マインドフルネス瞑想 Part10
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part9
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1523286538/ 熱いという事実だけを感じるなら、それは感受と一体化してしまってるだけでは。
感受する主体は熱いという感覚とは別に存在してる。 >>164
???
どこに?
身体や感覚器官のことじゃのいよね? 場所を聞かれても答えようがないけど、例えば熱さを感じたときに、それによって動かされることのない、主体とでも呼ぶしかないようなものを瞑想中に発見したことがないですか
もしくは感情が揺れている時に、それを観察しているもの いやー、事象の主体を見るということは、事実ではなく解釈だと思ってますよ
何かを感じる、何かを考える、そのときはそれしか無い
えっと…と振り返ると事実を解釈する動きが起きる
「痛いっ!!」のときは「私」はいないですね
後から解釈すると、事実が思考によって理解に落とされて、「痛いっ!!」から主体客体現象etcに分解される
この動きに、事実を解釈して「私」という認識を作り出す仕組みがある
だから「私」や認識の主体はありますよ
そういう風に世界を切り取るなら
でも、事実にくっついてくる尻尾みたいなもんです
まあ少なくとも私の体験というか理解からはそうでした(これを体験とけ理解と呼んでいいのかは甚だ疑問ですが… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています