島田裕巳
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島田 裕巳(しまだ ひろみ、1953年(昭和28年)11月8日 - )は、日本の宗教学者、作家、劇作家、東京女子大学非常勤講師、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。
東京都出身。
都立西高校を経て、1976年(昭和51年)東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業。
同大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1984年(昭和59年)、同博士課程満期退学(宗教学専攻)。
宗教学者・柳川啓一の影響を強く受け、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点での宗教現象の分析に関心をもち、専門課程で宗教学を専攻することを決意する。
当時の柳川ゼミでは、調査者であることを明かさずに宗教団体に参加して調査するという「もぐり込み」手法が盛んに行われており、島田は農業ユートピアの実現を目指す「山岸会」(幸福会ヤマギシ会)を研究対象に選んで参加。
逆にその理想に強く感化され、一時は山岸会の一員として生きることを決意するが、そこでの暮らしに窮屈さを覚えるようになって離脱する。
この体験を自分なりに考察し、一人の宗教学者になっていった。
柳川啓一は、中沢新一の指導教官でもあり、東京大学文学部宗教学研究室では、中沢は島田の先輩にあたる。
放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授を経て1995年(平成7年)に教授に昇任したが、同年7月に退職した。
2010年(平成22年)に発売した『葬式は、要らない』 (幻冬舎新書)はベストセラーとなった。 >>139
昔、オウム教義との比較で考えていたっけ。
オウムは、アストラル体にある各チャクラの象意に、人間がもつ諸感情(煩悩)を
コンセブティックに図示して心の引っ掛かり具合で、その人のカルマを判断
させるようにしていた。
果たして、島田先生はその影響を受けているんだろか?
九鬼周造の図は、オウムより分かり難い。 プルーストのあの小説というと、井上究一郎判は持ってるが、あのバージョンは手をつけてないなあ。
確か昔本屋で立ち読みしてて、
「えらくスピーディーな訳文だな」
と感じたもんだ。
プルースト関連の研究本はどれも面白い。
引きこもりの宗教家の瞑想世界といけなくもないからなあ。
プルーストはアーラヤ識に達していたという昔からの説。 https://web.archive.org/web/20200131152052/http://hikaru-sugihara.cocolog-nifty.com/recordchina/2012/12/dec-15th-2012.html えらてんとかいうYouTuberと組んで新興宗教の解説やってるけど
かなりデタラメじゃん 想葬式なんて新聞広告がデカデカと丸一面で。
坊主を呼ばない無宗教の葬式
オレの場合、それすらも要らない!!
「鳥葬」という辰巳ヨシヒロのマンガがあったな。
チベットの鳥葬と絡めた作品
内容は完全に忘れたが、辰巳ヨシヒロはフランスで一旗上げたバンデシネの描き手になってたのか? 辰巳ヨシヒロって、ひろさちやと組んで鎌倉仏教家の伝記も描いてたのか? アムロ役の古谷徹というと、「巨人の星」の星飛雄馬役で一徹父ちゃんに殴られて育ったんだよな。 マスコミはなんで馬鹿の一つ覚えのように、宗教の話題があるとすぐ島田裕巳を呼ぶんだ? 宗教に限らず、テレビが呼ぶ自称専門家って胡散臭い奴ばかり 淀川長治さんの追悼番組で、この人の自伝の記述…
「淀川の血に復讐してやりました。」
という台詞が使われてて、強く印象に残ってる。
映画館に行くことが、父殺しになるかどうかは、蓮實重彦先生あたりの
本からも探すべきですかねえ。
淀川さんの生き方は、子孫を残さないいわば仏教僧侶みたいなもので、ギリシャ悲劇だかとは違うありかたで、あるのだが。 上祐史浩のブログに
今年10月17日に島田先生と対談とかあるなあ。
我がひかりの輪もゼロ葬で、葬式はやらないんです…とか言うのだろうか?
上祐さんも自分が死んだら、オウムの開祖みたいに遺骨受取人を指定しておくとか遺言するんだろか。 柄谷行人なんて名前、実に久しぶり。
島田センセの新作に推薦文とかや…
自分も昔、「隠喩としての建築」あたりから柄谷の本を読み漁ったものだ。
「探求」からきつくなって、読むのを辞めた。
この人の哲学に入る前段階の文学論が好きだった。
しかし、今何をしてるんかね?
哲学路線から離脱して、世俗事に関心を示し出した時に、福田和也が褒め挙げてたことぐらいしか記憶にないな。 島田裕巳って幸福の科学のHSUで講演したらしいのだが >>38
ワールドメイトは健全らしいっすよ(適当) 島田先生の本はわかりやすい。
普通の常識ですんなり入る。
明治の斎藤孝先生の本を読んだときの
印象にかなり近い。
流石にあそこまで軽くはないけどね。
もう少し宗教的な感じを出して欲しい。
わかりやすいロジックは今のまま保持
しつつ、宗教的な不条理さや
意外性に肉薄して欲しい。
わかりやすいために何か物足りない。 『宗教名目による悪徳商法―日弁連報告書にみるその実態と対策 』
(緑風出版)
(1996/5/1)
日弁連は1987年7月と翌1988年3月の2度にわたって、霊感商法の実体とその対策について提言する詳細な報告書を公表した。
第二 実体
この提言で対象とする典型的な事例を10種類選択して紹介する。いずれも弁護士や消費者センター等の相談窓口に寄せられることが多いものばかりであり、事件を担当した弁護士や被害者から直接事情徴収してまとめたものである。・・・
日弁連
「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」
https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/1999/1999_13.html
(1999年3月26日) 【13細目に】ワールドメイトは、どこから検討しても、カルト教団ではありません。 【抵触せず】 ・
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1539529113/
0001 神も仏も名無しさん 2018/10/14 23:58:33
日本弁護士連合会消費者問題対策委員会は、「宗教的活動にかかわる人権侵害についての判断基準」(13細目)を作成し、違法行為になりかねないような、宗教的活動について警鐘を鳴らしています。
ただし、この基準に従うと既存の仏教等でも、「人権侵害」と見なされる可能性が出てくるため、宗教界からは、基準の妥当性について批判が噴出しています。
しかし、それほど宗教全般に厳しいこの基準に照らしても、「ワールドメイト」は、一項目も抵触しておりません。
おわかり?
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矢印より上がコピペ 仏教では輪廻において主体となるべき我、永遠不変の魂は想定しない(無我)[6]。
仏教における輪廻とは、単なる物質には存在しない、
認識という働きの移転である。心とは認識のエネルギーの連続に、
仮に名付けたものであり[8]、自我とはそこから生じる錯覚にすぎないため[8]、輪廻における、単立常住の主体(霊魂)は否定される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB 中沢新一はナウい人だった。島田裕巳はダサい人だった。 エチオピアのコーヒーゲイシヤを飲んだそうだ。
コーヒー豆は、何となく以前世田谷の某所で写真してたマムシ草の実みたいだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています