性を持っているのである。
これが空即是色の視点。
空だからこそ、物体が存在することができるのである。

とあるHPから抜粋してみました。私は未熟なのでよくわかりません。
0536神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:41:10.92ID:emzwY8u2
最後に謎の呪文で締めくくるんだからやっぱりアホでしょう
0537神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:45:28.42ID:emzwY8u2
無明が無くなれば行が無くなる
行が無くなれば識が無くなる
識が無くなれば六処が無くなる
要するに眼耳鼻舌身意を通して対象を認識する事、認識しようとする意志、衝動が無くなる
0538神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:46:30.56ID:PscY8ihh
ギャーテーギャーテーは、サンスクリット語で意味があるらしいよ。
(彼岸に)到達しよう、到達しよう、みたいな意味らしい。
もともとは呪文じゃなくて、言語の原意を音写しただけとか、そんなところなのでは。
0539神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:47:40.97ID:PscY8ihh
>>537
お釈迦さまは、目も見えていたはずだし、耳も聞こえていたはずだと思うのですが
六処がなくなるということとの整合性は、どうにか説明がつくのですか?
0540神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:50:14.29ID:PscY8ihh
お釈迦さまが(今回のサーサナで)人間に向けて説いた仏教が、まあ最強の如是だとは思うのだけど
菩薩方が天人(天神)や菩薩志願者、あるいは生天を希望する凡夫衆などに説いた方便ってのも
やはりあるし、それも一応仏教ってことでしょう。
0541神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:51:58.36ID:emzwY8u2
>>539
完全に無明が無くなるのは涅槃の話
阿羅漢の六処は無始なる過去からの無明の結果
いわば時間差、惰性、業の残りカス
0542神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:52:29.18ID:PscY8ihh
右翼と左翼もそうだけど、いがみ合うのはだいたい下っ端同士なんよ。
0543神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 09:55:15.93ID:PscY8ihh
>>541
涅槃は概念だと言っていた方ですか?
涅槃という概念は概念、ではなくて、涅槃が概念で間違いありませんね?
0544神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:00:19.67ID:emzwY8u2
>>543
「涅槃」は概念
無明を滅ぼすのが実際の涅槃
概念と実物は違う
概念には実体がない
実物には名前がない
「涅槃」という概念に実体がある訳ではない
実際の涅槃には「涅槃」という名前はついてない
0545神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:05:28.31ID:emzwY8u2
人間の思考は全て概念を使う
ありがたい概念を法と言い、つまらない概念を妄想と言う
どっちにしろ実践、実行が無いならただの概念
0546神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:08:48.75ID:ezlS1BdA
>>520
>>530を読めば無分別がテーラワーダの勝義ではないことがよく分かるでしょう
>>530は実に良い例を出してくれました

>>530
色は受
ではありません
色も受も勝義では空であり分別できない、そういうことです

>>529
大智度論巻第十九で言ってます
http://www.geocities.jp/tubamedou/Daichidoron/Daichidoron11-20/Daichidoronn19a.htm
あと>>528を理解できるまで読みましょう
色即是空空即是色と同じことを言ってますので
0547神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:09:07.39ID:ezlS1BdA
>>531
煩悩即菩提も
煩悩=悟り
とは読まないですよね

(参考)
迷いがあるからさとりというのであって、迷いがなくなればさとりもなくなる。迷いを離れてさとりはなく、さとりを離れて迷いは ない。
(パーリ、中部 2―18、蜜丸経)

>>536
般若心経とは?専門用語を使わない和訳と、その意味
https://www.e-sogi.com/guide/14635/

「真言」の修行法
を読みましょう
0548神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:27:56.57ID:satqZRHL
>>539
無明がなくなったからと言って、六処がなくなるわけではないと思います。

>>511の図でいうと、「無明」は真理や現象のありのままを覆い隠す雲のようなものです。
「無明」ゆえに現象のありのままを見ることができず、渇愛や執著が起こります。

仏道の実践により現象のありのままを「如実知見」することで、「無明」の雲が消え、真理(法)が見えてくる、ということだと思います。
0549神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:37:38.15ID:PscY8ihh
漢訳般若心経を判断するには、漢文(中国語)の知識が必要であるのに
漢文をあたかも論理哲学の論理記号のように扱って批評するのは、
方法論として適切ではない。

スマナサーラ長老が言ったからといって、全部が正しいわけじゃない。
長老が語っていることは大筋で合っているけれども、個別に見ていくと
人間的なエラーもある。
そしてそれを非難するつもりもない。
0550神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:41:29.03ID:PscY8ihh
大乗仏教教学って、糞の役にも立たない屁理屈が多くてどうも好かんのだけど
大乗仏教がそうなってしまう以前に、おそらく説一切有部が糞みたいな屁理屈で
仏教から逸脱しながら自己正当化していた時期があったんじゃなかろうか。
(推測)
0551ポッタン師
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2018/12/30(日) 10:46:02.88ID:g3q+zRH/
548.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0552神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 10:54:24.27ID:n7Ppoayx
説一切有部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(ātman)なるものなども存在しない、
故に無我(anātman)である、と無我を理解。

しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、大きくは二つ、あるいは五つの範疇に分類されるモノが真に実在する、
という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。

巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか
「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。

が、説一切有部では、世間で認められる常識的な存在を無碍に否定などしておらず、これを世俗諦(世間的レベルでの真実)とし、
対して究極的に認められる存在を勝義諦[しょうぎたい](真に存在するモノ)としています。
吾人の知覚し、経験する諸々の事象を、端から否定するような態度は取らないのです。

真実(諦/satya)について、その見方によって二つの階層を設定し、そのそれぞれの価値を認めているのです。
そして、そのような真実についての理解の仕方は、その内容とするものこそ相違があるものの、大乗にも引き継がれています。

個我は実在しない。けれども、生命・事物など仮の現象を構成する、真に実在するモノがあるという見解を、大乗では「人空法有[にんくうほうう]」などと云います。

そして、そのような見解自体、またそのような見解を至高として奉持する人々は、同じ仏教であっても、大乗の立場から小乗(Hīnayāna)すなわち「不完全な教え」・「劣った教え」と見なされてきました。
特に説一切有部は、インドで最大勢力を誇る部派の一つであったこともあり、その見解・学説は、大乗の主要な批判対象となっています。

真言宗泉湧寺派大本山 法楽寺
http://www.horakuji.com/treasures/sarvasthivadin_cetasika.htm
0554神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 11:42:50.47ID:ezlS1BdA
>>550
説一切有部は糞ではないですよ
紀元一世紀半ばの時点でもなお、有部においては、三明六通・三蔵・三学等に通じた阿羅漢=ブッダが少なくとも500人以上いたとされています
糞でしたらそんなに阿羅漢を輩出できないでしょう
0555神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 12:06:35.24ID:PscY8ihh
阿羅漢は如実知見しているため「見解」はないはずだと思うので、
「大乗仏教」から「小乗仏教」という概念を立てて何を批判しているのか
やっぱり意味が分からない。
0556神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 12:07:58.90ID:PscY8ihh
縁起している一切を空と言おうが
名色が縁に依って生じ、滅していると言おうが
全く同じことでしかない、という理解なので。
0557神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 12:12:44.77ID:PscY8ihh
富士山に4合目、5合目はあると言おうが
富士山に4合目、5合目などという境界線はないと言おうが、
富士山は富士山ですし。

それと同様に、

触には触としての働きがある、という意味において触には触の自性がある。
受には受としての働きがある、という意味において受には受の自性がある。
と言ったとしても、

触も受も縁に依っているので無自性空である。
と言ったとしても、
それは言葉の上だけの話じゃないか、と思うのですが。
0558神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 12:14:17.49ID:PscY8ihh
それこそ、(観察智などの)智慧によらず、言葉と思考概念だけで仏教をしていた場合にしか
起こり得ない論争、対立じゃありませんか。
0559神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 12:22:26.45ID:PscY8ihh
ぜんぶ空のひと言で話を終わらせてしまう大乗の人たちって、
例えば四念処の実践について人に質問された時に説明できる
のだろうか、とかなり疑問。

大乗仏教の始祖たちが、というより、現代の大乗仏教徒たち
自身について、かなりダウト感を感じてる。
0560神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 12:59:24.94ID:emzwY8u2
般若心経では、色不異空、空不異色と言っている
色即是空、空即是色と同じ意味でしょう
空があるからこそ色が成り立つという意味には取れない
全く同じものだと言っている
であるから般若心経の理論では色も受も想も全部同じになる
0561神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 13:08:04.19ID:emzwY8u2
大智度論は龍樹の作では無いという説がある
龍樹は空が色であるという間違いはしないと思う
まぁいずれにせよ問題なのは般若心経
仏教のエッセンスをコンパクトにまとめたという意味はあるが
細かく観ると突っ込みどころしかない
当然ありがたがるようなものでもない
0562神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 13:37:51.37ID:emzwY8u2
苦集滅道は無い、はおかしい
苦集滅道が無いってことは因果は無いってことになる
阿羅漢に苦は無いにしても、因果は有る
他者の心に因果を、苦集滅道を観ることはありえる
正しくは、阿羅漢は苦集滅道に執着しない、という事じゃないだろうか
0563神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 14:26:08.32ID:PscY8ihh
>>560
>般若心経の理論では色も受も想も全部同じになる

それって、論理構造的に小学生でもやらない間違いだよね。
例えば玄奘三蔵とかが、そんなにバカだとは到底思えない。
一方、漢文が読めないのに漢文を批評する行為の方が間違
っている可能性の方が高い。

どっちにしろ、今のところわたしは大乗仏教とそりが合わない。
0564神も仏も名無しさん
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2018/12/30(日) 14:32:34.89ID:PscY8ihh
>色即是空だけど、空即是色じゃない

これはテラワダ側の無学がバカにされるだけだから、止めといた方が無難。

大乗仏教のことは、内心、大衆部と思ってるけど、上座部が滅亡しかけていた
時期に、大衆部が仏教を温存していたから今がある。
大衆部と上座部は、相互に補い合う関係が望ましい。
0565神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 14:34:58.35ID:PscY8ihh
いま、大衆部は形骸化して滅亡の危機に瀕しているので、上座部から仏教を輸入し直すべき。
0566神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 14:47:31.74ID:PscY8ihh
思うに、大乗仏教による仏法理論の高度化というのは、
観察智による実相から離れて概念化するということであって、
それ自体が三学においては退化のプロセスじゃありませんかね。

瞑想で観察智に達することができないから、言葉を尽くして
説明する必要があるわけで、直接見られるなら、見ましたか?と
確認すれば済む話ではないのかと。
0567神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 14:50:38.64ID:PscY8ihh
ところが、どうも今の日本の大乗仏教側の仏教徒というのは
高度化された理論が、高度な仏教だと勘違いしている人が多いように見受けられる。
三学の修習が進んでいる人の方が、ずっと高度なことをしているんですけどね。
0568神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 16:10:15.71ID:emzwY8u2
>>563
いや実際バカでしょう
龍樹が警告した「不完全に見られた空」に見事にハマってしまった
不完全な空の理論が現実から離れて概念化し
意味不明な空論に陥ってしまった
以下は瞑想により空に達した人の歌
「悟り得てなに楽しまん無一物 本来喰う(空)て寝たり起きたり」 一休
0569神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 17:09:51.67ID:bqerQKaA
ちょとレベルを下げさせてもらいますが、空かつ色ならば空に至れば物資化も可能ということになりますか?
0570神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 17:42:21.33ID:x8l/Ubu8
別に、村上さんに同調するつもりはないが、

  ルーパ=物(物質)

という理解が顛倒だという発想はないのかね?  >>ALL
0571神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 18:47:13.27ID:JuNnrfKR
ある言葉が何を意味しているのか瞑想で確かめることが本質的なことであって
確かめもせず妄想から考えたり断定したり評価したりすることは仏教ではない
仏教でなくてもNGだが
0572神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 19:26:24.13ID:ppaYeJSK
>>553
リンク先の論文の題名と著者名をあげておかないと

色(rupa)は物質ではない ――仏典における原意と訳語の考察――
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 59(2), 858-851, 2011

ついでにこんなのもあげておくか

Dharma(dhamma,法)・artha(attha,義)・もの・こと:――仏典和訳の語彙体系の構築試論――
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 62(2), 841-833, 2014
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/62/2/62_KJ00009296635/_article/-char/ja/

法(dharma)と存在(bhava)と存在しているもの(sat)
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 60(2), 892-885, 2012
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/60/2/60_KJ00007978330/_article/-char/ja/
0574神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 20:15:44.88ID:emzwY8u2
やっぱり学者はアホだね
瞑想すれば比較的すぐに名色分離智が現れる
色自体、物質自体、肉体自体は触れられない、感覚を通して色自体を予想するしかない
感覚と色、肉体と心をはっきり区別する智慧は瞑想で言えば初歩中の初歩
わざわざ論文書くような事でもない
0576神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 21:37:55.44ID:emzwY8u2
ここのスレッドタイトルもブッダの教えと瞑想の実践だからね
ブッダも瞑想せよと口を酸っぱくしてるし
言うは易し、行うは難し
博識の非実践者より非博学の実践者が上だわな
0577神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 22:16:07.81ID:PscY8ihh
教行証。
戒定慧。
0578神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:04:01.25ID:ezlS1BdA
>>555
もし空でない何ものかが存在するならば、空である何ものかが存在しよう。しかし、空でない何ものも存在しないから、どうして空であるものが存在しようか。

空性はすべての見解を越えていると、諸々の勝者(仏)によって説かれている。しかるに、空性という見解をいだくかれらは、癒しがたい人びとであると〔勝者たちは〕説いている。
(中論13章7、8)

これら偈に見られるように龍樹(中観派)は見解を説かないことで知られています
またこれらの偈から空とは存在(有)ではないことがわかります

>>557
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9529952&;comm_id=1214406
問題点が何かがこの中論15章でわかるのではないかと

>>558
テーラワーダが説一切有部を批判した理由をスマナサーラは何と語ってますか?

>>560
色不異空→根本智(勝義諦)
空不異色→後得智(世俗諦)

色即是空空即是色の関係も同じ

なお空は存在ではないので空を介して空不異受とはなりません
一切(=五蘊)皆空であるが故に色も空だし受も想も行も識も空であるということです
また空は存在するものではありませんので不生不滅、不垢不浄、不増不減と否定でしか語れません
否定でしか語れないので無分別であるし無戯論です

>>561
空即是色は龍樹以前から摩訶般若波羅蜜経に書かれていた言葉
大智度論はその摩訶般若波羅蜜経の注釈書
それと…笑
http://manikana.la.coocan.jp/prajna/prajna1.pdf
0579神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:05:47.57ID:ezlS1BdA
>>576>>578

それで貴方達は瞑想もせずに朝から思索をこらしたレスを連投などして何してるのですか?
そんな暇があるのなら瞑想してその体験をここに書くべきでしょう
貴方達の立場なら
0580神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:07:18.14ID:ezlS1BdA
上はアンカーミスったので改めて

>>576>>577

それで貴方達は瞑想もせずに朝から思索をこらしたレスを連投などして何してるのですか?
そんな暇があるのなら瞑想してその体験をここに書くべきでしょう
貴方達の立場なら
0581神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:16:50.89ID:PscY8ihh
善哉
0582神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:22:45.28ID:emzwY8u2
>>578
それじゃあやっぱりおかしい
存在ではない空と、存在である色が全く同じ、異らないとはどういう事か
普通に考えれば色即是空だけ正しい
それ以外は概念の世界での言葉遊びにしか思えない
0583神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:24:56.53ID:ppaYeJSK
『般若心経』も時代、地域、人によって捉え方は様々。それこそ日本の伝統的仏教教団での
受け止め方も様々。それら宗派の解釈に捕らわれない入門書ならば

『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』 佐々木閑(著)

が手に取りやすいのかな。
願わくは、この書を機縁として巻末に紹介されている米澤嘉康氏、原田和宗氏、渡辺章悟氏
などの優れた研究が一般人にも広く知られるようになったら良いな。
0584神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:26:59.32ID:JuNnrfKR
実践者は非実践者の博学より上と言ったのに
悟らなくても経典が理解できることなはずだ
と考えるのはおかしいでしょうな

自分の至った境地までしか理解出来ない、語れない
とすべき
0585神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:30:26.07ID:emzwY8u2
>>580
全部瞑想実践に基づいた思索ですけどね
瞑想体験自体は全然重要じゃなくて、瞑想によって生まれる智慧が重要
まぁもっと上を目指せと言われればそれまでですが
0586神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:31:50.60ID:x8l/Ubu8
実践してても見えてなきゃ一緒だろうに・・ ┐(´ー‘)┌
0587神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:37:31.64ID:emzwY8u2
このスレ的に、経典と言えばパーリ仏典
それ以外の経典は怪しい
0588神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:37:47.37ID:ppaYeJSK
原田氏の和訳もリンクしておこう。

梵文『小本・般若心経』和訳
原田 和宗(著) 密教文化 2002(209), L17-L62, 2002
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/2002/209/2002_209_L17/_article/-char/ja/

実践なくして仏教の理解は無いと俺は思うが、
他者に対する知識なくして他者を批判することは出来ないとも思う。
瞑想にもいろいろなやり方、捉え方があって面白いとも思う。
0589神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:44:33.55ID:emzwY8u2
まずブッダやサーリプッタ尊者を創作した経典に登場させるのは
モラル的にどうかと思う
0590神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/30(日) 23:55:30.30ID:ezlS1BdA
>>582
空も色も有でもないし無でもない

(参考)
カッチャーヤナよ 、実に 、この世間の多くは 、「有ること」と 「無いこと」の二つに依存している 。
この世間の多くは 、カッチャーヤナよ 、近づき 、執って 、とらわれ 、縛られるのである 。
この世間の多くは、カッチャーナよ、近づき、執って、とらわれ、縛られるのである。
だが、かの者(仏弟子)は、近づくこと、執ること、
心に確立すること、とらわれること、潜在させることに、近づかず、執らず、確定しない。
すなわち、「わたしにとって自己がない(自己がある)」と。
( 『サンユッタ ・ニカ ーヤ 』一二 ・一五 )

龍樹も仏陀も断定や見解を持ちませんでした
0591神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 00:21:16.70ID:m0NWFRS8
>>590
同じ性質を持つから同じもの、異ならないとはならないでしょう
それなら色も受も想も異ならないことになる
ブッダの説いた五蘊説と矛盾する
0592神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 00:34:32.44ID:m0NWFRS8
しかし今日は頑張りすぎた
しばらく5chは見ないようにする
見るとつい書き込んでしまうから
勉強になることもあるけど、基本不毛だからね、キリが無いし
0593神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 00:36:46.26ID:m0NWFRS8
5chは脳も疲れるし目も疲れる
やっぱり瞑想してる方がいい
さようなら
0594神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 00:51:21.51ID:xcQmKR4S
>>591
いろかたち(色)は泡粒のごとくである。
感受(受)は水泡のごとくである。
表象(想)は陽炎のごとくである。
意欲・行為(行)は芭蕉のごとくである。
識別作用(識)は幻のごとくである。
と日の御子(ブッダ)は説かれた。
瞑想するにしたがって、それ(心身)を正しく考察するならば、〔それは〕実体なく(リッタカ)、空虚(トゥッチャカ)である。」
(『サンユッタ・二カーヤ』]]TT』)

五蘊皆空が正見、正念、正思惟と仏は説きました。
0595神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 00:57:45.35ID:xcQmKR4S
>>592
頑張ったというよりも嬉々として連投していたでしょう?
貴方にとっては自説を語るのは楽しい、だから連投をする。
この楽しさ、快楽がもたらすドーパミン体験はくせになるので貴方はまた5ちゃんねるに戻ってきますよ。
しかも近いうちにね。
0596神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 01:37:57.11ID:8uS9Wba3
貪りですな
0597神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 19:49:23.04ID:nWq86pVm
名色分離智について疑問があるのですが、精神と肉体を別々に分ける状態とのことです。
でも精神は体(脳)から発生していますよね?
分けられないと思うのですが、どう理解すればよいでしょうか?
0598神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 21:24:31.72ID:qzVbfPKT
精神のどの部分のことでしょうか。
思考や五感の感覚、感覚に対する好悪の感情については、身体と相互依存的に生じていますが
行、識は身体(脳)から発生しているわけではありません。

思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので、その時を堺に、何がどう
錯覚だったのか実感として分かるようになると思います。
0599神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 21:43:19.72ID:qzVbfPKT
実践上は、感覚は感覚において感覚として気づき(色)、
感情は、感情において感情として気づく(名)、ということで良いのでは。

大念処経・四念処経では、どういう順序でどこに気づいていくか(学処)が
事細かに述べられていますね。
0600神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 21:45:16.94ID:qzVbfPKT
サマタで思考を止めるのは、たぶんほとんどの人ができないでしょうし
もし、たまたままぐれで出来ても、再現性がない場合がほとんどだと思う。
0601神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 22:00:37.20ID:OkfMIgn7
だから、
「専門家(→僧侶、比丘→出家行者)」と「一般人(→凡夫、善男子善女人→在家信者)」との別が
設けられていたわけで。
「仕事しながら」は無理、ってのが初期のスタンスでしょう。

その意味で日本仏教が、
世俗の仕事(→法事・葬儀・子育て・おしどり夫婦・教諭・教育事業・医療・文筆・地域行事・消防団・カフェ・バンド・相談窓口etc.etc.)
等等を主たる業務としながら仏法の顕現が可能だと考えている(寧ろそれこそが布教だと考えている)としたら、
少々歪かな、と。
0602神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 22:09:29.35ID:nWq86pVm
>>598
コメントありがとうございます。
なんとなく分かったような気がします。厳密にしすぎるのはよくないのかも知れません。
もっと納得がいくように、書き込まれた内容を吟味してみます。


ちなみに
>>行、識は身体(脳)から発生しているわけではありません。
↑が分かりません。体(脳)から発生していると思うのです。
ちなみに、受・想・行・識、は、脳(一部は体も)生源だと思うのです。
そのように感じます。
0603神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/31(月) 22:16:35.30ID:nWq86pVm
追加させて下さい。
>>思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので
↑は涅槃に至った時、なくなるのでしょうか?
0604神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/01(火) 08:18:20.24ID:jtmTjcIM
 
実践したことがないので本当なのか?わからないけど、とりあえず

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
想受滅

非想非非想の実践を経て
そして、それから
非想非非想も手放し超えて
そして、それから
想受滅の直後に「解脱」するとされているらしい

想受滅においては
いのち、あたたかさがあり、諸根(眼耳など)の働きはあるが
心作用のうち受、想、行が滅しているらしい

想がなければ、識も働かないので、想受滅のただ中では
五蘊のうち、心作用と言われる「受想行識」のすべてが滅していることになる
そうすると、物質のみ残り、心作用がない
心作用がないとは言っても、「諸根は浄静である」というから
眼耳鼻舌身などの働きは、破壊されていない
心作用は主観といってよいから、浄静な諸根と客観がある、という状態であるらしい
  _  _  _

たとえば
般若の智慧とか?
平等性智などのような状態?なのかもしれない
0605神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/01(火) 20:10:16.34ID:bL4QJFsT
>>602
わたしも普段はそのように感じています。

気づきが強く連続していくと、意識が瞑想対象から離れなくなって、
思考しようと思っても思考できない状態になってくることがあります。

気づきが、瞑想対象に気づくことに忙しくて、もはや思考を追いかける
ことができない状態です。
その時、思考から抜け出せました。
その状態に五蓋はなく、そこではじめて心所としての信や慈(無瞋)を
経験しました。

その時、五感の感覚も全くないので、その状態を経験してからは
身体と相互依存的に生じている精神現象を相対化できるように
なりました。
0606神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/01(火) 20:12:15.62ID:bL4QJFsT
五感の感覚の有無については、瞑想の種類や深さにもよるだろうと思います。
涅槃ではありません。
ようやく瞑想の入り口ということだと理解しています
0607ポッタン師
垢版 |
2019/01/01(火) 20:22:55.13ID:V3/WlV/A
604.バカ丸出し、である。大爆笑である。バカおじゃる、の言う、ことである。
0608神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/02(水) 01:15:09.47ID:J7VrCjET
 
>>603
>>思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので
>↑は涅槃に至った時、なくなるのでしょうか?

実践したことがないので本当なのか?わからないけど、とりあえず

http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗の内山興正
…坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
…ところが今
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです。すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし
思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
  _  _  _

そして更に
非想非非想 → 想受滅 → 解脱智見 → 有余涅槃 → 無余涅槃

無余涅槃
このときは
(思考から抜け出した時の)
想より深い部分の精神活動も滅している(かもしれない?)
0609神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/02(水) 13:54:32.33ID:DC+ULUYs
>>605,606
>>身体と相互依存的に生じている精神現象
この言葉にハッとしました。つまり縁摂受智ということでしょうか?
そう考えると、精神(名)は体(色)から発するという理解も間違いではないのかもしれないと思いました。
つまり相互依存ということですね。それを分けることはできると。

>>604,608
書き込みありがとうございます。
とても参考になりました。
0610神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/02(水) 14:50:36.64ID:J7VrCjET
 
この説明だけだと意味が、わかりにくいけど、とりあえず

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
パオ・セヤドー

(仮設としての。仮和合としての)
五蘊は生起するや否や、即刻壊滅します。これは刹那生滅です

無明・渇愛・取・行及び業というこの五種類の因が
阿羅漢道智によって余す所なく滅尽する時
五蘊もまた般涅槃の時に、余すところなく滅尽します
因縁滅を了知する智慧を、【 因縁滅智 】 と言います

因縁生滅智
刹那生滅智
  _  _  _

たとえば
般若の智慧によって
(刹那生滅智と)
因縁滅を了知する智慧をもって

因縁滅し尽くして
刹那生滅し終わる場合もある(かもしれない?)
0611神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:25:52.02ID:J7VrCjET
 
ウパニシャッドの
かの神(=有)は
[現象界の]名称と形態をはっきりと展開した

 − これに対して −

スッタニパータ
872
名称と形態に依って感官による接触が起る
…形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない
874
…けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起る
  _  _  _

実践したことがないので、わからないけど

(想いにもとづいて、現れ、変化して、滅している)
(仮設としての)
名称と形態が依存している『想い』を手放して
掴もうとしている『想い』を手放して

という感じなのかもしれない

間違ってたら スマソ m(_ _)m
0612神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/03(木) 22:58:42.43ID:lqTm6oaa
身体の不浄を観ずる(不浄観)のお勧め

『スッタニパータ 第一章 勝利の経』

193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、──これは身体の動作である。

194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。

195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、

196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、

198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。

200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。

201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。

202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。

203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。

206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。
0613神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/05(土) 12:09:11.93ID:N/C9rtul
瞑想会って途中参加OKですか?
仕事上フルで出るのは難しいです
0614神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/05(土) 15:10:04.85ID:uGqIuu+6
>>613
主催者さんにお聞きになるのがベターだとは思いますが、
一日瞑想会の場合、大抵は静かに出入りすればOKだと思いますよ。

プログラム進行がみっちり決まっていて、高名なお坊様が指導するような
イベント型の瞑想会の場合は、問い合わせるか主催者側の発表情報を
確認した方が良いと思います。
0615神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/05(土) 19:48:42.39ID:N/C9rtul
>>614
そうですね
そのような時は電話で確認してみます
ありがとうございました
0617神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/06(日) 08:59:03.40ID:7RtEGcBI
ある日示していわく、聞いてみよそして見てみよ。又云う、経験してないなら見てみよ、見てないなら聞いてみよ。
つまり、聞いて知るよりは見るのがよい。見るよりも経験してみるのがもっとよい。
まだ経験してないのなら見て学ぶということがあり、見ることがかなわなければ聞いて学ぶということがある。
学道の用心とは自己を投げ捨てることである。自分に執着する態度を改めて、自己を捨てた修行の中に身を投げれば、
心も随って転じていくものである。宋の国には俗人の慣習に、父母の供養のために墓に集まって泣くまねをするというのがある。
すると終いには本当に泣いてしまう。学道の人も、始めは道心などなくても道を好み仏道を学ぶ環境に身を置けば、
自然と本当に道心が起きてくるものだ。初心の学道の人は只みんなに随って修行すればよい。
修行の心得だとか昔からのやり方などを勉強しようなどと思わなくてよい。そのようなことは一人で山に入ったり、
市井にあって行じていこうとするときに役に立つというくらいのものだ。みんなに随って修行すれば道が得られる。
舟に乗ったら船頭にまかせていけばよい。どうやって漕ぐか知らなくてもちゃんと彼岸に着く。
よく心得た船頭にまかせてみんなと一緒に修行して自分というものを捨ててゆけばもはや道人である。
もし悟りを得て、もう悟ったからこれで良い師もいらないと思っても参禅をやめてはいけない。仏道に終わりはない。
悟ったらなお修行である。良遂座主が麻谷禅師に参禅した因縁を思い出すとよい。

正法眼蔵随聞記
http://kohgetsuji.justhpbs.jp/zuimonki.html
0618神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/06(日) 11:47:27.79ID:TmMnnbcq
好意、好きと言う作用は感覚でしょうか思考でしょうか感情と言うものでしょうか
またその現象が起こった場合どのようにラベリングしたら良いでしょうか?
胸がむず痒くなるような、
締め付けられるようななんとも言い難い感覚です。
0620神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:17:31.40ID:8iivTs+E
仏教学んだら
絶対に勝ってやるとか、必ず一位になってやる
という気持ちが無くなっていくのはなぜ?

スポーツ選手なら、絶対金メダル獲る!という執念もなくなりそうに感じる
0621神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:25:19.12ID:2jITwcsz
メダルを取ることより、仏法を学んで結果を出すことの方が意義があることだからね
預流果になることは全地上の王様になることより価値があることらしいから
希少価値は逆転しているけれど
0622神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:40:28.86ID:aosCKaCY
>>621
金メダルを取ってから引退して仏法はできるけど
悟りに一生ささげて、金メダルどころか家庭や恋愛もリタイヤですね。
0623神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:57:01.63ID:JVr5auvC
前提認識として、死んだら終わりと思ってるか、
死んでも輪廻が続くと思っているかで、見方、考え方が全然違ってきますので。

輪廻が続くと、なんとなく信じているのと、
輪廻が続く(続いてきた)のを知っているのとでも、また全然違います。
0624神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:59:17.25ID:JVr5auvC
映画マトリックスでいうと、
マトリックスの住人で居続けるのか、マトリックスから抜け出すのか。
マトリックス内の価値観の尺度で、マトリックスから抜け出すことの価値を測ることはできないんですね。
0625神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:03:11.60ID:JVr5auvC
仏道修行をしない場合、寿命が来たら確実に死にますし、
死んだら欲六界のどこかに転生して、また四苦八苦です。

瞑想がある程度のところまで行っていれば、死ぬのは身体だけですし
(おそらく)脱皮する程度のことでしかありません。

三宝への帰依と布施、戒律が確立していれば、たとえ欲界転生でも
悪趣に行くことはありません。

死んだ後の準備をしないで死に突入するのは、パラシュートなしで
飛行機から飛び降りるようなもんです。
業と業果はありますし、死んだぐらいじゃ解放されませんです。

受験や就職の準備をしないで歳を取ると大変なことになります。
死もそうです。
0626神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:07:06.91ID:zWLnHQDW
生き返って苦悩するのを繰り返しても
物事はいつかは終わるから、
最終的にどうなるの?
なぜそんな事を繰り返すの?
0627神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:09:36.56ID:2jITwcsz
>>JVr5auvC
仏道に対する確信が強いようで、うらやましいです
0628神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:11:29.96ID:JVr5auvC
我々は夢を見ている時、現実の自分を忘れてしまい、夢の中のリアリティに埋没していますが
夢から覚めると現実感と自己認識を取り戻しますし、リアリティも夢のなかよりずっと高い実感
があるはずです。

深さにもよるでしょうが、瞑想にもそういう目覚めの状態があります。
瞑想状態に入っている時の方が、我々が普段現実だと思っているリアルよりも、ずっとリアルです。
そこで初めて、なるほど「目覚め」と言うわけだと思うはずです。
リアリティはそれぐらい違います。
(自己が想像するような自己ではありませんが、)生まれる前の自己を思い出しもします。

まぁ、いくら言っても実感は湧かないでしょうし、信じられないでしょうから、思考から抜け出す
まで、突破するまで瞑想してみて下さい。
0629神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:12:38.64ID:JVr5auvC
>>626
分かりません。
分かろうとしています。

>>627
生意気言ってすみません。
すべて仏法僧とのご縁のお陰です。
0630神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:16:56.85ID:2jITwcsz
>>629
いえいえ、とんでもありません。お考えを書いてくださってありがとうございます。
まだ悟ってはおられないのでしょうか?
現段階からさらに、悟りの光が現れますようにと、念じさせていただきました。
0631神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:17:25.08ID:JVr5auvC
(毎回同じことを書きますが、)
夢や妄想、幻覚じゃないのかとの疑いについては、こうお答えできます。

夢は、眠っていないと見ません。
幻覚は、五感の感覚がないとろには生じません。
妄想は、思考から抜け出した状態にはありません(できません)。

ある種の瞑想状態は、眠っていません。
五感の感覚もすべて消えてしまいます。意識が意識しないので、認識しません。
集中対象に意識を縛り付けているので、思考を追いかけることができないので、思考もできません。
0632神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:19:56.19ID:JVr5auvC
間違いや不適切があれば、速やかに訂正されますように。
いまだ仏道にご縁のない方が、死を乗り越える機会が得られますように。
三宝と仏道を護る皆様に礼拝いたします。
0633神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/08(火) 00:57:20.80ID:201ZQJ/H
>>631
>集中対象に意識を縛り付けているので、思考を追いかけることができないので、思考もできません。

例えば読経やマントラも読むことや(心の中で)唱えることによって思考を消すのが目的
とは言ってもよほどの精神統一がないと読経中やマントラ唱え中でも思考は湧いてくる
湧いてきた思考は追いかけずにただこういう思考が湧いてきたのを確認したら棄ててまた行の方に集中力を傾ける
棄てようとしても棄てきれずにどんどんその思考に追われることになって読むこと唱えることに集中できないならそれはそれで今自分が抱えている悩みが何かをはっきりと知ることはできる
その悩みは無常苦無我の三相であるとして観察するかそれとも具体的対処法を考えるかはその人の資質で向いてる方を選べばいいと思う
基本的には三相を選んでおけば過度な期待はしなくならので裏切られることはない
ただ時として問題の先送りになるかもしれない
とらわれてるのも三相だとして妄想を巡らすことなくマイナス思考に陥ることなく具体的な対処法を行の後に一考するのがいいのかもね
0634神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:02:03.93ID:Av3Uvqek
私は難しいことは向いてない思った
悟ったと言われているお釈迦さんの
したことで私でも今すぐに出来ること
を探してみたら食を乞うて歩くこと
これは難しい理屈の理解とかいらず
考えずに簡単に出来るなと思った

結果的には
私の弱い精神と軟弱な身体なのが
身に染みた
今では屋根の下で病弱な状態で
何とか生きてる感じだ

私でも短い期間はできたので
一生食を乞うて生きて死ぬ人がいると
確信している

もう全く出来そうもないので
そんなやり方に
とっても憧れているわ
0636神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:18:52.83ID:cBQq2xQ3
そうだよ。
それでも五蓋が鎮伏されれば、そのレベルの体験と洞察があります。
四諦を悟るレベルの目覚めは、いったいどんなかと思うと想像を絶しますね。
想像は想(サンニャー)だから、想像したって分かりっこないわけでしょうが。
0638神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 13:37:25.57ID:q9SrhyLA
>618

>胸がむず痒くなるような、
>締め付けられるようななんとも言い難い感覚です。

これが好意を起こしているでは無いですか?

身体が先で想いが後

色(身体)>痛み>想い
0639神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 15:05:45.77ID:oHgbeoNu
欲望を満足させることよりも、欲望が生じないようにした方が幸せなんですね。
瞑想して気づきました。欲望が発生しない方が安全、幸せだと。
このことはネット上で見て、そうなのだと頭では理解していましたが、瞑想で実感することが重要だったようです。
0640神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 16:26:31.79ID:c6StQANV
お釈迦様が成道したときに悟ったと気づいた主体のようなものってあったんでしょうかね
0641神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 16:27:44.14ID:oHgbeoNu
まだ欲望を克服したわけではありませんが・・・。
欲望を満たすことより、幸せになる道があるということは分かりました。
そのように生きれるようになりたいと思います。
0642神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/10(木) 09:19:26.16ID:ouTEUdMg
一方の隅に立ったかの神は、尊師のそばでこの詩を唱えました。

 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 諸々の福徳をなして、安楽をねがうがよい。」

(尊師が語りました。)
 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 世間の財を捨て、寂静をねがうがよい。」

(サンユッタニカーヤ 神相応)
0643神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/10(木) 15:40:55.67ID:cEmthx0D
キリスト教にも興味がある者ですが、
仏教を実践する人、キリスト教を実践する人の最高到達地点て、どちらがより上なんでしょうか。
到達地点はそれぞれ別のもので、比べられるものではないんでしょうか。
0644神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/10(木) 16:28:41.59ID:snTZYgfJ
仏教における仏性とキリスト教の内なる精霊は似た概念なのかもしれんけど、どちらが上というのはよくわからないな
0645神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/10(木) 16:39:04.31ID:yPgxgIO4
自力か他力かじゃない?到達地点は違うと思う。イエス以外の全ては罪人で許して
もらうというのがキリスト教じゃない?ホントに許してもらえるのか謎。
仏教だと、外に求めるものはすべて苦だと説明するよ。
0646神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/10(木) 19:44:04.37ID:cEmthx0D
下手したら荒れる話だから注意が必要ですね。
絶対神の存在を認めるか認めないかで立場が違ってきますよね。
差はここから生まれているのでしょうか。どちらも幸福なのは変わらないと思います。
0647神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/10(木) 21:54:41.19ID:hjHjYLht
キリスト教にもいろいろある
自力の「悔い改め」に重心を置く宗派もある
カルバン派あたりは浄土真宗と大して変わりない気がするな
0648神も仏も名無しさん
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2019/01/10(木) 21:59:57.01ID:hjHjYLht
浄土真宗の他力本願というのは、「悟るんだ悟るんだ」という自力努力を
手放したところに救い、悟りなどがあるという話だろう
テーラワーダでもなんでも、一定程度のところまでいったら
他力みたいなものを感じないわけがないんで
それを阿弥陀様と呼んだり、イエス・キリストによる救いと呼んだりする
そう考えておけばいいよ
厳密な話をしたってあまり意味がない
0649神も仏も名無しさん
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2019/01/10(木) 22:24:07.52ID:XbjIN62H
自力でがんばり抜いて自我を手放したら、その状態では
もはや自力は成り立たないだろうから、実は他力はかなり
レベルの高いことを言っている可能性がある。
0650神も仏も名無しさん
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2019/01/10(木) 22:25:32.53ID:XbjIN62H
自力と他力は同じこと、と言っている禅僧もいた。
0651神も仏も名無しさん
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2019/01/10(木) 23:37:15.25ID:5Kproz+z
祈る行為って好きなんだよなぁ
教会、神社、寺院それぞれムードが違って、でも大きなものに祈るのが好きだわ
どれも同じものが違う形で現れてくれたものだろうしね
無相の真理もね
こんどモスクにもいってみよう
0652神も仏も名無しさん
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2019/01/10(木) 23:38:34.53ID:5Kproz+z
まあある意味テーラワーダほど明確に神々の存在に言及しているところも珍しい
「高次な生き物」って解釈なんだろうけどね
0653神も仏も名無しさん
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2019/01/11(金) 12:34:40.38ID:vCNqQ9pi
自力、他力はブッダは説いてないんじゃない?
五力は説かれたけど
0654神も仏も名無しさん
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2019/01/11(金) 13:29:21.43ID:gRA7Mx4y
ブッダの他力は在家信者に対して
五戒や八斎戒を守ることによって死後は天界に生まれることを説いたが他にもサンガに物惜みせずに托鉢することによっても天界に生まれるとした
サンガは仏像、托鉢は仏像の前の賽銭箱と置き換えるとサンガに充分に施しをして死後の天界への転生を願うのは他力と言える
0655神も仏も名無しさん
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2019/01/11(金) 13:37:15.87ID:QVQ6rzOa
ダンマの六徳と言う日常で唱える文句の中に、賢者たちによって各自で悟られるべき教えで
あると言うセクションがある。”自らこの教えを実践して体験すべき。他力救済を説かない”
とテーラワーダ仏教協会のパンフにある。
0656神も仏も名無しさん
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2019/01/11(金) 16:17:03.18ID:xCVoGiq3
完全な神様がいたら、そらそれに帰依しますわ。
いないんなら、自分で何とかするしかない。
それが仏教なのでは。
0657神も仏も名無しさん
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2019/01/11(金) 18:05:24.93ID:5vRztH4a
言葉はすべて、どの観点から、どこまで見通しているかによる。
本当に当てにならない。と思う。
0658神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 11:10:20.83ID:YBkvg5OU
天界とか神々とかみんな信じてんの?
0659神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 12:26:21.83ID:YBkvg5OU
初期仏教は宗教じゃない
心の科学
後の大乗が宗教にしてしまった
それが間違い

これが正式な見解
0660神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 12:44:04.80ID:MsQvq89F
仏道は中道だから、決めつけずに自分で確かめていけばいいのだと思う。
科学的態度というのは、理論の整合性(帰納と演繹)に加えて、観察または
実験観測による確認を含む。

教学は理論。
サマタは望遠鏡の設置。
ヴィパッサナーは天体観測。

地球が平らだと思ってる人に、丸いよと話しても下手すると殺される。
望遠鏡の使い方を教えて、観測してもらえば、自分で納得する。
0661神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 12:45:29.72ID:MsQvq89F
「自分の考え」というのは、まず錯覚だから。
自分がそもそも錯覚だから。
0662神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 12:48:17.83ID:MsQvq89F
>>659
初期仏教がどんなことを言っているのか、パーリ仏典を
日本語訳でいいから読んでみるといいよ。

仏教は心の科学で間違いない。
しかし、悟りの智慧を、悟っていない人の考えで捉えられると思っているなら
それはおそらく違う。
0663神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 13:07:25.30ID:MsQvq89F
言い方は悪いが、犬猫が頭でいくら考えても、人間が捉えているような
高度な知見や認識を理解することは無理なのと一緒で、人間が頭で
考えることは、ほんとうに大したことないです。
0664神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 20:01:25.98ID:KJ6cPCe7
人間の思考は大したことないというより、むしろ有害
悟りの智慧も高度な見解というわけではなく、いかに人間が愚かか、騙されやすいか、勘違いをしているか、顛倒しているかを知るだけのこと
0665神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 20:04:51.97ID:zRb6pzJo
>>664もまた思考ですので
0666神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 21:55:43.22ID:KJ6cPCe7
あ、もちろん正しい思考、正思惟もある

比丘たちよ、私は正思惟を二つに説きます。
比丘たちよ、有漏の、福分の、生存の素因という異熟ある正思惟があります。
比丘たちよ、聖なる、無漏の、出世間の、道支たる正思惟があります。
では比丘たちよ、いかなるものが有漏の、福分の、生存の素因という異熟ある正思惟なのでしょうか。
離欲の思惟、無瞋の思惟、不害の思惟です。
比丘たちよ、これが有漏の、福分の、生存の素因という異熟ある正思惟です。
では比丘たちよ、いかなるものが聖なる、無漏の、出世間の、道支たる正思惟なのでしょうか。
比丘たちよ、およそ聖なる心の者、無漏の心の者、聖道を具備した者、聖道を修習する者には、思索、尋、思念、専注、統覚、心の志念、語行がおこります。
比丘たちよ、これが聖なる、無漏の、出世間の、道支たる正思惟です。
https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnup/mn12/mn12c15.htm
0667神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 23:43:43.32ID:zRb6pzJo
[正しい思考]
「比丘たちよ、このなかで正しい見方が最初にくる。
では、比丘たちよ、どうして正しい見方が最初にくるのか。
誤った思考を誤った思考と知り、正しい思考を正しい思考と知っているとき、その人は正しい見方をしている。
[73]では、比丘たちよ、誤った思考とはなにか。欲をともなった思考、敵意をともなった思考、害意をともなった思考――比丘たちよ、これが誤った思考である。
では、比丘たちよ、正しい思考とはなにか。比丘たちよ、正しい思考もわたしは二つ説く。
比丘たちよ、『徳行のひとつではあるが、結局は[迷いの生存の]下地をつくる、煩悩をともなった正しい思考』があり、比丘たちよ、『神聖で、煩悩を離れ、世俗を超越した、聖道に属する正しい思考』がある。
 比丘たちよ、『徳行のひとつではあるが、結局は[迷いの生存の]下地をつくる、煩悩をともなった正しい思考』とはなにか。
欲を離れた思考、敵意のない思考、害意のない思考――日これが『徳行のひとつではあるが、結局は[迷いの生存の]下地をつくる、煩悩をともなった正しい思考』である。
では、比丘たちよ、『神聖で、煩悩を離れ、世俗を超越した、聖道に属する正しい思考』とはなにか。
比丘たちよ、心が神聖で、心に煩悩がなく、聖道に達し、聖道を修めている人の思索、熟考、思案、思いを向け、思いを致し、思いを凝らすこと、言語活動
――比丘たちよ、これが『神聖で、煩悩を離れ、世俗を超越した、聖道に属する正しい思考』である。
 誤った思考を捨てよう、正しい思考を備えようと努力するとき、その人は正しい努力をしている。
注意して誤った思考を捨て、注意して正しい思考を備えているとき、その人は正しい注意をしている。
こうしてこの三つのもの、すなわち、正しい見方、正しい努力、正しい注意が正しい思考につきしたがい、ついてまわる。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=951429&;id=29096929
0668神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 23:46:58.23ID:zRb6pzJo
説一切有部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(ātman)なるものなども存在しない、
故に無我(anātman)である、と無我を理解。

しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、
大きくは二つ、あるいは五つの範疇に分類されるモノが真に実在する、という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。

巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか
「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。

が、説一切有部では、世間で認められる常識的な存在を無碍に否定などしておらず、これを世俗諦(世間的レベルでの真実)とし、
対して究極的に認められる存在を勝義諦[しょうぎたい](真に存在するモノ)としています。
吾人の知覚し、経験する諸々の事象を、端から否定するような態度は取らないのです。

真実(諦/satya)について、その見方によって二つの階層を設定し、そのそれぞれの価値を認めているのです。
そして、そのような真実についての理解の仕方は、その内容とするものこそ相違があるものの、大乗にも引き継がれています。
http://www.horakuji.com/treasures/sarvasthivadin_cetasika.htm
0669神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 09:40:54.52ID:CWdN815c
>巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか
>「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。

と言っている人も虚妄、ナーマルーパにすぎない
その人の意見も虚妄、空
0670神も仏も名無しさん
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2019/01/13(日) 09:50:11.46ID:LAyH/HQL
>>669

巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか
「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。

の好例
0671神も仏も名無しさん
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2019/01/13(日) 11:42:53.10ID:9RQWKMHe
>>658-569
>天界とか神々とかみんな信じてんの?

天界があるのか、神々はいるのかという話の流れだから
ここでは >>668 の話は直接的には関係ないのでは。
0672神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 11:44:52.07ID:9RQWKMHe
訂正
>>658-659

初期仏教(パーリ三蔵経典にのこる仏説)において、天界のことも天神のことも述べられています。
なんなら、瞑想で確かめることもできます。
0673神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 11:54:08.44ID:9RQWKMHe
欲六界にせよ、三界世間にせよ、
自分の生きている世界だけが有情世間のすべてだと思ってるのって
「自分」を始点とした「想(サンニャー)」、
「自分」を中心とする「想(サンニャー)」でしかなくて、

想像上の神を居ると考えようと、いないと考えようと
同じ「想」のなかで妄想をもてあそんでるだけであることに
なんの変わりもない。

想像上の神を居ると信じているのは、ピカチュウを信じてるのと何も変わらない。
居ないと信じているのも、実は同じ。
0674神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 11:54:51.08ID:9RQWKMHe
途中でボタンおしてしまった。すまん。
もう面倒だから修正はしない。
0676神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:10:12.28ID:9RQWKMHe
一部だけですが確かめました。
これまでにも色んな宗教の、いろんな人が、いろんな語り口で語っています。
それらを言葉と思考で捉えるから、それぞれみんな別モノに感じられるだけ
だったのだと分かりました。

証言なら、すでに世界中に、歴史上に沢山溢れています。
いまもそうです。
ネットの発達で届きやすくなっている状況でしょう。
0677神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:13:34.16ID:9RQWKMHe
世界は、誰かの「自分」を中心に回っているわけじゃありません。
自分を中心に回っているのは、自分だけです。
それを手放さなければ、虚妄から抜け出すことなどできません。
0678神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:27:42.06ID:DIiGtiTE
「自分」を中心に回っているなんておもってないけど
瞑想をするのも自分だし
途中で送信してしまうのも自分だよね
0679神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:28:33.69ID:9RQWKMHe
自分を作ってるのは思考だから、思考が止まってる時は
その自分はいないっす。
0680神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:29:16.64ID:LA0YahY3
>>676
神がいると思ったということでしょうか?
何かを見たわけですか?
0681神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:29:57.96ID:9RQWKMHe
そこが分かってない人が多い。
考えるのは自分なので、考えて分かることもでない。
だから、そもそも言っても仕方ない。
0682神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:30:47.50ID:9RQWKMHe
思うのは「想」ですけど、「想」は思考(妄想)ですから、それはピカチュウと何も変わらないと思いますよ。
0683神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 12:33:56.43ID:9RQWKMHe
お釈迦さまにしろ、色んな祖師の方々にしろ、ピカチュウと
ものの区別ができないようなバカじゃないと思いますけどね。

それでも経典に書いてあることより、自分の考えの方が正しい
悟ってないし、瞑想もできないけど「正しい仏教」知ってるんだと
いう態度の仏教徒/仏教学者は、とても多いと思う。
0685神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 14:30:44.86ID:unHEraI0
まあピカチュウにしろブッダにしろ
脳のなかのちょっとした信号だわな
そうゆう意味では空
0686神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 14:44:19.94ID:unHEraI0
だいたい一切が虚妄って当たり前だよね
人間死ぬ時には全部捨てなきゃいけない
思い出なんかは幻だしね
自分の人生は何だったのか
夢みたいなもんですよ、はいさようならw
0687神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 14:47:23.22ID:9RQWKMHe
解脱していなければ、死んでも業はなくならない。
逃げられない。
0688神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 14:48:15.84ID:9RQWKMHe
>>684
少なくとも、自分の想が頭で考える「正しい仏教」なんてものは
ぜんぜん正しくないことは分かってる。
0689神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 14:53:31.18ID:oGqstCrt
先入観や思い込みなく今を見るという感じかなあ
四苦八苦など今の状態が苦だと捉えてることが事が妄想だと言ってんじゃないのか
さて、今とはなんだろうか
0690神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 14:54:09.66ID:9RQWKMHe
正見は智慧の開発度合いに応じて変わっていくものだろうし
完全に正見が具現化されるのは無学位に悟った時のはず。
それまで自分は悟っていないのだから、厳密な意味での正見
は備わっていない。
その自覚があるかどうか。
0691ポッタン師
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2019/01/13(日) 15:02:02.09ID:N66TY5/a
690.バカが言う、ことである。大爆笑である。
0692神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 15:07:07.49ID:LA0YahY3
私も神の存在を感じてみたいんですが、どんな瞑想やったらいいんでしょうか
神随念やってれば実感わくんでしょうか
0693神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 15:07:58.23ID:LA0YahY3
感じるのは証拠にならないと思う。主観だから
客観的な実感が必要だと思う
0694神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 15:12:00.13ID:unHEraI0
一切が虚妄だと納得する = 解脱
虚妄じゃないものがあるんじゃないの? = 輪廻
だろうな

虚妄じゃないものを求めて心が彷徨うんだろう、輪廻の中を
0695神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 16:26:02.37ID:9RQWKMHe
>>694
やっぱり、それはなんか違うところに入っちゃってるんじゃないか。
仏教は虚無主義じゃないと思う。
0696学術
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2019/01/13(日) 16:27:03.78ID:G4qm9l/e
神がいるから現れるのは必定。同じ次元にいることはほぼないでしょう。はげめ。
0697学術
垢版 |
2019/01/13(日) 16:30:30.78ID:G4qm9l/e
十牛図よんで花見に焼き肉食いに行くんだ。
0698神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 16:52:28.92ID:9RQWKMHe
次元が違うんだけど、次元という単語を使うと先入観のフィルターにある
スピ系の印象でもって、反射的に判断されるだろうから、何と言っていいかわからん。
ひたすら面倒くさい。
0699神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 17:46:34.66ID:DIiGtiTE
面倒くさかったら黙してたらいいのに
エゴで勝手に書き込んでるだけでしょ
0700神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 09:51:11.51ID:EN51tF3Y
走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
0701神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 10:23:25.12ID:MkPqadoR
解脱してないのに、虚妄だと頭で思っているだけで
輪廻がなくなるわけじゃあないのでね。
0702神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 10:24:38.35ID:MkPqadoR
本当に預流果だったら、他人にそういう誤解を与えるような物言いをするだろうかね。
0703神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 10:51:26.76ID:EN51tF3Y
●夢を見ていながら、これは夢だとはなかなかわからぬ。頬っぺたをつまんでみたら痛い。その痛いのも夢なんじゃ。夢と夢のつきあいだから、夢が夢ともわからぬ。

●現実、現実と言うが、これみな夢である。夢の中での現実でしかない。革命とか戦争とか言うと、ドエライことのように思うておるが、やはり夢の中のモガキである。死んでみれば「夢だったな」とようわかる。それを生きているうちにカタヅカナイのが凡夫というものである。

●一切の差別の世界はみな夢幻空華である。しかしその夢を夢とも知らずに、その夢のなかで大騒ぎをやっておるのがこの現世である。

●凡夫の方からいえば実相は何もない。いや諸法実相の真っ只中において妄想ばかり見て おる。

●なあに世の中に幸福もなければ不幸もない。夢のなかで別嬪に惚れられておるか、振られておるかというだけの違いである。覚めてみると何もない。ああウソだった。

澤木興道
0705神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 13:49:42.55ID:EN51tF3Y
坐れば坐るほど澤木老師の言葉は心に響いてくる
坐らないでただ読んでも、これは何でもない言葉だと勘違いする
0706神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 15:41:03.98ID:yqmUn5b4
全ての宗教は自分で考えないバカをカモにした詐欺だがその中でも特に仏教は賢ぶった虚言癖バカをターゲットにしている
彼らは息をするように嘘をつく
常に小難しいホラを吹聴しては何かとてつもない秘儀を理解してるかのようにふるまいたがる
その内容が難解であればあるほど仲間内で高レベルであるとみなされるらしく次から次へと際限なく新たなホラが生みだされる
今日も仏教徒という嘘つきホラ吹き達は己のホラのすごさを競い合い「俺は悟った」「私の方が高い境地に到達した」とマウントを取り合う
0707神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 15:56:58.33ID:h1BzVgCh
初心者で修行中のものですが、名色分離智が現れているか現れていないかわかりません。
これ現れたらハッキリと分かるものなんでしょうか。
できている気もするし、できていない気もする。
0708神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 19:28:09.26ID:EN51tF3Y
自分は名色分離智も何も知らないで瞑想した、後で「あぁ確かにそういう段階もあったな」と確認したけど。
たとえば「自分の右手がある」と漠然と思うのではなくて、
「右手の感覚がある、右手を見る視覚がある、それらから右手があるという認識が生まれている。
物質としての右手、右手自体には触れられない。触れられないがいちおうあるはずだ。
物質としての肉体が違うだけで、生命の心はみんな同じだ。」
という理解があればいちおう名色分離智があることになる。
0709神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 20:45:08.58ID:EN51tF3Y
というか十六観智よりも七覚支、八正道を気にした方がいい。
そっちはブッダがオリジナルだから。
喜覚支があるかどうか、精進覚支があるかどうか、正命に気をつけているか、など。
0710神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 21:18:48.58ID:h1BzVgCh
サンクスです。
そもそも名色分離智の定義さえ、いまいちハッキリと分かっていないんですよね。
右手の例でいえば、右手の感覚と、その感覚に気づいている意識、という風なことでしょうか。
0711神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 21:25:47.72ID:h1BzVgCh
ちょっと違いますかね。右手という物質(色)、右手の感覚(名)、ということなのかな。
0712神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 21:37:06.14ID:hA/gCefa
十六観智って心身の状態に無関心、無感覚になるって感じなのかな。
七覚支はフロー体験みたいな感じなんだろうけど。
0713神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 21:47:43.77ID:EN51tF3Y
五蘊と六根についても勉強されると良いと思います。
その上で瞑想し、「これは受、これは想、これは識」または「これは眼、これは鼻、これは意」などと確認していきます。
そうすれば、「色」「物質」というのは直接確認できない事が分かります。
人間が感じ取れるのは心しかない。六根しかない。受しかないことが理解されます。
そうなれば、感じ取れる心と、感じ取れない身体とを分離して理解したことになります。
0715神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/18(金) 19:12:30.35ID:/rJ11J3c
預流の前段階で、隋信行・随法行っていうものがあるそうですね。
この段階で悪趣には落ちないそうです。悟りに向かっている状態だそうです。
ここにきている方で、預流でない方も、みんなその状態にはありそうです。
0716神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/18(金) 21:45:22.39ID:7FUGcWEd
>>715
まだ安心しないほうがいい
来世に人間に生まれたとしても、仏教に出会えるか、修行できる環境に生まれるかどうかは分からない
そこで悪業を為せば悪趣にも落ちるだろう
0718神も仏も名無しさん
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2019/01/19(土) 13:31:27.66ID:IuuVKRoy
「悟りとは無我である」というような、真実に関する命題というものは明快な美しさがありますから、下手をすると修行者はそこに観念的にとらわれてしまいがちです。

「世界は一切空で真実の姿は平等である」という、いわば自己完結した心地よい優等生の回答から抜け出ることができず、その結果、現実に働き出る救済的な力を持たないままの“宗教的お坊ちゃま”で終わってしまうことになりかねません。

禅ではこのような状態に陥った者を「死漢」つまり、「現実に全く影響を及ぼさない死人」と呼んでいるぐらいです。


そんなわけで雲門和尚は、真っ白な美しい悟りに捕われるな、その悟りを抜け出ていけ、泥まみれの世界へ行け、という意味の代語をしたわけですね。
0719神も仏も名無しさん
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2019/01/19(土) 16:50:51.88ID:JWd5AYtX
仙桂和尚は 真の道者    
貌(ぼう)は古にして 言は朴なるの客
三十年 国仙の会に在りて      
禅に参ぜず 経を読まず
宗文の一句すら 道(い)わず    
園疏を作って 大衆に供養す
当時 我之を見れども見えず    
之に遇い 之に遇えども遇わず
呼嗟 今之に放(なら)わんとするも得得可からず
仙桂和尚は 真の道者

古風な顔つきの仙桂和尚こそ真の修業僧だ.彼は寡黙で,言葉も少ない.
三十年もの間,国仙和尚の下にありながら,日々の参禅も行わず,経も読まない.
宗文のことについても,一言も話すことが無かった.
ひたすら畑を耕しては,修業僧の皆に食事を作っていた.
その当時の自分は,仙桂和尚と毎日出あっていたが,本当の姿を見ていなかった.
本当の仙桂和尚の姿を理解すべきであったのに,理解できないでいた.
ああ,今では仙桂和尚の前で教えを乞うとしてもそれは出来ない.
仙桂和尚こそ真の修行者であった.

https://blogs.yahoo.co.jp/kurashiki_prince/19040920.html
0720神も仏も名無しさん
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2019/01/22(火) 00:23:32.89ID:Pi1EVOCl
>>719
>三十年もの間,国仙和尚の下にありながら,日々の参禅も行わず,経も読まない.

昔、常不軽という菩薩比丘がいた。
この菩薩は経典を読まず、人を見ては深く敬い礼拝することを自らの行とした。
『みなさん、わたしはあなたがたを敬います。 軽んじません。なぜなら、あなたがたは菩薩の道を行じて、仏となるからです』
この行いは、人々をして多くの誤解を生じ、無知の人々から罵倒(ばとう)を生んで行ったのである。
それでもこの菩薩は耐え忍んで礼拝を行としていったのである。
かくして常不軽菩薩が寿命を終わらんとする時、以前に威音王仏(いおんおうぶつ)が説かれていた法華経の教えを聞いて、寿命を増し以後長い間、法華経をもって多くの人々を教化した。

この常不軽菩薩とは、釈尊の前身であり、罵倒した人々は、長い間地獄の苦を受けることになったが、この罪を終えて常不軽菩薩の導きにより、仏の道に入った。
それが、今ここ(霊鷲山)にいる菩薩達なのである、
0721神も仏も名無しさん
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2019/01/22(火) 10:41:50.92ID:5Aw1Bufy
十波羅蜜
 布施
 持戒
 離欲
 精進
 忍辱
 慈しみ
 真理
 決意
 捨
 智慧
0722神も仏も名無しさん
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2019/01/22(火) 11:55:15.89ID:5Aw1Bufy
ここでご自分は預流果だと言っておられる方。
預流果は阿羅漢ではないので、まだ輪廻はあるはずだと思うのですが
その段階で、もはや仏法僧への信すら必要としないと言っているのですか?

「わたしは、そもそも輪廻など存在していなかったと悟った。
 だから、つまるところわたしは輪廻から解脱したのだ。
 そもそも輪廻は概念であり虚妄であるのだから)。」
と、こういうことでしょうか。
0723神も仏も名無しさん
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2019/01/22(火) 14:25:11.41ID:+Aq71+an
まず仏法僧に対する信について勘違いしている人が多い。
仏法僧は素晴しい、ありがたいと持ち上げることが仏法僧に対する信ではない。
それはブッダが「信仰を捨てよ」とおっしゃた類の信仰であって、キリスト教徒が聖書と神を持ち上げるようなもの。
本当の仏法僧に対する信は、一切は無常、苦、無我であると確信すること。
仏法僧であっても、輪廻における全て、見るもの、聞くもの、感じるもの、考えること全てが無常、苦、無我であり、虚妄であると納得すること。
道元禅師も、もし師匠に「仏とはミミズ、ヒキガエルである」と説かれたならば、弟子は素直に信じなくてはいけない。「いくらなんでもそれは…」などと考えてはいけないとおっしゃられた。
ブッダによって、「一切は虚妄である。無価値、苦、ドゥッカである」と説かれているのだから、ブッダも含め、一切の存在をそのように見ることが、本当の仏法僧に対する信。

預流果に悟った時には、いちおう頭の中ではこのことについて納得している。
仏法僧を含め、一切の現象、概念について無常、苦、無我であると確信している。
しかし分かっているけど止められないのが人間で、まだ価値のあるもの、真実であるものの存在を心が求めてしまう。すなわち煩悩が残る。
預流果以降はこの頭の中だけでなく、心にも無常、苦、無我を納得させるために瞑想する。
そして瞑想により涅槃を経験すれば、心が無常、苦、無我を納得して、五下分結が無くなる。
しかしまだ、瞑想自体に、涅槃自体に、慈悲に智慧に禅定に対して執着が残っていれば不還果に、
それすらも無くなれば阿羅漢果に悟る。
0724神も仏も名無しさん
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2019/01/22(火) 14:57:44.35ID:5Aw1Bufy
なるほど。

しかし、仏法僧はピカチュウじゃない(伊達じゃない)、ということは
事実として言えることであって、ブッダが捨てろと仰ったものではない
という認識は変わりませんけどね。
0725神も仏も名無しさん
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2019/01/22(火) 15:27:57.49ID:vPva1rqG
預流果以降の段階の仏法僧に対する信というのは難しい話題っぽいですよね。
信とは、信仰ではない、ということは確かなのでしょうか。ブッダは信仰を捨てろとおっしゃいましたが。
信頼、ということなのでしょうか。真理の観点からの信、ということなのでしょうかね。
0726神も仏も名無しさん
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2019/01/22(火) 15:47:28.74ID:1a0onpUB
中村元氏は“Pamuncantu saddham”を「信仰を捨て去れ」と訳したが、
村上真完氏のように「信を起こせ」と解する人もいるからな。
「信」は奥深い。
0727神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 16:26:26.87ID:+Aq71+an
仏法僧を行と法に分解して考えると分かりやすい。
ブッダ、経典、サンガについて見たり聞いたり考えたりする、視覚、聴覚、思考、これらの現象、行は無常であり苦であり無我。
またブッダという概念、経典に含まれるあらゆる概念、サンガという概念は法であるから無我、実体は無い。
無常、苦、無我がどういうことかが分からないと意味が無いが、それを理解するには瞑想するのが一番確実。

そして「捨てる」というのはこの行、法に対する「執着」を捨てる。
執着を捨てるというのは、それらがどうなろうと知ったことではない、だから何なんだ、という態度を作ること。
その辺に落ちている石ころや木切れのように思わなくてはいけない。
無理矢理そう思い込もうとしなくても、瞑想すれば自然とそうなるけれど。

名前は忘れたけど、ブッダが亡くなる直前、多くの比丘がブッダに挨拶に行くが、ある比丘は行かず、瞑想していた。
何故ブッダに挨拶に行かないかと聞かれると「ブッダが入滅される前に修行を完成させたいから」と答えた。
ブッダはその比丘を、真の仏弟子であると称えられた。
そのように、瞑想し無常、苦、無我に関する智慧を完成させる事が仏法僧に対する恩返しでもあるし、信でもある。
0728神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 16:37:53.93ID:1a0onpUB
>>726
誤:「信を起こせ」 正:「信を発こせ」

文脈によって「信」の意味も様々に取れるからな。読んでないけど、

「信を発こせ」再考--Pamuncantu saddham
村上 真完(著) 仏教研究 (22), p115-150, 1993-03
https://ci.nii.ac.jp/naid/40003339735
仏のことば註(四) パラマッタ・ジョーティカー 〈新装版〉
村上真完 / 及川真介訳註 春秋社 2009.9
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-11294-6/


こちらはざっと目を通したはずだけど、宮坂氏も「信を発こせ」と解されていたような。

ブッダの教え スッタニパータ
宮坂 宥勝(著) 法蔵館 2002.10
http://www.hozokanshop.com/Default.aspx?ISBN=978-4-8318-6558-8
0729神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 20:04:05.28ID:vPva1rqG
個人的な実感ですが。
無常、苦、無我をある程度分かった程度では、いろいろな愛着がなくなるとかというと、そうではないんですね。

自分の場合ですが、分かってはいるんですが、色々なものの愛着を無くすことはできないで苦しんでいます。
でも、愛着があっても、その感情そのものがなくなった方がいいと分かっているので、以前と比べ、いくぶん楽にはなりました。
欲しいものを手に入れる満足より、手に入れようという執着を無くした方が幸せだと分かっています。
自分の力の及ばない範囲に勝利があるのではなく、自分の手の中に勝利はあるので、安心はしています。

簡単に言うと、執着を無くすことが、一番幸せなことなのですね。
0730神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 21:09:32.86ID:5Aw1Bufy
>>727
概念的には理解できるという意味で、分からないではないです。
一方で、阿羅漢であるカッサパ尊者が結集を決意した経緯なども
無視できない要素だと思うのです。
0731神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 21:13:40.55ID:4K6INRRK
五 業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。

六 WもろもろのWブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。

七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。

八 「一切はそのように【真実で】ある」、また「一切はそのように【真実で】ない」。「一切はそのように【真実で】あり、またそのように【真実】ではない」。「一切はそのように【真実で】あるのではないし、またそのように【真実】ではないのではない」
―――これがもろもろのブッダの教えである。

九 他のものによって知られるのではなく、寂静で戯論によって戯論されることなく、分別を離れ、異なったものではない―――これが真理の特質(実相)である。

一〇 Aに縁って【Aを原因として】Bが成り立つのであるならば、実にBはAではない【AとBとは同一ではない】。またBはAと異なるのでもない。それ故に【原因は】断絶するのでもなく、また常恒に存在するのでもない。

一一 【もろもろの事物の真の本性は】同一のものでもなく、異なった別のものでもなく(不一・不異)、断絶するのでもなく・、常恒に存在するのでもない(不断・不常)―――。
これが世の人々の主であるもろもろのブッダの甘露の教えである。
0732神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 21:29:57.17ID:+Aq71+an
仏法は下剤のようなもので、人間の腹に溜まった煩悩という糞を巻き込んで捨てる作用がある。
この下剤をありがたいものだ、栄養のあるものだとガバガバ飲んで、それを糞といっしょに捨てずに貯め込んでいれば、
腹はおかしくなって壊れてしまう。
仏法も本来は毒であり、余計なものであるから、用法用量に気をつけなければいけない。
正しく仏法を理解し、実践し、煩悩といっしょに捨てることができれば、悟りに達することができる。
それは結局のところ、八正道を実践し、戒定慧を学び、止観の瞑想をすることであるが。
0733神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 22:32:21.89ID:tDequkBJ
仏法が余計なものであるはずがない
自灯明法灯明
釈尊自身が法を拠り所にしなさいと言ってるのに
余計なものであるはずがない
0734神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 22:49:31.70ID:+Aq71+an
自も法も無くなったところが涅槃、悟り。
アーナンダ尊者、香厳智閑禅師、サッパダーサ尊者など、悟りを諦めた瞬間に悟る人が多い。
悟る瞬間には心が完全に空っぽになっている必要がある。
仏法に執着がある人は悟れずに、ただの仏教に詳しいおじさんで終わるだろう。
0735神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/22(火) 23:27:23.74ID:tDequkBJ
愚か者にとっては仏法ですら毒となり
賢者にとっては愚か者の言葉ですら反面教師となり薬となる
0736神も仏も名無しさん
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2019/01/23(水) 12:52:34.45ID:9r6A1TD9
要するに、喋ってないで三学の修習=瞑想実践しろってことでFA?
0737神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/23(水) 15:17:32.22ID:C8bWV58N
しゃべってないで修行してた方がいいけど、
それだとこのスレの存在を否定することになる。
だからみんな、修行の邪魔にならない程度に適度に語っていこう。
0738神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/23(水) 15:21:29.57ID:C8bWV58N
なんの障害も感じずに黙って修行していけるのは阿羅漢果だけだと思う。
阿羅漢果が修行するってのも変な話だけど。
阿羅漢果ではない人が、このスレで楽しく語り合うことは当然のことだと思う。
0739ポッタン師
垢版 |
2019/01/23(水) 15:37:38.58ID:IB24DwX9
731.バカ丸出し、である。大爆笑である。悟ってから言え。
0741神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/23(水) 20:39:57.32ID:C8bWV58N
今日気づいたことですが、苦と渇愛は定と念によって滅することができると感じました。
ここでの苦は、気持ちの落ち込みで、生理反応のように思うのですが、これも無明に分類できるのですかね。
苦、は常にあると思いました。これを瞑想以外で緩和する方法は、五根に刺激を与えることだと思いました。
0742神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/23(水) 20:43:20.57ID:C8bWV58N
何もしていないと、生きることは苦だとはっきりと感じます。
何かすると気がまぎれて、それによって苦を忘れることができます。
これが普通の人の生きている生活なのかなと思いました。
だからこれだけ娯楽あふれているのかもですね。
0743神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/23(水) 20:47:30.55ID:C8bWV58N
気持ちの落ち込み、と言うのはちょっと範囲がせますぎますね。それもありますが。
ある種の不満足感、不完全感、不安定感、虚しさ、と言った方が適切ですかね。
すみません。
0744神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 11:39:01.11ID:rA25lTcQ
>>741
(定と念)集中した身体への気づきにより消えますよね
というか、出にくくなる、激減する
0745神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 11:58:01.36ID:3tu1xygw
「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。
『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待される。
──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──

 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

728 世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとずいて生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。
0746神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 12:01:08.82ID:3tu1xygw
33 悪魔パーピマンが言った。
「子のある者は、子らによって喜ぶ。
同じように、牛のある者は、牛によって喜ぶ。
(生存の)もととなるもの(素因)は、人にとって喜びである。
(生存の)もとになるものがない人は、実に、喜ぶことはない」。

34 尊師は言った。
「子のある者は、子によって憂う。
同じように、牛のある者は、牛によって憂う。
(生存の)もとになるもの(素因)は、人にとって憂いである。
(生存の)もとになるものがない人は、実に、憂うことはない」。
0747神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:17:15.95ID:xMd2iiBw
>>744
はい。ただ難点なのは、気を付けていないと、苦を感じるということですね。
自動的にはできないんですよね。修行が進んだ人は違うのでしょうか。
0748神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:18:30.68ID:x5IDincP
退屈する、刺激を求めるのも苦だけど、苦の定義はやっぱり四苦八苦で、生老病死、求不得苦、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦でしょうね。
これらは念と定で無くなることはない。念と定により生まれる悟りの智慧で無くなる。
念と定があるだけでは苦は弱くなるだけ、休眠状態になるだけですね。

渇愛の定義も、五欲、有愛、無有愛で、これも弱まるだけですね。
五感の感覚も苦であること、生きることの中に価値のあるもの、素晴らしいもの、執着すべきものが何一つ無い、
存在すること、存在を無くそうとすること、どちらも苦しみでしかない事を、悟りの智慧によって発見するまで無くならないでしょうね、渇愛は。
0749神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:26:53.83ID:Yv1QTYVa
存在を無くそうとすることと再生を終わらせようとすることは
どう違うんだろう?
0750神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:30:09.51ID:fiIaBxuG
理屈としては、
有愛、無有愛は渇愛に依るが、
再生の終わりは渇愛の滅に依る、ということでしょうか。

実感としては全然分からないけれども。
0751神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:37:56.50ID:fiIaBxuG
悟りたい、解脱したいという思いが無有愛によるものである場合、
それは渇愛からくる衝動だから、その延長線上に悟りはない、
ということなのでしょうかね。
0752神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:48:21.49ID:xMd2iiBw
>>748
なるほど。最近考えていたことですが、智慧とは何なんでしょうか?知識ではないですよね?
仰られるように、確かに智慧で、苦は滅することができると思います。
念と定では弱まるだけというのは、実感として納得します。

私にも多少の智慧があるようなのですが、どうも知識ではないと感じるんですよね。
ある種の状態であると感じています。何か間違えがあれば教えていただきたいです。
0753神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:53:29.48ID:3tu1xygw
>>748
❖煩悩をなくすとは 、滅尽すること

煩悩をなくすとは一時的に抑えることではありません 。
智慧で完全に二度と生まれないように滅尽( n i r o d h a ニローダ)することです 。
これも、初めて聞いたと思って覚えておいてください 。
日本の仏教が混乱しているのは、こうしたところです 。
定義を気にしない 、勝手に定義する、これは大乗仏教の特色です。
本を書く人は自分のわがままで、好き勝手に定義しています 。
経典を引用しなくてはいけないといった、責任感もあまりありません。
ただ周りにいる他のお坊さんをライバルに仕立てて、その人々と違うことを言えばいいという程度のものです。
ですから定義から外れると相当混乱します。

アルボムッレ・スマナサーラ
智慧は人生の羅針盤 (お釈迦さまが教えたこと)
より引用
0754神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 15:53:50.47ID:xMd2iiBw
真理を体得した状態が、智慧がある、ということなのでしょうかね。
0755神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 19:49:45.33ID:x5IDincP
薄暗い場所でトグロを巻いたヘビを発見すると、恐怖心という煩悩が起きてくる。
深呼吸して精神統一したり、棒でも探してきたり、仲間を呼んだりすると恐怖心が多少減る。
懐中電灯でも持ってきて、よく見てみるとヘビじゃなくてゴムホースだった。
そうなると恐怖心は完全に無くなり、もう怖がろうと思っても怖がれない。

智慧によって真理を発見する、存在の本質を明らかにすると煩悩は生まれなくなる。
執着しようと思っても執着できない。
生きることはどうゆうことか、五蘊とは何か、六根はどうなっているかを自分の目で確認すると、
無常、苦、無我を発見するはず。
それを見てしまうと解脱の方に心が向かう。
0756神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 20:52:07.92ID:E6iDOn9Y
>>744
大パリニッバーナ経より


修行僧たちよ、修行僧はみずから念じて、よく気をつけておれ。

これが、お前たちに説くわたしたちの教えである
0757神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/24(木) 21:03:23.54ID:E6iDOn9Y
(法鏡)

気づきはただそこにある。

何かに気づこうとするわけではなく……、ただそこにあるのです。

まるで大きな鏡のように、その前を通るものは全て、

鏡の中に映し出される。

鏡が対象を捉えようとするわけではないのです。


気づきはただそこにある。あなたは何もしていないのです。この段階において、瞑想とはあなたが行うものではありません。瞑想とは、自然に生じているものなのです。しかし、ここに至るまでにはしばらく時間がかかるでしょう

ウジョーティカの言葉から
0759神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/25(金) 10:58:42.11ID:+jU3WyeA
ゴエンカ式やってる人いる?体調よくなれば数年以内に合宿に参加しようと思うんだけど
ゴエンカの合宿が廃止されることってあるかな?
0760神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/25(金) 11:40:24.14ID:xnYVGpYq
>>744
憶念(念=sati)龍樹

王よ

身体に関する憶念が歩むべき第一の道である。と善逝(仏)は示しています。

憶念に務め、守らねばなりません。

憶念が欠けると全ての法は壊れます。

(ナーガルジュナ、勧誠王頌 54偈 友への手紙より)
0761神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/25(金) 11:57:43.84ID:xnYVGpYq
>>744
スッタニパータ 1035から

??師(お釈迦様)は答えた
アジタよ 世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止める物は



気をつけることである。


??
(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもることである、とわたしは説く
その流れは智慧によって塞がれるであろう
0762神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/25(金) 13:13:03.09ID:EGZlpk3r
>>752
智慧とは勝義諦の中の有為法の中の心所の中の浄心所に位置する慧根という勝義の法が育まれて智慧になります
0763神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/25(金) 15:02:10.20ID:+sy6K+E/
>>758
横レスですが、阿羅漢ではないと思います。
自我が弱まったら自然とそうなるんではないかと思います。
0764神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/25(金) 23:53:14.75ID:zlYdoEtg
>>759
世界的に有名だしキャンセル待ちしてるくらいだから今更廃止ってことはないんじゃないかな
僕は一年ちょっと前に行ったけど良かったよ
0765神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/26(土) 19:59:51.08ID:0PaLVWzS
独習で瞑想して結果出してる猛者いる?
いたらオススメの瞑想書でも教えてほしい
0767神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/26(土) 20:08:46.44ID:H97Ufrlf
>>762
言葉で表すとそうなるんですね。哲学っぽい。
ちょっと調べてみましたら、物事をありのままに見ることを言うようです。
0770神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/27(日) 10:30:57.68ID:D02Za8ER
>>769
返って分かりにくいです。
その図では勝義諦を無分別としながらも勝義諦も出世間諦(無為法)と世間諦(有為法)に分別しています。
テーラワーダでは無分別は出世間諦の無為法(涅槃)だけです。
勝義諦はまず勝義諦として心、心所、色、涅槃の四つに分別され、涅槃以外の三つは更に細やかな法に分別されます。

詳しくは↓の類似概念という欄をご覧ください。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BD%8D
0772神も仏も名無しさん
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2019/01/27(日) 12:31:50.84ID:YOvE6ni8
>>765
結果出せてるかは不明ですが
ミャンマーの瞑想(ヴィパッサナー観法)
マハーシ長老 著

と言う本がヴィパッサナーのやり方をそのまま書いてあります。
ただ同じ事をユーチューブなどでスマサーラ長老がやっていますのでそれを見ればお金がかかりません。
0773神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/27(日) 13:32:18.12ID:873Y3gbb
>>770
下記記述では分別のない、「如実知見する者にとっての「現実」である生成消滅する世間諦の層」を「心と心所と色」としています。
すなわち、テーラワーダにおける勝義諦(無分別)は、「出世間諦(無為法)」に加え、「世間諦(有為法)」の一部を含むと考えられます。

> テーラワーダでは無分別は出世間諦の無為法(涅槃)だけです。
上記について述べられている文献がありましたら、ご教示いたけますと幸いです。

----以下、引用です----

 テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。

 心と心所と色は世間諦(loka-sacca)と呼ばれ、涅槃は出世間諦(lokuttara-sacca)と呼ばれる。
前者は有為のものとして生成消滅する世間(loka,世界)を形成し、後者はそれを超越した不生であり無為である出世間の領域を指示するからである。

 また、仏教では一般に世俗諦(sammuti-sacca)と勝義諦(paramattha-sacca)の区別を認めるが、テーラワーダにももちろんそれは存在する。
世俗諦とは、英語ではconventionaltruthなどと訳されるが、これは要するに「人々の合意によって認められた慣習的な真理」というほどの意味である。
例えば、「カラスは鳥類だ」などというのは世俗諦だ。
勝義である如実(ありのままの現実)の風光からすれば、「カラス」も「鳥類」も、存在しないからである。
0774神も仏も名無しさん
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2019/01/27(日) 13:33:25.20ID:873Y3gbb
----以下、>>773の引用続きです----

 つまり、世間諦の三つが形成する現象を、私たちは如実に知見することができずに概念(pannatti)や分別の相(papanca,本書の用語で言えば「物語」)を作り出すのだが、そのうち、人々が「正しい」と慣習的に合意しているものが、「世俗諦」と称されるということである。
例えば「カラスは昆虫だ」と言えば、これは人々からの承認が得られないので、世俗的な意味でも真理(諦)ではないから、単なる「間違い」ということになるわけだ。

 さて、するとテーラワーダの教理では、認知のレベルに実質的には三つの層を認めていることになる。
即ち、凡夫にとっての「現実」である「物語の世界」という、世俗諦の通用する層。
そして、如実知見する者にとっての「現実」である生成消滅する世間諦の層。
最後に、そのような世間の範囲を完全に乗り越えた、不生であり無為である出世間(諦)の層である(10)。

 ならば、このうち「本来性」と呼び得るのはどの層だろう。
もちろん、テーラワーダの教理に即して言えば、心・心所・色・涅槃を勝義であるとするのだから、世間諦と出世間諦の二層が「本来性」に当たることになり、世俗諦の通用する「物語の世界」の層は、それに対する「現実性」であるということになるだろう。

(魚川祐司.仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―)
0775神も仏も名無しさん
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2019/01/27(日) 15:29:43.14ID:X+SpEcj1
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴 2鼻毛
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535885654/
スマナサーラ 批判
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535982873/
ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1289708760/
テーラワーダ仏教協会を批判スレ [無断転載禁止]・2ch.net
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1498970887/
日本の僧侶には破戒僧しか残ってないの?
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1401719776/
カルト【破和合僧】佐藤哲朗【誹謗正法】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1545486457/1
0776神も仏も名無しさん
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2019/01/27(日) 18:40:18.83ID:D02Za8ER
>>773
> テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
>即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。

これでまず勝義諦を四つに「分別」しているでしょう。
それで下図
https://i.imgur.com/8WsLm2v.jpg
の勝義諦は無分別というのは否定されます。

また心、心所、色はそれぞれ勝義としての法(これ以上分別できない法=存在)があります。
下のPDFのまず3ページをご覧ください。
http://liberi.jp/abhidharma/ad-text_1.pdf
これはテーラワーダのアビダルマのテキストですが、3ページには
第一義法(勝義法)Paramattha dhamma 自性が変わることが無い法
1. 心 89 2. 心所 52 3. 色 28 4. 涅槃
と涅槃以外は横に数が書いてありこれが心、心所、色の勝義法の数になります。
4ページに進むと
https://i.imgur.com/hCNfEMZ.jpg
上段にあるように心は四つに分けられる(分別される)とあり、その四つが紹介されていますが、その横にある数54と15と12と8を合計すると89となり3ページの心の横に記載されていた数と同じになります。
これが心の法の数です。
それぞれの法の自性についてはテキストを参照したりググって調べれば分かります。

心所、色もこのような感じで更に分別されます。
それもテキストをご覧ください。

勝義諦をそのまま無分別とするのは龍樹を祖とする中観派など大乗仏教の論です。
0778神も仏も名無しさん
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2019/01/27(日) 23:27:16.10ID:873Y3gbb
>>776 レスありがとうございます。

> 心、心所、色はそれぞれ勝義としての法(これ以上分別できない法=存在)があります。
> 涅槃以外は横に数が書いてありこれが心、心所、色の勝義法の数になります。

上記について、文献のご紹介ありがとうございます。
特に58ページの「一切の摂」に関する表は勉強になりました。

> これでまず勝義諦を四つに「分別」しているでしょう。
> それで下図
> https://i.imgur.com/8WsLm2v.jpg
> の勝義諦は無分別というのは否定されます。

上記にですが、「分別」の意味の取り方に、>>776さんと>>769の図で違いがあるように思われますが、いかがでしょうか。

>>776さん:「分類」の意味での「分別」
>>769の図:papanca(戯論)、いわゆる「物語」の意味での「分別」

>>769の図における「如実知見」の風光においては、「物語」を立ち上げる「分別の相」、すなわち戯論が寂滅しています。>>769の図においては、このことを「無分別」としています。
この「分別の相(戯論)が寂滅している」という意味において、勝義諦の中の「心、心所、色」は「無分別」といえると思われますが、いかがでしょうか。
0779神も仏も名無しさん
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2019/01/28(月) 00:40:55.90ID:C0RMr3el
>>778
戯論寂滅はテーラワーダというよりも龍樹の教えで中論冒頭の帰敬序に出てくる言葉です。
無分別も空の教えです。

帰敬序
(何ものも)滅することなく(不滅),(何ものも)生ずることなく(不生),
(何ものも) 断滅ではなく(不断),(何ものも)常住ではなく (不常),
(何ものも)同一であることな く(不一義),(何ものも)異なっていることなく(不異義),
(何ものも)來ることなく(不來),(何ものも)去ることのない(不去)〔ような〕,
〔また〕戲論(想定された論議)が寂滅しており,吉祥である (めでたい),
そのような縁起を說示された,正しく覚っ者(ブッダ)に,もろもろの說法者のなかで最もすぐれた人として,私は敬礼する。
(原典:三枝充悳編《中論偈頌総覽》)

無分別については龍樹の空が無自性空と言われてああるように法には自性(特有の性質)はなく空である(法空)であると説かれていることから、
空とは無分別のことであるとも言えます。
無分別であるが故に本来は言葉にはできません。
龍樹において勝義諦とは空のことなので勝義を言葉で説くことはできないのですが、世俗諦の言葉によって勝義諦を(なんとか)表現するのである、としています。

二つの真理(二諦)にもとづいて,もろもろのブッダの法(教え)の說示〔がなされている〕。
〔すなわち〕,世間の理解としての真理(世俗諦)と,また最高の意義としての真理(勝義諦)とである。
およそ,これら二つの真理(二諦)の区別を知らない人々は,何びとも,ブッダの教えにおける深遠な真実義を,知ることがない。
〔世間の〕言語習慣に依拠しなくては,最高の意義は,說き示されない。最高の意義に到達しなくては,ニルヴァーナ(涅槃)は,証得されない。
(中論24章)


テーラワーダは分別説部と自称しているように法をきっちり分別するのを教理としておりそれは勝義においても変わりません。
無分別・戯論寂滅どころか心、心所、色についてこれ以上分別できないところまで分別しています。
0780神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/28(月) 01:40:02.13ID:lRCvUL0P
>>779 レスありがとうございます。

大乗仏教における「戲論」、「勝義諦」の関係について承知しました。

> 戯論寂滅はテーラワーダというよりも龍樹の教えで中論冒頭の帰敬序に出てくる言葉です。

「戯論寂滅」については、下記引用にもある通りテーラワーダにおいても言及され、「papanca」という物語形成の作用、すなわち「分別」を止めて現象のありのままを如実知見することが、実践面で重視されています。

上記を踏まえ繰り返しになりますが、テーラワーダの教理において「分別の相(戯論)が寂滅している」という意味において、勝義諦は「無分別」といえると思われます。

----下記、引用です----

 ゴータマ・ブッダや、その弟子の阿羅漢たちは、「現法涅槃」に達しており、六根六境を滅尽して「世界」を終わらせていただろうが、だからといって、彼らは「知ることもなく見ることもない」ような、石と変わらない存在になってしまったわけではない。
そうではなくて、六根六境が「滅尽」した時に存在しなくなったのは、認知そのものというよりも、そこにおいて「ある」とか「ない」とかいった判断を成立させる根底にある「分別の相」、即ち、拡散・分化・幻想化の作用であるpapancaであろう。
「世界の終わり」で起こることは、認知の消失なのではなくて、「戯論寂滅(papancavupasamo)」であるということだ。

(中略)

 ミャンマーの瞑想センターでウィパッサナーの実践を行っていた時に、指導する僧侶からしつこく言われたのは、「一つ一つの現象のありのままを見よ、イメージを作るな」ということであった。

(中略)

 なぜ私たちは、そのような「ありのまま(如実)」でないイメージを形成し、物語の「世界」を立ち上げてしまうのか。
それは、本章で引用した経典に繰り返し語られていたように、私たちが、五蘊・十二処・十八界といった認知を形成する諸要素に欲望を抱き、それに執著して実体視する(「我」だとみなす)からである。
(中略)

 私がしつこく言われたのも、このpapancaという物語形成の作用を止めて、苦なる「世界」に繋縛され続けることを終了させるための、親切な指導だったわけだ。

(魚川祐司.仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―)
0781神も仏も名無しさん
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2019/01/28(月) 16:45:04.59ID:6CNY2u0R
>>780
その引用はテーラワーダの勝義諦の四つの中の最後に出てくる涅槃についての説明ですね。
テーラワーダのテキストには確かに涅槃は自性としては寂滅の相としては一種(※一種類)と書いてあります。
https://i.imgur.com/3kBWbZp.jpg
ですから勝義諦の中で涅槃だけ法数が書かれていません。
https://i.imgur.com/9shJVAy.jpg

http://liberi.jp/abhidharma/ad-text_1.pdf
上の図では、議論寂滅と無分別は勝義諦の下ではなく右上の出世間諦の所に書くべきですね。
ついでに無為の下の不生不滅は龍樹や般若心経などの大乗仏教と混同されるので外した方が良いと思います。
0782神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/28(月) 16:46:36.67ID:6CNY2u0R
>>781
http://liberi.jp/abhidharma/ad-text_1.pdf
>上の図では、議論寂滅と無分別は勝義諦の下ではなく右上の出世間諦の所に書くべきですね。

https://i.imgur.com/8WsLm2v.jpg
上の図では、議論寂滅と無分別は勝義諦の下ではなく右上の出世間諦の所に書くべきですね。
0783神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/30(水) 15:18:35.02ID:iY8UMCiA
本当はそんなに節然と分かれるものではないよね
重なるからこそ2500年もの間その価値が認められ、無知な凡夫に生き方を説ける訳であって
0785神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/30(水) 17:34:22.98ID:jYDNO6rJ
>>780
> ゴータマ・ブッダや、その弟子の阿羅漢たちは、「現法涅槃」に達しており、六根六境を滅尽して「世界」を終わらせていただろうが、だからといって、彼らは「知ることもなく見ることもない」ような、石と変わらない存在になってしまったわけではない。
>そうではなくて、六根六境が「滅尽」した時に存在しなくなったのは、認知そのものというよりも、そこにおいて「ある」とか「ない」とかいった判断を成立させる根底にある「分別の相」、即ち、拡散・分化・幻想化の作用であるpapancaであろう。

一九 輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。

二〇 ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なる区別もない。

二一 如来(ブッダ)は死後に存在するかどうか。世界は有限なものであるかどうか、など、世界は常恒なるものであるかどうか、などというもろもろの見解は、ニルヴァーナと【死後の】のちの世界と、【生まれる前の】未来の世界とに依存して述べられている。

二二 一切のものは空なのであるから、何ものが無限なのであろうか。何ものが有限なのであろうか。何ものが無限にして有限なのであろうか。何ものが無限でもなく有限でもないのであろうか。

二三 何が同一なのであるか。何ものが別異なのであろうか。何が常恒であるのか。何ものが無常なのであるか。また何ものが無常にしてしかも常恒なのであるか。また何がその両者(無常と常恒)ではないのか。

二四 【ニルヴァーナとは】一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい【境地】である。いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9530374
0786神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/30(水) 17:34:50.97ID:jYDNO6rJ
>>785
この中論25章の19偈20偈は早い話が現法涅槃を説いているというのが通説です。
24偈は、「ニルヴァーナではいかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。 」とすると分かりやすいと思います。
ニルヴァーナの考察ではこの部分ではテーラワーダも龍樹も大差はないとは思います。
とは言っても龍樹の勝義は一切皆空であり、ニルヴァーナもその例にもれず空にしているのは、テーラワーダの人達は認めないとは思いますが。
0788神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/31(木) 00:21:31.31ID:uf7YVrph
よくある誤解

※勝義諦とは涅槃のことである→×

テーラワーダの勝義諦を見れば涅槃の他に心、心所、色があります。
説一切有部では五位75法と呼ばれるものが勝義諦でその中の無為法にある択滅というのが涅槃となります。
中観派では勝義諦は空になります。一切皆空であり涅槃も輪廻も空となります。

※勝義諦は修行僧に説いた真理で世俗諦は在家信者に説いた真理である→×

修行僧に説いた教えは出世間道
在家信者に説いた教えは世間道
であり勝義諦や世俗諦そのものではありません。
またブッダの時代には勝義諦という言葉はありません。

wikipediaではこちらの方が勝義諦の理解が進むかもしれません。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%AB%A6
0789神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/31(木) 22:57:44.55ID:lbPHGj4d
この書き込み、よく覚えといて下さい。


まもなく日本列島に過去最大の超巨大地震が発生します。

気をつけて下さい。
0790神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 01:25:05.88ID:e1O882Rn
あと100日
0793神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 15:32:46.04ID:op1Oj6UC
慈経っていいですね
0794神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 15:38:13.87ID:kO2mfN26
>>793
スマナサーラ作慈悲の瞑想に比べて
0795神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 16:44:02.48ID:op1Oj6UC
>>794
長老も好きですがw
慈経を見ると、長老の悟りのレベルがどの程度か分かる気がします。
不還果ではないと思います。アホとか馬鹿とか言われますから。
0797神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 20:29:14.16ID:Z15TEWzA
ゴエンカって日常生活でどういう瞑想を1日2時間って指導されるの
ボディスキャンだけ?アナパナも?
0798神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 22:32:06.35ID:x+dHmmwj
悟りなんか開くより死んだ方が早いだろ
どうせ死後の世界なんかないんだから
0799神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 23:51:10.46ID:s+vUg6O5
>>798
そうおもうのならなんでこのスレ見てんの?
ブッダの教えは死後の世界ありきの話なんだけど
0801神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/02(土) 12:39:58.32ID:i4Kb/tHj
消されたyahoo!知恵袋の回答
0491 神も仏も名無しさん 2018/06/06 19:55:50
https://m.chiebukuro.../detail/q10190612130

Qアルボムッレ・スマナサーラさんは解脱しているのでしょうか?
悟りを開いた人しか教えてはならないと言われてたような気がします

A解脱していません。

私は、過去に本を読んで興味を持ち、瞑想指導を受けに行きましたが、そこでの法話で、スマナサーラ長老が「TVショッピングで衝動買いした」と話していて仰天しました。

また、気を取り直して別の法話会に行った時、終了後に女性ファン数人と握手するのを見ました。

上座部では、女性に触れるのも、お金に触れるのも戒律違反です。

真面目な出家は、戒律を守るように努力するので、人前で恥ずかしげもなく破戒行為などしません。

また、解脱者はさらに進んで心の煩悩が無くなっているので、破戒行為そのものをしません。破戒行為=解脱者でないという目安です。

破戒しながら「自分は解脱した」というのは、オウムの麻原みたいなタイプです。

以上のことから、私は、彼は解脱していないし、真面目な出家でもないと思っています。

また、調べるとわかりますが、過去には、彼の瞑想指導を受けて自殺した若者もいます。

もし、これから瞑想を習おうとしている人がいたら、その点は注意したほうがいいと思います。
0802神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/02(土) 16:25:09.09ID:R7zSAFG4
世には色々な覚者がいて、アートマンがあるという人もいますが、何が真実なんでしょうかね。
たとえばラマナ・マハルシとか、私はとても尊敬しているのですが、真我があるとか言われてます。
でも仏教では真我なんて言いませんよね。あるともないとも言われてません。
0803神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/02(土) 19:54:44.43ID:rLlzxV00
超逆境クイズバトル!!99人の壁 古舘伊知郎が生涯クイズ初挑戦!2時間SP★1
仏教古舘
0804神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 07:39:03.98ID:xlJE9zpc
へー、上座部の戒律ってのは絶対的で完璧なんだね。
もともとの戒律を変えてしまった根本分裂以降の、他の仏教宗派は解脱できないんだろうね。
解脱した人は完全、完璧で、どんなささいなミスも犯すことがなく、社会がどう変化しても上座部の戒律を厳格に守るんだね。
一切は苦、ドゥッカ、不完全であると悟った人は、不完全な戒律を、不完全な人間が、完全に守る事を期待する訳ね。
この世とあの世の一切に執着しなくなった人が、上座部の戒律だけは厳格に守ることに執着する訳ね。
0805神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 15:13:25.83ID:Mr80TOjs
>>804
こんなとこ見ていないスマナサーラ長老にシャドーボクシングして底辺は仕方ないな。


あと87日
0806神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 15:17:34.31ID:Mr80TOjs
あと87日


>>804
お前、スマナサーラ長老が預流果以上は戒律を守るって執着するって意味じゃないぜ。
スマナサーラ長老は地獄に落ちる悪業を積み我々にスリランカ仏教を布教してくれた。
長老がいなければスリランカ仏教が日本に根付かなかった。感謝しろ。
0807神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 15:22:05.27ID:Mr80TOjs
あと87日

俺はあえてスリランカ仏教と言ったが日本にテーラワーダが根付いたのはスマナサーラ長老のおかげ。
破戒がデフォの仏教が流行ったのだから一緒に地獄に落ちる覚悟で信じていくしかなかろう。
経典を裏切りながら。
0808神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 15:29:10.97ID:Mr80TOjs
>>800
それとお前。
大半のスマナサーラ長老の信者はあの世なんか信じていない。
勘違いすんな。
0809神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 15:37:33.64ID:Mr80TOjs
あと87日
0811神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 16:30:45.57ID:Mr80TOjs
>>810

あと87日
0813神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 19:52:38.62ID:xlJE9zpc
預流果に悟ると戒律を守るのは何故?
在家の場合は五戒?
0814神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/03(日) 21:09:30.50ID:Mr80TOjs
あと87日
0816神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/04(月) 15:08:22.01ID:0hM0TI1/
>>813
戒律を守る結果が悟りではないでしょうか。
0819神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/04(月) 20:40:00.86ID:y+5ZTS54
あと100日
0820神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 08:44:19.13ID:XzbuP19V
>>813
預流果に悟ると自我の錯覚が破れるから、他人を害して自分だけ得しようという気にならない。
自我が無いから、他人と自分を区別しない。もちろん自分と他人は別の人間だという事は分かっているが、
自分は大切で他人はどうでもいいという考えが無いので虫であっても殺せない。
殺したいけど我慢して殺さないのではなく、自分と同じ命であると実感しているので殺せない。
同様に盗めない、不倫できない、嘘をつけない。

他人のものを盗んで自分だけ得しようとは思わない。他人の奥さんと仲良くなれば、その旦那がイヤな思いをするだろうから不倫できない。
嘘をついて他人を騙し、自分を守ろうとは思わない。

出家でも在家でも、預流果に悟った場合に守るのは自我に関する戒律だろう。具体的には十善戒。
非時食戒など、自我に関係しない戒は守らない可能性はある。
0821神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 09:12:26.28ID:sPqlGhmL
>>818
そう考えたらおかしいですね。在家と出家で守る戒律が違ってくるというのは。
たぶん、共通する基本的な戒律だと思います。
0822ポッタン師
垢版 |
2019/02/05(火) 09:16:41.85ID:rZoMb1V+
戒律は生活の問題である。
それは悟り、とは関係がない。
バカには理解できない。大爆笑である。
0823神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 09:35:25.10ID:ef1AvR/y
悟り(による心の変性)が生活へフィードバックすんだよ。
パーピスレでもそうだが、お前、ほんと浅いな・・。  >>822
0824神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 19:29:54.54ID:MNAh5o95
>>822
お懐かしい。大王さんですね。
今ここで語られてるのはテーラワーダのドグマの話です。
戒律と悟りを結びつけるスマナサーラ師が戒律を一切、守っていないというネタですね。
0825神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 19:40:34.73ID:ef1AvR/y
宗教系の板で私が知ってる大王は精霊大王と閻魔大王の二人しかいないが、
それとは違う味わい。

何大王? (´・ω・`)
0826神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 21:28:52.16ID:XzbuP19V
仏教には本来戒律は無かったが、出家比丘が多くなると真面目に修行しないものがでてきたので、戒律を定める必要があった。
これを随犯随制というらしい。
しかも最終的には戒律を捨て、善悪を捨て、浄不浄も捨てなければいけないらしい。

●本来、仏教には厳しい戒律などなかった
https://ameblo.jp/oomuraoo/entry-12312077417.html
0827神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 21:45:52.72ID:ef1AvR/y
でも、「戒」の無い仏教もあり得ないでしょ?

仏の十号、僧伽の九コ、法の六コ、
いずれも、「戒」に直結してると思うけど?
0828ポッタン師
垢版 |
2019/02/05(火) 21:51:40.69ID:RqsrY3I8
827.戒がない、が仏教である。なんでか。
戒は生活の問題である。
仏教は生活の問題ではない、からである。
0829神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 21:58:17.40ID:ef1AvR/y


ほんと浅いなw  >>828  そんなに悔しかったか?

生活の問題でないなら、 仏道修行者は、
どこで暮らしてるんだ?何を身に著けてるんだ?
何を食べてるんだ?
誰と会話してるんだ? 法を説くことはないのか?(説くならば誰に対して話しかけてるんだ?)

パラレルワールドのように別世界で生きてるならまだしも、
同じ大地を踏みしめて、同じ空気を吸って、
その上、食事まで施してもらって、
(一般人は勿論)出家修行者自身の生活と乖離した仏教なんぞ、図書館の蔵書以下だろw  ┐(´ー‘)┌
0830ポッタン師
垢版 |
2019/02/05(火) 22:11:48.44ID:RqsrY3I8
829.バカ丸出し、である。
それならば、金儲け、をやっていろ。大爆笑である。
0833神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/05(火) 22:39:40.15ID:ef1AvR/y
つか、スーパーマンみたいな仏陀を描かない限り、
必ず
食事をして、排泄をして、休んで(軽く睡眠とって)、
会う人・関係のできた人と会話して、何がしかを語って、
貶されたり批判されたり感謝されたり、
そういう「在り方」(→生活→生き方)無しに仏教は無い、
ってのは、(桃源郷の仙人じゃないんだからw)
シッダッタ以来変わらない筈なんだがね・・・。



神智学の方でどうなのかは知らんけどw
0834神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/06(水) 15:38:54.70ID:/F5Lh4EL
ちょっとお聞きしたいんですが、
執着が苦しみになるというのは、それが心の浮き沈みになるから、と説明している経典ありますかね?
掉挙でしょうか?無常なものに執着するから苦しみになる、と書かれているのは知っているのですが。
0835神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/06(水) 15:41:03.36ID:/F5Lh4EL
何かに強く執着したり、貪ったりするほど、心がざわつくと感じているので、浮かんだ疑問です。
経典では何か言われてるんでしょうか。
0837神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/06(水) 21:06:02.39ID:UTIxPiPP
破戒僧スマナサーラ長老を信じる。

あと84日
0838神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 02:21:37.06ID:JZk+qPch
>>833
ゴータマ王子は“アヴァター”でした。

ヒンドゥーにおける「アヴァターラ」というのは、
“神の化身”という程度の意味合いでしかありませんが、
しかし、神智学の説く「アヴァター」には、更にもっと多くの具体的な説明があります。

アヴァターというのは、この惑星ハイアラキー
(覚者方によって構成されたグループ集団『白色聖同胞団』における地球組織)が
他の天体から招集した覚者存在であり、その主な役割は大きく二つあります。
その一つは、人間のあるべき本来の正しい姿や生き方とか、または弟子としての正しい修行の在り方、等々について、
自らが実演して、実際にその模範を持って示して見せることです。
ある意味では、人間としてのごく当たり前の生涯を送って、最後には他の人間と同様にして病気などによって普通に肉体死に至ります。
ただし、その最後の病気というのも不慮の事故や病気ではないのであって、実際には自らがその死に方を意識的に選択して、
その病気なりを引き起こしているのです。彼らには悪業カルマはないので、いわゆる“不慮の死”というものはないのです。
そして、もう一つはこの惑星ロゴス(主神)の反映として、宇宙的なレベルでのエネルギーの伝導(エネルギーの流出入)を担当し、
この惑星の進化の促進に貢献することです。これは常時、複数人のアヴァターたちの協力関係でなされています
(彼らは主にインドのヒンドゥー圏において出現しており、『南インドロッジ』に所属します)。

対して、
惑星ハイアラキーのメンバーというのは基本的には肉体を持たないか、
或いは、肉体を所持する場合には自らの意志力によって物質創造した(母胎には宿らない)
不老不死の完全なる肉体を使用します。彼らは、数百年〜数千年間その肉体を使用して、
そして、また再び新しい肉体を創ります。

また、
アヴァターたちは歴史上の知られる存在(知られていない者も含め)ですが、
しかし、ハイアラキーの覚者方については、歴史的にその存在が認知されてはいません。
この謎の覚者方の存在について、世界に初めて紹介したのがブラヴァツキーでした。

以上、ご参考まで
0839神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 16:05:42.33ID:bZILvdS/
>>834
なぜ執着すると苦しいのか。
それを探求、確認するのが瞑想でしょうに。
経典を読んでも分からない。

なぜ殴られると痛いのか。
他人に聞くもんじゃないでしょう。
実際に殴られれば分かる。
0840神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 18:39:59.92ID:CwJzm9+v
戒は、三学(戒定慧)の土台だから不可欠だと思いますが
律は本来、僧伽の運営規則ですから、サンガと分けて考える
ことはできないのではないでしょうかね。

律そのものが、三学を護り助ける働きがあるとも思いますけど、
社会文化との整合性も必要なせいか、インド文化圏以外には
根付かなかったようですね。
0841神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 18:48:15.22ID:CwJzm9+v
>>826
仏陀 「善と不善とを捨て去りなさい」
麻原 「戒律など捨てなさい」

まぁ、実際のところ、大分ニュアンスが違うと思いますだけどねぇ・・・。
0843神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 19:19:24.61ID:0OJiuNcG
麻原は解脱者なんかではないし今生でやったことはメチャクチャだけど、もしかしたら
輪廻していくうちに過酷な経験を経て、やがて本物の宗教家(というか解脱者)になる
可能性もあると思う。 そもそもこれは仮想現実で、本当は個人は行為者ではないのだから。
ハーレム状態作ったりおかしな教義で殺人を正当化したり、
世俗の最も醜い部分を体現したような部分がほとんどだけど、
世俗のものさしでは測れないような部分が、たしかに麻原の中にはあった。
そもそも何のメリットがあって、あんなことをやるのか? 
国家転覆とかハルマゲドンとか、頭おかしいといえばそのとおりだけど…
0844神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 20:51:00.06ID:CwJzm9+v
外国の諜報機関がオウムを利用してた。
0845神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 20:54:47.37ID:CwJzm9+v
オウム麻原のタントラヴァジラヤーナ思想のルーツは、
おそらくマルキシズム、共産主義。

本来、相容れないはずの唯物論の共産主義に乗っ取ら
れてる時点で、麻原の宗教家としての側面における底の
浅さは露呈してると思うけどね。
0846神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 21:10:16.55ID:0OJiuNcG
いや、オウムの教義も麻原自身も、底は浅いと思うよ。
古来からのいろんな宗教の断片の寄せ集めだし。
麻原自身、修行なんかマトモにやってないみたいだし。
ただ自分の経験から、個人が行為者であることは認めがたいので、
麻原はその運命で生まれてきた、と考えると、
その方向で輪廻していっていつかは大成するのかな、と。根拠はないけど。
0848神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 22:08:10.97ID:SR5SC0JH
>>802
覚者とかいうのは全員漏れなくペテン師
預言者だの悟っただの霊能者だの霊媒師だの宗教関連じゃ全員そう
だから宗教によって宗派によって時代によって人によってそれぞれ言ってる内容が全く違う
死後、悟り、神、霊魂、この手の話は真偽の確認のしようがないから好き放題言えて昔からこの界隈は嘘つきにとっての天国になってる
言いっ放しで証拠を提示しないやつは片っ端から嘘つきとみなすべき
すると本物なんてどこにも存在しないということがわかる
0849神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 22:31:37.82ID:CwJzm9+v
>>847
麻原自身のルーツではないと思う。
麻原と接触していた外国の諜報機関の思想。

麻原のタントラヴァジラヤーナ思想における、目的のためには
殺人を含めたあらゆる手段が正当化されるという思想(?)は
おそらくスピノザやマルクスから来ている。
0850神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 22:38:42.23ID:CwJzm9+v
>>848
物証がないから、ペテン師の温床になってる。
そういう側面も確かにある。

しかし、三学の修習を通して体験智としての智慧に達すると、釈尊の言っている
ことが観測事実として確認できる。
科学的根拠は観測による確認に基づくのであるから、観測によって確かめるのが
本当に理性的であるということ。
0851神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 22:40:35.06ID:CwJzm9+v
観測によって確かめるのであれば、名と色は異なることがわかる。
名は、色ではないので色として提示することはできない。
(精神現象は物理現象ではないので、物質として提出することはできない。)

このことは、詐欺師が悪用するところでもあるし、
精神についての真実を示してもいる。
0852神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 22:47:38.38ID:CwJzm9+v
>>848 の理解に基づけば、本物なんてどこにもないのだから
世界中にある伝統宗教の寺院も、神社も、すべて麻原や幸福
のなんとかと同じものでしかないという話になる。
良くても無害なピカチュウ信仰ということ。

玄奘三蔵の命がけの旅も、愚かのひと言で終わり。

そんなにバカだと思ってるのだとしたら、それはその人の内面
の投影に過ぎない。
高校生以下。
0853神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/07(木) 22:53:21.93ID:0OJiuNcG
釈迦が五蘊無我の他に真我(アートマン)という言葉を使わないのは、
修行者がそれをイメージして求めてしまうのを嫌がったからかと。

〜ウダーナヴァルガ(感興のことば)より〜
比丘たちよ、生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、
形成されたのではないもの、生起したのではないものがある。
〔さらに一方〕 生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、
縁起したものがある。 比丘たちよ、もし生じたのではないもの、現れたのではないもの、
作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがないならば、
『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、
縁起したものを離れることがある』と私は説かないであろう。
ところが比丘たちよ、生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、
形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから、
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、
縁起したものを離れることがある』と私は説く。
0855神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/08(金) 08:28:44.21ID:ffh5MJ8A
問題はペテン師の方にある訳ではなくて、我々に、本物とペテン師を見抜く目が無いことが問題。
ペテン師はいつの時代でも、どの社会にでもいるし、いなくなることは無い。
じゃあ本物は誰か?覚者は誰か?を見抜くためには自分自身が本物、覚者にならなければいけない。
そこに修行の必要性が生まれる。
0856神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/08(金) 08:33:11.97ID:ffh5MJ8A
>瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復自ら応諾す。及ち云く「惺惺着や、喏。他時異日、人の瞞まんを受くること莫れ、喏喏」(『無門関』第十二則)

>瑞巌和尚という方は、毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事をしていました。
>「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんなや」「ハイ、ハイ」といって、毎日ひとり言をいっておられたというのです。
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/051001.html
0857神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/08(金) 09:25:46.23ID:q+hra/qn
一二 火は薪に依存してあるのではない。火は薪に依存しないであるのではない。薪は火に依存しないであるのではない。

一三 火は他のものからくるのではない。火は薪の中には存在しない。この薪に関して、その他のことは【第二章において】
いま現に去りつつあるもの・すでに去ったもの・未だ去りらないもの【についての考察】によって説明されおわった。

一四 さらに火は薪ではない。また火は薪以外の他のもののうちにあるのではない。火は薪を有するものではない。また火のうちに薪があるのでもない。また薪のうちにも火があるのでもない。

一五 アートマンと執着(すなわち5取蘊)とのすべての関係が、火と薪とによって、残りなく説明された。瓶と衣などとともに【すべてについて】説明されたのである。

一六 アートマンは実体を有するものであると考え、もろもろの事物はそれぞれ別異のものであると説く人々は、教えの異議に熟達している人々である、とわたくしは考えない。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9507522
0858神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/08(金) 14:54:22.65ID:u0p/uUwt
名色分離智について書いたものです。本日、手がかりを得ました。
世滅智を得れば、天界でも修行ができるということなので、ここを目標に頑張りたいと思います。
0859ポッタン師
垢版 |
2019/02/08(金) 14:59:43.98ID:ErL4URIG
858.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0860神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/08(金) 15:21:56.86ID:u0p/uUwt
カルマを増やす行動をすることの方をこそ恐れるべきでしょうね。
親切心で言っていますよ。
0862神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 12:29:56.90ID:FzSLGrgF
智慧は人智を超えているので、人間が先入観に基づいて頭で考えても
絶対に分かりはしない。
舐めすぎ。
0863神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 12:34:04.38ID:FzSLGrgF
考えても分からないし、修行して智慧に達することができる人も稀。
だからこそ信が強調される。
修行できないほとんどの人にとって、信だけが命綱。
瞑想できる人は稀。
慧に達する人は更に稀。
四諦を悟る人は更に稀。
0864神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 13:08:42.34ID:EoQq1rGU
信が強調されると断言する根拠は何
そもそも 信 をどんな意味で使っているのだろうか
0866神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 16:41:37.27ID:x9L4QRDn
テーラワーダ仏教国の在家信者は、修行して悟ることよりお布施をしたりして功徳を積むことを重視してるらしいね
そういう人達はブッダを信仰してると言えるだろうね
0867神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 18:06:46.11ID:qWba0o0s
麻原の宗教的モチベーションは怒りだ
しかし彼はそれを内に見て取ることも出来なかったし、滅することもなかった
怒りに任せた人生だったし、どこにも悟りの欠片もないよ

では何故あれだけ人を集めたか?彼は本質的に詐欺師だからだ
詐欺師の話術を身に着け、宗教をビジネスとして始め、超越者願望のある人間を吸い寄せた

ソ連の工作員に懐柔されたかどうかはわからないが
キリスト教系の救済思想を取り入れた
彼らはバジラヤーナ、ポアと言ってるがキリスト教だ
善悪とかではなく、それが実相

共産主義に利用された可能性は否定できないが、麻原自身の思想は共産主義とは関係ない
無神論で超越者を否定する思想だし、共産主義は民主主義の一形態だ

陰謀論に陥ってる人が居るのはがっかりだ
0868神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 18:12:34.31ID:qWba0o0s
もう一言
麻原は捨てられた可哀相な子でもある
親にしてみれば金がかからずに済むには盲学校に入れるのが良いと思っただけ
兄貴も同じ学校に居たし大丈夫と思ったんだな
片目は1.0見えたから、同級生の中では超越者だったんだよ
カツアゲしたり虐めたりやりたい放題に捨てられた悲しみを発散した
それが彼の人格を作り上げてしまった
彼は中学の作文で将来の夢としてロボット帝国を作って王に君臨することを書いたという
それは彼の中では半分現実だったということだ

オウムでも同じ事をやったんだよ
0869神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 18:29:59.00ID:qWba0o0s
自らを超越者の座におきながら、ろくに親の愛情にも恵まれず育ち
盲目であるということが既成事実(本当は半盲)としてあり
最終解脱者を名乗り、オウム以前から日本の王になる野望を隠し持った詐欺師だったw
最終解脱はともかく、それ以外のことはほとんど誰も疑わなかっただろう
あまりに規格外だった
なかなか頭の良い生命力のある男だった、ということも忘れちゃいけない

そして、ダライ・ラマの推薦もあり宗教法人の認可が降りた
最終解脱宣言をし、信者の全財産を寄贈させ、ボロ儲けした
そして国家転覆を図った
ソ連と接触しなくとも、その意志は彼にはあった

おりしも超能力ブームのあった時代
特に親に不満がある人が吸い寄せられたと、上祐は分析していた
0870神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 19:38:56.93ID:FzSLGrgF
>>864
戒と定がなければ、慧はないから。

戒と定がなければ、慧はないので、瞑想できない、戒律も守れない
という人が慧の恩恵に浴するには慧を持つ人か、慧から出た言葉を
信頼する以外に方法がない。

特に大乗仏教の在家信者向け方便はそうだと思うが、それらが主眼
をおいているのは、
信を持たせることの一点に尽きると思う。

瞑想できる人は、信仰ではなくて、観測によって観測事実として智慧
そのものを確かめるので、信仰ではなく、確信になる。

地球が丸いことを観測した人は、地球が丸いことを知っているので、
もはや地球が丸いと信じたりはしない。
知らない人は、コペルニクスやガリレオその他の天文学者の言うことを
信じるしかない。
0871神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 19:40:57.86ID:FzSLGrgF
「無我」ひとつとっても、概念的に知っているのではなく、実感として知っている人は
あまり居ないはず。
0872神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 19:42:11.20ID:Ne8aYUDZ
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです _

その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
0873神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/09(土) 20:08:48.29ID:+++Ha2ss
>>869
オウムの宗教法人認可は石原慎太郎の圧力が決め手だと思う
石原の四男の画家、石原延啓はオウム幹部
0874神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/10(日) 13:26:33.80ID:bNFFvON7
成仏すればみんな同じ。
0875神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/10(日) 15:20:48.18ID:oxDyjzUq
死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちに善き人となれ
死んでから仏と言うは何故ぞ 小言も言わず邪魔にならねば
0878神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/10(日) 17:53:36.26ID:psKPRO2I
真のリアリティ、至高の神、=仏
偽りのリアリティ、ジョークの神、=現象世界(宇宙)
真に実在するのは仏のみだが、そこからジョークの神が出てきてふざけてるだけ
この宇宙全体が一つのオバケのようなもん
人間の体や心や意識もそのオバケの一部で
すべてはこのオバケが1_の狂いもなく、運命に定められたとおりに動かしてる
ただ自我の催眠作用があるがぎり、自分が人間で自分の意思で動かしてると感じる
0879神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/10(日) 19:37:51.59ID:TLicaAq1
破戒僧スマナサーラ師と共に地獄へ

日本テーラワーダ仏教協会会員

あと1095日
0880神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/11(月) 07:07:08.04ID:Kkw7bBxg
パーリ梵網経には、有情が持ちうる宗教的な見解が網羅的に示されている。

語られた言葉は、それを語った人の精神の足跡とも考えられるが、梵網経
ひとつをとってみても、そこには釈尊の非凡な足跡がありありと見て取れる。
人ならざる者(佛)の足跡が、確かにそこにある。
0881神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/11(月) 16:14:07.87ID:+tww+jDd
仏教を勉強して今日で1年になりますが、仏教の核心部分は、
人生は苦しみであり、渇愛が苦しみの原因にあり、
それを克服する道は八正道である、ということが分かりました。

多分、日本の仏教を勉強していたら、この理解にはつながらなかったと思います。
0883神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/11(月) 16:24:14.40ID:klwoEGT8
まあ、果物の種みたいなもんか。>>四諦

世代継承・種の継続収穫継続の爲に最も必要なのが種としても、
その周りの果肉にフォーカスし、味わい、評価するのが(特に後期)大乗、と。

(園芸家庭菜園趣味は別としても)
種だけだと、八百屋じゃなかなか売れないでしょw
で、種を取った果肉だけが販売されるようにもなる、と。
0884神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/11(月) 20:57:24.85ID:iz2ySZKv
瞑想が進んでくると、段々と心が清浄で無垢になってくる
すると、世間の人の世俗的な心、攻撃心とか嫉妬心とか騙す心とかから
うまく身を守らないとならないとかなり切実に感じる
サンガの修行者も悟ってない間は、お互い世俗の心が残ってるわけで
これを守ってるからいいんだ、とするガイドラインが必要だってことね
けどそれは建前ではなく、本当に正しい道でなきゃならない

それが八正道としてまとめられている様に感じるんだけどな
守るべきと言うよりも、守るようにしていると自分が守られるよ
という教えだと理解してる
0885神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/12(火) 07:49:01.71ID:DZsNr80q
清浄で無垢になってくるというより、
すっきりする。 元気になる。 軽くなる。凪のように静かになってくる。しなやかになる。
そんな感じだなあ、自分の場合
0886神も仏も名無しさん
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2019/02/12(火) 07:52:28.48ID:YLJIa1s7
守らなきゃいけない自分があるうちはまだまだだね
殴られようが、蹴られようが、全財産盗まれようが、馬鹿にされようが、けなされようが、平気でいなきゃいけない
0887神も仏も名無しさん
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2019/02/12(火) 14:56:26.59ID:zxlPYZ6z
それは道ではなく到達点のこと
0889神も仏も名無しさん
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2019/02/12(火) 19:27:46.24ID:iggdecgc
>>886
全財産盗まれるのはきついな
まあ一か月もあれば忘れるだろうけど
それ以外は平気
0890神も仏も名無しさん
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2019/02/12(火) 19:57:47.60ID:PKnoc0XA
会社の社長、
或は、親の介護をしてる人等が、
自分はどうでもいいと思ったとしても、
自分の立ち位置(…収入、世間からの評価・対応・処遇)が仏道を選ぶことによって変わるとしたら、
自分が出家した後、両親は、社員は、配偶者は、仲間は、恋人は、どうなるのか?
という危惧が生じない筈はなかろうに・・・。

また、「兄弟が居れば」という発言があるならば、
一人っ子は仏道を歩めない、ということになるわなw
0891神も仏も名無しさん
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2019/02/12(火) 20:53:01.04ID:YLJIa1s7
黄檗禅師は老いた母を捨てて修行したけどね
ブッダは子供、跡継ぎができてから出家したね
まぁ人それぞれだろうね
0892神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/12(火) 21:15:21.46ID:BJL993vO
そして臨済に横っ面を張り倒されることになる
0893神も仏も名無しさん
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2019/02/13(水) 08:50:17.33ID:/XilrZLT
他人様に、その人の人生をどうしろ、こうしろと指図できるだけの了見があるなら言えばいいんじゃない。
どうせ責任とれないでしょ。
0894神も仏も名無しさん
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2019/02/13(水) 08:58:48.68ID:/XilrZLT
出家だったら、毎日が人生最後の日みないな気分がデフォだから
全財産盗まれてもへっちゃらだろうけどね。
まだ悟りにまで至ってなくとも。
0895神も仏も名無しさん
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2019/02/13(水) 21:59:44.59ID:KeFS7utM
みんなそんなに財産持ってんの?
俺なんか葬式代も無いし、物はゴミみたいなギターしか無い。
お気に入りの包丁とか鍋はあるけど、それもクソ安いし実用品だしなぁ。
特にこれと言って惜しい財産は無いな。
0897神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:33:33.19ID:eP5Sfis0
出家でちゃんと屋根の下に
住まないで歩いて外で生きていたら
なにかを盗まれると言う感覚が
人間社会に普通に暮らしてる人とは
全く違うものになっているだろうね
0898神も仏も名無しさん
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2019/02/13(水) 23:41:18.21ID:+Vm2oUM1
その代わり、日本では、出家するまでが高難度。

つか、不可能かw
0899神も仏も名無しさん
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2019/02/14(木) 01:52:18.46ID:1aia5do2
ある時、良寛が住んでいた五合庵に泥棒が入った。
泥棒は粗末な庵の中を見渡してみたものの、盗むものが何もないので、良寛の寝ている布団を盗ろうとした。
良寛は知らないふりをして寝返りをうち、泥棒が取りやすいようにしてやった。
その晩は十五夜でお月様がきれい。

盗人に取り残されし 窓の月

(気の毒な泥棒もこの月の美しさは盗めなかったなあ)
0900神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/14(木) 07:23:06.78ID:TjNwZBiI
道元「学道の人は先ず須く貧なるべし。財おほければ必ず其の志を失ふ。」

中国の唐時代に、龐居士という在家の仏教信者がいました。仏道の修行をしようと志し、家の財産を全部持ち出して海に投げ捨てようとしました。
それを見ていた人が言いました。
「海に捨てるくらいなら、人に与えればいいだろう。あるいは、仏道の役に立つように使えばいいだろう。」
龐居士は答えました。
「財産は、自分に邪魔なものだと思って捨てるのだ。邪魔になると分かっているものを、どうして人に与えられようか。」
と言って、ついに海に全部投げ込んでしまいました。そうして仏道修行をしながら竹細工をし、それを売って生活しました。
後世に名が残るような人は、財宝を捨ててまでして志をたもつのです。
0901神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/15(金) 20:33:55.59ID:m1DBdUZn
瞑想が進歩すると嬉しいものですね。
これでいいんだという喜びがあります。
0903神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/16(土) 14:28:12.21ID:xIXzhOHJ
ありがとうございます。
ちなみに昨日は調子よかったんですが今日は全然ダメです(笑)
こんなのを繰り返してますね。
0904神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/16(土) 14:30:24.13ID:xIXzhOHJ
よちよち歩きでも毎日成長していきたいですね。
ありがたいことに仏法に出会ってからそういう毎日を送っています。
仏法僧に感謝です。
0905神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/18(月) 09:50:41.43ID:n/pR3rge
皆様仕事はどれくらいなさってますか?
私は9時間労働でちょっと自分の時間が少なく感じます。
0906神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/19(火) 16:27:54.85ID:1zD5pN//
かなりしている仕事を選ぶのかもね
創作要素の強い仕事をしている若くしてそれなりに成功した知人が、仕事を失うまでの流れを見ていてそう思った
0907神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/19(火) 16:30:19.62ID:1zD5pN//
まさに適材って感じだったのだが、仕事を失うというか、興味がなくなってしまったらしい
0908神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/19(火) 16:35:42.92ID:1zD5pN//
そのことをきっかけに初期仏教(仏教)についてざっくりと調べてみたのだけど、真面目に取り組めば取り組むほど、ホームレス、もしくはホームレスの一歩手前に陥る危険性を孕んでいるのではないかなぁと。
で、その真面目な人達を救う仕組みみたいなものが出家制度なのかなと思った。
0909神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/19(火) 16:54:23.18ID:1zD5pN//
だから、もし今している仕事が初期仏教(仏教)的に適しない要素のあるものであったなら、後にその仕事を失う可能性があることは覚悟しておいたほうがよいのではないかと思った。
そういうのって取り組む前の段階では教えてもらえないものなんでしょうか。前段階で本人は気づきようがないものなんでしょうか。
0910神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/19(火) 17:01:52.97ID:1zD5pN//
まあ本人が不幸だと感じていないのであればそれでいいのだけど、周りからすればなんだかもやもやとしたものが残ったまま
0912神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 15:43:18.36ID:c2yGeHXC
仕事と悟りの話は実際のところ本音を凄く言いにくいんです 今まで何とか自分を誤魔化して励まして人工的にやり甲斐を見出して頑張ってきた人を致命的に変化させてしまいます
段階の差はあれどもう渡ってしまった人は続けられなくなるのは自然なこと 一瞬不安がよぎってもすぐに消えていってしまって悩むことができない
でもまだ渡ってない人にはこの事実は相当の恐怖を与えてしまう 修行の妨げになりかねない でも渡ってしまった人は渡る方が良いと思っているんで恐怖を与えたくない
仕事は工場などの単純作業や上に上がっている警備員 介護関係に転職された人もいらっしゃいますね 私は無職になってしまって今は投資でずっと家にいます
0913神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 16:56:03.57ID:YIo0wmGy
ご意見ありがとうございます。
仕事をしていてネットやTVにずっと時間を費やさなくなった部分は良かったと思いますが
連日の疲れによって瞑想できない。
かと言って仕事を辞めれば無駄に過ごす時間も増えそう
4〜5時間労働ぐらいで試してみたいですね。
それも他人の芝なのかもしれませんが、
0914神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 22:04:01.21ID:MZcrhODK
幸か不幸か天災多過ぎで嫌でも刹那に気づかせてくれる国だね
0915神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 22:11:55.10ID:VPxg6+9Q
そうだろうか?

むしろ、震災以降、
「絆」という言葉を幟として、涅槃へ向かう際に最も障害となるであろう
「愛着、血のつながり、仲間意識、思い出、世代継承、世継ぎ、等々といった方面へのこだわり」
が、株価を上げてる気がするけど。
0916神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 22:15:27.81ID:VPxg6+9Q
すぐ上でも何人かが述懐してるが、
そりゃ、自分自身は、無職でもホームレスでも構わんだろうけど、
嫁さんや子供は、どうやって食べてくんだ?

一緒に物乞いさせるのか?


まあ、インド辺りでは、子供の腕切り落として街角に立たせるくらいだから、
それもアリだろうけどさ。
0917神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 22:26:33.60ID:7yPhcYrX
311以降少なくとも物質的なものに対しての執着は激減したな
どうせ死んだら全部ごみだし、あの世には何一つ持って行けんわって意識が強くなった
無駄なものをなるたけ持ちたくない
ただ私の場合は独り身だしね、家族がある人からすれば綺麗事なのかもしれない
0918神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 23:27:33.42ID:VPxg6+9Q
そう。
妻や子供(―これは持たなければすむことだが―)、
父や母は?兄弟姉妹親戚は?

実は、「涅槃」に視線を投げた時、
(いみじくもSn.ダニヤの章・Dhp.愛品等で指摘されるが如く)肉親や愛する者は、
すべて>>917でも言われる『無駄』な存在になってしまうのよね。


「ラーフラ」という名に、二通りの解釈が生じるのも、そこに由来するであろう、と。
障碍でもあり、また逆に、彼が生を受けたからこそ、
シッダッタはアノーマー河を越え得たわけで・・・。
0919神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 23:57:43.25ID:+h4XC5wc
メッタ(慈悲)持ってる在家の人なら、子供とかの面倒は見るんじゃないかね
0920神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 23:59:18.41ID:VPxg6+9Q
つまり、
子供のいる者は、来世の悟りを目指して、今生の悟りはあきらめろ(ギブアップ)ってことね。
0921神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/21(木) 23:59:47.69ID:c2yGeHXC
あんまり深刻に考えないで欲しいんですが捨てるからといって嫌いになるわけでは無いんです それに捨てるといっても精神的に強い拘りが無くなるだけのことです
私なんかは親族が亡くなっても涙や悲しい気持ちは一滴も一瞬も もうよぎらないかもしれませんが親が介護が必要になったら同居して面倒見ようとも考えてます
一番身近な存在なので亡くなるまでに少しでも苦しい思い込み 思い出を解決してあげられたらと思って今でも色々話もします そう簡単ではないですけどねw
0922神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 00:11:42.89ID:MVVryl6i
勿論、『出家』という状態の定義によって変わるのだけど、
妻をめとり子をもうけ、親の世話をし、世俗的つき合いも「世俗的なレベルに合わせて」こなしつつ
精神的には孤高に生きる(―「心理的出家」という造語が適切かはともかく―)
という在り方(生活の仕方)で良いならば、現代日本仏教は種々批判されるけれども、
もし、そのような形でよいならば、(→「出家」である必要がないならば)、
日本仏教は、最も進んだ、最も理想的な、21世紀に合った仏教だと言い得るか・・。

だとしたら、上座部が入ってくる余地は無いなw
0923神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 07:03:51.04ID:JT8ioVyz
インドでもいつの時代でも
まともな宗教だろうと
異常な宗教であろうと
家族を捨てて
修行者になった人にとって
後の家族問題は綺麗事ではすまない
出家した人が悟ろうが悟るまいが
残された家族は苦労続きのうちに
先に死んでたりもする

どうにもなりはしないし
言い訳することもできない

そんな風に理解するけどな
0924神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 07:54:38.73ID:k/qS/+GP
インドの聖者と言われているラマナ・マハルシの母は弟子になりましたね
ラマナと母親とのエピソードが好きです。
0925神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 08:05:06.70ID:ip8SsZQK
>>921
一休さんは飼っていた雀が死んだとき周りが引くぐらい声を上げて泣いた。
感情が無くなるのが悟りでは無いぞ、という弟子へのアピールだろう。
婆子焼庵という公案もありますね。
0926神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 09:20:24.06ID:xVeQaEoy
独り言ですが、仏教としての答えはお釈迦さまやその弟子たちが示してくれていますが、
それを自分で、確かめるということは並大抵のことではないんだなと思いました。
ちょっとした簡単なことでさえ、難しく、自分で確かめられたら大きな発見となりますしね。
0927神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 13:16:18.03ID:LfekWH10
>>925
http://j-theravada.net/dhamma/oriori/仏教から見る死(下)
ジャータカ物語になるけど、↑の一番下にある蛇前生物語の「ある農夫(ボーディサッタの前生)の例」とか見ると
テーラワーダの見方だと、悲しみを克服しているのは理想っぽいのかなとは思ったよ
0928神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 14:41:53.87ID:ip8SsZQK
ブッダも、コンダンニャが悟った時にちょっと、はしゃいじゃったし、サーリプッタ、モッガラーナ両尊者が亡くなられた時は少し落ち込んだ。
完全に人間離れするのが阿羅漢じゃないみたい。
某スマナサーラ長老も人間臭いところがあるしね。人間なんだからあたりまえなんだけども。
0929神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 16:42:55.64ID:jFs8XJ1J
まあ1つ言えることは 渡ってしまえば今の心配は消えてしまうか 残っていてもかなり小さくなります そして内心的出家によっての凄惨なニュースはあまり聞いたことがないということw
それこそ離婚や離散や孤独死なんかは宗教なんて関係なくてもゴロゴロあります どんな状況であろうと誰であろうと未来のことは誰もわかり得ない
問題は精神的にガッツリ両手で握っているその拘りを精神的に離せるか 実際は大金持ちでもステキな奥さん 旦那さんが居ても 会社の社長でも良いわけです 精神的に手放すだけで良いんですから
0930神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 19:08:48.02ID:ip8SsZQK
テーラワーダでは全ての執着を手放した人、阿羅漢はもう在家生活は出来ないと言われてますけどね。
0931神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 19:10:40.62ID:eq79hoAT

>精神的に手放すだけで良いんですから

↓なぜ?手放しが難しいのか?その理由は?

渇愛(タンハー)
欲愛  =感官によって得られる刺激・快楽(カーマ)への渇愛
有愛  =存在することへの渇愛
無有愛=存在しなくなることへの渇愛

欲愛を手放しするのも難しいと思うけど
無有愛を手放しするのも難しいかもしれない

それゆえに
仮設としての
無明に依存しているのなら
誰もが成仏するわけではない(五性各別)

それでも、とりあえず
http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗。内山興正

坐禅中の心構えを一口にいうならば
坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして
「(無有愛も含めた)思いを手放しにしている」
という言葉が一番あたるかもしれません
0932神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 19:16:05.79ID:ip8SsZQK
澤木興道老師が言われていた。
私は精神的に頭を剃っていますから、といって髪をボーボー伸ばしている人がいる、
出家の気持ちは髪を剃ってみなけりゃわからん、精神的にというのはインチキをしたがる。
と。
0933神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 19:33:47.20ID:xVeQaEoy
自分は渇愛から自由な時というのは瞑想中だけですね。
どういう変化が起こって、普段の生活中でも渇愛から自由になるのか興味があります。
どういう精神状態なんでしょうか。
0935神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 19:43:44.29ID:eq79hoAT

>>931の続き

スッタニパータ 874
ありのままに想う(と執着している)者でもなく
想いなき(と執着している)者でもなく
想いを消滅した(と執着している)者でもない

けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである

たとえば
仮設としての
無明に依存しているのなら

想いを消滅したい。という想い = 執着
  _  _  _

↓(仮設としての)無明を離れてから

智慧をもって
非想非非想も手放し離れて

そして、それから、想受滅へ。みたいな?
0936神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 20:05:48.51ID:eq79hoAT

>自由な時というのは瞑想中だけです

ここのスレではなく
他のスレで
『刹那消滅は納得できない!』といってた人もいたけど
それでも、とりあえず
 ↓

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅。ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図。ウ・ジョーティカ

智慧をもって
生成消滅(刹那生滅)している。と観察すること

みたいな?
0937神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 20:25:14.17ID:eq79hoAT

>>936の訂正・お詫び

×刹那消滅

〇刹那生滅

失礼いたしました スマソ m(_ _)m

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/215935
上座部。パオ・セヤドー

有分心 = 生命相続流

夢を見ることもなく
熟睡してるときでも

有分心は
(仮設としてのものであるからこそ、それゆえに)
刹那滅して変化して
そして
生起しているのです
  _  _  _

ということであるらしい
0938神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 21:09:56.22ID:MVVryl6i
まあ、
「私は欲望に捉われていない、従っているわけではない。
 ただ、形式的に(世俗の慣習に沿って)行為をしているだけ」、
というのが、日本大乗仏教徒の妻帯肯定理論だしね。
0939神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 21:17:40.70ID:MVVryl6i
また、四住期というものがあるが、
それでよいなら、「ehi bhikkhu」の意味も薄れるし、
何より、後継ぎを育て上げた後の年寄りにしか安穏は無い、ってことだしね。

日本のお寺さんで言うなら、住職を引退して初めて本格的に修行ができる、と。
まあ、それまでは会社経営者と同じだから。


仏教って何だろね・・・w
0940神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 21:24:46.68ID:eq79hoAT

https://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)

実有で在る。という『想い』から離れて

すべて一切の諸々の法(ダンマ)も

仮設としての
相互に依存している
働き
現象で

それは
我所ではない
我でもない

法であると絶え間なく
智慧をもって知覚して

安心立命して住むことである
  _  _  _

上座部に
大乗の安心立命とかを混ぜるな!

と怒られちゃうかしらん?
0941神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 22:03:29.33ID:JT8ioVyz
自分の全力使って
猿真似してみるのは
とてもいいと思うけどね

本物との違いも自分なりに
感じることできるし
自分がなにも通さずに
感じられることが
とても大事だと思うよ

経験したものを言葉にする
ための理由も起きないほど
自分だけの経験になったりする
0942神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/22(金) 22:20:04.63ID:eq79hoAT

>自分の全力使って

たとえば
大乗とかの場合は
https://true-buddhism.com/shuha/jodo/
浄土宗西山派の信じ方
証空の開いた西山派では

自力の諸行では往生できず

自力を手放して
いわゆる
コップの中をからにして
それから

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

我所でもなく我でもない

仏からの
真如縁起として
因と縁の双方の縁起が相応一致して

成仏をはじめとする各種の効果を成就させる

という感じであるらしい
0943神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 09:11:04.21ID:nyDn851S
>>939
お寺が大量の財産を持ってしまった
財産を相続させるのはやっぱり子供にという気持ちになるんだろうね
やはり富は人間を狂わせるね
0944神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 09:20:40.41ID:nyDn851S
そもそもお金に執着が無い人はお金儲けはできない
あっても無くてもいいけど、なんて中途半端な気持ちではお金は入ってこない
仏道修行に励めば自然と貧乏になってくる
最終的に阿羅漢になれば出家して財産はゼロ
0946神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 10:38:43.07ID:nBUjzQws
>>944
貧乏になるのは本当にそうですね。
というより、お金に執着しなくなるから、稼ごうとする意欲がなくなるんでしょうね。
お金がなくても幸せに生きていけるということが分かるから。
0947神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 12:33:47.32ID:ZVeD5ctV
それは分別の間違い
生に執着がなかったら死ぬのか?
違うよね
0948神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 13:21:46.65ID:nyDn851S
生に執着が無くなれば解脱する
最後の肉体が無くなるのを待つ
金に執着が無くなれば、最後の財産が尽きるのを待つ、というより善行為、人助けに使うだろうね
0949神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 13:39:33.71ID:JKe3qMeq
生に執着がなくなると本当に解脱するのでしょうか?餓死ではなくて?
0950神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 13:47:46.61ID:K+/D+Jnq
出家って俗世間でいうところの生活保護みたいなものか?
だとしたら、もしベーシックインカムが導入されたらどうなるのか
0951神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 13:52:32.36ID:GxSoomTh
私が思う理想の出家は
屋根の下に住まず
持ち物は最小限で
お金も持たず
食べ物はもらったもので
そんな感じかなあ
絶対にそうやって生きて死ぬ人が
居ると思っている
0953神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 14:02:24.27ID:IfhUeidj
こんな所でマウント取ってなんぼのカス共が仏教とかぬかすな
ウゼーんだよ、社会のゴミ屑共が
0954神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 14:05:49.11ID:IfhUeidj
>>952
上野は知らんが新宿はもうホームレスはほとんどいないだろ?
昔は地下通路に沿ってダンボールハウスがあったが
0955神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 14:26:23.41ID:3ZvhwAUt
家がなくても生活がしたくて
一ヶ所に留まって集まって暮らしてる
ホームレスではなくてね

行脚して瞑想や座禅して
生きてる人ね
0956神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 15:41:35.89ID:gyqBE4E1
あと67日
0957神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 19:15:05.78ID:nyDn851S
>>949
正確には五感に対する欲、生に対する欲、非生存に対する欲
それらが無くなれば解脱する

解脱した人は餓死したりしなかったり
まぁ別にどちらでも、という感じでしょう
0958神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 19:16:52.80ID:nyDn851S
「自分はもう一生、ものを欲しがらぬ。頭を下げて人にものをくれとは言わぬ。あるいはまた人の欲しがるものは惜しがらぬ。
食わしてくれれば食う、食えねば食わぬ。生きられるだけ生きる、死なんならんときは死ぬと、心がハッキリ決まった。
このとき広々とした天空を仰いだような、何の引っかかりもない人生がそこに展開した。これほどの喜びはなかった。」

澤木興道
0959神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 19:45:44.87ID:55ZxWKVc

>このとき広々とした天空を仰いだような、何の引っかかりもない人生がそこに展開した。これほどの喜びはなかった

岩の上で思う
天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか
五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない
宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した
すでにこうして岩の上に立つことになって
私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ

(たとえば、仮に
  好き嫌いすることなく平等性智をもって観ることができるのなら?)
非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った

藤村操の巌頭之感より
  _  _  _

これからも
強く、たくましく生きていく。という『想い』でもなく
これから死ぬのだ。という『想い』でもなく

それでも
藤村操の場合は
『死ぬ事を決断した!』ということであるらしい?
0961神も仏も名無しさん
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2019/02/23(土) 19:48:16.95ID:3srFekKa
>>933
何となくわかる表現かどうかはわかりませんが 例えば好きなテレビや遊び趣味が過去にあった 誰かのことが好きでそのことで胸が頭がいっぱいになったことがあったとして
現在では全く同じ番組や遊びや趣味や昔好きだった人のことで昔ほど心が喜ばないことが多いと思います それはそれらのことから自由になったと言って差し支えありません
それが何かを心配する気持ち 怒り 生きている実感を求めて何かを探し回る衝動 そういうものにまで広がった時 もう砂場で遊んでも楽しめないのと同じようにそれらから離れてしまいます
や自分というものが自分が感じているような形では実際には存在してはいなかったという衝撃が やはりきっかけになると思います
0962神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 20:04:41.04ID:nyDn851S
>>959
宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「無常、苦、無我である」と
私と呼べる存在、自我があるだろうか、どこにも無いのだ
そして大きな悲観と大きな楽観から離れ、心は解脱した
0963神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 20:09:45.73ID:55ZxWKVc
 
>実際には存在してはいなかったという衝撃が やはりきっかけになると思います

たとえば
地水火風の微細な粒子に分解していく
四界差別の観察も
実際、難しいような感じもするけど
それでも、とりあえず

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
上座部。パオ・セヤドー

たとえば
霊魂も
我所も
我も

地水火風の微細な粒子に分解して
手放して
滅し尽くして

(地水火風の微細な粒子の)密集を看破したときに

無我への領悟、了解が生まれる(らしい?)
0964神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 20:47:09.85ID:nBUjzQws
瞑想していると、幸福な状態というのは執着から離れた心でないと達せられないんですね。
モノや感受は瞑想の邪魔になる。で、ちゃんと瞑想できている時が一番幸せなんですね。
つまり、モノを手に入れたり五欲を満足させることは、一番幸せになるために必要ではないということです。

これってすごい幸せなことではないでしょうか?
ぜいたく品などは必要ないということですからね。
世間の人はそれらを追い求めますが。
0965神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 20:50:32.68ID:nBUjzQws
ということが、今日瞑想していてわかりました。
年収がどうだ、成功がどうだ、とか言いますが、心から幸せになるためには必要ないわけです。
自分は悟ってはいませんが、心がすごく楽になった気がします。
0966神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 20:57:52.56ID:jlrv2s6C
天涯孤独な人間ならいいが、
そうでない場合、
(まさに、世間的価値観で)心配する者・助言する者・悲嘆する者・怒る者等を、
どうやって説得するか、だなw

で、まさにそここそが、(後代で言う布教に繋がる)
「法を」「どう説くか」という所に直結してて、釈尊の45年は、
まさに、その言説を練り続けた年月なんだろうな・・・。
0967神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 21:03:40.48ID:nyDn851S
>>963
それは色蘊の無我だけ
受、想、行、識に関しても無我を観て初めて諸法無我を悟る
0968神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 21:47:44.91ID:55ZxWKVc

>>966の続きとして
>布教に繋がる

239 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2019/02/12(火) 20:11:18.26
補:

仏陀に、もし、苦悩があったとすれば、
それは、

  自分はすげぇ納得してるし、ベストだと思うんだけど、
  みんな、なかなか同意してくれないなぁ・・(苦笑

ってトコだと思うんだよね・・・w
  _  _  _

  _  _  _

ここのスレではなく
他のスレの

『アートマンである〜♪』に対しての

対機説法は難しいかもしれない(おじゃる?)
0969神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 23:17:54.99ID:jlrv2s6C
>>966

その意味で、
釈尊在世時の、仏教教団の隆盛
―それはつまり、前途有望な良家の子が次々と出家し、親族との縁を切る、ということだったわけだが―
が、オウムが権勢を伸ばした時と、
社会的事象としては似てたのかもなぁ・・と思わないでもない。

現に、「世俗を捨てて(関わりを断って)の出家主義」という側面を、
初期仏教に擬える論調は実際にあったわけで・・。
0970神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 23:20:59.42ID:jlrv2s6C
いや、縁を切るという言い方は適切ではないか・・。

やはり、
「家業を継がない・家族を養わない・血筋の継承に携わらないという選択」
という言い方にすべきか・・。
0971神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 23:54:20.79ID:55ZxWKVc

https://www.shinchosha.co.jp/book/610696/
発売日:2016/12/16
お寺さん崩壊。水月昭道/著

http://agora-web.jp/archives/1589719.html
2014年04月08日

「無宗教」のカテゴリーでは
チェコ76・4%、北朝鮮71・3%、エストニア59・6%に次いで
日本が57%

そして、更に
https://dot.asahi.com/wa/2019020800014.html
2019.2.11
葬式はなくなる? 通夜なし、式なしの「直葬」選ぶ時代に
  _  _  _

たとえば仮に
(今、現状の日本の)大乗の寺でも

ヨーガ系とか
上座部系とか(マインドフルネスとか、その他諸々)
チベットとかも取り入れて導いていった方が良いとか?

(財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施として…)
0972神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/24(日) 05:36:02.54ID:fJ/PIoni
あと66日
0974神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/25(月) 00:07:56.07ID:xhgW+/w/
あと65日
0975神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/25(月) 05:50:06.51ID:fqcauE1V
>>973
相変わらずテーラワーダの教義からはズレてますね
四諦との関係も滅諦は勝義諦が滅諦ではなく勝義諦の中の涅槃が滅諦です
0976神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/25(月) 14:50:38.42ID:AF7XLSpR
>>961
身近な例でありがとうございます。
色々と感じてみたんですが、やはり智慧のあるかないかですかね。
自分もたまにそういう状態になることがあるんですが、時間がたてば欲に負けてます。
24時間そういう状態になるというのは、ちょっと想像がつかない世界です。
0977神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/25(月) 14:56:28.36ID:IUVgKzFP
瞑想していてなんとなく思うこと
輪廻転生はごく当たり前なことであり、始まりと終わりという概念こそが疑わしくないか?
0978神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/25(月) 22:07:37.24ID:0X40ktMm
>>976
智慧は気づきから生まれるんですから、物事を、これは何だろう?と一瞬の変化も逃さないように観てみれば、
そこに欲は生まれないでしょう。
女性を見て、キレイな女性だと思ってしまうと欲が生まれますが、女性だと判断せずに、この物体、現象はどういうものだろうか?
どのように変化しているだろうかと真剣に、集中して、気づきで観れば欲は出ません。
それが24時間できれば智慧は完成するでしょうし、智慧が完成すれば24時間できると思います。
我々はこれを少しずつ地道にやっていくしかないみたいですね。
0979神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 00:39:47.09ID:X/Mg55+e
あと64日
0980神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 08:54:20.54ID:uaIzKRDs
まずヴィパッサナー瞑想実践法の三原則を覚えておきましょう。

一つ目は、スローモーション。からだをふつうのスピードで動かすのではなく、できるだけゆっくりスローな動きで行うこと。

二つ目は実況生中継。今行っていることを、頭の中で簡単な言葉で確認すること。それを隙間なく、切れ目なくするのです。
これを実行すると、雑念が消え、瞬時に集中力が生まれます。

三つ目は、感覚の変化を感じ取ること。手を上げたり、歩いたり、座ったりするたびに、からだの感覚が変わります。
考えるときも激しく感情が変わっていくのです。これらの変化を何も解釈せず、感じることです。

https://j-theravada.net/world/vipassana/
0981神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 09:00:20.14ID:uaIzKRDs
そこで、眼耳鼻舌身意に色声香味触法が触れた瞬間、たとえば眼に色形が入った瞬間、妄想を展開させずに、「見えた」と、そこでストップしたらどうなるでしょうか?
何の妄想も、何の主観も、何の煩悩も生まれてこないのです。それで心がすごく穏やかになるのです。悟った人は、ここでストップします。妄想には行きません。
悟った人に煩悩が無いというのは、眼が見えないとか耳が聞こえないとか、何も感じないということとはまったく違います。
悟った人は常に目覚めて、ものごとを鋭く観察していますから、誰よりも鋭く聞こえていますし、鋭く見えています。ただ妄想には行かないのです。

https://j-theravada.net/dhamma/kougi/kougi-132/
0982神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 09:15:57.10ID:nKc41i8y
>>951
正統な出家には戒律がある。
ホームレスには戒がない。正精進もなければ正念もない。

>>966
>心配する者・助言する者・悲嘆する者・怒る者等を、
>どうやって説得するか、だなw

世俗の価値観に従う他人様に理解や賛同を求めるというのは、
無理な期待ではなかろうか。

>>969
厳しいことを言うようだが、もし、あの醜く太った汚い教祖の姿をみて、
この人のもとに出家しようと思う人がいたとしたら、その人はまず自分
自身のものの見方のズレを自覚した方が良いと思う。
少なくともオウムについて判断する前に、初期仏教についての信頼の
おけるテキストを読んでおくぐらいのことはしていないと勉強不足過ぎる。
渡辺照宏の定番テキストが、岩波新書で読めるんだから、それぐらい
読んでから判断する程度の冷静さは欲しい。
当時、年端のいかない若者が多かったが、日本は宗教に関して教育を
しなさ過ぎる。
従って偽者への免疫をもたない人が多い。
おそらく多くの人は、正統を見分ける目も持ってはいない。
0983神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 09:20:39.42ID:nKc41i8y
ある僧団、あるいは個人が正当かどうか、一般人にも見分けられる判断基準がある。
それが戒律。

戒律を破っている僧団に正法の護持はない。
あり得ない。
0984ポッタン師
垢版 |
2019/02/26(火) 10:49:18.52ID:KkaM4sGx
983.それは迷信である。大爆笑である。
0985神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 11:44:40.21ID:nKc41i8y
わたしは迷信だとは思わない。
おわり。
0986969
垢版 |
2019/02/26(火) 12:50:35.96ID:2ET/C2Cq
>>982
>日本は宗教に関して教育をしなさ過ぎる。
というより、伝統諸宗派の怠慢だから。
貴方の言う通り、学部一年程度の知識があれば、
オウムの言ってることが支離滅裂なのもすぐわかるが、
逆に言えば、学部一年程度の知識は欲しい、ということでもある。
日本で宗教教育は、たぶんこらからも難しいだろう。
その現実の上で、

 「あれは違う」

と幡を掲げられなかった日本仏教の罪かな、と。
0987神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 13:53:25.21ID:nKc41i8y
色んな人が「あれはおかしい」と言っていたはず。
聞く耳を持っていなかったのでは。
0988969
垢版 |
2019/02/26(火) 14:13:50.39ID:2ET/C2Cq
そうか。
けど、一部には評価の声もあったしね・・。

住む世界(生活領域)が違ってて、届かなかった、って方かと。
或いは、彼らのツボに嵌ったというか、かゆいところに手が届いたというか・・。
そういう面で、当人の無知
―それは、確かに982にあるような宗教教育の欠如から来るものかもしれないけれど―
に帰するのは、ちょっとかわいそうかな、と。 >>聞く耳

その方向で考えれば、カフェやイベント、よろず相談、バンドやゆるキャラ、萌衣キャラ、等等も、
聞く耳をそばだててくれる一助にはなるのかもしれないか。
距離さえ近かったら、届いた声だった、と。

お墓と位牌だけでない何かの提供。
上座部は、それが「ブッダの教え」になるんだろうけど(あと瞑想の方法論か)。
別に何かアイテムや種々の手管はなくとも、もともと距離が近い分、
中身がちゃんと浸透してるからよいのか・・・。

やっぱ、維新と戦後教育&高度成長かなぁ・・。
0989神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 17:57:33.54ID:UcBSw1/i
>>976
私はかなりいい加減な修行者で自分の欲望や考え方を抑えたり変えたりは全くしてきませんでした ただただフラフラになりながら観察という瞑想を毎日目が覚めている間中繰り返しただけでした
自分の意思で何かを手放すことは非常に難しいと思います それができれば良いんですが 出来ないので瞑想が存在していると思って頂ければと思います
集中して深く速く途切れなく 自分を誤魔化さずにどの反応も例外なく喜びも怒りも悲しみも分け隔てなく勇気を持ってって感じです
0990神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 20:14:40.65ID:uaIzKRDs
ブッダの教えに忠実にいけば、宗教に詳しい人でも無宗教の人でも、
オウムのように他人に迷惑をかける人達でも、他人に奉仕する善人でも、
悟りを開いてない限りは邪見を持った人ということになる。
オウムの人達を非難してる場合じゃないね、早く悟らないと。
0991969
垢版 |
2019/02/26(火) 20:51:10.24ID:2ET/C2Cq
>>990
はあ?
君の言う >>オウムの人達 って誰?

彼らは―俯瞰視線での―被害者じゃないのか?
勿論、法的に、道徳的に、『刑事的に』、裁かれねばならないだろう。
けれども、人間性そのものの非難をするのは御法度でしょうが。
いったい、誰が、彼らを日している非難しているの? (´・ω・`)
0992969
垢版 |
2019/02/26(火) 20:53:51.17ID:2ET/C2Cq
ああ、打ち込みが乱れたw


かの、アングリマーラでさえ、
≪「リンチ(私刑)」は受けた≫が、≪「法的には」裁かれていない(刑事罰は受けていない)≫。
0993神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 21:15:05.86ID:uaIzKRDs
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」

麻原みたいな人間も、麻原に騙されるような人間も山ほどいる。
いつの時代でもどの国でもそう。いちいち気にする事じゃない。
基本的に人間は愚か。まず自分の愚かさを何とかしないと。
0994神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 21:26:00.14ID:MjAsinFo
弱い人は自分の言ってほしい言葉を言ってくれる人についてっちゃうからね
自分は当時ネット環境無かったけど、もしオウムの変な曲を騒動になる前に聞いてたら
おそらく興味持っちゃってヤバかった
味のある変な曲が多すぎた
0995神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/26(火) 22:23:58.77ID:KKR7XwWH
>>989
ありがとうございます。
自分の意思で何かを手放すことは非常に難しい、というのは本当にそうですね。
仏教では答えが出ていますが、それを自分のものにするのはとても難しいと思います。

答えは提示されているのに、それをものにできない、というのは非常にもどかしい思いがあります。
大事なことは、どこまで自分で確信できるかだと感じています。
0996神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/27(水) 02:17:33.45ID:c0X6cNJy
>>995
なるほど もどかしさがあるわけですね 結論を言ってしまうと心配ありません ヴィパッサナーには確信を増大させ 迷い 疑いを排する仕組みが内包されています
続けていく間に突如雷に打たれたように 理屈無く自分への理解がやってきます その一回の経験が確信を生み嬉しさを生み瞑想の道へ拍車をかけます
私のように目を血走らせ体から湯気が出てるのでは?というぐらい集中力頼りで続ける人もいれば 静かに水が流れるように淡々と実行される方もおられます 注ぎ込む集中度と時間の和又は積又は比例すると考えても良いかと思います
正しく続ける限り確実にコップの水は溜まっていきます 後は勝手に溢れるのを待つだけです
0997神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:43:22.73ID:DtXOnzRY
仏教用語を用いてプロセスを書くならば、まず、身体(色)と心(名)の働きを明確に区別して体験します。
次に名色が、生滅変化して流れるものであることが見えてきます。 観察能力の鋭い人には、名色の流れの因果関係も理解できます。
それが見えてくると「疑いが晴れる」ということが起こります。その意味は、人間は知識中心に生きている。自分に対し、存在に対し、
また解脱に対しても様々な概念が頭に詰まっています。名色の流れを見た人は、それらが単なる妄想であって解脱の道ではないとしっかりと体験するのです。

さらに修行を続けると、一切の存在は名色の流れのみであってその名色が、無常、苦、無我であることを(理解するのでなく)体験します。
しかし、無常、苦、無我のどれかひとつしか体験しません。言葉は3つですが意味は一つです。次に存在(生きること)に対して嫌悪感のような感じが強烈に生まれます。
それは高い知識の体験であり、普通の意味での嫌悪感だと理解してはいけません。これを仏教では「厭離(おんり)」といいます。
初めて解脱したい、他の道はないという気持ちが生まれるのはそのときです。そのときはヴィパッサナー実践さえもいやになるような気がします。
その気持ちにもめげず修行を進めれば、間もないうちに名色の寂滅という体験に出会います。それが最初の悟りです。

https://j-theravada.net/dhamma/q&;a/gimon11/
0998神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:08:08.22ID:mOAhIz8r
>>996
ありがとうございます。参考にさせていただきます。
これからも少しづつですが、毎日実践を続けていきたいと思います。
0999神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/03/01(金) 09:26:48.37ID:f5alS51N
あと61日
1000神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/03/01(金) 09:27:43.73ID:Wzz/riFH
あと○○日ってなに
10011001
垢版 |
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