★★『幸福の科学』統合スレッドpart889★★
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【神聖教団】〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか
最初にお断りしておきたいのは、私は〈幸福の科学〉のすべてを非難するつもりなど毛頭ない、ということである。
その教義内容は、たとえ世間の有識者が何と言おうと、良いことを言っているのだし、 また「霊性時代の樹立」「偉大なる常識人」というスローガンも、時節柄を鑑みて思うに的を射ていると賛同している。
ただ問題なのは、その本来の素晴らしい教えが〔教団〕という形に形勢されていく途中のどこかで、関谷の心が天の御心にあるまじき形態に、内容が変化してしまうことである。
僅か数十人、数百人の天使の集いだったものが、飛躍するうちに関谷は廃人になっていく。
言っていることと、やっていることにどうしてもズレが出てくる。
関谷とは魔物であり、多くの場合には虚業でもある。
その意味では大川隆法や善川三朗は私達とは違い偉大なる存在であったのだろう。
人によっては〈幸福の科学〉と大川隆法の未知の部分の解説本だろうから、思いきり良く書いてくれるだろうとの〔期待〕もあった。
しかし誹誘中傷は、私たち求道者の本意であるはずがない。
体験した事実を事実として、ありのままにストレートに書いた。
どのように受け止めるかは、読んでくださる方々の心境に委ねるしかない。
そう思うと、何の力みもなく安心して書き上げることができた。
事実は小説よりも奇なり、という。
読み方によっては本書は三面記事的な面白い読み物にもなるだろう。
また別の受け止め方をすれば、理論理屈の本より、いっそう深い神理を本書からくみ取っていただけるものと信じる。
コウフクノカガク‥‥
それは私たちの
夢と希望の物語である
1993年9月
関谷晧元 【神聖教団】〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか
この人たちこそ
神のみこころの実践者では ないのか
そのことを知るために
私は一つの教団を
通過してきたのかもしれない
私にとって〈幸福の科学〉は
一つの通過点であった
だから追放される時がやってきた
「そんなことを言うおまえは誰か」と
読者は問うだろうか
私は1986年〈幸福の科学〉発足以前から学習会の基礎造りに人生を懸けてきた男である。
順調な仕事を閉鎖し、自社ビルを処分し、家族との辛い別れを体験しながらも すべてを捨てて打ち込んできた者である。
そのあいだには教団の最重要ポストを幾つも歴任してきた。
組織として形が整う前は活動推進委員として基盤造りに励んだ。
会が動き出すと秘書課長として大川隆法に密着、その私生活にも深くかかわった。
大川隆法・恭子夫妻の仲人もしている。
初代総務局長としての華々しい武勲もいくつかある。
幹部人事を担当し、資金計画を立て、出版ルートを開拓した。
他教団との折衝も手がけた。
あの紀尾井町ビルへの入居も、それを発案し、折衝し、勝ち取ったのは私である。
本部講師となり、会の基本原理である「四正道」を解説して全国を巡回した。
あの頃にあった草創期の熱気。
いま思い出しても、自然と熱いものがこみあげてくる。
文字通りゼロからの出発。
情熱の奔流に身を任せ、しゃにむに舟を漕ぎつづけた。
そして、小さな舟が堂々たる大型船になったとき、伸び盛りのこの会を私は慢心のせいで退転し教団追放となった。
1989年10月のことである
追放された日から、早くも四年が過ぎようとしている。
その後、さらに会は大きく発展した。
会員は急速に膨張し、その数は500万人とも700万人とも言われるほどになった。
いま信者の多くは悟りを高め、心を磨き続けている。
悟りを求め、仏の御心を懸命に探求しつづけているに違いない。
私には、その思いが痛いほどよくわかる。 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1538457568/7
虚業教団
https://ameblo.jp/01000440ktndy/theme-10107288895.html
彼は大川に、この話はなかったことにしてほしいと訴えた。
大川のワンマン体制下では、その意向に逆らえば、会から追放されても文句は言えなかった。
よほど勇気が要ったに違いない。
なにしろ仏陀の指示を拒むのである。
阿南浩行は自分の心に正直にしたがった。
たとえ全知全能の神の命令でも、自分がおかしいと感じたら、やはりおかしいのではないか。
彼は自らの行動で、そのことを私たちに問いかけたのである。
けれど私たちはまだ自分の〔浅はかな考え〕よりも、大川の霊言を信じていた。
「神は自分の心の中にある」と高橋信次は繰り返し説いた。
そういう心の中の神を、真っ直ぐに見つめることのできた人間から、順番に会を去っていった。
「明日から出社におよばずだ!もう出てくる必要はない!」
大川の憤慨は、私たちも はじめて見るほど激しいものだった。
「佐藤家を訪問したというのは、すでに承諾したと同じではないか。
相手に正式に結婚の申込みをしたということだ。今さら断れない!」
六大神通力を持つはずの主宰先生が、怒りのためにその能力に曇りが生じたのか、すでに阿南は真知子の実家へ挨拶にいったものと勝手に思い込んでいた。
「神託結婚を承諾できないのは、高級霊からの霊言が信じられないということだ。
これだけの本(当時は60冊)を認めないと言っているんだ。
信仰心がなってない!」
「自惚れている。大したこともできないくせに!」
局長会議が頻繁に開かれた。
そのたびに、私たちは、主宰先生の〔不調和な言魂の響き〕を耳にしなければならなかった。
【虚業教団】ささやかな、けれども爽やかな第一歩
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020001/
1989年(平成元年)の夏、私はロンドンに滞在していた。
そこから東京の幸福の科学本部事務局宛に、一通の封書を出した。
封書には〈幸福の科学〉への別れの挨拶ともいえる私の辞表が入っていた。
この別れに淋しさがなかったと言えば嘘になる。
自分は〈幸福の科学〉を創りあげた一人である、という自負があった。
人生を懸け、ともに歩んできた三年半。
時間としては短いかもしれない。
しかし命懸けでのめり込んできた日々は、私には長く重いものだ。
それまで私は自動車販売会社を経営していた。
同業者からも羨ましがられたほど順調だった会社を人に譲り、自社ビルは売却した。
妻子とも気まずく別れることになった。
主宰・大川隆法に強制されるかたちで、〔神託結婚〕もした。
それでもまだ、人生を懸けたと言うにしては、三年半は短過ぎるだろうか。
そのような会との別れは私の胸を締めつけた。
しかし一方では晴々とした気分だった。
ロンドンの空は連日爽やかに晴れ渡った。
お世話になったイギリス在住のTさんによると、ロンドンでこんなに快晴が続く年は非常に珍しいという。
抜けるようなその青空に似た清々しさを、私は一人噛みしめていた。
(これからは一人で充分だ 。一人で修行を重ねていこう)
軽やかな陽射しを浴びながら、私はロンドンの街を公園を歩きまわった。
その心をさまざまな思いが心をよぎる。
(幸福の科学は ほんとうに幸福を科学したのだろうか 。会員は幸せになれただろうか)
(職場や家庭で彼らは真に素晴らしき人になり得ているのだろうか)
(確かに愛の理論はあった だが愛の実践はともなっていたか……)
(会員を集めることに走り 最初の志を忘れてきたのではあるまいか)
【虚業教団】ささやかな、けれども爽やかな第一歩
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020002/
東京にいたときも、繰り返し浮かんできた問いである。
1ヶ月の休暇を無理やりもらってイギリスへ渡ってきたのは、三年半の激務でボロボロになった体の治療が目的だった。
それは、遠く離れて会を見つめ直すいい口実になった。
遠くに立ち、胸にわだかまるいくつもの間いに答えを出したかったのである。
一日置きに治療を受けに通った。
そのあい間にハイドパークの公園へ出かけるのが、いつしか私の楽しみになっていた。
陽射しに暖められた柔らかな芝生に体を横たえ、胸一杯に新鮮な空気を吸う。
ちょうど日本の初夏のようで、あちこちに陽炎が踊っていた。
会で重責を背負っているときは、何かに憑かれたように、いつも忙しく動きまわっていた。
自然とゆっくり接することもなかった。
会の方針や自分のかかわり方についても、落ちついて考えるヒマもなかった。
しかし、こうして遠くから眺めてみると、大川隆法という人物や〈幸福の科学〉が次第に見えてきた。
絶対と信じ切っていたものが、今は陽炎のように揺らいでいた。
(私の辞表に大川先生は何を思うだろうか)
そんな思いも幾度となくわいてきた。
私と大川隆法の最初の出会い。
それは三年前にさかのぼる。
正確な日付は忘れたが、86年の確か4月下旬だった。
私はその日、新宿七丁目の割烹料理店「作古」の二階で、一人の青年と向き合っていた。
青年は肉付きのいい体に背広を着て、座敷の上座に座っていた。
彼の名は中川隆。
後の〈幸福の科学〉主宰、大川隆法である。
当時は総合商社トーメンの東京本社国際金融部に勤めるサラリーマンだった。
東大卒、大手商社社員という経歴はエリートと呼べるだろう。
その一方では、善川三朗編の『日蓮聖人の霊言』『空海の霊言』に登場する〔霊能力者〕でもある。
しかしその名前は、まだ世間にほとんど知られていなかった。
エリート・ビジネスマンと霊能力。
この取り合わせは今までの宗教にない、新しい何かを感じさせた。
8つの宇宙人(金星を含めるのか? ゼータ星人も) の遺伝子を組み込んで有るので、地球生まれの地球人なんて、一匹たりとも生まれていないという事実 (禿げ隠し理論)
☆アルファ系の地球人類は彼ら移住者たちが地球になじむように同化政策を推し進めました」
「太陽の法」より抜粋
☆以後7種類の宇宙人を招いて地球に住まわせた。
小学生でも、分かる糞理論(笑) 金星 とゼータ星人
これを含め無いのかな?
でも、民族が複数有った場合
どうすんだろう?
ゼータ星人だって、三種類ほどいる
猫タイプは、河童タイプとゴジラタイプの餌にされる
そりゃ
カエルくんも喰われるぞ!
まぁ〜〜法典も
何度も書き換えてるし…矛盾だらけ 「幸福の科学」長男・宏洋、教団追放!!「宏洋企画室」を設立。
https://togetter.com/li/1186065
【幸福の科学】大川雲母、離婚!?職員(新宿精舎)解雇か!?
https://togetter.com/li/1186290
金星 とゼータ星人
これを含め無いのかな?
でも、民族が複数有った場合
どうすんだろう?
ゼータ星人だって、三種類ほどいる
猫タイプは、河童タイプとゴジラタイプの餌にされる
そりゃ
カエルくんも喰われるぞ!
イイ餌になれそう(^^)
まぁ〜〜法典も
何度も書き換えてるし…矛盾だらけ 宏洋さんの総裁批判、幸福の科学批判の動画を見た
やっぱり壮大な詐欺に引っかかっていたのかなぁと思えてきた
宏洋さんが一度も総裁を神とも思った事がなく、尊敬もしていないと言い
幸福の科学は世の中に迷惑をかけている団体だと言いきった事を思うと
母親が幸福の科学に帰依しようとしている今が複雑な状態に思えてきた
「勝手に悪魔認定してくれ」と言っていたので、教団は今後どうするんだろうか?
相当幸福の科学に対して憤りと怒りを感じているようで、正直戸惑っている。
20年信じて来ていたものが、跡継ぎと言われた長男から猛烈な批判を受けている状況を
まだ受けいる事が出来ないでいる・
太陽の法が偽りであるとは思いたくないが、宏洋さんが「総裁とは二度と会わない」と
言い切るのを聞いてしまうと、色々考えてしまう。 ユーチューブでの信者のコメント
今の宏洋さん、どうみても、おかしいから、全国の支部長クラスはなぜこうなってるか知っているから、
聞いたほうがいいよ。こたえてくれるかはわかりません。あんまり言ってはいけない話なので、
ネットでは書きません。ご自分で聞いてください。
やはり悪魔に憑依されたらしいね きょう子さんの事が公けになる前も、会内できょう子さんがサタンに憑依されたと聞いた事が
あったから、またサタンに憑依されたのかな?
サタンに憑依されたとは思えないけど、そういう事になっているのだろうか?
宏洋さんが「勝手に悪魔認定して下さい」と言った以上何か反応があるかも 信者のコメント
信者を27年続けてますが、宏洋氏ははっきり言って教学不足、教養不足、経験不足です。
教えの解釈がズレているし、そのズレた部分を「この教えがおかしい、合わない」という感じに持っていっていますね。
信者の方は宏洋氏の動画は一切観ない方がいいと思います。
観てしまった方で、疑問が湧いた方は、最寄りの支部の支部長に相談するのをオススメします。
ただただ残念です。 信者のコメント
言わないって前置きして
批判してるじゃないですかしかも名前出して
卑怯だと思います。 信者のコメント
考え方を合わせなければいけないなんて義務的な教義が、あったとは思わないのですが。
自分が教えを学んで、自分の中で消化してどのように使うかは人それぞれだという問題であると思うんですけど、
全ての考え方を絶対合わせなければいけないなんて、どこの経典に書いてありますか?
むしろ知りたいので、教えてください。少なくとも信者であるわたしは、
宏洋さまのようには解釈いたしませんでした。おこがましくてすみませんが、
コメント残させていただきます。 宏洋さんは批判的な信者のコメント消すから残しておいた 宏洋動画。
https://www.youtube.com/watch?v=pF1r0EpljJc
コメント欄を転載
職員しかしらない事実を暴露してますね。
兄弟全員が三帰請願してない。 => 事実
同じ思想強要される。=> 職員のマニュアルや業務を見れば一目瞭然(彼も持ってるはず)
これだけで信者でも(信じてもいない)ないのに、信者だと思わせて布施の勧誘をしていた事実は、場合によっては
刑法第246条の「詐欺罪」まで見えてきますね。
物証は大量に持っている宏洋はやる気になれば大川隆法を名誉毀損や詐欺罪など色々と追及できそうですが、やらないでしょうね。
ご存知の通り、新興宗教の教祖の息子という入れ墨はどこまでも一生続きますが、(特に就職や転職の書類審査で落ちる)
どうかエンタメの世界で自由にやっていってほしいです。
また、信者(当教団のお客様)の皆さんは少し冷静になれたほうがよいと思いますね。 >>729続き
概要:
・あまりにも幸福の科学関連の問い合わせが多いから答えます。
・職員ではない。給与は貰ってない。
・兄弟全員は三帰請願してない。
・子供たちはぶっちゃけ信者ではない。
・職員は雇用契約もない。だから法的はやめるもクソもない。
・教団の広報局はまだ職員ですとか言うかもしれないが嘘。
・大川隆法を神だと思ったことは一度もない。戸籍上の親ってだけ。
・生まれてからずっと教義を教えこまれてきたが、年齢を重ねると自分の考えと違う違和感が増えてきた。
・一番大きいものは大川隆法が至高神で、総裁と同じ考えを強要されること。
・十人十色の価値観を統一する必要なんてないと思う。
・金太郎飴のように全員同じ考えを持つ世界なんて生理的に無理。
・総裁と違う考えを持つとすぐ悪魔認定される。こんなのありえない。
・手塚治虫の火の鳥のロボットの話。自分を好き好き言わせる美女のロボットを量産する話に近い。
・私は幸福の科学とは縁を切る。 >>730続き
・幸福の科学や大川隆法については正直クソみたいな話が多い。
・これからの仕事がいっぱいある。映画監督やる話もある。
・いまワクワクして楽しい。だから不毛な話なんてやってられない。
・大川隆法のやることのに手を貸すことはしない。彼は彼なりにやりたいことやればいい。
・今後幸福の科学を批判するつもりもない。
・幸福の科学被害者の会から連絡来るが、そもそも宗教関係をやる気がない。宗教にはうんざり。
・仏陀再誕の映画が関わりの最初だが、エンタメや芝居が好きだからやっただけ。
・エンタメの世界にいくのに「大川隆法の息子」っていうだけのハンデがデカすぎる。
・だから戸籍から「大川」をとった。
・アンチ活動もやるつもりない。
・内情を暴露してくれってくるが、クソな話が多すぎる。事件の数が多すぎる。改善もしないし。主義ではない。飛ぶ鳥跡を濁さず。
・教団と絶縁するきっかけは清水富美加の事件
・私は絶対反対だった。やめさせ方からして反対した。ありえない。 >>731続き
・別に前の事務所やめてくるっていうのは別にいい。でも筋を通すべき。いま契約してる仕事は終わらせるべき。
絶対やってはいけないことをしている。
・あんな悲劇のヒロインみたいな魅せ方でやってたが、全然クソなことやってる。
・あの件を扇動した大川隆法の責任である。
・また新木優子の件。個人情報である信者の情報を暴露したのは最悪。
・本人がどんなつらい気持ちになったのか考えたのか?と
・映画の交渉していたからそのカードとしてやった。
・自分たちの都合で世の中動かない。大人としてありえない。ふざけんなと。
・北川景子さんの守護霊のあれもありえない。
・大川隆法は北川景子の大ファンだった。ショックなのはわかるけどあんなの名誉毀損
・あんな本を出すなんて公私混同。
・こんなクソみたいな話がいっぱいある。
・一言世の中の迷惑かかることはやめてくれ。
・関係者の皆様、父がご迷惑をかけて本当にすみませんでした。身内として謝罪します。
・大川隆法とは一生連絡とりません。
・一切幸福の科学と関わません。
・これでバックに教団がいないとわかったと思います。
以上 六畳ひと間の事務所 86年11月発足記念座談会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020003/
大川の本を読み返してみると、86年6月に諸霊から「会社を辞めよ」と勧告され、神理に生きる決意を固めたことになっている。
4月下旬の「作古」での話は、たぶん諸霊の勧告を迎えるための根回し、ということにでもなるのだろう。
中原幸枝が嬉しそうな声で電話してきたのは、しばらくたってからだった。
「関谷さん、学習会の名前が決まりましたよ」
彼女の声は弾んでいた。
「大川先生の案で〈幸福の科学〉とすることに決まり、今日から会員募集に入りました。
関谷さんも、会員番号を登録して一緒に学んでくださるでしょう?」
コウフクノカガクという言葉に少し戸惑ったが、即座にOKした。
幸福の科学、なかなかいいじゃないか。
宗教臭くないその名前に、私も好感を持った。
「今度、入会申込書に記入してくださいね。関谷さんの会員番号は18番ですよ」
「エッ18番?もう、そんなに大勢 入ったのですか」
正直に言うと、たった一日で10人も20人も同志が集まるとは思いもしなかった。
しかし考えてみれば不思議ではないのだ。
中原の周辺には、その人柄や考え方を慕う人たちが大勢いたのである。
ヨガのスタッフや生徒がその後も続々と参加し、会はたちまち100人にも膨れあがった。
今あらためて〈幸福の科学〉の順調なスタートを振り返るとき、中原幸枝の道を求める まっしぐらな熱意によるところが、いかに大きかったかを痛感する。
彼女の純粋で強烈な求道心。
良くも悪くも、それがまわりを巻き込んでいったのである。
大川の霊言を読んで参加した山田篤、安岡一男のような人たちもいた。
しかし全体としては、大川隆法の会というより、中原が中心の会という感じがあった。
ただ中原は「大川先生、大川先生」と最大限の敬意を込めて持ち上げていた。
「中原さんがあれだけ尊敬するのだから、さぞかし立派な先生だろう」
初期の会員の多くは、おそらくそんな気持ちだったのではないかと思う。
ここに陥穽があった。 六畳ひと間の事務所 86年11月発足記念座談会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020003/
中原や私が望んだものは信仰に凝り固まった宗教団体ではなかった。
私たちは学習の場をつくろうとしたのである。
大川隆法という宗教的天才を先生として、歴史に現れた神の理法を学び、実践していく学校。
そう学校だ。
霊言や「作古」での話し合いから、私はそんなものをイメージしていた。
この点では、少なくともその言葉を信じるかぎり、大川の考えもそんなにかけ離れたものではなかっただろう。
「幸福の科学は、いわゆる宗教にはしたくない」
ハッキリと彼は断言していた。
しかし私たちは、中原の大川賛美を無条件に受け入れることで、個人崇拝への道を敷いてしまったのではなかったか。
自分の写真を宗教法人〈幸福の科学〉の本尊とし、自らを仏陀の生まれ変わり、 宇宙の最高霊エル・カンターレであると称するような、ある種の〔狂気〕に道を開いたのではないか。
仏陀は涅槃に入る前に、弟子たちを集め「これからは人を師とするのでなく、法を師とせよ」と説かれた。
慚愧の念なしに、私はこの教えを思い出せない。
悪評を買った91年の〔御生誕祭〕に「星の王子さま」さながらの姿で演壇に登場したエル・カンターレ。
冷やかし半分のテレビでそれを見せられ、複雑な思いを味わった人も、初期の会員には多かったに違いない。
だが当時、そんな日がやってくるなどと誰が想像しただろうか。
その夏、中原は軽井沢にある父親の別荘へ大川を案内した。
すでに大川は7月半ばでトーメンを退職していた。 六畳ひと間の事務所 86年11月発足記念座談会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020003/
中原家の別荘で、大川は『正心法語』『祈願文』の二つを書きあげて戻ってきた。
覚えやすい七五調の現代語で会の指針を説く『正心法語』は、今でも会の「お経」になっているはずである。
大宇宙に光あり
光は神の命なり
命によりて人は生き
命によりて歴史あり
命は永遠に不変なり…
言葉は今でもスラスラ、ロをついて出る。
学校の校歌みたいだと、意地の悪いことを言う人もいる。
しかし私たちは、そこに霊性時代の幕開けの声を聞いたのである。
指針は示された!
誰もがワクワクしていた。
特に若い会員は熱っぽく語り合い、イキイキと働いた。
彼らの手で『正心法語』『祈願文』はワープロ打ちされ、コピーされ、紐とじされて、表紙には金色のスタンプが押された。
「手作りのこの二冊が、将来はとても価値あるものになるのね」
誰もが中原のそんな熱意に動かされ、喜んで作業に励んだ。
新しい価値を自分たちの手で創り出しているのだという感動をみんなが共有していた。
そしていつの間にか、この会なしに神理の探究は不可能である、と思い込んでいったのである。
最初の事務所は、杉並区西荻窪にある中原の自宅を改造した六畳一間だった。
中原は改築のために、なけなしの貯金をはたいた。
デスク代わりの小さなちゃぶ台が一つに、茶碗が五、六個。
部屋の一部がカーテンで仕切られ、そこで大川が相談者の話を聞くことになっていた。
そこに息苦しいほどこもっていた若者たちの熱気を私は懐かしく思い出す。 【虚業教団】86年11月発足記念座談会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020004/
いよいよ会として第一回の会合を開くときがきた。
「幸福の科学発足記念座談会」が行われたのは、この年の11月23日である。
場所は、中原ヨガの教室があった日暮里の酒販会館。
後の〈幸福の科学〉のイベント会場が、あの東京ドームであることを考えると、いかにも慎ましく、ささやかな出発だった。
私は大川と中原をクルマに乗せて会場へ向かった。
不慣れな道のために、予定時間を少しオーバーして到着した。
はじめての会合を前にして、大川は不安だったようだ。
テープに霊言を吹き込むことはあっても、大勢を前にして話す経験はなかったから当然だろう。
気持ちを落ち着けたいという大川の提案で、三人は喫茶店で一服してからビルの四階にあるヨガ教室へ上がった。
会場は、会員の手できれいに飾りつけられていた。
手作りの暖かさに私はホッとし、会の成功を確信したのを覚えている。
左端に屏風が立ててあり大川と中原はその陰へ入った。
ビデオ録画を担当することになっていた私は二人と別れ、聴衆の後ろから演壇へカメラを構えた。
そこには、70〜80人が集まっていた。
まず司会役の中原が登場し開会の挨拶をした。
彼女はかなり緊張しアガっているように見えた。
最初は言葉も しどろもどろだった。
しかし最大級の賛辞で大川を紹介することは忘れなかった。
内容はもう覚えていないが、ひとつだけ強く印象に残っている言葉がある。
「大川先生が誰の生まれ変わりか、いずれわかるときがくると思います」
中原の紹介を受けて、大川本人が登壇した。
いよいよ大川隆法先生の第一声。
霊言集の偉大な霊能力者が何を語り出すかと、聴衆は固唾をのんだ。
カメラを支える私の手も思わず力が入った。
大川主宰は、しかしアガっていた。 【虚業教団】86年11月発足記念座談会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020004/
少なくとも私にはそう見えた。
後に何千人、何万人を前にして堂々と演説する大川の姿ではなかった。
話がどこか上滑りしている。
誰も笑わないような冗談を言って、一人おかしがっている。
「炎を見てモーゼは火事だと思ったのですね。
でも119番できないんですね。
電話がないから……アッハ、ハ」
人間ならアガりもするだろう。
私はむしろ、そんな大川隆法に親しみをおぼえる。
その日はGLA教団の教祖である故高橋信次の霊の指導を受けて講演すると、前もって聞いていた。
生前の高橋信次の講演は、私もよくテープで聞いた。
早口だが、張りのある高橋の声は、言霊(ことだま)と呼ぶにふさわしい威厳とパワーに満ちていた。
テープで聞く高橋の早口を大川はマネしているように聞こえた。
(おかしいな)と私は思った。
(霊言を収録するときは、信次先生の魂が大川先生の肉体を自由に支配するのだから、ここでも、そうされたらいいのに。
霊言と指導が違うなら、なにも信次先生のように早口になる必要はないと思うけれど……)
心の中でこう つぶやいた。
(やっぱり大川先生ご自身のお考えで話されているのかな)
しかし講演の内容は素晴らしく、誰もが霊的世界を実感できるようなものだった。
会場には、やがて〈幸福の科学〉の局長となる細田勝義、大沢敏雄らもいた。
後に四代目の活動推進局長になる大沢が最後部から、熱血漢らしい質問をぶつけていたのを思い出す。
創価学会の会員集めに辣腕を振るったと言われ〈幸福の科学〉でも89年からの拡大路線では強力な推進力となった人物である。
その大沢が「リュウホウ先生、リュウホウ先生」としきりに発言した。 【虚業教団】86年11月発足記念座談会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020004/
それまで〔大川隆法〕は、大川タカノリであった。
本にもそう書かれていたし、私たちもそう呼んでいた。
しかしこの日の大沢の発言をきっかけに、タカノリはリュウホウに変質していったのである。
ともかく発足記念座談会は成功に終わった。
帰りはレストランで食事し、今日の話題に花を咲かせた。
大川も中原も私も一様にホッとしていた。
これから楽しいことがはじまりそうだ……
私は嬉しくてしかたなかった。 8つの宇宙人(金星を含めるのか? ゼータ星人も) の遺伝子を組み込んで有るので、地球生まれの地球人なんて、一匹たりとも生まれていないという事実 (禿げ隠し理論)
☆アルファ系の地球人類は彼ら移住者たちが地球になじむように同化政策を推し進めました」
「太陽の法」より抜粋
☆以後7種類の宇宙人を招いて地球に住まわせた。
小学生でも、分かる糞理論(笑)
言ってるコトが無茶苦茶です 「幸福の科学」長男・宏洋、教団追放!!「宏洋企画室」を設立。
https://togetter.com/li/1186065
【幸福の科学】大川雲母、離婚!?職員(新宿精舎)解雇か!?
https://togetter.com/li/1186290
宏洋の動画、飽きさせない作りで全部見てもうた
笑えるとこもあった
子供居たのか、知らんかった 宏洋さんプレデターの感想動画でも総裁ディスってたな
「ない者ねだりだけど、あんな父親の元に生まれたかった」と・・・
きょう子さん並にディスってるけど、本人は「勝手に悪魔認定して霊言でも出せば?」と
挑発的なコメントを残したから、教団はきょう子さんの時みたいに霊言出すのか
見守ってみようと思う。
霊言出したら、宏洋さんの事だからネタに使うだろうから、出しにくいだろうけど・・・ 金星 とゼータ星人
これを含め無いのかな?
言ってる本人が、よく分かっていないという…病的に逝っちゃってる総裁
しかも、民族が複数カブってた場合、どうすんだろう?
ゼータ星人だって、三種類ほど居るみたいですよ
ゼータ系・猫タイプは、河童タイプとゴジラタイプの餌として創られてるらしい
日本人も戦争中は、犬を喰ってたみたいです
そう考えると…カエルくんもバクバク喰われるな
牛ガエルも食料用だったし、間違いなく、イイ餌になりそう (^^)
本当のキャットフードじゃん
まぁ〜〜法典も、何度も書き換えてるし…矛盾だらけだもん 宇宙の法や太陽の法の経典内容を信じたかったけど
身近にいた宏洋さんが総裁は神ではないと言いきり
批判しているのを見ると、宇宙の法も太陽の法の経典内容も
ただのSFなのかと思えてしまう
宏洋さんは総裁を信じていないで信仰していないのに、
何故理事とかやらせたりしたんだろう?
熱烈信者の方がまだ信仰心があると言うのに・・・ 【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。
池田大作先生を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
m 8つの宇宙人(金星を含めるのか? ゼータ星人も) の遺伝子を組み込んで有るので、地球生まれの地球人なんて、一匹たりとも生まれていないという事実 (禿げ隠し理論)
☆アルファ系の地球人類は彼ら移住者たちが地球になじむように同化政策を推し進めました」
「太陽の法」より抜粋
☆以後7種類の宇宙人を招いて地球に住まわせた。
小学生でも、分かる糞理論(笑) 信者のコメント
信者からしたら
ひろしは教義を吐き違いすぎ、
被害妄想で自分の過去を教団のせいにしている。
お金も教団からもらい続けて
youtubeもやっているのに
嘘だらけで残念ですね。
どうせこのコメントも消すのでしょう。 8つの宇宙人(ゼータ星人や金星を含めるのか? ) の遺伝子を組み込んで有るので、地球オリジナルの地球人なんて、一匹たりとも生まれていないという事実 (混ぜるな危険状態)
☆アルファ系の地球人類は彼ら移住者たちが地球になじむように同化政策を推し進めました」
→「太陽の法」より抜粋
☆以後7種類の宇宙人を招いて地球に住まわせた。
馴染ませる前に、地球に呼んだのは禿げ隠しじゃん
生命体としては、技術力も戦闘能力も桁違いに低いのは、アルファ系地球人(ドテチン=失敗)
小学生でも、分かるクソ理論だと思う
どういう立場にいたんだよ? 元妻追放に続き長男追放そして次男妻行方不明
信者側近だけでなく身内家族でさえバラバラに
最後に誰が残るんだろうか? 本当に
招かれた人は多いけれど選ばれる人は少ないということはあるようです。
親子でも関係ないようですね。
宗教は簡単に入れそうですが実際には狭き門なのですね。 遠回しに言ってるけど
アルファ系地球人(ドテチン)は失敗
成功してりゃ、ゼータ星人を呼ぶ必要は無い
金星では、成功してると言ってるけどね
イマイチ?怪しいぞ! あの…クソ経典
遠回しな解釈になってんだけどね!
アルファ系地球人(ドテチン)は失敗じゃん
人間補完計画の第一弾
成功してりゃ、ゼータ星人を呼ぶ必要は無い
技術供与を頼むのか?
自然交配を進めるのか?
その辺はハッキリしない (曖昧が好き)
金星では、成功してると言ってるけどね
イマイチ?怪しいぞ!
あの禿げ隠し神のカツラ並みに >>747
猜疑心を植え付けるのが悪魔の常套手段や
わかるか?
いつも同じ手口やろ 結局ひろしときょう子は同じ穴のムジナってことだわな
ひろしだけ顔そっくりだしな
納得したわ ふみカスの件はふみカスが決めたことなんだから
本人の意思を尊重したんだろうによ
あそこで決心してなかったら能年玲奈みたいに一生干されたままだわな 価値観をあわせるというのは箸の上げ下げまでに指示をして
言うことを聞かせるということではないよ
総裁が決めているのは方向性、ルールなんだよ
例えば道交法というものがあるけど
道交法があるから誰でもある程度安心して車を運転できるわけだよね
青はすすめで、赤は止まれ
というルールがあるから運転できるわけだ
事故が起こらないようにするためには道交法を守るという価値観を合わせる必要があるわけだ
ひろしが言ってるのは「なんで赤は止まれなんだよこんなルールに従いたくねえよ」
と言ってるのと同じなんだな 【虚業教団】真摯だった発足記念講演会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020006/
かねての予定通り、徳島から善川三朗顧問が上京してきたのは、会社の創立20周年パーティーが終わって三日後、3月6日のことだった。
その二日後には〔幸福の科学発足記念講演会〕が迫っていた。
ここで大川主宰と善川顧問の関係に触れておかなければならない。
すでにお話ししたように大川隆法の初期の霊験集は、大川の著作としてではなく、善川三朗編として上梓されている。
善川と大川の兄にあたる富山誠の質問に、大川に降りた日蓮や空海の霊が答えるという問答形式である。
世間では、霊言がホンモノの霊の言葉なのか、それとも大川の言葉なのかを取り沙汰している。
だが私にはどちらでもよかった。
この点では中原幸枝や、ほかの初期の会員より醒めていたのかもしれない。
霊の言葉か自分の言葉か、たぶん大川隆法自身にもわからないだろう。
霊言集には、これまでの聖人の教えやその意義が、まったく新しい角度から光をあてられ、万教帰一、ただ一つの神理という視点で、わかりやすく書かれていた。
この世的な価値である金とか名誉、地位を超える壮大な霊的世界!
それで充分だった。
大川隆法を先生と仰ぎ、素晴らしい神理をもっともっと学んでみたかったのである。
ところで〈幸福の科学〉に関心をお持ちの方はご存じと思うが、善川三朗というのは、大川の父、中川忠義のペンネームである。
富山誠は兄の中川力にあたる。
理由はわからないが、大川は意識的にこの事実を隠していた。
親子ではあまりにも世俗的だ。
四国のどこかで、たまたま善川が出会った不思議な霊能力者。
そんな神秘的な演出がねらいだったらしい。
このことは、大川のごく身近にいた私たちでさえ、しばらくは知らなかったぐらいである。
87年9月に一通の手紙が私の会社へ送られてきた。
差出人は「幸福の科学」拝読者となっていた。
〔大川隆法という人物が同じ四国出身というだけで素性がわからないことに「不思議だなぁ」と思い「人の魂を救う者がそれで責任が果たせるか」と思っていました。
また「大川隆法」という人物と「善川三朗」そして「富山誠」のこの三人がいかにも劇的な出会いをされたかのように言うが、それは本当だろうか〕 【虚業教団】真摯だった発足記念講演会
https://plaza.rakuten.co.jp/arrestro/diary/201810020006/
疑問を抱いた拝読者氏は、労もいとわず大川の身元を調べ、その結果を驚きとともにこんなふうに書いている。
〔私も驚きました。
本当に親子だったのです。
なぜ心・魂等を説く人間が自分の素性を隠して、実の父と子であることを隠してこんな芝居をする必要があるのでしょうか〕
さらにご丁寧にも中川家のあまりかんばしくない近所の評判まで書いてある。
会が大きくなれば、当然こんなことも起こってくる。
大川も善川も、霊言集の出版を思いついた頃は、今日のような大教団をつくるなどとは考えもしなかったのだろう。
それで二人の関係を劇的に神秘的に創作してみた。
たぶん、そんなところだろう。
話をもとへ戻そう。
中原幸枝に依頼され、講演会の二日前に徳島から上京した顧問を羽田に出迎えた。
純朴な田舎の老紳士、というのが善川三朗に対する私の印象である。
このおっとりした先生が、あのようにすごい神理の本を書かれるのか。
それが私には ひどく嬉しかった。
さすがにホンモノは淡々としていると感じ、いっぺんに好きになった。
(神理を求めたから、このような偉大な先生と直接お話しすることもできる)
そう考え、自分はなんという幸せ者だろうと感謝した。
私は大喜びで料理屋へ接待した。
(明日は、中原の自宅にできた事務所も見ていただこう。
その次の日は、いよいよ記念すべき講演会だ。
いったいどんな講演会になるのだろう)
嬉しさで胸がワクワクしていた。
翌日の夜は、東京では珍しい大雪になった。
しかし講演会当日の朝はカラリと晴れ、降り積もった雪に朝の陽が眩しく反射していた。
雪に気をつけながらベンツを走らせ、まず中原の自宅へ。
そこで中原を拾い、大川、善川両先生を迎えに行くはずだった。
しかし、待っているはずの中原の姿がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています