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蔵の形式で大御本尊を御安置し、未だ信徒にしか内拝を許されなかった正本堂のことを
どうして直ちに御遺命の戒壇であると認識し、御遺命破壊だと思ってしまうのでしょうね。
まさか広宣流布の暁に建立する戒壇は蔵でよいと思われるのでしょうか。

恐らくたくさん勉強されたのだと思います。
私も浅井氏著の自伝小説紛いの教学書はいくつか読みました。
その中で日達上人は学会池田大作に誑かされた情けない貫頭として書かれ、
それに対して毅然と諫言・破折する浅井氏の勇姿が語られておりました。
あれらを読み信じることにした方にとって、日達上人が学会に屈し世間に屈して
本宗の教義を否定したと思ってしまうのは、無理からぬことだと思います。

しかし、沢山勉強された、その足でもう一歩二歩調べ、お考えになってください。
昭和40年の段階で日達上人の説法を聞いた浅井氏が「正本堂は御遺命の戒壇である」と解釈し、
問題があるどころか会員達に歓喜の御供養を呼びかけていたこと。
そして破門されるや、悪の根源と位置づけた正本堂さえなくなれば>>14が叶うと会員に喧伝していたこと。
そう喧伝する手前、「代を重ねること六十七、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている」
と67世日顕上人猊下の血脈を認めていたこと。
正本堂が取り壊され、上記の欺瞞が露見した平成11年に突然日顕上人猊下を否定しはじめたこと。
その年まで日顕上人猊下の御本尊で入信勤行されていたこと。

国立戒壇という語を用いないことにしたことは、未来のことは不定であるので今論じるべきでなく
今直ちに戒壇の手続きや形式を断定するかのような語の使用はしないことにしよう、という御教導でした。
そこに学会に屈したとか、世間に屈したとか共産党がどうとか、いかに巧妙な作文であろうが
全てが後付けであることは調べれば調べるほどお分かりになると思いますよ。
昔からの会員の方が減り続けているのは、昔の姿を知れば全て欺瞞であることが分かるからです。
(↑これは聞いた話なので、事実と違うようであれば訂正しますね。)