マインドフルネス瞑想 Part8
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part7
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1516060118/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ 全体の会なので欠席はリスクが大きいんです
教員独特の奇妙な慣習だと思うんですけどね 宗教上の理由で飲めないと正直に言うしかないと思いますよ。
あれこれ言い訳を作ったら、不飲酒戒のために不妄語戒を破るという本末転倒になりますからね。 ああするこうするってのはエゴが言うことで今に在る時は何もできんよ。 そうですよね
もしも転勤先で出欠の確認が取られるならその段階で断ろうと思います
助言ありがとうございました うわー、ここは入門者が多いな
戒、決まり観念にこだわるのは、戒禁取見という煩悩
戒は禁止の意味ではない、習慣性の意味
〜しないのが望ましいという習慣
五戒=善戒=よい習慣性を身につけよう
在家が一回くらい飲んだとこで、何も問題ないよ
問題は、禁止だと思い込んで束縛されていること
戒(Silaシーラ)=習慣、道徳、道徳的規律 今既に思考と一体であるというのならその事実を受け入れることだ。 以下、ここは
【うわー、ここは○○者が多いな】
で遊ぼうスレになります。 >>412
うわー、この手の輩、また出てきた
なりきる、そのものになる行教かい
ストーカー行為になりきる、痴漢行為になりきる、レイプされてもなりきる
妄想と一体そのものになりきる、思考と一体は無我と異なる
恣意的読み替えをする ご都合解釈の道元なんかに騙されるなよ
もっとも中国変容改造仏教に翻弄された道元さんに罪はないけどね でもまじめな話>>410の内容はあってるんじゃないの
言い方はともかくとして 酒飲みたくないなら
「身体壊してて」「体調悪くて」「ドクターストップかかってて」「下戸なんです」
とかでいいと思うけどな
「宗教上の理由です」って日本で言うと、ひかれるんじゃない? この程度の便法を嘘だとか言って忌避するのがおかしい >>419
なら慈悲の瞑想の作者と製造年月日おしえてよ
ほんと後から小賢しいもの作るよな
唱えてる暇あるなら、困窮者のために動け、有言実行
Dhp19「それを実践しなければ怠け者である。そういう者は修行者とはいえない。」 自分は、お酒飲むと帰ってから瞑想出来なくなっちゃうから飲みません、って言ってますね
飲み会はいつもウーロン茶
二次会のカラオケ終わったら帰っちゃう感じ >>417
うわー、曹洞宗全体から道元さん個人に攻撃対象変えたん? カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス
「声でつづる昭和人物史〜鈴木大拙」1 - NHK :
http://www4.nhk.or.jp/P1890/x/2018-04-16/06/30404/3658361/
カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス
「声でつづる昭和人物史〜鈴木大拙」2 - NHK :
http://www4.nhk.or.jp/P1890/x/2018-04-23/06/30379/3658362/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 『大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』佐々木 閑 (著)
…鈴木大拙は仏教をうまく説明しているが、それは日本固有の大乗仏教についての思想であり、「大拙大乗経」ともいうべき新たな仏教経典だ!
https://blogs.yahoo.co.jp/ohba_kyoukai/55840042.html
>しかし、大乗仏教が成立して、次第にヒンドゥー教の教えに近づいていったことがインド仏教衰退の最大の原因であると著者は考える。
>つまり、大乗仏教では、ブッダの世界の中に私は存在している、さらにブッダは私の中にいるととらえることで、
>梵我一如=ヒンドゥー教の教えと同じになってしまい、仏教の存在意義がうすれてしまったのである。
これは佐々木が間違えている。
クシャーナ朝のカニシカ王(西暦150年前後)は大乗仏教を保護したとされるが実際は説一切有部の支持者であったし、
玄奘がインドに仏教の勉強と仏典を求めにいった時(西暦630年〜640年頃)には仏教は他宗教にすでに押されながらもそれは大乗仏教だけではなく、
その時までは存続していた説一切有部や正量部においても同じであると報告しているからな。
ヒンドゥー教化したから仏教が衰退したのではなく、仏教の無の思想がインドの有の思想に相容れなかったのが衰退の原因とされる。
>鈴木大拙は仏教をうまく説明しているが、それは日本固有の大乗仏教についての思想であり、「大拙大乗経」ともいうべき新たな仏教経典だと著者はとらえている。
>(注:間違いに気が付いた!だから、著者は再版を拒否し続けた!)
佐々木は間違いに気づいたそうだが、このマインドフルネススレに登場する2号はいつまでも
「鈴木大拙はベーダーンタ的で根本仏教とは違う大拙乗と言われてます 私ではなく日印仏教学会でそう言われてます」を言ってくるのなw
最後は「信仰ですからご自由に」で終わらせるのもいつも一緒、自由だったら最初から他人に絡まなければ良いものをw >>404
本当に下戸でアルコールは全く飲めないんです。
申し訳ありません、と断るのが良いと思うよ。
あるいは今まで飲めてたじゃないと言われたら体悪くしてから全く飲めなくなりました、と言えば良いと思う。
それは不飲酒戒を守るための方便だから嘘にはならないと思う。
少しでも飲んだら「いけるじゃない」と言われて次々と注がれるから最初から飲まない方が良いよ。
あと自宅で般若湯と言い訳してひとり酒を飲む場合では、般若湯は薬であり薬は過ぎれば毒になるのだということを忘れずに、
薬として少量だけしか飲んではいけないと思う。
酔うためではなく健康のために少量を飲むという意識だね、でも五戒に照らし合わせれば全く飲まないに越したことはないけどね。 https://youtu.be/9hlu-FNtZwc
この大悲心陀羅尼や甘露門の陀羅尼は、陀羅尼だけに梵語を漢字で当て字にしたものであり、それを更に日本語訛りで読むことになる。
漢文とも和文とも全く違う響きのお経は読むのが難しく、だから読む時はものすごく集中力を要する。
読んでる時は雑念の湧く余裕はなく読むことにだけに集中できる。
集中しながらも「今、陀羅尼を読んでいる」という気づきを入れられれば良いサマタ瞑想になるのではないかと思う。 この全然脈絡なく自分の言いたいことを発言するひとって何を読んでるんだろ・・・ >>431
いや、興味がなかったらスルーしてもらって全く構わないよ。 自分を観察しながら酒を飲んでみたらいい
口に含んだ瞬間始まる身体の反応、意識が変化していく様子
仔細に観察していくと普段と違う反応をする自分を発見できるかもしれませんよ
戒はどうあれ、修行なら24時間どこでもどんな状況でもできるでしょう
観察が間に合わないほど飲んではもちろんダメですが ここに書きこもうという衝動が生起したら、その時は瞑想する良いタイミングだと思いますよ。
書きこんだ後に、さて瞑想するか、では、
何のための瞑想なのか理解されてない可能性がありますからね。
他人の言動には思いのほか振り回されてしまうものですが、まず自分に気を向けていく習慣を身につけていきましょう。
私は幸せ者です。なぜなら、みなさんと一緒に自由への旅を歩めるのですから。 >>427
>(注:間違いに気が付いた!だから、著者は再版を拒否し続けた!)
はい残念、鈴木自身がこれは若い時の未熟な著書だから再販するな
と拒否し続けた
佐々木の間違いではない、ネットから部分的な拾い読みしての誤認乙 >>435
なるほど
>鈴木大拙は仏教をうまく説明しているが、それは日本固有の大乗仏教についての思想であり、「大拙大乗経」ともいうべき新たな仏教経典だと著者はとらえている。
>(注:間違いに気が付いた!だから、著者は再版を拒否し続けた!)
最初の著者はもちろん佐々木だが、次の著者も鈴木の大乗仏教概論を翻訳した佐々木ということか?
鈴木だけでなく佐々木も翻訳して再版するのを拒否していた、でいいのだね!?
あと撤回した大乗仏教概論のほかに大拙大乗経を説いている著書ってなんかあるのけ? >>436
鈴木が37才の時に、大乗仏教概論(英文の大乗全般の解説)を出版
これを鈴木は、未熟な著書だから再販,和訳本を出すなと望んでいた
2004年に日本で出版しようと企画が上がり、佐々木氏が翻訳者として
指名された
英文版が出た時、ベルギーの多大な業績を残した仏教学者が
インド大乗仏教と異なるヴェーダーンタ化したヘーゲル哲学と批判した
そして佐々木自身も、これはインド仏教と異なる大拙乗だと
日本的霊性という著書もそう、都合よく解釈し読者を惑わすと 鈴木大拙はもともと神智学の人だからヴェンタータ、ヨガ寄りになるのはむしろ必然と言える 色々あって死にたいんだけど瞑想しながら即身仏のように死にたい
でも餓死だから相当キツイよね? サマーディってオーシャンとかトロピカルとかそんなイメージの言葉だな >>439
死にたい人に生きろというのは酷だけどどんな事情であれ
希望が見えなくてもいいから生きてみてよ
環境のほうから変わらざるを得ない。
得がたい経験や出会いがこの先必ずある。
なんどももう駄目だ死ぬしかないと思ったけど、その駄目だも妄想だったってことに
あとで何度も気づいた経験から言う
人智で状況の善悪を判断するのはやめられたら楽になるよbyストア哲学 >>440
あぁ、スバーディなビキニギャルが目に浮かぶよな >>441
今の自分のままで死にたいのよ
で、本題なんだけど
瞑想しながら気持ちよく死ぬ方法はないかな? >>443
少なくともマインドフルネス瞑想には無いね
どうせならエクストリームスポーツのたぐいに挑戦してみるのは?
ムササビマント付けて崖から飛び降りて滑空したり、滝をボートで下ったりするやつ
危険なのにやるやつ居るってことは楽しいんだろうし
上手くするとフローに入れるし
油断すればすぐ死ぬよ >>443
どうせ、いつかは死ぬんだから。
束の間のこの世を楽しみなさいよ。 「生者と死者の違いは、そのまなざしにある。」
-Albert Giacometti 1952
実存主義的な理論ですが
>>443さんは、もうすでに充分死んでるんじゃないですかね。
あるいはもっと死にたいですか?
むしろ、その死の世界を堪能なさってはいかがでしょう。
それは、他の人には体験できない、あなただけが手に入れられる価値を持ってると思いますよ。 [閲覧注意] モンゴルで発見された200年以上昔の即身仏、専門家「深く瞑想中でまだ生きている」
http://dailynewsagency.com/2015/02/09/mummified-monk-fuw/
>医学的な定義では「死亡」なのですが、仏教家の定義上は死んでいるわけではなく「非常に深く瞑想している状態」。
>そう語るのは、ウランバートル仏教大学・仏教美術モンゴル研究所の創設者兼教授を務める Ganhugiyn Purevbata 氏。
>「左手を挙げ、右手で経典を象徴する形を維持している。このことは死んでいなこと示すサインであり、非常に深い瞑想状態である」とのこと。 別に無神論者だからどうでもいいが、よく自殺すると成仏出来ないっていうじゃない
生活保護停止で餓死は自殺にならんよね? >>442
仏教的にはアウトだけど、快感にフォーカスしたサマーディに入ると現実ではあり得ないほどの強烈なエクスタシーが得られるよ
サマーディの中で鮮明なイメージを作り出せればハーレムだって疑似体験できるし、風俗に金使うの馬鹿らしくなる >>450
あなたはそのサマディを体験されたのですか? 不殺生戒に反するのか
でも釈尊は自殺だめとはおっしゃってないんでしょ?
不治の病とかあと悟った方が他の命を犠牲にしてまで生きるのは本当に忍びないとかで自殺する場合もあるじゃん
自殺に至る動機が貪瞋痴に依るものなら悪行なんだと思う
多くの自殺は自分の思うように行かないことで怒りを起こしてその対象が自分へと向いたものだろうから
外に向くなら無差別テロリストにでもなるんでしょうね
まあ多くのケースで自殺は無駄な行為だわ 死に依存も生に依存もよくない。中道守れと言ってたらしいが 自殺すればスッキリ嫌なことも全部なしにできるじゃん
まさか輪廻がどうこうだとか言わないよな 仏陀はアーナンダを呼んで次のように言う。
ヴェーサリーは楽しい。いろいろな霊樹の地は楽しい。
修業を完成した人(如来)は、四つの大きな霊力を修したので、もし望むなら寿命のある限りこの世にとどまるであろうし、あるいはそれよりも長くとどまることもできるだろう。
若い弟子アーナンダは、仏陀がこのようにほのめかしたのに、その意味を洞察することができず、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかった。
仏陀はおなじことを三度アーナンダに告げるが、アーナンダは三度とも、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかった。
悪魔が仏陀に近づき囁きかける。尊師よ、今やニルヴァーナに入る時です。
あなたの弟子達、修業僧達は今や、よく身をととのえ、法をたもち、法に従って行い、正しく実践し、解脱し、説明し、知らしめ、異論が起こってもよく解き伏せ、教えを反駁できないものとしています。
だから、今やニルヴァーナに入ってもよい時です。
このとき、仏陀は、今から三ヶ月後にニルヴァーナに入ることを、悪魔に告げる。
仏陀は霊樹の下で念じて、寿命の素因(いのちのもと、仏陀はすでにニルヴァ−ナに達しているが、過去の業の余力があり、それがこの世での生命を保つ素因となっている)を捨て去る。
---}『ブッダ最後の旅 --大パリニッバーナ経』中村元訳、岩波文庫
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html >>456
もし輪廻があるとしたらAGなんで女として生まれ変わりたい、と毎日お祈りしてる
神社でだけどww >>459
基本は灰になって土に帰るだけと思ってるんで
もし死後の世界があったとしても、そんなもん釈迦が言ったように、今から心配したってしょうがないだろ、と 食事もせず睡眠もせずずっと瞑想してたら自然に死ぬだろう マインドフルネスって常に今を生きるためのものだからな
自殺とは相容れない その人はマインドフルネスで死ねるかどうかじゃなくて
瞑想しながら死ぬ方法を知りたいんだろう ここマインドフルネスのスレだし
マインドフルネスってのは、例えば癌等の困難な病気になって最終的には死ぬにしても
痛みや苦しみに対処して、心を平安なままに生きていく意識を培うもの
飢餓に対しても効力は発揮するだろうけど、とりあえず今は生きているんだから、
そのまま今を積み重ねて死ぬまで生きてりゃいいだろう 普通にずっと瞑想してれば死ぬよ。即身仏。栄養失調、疲労過多、水分不足で心臓発作か脳梗塞辺りが死因か 長者ヴァッカリは、陶器づくりの者の家で、病にふし、困苦し、重病であった。
(ヴァッカリの願いで釈迦が病床に訪れ、体の具合を尋ねる。ヴァッカリは釈迦に答える)…
「師よ、わたしにはしんぼうができません。元気もございません。強い痛みが増して、薄らぎはしません」
(釈迦はヴァッカリに無常を説いた後、帰る。その夜、鬼神が釈迦を訪れ、ヴァッカリの涅槃(同時に自殺でもある)を予言する)…
釈尊はその夜が過ぎてのち、比丘たちによびかけられた。
「比丘たちよ、あなたがたはヴァッカリ比丘のところへいきなさい。行ってヴァッカリ比丘に次のように伝えなさい。
『…ヴァッカリよ、おそれるな。おまえの死は罪に汚れてはいない。罪なくして臨終を終えるであろう』と」
(比丘たちはヴァッカリに釈迦の伝言を伝える。ヴァッカリは教えに疑念を持っていないと釈迦に伝えてくれと比丘たちに頼む)…
「友よ、承知しました」と、この比丘たちは長者ヴァッカリに返事をして、帰って行った。そのとき長者ヴァッカリは、この比丘たちが出てゆくや否や刀を取り出した。
(ヴァッカリは自殺した。後にそれを知って釈迦は次のように述べる)…比丘たちよ。善男子ヴァッカリは、その魂がどこかに止まることなく、完全な涅槃に入ったのである」
ヴァッカリは解脱し如来(修行完成者)となり死後再び母胎に入ることはなくなったので自殺は容認されたのであった ここはマインドフルネスのスレだけど
その人はマインドフルネスで死ねるかどうかは聞いてない
マインドフルネスだけが瞑想ではないしな ブッダは苦行より中道を説いたのになんで苦行の話してるの?
瞑想以外何もせずそのまま死ぬなんてただの苦行でしょ
もう完全に悟ってから瞑想してそのまま死ぬってことなら話は別だけど アーナンダよ。わたし(=ゴータマ)はいま・・・お前に言った、
『・・・アーナンダよ。
いかなる人であろうとも 四つの不思議な霊力(四神足)を修し 大いに修し (軛を結びつけた)車のように修し 家の礎のようにしっかりと堅固にし 実行し 完全に積み重ね みごとになしとげた人は
もしも望むならば 寿命のある限りこの世に留まるであろうし あるいはそれよりも長いあいだでも留まることができるであろう』と。
アーナンダよ。修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ あらわに明示されたけれども お前は洞察することができなくて
『尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください。幸いな方(=ブッダ)は寿命のある限りこの世に留まってください。
――多くの人々の利益のために 多くの人々の幸福のために 世間の人々を憐れむために 神々と人々との利益のために 幸福のために』
といって修行完成者(=ブッダ)に懇請しなかった。
アーナンダよ。もしもお前が修行完成者に懇請したならば 修行完成者はお前の二度にわたる(懇請の)ことばを退けたかもしれないが
しかし三度まで言ったならばそれを承認したであろう。
それだから アーナンダよ これはお前の罪である。これはお前の過失である。
(中村元訳:『ブッダ最後の旅――大パリニッバーナ経――』1980 第三章[四七] pp.92-93 ) この世の苦を余さずじっくり感じとって死ぬにはマインドフルネス最強なわけだが
気持ち良くは無理 瞑想やってたら、精神が無茶させるのに体は頑張って今日までそれに付いてきてくれたみたいな思いが出てくるようになった
体を労ってあげなきゃみたいな
自殺って体を殺すことなんだよね
頑張ってきてくれてたのに、あまりにも勝手だし酷すぎやしませんか >>474
もう頑張らなくていいように楽にしてあげるって考えはないかい? >>472
これちょっとアーナンダをディスってない?
お前頼めへんかったやん?
お前が2回頼んできたら断ったかもしれんけど
3回目には「うん」言うてたのに
だからお前が悪いねん お前の罪やねん、て >>475
誰かがそう言ってあなたを殺してもあなたはそれを受け入れられるの? まぁ、ブッダは赤痢で選ぶ選ばない以前に病死したんですが 頼めなかったのはブッダが如来の寿命についてほめのかした時にアーナンダの心が悪魔に取り憑かれていたからとされる。 >>478
病死ではないよ。
如来は懇願されれば寿命を延ばすことができるとアーナンダに説いても無反応だった後に、悪魔がブッダの元にきてこう言った。
「尊い方よ
世尊はいまニルヴァーナ(涅槃)にお入りください
今こそ世尊のお亡くなりになるべき時です
世尊はかつてこのことばを仰せられました。
悪しき者よ
わが修行僧であるわが弟子どもが
賢明にして よく身をととのえ
ことがらを確かに知っていて
学識があり
法をたもち 法に従って行い
正しい実践をなし
適切な行いをなし
みずから知ったことおよび
師から教えられたことをたもって
解説し 説明し 知らしめ 確立し
開明し 分析し 闡明(せんめい)し
異論が起こったときには
道理によってそれをよく説き伏せて
教えを反駁し得ないものとして
説くようにならないならば
その間は
わたしはニルヴァーナに入りはしないであろう」
次いで悪魔は、今やブッダの弟子たちが成長し、ブッダが挙げた条件を全て満たしていると主張し、ブッダを説き伏せようとします。
「尊い方よ
世尊は今こそニルヴァーナにお入りください
今こそ世尊がお亡くなりになるべき時です」
すると驚くべきことに、ブッダは次のように答えたのです。
「悪しき者よ
汝は心あせるな
久しからずして修行完成者のニルヴァーナが起こるであろう
いまから三ヵ月過ぎて後に修行完成者は亡くなるであろう」
三ヶ月後にチュンダのキノコを食べて入滅するのである
その入滅前にアーナンダの罪と過失を15回責めている。 >>475
仏教的には死はシャットダウンではなくて再起動なのよ
しかも可動してたソフトウェアも再起動してくるおまけ付き
だから死ぬといずれまた同じ状況に陥る可能性があるよ
まあ自分は死んだことないので分かりませんがw >>475
ねぎらって感謝して大事にすればいいだけだよ
エゴが自ら作り上げた不幸な物語にとらわれて体を殺すことはない 死にたいヤツは一回自分の欲求を全て捨ててみりゃいいのよ。
おいしいものが食べたい、テレビが観たい、ゲームがしたい、インターネットがしたい、
ありとあらゆる個人にまつわる欲求を叶えようとする気持ちを捨ててしまえばいい。
そうすりゃ自我が死ぬから。
自我が死ぬっていうのは、本当の意味で個人が死ぬってこと。
普通の自殺をしたんでは、個我はそのままあの世で生き続けて、
輪廻し、転生してくる。
自殺は本当の意味で個人の死ではないんだね。
本当の死ってのは、大我に溶けいることなんだよ。
昔オレも実験したことがあるけどね。
ありとあらゆる個人の欲求を捨てた。
テレビも見ない。 おいしいものを食べようとも思わない。
味付けは必要最低限。
夜は明日の準備をして早く寝る。
朝は早く起きて掃除をする。
まったく自我の欲を満足させようとする想いを捨てた。
これをやったほうがいいと思ったら、面倒くさがらずにサッと行動する。
思ってダメなことはサラリと捨てる。
そうやってるうちに心が明鏡止水のようになってきて、他心通が出てくる。
相手の心が自分の心と連結してるように、向こうの想いがそのままこっちに伝わってる。
今は最終的にはこういうやり方は間違ってると感じてる。
日常の自分そのまんまで、何一つ変えることなく、規制することなく、
ありのままそのままで、悟りを開く道があると感じてる。 悪魔とブッダが話し合ってるというのは、現実的にいうとどういう事なんだ?
ブッダの瞑想中にブッダの頭の中で展開されてるという事なのか?
そしてそれが人に知られて今に伝わってるという事は、ブッダがそれについて話したという事なのか?
それとも全部後世の創作? >>483
下らないことダラダラ書く前に死ぬ実験してみたら? >>484
そのまま受け取り過ぎ、あくまで悟りに至る道の邪魔をする話相手
としての設定 >>486
つまり>>480みたいのも作り話ってことか ゴータマの死〔の不延期〕に アーナンダは罪があるか
https://sp.okwave.jp/qa/q8593177.html
回答者の中には大パリニッバーナ経のこの部分は後世のフィクションと言ってる人が何人かいるね 修行中に悟りを邪魔した美女の姿をした3人の悪魔って誰と誰と誰?
スジャータはまさか入らないと思うが NHKラジオ『宗教の時間』で「アメリカ人の心をとらえた禅僧“鈴木俊隆老師”を語る」が再放送(語り手 藤田一照師)
- コマメディア ?史上最弱の仏弟子コマメ? :
http://komamedhia.hatenablog.com/entry/2018/03/16/215222 生きるも死ぬも大して変わらないんよね
気付いたらゲーム始めてた…ってのは皆同じなんだから、続ける価値が無いと思った人は止めたくなるのも仕方ないんちゃう?
ただ普通に止めると再起動になっちゃうのは、どう考えてもバグってるよなあ… 死ぬ気はまだ無いけど死に対する恐怖が全くないし早く楽になりたい
とにかく生きてて嫌なことが多すぎる
脳力が低いとちょっとしたことでも脳がフリーズしてまう 嫌なことがあった時に、それが自分の世界のすべてなんだという囚われから己を解き放つことを目指すのがマインドフルネス瞑想 生きても死んでも同じならいま生きているんだから自然と止まるまで生きたらいい
生きるのが嫌だから死にたい人は、死にたいんじゃなくてもっとよく生きたいけどそれができないから死にたいだけなんだから、
死ぬよりもっとよく生きれる方法を探した方がいい 耳ある者どもに甘露(不死)の門 は開かれた。
おのが信仰を捨てよ。 十六ずつの詩句の集成より アンニャー・コンダンニャ長老の詩句
より
685 われは、死を喜ばず。われは生を喜ばず。あたかも雇われた人が賃金をもらうのを待つように、わたしは死の時が来るのを待つ。
686 われは、死を喜ばず。われは生を喜ばず。よく気をつけて、心がけながら、死の時が来るのを待つ。
http://www.geocities.jp/avarokitei/go-tamaryakuden/condanya-kankei.htm
阿羅漢になればこういう境地になるらしい 死を畏れてるひとは、言うなれば、まだ生きていない、心底から自分の命を振り絞って生きたことがないひとだと思う。
日々を享楽的に感覚の赴くままに生きてきたひとじゃないかな。
挑戦とか挫折を繰り返して、なお自分を叩き上げて自分と激論してきたひとは、もはやこの世を諦観してるでしょう。
そうなると、この世に居場所がなくなる。
けど居場所がないこととは、イコール、生命を否定することではないんじゃないかな。
そして、この世とは必ずしも、今のこの場所だけとは限らない。
ブッダガヤでは、アングロサクソンの若い女の子もヒゲもじゃのアフロも、みんな静かに熱心に瞑想してたよ。
物乞いのひとに対し、チベット僧の若者が落ちてる枯葉を投げたのも見たし、今日の糧を得るために、自分の娘の身体を見世物にしてるインド人の母親も見た。
理解に苦しむ場面にたくさん遭遇した。
自分のものさしとは異なる基準の世界を見た。
だからなんだって言われればそれまでだけど。 >>501
> 死を畏れてるひとは、言うなれば、まだ生きていない、心底から自分の命を振り絞って生きたことがないひとだと思う。
> 日々を享楽的に感覚の赴くままに生きてきたひとじゃないかな。
> 挑戦とか挫折を繰り返して、なお自分を叩き上げて自分と激論してきたひとは、もはやこの世を諦観してるでしょう。
> そうなると、この世に居場所がなくなる。
> けど居場所がないこととは、イコール、生命を否定することではないんじゃないかな。
> そして、この世とは必ずしも、今のこの場所だけとは限らない。
>
> ブッダガヤでは、アングロサクソンの若い女の子もヒゲもじゃのアフロも、みんな静かに熱心に瞑想してたよ。
> 物乞いのひとに対し、チベット僧の若者が落ちてる枯葉を投げたのも見たし、今日の糧を得るために、自分の娘の身体を見世物にしてるインド人の母親も見た。
>
> 理解に苦しむ場面にたくさん遭遇した。
> 自分のものさしとは異なる基準の世界を見た。
> だからなんだって言われればそれまでだけど。 >>501
あなたは、例えばどこぞのテロリストにとらえられ、
チェーンソーで首を切断されようというときにも、心穏やかに首を落とされる人ですか? 某日野原医師は、あの年齢になっても死を語られることを厭うと言ってましたね
某日野原医師は享楽的な人だったのかしらん >>486
聞き方を変えてみる
私はこのように聞いたー
という語り口調になっているのかいないのか
なっているなら誰から聞いたのか
又聞きなのか釈迦の口からなのか
仏典の成立年代はいつなのか
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