預言者エリシャがベテルに向かって旅をしていたある日、子供たちが彼を取り囲み、彼の坊主頭を冷やかした。「上がってこい、はげ頭!」子供たちがエリシャを野次る。

「上がってこい、はげ頭!」

このため、エリシャは神の名により彼らを呪った。すると、茂みから二匹の熊が突然現れ、四十二人の子供を餌食にしたという…。

神は気まぐれに裁く方ではないといっても、単なる子供の悪ふざけに対して、あまりにもひどい仕返しではないか、坊主頭の大人を少しからかっただけで四十二人もの罪のない子供を殺すのは、あまりにも厳しすぎるのではないかと思うかもしれません。

しかし、その前提が間違っています。彼らは罪のない子供たちではないのです。
ですが、小さい子供たちとあるではないかと言われるでしょう。
残念ながら日本の翻訳でもそのようになっていますが、これは、欽定訳の翻訳が誤解を生んだ結果です。
研究者の間では、言語のヘブライ語の意味を最もよく捉えた翻訳は『若い男たち』だということで意見が一致しています。

新国際訳では『青年』となっています。つまり、これは現代の暴力団予備軍であるストリートギャングに匹敵する、十代の若者が集まった危険な暴力集団だったのです。
かなりの人数の若者に囲まれ、エリシャの命は危険に晒されていたのです。四十二人が熊の餌食になったというのなら、実際には一体何人が彼を取り囲んでいたのでしょうか。

危険に晒されていた?冗談じゃない、単に坊主頭をからかわれただけではと思うかもしれません。
しかし、内容をきちんと理解すれば、これが単なる悪ふざけではないことが分かります。
聖書の注釈を読むと、彼らの野次は単なる野次ではなく、エリシャの預言者としての信憑性を問題にし、挑発していたことが分かります。

特に彼らが、「お前が神の預言者だというなら、なんでエリヤみたいに天国に行かないんだ」と言ったところでは、生きたままエリヤを天に上げた神の行為を明らかに愚弄しており、彼らは、神がエリヤとエリシャに施した行為を信じずに軽蔑していたのです。

それから、坊主頭を揶揄するのは、当時ツァラアトに冒された人々が髪の毛を剃っていたことに関係しています。(レビ記14:1-9)