【仏教3.0】山下良道 part4【一法庵】
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パオでもニミッタを直接見ようとしなさいとは言わない。
鼻孔の下に意識を思っていくと
自ずと出現するもの
能動的に引き起こせない。 >>157
> >あとピッチャー交代できたら悟ってるって言ってたみたいだけど →そういう言い方はしてない
どういう言い方してるのか、手間じゃなかったら端的に教えて欲しい
> >本当? →あまり本当じゃない 詳しくは自分で著作読むかポッドキャスト聞けばいい
あっちのスレの内容見てて、あまり良い印象を受けなかったんだよね
正直、著書を買ったりポッドキャストを聴く時間を掛ける気にならない
ただ、スレで信者?読者?の発言読んでの印象のままってのも良くないかなって思って聞いてるだけなので >>159
>このニミッタという物は、何なんだろう?
「アップデートする仏教」によると以下のようなものだそうです。
・1時間ほど呼吸を継続的に見られるようになると、光が現れてくる。
・その光(ニミッタ)が禅定に近づいている「しるし」、証拠
・パオメソッドでは最初の「呼吸をみる」というインストラクションでニミッタが見えないと
瞑想の次のステップに行けない、99%の人がここで失敗している。 >>161
山下さんは基本的に悟りという言葉を使っての説明はあまりないよ
全くないかは憶えてないけど、こうなるのが悟りみたいな言い方する印象はない
ピッチャー交代に関しては、今までと同じ自分がいくら観察しようとしても、悩みをなくそうとしてもなかなかうまくいかない、
でも自分が二重構造(ピッチャー交代できる)だとわかれば、うまくいく、そんな簡単なことなんだって話
二重構造ってことがわかれば般若心経が何を言ってるか、聖書やキリストがどういうことを言ってるか、
そういうことが理解できてくるって言ってる >>159
ニミッタはそのときの心の状態の現われ
余計な雑念などがなくなってくるとそのぶん光のようなものが現われてくる
ニミッタの色やカタチもその人の状態でそれなりに違うと言われてる
そこからまた心を統一してきれいなニミッタ(心の集中できた状態)に持って行き、そこから観察の瞑想に入るって方法がパオでは説明されてる 瞑想を知らない人に目を閉じたときなにか見えますか?
という質問をするのですが 何もないというのがほとんどの答えです。
ただ稀にこれがもともと見える人が居て
そういう人は 瞑想ができてしまうところがあるように思えます 2重構造になっているから その領域においては 言葉が心が消えるとでも言うか 有るの対極みたいな この問はなぜ世界はあるか につながっているように思えるんです >>166>>167さんは青空を体感されているんですか?
差し支えなければあなたはどのように体感しているのか教えて欲しいです。 二重構造なのに二度ピッチャー交代したの?なぜ?
それだったら三重構造ではないのですか 二度ピッチャー交代をしたなんて言ってないよ
二重構造を確信したことが二度あったってだけ
自分がデブだと確信したことが二回あっても2倍デブになったわけじゃないでしょ
確信は何度でもできる
まあ一度で確信しきれてなかったから2回目確信することがあったんだろうけど >>170
>二重構造を確信したことが二度あったってだけ
良ければ詳しく教えてください >>171
テーラワーダでそんなこと言ってたっけ?
現われたニミッタで心臓含め身体の各所は観るだろうけど
>>172
山下さんが言ってた話でしょ?
だったらそれに関してはこれの48分くらいから
http://www.onedhamma.com/?p=6586
二重構造、二人目の自分、ピッチャー交代がどういうことかわからなければ始めから聞けば少しはわかるかも へえ〜、それってヨーガなんかの瞑想で観る光とは別物なの?
眉間のところいわゆるアジナーチャクラがあるといわれとる部位とかに心を置いて
瞑想するとみるじゃん光みたいの 同じ場合があるとは思うけどヨガはヨガで仏教とは別の見方や定義があるんじゃないの
仏教のニミッタの場合、見ようとはせずに見えてくるものだけど、ヨガの場合は積極的に見ようとする場合もあるよねたしか
そうなってくると同じものではないかもしれない それはサマタで集中して定を深めて見るか、
ヴィパッサナーで定が深まることによって見るかの違いなのでは
ところで
お釈迦様はサマタで悟ろうとしてボロボロになり、スジャータに会った後に
ヴィパッサナーで悟りにいたったといわれます
それがお釈迦様の発見であり、テーラワーダで伝えられ、今のマインドフルネスの原点になりました
つまりマインドフルネスはサマタではない
すると、お釈迦様はヴィパッサナー行を始めてから悟るまでの間に
山下良道師の理論だとお釈迦様も「大失敗」を経験したということになりますね
お釈迦様は悟る時にどんな「大失敗」をされたのでしょう?ご教示下さい
靴箱はスジャータに会う前のサマタ行の話を大失敗とほざいたり
一切皆苦だから大失敗だとかほざいていたけどw
改めてそんなデタラメな答えは要りませんのであしからず 山下氏曰く
「見ようとしても見えない」というものらしいけど、もしかしたら
「(シンキングマインドで)見ようとしても見えない」という意味で
「青空で見ようとすれば見える」というものなのかもしれない(?) そのことについてお釈迦様は全く言及されなかったのですか? 山下が繰り返し強調して言うような大失敗が起きたとしたなら
なぜシャカはそのことを弟子たちに伝えなかったのか?
そんなものはなかった、ないからだろう 山下さんが釈迦が大失敗したと言ってるの?
そうでないなら山下さんの言ってることをどう解釈するかの話にすぎないよね >>180
まず日本語の勉強をしてください
あるいは、わざと誤読して詭弁を弄するのを止めなさい 山下流だと大失敗から悟りを得る、それ自体について否定しないよ
どうぞご自由に
自分の見てきた事、知っている範囲では失敗は起きるかもしれない
なら、そのように限定して物事を伝えるべきだ
けれど、それがマインドフルネス、ヴィパッサナー一般に起きることだと言うのは
真っ赤な嘘だ
僧が嘘吐いて良いんですか? 「山下が繰り返し強調して言うような大失敗」って書いてるけど、俺は山下さんがそんなこと繰り返し強調して言ってる印象ないんだけど、
どこでどういう風に言ってるの? >>180
解釈?
マインドフルネス=ヴィパッサナーでは必ず失敗すると言っているのは山下良道師ですよね
では、お釈迦様はどんな大失敗したのですか?
山下師の仰るヴィパッサナーとはお釈迦様の瞑想とは違うということですか?
はぐらかさずに答えてみては? テーラワーダで預流果以上の人で、「大失敗」を説いている比丘はいますか? >>185
ピッチャー交代できずにマインドフルネスしても失敗するよって話じゃないの?
釈迦でも誰でもピッチャー交代できればいいんでしょ
釈迦がピッチャー交代できずにマインドフルネスしてたら失敗したことがあったかもしれないけど、ピッチャー交代できてマインドフルネスできてたなら失敗しなかったんじゃないの そうですか^^
でも山下さんが○○と言ってるって前提で話すならちゃんと原文を引用するか出典先を書いたほうがいいんじゃん
ま、、それがないなら俺はもう入らないから好きに語って 原文引用されると困るから書き起こしにくい音声で公開しているのでは? マインドフルネスに失敗してピッチャー交代するんだよね
それが禅で言う悟りで、そこからが本当のマインドフルネスだという
山下は独自解釈で突っ走りすぎという感じが否めない いや失敗したからピッチャー交代できるという話じゃなくて、
ピッチャー交代しないとちゃんとはマインドフルネスできない(失敗?)
ピッチャー交代できてからがちゃんとしたマインドフルネスだよってだけの話でしょ
別にマインドフルネスに失敗するからピッチャー交代できるわけでもないし、
ピッチャー交代に失敗が必要なわけでもない 違うよ、失敗するからピッチャー交代するんだよ
マインドフルネスは必ず失敗するというのはブログのレクチャー聞けば何度も言ってる
野球で失投して失敗したからピッチャー交代することになぞらえてるんだよ
そこは読み取ろうよ えええ、俺は著書も読んでるしポッドキャストも聞いてるけどそんなふうには読み取らなかったけどなあ
ピッチャー交代できずにマインドフルネスしても必ず失敗するってのは言ってるけど、
失敗したからピッチャー交代するなんて言ってないと思うけど
著書じゃ日本人は性格的にピッチャー交代がよくわからないけど現地の人はスムーズに理解できてピッチャー交代できやすいみたいなこと言ってなかったっけ
別に失敗しなくてもできる人はできるでしょ
まあ最初からできるもんじゃないから誰でも失敗はするのが普通だろうけど、失敗したからピッチャー交代できるって言い方はさすがに誤読だと思うけど ピッチャー交代と同じ意味で雲がマインドフルネスしても駄目、青空からマインドフルネスしないとって言ってるけど、
それも、雲で失敗するから青空になるって読み方はできないしなあ 俺はそう読み取ってない、ってwじゃあ全部聞き返してみればw まああなたがそう読み取ったっていうならそれはあなたにとってはそうなんだろうし否定はしないよ
俺はそうは読み取らなかったってだけの話だから
どっちが山下さんの意図を理解してるかはわからないしね ピッチャー交代は失敗しなくても起きると?
じゃあ、大失敗しないと悟れないってこと?
じゃあ、テーラワーダの預流果以上の人で大失敗について説いてる人を教えてくださいよ 必死チェッカーで監視してるからね
他スレもう荒らさないでね サティ=マインドフルネス=念だろ?
これを辞書訳で「注意、記憶」として「気づき(続ける)」という訳語は間違いだとしてるんだろ
スマナサーラ師は気付きの瞑想という本書いているが、あれは間違いなのか?
山下師の解釈からするとw >>204
気持ち悪いツイアカ貼って荒らしてるの君でしょ
アカ名がNGワード入ってたから居たの気づかなかったよ Podcastを聴いてると、要するにこの人はマインドフルネスを柱に新興宗教を興したいのか?
お浄土とか言ってる時点で国内の腐れ大乗仏教となんら変わりないと思うんだが
はっきりと「死後の世界などない、土に帰るだけだ」と言う方がよほどリアリティあるんだけど、所詮は儲け主義なのか中途半端なことしか言わないよね 好意的に解釈するなら
山下師は第四図的なマインドフルネスの普及にのみ言及して大失敗、ピッチャー交代を言っている
第四図的マインドフルネスと禅の関係についてのみ論じていると考えても良いのかなと
本当は山下師の言ってることは瞑想が進んでない人にはわかりづらい話だし
最初に触れるべき考えではないと思う
アップデートなどを言ってるのも業界内の政治的なアクションだからわからなくていい
どんな流儀だろうと第五図、ピッチャー交代した人には、大失敗について以外は明快な話だろう
山下師の言うピッチャー交代は第四図から第五図に移ることであって、
第四図的なアプローチをとる流儀のマインドフルネスだと大失敗を伴う
そこでピッチャー交代をする
彼が言うにはそれはジャーナであり禅の悟りということになる
一方で、禅定未満の定でも安定したものが得られるなら瞑想の間はピッチャー交代だとする立場の人もいるようだ
自分としてはその立場に近いので尊重したいが
そこに齟齬が生まれてることは確認しておいて欲しい
ピッチャー交代という言葉を使わなければ良いだけだと思うけどね
>>209
ちょっとそんな疑念を抱くところはありますね
自分達だけが本当に悟りまでの道を明快に示しつつ実践しているという、
自負と言うよりも強弁をしてるようにも見えます 広島の法話で「今更鬱じゃないですよ・・・」とか
こいつはホントなにも分かってないインチキ腐れ坊主だな
悪気はないんだろうが、所詮は浅はかな半端者というのが露呈したわ
お前ごときの半端者に鬱のなにが分るって言うんだと
大手出版社から本が出せたから調子に乗ってるんだろうな 山下さんは生きているうちに股間のミニッタを使わないの? >>211
お前ごときの半端者に涅槃のなにが分かるって言うんだと >>215
その当たり前のことすらわかってない馬鹿が多くて困る
仏教を知らないマインドフルネスから入った浅い知識の馬鹿に多い >>209
ただキリスト教やら浄土真宗やらの信者に対して
「信仰をする時の主体はシンキングマインド ではなく青空だ」と言いたいだけだと思う おなじものを見ているのではないでしょうか
よく例えるのですが
富士山を山梨から見ている、静岡から見ている
自分の見ている山が一番とケンカをしているのだけど
実は
この2人は同じ山を見ているのに気がついていない
みたいな 樹海彷徨いながら、真の登山口どこだー
vs ドローン持って車でさっさと五合目 語って確かめずにおられないなら
悟ってない。ただそれだけ。 仏教は輪廻転生を否定してるんだよ
輪廻転生を認めてるというのは理解の仕方がおかしい
お釈迦様は輪廻転生が信じられてた時代にその様な夢から目を覚ましなさいと言ってるの
だから輪廻転生からの解脱を解いてるじゃないか ネタかな?
輪廻を認めてないなら無記でおしまい。そんなものは知らないよでおしまい。
「輪廻から解脱せよ」という時には輪廻があることが前提。 実体が無とはいえ、主張して書き込みしてる君はいるよね
そういう君が輪廻するんだよ 【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。b
池田大作先生を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ) 諸行無常だから、全ての行が、因縁によって生滅変化しているから、輪廻転生すると。
無明がある限りは行は無くならないのだから。
だから仏教は輪廻転生があると主張しているよね。 >>228
それは微妙に違う。
もしブッダや阿羅漢が、5chに書き込みをしたら、ブッダや阿羅漢は輪廻するだろうか。 >>231
解脱したら輪廻はしないというのが仏教の思想ではないでしょうか >>223
仏教は断見を否定しているけどそれはどう解釈するの? 釈迦たちは輪廻転生があるかないかなんぞ問題にしてない
どこまで悟れば輪廻転生を信じている社会から自由になれるかを説いてる
即ち、不還果ではもう生まれ変わらないと信じることもできる
本当に生まれ変わらないのかどうかは誰も確認していない
だから輪廻が信じられていない社会で輪廻する輪廻から解脱するなどと言ってる人は悟ってないだろ
それは釈迦信仰、盲信の話だ >>234
死後も変化は続いていくでしょ
それはオカルト的な意味ではなく当たり前の事としてね
そもそも輪廻は当時の社会制度を自分達に有利な体制を維持するためにある層の人達が作り上げ浸透させた政治色のつよいものだ >>237
死体が変化してる(風化)って意味ですか? ブラユキナラテボーさんが、今日のNHKのこころの時代で
取り上げられていましたね 自分が輪廻を信じないってのはわかるけど
仏陀が輪廻を否定したって言いたがる人は不思議 山下の今風の表現「生まれてもいなければ死にもしない自分」
というのは日本においては妥当なところだろうと思う
「生老病死の苦がなくなるよ」ということだから >>235
輪廻からの解脱を主張する人が、悟っているかどうかはあなたは分かるの?
その人は悟ってないはずだ、釈迦盲信だと言える根拠は?
それは自己盲信でしょう。 >>233
何かの行動をする、意志があるというのは輪廻の条件にはならない。
渇愛があるとき、執着があるとき輪廻する。
阿羅漢もネットサーフィン、サウナ、買い物、掃除、洗濯するだろうけど、
執着が無いのでカルマを生まないはずだから、輪廻しない。 カルマにより生まれ変わる社会階級が変わるなどといい、上層民の世襲を護り下層民を虐げる
といった宗教社会システムに苦しめられているわけでもないのに
悟りを目指せ、輪廻から脱せよなどと言うのは脅しである
悟ったもののすることではない
仏の心を持った人のすることではないね >>244
その通りです。
私の233は実体がないから輪廻が無いといった人に向けてのものです。
落ち着いてください >>245
貪瞋痴には苦しめられてるでしょ?人間なら誰しも。
貪瞋痴が無くなったところが涅槃。
涅槃を経験すれば解脱する。 悟りを目指せというのは釈迦のサンガに入り不退転の覚悟で新しい集団を築くためには必要なことだったからだ
今の日本でそんな事が必要なわけでもないのに
それどころか勝手に大失敗して悟る人が出てくる(山下の見解)のに
悟りを目指せなどと言う必要がない
筋違いな輪廻などを絡めて、脅してくる
仏教の姿を借りたチンピラですか?
>>248
論点ズレてる上に教科書丸写しだから返さないよ なんだか話がずれていませんか?
今の論点に山下氏は関係ないですよ
今の論点は>>223「釈迦が輪廻転生を否定しているかどうか」です
輪廻転生がないのなら>>224が書いてる通り
「輪廻転生なんかありません、修行すればその事が分かります」と言えばおしまいの話 輪廻はしばしば暴流、激流に例えられる。
貪瞋痴の激流に流されて苦しむ衆生が、「流れから出なさい。」と言われて、
脅しだ、押し付けだ、というのは賢いことだろうか。 >>250
自分はそんな話はしてない
否定でも肯定でもないと立場を明らかにしているよね>>235
釈迦の言ったことやったことは、君たちの議論とは位相の違うことだ 脅してくる、とか言ってるのは被害妄想でしょ
誰も信じろなんて言ってない
勝手に自分の中で脅してくるとか妄想してるだけ >>252
複数人いて話がややこしいですね
整理しますか
ID:OFjK7cbl 「仏教は輪廻転生を前提とした宗教」 >>215
→この意見に同意 ID:xFc/cFVd 、ID:nMyvWvk0 、 ID:IkTipsV5
ID:9tuOTd2p 「仏教は輪廻転生を否定している」>>223
ID:LIhbRSYH 「釈迦たちは輪廻転生があるかないかなんぞ問題にしてない」 >>235 >>254
ありがとう、ここらへんで止めとくよ
わかりたくない人はわかりたくないだろうし >>256
やめますか わかりました。
一応書いていた事があるので一応載っけますがレスしなくてokです。
>>235
>釈迦たちは輪廻転生があるかないかなんぞ問題にしてない
「釈迦たちは」と言っていますが具体的に言うとどの時代の人ですか?
たとえばパーリ仏典の沙門果経には「修行によって六神通が得られる」と説かれています。
その六神通の一つに「宿命通」というものがあってそれは自分の前世を知る力です。
輪廻転生を前提とした上で成り立つものですが
沙門果経を編纂したひとたちはあなたが言う「釈迦たち」に含まれていないということでしょうか? もう一言だけ
悟りを目指さないマインドフルネスは魔境とか言ってくるのは脅しと違うのかな?
靴箱みたいに教科書丸写しでピント外れまくりの思い込み無双してスレ荒らしたりさ
脅されたという被害意識より、単に鬱陶しくて迷惑なんだよ
それが本当に悟った人のすることかな?
わかりたくないならわからなくていいが
せめて鬱陶しがられないように振る舞って下さいということです
山下師の「生まれてもいなければ死にもしない自分」を発見するという言い方は
私的には納得の行くもので否定しません
以上です ID:LIhbRSYHが一番鬱陶しいんだが
本人は鬱陶しがられてることに気付いてないんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています