マインドフルネス瞑想 Part10
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part9
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1523286538/ >>130
間違えて反時計回りに回しちゃったんじゃない? >>129
あなたがドライバーのような道具を使ってネジを回した
と考えるのが普通ですが 対象に集中するとき「私」はいない
と言ってるんだよ >>134
対象に集中云々以前にもともと仮説された自己を除いては私はいないのです 瞑想はするものではない。
その状態に自然に入って行くものだ。
例えば机の上の消しゴムに目をやったとする。
あなたはいつの間にかあなたが消しゴムを見ているのかあなたが消しゴムに見られているのか分からなくなる。
そして遂にはそのどちらでもなくなるのだ。
そういった集中が日常的に起こり出す。
それが瞑想だ。 >>136
それが実感できないから悩み苦しんでるわけでしょ
まず「私」がいない状態を体験して自我から連鎖する苦しみから開放されてみないと「私」という観念を手放すことができない
そのための瞑想でしょ >>134
なるほど
例文を出してかっこよく言おうとしてわかりにくくなってたんだね >>138
あなたが悩み苦しんでいるのはあなたの前世に原因がありそのカルマがあなたの霊魂(ジーヴァ )に付着して霊魂を不自由にしてあなたを苦しめているのです
カルマを潰すには断食などの苦行と徹底した不殺生(アンヒサー)や施しなどの善行、瞑想などで霊魂を清めていくとカルマは全て消えて新しいカルマも生まれません
そうなれば苦しみは終極します
http://samten.seesaa.net/article/449284270.html 掲示板に宣伝を貼り付けて誘導する、というカルマも
終極しますか? 苦行をするひとって理解できないな…
現代にもいるのか… >>141
それが自我から連鎖する妄想世界です
観念を観念で打ち消そうという試みで失敗します
苦しむ「私」がいなければ前世もカルマもないのです
自我の解体に努めましょう >>144
その書き込みをしようとおもい
アンカーを付け、文章を書き、推敲し、書き込みボタンを押したのは何者ですか? >>145
何者もいません
風が吹いても風はいません
雨が降っても雨はいません
川が流れても河はいません >>146
その書き込みをした
ブラウザの書き込みボタンを押したのは誰ですか? >>146
いるというのは有情の生き物に対して使う言葉なので風や雨や川がいないのは当たり前です >>148
自我が世界を切り分けてそう思い込んでいるに過ぎません
風がいないように生き物もいないしあなたもいないのです 「私」っていうのは、「〇〇をした主体は誰?」って形に世界を切り取ったときにだけ現れるんだよ
問いを発すればいるのは当たり前
ヨーロッパの中にフランスって国があるようなもんで、国境線は「どこがフランス」という問いがあってから人が決める
誰も問わなければ地続きの地面が広がってるだけだ >>149
貴方織田信長を目の前にしてそんなこと言ってたら
「本当にいないのか確かめてやろう」と言われて焼きごて当てられますからね >>149
その書き込みをした
あなたのブラウザの書き込みボタンを押したのは誰ですか? >>150
フランス国境の土地とそれに隣接する国のフランス国境付近の土地に何か差異があるわけではありません
しかし個人と外界には明らかに差異があります
差異があるからお腹の膨らみを観察するマインドフルネスなどの瞑想ができるのです >>153
本来、差異がないのに明らかな差異があると思いこんでいるのが自我です
よく観察すると雨が降る現象と感情の現象に明らかな差異などないのです
それに気づくための瞑想です
差を取って悟りです >>154
>>150のフランスと地面の話は何のためにわざわざ持ち出したのですか? 差異などないのです
差を取って悟りです
どっちやねんw >>155
そうですか、あなたの文章に書いてある単語一つ一つ文字一つ一つにも差異がないのでしょう
文字に差異がないということは全部「あ」だけで書いてあるのと変わらないということです。
そのような文字に差異が文章などが読んでも無駄ですから今後は貴方のレスはスルーしますね
読むことすらスルーしますね >雨が降る現象と感情の現象に明らかな差異などない
いやあるでしょ
感情でいくら作物が育てと念を送っても
雨が振らなきゃ育たないでしょ
不二元にかぶれてる人かな? >>156
世界を区切って名前を付ければ、それはそういう名前になりますよってこと
でもその名前は事実そのものではない
焼きごて当てられたら「熱い!」という事実だけがある
「私」は、「その熱さを感じているのは誰だろう?」という問いや、この熱さを「私」はどうしようという心の動きがあった時にだけ存在します
ちょっと前に〇〇をしているのは誰?って問い続けてるレスがあったでしょ
あの問いで世界を穴埋め問題のかたちに切り取れば空欄に「私」という解が入るのは当たり前
でもそれは事実ではなく、名付けです >>162
おお、自分が瞑想して得たことを語っただけだったんだが
唯名論なんて名前が付いてたんだ
知らなかったw
勉強になりました、ありがとう 熱いという事実だけを感じるなら、それは感受と一体化してしまってるだけでは。
感受する主体は熱いという感覚とは別に存在してる。 >>164
???
どこに?
身体や感覚器官のことじゃのいよね? 場所を聞かれても答えようがないけど、例えば熱さを感じたときに、それによって動かされることのない、主体とでも呼ぶしかないようなものを瞑想中に発見したことがないですか
もしくは感情が揺れている時に、それを観察しているもの いやー、事象の主体を見るということは、事実ではなく解釈だと思ってますよ
何かを感じる、何かを考える、そのときはそれしか無い
えっと…と振り返ると事実を解釈する動きが起きる
「痛いっ!!」のときは「私」はいないですね
後から解釈すると、事実が思考によって理解に落とされて、「痛いっ!!」から主体客体現象etcに分解される
この動きに、事実を解釈して「私」という認識を作り出す仕組みがある
だから「私」や認識の主体はありますよ
そういう風に世界を切り取るなら
でも、事実にくっついてくる尻尾みたいなもんです
まあ少なくとも私の体験というか理解からはそうでした(これを体験とけ理解と呼んでいいのかは甚だ疑問ですが… 痛い時に痛いしかないのは瞑想してない普通の人そのままの状態でしょ 例えば瞑想中に身体が呼吸しているのを、きれいにはっきりと感じれている状態に入れてる時には、実体験としてそれがあるのであって、それは解釈でもなんでもない
申し訳ないけど、そこまでの体験がまだなしに頭で考えたことだけをただ書いているように見えてしまう まあそう思うでしょうねw
すっごく良くわかります、ってか多分理解されないと思ってました
何かを感じた時に、これを感じているのは…って観たときかならず主体がいたら、それはずっと有るものと思うのが普通の解釈ですからね
まあひとそれぞれってことで マインドフルネスストレス低減法が病人や怪我人に有効なのは、
痛みを感じた時に、それがすべてではなく
全体性の中の一部であるということを、
瞑想を通じて実際に体験できるようになるから。
痛いときに痛みしかないのなら、怒りを感じた時に怒りしかないのなら、
それは瞑想したことのない人間と同じです。 「私」は風のように一瞬の現象として顕れて過ぎ去るのです
それを永続の存在のように思い込むから前世だのカルマだの妄想世界にひきづりこまれるのです
風が吹き去るように私は吹き去るのです うーん
もしかして、ずーっと「私は観ている」って感じの瞑想やってる人が多かったりするのかね…
まあいっか >>174
私が2千万年ぐらい同じレスをしてたら「ずっと」と言ってくれ
一日という一瞬のなかでレスしてるんでそこんとこヨロシク >>177
> ずーっとあなたはこのスレ観てますね
そのレスって、これ↓
>うーん
>もしかして、ずーっと「私は観ている」って感じの瞑想やってる人が多かったりするのかね…
>まあいっか
に対する反応だとしたらポイント外しすぎじゃないすか?
私が言ったのは瞑想のやり方の話ですよ?話通じてます? >>152
映画のアバターとかマトリックス、みたことある?
あるいは、オンラインゲームや仮想世界にアバターを作って遊んでみたことはありますか?
仮想現実のなかのアバターに向かって、あなたは誰ですかと真面目に質問する人がいたら
どう思いますか。 >>180
たとえが下手くそすぎる
問題のすり替えすぎる はぁ。うんざり。
瞑想による洞察を言葉で適切に表現する ←とても難しい
表現された言葉を相手が適切に解釈し、受け取る ←とても難しい
すごく難しい。
経典ではそれが見事に成し遂げられている。
仏陀の天才っぷりがすごい。 もう経典だけ読んでいればいいよ。
話すと必ずこういう流れになる。 アホが仏陀のマネしてたとえてもスベるだけという好例 非有非無の中道ではなく完全にないと言い切ってるのは流石にどうかと思うわ
だったら書き込んでるのは誰と突っ込まれるのは当たり前だわ まあそうやねw
私ももう今後は黙ることにしましょ
語れないことは気になっても語ろうとしない、頑張らないw >>186
頑張るという行為の対象の貴方はいないんでしょ >>187
頑張る、頑張らない、という行為の主体の貴方はいないんでしょ
に訂正 >>188
いやいや
頑張ってるのは誰かって問われたら、それは頑張ってる私がいるよw
当たり前じゃんwww あ…ちょっと前にもう語らんって言ったばかりだった…
ニワトリかよ… >>189
貴方の私は都合よく現れたり消えたりするのですね >>190
あ、では私も>>191のレスは取り消します
>>191へのレスは不要です >>191
> 貴方の私は都合よく現れたり消えたりするのですね
世界をその形に切り取るから現れるって最初から言ってるじゃんw 生成消滅する思いを自我だと勘違いしてはいけないレベルの話しを聞きかじって悟ったかのように語ってるだけだと思う
わかったふりしてるだけだから、横山良道いうところの青空・ガバットジン言うところの大いなる存在・ニー仏言うところのモードチェンジなんて感知したことがない いや悟ってなんていないし、そう見せようともしてないんだけど…
どうしてそんな話になったし そうね、話続いてるみたいだし、巡回でレスがあるとスマホがぴって鳴るからね
でも、これでも買い物行ったり晩御飯つくったり掃除してたり、普通に家事はしてるんですよ >>197
ごめん、俺のすぐそばに横山さんがいたからごっちゃになってしまった 一瞬を一日だと捉えてる時点でマインドフルネス瞑想やってるのか疑問 仮想現実みたいな例えってよくされるけど、
そこで動いてるキャラクターというのは、瞑想でいうなら観察される思いや感情であって、
観察してる主体のことではないんだよね
ここをわかってないのに勘違いしてる人が、
自分は「自分」が無いことを知っている(←なんじゃこりゃw)みたいなことを言いがち
そんな瞑想では所謂モンキーマインドがモンキーマインドを見てるだけだろうて 仮想現実の例えはよく聞くけど
それと無我の…概念?ってどういう繋がりなのか確かに分からないね… >>203
仮想現実って唯識みたいなものかな?
唯識だったら自分の識(特に阿頼耶識)は暫定としてあることになって世界はその識が映し出した幻影ということになっているので
自己が無とかいうのはないですね
自己が空というのなら又は自己は無自性であるというのならありですが
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
(ダンマパダ 1)
http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/damma-all-text.htm だって私が聞いたことある仮想現実の例えは、いま見てる現実が実は虚構だっていう話だから、
そうだとしたら体験の主体は丸々残るんだもの
ちゃんと聞けてないだけなのかもしらんが その主体みたいなものが無いなんて釈迦は言っていないから
有名な遺言で、他人をたよりにせず自らをたよりにせよというのがあるでしょう 瞑想の話ではなく見聞の話だったのですか?
まあとにかく「私は心の動きがあった時だけ存在する」というのはおかしいです
心の動きが止滅した世界などサマタの頂点である受想滅定の中にしかないはずです
それ以外は非想非非想定であろうと心は何らかの動き働きをしているので常に私は存在することになりますよ
あなたの論ですと
ヨガスートラのアプローチからでも心の働きを止滅させるとプルシャという真我が本来の体をなすとされるので
「心の動きがなかった時に本当の私は現れる」ということになり貴方とは真逆になります 高度生命体スペシャル
https://live.fc2.com/42285548/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:e0d4793365125e4bd37cad56cd2ee290) この物質世界は心の反映だ。
あなたの心によって世界は創造される。
あなたがたこの世界はクソだと思う事によって
あなたの世界は正にクソとなる。
あなたの思った通りになるという事だ。
物事や出来事をありのままに見る為には心は障害となる。
何故なら心とは常にうろつきまわる妄想の束でしかない。
それはあなたではないという事だ。 >>208
主体が無いって主張をしてるんじゃないんだけどw
仮想現実の例えから無我につなげてる話を聞いたことがあるけど、「その人は」どういう論理展開でそれを繋げているのだろうって事を言ってるんですよ…
>204読んでそれ通じません? 思考も同じ様にあなたに思い浮かんだ、ただの考えでしかない。
思考は感情と密接に繋がっていてそれは絶えず循環している。
そこに記憶が加わり、あなたはそれらの奴隷となるのだ。 この板は禅のスレ同様になんちゃって覚者の意見発表会になってきてるな >>214
書いてあるそのまんまじゃないですか
読解力無さすぎ… しっかし発言内容でなく発言者の論評に持っていくのホント好きだよね >>216
あんたずっと観察してる主体なんて無いって主張し通じてたじゃん >>217は>>216に向けて言ってるんですよね
自分が無いという人は、自分の発言でさえ他人の言葉のようにしてしまうんだなさすがだなと思いました >>218
それ別の人ね
ああ勘違いしてるのかな…とは思ってたけどさ 匿名掲示板でこれは同一人物の像を心の中に勝手につくるからこういう勘違いが起きるんだよ… >>220
自分のIDを追いかけて、自分が何を主張してきたか確認してみた方がよいのでは >>222
じゃあその「あんたずっと観察してる主体なんて無いって主張し通じてたじゃん」のレス番示してみてよw
言ってない事を言った事にされて話を続けられるの困るんだよね いやホントに言ってないか念のため確認しとくか…(^_^;) >>150
>>161
>>168
このへんですよ
現実には痛みや感情だけが存在する
感受する主体は問いを発するから現れるのであって
それは解釈であって事実ではないと語ってるじゃないですか どちらでもよいのではないかね?
我に返りなさい。
それが気づきだ。
そこに入る事が瞑想なのだよ。 むしろ痛みや感情なんてのは生成消滅する物語世界のものでしょ >>225
それ、「私」が有るか無いかで言ったら、「有る」って主張なんですけど…(^_^;)
いやどっちかっていうと「有る」でも「無い」でもないのか
また例え話で申し訳ないけど…
ヨーロッパの中のフランスって国は、フランスと名付けられる前から「有る」んですよ
思考で区切ってそこに名前を付けたからフランスになっただけで
フランスってものが実体としてあるわけじゃなく、事実はただ土地がぴゃーっと広がってるだけでしょ
一つの事実をわざわざ主体客体反応等に分ければ、そこに「私」はあります
そういう風に分解したんですからね >>228
つまりあなたは、感受する主体は頭で考えて、主体と客体を分けた時に初めて現れる
現実と呼ばれる物語世界の産物だと言っているわけでしょ
感受する主体があるというのは、そういう次元の話しではなくて、
(個人的にはカバットジンの言う、生まれた時からずっと持っている全体性に瞑想によって気づくという言い方が一番身を持って納得できる)
あるものなんだよ >>228
土地に五蘊はありますか?
眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識の6識はありますか?
あるのでしたら貴方のその例えは有効になるかもしれません。
ないのでしならその例えは意味がないと思います。 >>228
訂正
> ヨーロッパの中のフランスって国は、フランスと名付けられる前から「有る」んですよ
↓
> ヨーロッパの中のフランスって国の土地は、フランスと名付けられる前から「有る」んですよ
子供の朝御飯つくりながらだから文章が…(^_^;) >>229
> つまりあなたは、感受する主体は頭で考えて、主体と客体を分けた時に初めて現れる
そう、まさしくそれが私の主張ね
# 分かってるんなら「あんたずっと観察してる主体なんて無いって主張し通じてたじゃん」とか変なサマライズしないで欲しいけど…
> 現実と呼ばれる物語世界の産物だと言っているわけでしょ
物語世界?はよく分からんですが…
> 感受する主体があるというのは、そういう次元の話しではなくて、
(後略)
そういう話なら分かる
考え方や体験は人それぞれですからね
>>230
まあ所詮は例え話ですからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています