マインドフルネス瞑想 Part7
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part6
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510395100/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ >>9
お〜 マインドフルネスの板なのであえて言いますが 苦しいとは何が苦しいのか観察してみて下さい 胸がどういう状態なのか 胸以外はどうなのか 他のことに気を取られた時に苦しいのはどうなるのか
耐えられないようなストレスなら離れるのが一番だと思いますが そうは上手くいきませんよね 泣いてみる 暴れてみるとか >>9
そのストレスにもストレスの原因となっているものにも実体はないと般若波羅蜜を完成させれば
阿耨多羅三藐三菩提を得ることができストレスは消える一切の苦厄を度することができる 身も心も、因縁によってできているものであるから、この身には実体はない。
この身は因縁の集まりであり、だから、無常なものである。
もしも、この身に実体があるならば、わが身は、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、その思いのままになし得るはずである。
王はその国において、罰すべきを罰し、賞すべきを賞し、自分の思うとおりにすることができる。
それなのに、願わないのに病み、望まないのに老い、一つとしてわが身については思うようになるものはない。
それと同じく、この心にもまた実体はない。心もまた因縁の集まりであり、常にうつり変わるものである。
もしも、心に実体があるならば、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、そのとおりにできるはずであるのに、
心は欲しないのに悪を思い、願わないのに善から遠ざかり、一つとして自分の思うようにはならない。
この身は永遠に変わらないものなのか、それとも無常であるのかと問うならば、だれも無常であると答えるに違いない。
無常なものは苦しみであるのか、楽しみであるのかと問うならば、生まれた者はだれでもやがて老い、病み、死ぬと気づいたとき、
だれでも、苦しみであると答えるに違いない。
このように無常であってうつり変わり、苦しみであるものを、実体である、わがものである、と思うのは間違っている。
心もまた、そのように、無常であり、苦しみであり、実体ではない。
だから、この自分を組み立てている身と心や、それをとりまくものは、我とかわがものとかという観念を離れたものである。
智慧のない心が、我である、わがものであると執着するにすぎない。
身もそれをとりまくものも、縁によって生じたものであるから、変わりに変わって、しばらくもとどまることがない。
流れる水のように、また灯火のようにうつり変わっている。
また、心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も、静かにとどまることがない。
智慧あるものは、このように見、このように聞いて、身と心とに対する執着を去らなければならない。
心身ともに執着を離れたとき、さとりが得られる。
《パーリ中部 蜜丸経》 過疎
マインドフルネス日本じゃ定着しないな
やっぱ日本ではまだまだ瞑想=危険ってイメージなんだろうか
Redditのマインドフルネススレにでも移住するか 随分気の短い人だなぁw
それにもう何年も前から定着しているといっていい状態だと思うけどね >>14
過疎ってPart7まで散々議論しあって、メンタル板にもあるし
他の賑やかなスレは、暇人の観念回転で衝突と無駄話の繰り返しだし
パンツ洗ってもらってるニートなのかな、今日なすべきことは
5ちゃんで暇人どうしの議論でなく清浄行の実践かと 定着してるのとしてないのでなにか変わりがあるのかがわからん 手動瞑想やってる人いる?
個人面談で呼吸瞑想より手動瞑想を勧められたんだけど、いまいち瞑想してる実感ない… 手動瞑想はYouTubeで見て、見よう見まねでやってるけど集中力がなくて長く続けられない
俺なんかのレベルだと目をつぶっての瞑想の方が、気がそれても目をつぶってれば瞑想してる形にはなるから
時間長めにやるには実は楽だなと感じてる >>20
瞑想している間だけ楽しい
座禅につかれたら臥禅にすればいいし
瞑想中だけ自分が自分でいられているのかもしれない
瞑想から覚めれば一切皆苦がまた始まる 呼吸という友達の力を借りて、全力で今に張り付き続ける 瞑想とひとくちに言っても、色々なやり方があるから、それぞれどんなやり方でやってるのかは知らないけど
マインドフルネス瞑想というのは、瞑想して現実をシャットダウンするものではないよね
例えば>>20の人が「何もかもめんどくさい」という場合には、現実をひとまとめに雑に取り扱ってる状態になってるんだと思うけど
マインドフルネス瞑想による訓練というのは、「今」を細かく認識していく力をつけるものだと思う >>23
手動瞑想調べてみましたよ 確かに 「なるほど」と実感できるまでは時間が掛かりそうな方法ですね 指紋とかササクレなんかをマジマジと観察してると引き込まれますが 合う合わないもありますしね
マインドフルネス板じゃなかったら色々提案できるんだけどな うーん >>23
目を瞑っての瞑想も色々ありますね 全身緊張して汗ダラダラになるものから眠ってるのか起きてるのか自分でもわからないものまで 内面を掘り起こすもの 外界の刺激への反応を観察するもの ひたすら自身の存在自体に集中するもの プラユキさんも好きな瞑想法でやればいいってスタンスだったと思うし、
手動瞑想が合わないんなら別の瞑想やればいいと思いますけどね
手動瞑想は熊野さんも書籍「実践!マインドフルネス」で紹介してて、
注意の分割をするという点でヴィパッサナーに含まれる(?)あるいは同一線上のものと
見てるようです >>22
身が入らなくて集中が途切れる感じですか? それとも集中できてるけど これがなんだというのだ? 意味あるのか?という感じですかね
後者であれば手をニギニギしている「自分自身」を観るのも感覚を掴む方法です
ビックリするような音がなった時 普通は音の方向へ(自分を忘れて)集中するのが普通ですが耳とか頭の辺りに集中を残す感じです 観ている自分を観るという言い方もあるようです 大事なトコ紹介し忘れてた
「この瞑想法は、途中でいろんなことを考え出しても、『そのときは、考えていることに
気づけば、もうそれでいいですよ』と(プラユキ師が:引用者註)おっしゃっていました。
何か考えていることに気がついても、ダメだまた考えてしまった」とやらないで、
『今、こういったことを考えていたな』と気づいたら、とりあえずそこで切り上げて、先を続けていけばいいわけです。
もう一つおっしゃっていたのは、これは集中する瞑想ではないので、
グーっと集中するとよくないそうです。ヴィパッサナー瞑想をやっている方、
あるいは他の瞑想をやっている方も、集中瞑想をやりすぎると、
結構具合が悪くなる方がいるそうです。ラベリングも、そこにこだわりすぎると具合が悪くなる方がいるそうです。
でも、プラユキ先生は、『この瞑想はグー系ではなくて、パー系の瞑想です。
何が出てきてもオーケーだよといった、オープンな気持ちでやってください』
とおっしゃっています。『今ここ空間を、広げていくんだ』ということも言われていました」
(熊野宏昭 前掲書100-101頁) 手動瞑想やっているよ
その後で呼吸瞑想してる
目を開けてやることで、観念と観念の影響下の行動に変化が出てくるよ
やってて今ここ状態になった時に観念から起こるドミノのストップができたり、
観念と想い癖と行動の分離融解が起こる感じ
視界が優しくなるよ
そうしていくうちに日常の意識でも自信がついてくる
やっている最中に気付きだけがある状態になることもあるよ 本格的に悟って人を好きになるような気持ちまで捨てたいわけじゃないからな 本格的に悟りたい人向けのスレはないのかな?
この世とかの世をともに捨て去りたい人向けの そのくらい本気なら他人がどうでもいちいち気にしないだろうしどこのスレにいても自分に必要なとこだけ読み拾ってる済んでるのでは このスレの99%は無意味
じゃあなんでこのスレいるのか?
たまに、ごく稀に、めちゃくちゃキレてる言葉を決める奴がいるから
その一%のために觀ている >>36
好きって恋愛のことかい、客観視して世俗ゲームとして楽しめばいいのでは
人間関係も修行になるかと
>>37
なら出家修行したらどう、悟りたい欲求を捨てに
以前より生きやすくなれたのなら、在家現代人はそれでもいいのでは
>>39
スマ長老の本でも読んでたら、一種の痛快さがあるから
あんなビシバシ裁いてる本、そこまで書くかって面白さが こういう人はどういうレスをめちゃくちゃきれてると感じるのか気になる めちゃくちゃきれてる、じゃなくて
めちゃくちゃキレてるな
気にするならそこを気にした方がいい
一%は誤り
一スレに一レスか二レス どんな書き込みをあなたはめちゃくちゃキレてると感じてるんですか 私の心に響いたものがあなたの心に響くとは限らないから
それを書くことは無意味
粕汁の美味しさをハンバーガー大好きなヅラに伝えても伝わらないように じゃあ、きれてるとキレてるの違いをわざわざこだわって指摘する事も無意味だなwww >>35
手動瞑想は時間的にはどれくらいやってますか >>46
ハンバーガー大好きなヅラ、であって
ハンバーガー大好きな人じゃない
気にするなら自分の頭皮をを気にした方がいい
あと俺をキレさせたら大したもんっすよ マインドフルネスと瞑想は別物
マインドフルネスとはマインドレスネスと呼んだ方が正しいかもしれない。普通に生活しながら、心の干渉を少なくしていき、今のありのままを受け入れるのがマインドフルネス。 >>57
ヅラとか頭皮とか…
心配してくれるのは有り難いが髪の悩みなど俺には無用だ。
ハンバーガー好きのヅラに粕汁の美味しさを伝えようとお前がいくら頑張ったって、相手はすでに粕漬けだったということもある。
そういうのを釈迦に念仏っつんだよ
わかったかこのハゲ 瞑想から生まれたマインドフルネス
そのツールが瞑想とは
これ如何に? 桃太郎は桃から生まれたから桃太郎と言うのであって、キャベツから生まれたらキャベツ太郎だろ。
マインドフルネス瞑想はマインドフルネスから生まれたからマインドフルネス瞑想と呼ぶけれどもマインドフルであることと瞑想は結びつかないって言いたいんでないの? >マインドフルネス瞑想はマインドフルネスから生まれた
アホなの?なんでアホがレスするの?
マインドフルネス瞑想は仏教の瞑想から生まれたんだよ >>66
アホちゃいまんてん
マインドフルネスはパーでんねんて
ピロユキさんだったかも言ってまんねん。
誰かこのバカにレスつけてあげてチョンマゲ >>65
お前の家では
犬を飼ったら犬太郎
猫を飼ったら猫太郎と名付けるのか?
で、お前は人から生まれた人太郎か?w >>69
うちのハムスターはハム太郎だが何か?
お前のような単細胞生物には解らないだろうが鶴太郎の親は鶴ではないし鬼太郎の親は鬼ではない >>68
このスレのアンチか?
ど素人がいっちょ前に瞑想を語るなカス >>71
こう言いたいんでないの?って言ってるだけだろうが…
妄想でレスする前に気づきましょう >>64
マインドフルネスは瞑想ではない!?5つの効果と活用されている事例
http://healthcare110.com/mindfulness/
>マインドフルネスの考え方より先に一人歩きして流行っているのが、「マインドフルネス瞑想」です。
>マインドフルネスはそもそも手法ではなく「心を整える」考え方。
>その方法として代表的なのが瞑想やヨガで、形がありわかりやすいので瞑想やヨガとセットで実践されることが多いのです。 瞑想するたびに、思い出さなくてはなりません。
「私は何かをしようとしているわけではない。
私はどこかに至ろうとしているわけではない。
私は以前に経験したことを経験しようとしているわけではない。
私はただ、いま起こっていることに気づいていようとしているだけだ」 >>75
私は何かをしようとしているわけではない。
私はどこかに至ろうとしているわけではない。
私は以前に経験したことを経験しようとしているわけではない。
私はただ、いま起こっていることに気づいていようとしているだけだ
さあみなさん、四六時中唱えましょう!
一万回唱えたら人生変わります!! ウ・ジョーティカの言葉だよ
マインドフルネスストレス低減法のカバジット・ジンも似たようなこと言ってるし
マインドフルネスの基本的な考え方でしょ ウ・ジョーティカ師はぶっ飛び過ぎてて「自由への旅」の内容真に受けちゃうと現代日本じゃ確実に精神病院にぶち込まれるぞ エックハルトトールだけど、こういう考え方もマインドフルネスの基本
「エゴのない状態」は未来のどこかにあるものではありません。
それを目標にすることは出来ないのです「エゴのない状態」も「さとり」も目標にすることは出来ないのです。
「さとり」を目標にすることは出来ないのです。「目標」というのは暗に未来を意味しているからです。 エックハルト・トール氏はぶっ飛び過ぎてて「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の内容真に受けちゃうと現代日本じゃ確実に精神病院にぶち込まれるぞ >>82
山下良道氏も似たこと言ってるけど精神病院にぶちこまれたりしてませんね ネタレスもいいけど、ネタ(ギャグ)やるならもう少し笑える方向でやっておくれよ ワールドメイトの会員サイトを検索して片っ端から見てみたが、かなり前に更新が止まったサイトばかりでつまらんのばかりだった。
【会員】「ワールドメイト住吉熊野道」【2017/01/29で更新が止まっている】
『ワールドメイトのアンチは精神が不安定な人』という記事も書いていて、『サルでもわかる「世界中に愛をワールドメイト」入門』の管理人であるサルのことを嫌っている。
〜絶対的なシンパでマトモな記事を挙げているのはWINとこと備忘録とわが青春の〜の三つか。
支部で書いているようなブログは多いが更新もまともにされていないということは、ワールドメイト内部ではネットを使った情報伝達がかなり抑えられている〜またはかなり弱いと見れる。
教祖のメルマガや会員の体験談を発行するメルマガだけで会員が増えるわけもないだろうに。
これだけSNSやネットが普及しているのに、昔の西谷氏の書籍時代が一番最盛期だったのはなんという皮肉だろう。
教祖のネットに対するマイナスの部分が大きすぎる。
たぶん、推測では現正会員は23000人くらいではなかろうか。これに家族会員を足して25000〜27000人弱だろう。
【会員】「わが青春のワールドメイト」【更新中】
教祖である深見氏の活動や世界情勢の話が多く、内容からはけっこう年輩ぽい印象を受ける。WINのようにおちゃらけた記事はないので、ある意味、WINよりスタッフっぽい内容に感じる。
【会員】「ワールドメイトの備忘録」【2016/12で更新が止まっている】
こちらも教祖である深見氏の活動や世界情勢の話が多く、内容からはけっこう年輩ぽい印象を受ける。
【会員】「ワールドメイト 和魂」【更新中】
ご存知、現関西エリアスタッフWINのブログ。開設10年以上。
ワールドメイトの神事の話は過去のことを少々。教祖のコンサート活動やゴルフ活動など社会活動の話は無い。個人での神社参拝やオカルト体験、PC自作やゲームや怪我の記事のほうが多く、一見しただけではワールドメイトと関係ないようにも見える。
ただし、『世界中に愛をワールドメイト会員としての20年(2015年8月25)】という記事をはじめ、救霊体験や2007年箱根神業の現地突撃記事やエンゼル会員として支部にいた頃の話、証や奇跡の体験談など、とても興味深い内容は他の会員サイトでは読めない。記事が多いので読みごたえがあって会員サイトではやはりトップの情報量だ。
〜他の会員サイトで有名なのは以下くらいだが更新が滞っている。
【会員】「ワールドメイトの感動を伝える ブログ アンタレスの愛」【2013/11で更新が止まっている】
【会員】「ワールドメイト会員が思ったことを書くブログ」【2009/09で更新が止まっている】
思ったとこでは、教祖の深見氏が行う神事の話や体験談が圧倒的に少ない。
これだけネットが普及しても更新中のサイトが数えるほどしかないのだから、ワールドメイトも風前の灯といったところか。 いま起こっていることに気付いていることのメリットってなんですか? 過去の嫌なことを思い出して苦しんだり未来のまだ起きてない不安なことを想像して悩んだりしない 坂本冬美を聴いてるような爺さんもこのスレ見てるのか ・瞑想して呼吸を見ようとすると、様々な思いやイメージが浮かぶことに気付く
・この思いやイメージにとらわれて思考の団子状態に陥ると、エゴの自動操縦状態になってしまう
・日常、自分の思いだと思っているのはエゴにコントロールされているもの
・そうならない為には、瞑想をして今に気付く訓練をする
・日常に於いても、常にサティを入れて自分の思考や行動に気付いているのがエゴの自動操縦状態にならないためには大切なこと
・手動瞑想は、静座瞑想と日常におけるサティの中間に位置するものかのかも マインドフルネスは、瞑想をしている時だけではなく、常にイマが修行 >>87
ん〜
今安心できないから不安なんだろ普通に考えて…
未来の不安を想像して悩むとか器用な奴というか…平たく言うとノイローゼだな。
それに過去の嫌なことを思い出そうが出すまいが今苦しいものは苦しいだろ…
後で苦しむけど今は逃避…ってのは平たく言うとダメ人間だな。 >>92
状況は常に中立なんだよ
それを観念で抵抗してネガティブ性を生んで不安になっている
状況に対してできる限りのことをし、状況にレッテルを貼らなければ
心の奥は平安でいられる
状況に抵抗してネガティブ性の感情を生むだけでは問題は解決しない
今ここの気づきとは、思考活動でレッテル貼りをしていない >>92
大筋で合ってると思うよ 本来は誰であろうと話し合って喧嘩して 苦しむところは苦しみ抜いて 喜ぶところはバカみたいに喜んで 頑張れるところは周りがビックリするぐらい頑張るんだよ 続き
その先に人によっては瞑想がある場合もある ここに来ている多くの人は恐らく話し方教室とか能力開発セミナーとか トラウマ克服カウンセリングの方が10倍役に立つ人が多いと思うよ このスレにはマインドフルネスを現実逃避だと思いこみたがってる人がよく出てくるのがふしぎだ
マインドフルネスは現実直視だよ
逃げるのはマインドフルネスではない 過去や未来のことを今に持ち込まず、今起きていることをそのままに認識するっていうのを、
過去や未来のことを放って逃避してるって思っちゃうんだろうね >>96
自我は逃げようと思考しても良いんじゃない? そういう自分を観さえすれば そういう自分を観たくない 勇気が無くて観れないのは確かに逃避ではあるな 例えば現時点で寒さの中にいたとして、マインドフルな人間はどうするか
その寒さをこと細かに意識して、その変化を観察する
じたばたしないから苦しまない
>>98
そこはありのままに観てよいよ >>92
心理学的な話だけど陰性感情は大まかに3つに分けられる
未来に思考を働かせる時に使う陰性感情は不安
過去に思考を働かせる時に使う陰性感情は憂うつ
今に思考を働かせる場合に使う陰性感情は怒り
怒りと憂うつを混同してないか?
少なくとも今に意識が向いていたら不安や憂うつの出番はないよ >>98
中途半端な知識のアンチさんなのか
無思考人間、無抵抗人間、行動しない人間になれなんて教えではないよ >>101
中途半端な知識でない君の答えを教えてください
もちろん本とかの受け売りではなく、自分で見つけた答えでおねがいします >>99
決して絡んでるわけじゃないんでごめんなさい 違いがわかったわ 五感への第1の刺激に対して注意を重んじる方法の人なんだね こっちはその刺激からの自分の反応に注意を払う方法だから ジタバタを出さないと修行にならんじゃん?って思ってたw 「マインドフルネスは自分を愛するトレーニングです」と書いてあった。
できないことが気になる、人と比較する、悪いことのほうが気になるけど、自分に優しくできなかったと反省。 今に集中し続けたら何が起こるんだろう
何も起こらないのかもしれないけど楽しんでやるだけでも価値はあるかな このスレには逃避というワードを見ると現実逃避イクナイ!と脊髄反射する人がよく出てくるのがふしぎだ
逃げるのはマインドフルネスではないと声高に主張する人は
例えば「戦略的撤退」とか
キャッチーなフレーズにはどう反応するだろうか
例えば凍えるような寒さの中にいたとして、
マインドフルな人間はどうするか
その変化と反応を事細かに観察し、見苦しい振る舞いを潔しとせず、安楽なる死を選ぶだろうか 精神的にジタバタしないというのと、何も手をうたないというのが違うのは判るよね
病気になれば、ちゃんと治療もするし 決して絡んでるわけじゃないんでごめんなさい
違いがわかったわ
ただポエムが書きたかっただけなんです その上で患者に対する精神療法としてマインドフルネスは医療の現場に取り入れられてたりするわけだし 例えば地震
地震に対処するには地震が起きたときに冷静に対処し行動することでしょ
過去に感じた地震が怖いってイメージを今に持ち越してたら怖がってばかりで冷静に対処できないよね
また地震が起きてもないのにいつ起きるのだろうと怖がっていたらストレスたまっちゃうよね
過去と未来からくるイメージを切り離して感情的にならずに冷静にいま起きていることをそのまま観て対処する
地震が起きたときのために用意もするけど過去の怖れや未来の不安の感情からじゃなくただ用意する
それがマインドフルネスでしょ 俺もみんなの真似して混ざろ
ああ ←※「んうあぁあ!」と発音。
キミを傷つけた罪は
羽根をもがれた天使の
永遠という名の時計じかけの
フランス革命にも似た
鎖につながれた昼下がりの
かげろうは まばたきした
瞬間に キミを
さらうだろう・・・ 戦略的撤退は現実に即した行動であって現実逃避ではないですね >>93
>哲学者のアランは『幸福論』の中で、こう言っています。
>「賢人の言っているように、水瓶にふたつの取っ手があると同じく、どんな事柄にも二つの面がある。悪いと思えばいつでも悪い。良いと思えばいつでも良い」
このアランの名言は公案禅のネタになるのではないか?
水瓶と取っ手は何を比喩しているのか瞑想しながら考えてみるといいかも?
自分としては答えは難しくはないと思う
素直に考えると良いと思う どんな事柄にもって言ってるんだし、どんな事柄でも、でいいんじゃないの とんこつラーメンとしょうゆラーメンとどっちが好き? 一つの事柄の二面性の話してんのに二種類のラーメン出してきてどうすんだって話でね じゃあとんこつしょうゆとしょうゆとんこつとどっちが好き? 実際食べてみないとわからない
がマインドフルネス的な回答かな 俺の地震での対処はちょっと違うわ
揺れる あ じしっ! と気づく瞬間同時に体に力が入ってると気づいている 体が緊張していると気づいている ちょっと揺れが収まって 阪神大震災の記憶が蘇ったと気づいている
暗闇でタンスが倒れないように押さえてる両親を思い出して笑った記憶に気づいている
懐かしい感じに気づいている 自分を制御せずに起こることを観るだけ アテクシは自覚に趣を置いていますわ
何を感じ、何を考え、何をしている 呼吸を観察してたら、意識が呼吸しようとしてるのではなく、身体が勝手に呼吸してるんだというのが理屈じゃなく体ではっきり分かった。
意識と分離しても、この身体は生き物だし「ナマモノ」感みたいのがすごい。これが生命か。
あと、感情で呼吸が浅くなったり深くなったり、身体が緊張したりリラックスしたりするのも、対象物として意識から切り離して観察もできる。
何か最初の糸口をやっと掴み始めた感が。 >>128
おめでとうございます その「はっきりわかった」っていうのが重要で瞑想の燃料 励みになりますよね 深まっていくたびに「?!」って経験が増えると思います
これから色々体験できますよ 遊園地なんて比じゃないですよw
少しの間理解を楽しんだ後はその見解を気にしないで次に移りましょう >ていうのが重要で >遊園地なんて比じゃないですよ
794「かれははからいをなすことなく、何物かを特に重んずることもなく、
これこそ究極の清らかなことだと語ることもない。」
797「見た真理についてであれ、あるいは聞いた真理についてであれ、
思考した真理についてであれ、自己自身に讃仰すべきところがあると見るから
こそ、かれら人間は、それらのものについてかくかくであるときめてしまって
信念をもち、それら以外のあらゆるものについては
「まったく劣ったものである」というように見るのである。」
瞑想主義者って何で他に対し偏見を持ち、好みに囚われるのかな >>132
まあまあ 最後にしっかり「気にしないで」で書きましたし良いじゃないですか
それに無理に 決めつけるな 価値を認めるな 拘るなって言っても無理ですよ〜
さかあがり練習してやっと出来たら喜ぶな 楽しむなって言っても無理でしょう
それにずっと続けていくと得たものはどんどん記憶から遠ざかって思い出せなくなるので結局大丈夫ですよ あ 違うのか? せっかく何か掴んだ人がいるのに余計な観念植えつけて迷わせるようなことをするな ってこと? それか自分と同じように進んでる人を見て喜んだり応援しようという気持ちがでる間は まだまだ的なこと? 人を瞑想主義者などとレッテルを貼るような偏見持ちは放っておきましょう >>132
あなたは中国で仏教がヒンドゥー教化してしまったというのと煩悩を放っておくから曹洞宗の僧侶には犯罪者が多いを持論としている2号さん? 外野だけど、時々書いてる「2号」っていうのが全く分からん
なんの1号、2号なの?
1号はどの人なの?どういうこと言ってる人なの? はっきり言って、瞑想なんて金出して学ぶものじゃない
教師とか先生とかそういう立場の人はそれなりに金を出して地位を得てる
金出さなきゃできない瞑想ならやらないほうがいい
瞑想ビジネスに利用されるだけ
そもそも瞑想の教祖は神からのお告げだかなんだか知らないけど
最初はだれからも学ばなかったはず
寝てるふりして目をつぶってればいいんだよ >>142
ストレートに聴きますが、あなたはマインドフルネス瞑想というものを知っていますか? 小学生が思い付いたことを書き込んでるだけなんじゃないかあ >>142
マインドフルネスの原型であるヴィパッサナー瞑想は日本ヴィパッサナー協会が10日間食事付き無料で教えてくれるから行ってきたら?
寄付は任意だから払っても払わなくてもいいし
ちゃんとコースをやり遂げたらそんな幼稚で馬鹿らしい書き込みしなくなるよ まー掲示板だからよく知らない人やいろんな人が来るっしょ >寄付は任意だから払っても払わなくてもいいし
こういうの一番やっかいだよな 検索すると10日間の瞑想に参加した人のブログいっぱい出てくるけど
そんなとこに厄介さを感じてる人全然いない >>139
俺は寧ろ>>129が2号かとオモタw
何から書き込んだら>>129みたいな文章スタイルになるんだ? 先入観や思い込みから離れて、すべてに対して初めて見るように、ありのままに見ていくのがマインドフルネスには重要な態度。
今というのは過去の繰り返しではなく、常に新しく目の前に在り続ける世界。 >>142
貴方は賢いですね 先生になるような歴史に残っている瞑想家 神秘家はそれに至る以前にははおっしゃる通り瞑想自体の経験がなかったりします
極度の自己嫌悪 極度の一点集中思考 極度の恐怖 極度の放棄 極度の絶望によりそれに至っています 私達はそれができないので瞑想という本来必要ない回り道をしてるんですよね.... それは極論ですね、出家に至った動機や
愛別離苦を作り出すプロセスを見れば
瞑想は手段の内に或る事がお分かりになるでしょう 釈迦になれない人間があーだこーだと真似ても
天賦の才は得られない
瞑想団体に何百万、何千万だしても無理
その前に周りの人に嫌われないように生きなさい マインドフルネスに天賦の才なんて必要なないし
何百万もかかるなんてどこの世界の話なんだろう? なんで瞑想団体に金をどうのこうのって話になるんだろうな
どこぞのカルト団体・宗教と勘違いでもしてんのかな >>155
たまにいる君のような「瞑想なんてやめて人間関係を大切にしなさい」という一見正論に見える意見に対し、素晴らしい引用を贈ろう
「人は時として親密さを経験したくてたまらなくなります。しかし、自分自身と親しくなるまでは誰か他の人と親しくなるのは非常に難しいことですし、同種の思考プロセスが関係性に支障をきたしてきます。
私たちは自分や他人のイメージを築き上げてしまっていて、型にはまった交際においては生身の人間同士が出会うことはまったくありません。
修行はそのすべてを打ち破り、それらのイメージを突き破ってその瞬間に現実に起こっていることに到達します。」
ラリー・ローゼンバーグ『呼吸による癒しより』 マインドフルじゃない人は、こういうタイトルを見て、ないんだと早合点してしまうということなんでしょなー >>156
その場所で語られてない内容をいきなり語りだすヤツはネタを自分の経験から引っ張りだしてる
だから >142 や >155 の人生経験も察しがつくというもの
お気の毒な方ですな >>158
そりゃ呼吸で癒しがどうのって人種は自分中心に物事考えるだろ
だから人間関係がうまくいかないんだよ
要は、バランス
これがわかるようになれば悩みなど無くなる >>162
うーん、どうも引用の真意を理解してもらえなかったようで。
人間関係がうまくいってないと思われてるようですが、私は瞑想始めてから旦那や子供たち、パート先の同僚や周囲の人とも関係性は良くなりましたよ。
以前は喧嘩ばかりでしたけどね笑
結局、自分自身の心に余裕ができてこそ相手の嫌なところを受け入れたり、相手の価値観や感情を尊重できるようになるのですよ。
私はそれを実現する手段として瞑想を選んだだけ。
君には君なりの人間関係の在り方があるでしょうし、私は君の価値観を否定しませんよ。
君にとってはそれ(君の意見)が真実なのでしょうからね。 155があまりに図星で瞑想クレージーが発狂中
毎日おでこにへんなマークつけて袈裟みたいなの着てるんでしょw 今日も覚者たちがマウンティング合戦してるステキなスレになってますね よく分かんないけど
このスレきて会ったことも無い誰かのこと煽って幸せになれるんなら
それはそれでまあいいんじゃないですかねぇ >>165
マインドフルネス瞑想の一つの理想的な実践と成果ですよね ある程度の成果が出た後も続けられてますか?
ずーっと続けるとそこを超えてしまいませんか? 例えば好き嫌いの仕組みが単に機械的な反応で人間は単にそういう反応(機能)の集まりに過ぎないと感じてしまうとか
ずーっと続けるとそこまで嫌でも行ってしまうと思うんですよね マインドフルネスを実践するようになったら、立ち直りと気持ちの切り替えが早くなったな
以前は何かあると頭も心も引きづられがちだったけど、切り換えて目の前の事に集中してそつなくこなせるようになったよ >>177
本人が瞑想によって心に余裕が生まれて周りとの関係が良くなったのなら、それで良いじゃん
瞑想=メンテナンスになる人もいるだろうし
それによって本人の状況が良くなり周りとの関係に良い影響が現れたなら他人がとやかく言う必要もないかと
本当に人々を大切にできるような人なら、人の良い変化を喜べるものじゃないかね スマヌ、思わず突っ込んでしまったが野暮というものだった
図星つかれたからちょっとムキになっちゃったのかもしれないし(悪い)、
ちょっと違うんだよねって意味かもしれないしどっちかなと思いました >>178
ですから、君はその精神的立場の見解に固執しているから、
異なる者に対し、排他的、差別的になっていることに気づこう WALK WITH ME - International Trailer
YouTube : https://www.youtube.com/watch?v=ne7-wnnWqFY 自分の主義主張を述べることが排他的差別的なの?
釈迦は排他的差別主義者のレイシストですか? >>180
そんなつもりでは書いてないし、排他や差別の意図はないからね
良い方向にいった人がいるなら、よかばいよかばい
人が良い方向にいくのは喜ばしいことじゃん
それだけさ >>185
君が可愛くなってきた
BBAがムギュしてあげる
さぁ、おいで スターリンとか
小学生だと思ったら、おっさんだったのか… >>188
BBAはこれでも美人クリエイターなのよ
あなたのハートを暖めてあ・げ・る
うふん
自分で書いてキモイわ
さーて寝るべ
皆おやすみー
チュッ 反マインドフルネス?みたいな人の行動原理が意味不明すぎるんだけど、これは思い込みに囚われて手放すことが出来ないモンキーマインドな人は、こんな支離滅裂な行動をするんだよという見本を見せてくれてるってことなのかな。 おどけて雰囲気を変えようとする人っている
ジョークでそれまでの主張からフェードアウトしていこうとする人もいる
沈静化したところで他者をとやかく言う書き込みをする>>190の反マインドフルネスぶりも大概だと思った
それを指摘する自分も修行が足りんけど >>191
俺って修行が足りないだけじゃなくて
反マインドフルネスなんですかね
マインドフルネスなんかやめろなんて主張する気はないんですけど 事を荒立てず波風立てずがマインドフルネスじゃないと思うんだけどなあ ヴィパサナかマインドフルネスか細かい手法は置いとくとして方法としては難しいところは何もありませんよ
強いて言えば慣れと癖の問題ですね ここに書き込む時でも画面を見ている 指が動いている 賛同する意見を見て良い気分 反対意見を見て悪い気分てな感じです >>193
マインドフルネスやっていれば慈悲・慈愛が出てくるよ
熟練者の言動は慈悲や慈愛が滲み出てること >>198
色々溜まっていない?
今ここ状態って穏やかな幸福感もあるし、人のことも赦せて微笑むことができるような心の状態になっていくよ
抑圧・鬱積が強いとなかなかそうなりにくいみたいだけど 出家して瞑想修行に励んでるテーラワーダの僧でさえ、他人に怒鳴り散らしたり犬に石を投げつけたりしてる
マインドフルネスであることと、俗世間的なところで良い人格とされるようなものに繋がりはない カタルシスや反動でそうなる段階はある
でも、やっているうちに禅などで本性と呼ばれるものが現れてくるよ
本人のこれまでの人生や抱え込んできたものによってプロセスに個人差はあるだろうけどね >>196
熟練者でも慈しみのない人いる
南方仏教の修行体験談にあるよ
貴方の場合は、意識誘導の偽善かしら
毎度強化された自我思考で正当化しますし 悪意や挑戦的な質問を受けた時の瞬間的な表情に現れるよ
瞬間的に表情が悪くなることもなく動じずに余裕を持って終始穏やかでいて、
かつ相手に伝わりやすい言葉でお茶を濁すことなく説明できる僧侶を見てきたので
その人は自分のことをdisるような別の僧侶な対しても、どういう理由でそう見えるのかを理解して微笑んでいたな
瞬間的な苛立ちや表情の曇りさえみせることなく
それを偽善と見るか、色々なことに向き合ってきた末の器と見るかは意見が分かれるかもしれないけどね >>200
それ「悟らなくたって、いいじゃないか」で魚川氏が言ってたことじゃないか とりたてて良い人格にはならないけど悪い人格はおさまってくるので普通に落ち着いた人格にはなっていくでしょ
生まれたときから元々普通でない性格の人なら別だけど
だいたいの心の性格は後天的になっただけだしマインドフルネスしてれば後天的な心や身体に捉われなるんだから マインドフルネスや仏教的な「気づき」自体は慈悲やおこないとは直接の関係はないから
仏教には五戒などがあるんだと理解してたけどな
Gヒルの地橋さんもニュアンスは違うかもしれないけどそういうふうなこと言ってたと思う 慈悲はそれなりに出て来ると思うけどね
なぜかというと自分の心身へのこだわりがなくなっていくことで自他の分別が薄くなっていくから
自分の心身も他人の心身も同じことのように思えていく
そうなると誰でも自分の心身にとって自然とよくしていくから他人の心身にとっても自然とよくするようになっていく
自分の心身は自分じゃないからどうなってもいいというタイプの人は同じように他人の心身にも無頓着かもしれないけど
そう思うとマインドフルネスで他人に対して慈悲が出てこない人は自分の心身へも慈悲(あるがままに大切にする気持ち)が出てこないかもね 私が関わった僧侶は仏性は誰にもであって、やっているうちに現れてくるよってスタンスだったな
その僧侶のところに来る人たちもイキイキしていてどこかに優しさがある人たちばかりだった
そういうとこに巡り会えたのはラッキーだったのかもしれないね
別の僧侶が言うマインドフルネスや瞑想をめぐるぶつかり合いの構造と、
瞑想をしていると大まかに分けて二つのパターンに分かていくと言った意味が何となく分かったよ 地橋さんの言を補足しとくと、まず著書のほうでは
ヴィパッサナーにも二義あって、狭義のヴィパッサナーはサティの技法による「気づきの瞑想」
もう一つは、サティや戒、サマタ、善行などすべてを包含する「清浄道」といえるもの、
通常は前者の意味で使われる、と。これは『ブッダの瞑想法』の5ページに書いてある
だから「ヴィパッサナーで善行ができるようになる」とすれば清浄道によってもたらされるの「かも」しれない
それから、これは瞑想会のダンマトークで言ってたんだけど、
マインドフルネスでいいんならマインドフルに人の物を奪うこともできちゃう、ていうようなことも言ってた
ダンマトークの内容は詳細、正確なところはメモ書きひっくり返さなくちゃいけないんで今はムリ
以上、自分の理解不足のとこもあるかもしれないし、正確に理解していたとしても地橋さんの言が
絶対的に正しいと言いはるつもりもない >>209
論理的帰結としてまた実践していれば必ず マインドフルネスもそうだけどあらゆる修行でこだわりや分別が無くなっていく過程で方向が二つ分かれるってのはあると思う
他人のもの奪ってもいいってのは自分のもの奪われてもいいし他人のものも奪われていいってことなんでしょ
全て一切は誰のものでもないしどうでもいい、ようするになんでもあり、それはそれで分別がないのかもしれない
人には欲や様々な思いがあってそれが自然みたいな
禅宗とかでこういうこと言う人多いと思う
でも別に自分も奪わなくてもいいし、他人も奪われなくていいんじゃないのってのでもいいだろうし
そもそも人間が生きるのに自然にしてりゃそんな余計なコトしようとしないんじゃないのっていう
人間の自然な欲なんて実際はほとんどなくて変な欲や思いもわかなくなるし自他は自然と調和するもんじゃないのっていう
個人的にはマインドフルネスで余計なこだわりはなくなってくだろうし、他人のもの奪って自分をよくしたいっていうこだわりもなくなるだろうから、
そういう欲や思い自体わかなくなってくと思うけどね 犯罪者の更正にマインドフルネスを活用しようとしたら、更正どころか悪化してしまったというデータを見た記憶があるな >>209
論理的帰結として また突き詰めるほど「人の物を奪う」の問題は出てくるよ
観察をずーっとしていくと善悪 常識なんていう架空の価値観に囚われていたことに気づくことが多くある 自分がそれに苦しんでいたこともわかる
人を殺してはいけないのではなくて 殺せば罰があるだけだと気づく >>205
>とりたてて良い人格にはならないけど悪い人格はおさまってくるので普通に落ち着いた人格にはなっていくでしょ
それを普通の人という
>生まれたときから元々普通でない性格の人なら別だけど
なんか文句あんのかワレ 今日もみなさんマインドフルな争いに熱が入ってますな 魚川さんのnote
ここは仏教を考える上で、一つ大切なポイントだ。いつも言っているように、「悟り」のための瞑想を行った直接の結果として、「人格がよくなる」ことはない。
「悟り」というのは上述のように善も悪も超えた(失った)ものなのだから、それを目指してゆく行為も、当然、世俗的な意味での善悪とは関わりがないのである。
https://note.mu/neetbuddhist/n/n51f60f82e6cb 藤田一照さんが言っていたことが分かった
捉え方と論点が違うんだね 在家者の視点「出家者は瞑想で自分の世界に浸ってる、あいつらのやってることは現実逃避だ」
出家者の視点「在家者は煩悩にまみれて真実を見ない、あいつらのやってることは現実逃避だ」
こんな風に、立場によってあるべき現実が違うんだよ
世俗的に人格が良くなるのか、仏教的に人格が良くなるのか、その辺の前提をはっきりさせないからいつまでも議論が並行線を辿る ある領域に触れ状態を経験することで起こる変化だね
ちょっとのシャバーサナでポンとその領域を経験する人もいれば、
何年座っても全く経験しない人もいるとは言われているね
経験した人が経験していない人にいくら説明しても伝わらないと思うよ
ただ、経験した人同士が言うことは共通しているし、
経験していない人同士も見ているとその人たち同士の共通点があるなと思った >>216
人格が良くなるって具体的にどういう状態なのかは知らないけど
良心が咎めるって言葉があるでしょ、例えばひき逃げして知らん顔して
運よく?バレずに捕まらなかったとしても、一生人を傷つけた罪の意識は残る
つまり、人間には良心があって、その良心からは逃れられない
もし良心に完全に蓋することも出来ても(難しいけど)サイコパスなんてのは
そういう類の人なんだろうな、サイコパスは悟れるか?悟れないと思うよ…
自分の本心は愛だから、内なる仏性、西洋でいうなら内なるキリストに目覚めることだから
愛であり叡智であり創造であり…真実だから、この真実ってのが抜け落ちてる
事が多いように感じる、自分を偽っているうちは絶対悟れない 悟りは良心もない状態
言葉はただの音になるし風景はただの色になる ただ魂(本質、本心)が感じる、善悪と
この世の価値観の善悪ってのが、微妙に違っているかもしれないとは思うが
普遍的な善悪と、国や民族や地域社会における価値観による善悪ってのがある
例えば、厳格なイスラム社会で自由恋愛は悪だったりするけど、おフランスでは違う
不倫してもあんまり咎められないよね?(よくわかんないけどww)
この世の価値による善悪の判断は、お国がらや宗教やら民族部族、つまり社会が違えば
変わってくる、社会の価値判断を超える考え方をするようになるってことはあるだろうな
古い価値観に縛られなくなる そうかな?
悟りっていうのは、本質に目覚めるってことじゃないの?
エゴと違って本質は絶対善というか、愛だから、愛と言っても情愛ではなく
アガペーの愛ねww
悟った人が増えれば世界は平和になっていく 良心のチクチクする痛み、心が重たくなる嫌な感じ…これ大事なサインね
これを無視すると真実から遠くなる、自分を偽っている=麻痺させている
段々感じなくなるんだよね、自分に言い訳すると…自己正当化すると
魂から遠くなっていく >>224
貴方の書き込みからは暖かいものが伝わってきたよ
ホンワカした 釈迦も空海もラーマクリシュナもラマナマハルシもヨガナンダも人格者だよ
一休さんは非人道的な面もあったけど 愛だの善だのに執着している人に対しては覚者はそんなものないし捨てろという
愛だの善だのそんなもの悟りじゃないということに執着してる人に対しては覚者はそれらを育めとという
それだけのことでしょ
自分の考えや境地に執着があればそれがどうであれただの断見として捨てるべきものだし
あるときは犬畜生にもあらゆるものに仏性はあると言うし
あるときはそんなものないという ラマナマハリシなど何十年も洞窟に引きこもってるニート
でも覚者として敬われ世界中から話を聞くために人が集まる
だが日本の引きこもりが、仮にラマナマハリシ級の説法を話せたとしても誰も耳を貸さないだろう
何故だと思う? 大乗仏教で祀られる神仏に対しては意見が分かれるかもしれないけど、愛染明王は深いなと思った
話は変わるけど、ここでの皆のやり取りって2.0と3.0の論議だね >>218
世俗的に人格が良いと仏教的に人格が良いとでは
具体的にどう違うの? >話は変わるけど、ここでの皆のやり取りって2.0と3.0の論議だね
宗教家が「宗教性を排した」マインドフルネスを批判していることにもつながる話だし
山下良道さんも関連してなんか言ってたと思うんだよね 2.0と呼ばれているものにも3.0と呼ばれているものにも慈悲はあるだろう
悟りというのは慈悲ではなく智慧 釈迦が言ってるのは
愛する人に会うな
人を愛するな
人を愛することは執着だから苦
ほんわかしましたなんていう世界ではない >>233
経典で書かれている愛とキリスト教的な愛の違いについては、プラユキ・ナラテボーさんが解説したいたよ
キリスト教的な愛と仏教の慈悲は意味合いが近いみたい
プラユキさんは自身の境地もさることながら、パーリ語の原義も学んでいるからね
原義を知らないまま和訳を読んで解釈した場合の落とし穴の一つらしい ちなみにパーリ語で指す愛は色恋とか性欲的な愛が近いらしい
キリスト教な愛は慈しみに近くて仏教で言う慈悲に近いらしい >>235
これか
愛についてのまとめ。
★自粛すべきとされる愛
キリスト教…奪う愛 / 条件付きの愛
仏教…渇愛(taṇhā)/ 愛執(upādāna)
☆推奨されている愛
キリスト教…与える愛 / 無条件の愛
仏教…慈愛(mettā) / 慈悲(karunā)
(※「慈(慈しみ)」=mettā /「悲(憐れみ)=karunā)としてもOK) >>236
スマホを充電したからIDが変わるかもしれないけど235です
そのまとめもそうだけど、3年以上前に見た解説から引っ張ってきた
余談だけど、苦と訳されるドゥッカにはふかくてい要素とか不完全性という意味もあるみたいよ
その不確定要素とか不完全性という意味もあるみたいよ 推敲中に書き込みボタンを押してしまった...
変な文になってしまってすみません >>239
なら麻原教祖もゆるすってことね
赦す許すでは、反社会的なものが野放しで殺人OKなのね
悔い改めがないと、犯罪者が増長する、刑務所は必要
道徳がないと平和な秩序は成り立たない
長部ソーダンタ経
「智慧は道徳で清らかになる 道徳は智慧で清らかになる。
道徳から智慧が現れる。智慧から道徳が現れる。
道徳と智慧はこの世でもっとも優れたものです。」 ダンマパダ110にもあった
「道徳を守らず、落ち着きなく百年生きるよりも
道徳を守り、落ち着いて一日生きる方が優れている。」 本当に引用合戦になるのな 真実が確かめられる方法が目の前に示されてるのに
時期が来て本当にやれば3年でわかるかもしれないのに それから悟りを得た後でも愛の表れがこの宇宙という人から この宇宙には生命は全く存在せず あるのは意識だけだという人まで様々
自分で確かめるしかないんですよ >>243
仏典で説かれいてる本筋の教えについては、すべて関連性がある
君は、その真実なるものに固執執着して自我を強化させてるのかい
>>244
はいはいウパニシャッド哲学化ですね、根源真実在、宇宙意識と一体
世界の仏教の学者は鈴木大拙を批判しているよね
その一体というのは、瞑想で意識誘導して解釈や推測しているだけ
色受想行識の範疇の接触を縁としていて、かれらが接触もなく感知できる
というこの道理は存在しないと、それは渇愛に囚われた者たちと仏典で
説かれているのね 1/23の小池一夫さん(漫画家)のツィートで、愛と執着の区別がつかないつかない人達のことが書かれていたな
愛は相手の自由を認められると書いていた
渇愛は求める、慈悲的な愛・慈愛は与えたり相手を尊重したり相手の幸せを願えるような感じだよね
愛という言葉が用いられた時に、その定義がタンハーに分類されるのか、
メッタとカルナーに分類されるのかは考えた方がいいように思った >>245は2号という暇人なので相手にしないように >>244
はいはい2号さんですね
って言いたいんでないの?
>>211
> 他人のもの奪ってもいいってのは自分のもの奪われてもいいし他人のものも奪われていいってことなんでしょ
> 全て一切は誰のものでもないしどうでもいい、ようするになんでもあり、それはそれで分別がないのかもしれない
> 人には欲や様々な思いがあってそれが自然みたいな
> 禅宗とかでこういうこと言う人多いと思う
↑んでこの人は2号の弟子かえ? 5ちゃんレベルで処女と童貞の喪失体験記みたいなのを語られて
瞑想やるとこうなるんですよ、それが真実なんですよなんて言われても正直困る
処女童貞ならましだけど、頭のおかしな人かもしれないしね 一日中不健全なことを考えておきながら、それから座って瞑想し、安らぎと幸福を期待しても、そんなことは不可能です。あなたは心の準備をしてこなかったわけですから。
ウ・ジョーティカ 1. 瞑想で苦の仕組みがわかる
2. 他者もまた自分同様に苦しんでいることがわかる
3. 他者にも自分にも慈悲の心が育つ
1→3この流れだと思う
3→1をやるのが慈悲の瞑想 修証義 総序
現代語訳
http://www.tgiw.info/weblog/2011/03/post_719.html
今の世の中で因果応報を考えず、あの世を信じず、善悪の分別もないよこしまな考えの者とは、生き方を共にすべきではありません。
因果応報は必ずあり、私情を挟む余地はありません。
我々は悪い行いをして自ら苦しむよりも、善き行いをして幸せになる道を選びましょう。
もし因果応報を信じなければ、お釈迦様が生まれ、仏教が日本まで伝わってきた意味もなくなってしまうのです。
因果応報には三つあり、この世での行いの結果は、この世ですぐ受けることも、あの世で受けることも、さらにその次の世で受けることもあります。
仏の生き方をしようと願うならば、この因果応報を自らに省みて実践するのでなければなりません。
そうしなければよこしまな考え方に陥ってしまいます。
そればかりでなく、安らぎを得られず悩み続けることにもなります。
私たちの人生はやり直しがきかないのですから、よこしまな考えをもって悩み続けることほど虚しいことはありません。
それに気づかずに、自分は悪いことをしていないと思い、苦しみもないだろうと思っても、悩みを離れることはできないのです。
修証義では一番最初から善悪をわきまえて振舞うこと、因果応報は必ずあること、悪いことをすると悩み続ける羽目になること、
なりよりも
「仏祖の道を修習するには、 其の最初よりこの三時の業報(ごっぽう)の理を効(なら)い験(あき)らむるなり、
爾(しか)あらざれば多く錯(あやま)りて邪見に堕つるなり。但(ただ)邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時(ちょうじ)の苦を受く」
と仏道を歩むのなら必ず因果応報を鑑みて悪道に落ちることがないように釘をさしている。
修証義は只管打坐の曹洞宗で読むお経だが、曹洞宗でも座禅の前にまず勧善懲悪なんだよな。 善因楽果悪因苦果といって、善い行いは楽として結実し、悪い行いは苦として結実すると言われてる
善も悪も無いと言いながら苦を滅するために瞑想するということ自体が矛盾してる
苦楽を等しく同じものと見る人にとっては善悪も無いだろうけれど ダンマパダでもこう説かれているんだよね
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。――車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につきしたがう。――影がそのからだから離れないように。 それではお尋ねします 善とは何でしょうか?
目の前で少年が車に轢かれそうになっていました
貴方は新婚でお腹に赤ちゃんがいる奥さんがいました
子供を助けてしまったせいで貴方は亡くなり奥さんは絶望のあまり心身に変調をきたして自殺してしまいました
少年はサイコパスで10年後 歴史に残る事件を起こします
どうするべきだったのでしょうか? 悪とは何でしょうか?
貴方には医者の友人がいました
医者が言うには散々人の死を見てきて無理な延命は命への冒涜だ自分は絶対に自然に死にたいと生前に遺言にまで記していました
ある日医者は事故に遭い脳死状態になりましたが家族が遺言の存在を隠して無理な延命を要求しています
貴方は友人の人工呼吸器のスイッチをこっそり切りますか? >>258
今あなたの目の前で三人の大人に酷い暴力を受けている幼子がいます
あなたはその子供を助けますか?
見てみぬふりをしますか? 罪を憎んで人を憎まないのが善、智慧
つまり行為の善悪は区別しても善悪の原因を個々に求めない
行為の善悪の区別を個々の行為者にまで重ねてしまうのが悪、無明
善悪を個人が行っているのか、個人が善悪を行わされているのかという自由意志の有無の問題
あるいは個人という確固たる実体が存在するのかただ全体があるのかという問題 個人という確固たる実体なんてない
そんなことは真剣に瞑想をしている人間なら問わない問い >>258
>>259
善悪入り混じった行為、善でも悪でも無い行為、善の行為、悪の行為と、唯識仏教なんかではその辺りも細かく分析してるよ
人間は常に行為をしなければならないし、善悪入り混じった行為があるのならば普通の行為のみによって完全に苦を避けることはできない
それゆえに根本的に苦を終わらせる方法を探しているんじゃないかね 善悪がどうのこうのとか、そんなの考えてる暇があるならアナパナのひとつでもやればいいのに
言語という制約がある以上、観念で捉えらる認識なんておそろしく狭い、それなのになにかを判断するときは観念に頼る
その癖から脱しない限り、永遠に観念の牢獄から見えている狭い世界しか見えないのだよ >>258
慈悲喜捨(に基づいた行為)の事だろ普通に考えて…
「子供を助けてしまったせいで云々…」
って表現からから勝手に解釈するとー
【原因】
1) 車に轢かれそうになってる(見知らぬ)少年に出くわしたので衝動的に助けた。
2) 状況的にその少年がサイコパスだと知る由もなかった。
⇓
【結果】
1)(少年に突き飛ばされたか車に撥ねられたか自ら突っ込んだのか判らんが兎に角)自分が逆に死んでしまいました。
2) 自分が死んだせいで、嫁までも正気を失い自殺しました。
3) 自分が助けたサイコ少年はその後すくすくと成長し、歴史的サイコ野郎として事件簿にその名を刻みました。
ーーっつうとこだな?
#どうでもいいけども少し上手い例題考えられんのか…
お前に問う。愛ってなんだ!?
お前は宇宙刑事ギャバンを見なかったのか!
一番は躊躇わないことではなかったのか?
二番は悔やまないことではなかったのか?
どうするべきだったのでしょうか、だと?
要するにこう言うことだ
「自己の思うようにせよ」
「決して躊躇うな」
それだけだ >>259
天使の顔して心で爪を研いでいるモノですね。
脳死(とおなじ)状態ならば
こっそり死なすもクソもなく
心肺停止から目出度く自然死
と相成りますーよって
状況設定に無理があるので
やりなおし >>264
増支部の中に、比丘らよと、釈迦仏陀は人の生き方の理想を
自利利他であると説かれています
そしてラーフラ教戒経で、釈迦仏陀は(対人の)行いについて、
相手のためになるか、皆(社会)の為になるか、
「チェックを入れなさい」と説かれています
また正見経に、智慧の完成者が十不善(十悪)と三不善根(三毒)
が説かれています 在家には五戒があります
一元に囚われ洗脳された信者は、上記を軽んじて八正道の実践を疎かにします
それらは凡夫の観念でない、智慧の解脱、智慧の完成者が説いた道徳なのです >>260
昔は助けようと思ったと思いますが
実際は言いたくないのですが助ける自身がなくなりました
ニュースで悲しい事故を見ても心が動かなくなった どちらかというと犯人の心情とか自分に照らし合わせてどの感情が行き過ぎるとそうなるんだろうかと思う方が多い
>>265
言いたいことは全く同じです 結論は好きにすれば良い 寧ろ〜に書いてあるから とか親にそう教えられたからというのは一番目覚めから遠いと思いますよ 言いたいことは完全なる善 完全なる悪なんていうものは存在しないということです
あるとすればそれは頭の中にだけある相対的なものです UFOや幽霊と同じ概念なんです
マインドフルネス板なので話を戻しますが、善悪、常識、倫理などは仮想の概念ですが
貴方を束縛する、苦しめる場合にはそれと対峙して自分を見つめる必要があります
深く入っていかないと束縛され苦しんでいることさえなかなか気づけないんです >>259
アホすぎる、そんなことしたら殺人罪だろ
延命するかしないか、医者に聞かれたらしないと答える選択肢はするよ。 >>258
そもそも自分も死ぬかもしれないのに、赤の他人である目の前の子供を助けるのは善じゃない。ただのお人好し。
目の前の子供が、自分の子供なら助けることは善だよ、それで自分が死んでも悔いはないだろうし。 >>273
面白いですね 普通はそうですよね
あなたの場合は生存 自身の価値観に有利になるかどうかを一つの判断基準にしているんですね
普遍的な基準だと思いますよ
人間以外の生物の世界では概ねそのようです
たまに溺れている人を助けようと川に飛び込む像もいるようですがw >>271
完全非二元に囚われ過ぎも、昨今のスピ系、ヒンドゥー化だよな
全人類、生きとし生けるものが幸せにあれと、
清らかな心で善い行為をして、みんなのことを心配して生きる
平和で差別なく、救われる弱者もいて、慈しみの意を起こす
そういう普遍的宗教(仏教)を無化して虚無主義になってどうする
内面は非二元でもいいが、連続殺人を野放しにし、悪はないと
犯罪やりたい放題あるがまま、自身も金品盗まれ子供を殺されてOKなんて、
人間でなく、無思考に囚われた石ころ化で智慧もないでしょ
非二元主義は、智慧によって有効な思考があることを知らないとね >>275
全面的にほぼ賛成ですが 智慧を発揮すべきところにズレがあるのでは? 事故 事件で不幸な目に遭うのは避けられず そういう時に正しく悲しみ 執着 憎しみを観て
今後同じ目にあっても同じような苦しみに巻き込まれないための仏教では? それから始めの仏教徒 少なくとも解脱まで達していた先生たちは他国から攻められることがあっても逃げるか素直に殺されていたのではと想像します
これは逸話だとは思うんですが 釈迦の故郷の国が他国に攻め入られた時 超能力で防げたにも関わらず 最後はそうせず国は滅ぼされてしまったそうです
仏典編纂者の意図は図りかねますが 難しくてわかりませんね〜 >>278
いえ、修証義、曹洞宗の勧善懲悪を書いたの貴方かな
で、何でマインドフルネススレに、宗教板の徘徊癖があるのですか >>279
ご紹介ありがとうございます スマナサーラ長老は解りやすくご自身の見解を教えてくれるので好きですよ
調和 >>280
>いえ、修証義、曹洞宗の勧善懲悪を書いたの貴方かな
それは俺ですが何か? >>279
ご紹介ありがとうございます スマナサーラ長老は解りやすくご自身の見解を教えてくれるので好きですよ
調和の考え方について私の見解と違うことがわかりました
私は殺人あり 人助けあり 差別があり それを正す者がいる 全ての行為が許されているこの世界こそが調和の取れた世界だと認識しています
お金持ちの寄付とホームレスの寄付 勇気と意志の話は良いですよね
それにエゴが色々な物を決めている かなりの部分で同じ見解です >>283
1号氏の宗門は、同じ曹洞宗で、
勧善懲悪もなく人格向上の教えでないと主張し、怒ることよし、
煩悩よし、上座部を徹底的に貶めすことを書いていたのでね >>284
殺人が許されるって、そうすると侵略戦争もいいよという主張ですか
貴方は頭の中だけで悲劇の実体験がなく、すべてはエゴでもよしと、
強盗殺人で親を失い泣いている子供、飢えて命を終える子供、強姦される女、
何も感じるものがないロボットなら、人格障害の特徴と同じになりますが
275に賛成しているってことは、すでに起きたことはあるがままだけど、
生きとし生けるものが幸せにあれなら、それらエゴから起因する問題と
分かっているなら、利他的に人を諭したり、慈しみの意でもって救わず、
自利専心の方ですか、刺激欲しさのネットなのかな、ま、いいですけど https://i.imgur.com/LgRX2Q1.jpg
あなた自身が幸せでいることが周りの人の幸せに繋がる
そのためにはあなたの望む幸せを得るためにチャレンジするのと併せて悪は成さないことだね
悪を成せば幸せは遠のく
当(まさ)に知るべし 今生の我身二つ無し、三つ無し、 徒(いたず)らに邪見に堕ちて虚しく悪業を感得(かんとく)せん、
惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。
(修証義 第一章 総序) >>290
そういう質問をしているあなたは自分自身まともな人だという自覚があるのでしょう
だからあなたがまともな人でいいのではないでしょうか >>290
まともな奴は〜俺しかいねぇーぜ〜
Oh yeah〜♪
って歌ってた人も死んだ >>286
全てのことが許される というのは神や誰かの超能力によってある日突然 人を刺す瞬間に見えない壁で阻まれる というようなことがない世界だということです
実際貴方は 相手を愛して正しい見解に諭すように導くこともできれば
そういう考えもあるのだな とただ認めることもできる
こいつは話にならない 相手にしないでおこう という自由があるでしょう
しかもその時の気分 考え方の変化でいつでも変更することができる
素晴らしいと思いませんか? >>292
そうでもないですよ、変わってるのは俺の他にはごく少数だと思います。
曹洞宗でもほとんどの人はあなたのようにまともな人ですよ。 変わってる、変わってない
まとも、まともじゃない
みたいな二元論的な思考しかできない人間はマインドフルネスに不向きだからこのスレ来なくていいよ 自分がまともかまともじゃないかはわからんけど、この質問にここの人たちはどう反応するのかが知りたかったのです >>298
基本的にはまともだと認めるのは己ではなく他人だよ。
だからその質問自体ナンセンスだと思います。
もっとも、私は自分のことをまともな人だとは到底思ってないですがw マインドフルネスの板なのでそれを意識して書いているので結構大変ですが
全ての人は思考 行動の自由があるんです しかも際限なく
自分を観る時 男だから 長男だから 社会人だから 日本人だから 人間だから
常識だから 教祖の教えだから 有名な本に書いてあるから 生命は尊いから
それらを外して本当の自分を瞬間でも良いので観る必要があります
ということを言いたかったんですが ついつい脱線しちゃいますね〜 細かいこというと「板」じゃなくて「スレッド」、もしくは略して「スレ」ね
5ちゃんねるで「板」っていうと「心と宗教板」とか「メンタルヘルス板」とかの括りのこと
まぁ、そもそも自分は板違いのことを専門にしてる(ex.哲学板)っていうなら、分からないではない >>302
ご指摘ありがとうw なんか恥ずかしいw >>303
その独特の文章スタイルは恥ずかしくないんですか?
あなたとわかるからコテをつけているのと変わりませんよ >>301
貴方も その本当の自分を瞬間でも良いので観るって、
疑いなく本や誰からか教わったわけでしょ、その元の教祖は
それだけでなく、そこから体得できるものがあると教えてるわけで
・あるがまま受容、一元論→ヒンドゥー、一神教、曹洞宗、
・四諦、智慧(慈悲、道徳)→プロト仏教の仏陀
貴方は前者の影響だから、殺人よし、戦争(聖戦)よし、煩悩よし、
って答えになっていて、智慧の体得の方向ではないわけよ >>301
ああ、なるほど、貴方はインド仏教と異なる中国産の仏性内在思想の
影響ですね、
中国思想家のミスリードが天台通して日本仏教に浸透してますね
仏性内在実体視思想の発案は、中国の嘉祥大師、無情仏性が優れてると
ですので日本仏教学会の学者先生も禅宗曹洞宗は、釈迦仏教とは異なると
学術論文発表しているわけですよ
中国産タオと融合した一元論宗教は、結局ヒンドゥーと同じになりました >>306 307
わかりました反省します 私に悟りの道をご指導下さい これまではサマタ6年 身体のエネルギー操作 ヨーガ的な修行3年 ヴィパサナ3年といったところです 不二一元の体験は3回
見性はしていると2人の先生から言われました
ヴィパサナを猛烈にしていたんですがある時から急激に観る意欲が無くなってしまったんです
どうしたら良いのでしょうか? 補足説明としてご存命の1人の先生からは
1っ回目は誰でもそれを体験する可能性はある
2回目は普通は悟った時だ
なんでお前は3回目があるんだ ワシはもう面倒見きれん と呆れられて相手にしてくれません >>308
306、307じゃないですが
不二一元の体験って具体的にどういう体験ですか?
見性、一瞥みたいなのは真面目にやってる人ならわりとしてると思いますよ
観る意欲というかある程度進むと観ている感じがなくなっていくのは指導本によく書かれてますね >>308
集中三昧メインではなく、観行、慧の修習が必須って仏典にある
通りです、純観行者で解脱できるわけですから
猛烈に?猛烈にすることでもないです
意欲?観行する意義が分からず、知的準備が不足してるからでは
起きてる間じゅう、サティは入れられるし、非同一化の徹底は、
次第に身に付くものですし、その系統の師に教わったらどうですか
東南アジアまで行く人もいるそうですが
で、私在家ですし、以前より生きやすくなり、人間関係もよくなり、
それなりの恩恵を感じて十分ですし、この現代人の環境でそれ以上は
5ちゃんを見るのは、そういう宗教を貶めたり、明らかに誤解している人
に説明しているだけです >>308
不二一元の体験というのが言葉としておかしい
梵我一如の体験なら正しい言葉遣いではあるが
不二一元とは何なのか確認すべし
というか普通は不二一元論としてシャンカラが確立した学説として使われる用語あり不二一元のみで使用、
しかもその体験でとなるのは本来の意味を逸脱している 色んな経験をしてる人が多そうなんで聞きたいんだけど
瞑想中に自分の身体感覚やこの世界が完全に消え去る事に恐怖を感じないの?
一時期、目を開いていても常にそういう状態が続いて、ほとんど発狂しかけたことがある
この世界と自分の身体に対する執着が恐怖を生み出しているのは良く理解してる
この壁を越えられるのは、完全に執着を捨て去った超人だけのように感じられるんだけど >>315
感じたときもあるし感じなかったときもあるよ
恐怖を感じる主体の自分まで丸ごとポンと消えたときは平気
そこまで主体が消えず恐怖を感じる自我が残ってしまってるときは死の恐怖、無の恐怖
でも何度か繰り返すと慣れで平気になってくるよ
怖がるのは自分で作ってる自我で、それは自分ではない(実体はない)ってのが腑に落ちて来るし
だんだん瞑想時に限らず平常時でも自分という意味が消えていくから
それが怖くて探求をやめた知り合いもいるし、通常の自我を持ってる人間は誰でもかなり怖いと思う
自分はどっちみち死ぬときは自分を手放さないといけないわけだから早くわかった方がいいと思って続けたけど
主体への執着が無くても、現世での自分が嫌いだったり否定的な人なんかは意外と平気みたいね
嫌だった自分も世界も消えてバンザイみたいな
それはそれでまた別の執着を消していかないといけないんだろうけど >>313
一日中出来うる限りどの瞬間も!という感じでやっていたのですが 体の動作や指の動きが非常に細かく個々に動いている
音楽を聴いても連続しておらず途切れて聞こえるところまでいったあたりで 何かを認識した瞬間に意識(自分そのもの?)が生まれることがわかりました
それ以後 全然観ることができなくなったんです.... >>315
たぶんそれを越えた先に何が起こるか知らないことから来る恐怖じゃないかな。
自分はそういう、「自分が無くなるような恐怖」をある段階で経験すると本を読んで知っていたから、ああこれか、なるほどねーと割とあっさり乗り越えた。
ウ・ジョーティカ師の本には割と最初の方に書かれていた気がするから、それを越えても(清浄道論的には)まだまだ大した境地じゃないと思う。
自分もまだ執着する時あるしね。
ともあれ、大事なことは観察者の視点を失わないようにその恐怖を一歩引いた地点から興味深く観ることかな。
まあ、本当はそういうのはプラユキ師やスマナサーラ師などの瞑想指導者に相談するのがベストなんだけどね。 初心者の質問で申し訳ないのですが、名色分離についてですが、
瞑想している時に、過去の映像(記憶)や自発的な思考は”色”なのでしょうか?
それから生じてくる懐かしい想いや嫌な感情は”名”なのでしょうか?
それを分離することが大切と理解してよろしいのでしょうか? >>315
316の方が仰ってるようにもともと解脱志向 宇宙に意味はないというタイプの人は少しの恐怖で済むみたいですよ あとは
私の場合は思考 意識ではそれほど恐怖を感じている実感はなかったのですが体のジタバタが結構ありましたね
マインドフルネスは良いと思いますよ 上で紹介されたようにパーでいくのかグーまで踏み込むのかの問題はあると思いますが 徐々に緩やかにという感じです >過去の映像(記憶)や自発的な思考は”色”なのでしょうか?
>それから生じてくる懐かしい想いや嫌な感情は”名”なのでしょうか?
それらはどちらも、「想」では無いかと思います。 例として入る息に「入る」と気づく、その気づきをよくよく観てみると
実際の動き 名前付け
入る 「入る」
一つのセットと観ることができませんか?と言う事です。
実際の動きとは「捕まえられるもの」(身体の動き)であり、
名前を付けるものは「捕まえるもの」(観ているもの、認識するもの、心がおかれているもの)になります。
身体の動きが色(マーナ)であり、捕まえている心の働きが名(ナーマ)と呼ばれる事になります。
入る息を気づいている一つの行為と思っていたものが
実は二つに分離され認識できるの事に気がつくことが、智慧が得られたとして
そのことを名色分離智と言う意味であると、自分は思っております。 とても、わかりやすい説明ありがとうございます。
そうすると過去の映像が出てくる場合は、
実際に自然に出てくることは、色と似ており、思い出すという心の動きが名で、
それから二次的に出てくる感情なるものは色と同じで、その心の動きが名でしょうか? それとも、五蘊=色受想行識のうち、色以外の受想行識が全て名にあたるのでしょうか? インテリ気取りの馬鹿「神なんか信じてないよ」 最前線の科学者「突き詰めて考えると神の存在を信じざるを得ない」
http://world-fusigi.net/archives/9054136.html >>326
科学者は立証主義なのにバカなのか?
都合のいいゴミみたいな記事ばっか拾ってきてんじゃねーよカスw 国連がある面白い統計を発表しました。
現在から過去に遡って300年の間、世界における素晴らしい科学者300人を対象に、神を信じる人が何人いるのかについて調査しました。
すると、8〜9割の科学者たちが神を信じていることが分かりました。
300人の内、神を信じないと示した人は僅か20人でした。
一方、神を信じると明確に示した人は242人で、世界的に著名なニュートン、エジソン、X線を発見したヴィルヘルム・レントゲン、
電池を発明したアレッサンドロ・ボルタ、アンドレ・マリ・アンペール(電流のSI単位のアンペアはアンペールの名にちなんでいる)、ゲオルク・オーム(電圧と電流と電気抵抗の基本的な関係を定義付けた)、
キュリー夫人、アインシュタイン等々がその中に名を連ねています。
また、20世紀におけるイギリス、アメリカ、フランスの科学者の中で9割以上が神を信じることも明らかになっています。
ここで、6人の現代の著名な科学者をご紹介しましょう。
http://www.epochtimes.jp/2016/10/26258.html インドの宗教では神とは真理であり宇宙だよ
キリスト教のヤーヴェ、イスラム教のアラーも結局はそうだ
仏教だと分かりやすいのが密教の大日如来だが、念仏宗は阿弥陀如来がそうであり全ては阿弥陀如来に帰するようだ
不二であれ空であれそこからの帰結となる慈悲であれそこには宇宙の真理が背面にある
みな宇宙のエネルギーの営みであり、また同じ宇宙エネルギーを共有する、元をただせば一つに帰一する平等なものである
このスレでは日常的に宇宙の意味だとか真理だとかの言葉か出るのにそれらを象徴化した神の話は脈絡がないというのは結局は何も知らないからである
仏教はラージャヨーガだが神への献身を説くバクティヨーガも同じく悟りへの道である
ここでこのスレはマインドフルネスのスレだから悟りは関係ないとかいうものがいたら今更このスレでそれを言うなと返せるだろう
釈迦はアートマンについては無記だがブラフマン(宇宙の真理を神としたもの)については肯定的であった
もっとも後にブラフマンは梵天として人格神として仏教に取り込まれるのであるが >>330
神とマインドフルネスというテーマで遊んでみます?
少し前のスピリチュアルブームなんかを考えると人によっては暫定的にでも決着をつけた方が良いテーマではある いやいやそれ始めるときりなくなるけどいいわけ?
>>330
> みな宇宙のエネルギーの営みであり、また同じ宇宙エネルギーを共有する、元をただせば一つに帰一する平等なものである
>
> このスレでは日常的に宇宙の意味だとか真理だとかの言葉か出るのにそれらを象徴化した神の話は脈絡がないというのは結局は何も知らないからである
無理矢理こじつけんなよ…
>>326
> インテリ気取りの馬鹿「神なんか信じてないよ」 最前線の科学者「突き詰めて考えると神の存在を信じざるを得ない」
> http://world-fusigi.net/archives/9054136.html
唐突にこのゴミ記事貼ったのお前だろ
わかったわかった
>>320
> 316の方が仰ってるようにもともと解脱志向 宇宙に意味はないというタイプの人は(ry
に触発されたのな。
話全然つながってねーよコミュ障が >>333
そういう汚い言葉で恫喝しかできない人の方が余程コミュ障だな
もっともリアルでのあなたがそういう恫喝できる人だとも思わないけど >>335
そうか、あなたはリアルでも恫喝などする残念な人なわけだ リアルコミュ障にたいしてコミュ症と言うことはない。
言うて、アスペ(自我に固執して妄想に囚われてるタイプのASD)、池沼(池沼以外の意味はない)、キチガイ(←芸術的センスが病んでる場合)くらいだな。
まあ本人に言うことはあまりないが。
(全くない訳でもないので誤解せぬよう)
出来るのは、
チンピラとかチンピラのような言動の者あと
自我で身を守ってきたACとか >>336
> リアルで恫喝する人は残念な人
ーてのがお前の固定観念としてしてあるわけだ
>334
> >>333
> そういう汚い言葉で恫喝しかできない人の方が余程コミュ障だな
恫喝がどうかはともかく、コミュ障はコミュニケーション障害だろが。
(その一部に恫喝しか出来ないのもあるかもしれんがそればどうでもいい)
> もっともリアルでのあなたがそういう恫喝できる人だとも思わないけど
それもお前ができないからそう思うんと違う?
つまり自分で作っ観念(妄想)ということになるよね。
でなければ只の煽りですむけど。 >>337
> 残念な人は自分で残念な人と理解することが出来ない
お前の脳内言語など理解出来るわけなかろう
理解出来るできないの前に正しい日本語を話してくれ また人のことをチンピラ呼ばわりするカスが湧いてるのかw
お前がこのスレ一のチンピラなのにw 会話に混ざれなくて寂しかったから今はイキイキしてるっぽい 人のことを?
チンピラはチンピラ、ヤクザはヤクザ、
テキヤはテキヤ、右翼は右翼
ただそれだけのことだぞ?
お前はなんと呼ぶんだ? ああチンピラのような言動の奴
て少しぼやかして書いたからそれのことか。
リアルな話で
自治体の嘱託自転車整理員とかだよ
たとえばな 朝からID真っ赤にして喚いてるアホよりも
朝から自転車を整理してくれてる人のほうがえらいとおもうけどなぁ >>338
文章が支離滅裂で何を書いているのか分からないw よほど人生がつらいんだろうね、同情するよ
怒りや敵意は、不安や恐れ、周りに受け入れてもらえない孤独感などの裏返しだからね
心が本当に満たされていると誰に対しても怒りや敵意は生じ得ないのは誰でも経験的に分かるよね
たぶん、こういう人に自我で反応せずに慈悲の心を向けるのがマインドフルの実践だと思うよ 神は存在するよ
我々の知識や力が限定されているということ自体が、無限なる知識と無限なる力を持つ無限者が存在していることを示唆してる
限定が存在しなければ無限は存在せず、無限が存在しなければ限定は存在しない
こういうのはツマラナイ観念論のように感じるだろうけれど自分達の見る世界そのものが無限者の観念なんだ
人間は観念を観念そのものとして、意味を意味そのものとして理解できないから代数のように記号や音で意味を伝え合い、それを通して世界を理解して自分達の世界を構築する、それが知性そのものの限界だから
意識が知性の上に昇る時、はじめて世界を世界として見る、そして対立する二極には因果関係は無いことを見る
答えは質問のためにあり、質問は答えのためにある、それは同時に存在する、そこに因果関係は無い
一つの観念が顕現する時、対立するもう一つの観念も同時に現れ出る
だから無限なる存在が顕現する時、我々も顕現する
未顕現である時、神も我々も無い、それはアートマンとか空とか呼ばれるのだろう
そして神は未顕現であり同時に顕現しているのだろうと自分は思ってる
いずれもそれは神だと思う まあ龍樹は神とかアートマンとかには触れてないけど
>>350さんは理論展開の仕方が龍樹と似ている ラーマクリシュナ によると、ブラフマンは無相無形であるが、人間の信仰の仕方によって有形の人格神となって現れるという。
それで諸宗教も、色々な形式を取ることになるんだね
@宗教多元主義
「真理の全貌は人間の知覚力では把握不可能なので、
その表現である諸宗教は、時代や文化の文脈上、違った形を取らざるを得ない。したがって、あらゆる宗教は全て正しく、また誤謬も孕んでいる」
A宗教包括主義
「他宗教の真理は認めるが、あくまで自宗教の枠組みの中で解釈。自宗教の優位性が前提」
B宗教的排他主義
「他宗教はたわごと。迷信。うちの宗教だけが正しい」
同じテーラワーダでも、アーチャンチャーは@だと思うし、ゴエンカ師の他宗教への言及はAに近かった。
キリスト教の中でも「神は一人格ではないが、人格以下でもない」と言う人がいるとか(ティクナット ハン 生けるブッダ、生きるキリスト)
俺もしっくりくるのは@かな。 なぜ「宗教性」が大事なのか。いま改めて、マインドフルネスのオリジンを理解しよう
https://www.lifehacker.jp/2018/01/book_to_read_mindfulness.html
リンク先に書いてあるイエズス会の神父さんの体験と同じようなことを書いている人がこのスレの中にいるね
>「観察している私」が抜け落ち、最終的にそこには「感覚」と「気づき」だけがあるという世界が開けてきます。
という神父さんの体験ね
>>353
自分も@だな 神や普遍的法則と人間が対峙した時の問題点はやっぱり思い込みで観ることだと思うな
求めて求めて.....×1億回以上思索を続けた末に本当に残るのは何なのか
もう一つはしのごの言わずに一体になる方向性 帰依の道 こちらはお馴染みだよね
どちらも危険性があり間違ってないから困るw もちろん神を前提としない方向も言わずもがな 上で因果関係と相依関係の話が出てくるけどうまく使えば自分の思い込み 疑わなかった常識を破壊できるよね
少し前の善悪の問題も相依関係の概念だとわかる 完全善の惑星は善だけしかないので善悪の概念が多分無い
悪代官の出てこない水戸黄門をきっと見てるし視聴率0%だと思うw
知的生物なら完全静止(死) 細菌なら種の存続活動が残るだろうな >>341
> また人のことをチンピラ呼ばわりするカスが湧いてるのかw
ん?以前俺にチンピラ呼ばわりされた人かな
残念ながらうえの人は別人だよw >>347
たしかにw
おざなりにレスしてたんでスマソ
>>334
>>>333
>もっともリアルでのあなたがそういう恫喝できる人だとも思わないけど
>>>335
>そうか、あなたはリアルでも恫喝などする残念な人なわけだ
の流れで
>>338
>リアルでコミュ障にたいしてコミュ症と言うことはないよ。
>
>出来るのは〜
って書いてしまったが、変な表現だわな。
こんなふうに書いたら分かるだろうか
リアルで"恫喝"するケースは例えばー
・チンピラに対して
・チンピラくずれの輩に対して
・アダルトチルドレンのペルソナに対して
(タイプがあるがここでは省く)
(憶測だけど)リアルで使う"汚い言葉"は例えばー
・アスペ(自我に固執して妄想に囚われてるタイプの…って判り難いか、つまりASDで我執の強い方)
・キチガイ芸術家←ようするに統失
・ボダ
あとこれは訂正だけど
よく考えたら知的障害者に対して池沼と言う機会はリアル/ネット関係なく無いな。
ガチ池沼なら我が薄いからいう必要ないし、
軽度ならメンタル面に問題あったりするから言わないわやはり
他にも"汚い"言葉有るかも知らん
クソどうでもいい話失礼 >>356
維摩経の不二法門品で取り上げられてた問題だね
http://bunchin.com/choyaku/yuima/yuima037.html
上サイトの菩薩8が善悪は不二であることを説いている
菩薩1が不生不滅
菩薩4が不垢不浄
菩薩5が無分別を更に具体的に
菩薩7が五蘊皆空
菩薩10が煩悩即菩提(迷悟一如)
菩薩12が生死即涅槃(生死とは輪廻のこと)
と仏教用語を当てはめることができそう
上のサイトは超訳だけど漢文からの忠実な訳は↓
http://www.geocities.jp/tubamedou/Yuima/Yuima02c.htm#%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E6%B3%95%E9%96%80%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8B
一応菩薩の名前も書いてある
聞いたことない菩薩ばかりだけどw >>359
ご紹介ありがとう 超訳ワロタw 大昔に読んだ時のスラットした物静かなエリートのイメージ返してw >>354
リンク先読んだけど、ビジネスや軍事の世界ではマインドフルネスを、意図して人をサイコパスにする手段にしてるみたいよ
マインドフルネスやると不安や恐れが無くなる(厳密に言うと無くなるというより、とらわれなくなる)から、その意識状態を利己的な方向に向ければある意味無敵になる
感覚と気づきだけがある状態ってある意味取り扱い注意なんだよね
全ての観念が機能停止するから、善も悪も無くなるんだよ
まあ、もともと戒定慧の三学がセットになってる体系的なシステムから、定だけを抜き出しちゃうとそうなるわな ティクナットハンみたいな人間になりたいと思うけど、どうすりゃあんな感じになれるのか、本を読んでもよく分からない。
自分は自分にしかなれないというのがマインドフルネスの答えなのか。 欲って仏教で言うところの鬼、キリスト教でいうところの悪魔なのかな
快楽を満たすためにあるので >>363
どういうところに惹かれますか?なれるどころか超えるかもしれませんよ?
なろうともがいている間にそれより魅力的な何かに気づくかもしれません >>364
私なんかは欲と言われれば欲求 欲望をイメージしますが そういう意味なら原動力 パワーの源の象徴に感じますね https://youtu.be/AdaAvc44-3A
動画の僧侶はボン教の僧侶だけど詳しくはないのでチベット仏教との違いがイマイチ分からない
ただ動画の1.30〜から仏陀の教えを要約して解説してくれてて
煩悩の対処法を顕教、密教、ゾクチェンの三つの方法で教えているよ 「理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聴くとはなしに聴く。感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せず動く。香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いてる。」
レオナルド・ダ・ヴィンチ >>354
https://i.imgur.com/T6NZ6Bq.jpg
https://i.imgur.com/4kSs8V2.jpg
禅僧などがヴィパッサナー瞑想の合宿に参加しても主体(我)が客体(呼吸等)を観察するのでは、無常・苦・無我の観察にはならないのが腑に落ちず、座禅で主体も客体もない真の無我に到達する方向性を目指すようになるということかな!?
筆者は、それはヴィパッサナーの習得が足りないことで起きる想念であって、ヴィパッサナーを何十年と続けることでやっとその真髄にたどり着ける、と。
そういう一人の神父の体験は
https://i.imgur.com/mFS1tUY.jpg
https://i.imgur.com/3k85Z7N.jpg
だが、この根源意識ー真の自己と神父が名づけているのもが純粋観察主体のプルシャなのだろうか?
しかし、プルシャにせよアートマンにせよ捉えることができないものとされてるから神父の意識に上がったところでそれはプルシャには違いがプルシャそのものではないのかな?
https://i.imgur.com/wMub1nh.jpg
布藻k樓経(ポッタパーダ・スッタ)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%80%E7%B5%8C 仏教徒の「さとり」は、慧解脱でなければならない。
智慧の開発=因果法則の発見には、禅定が不可欠というわけではない。
ブッダとの対話によって法眼が生じた(預流果になった)という場合に起きているのは、禅定を伴わない慧解脱である。
https://note.mu/naagita/n/nff92e256ec87
「慧解脱には観行必須と経典に書かれてあり」とよくレスしている2号という者がこの板にいるが出鱈目なので相手にしないように>ALL 本当に用語が難しいわ 何とか現代語で小学生にもわかるように説明できないもんかね
お釈迦様現役時代には村一つ丸ごと悟らせたなんて話もあるけど
お釈迦様は相手の最も強い執着を見抜いて巧みにたとえ話で気づかせる天才だったのかね
その頃は十二縁起ではなくてただの縁起だったろうし相手の知性もバラバラだったろうし
まあビビるぐらい眼力とオーラはあったかもしれないがw >>372
釈迦が入滅した時で500人の阿羅漢がいたというから預流果に達した人は何千人といたんでしょうね >>373
まあ仏典なのでどこまで本当かという問題はあるもののたくさんいたであろうとは想像しますよね
教えなんてほとんどドグマ化されてなかっただろう修行なんて絶対単純な方法だったはず
だってスリハンドク師なんてマントラ+ヴィパサナでっせ 誰でもできるっつーの
時代が違う?人間の心身なんて一緒だっつーの 相当他宗派何かを意識して教義を立派に見えるようにバカな弟子が頑張ったんだろうね 500人の阿羅漢は大袈裟だなあといつも思ってたけど、
テレビやネットどころか電気もない時代だし、長生きもできなければいつどこで死んでもおかしくない頃だから
みんな元々執着も少ない上に真剣に悟ろうとしてたかもしれない 悟りって
もう二度とこの世界に生まれてこない、ってこと? 阿羅漢の段階まで悟ると輪廻から解脱だからそうなんだろうね
もっと手前の預流果という段階から一応悟ったと言っていいみたいなことも聞くけど >>376
釈迦については如来の滅後については無記 全く世界と関わりがなくなるという意味じゃないだろうけどね
生まれる現象=輪廻の枷に囚われている状態として、そこ
からの解脱だから生命現象とは別の関わり方をする可能性
はあると思う 村ひとつ丸ごとっていうのは全員出家させたのかな
それとも在家のままなんだろか
よくわかんないけど、出家と在家じゃ悟りのレベルというか質というかは変わってくるよね ヴァッチャよ、色(物質)として如来を認知する者は、如来にはその色は捨て去られており、根を断たれたターラ樹の幹のように消滅し、未来に再び生じないものであることを認知するであろう。
ヴァッチャよ、如来は色という呼び名から解き放たれており、大海のように深く、無量であり、底が知られない。
それゆえ再生するというのは適切でなく、再生しないというのは適切でなく、再生しつつ、しかも再生しないというのは適切でなく、再生するのでもなく、再生しないのでもないというのは適切ではない。
(以下、色に変わって受想行識でそれぞれ同じようにヴァッチャに説明する。
要するに如来は五蘊からは既に解き放たれているので、死後再び五蘊を有する者として再生するわけではなく、再生しないわけでもなく、再生しつつ再生しない〜のは適切ではない、というわけである) >>381
引用ありがとう
これなんて纏めると
お前 聴いても意味わからんだろ? 何でかわかる?
お前がこの段階にきてないからだよ
素直に教えることもできるよ
でもお前は自分勝手に頭で理解した途端 自分を見つめずに真似を始めるだろう?
だから気にせず今の自分に取り組みなさい
と意訳してしまうわ 如来は死後は塩人形が大海に溶け込むが如く宇宙に溶け込み我と梵が一つになるんだよ うちらにも如来の成分が入っとるならもうちょいマシな人間になれそうなもんやが >>384
「ヴァッチャよ、あなたは分からなくなるに違いない。迷うに違いない。
ヴァッチャよ、この教えは意味が深く、洞察しがたく、さとりがたく、寂静で優れており、思慮を超え、微妙であり、賢明な人によって知られるものである。
異った見解を持ち、異った信を持ち、異った喜びを持ち、異った修行をし、異った行いをするあなたには知りがたいのである」
https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/62268074.html?__ysp=44O044Kh44OD44OB44Oj54Gr57WM
いつものパターンで最後にはこのヴァッチャもブッダに帰依するんだけどね マインドフルネスの話に強引に戻すチャレンジをしてみると
迷い苦しみの軽減であれ能力を発揮するタメであれ
本質的な変化を求めるなら大いに役立つ可能性があると言える
ただ前提として「まだ生きて何かをしたい」場合にはと言えるだろう >>391
同じことばっかり書いてるな
ひまなの? 同じことばっかり書いてることがわかるなら自分も暇だよね
悪口とか否定はたいてい自分のコンプレックスだね
勉強になります >>391
日本じゃブームらしいブームもなかったけどな
アメリカに比べ、低脳ジャップは基本的に根性論だけで生きてる土人だからマインドフルネスの本質など理解できんのだよ >同じことばっかり書いてることがわかるなら自分も暇だよね
>悪口とか否定はたいてい自分のコンプレックスだね
自分で適当なデッチ上げを連ねておいて
結論が
>勉強になります
だとさ。スーパーオナニー小僧だな >>398
スーパーオナニー小僧ってwww
小学生の喧嘩かよ >>371
浅く薄い触り程度の内容ページ引用してきても、誤解を与えるだけです
中部10経、長部22経で観行中心の実践で解脱できると説かれています
また中部70経の止の系譜、観の系譜の説明のところで、観の系譜(慧解脱)
必須と説かれています 純観行者の解脱者もいました
>>ALLって何、それなら上座部仏教の観行実践の全否定になるでしょ
ええと、まずジャックコンフィールドさんという方が、上座部で瞑想体験修行し
帰国後、アメリカでインサイトメディテーションの創始者となりました
これはアメリカ向けのヴィパッサナ瞑想センターです
その後、最初に禅の影響を受けたジョンカバットジンさんが、
そのインサイトメディテーションで実践経験をして影響を受け、
マインドフルネス瞑想療法を提唱しました
日本のマインドフルネス療法の第一人者、早大教授 熊野先生は、
※集中でなく観察が重要と説明されてて、テレビ番組の後でも、
集中瞑想と誤解された側面があると述べています >>401に追加
リンク先より
一説では、
随信行者→信解脱→身証者 →倶分解脱者
随法行者→見到者→慧解脱者 →倶分解脱者
の二種類の道があるように言われていますが、信根が優勢な随信行者が「必ず慧力より先に定力が鍛えられる」とは限りませんし、慧根が優勢な随法行者が「必ず定力より先に慧解脱する」とも限りません。
別の箇所でも「一概に信解脱・見到・身証の誰が優れているとは言えない」とゴータマは言い、「三者のうちいずれも一来になる者もあれば、不還になる者もあれば、阿羅漢になる者もいる」と説いて、
解脱スピードが簡単に区別できないことが説かれています。従って、
一 随信行者・随法行者
二 信解脱者・見到者・身証者
三 慧解脱者・倶分解脱者
の三グルーブ分けである先の四向四果の分類法のみで満足すべきだと思います。信と慧、定と慧は対立するものではなく、相補的なものだからです。 よっしゃ!心の安定を目指す者も悟りを目指す者も解脱を目指す者も 自分で確かめつつお互いのためになるように成果報告 相談しようぜ!
まず俺ね もう特定のものに故意に意識を向けることがかなり困難 勝手に見るし勝手に聞こえる その様子をぼーっと観ているだけしかできなくなったわ! あ それから以前はもしこの瞬間死んだら とか消滅したらなんて考えた時
まだ何かあった 胸につかえるもの 重い感覚が
それが消えつつあるのがわかる いや まだ残っているけどね
そしてもう二度と元に戻らないという確かな予感がある
母よ すまん こんなことになってしまった って感じ >>405
最初は生命の意味 普遍の法則を知りたかったな その後 言語があるから問いがあることにきづいた この時点で空想の中で空想の答えをさがしてると知的に理解したね
確かなものはないのか? 自分とは何なのか 瞑想から現時点で得られたものは....
長くなるからやめとくけど 自分が考えていたような自分は居なかったってことだよ >>401
>>402
中部70経キーター山教説、抜粋
勤める必要のない人 … 1.両方によって解脱した者(倶分解脱)
2.智慧によって解脱した者(慧解脱)
勤める必要のない人とは、目的を遂げた解脱者
「比丘たちよ、智慧によって解脱した者(慧解脱)とは誰か?
→智慧によって観て(観の系譜)、煩悩の漏出は消滅し尽くしている。」
観行による智慧の解脱者を、純観行、乾観者と呼ばれていた
仏教の四念処って何か説明できないのは、ヒンドゥー化した中国産禅宗さんかな
身念処(身念住)− 身体の不浄を※観ずる(不浄観)
受念処(受念住)− 一切の受は苦であると※観ずる(一切皆苦)
心念処(心念住)− 心の無常を※観ずる(諸行無常)
法念処(法念住)− 法の無我(いかなる事象も自分に非ず)を観ずる(諸法無我)
ダンマパダ、テーラガーターにも、〜〜と、※智慧によって観るとき、
と観察が説かれている
Dhp.279「諸々の法(事象)は、全てが自己ならざるものであると、※智慧に
よって観るとき、苦しみについて厭離する。−−これは、清浄への道である。」
165-15.アーナンダよ、身に対して、身を※観察するものとして住し(身念処)
165-16.アーナンダよ、諸々の受に対して、受を※観察するものとして住し(受念処)
165-17.アーナンダよ、心に対して、心を※観察するものとして住し(心念処)
165-18.アーナンダよ、諸法に対して、法を※観察するものとして住し(法念処)
中部10経、長部22経で観行中心実践で解脱と説かれているのに、
スルーするのは、なぜかな、渇愛によって梵我一如に囚われた集中三昧狂信者かな >>408
>中部10経、長部22経で観行中心実践で解脱と説かれているのに、
だれもそれは否定してないw
観行必須と説かれている箇所を2号が持っている訳本から忠実に引用すること
その訳本は誰の訳なのかも記述すれば信憑性は更に増すだろう
よろしく
四念処は智慧がまだ鈍い者は四念処を実践するがよいとは説いたが解脱には四念処必須ともまた説いてないと思ったな 悟るときには観えるし、観えたときに悟るわけでそれらは同時だから必須とも言えるだろうけど、
観ることを行として意識的に行うかどうかはまた別だろうね
観ようとしてなくても何かのきっかけで悟って観えてるかもしれないし観えてしまって悟るかもしれないし 本の受け売りなんだろうか
むずかしい言葉を使う人多くて読みにくいです >>409
つまり、勤める必要のない人(解脱)は、
1.両方によって解脱した者(倶分解脱)、2.智慧によって解脱した者(慧解脱)
1の倶分解脱は、心解脱と慧解脱の両方、2の慧解脱は、慧解脱のみ
ということは、解脱には慧解脱が必須ということになるでしょ
心解脱とは、集中三昧のみで禅定の最高段階で、
心解脱について、中部26、36だっけかな
「これは解脱に至る道でない、一時的に梵天界に往生するだけ」
「無相心三昧という深い禅定も、作為され、意図してもたらされたもの
である以上、一時的あり壊滅は避けられない」
つまりその三昧から日常に戻れば、煩悩凡夫なわけです
ですから、非二元一元論に固執して、善悪も無いと煩悩全開で毎年禅宗の僧侶が、
反社会的な犯罪者を生み出し逮捕されているという統計データがあるのです。
それは、慧の修習がなく日常でサティを入れてないからです。
では釈迦仏教が何を目指していたかは、四諦による苦の滅、理法に沿う真の
自己の探求による倫理的行為主体、それは無我非我に沿った慧の修習による
智慧の開発 智慧から慈悲、道徳が顕れると説かれている通りです
非二元による根源真基体、宇宙意識、そういうものが有ると幻視幻覚から
解釈推測するのは自由でも、智慧の開発にならなければ、固執した哲学を抱えている
に過ぎず、それならヘーゲル哲学と同じで、世界の学者は鈴木大拙をインド仏教と
異なる大拙乗と批判しているわけです >>412
だから観行必須という言葉が何処に出てきてるのよ?
そもそも2号が言う観行って何を指すのかそれからだな >>403
5chはどう観えてるの?
「受動意識」しかないのにキーボード叩いてココに流れてきたの? >>411
難しい言葉は釈迦金口の説法にはなく、部派仏教時代のアビダルマとかに明け暮れてた学僧が暇つぶしに瞑想法や修行法を体系化した結果、様々な専門用語とそれに伴う修行法・瞑想法ができたっぽいw >>411
> むずかしい言葉を使う人多くて読みにくいです
分かんない言葉があれば普通に聞けばいいんじゃないかな >>416
この回答者はヴィパッサナー冥想のラベリングの意義を誤解しているね >>416
ヴィパッサナーを色々誤解してるな
サマーディ(三昧)が無いと悟れないと言ってるあたり、禅の見方だなぁって思う
その見方では例えば、サマーディにこだわらない、ラベリングもしないルアンポー・ティエン師やアーチャン・チャー師などのタイ森林派は悟れないことになるね 自分なら
>釈尊は、『どんな修行法であろうとも、実践者が煩悩とその対象からよく離れていれば、結果が出る【ことがある】。
>しかし、煩悩とその対象から離れていない者がどんな修行をやろうと悟りを開くことはない。』とおっしゃっています。
>つまり、離欲と忍耐を実践していない人が何をやろうと同じだと言うことです。
この人にベストアンサーつけるかな じゃあ質問しちゃおうかな〜まず智慧が難しいわ なぜ知恵ではないのか
例え話でも良いから知りたい〜 言語化できて知的に理解できるものなの?
でも知的に理解できても釈迦と同じ境地って事ではないよね? 慈悲はどうでしょうか?
慈悲を説明してくれる人いますか?
究極に優しければ慈悲ですか?
殺人者と被害者を別けて見ずに全く平等に見られるのが慈悲? 自分の理解で良ければ
例えば、「怒り」という感情を理解しようとする
心理学の本などで知性を使って知るのが「知恵」
実際に自分で怒りが生じるプロセスを体感、観察してその性質、役割を知るのが「智慧」(四念処で言う法の観察)
ってとこかな
あるいはよりシンプルに、地図を見て道を知ること(知恵)と、実際に道を歩むこと(智慧)と表現できるかもしれない
慈悲に関してはただシンプルに「自他の抜苦与楽に資する行為」だと理解してる
だから必ずしも自分を犠牲にして人に貢献することが慈悲ではない
自分も人も、苦しまないで楽になる行為が慈悲の実践だと思う
とまあ自分の考えを述べたが、いずれにせよ言葉の解釈だから人それぞれだと思うし、これが唯一の正解ってのはないと思うよ
経典を出してくる人もいるけど、経典をどう理解するかも人それぞれだしね >>424
ありがとう御座います
自身で確かめてこられたと思わされる説得力ある説明だと感じました
智慧に関してはほとんど同じ意見です
特にそれ以降 今まで抱えていた疑念が完全消滅してしまうような実感を伴う確信
大仰に表現すればそんなところかと
慈悲はわかんないんですよね
元々の語源ってそんな大層な意味ないんじゃないの?とか思ったりw 真我 と 智慧 #ニサルガダッタ・マハラジ
真我を忘れることが暗闇なのだ。
真我ではないものごとのなかに没頭するとき、私たちは真我を忘れてしまう。
それは不自然なことではない。
しかし、なぜ過剰な執着のために真我を忘れることがあろうか?
体験者と体験の両方の源である真我をけっして忘れないことのなかに智慧があるのだ。 = 無欲が智慧である。二つのものは別のものではない。
無欲とは、心がどのような対象物に向かうことも差しひかえることである。
智慧とは対象物が現れないことを意味している。
真我以外の何ものも求めぬことが無執着、あるいは無欲であり、
真我をけっして離れないことが智慧である。 =
「静寂の瞬間 ラマナ・マハルシとともに」より >>426はマハラジャ、>>427はマハルシの言葉 仏教でいう煩悩がヨガでいう自我、エゴであり
仏教できう智慧がヨガでいう真我である >>404
まず病院へ、と思ったが
>>403
サマタでもビパッサナでも集中系のやったらよかんべ? 釈迦はマーラ(悪魔)にこう約束した
「自分の悟りを弟子たちが完全に理解して 自分と同じ悟りの境地に立ち,
悟りの内容を人々に伝えて人々の幸福をも たらす能力を持ち,
異教・異解のものに対しても完全に論駁する能力を持 つまでは,
自分はニルヴァーナに入らない」
真理は言語化できない
だとか
不立文字
だとかは
釈迦の本意からはズレている >>412
テンプレにしたいぐらい良くまとまっているな >>424
>とまあ自分の考えを述べたが、いずれにせよ言葉の解釈だから人それぞれだと思うし、これが唯一の正解ってのはないと思うよ
>経典を出してくる人もいるけど、経典をどう理解するかも人それぞれだしね
その通り
というかよく言われているように経典(この場合はアーガマ)そのものに整合性が欠ける面がある
心解脱と慧解脱
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/42/2/42_2_574/_pdf/-char/ja 罪(行いやその原因)を憎んで人(個人)を憎まず
自分や他人が悩んだり罪を犯したりするのはその人個人に問題があるのではなく
その人の無明や縁や業に問題があるとわかるのが智慧
それゆえその人がそのことに気づき智慧が出て苦や無明からたすかって(悟って)欲しいと思えるのが慈悲
だと思ってる 猫背なので後ろで手をつないで
少し胸を張るようにして瞑想してみたら
お風呂に入っているみたいにめっちゃ気持ち良かった
姿勢は大事だね >>436
へえそれ面白い工夫w
こんど自分も試してみます 「普通の瞑想と何が違うの?」という問いは>>436の瞑想法に対しての問いなのか
それとも、マインドフルネス瞑想というものに関しての問いなのか
後者であれば、「普通の瞑想」とは何を指しているのか 普通の瞑想などといったものは存在しない。
普通の人間というものが存在しないようにね。
「普通」というのは結局のところ、相対的な観念に過ぎないのだ。 この人>>403がやってるのはマインドフルネスとは違うよね
マインドフルネスだと日常すべてが修行で、自分がその時やってることに集中する・気がそれたら戻すってなことするし >>441
>マインドフルネスだと日常すべてが修行で、自分がその時やってることに集中する・気がそれたら戻すってなことするし
白隠禅師の「動中の工夫」がまさにそれだね
http://rinnou.net/cont_04/rengo/rengo1708a.html
栄西や道元も作務の中で集中と気づきを得るという思想体系で修行していたのは皆が知っている通り ある程度進んだら気づきが勝手に入って自分はただ観ている状態になるってのはあるんじゃないの
それこそ日常いつもただ観てる
それ以前だといちいち気づきを入れていかないといけないけど >>443
ある段階から意識的に気づきを入れる必要なくなるね
観ようとしなくても観えている感じ >>441
その日常全てで〜を3日から1週間 寝ている間もやってみて 次の段階に移行すると思う
どうなるかはお楽しみw >>442
ヒンドゥー化した中国産禅宗は、中国思想家が無情有仏性と
有情より自然のありようが優れていると差別し無思考の無情を目指し、
無念無想、無分別、不二、土着のタオ思想と融合して一元論化、
仏性内在と空に反して実体視する発案は、中国嘉祥大師の発案
つまり仏を確認する禅とか、無心でそのものになる行とか、
似非なる改造仏教になったと学者は指摘しています
動中の工夫、作為的、意図的な無心は無常であり継続しません
無心なる石ころになる教えが仏教ではないのです
これは智慧の開発にならず、慈悲、道徳が顕れません
その結果が、下記のように曹洞宗に犯罪者が生まれ続けているわけです
2013.07傷害容疑で僧侶2名を逮捕
2014.11放火容疑で住職逮捕
2015.03スカート内盗撮で僧侶を逮捕
2015.03酒気帯び運転僧侶を逮捕
2015.08児童買春で僧侶を逮捕
2015.11窃盗容疑で僧侶を逮捕
過去の抜粋で他多数あり、毎年、毎年、煩悩とそのものになる禅です 寝ている間もマインドフルネスできるならさすがにもう悟ってるか次がなさそうな気もするけどまだまだなの? >>451
ヒンドゥー化問題なし
ラーマクリシュナ、ラマナマハルシ、パラマハンサヨガナンダ、スワミ・スリ、この辺を上回る覚者って近年仏教徒から出てる? >>451
その話もう聞き飽きてるんだけど、マインドフルネスと関係ないんじゃない? >>454
君が覚者と見立てている人物だけが覚者というのかな
きっと君の世界ではマハーシ、ゴエンカ、パオ、グナラタナ、ティエン、カムキエン、アーチャン・チャー、ウ・アローカ、ウ・ジョーティカなんかは誰も覚者じゃないんだね >>452
悟りでもなんでもないよ
真剣に瞑想してる人は経験するみたい
自分はまだだけど
「驚くべきことに、この段階では、夢で瞑想する人たちもいます。
(中略)
そんなわけで、私たちは無意識にさえ瞑想することができます。
それは習慣になる。夢の中で、私たちは日中にしていたことを夢見るのです。」
自由への旅 p319 >>458
ありがとう
でも夢で瞑想するってのは夢見ながら意識もある明晰夢の状態だと思うけど
そうじゃなくて、悟ったら夢も見てない熟睡の間も意識(気づき)があるって聞いたからそれかなと思って言ったわけです。
寝てる間もマインドフルネスしてるってのはそういう意味かと思って、そこまでなってまだ悟ってないのかなと。
夢も見てない知覚の対象の全く無い熟睡の間に意識があるのは涅槃と同じようなことも聞いていたことあったので。
明晰夢なら見てる人はわりといますし慣れればマインドフルでいられそうですよね 電車の中でスマホばかりみないじっていないで、マインドフルネスでも他の瞑想でもすればストレスかなり違うかも。
大阪の駅みたいな事件も起こらない。 >>459
実際に脳波はどうなってる 起きた時に覚えてる なんていうのは結局わからないんだけど
起きた瞬間にピカーン!て自分のことがわかったりする
明晰夢でやる人もいるだろうね 面白いねw
日中ずーっとやってて寝る直前までやってると勝手に継続していた感じだな〜 皆さんに質問があります
マインドフルネス瞑想はトラウマや嫌な記憶を忘れる近道になると聞いたのですが
どのようなやり方が有効でしょうか?
初心者であまりよく分かりませんでした
よければ教えて下さると助かります トラウマや嫌な記憶を「忘れる」っていうより
それらの記憶の無益な反すう思考を軽減したり
それらから余計なストーリーをつくり、そのストーリーの中に
巻き込まれがり、埋没したりしない=フラットな立場で現実をありのままにみる、
っていうのがマインドフルネスの方向性だと思うんですけどね
質問へのお答えは覚者の方々におまかせします 明晰夢ほんと楽しいよなw
毎日見れたらいいのに。
深睡眠時?は同時並行で複数の夢見てるw
正に瞑想状態というのが相応しい
日中考えてることの答えは浅めの夢の中で出る事は割と多いな。まあそれは明晰夢とは言わないだろうし誰でも経験することだろう。
ちな俺は能動的に注意を向ける時以外はサティを意識すること無いから夢でも入れないけど、
意図してないから入ってもそれと気づかない…のかな?
つか意図的にサティを入れられるやつは居るんかいな?サティを持続させる…なら何となく解るけど >>463
なるほどありがとうございます
マインドフルネス瞑想をすれば完全にトラウマを忘れるという訳ではなくて
嫌なことを考えたりする思考を軽減して
トラウマを気にならなくさせて自然に忘れてくみたいな感じですかね >>462
記憶は思い出さなければ忘れる
けど思い出せなくなるだけかも >>467
思い出せなくなるだけ⋯なかなか良さそうですね >>466
やっと待ちに待った質問きたw
手を握ったり開いたり 瞬きを繰り返したり コツがわかるとそれでも充分なんだけど バカらしくなってなかなか続けられないことも多いと思う
でも具体的に思考 感情で苦しいと実感できてる場合には凄く良い方法がある
思考が暴走したり感情が高ぶって体に変化(早口になる汗が出る 胸が痛くなる お腹が硬くなる 喉が詰まる)が出たところを 観る 方法 ポイントはただ 勇気を持って 観るということ >>469
あの・・・瞑想の実践者がなんでそんなにハイテンションなんですか?
しかも「やっと待ちに待った質問きた」なんて、変ですよ
なんかお薬飲んでますか? >>470
どうしてあなたは>>469がハイテンションだと判断したの?
なぜ5chの書き込みくらいの情報量で人を病人だと疑ってかかるの? >>471
「やっと待ちに待った質問きた」ってレスだけでも違和感を感じませんか?
私の言っていることが理解できますか? >>472
私は特別感じませんでした
ちなみにその違和感を覚えている受容器はあなたの心ですよ
そういう感情感覚を観察するのもおもしろいけどね ポイントは本当に観るだけで自分なりに解釈する必要も分析する必要も無い
要は本当に嫌なこと 悔しいこと 情けないこと 思い出したくもないこと
これを存分に「自分は本当に怒っている」「自分は本当に嫌いだ」と認めるということ
自分も少しは悪い所があったから...とか あの時の状況では仕方ない...
これはごまかしで良くない >>473
> >>472
> そういう感情感覚を観察するのもおもしろいけどね
どこまでも傲慢なお方のようですね >>460
それは思う
俺も通勤電車でアナパナし始めてから仕事でのストレス激減してびっくりしたからな
ほんと瞑想知らないって損だと思うわ 体の変化を観るのは変化が非常に早くて正確だからで
あれ? 気づいたら涙が出ていた....なんだこの涙?というのがわかりやすいかも
この方法は自分に問題を感じている場合は非常に取り組みやすいし自分のことがわかるので喜びが大きい
デメリットは あまりにも自分に嘘をつき続けていて かつ あまりにも闇が大きい場合には
暴力性が爆発したり錯乱したり自殺したり....私も爆発しましたよw そういえば「待ちに待った」経験と言えば、子供の頃にドラクエの発売日を待ちわびてた日々を思い出すな
カセット一本1万円くらいした記憶がある
小遣いじゃとても買えないから親に買ってもらうしかなくて、親に拗ねられないように勉強頑張ってみたりめっちゃ良い子にしてた
とても打算的な話だけど、そういえばうっかりその時は凄く充実してた
思い出してみてここから学べた事は、過去の記憶や未来の想像も、「今」を建設的であるために活用できるってことかな いや体の変化は無視するほうがよっぽど難しいだろ…
あ、気が付いたらおしっこ漏れてた
とかかなり危機的な状況だろ >>479
私は気づかないこと多々ありますよ あれ濡れてる?チャック締めた後にまた漏れてる!!ってw 皆さん詳しくありがとうございました
今日から教えてくれたやり方で試してみようと思います!
あと色々と話が聞けて楽しかったですw >>462
初心者なら何冊か本読んでみるのがいいですよ、買わなくても図書館にもありますし。
トラウマも嫌な記憶もどちらも過去の記憶であって、いま目の前にあること、いましてることじゃないですから、
心の中にあるだけの実際にはないものを何故か思い出しているということになります。
それは自分が作ってしまた心の癖で不自然なことですから、とりあえずいま目の前にあること、いましてることに意識を集中するのがいいと思います。
簡単なとこでは過去のことを思い返して来たら、いましてる自分の呼吸を意識するというのを繰り返してみたらいいのではないでしょうか。
人間はひとつのことにしか集中できないので、呼吸を意識したらその間過去のことは考えられないと思います。
やってるうちに過去のことを思い返してしまう心の癖がなくなっていくと思います。
初心者だとそういうとこからがいいのではないかと思います。 嫌な思いが消えるまで呼吸に集中するって難しいよ初心者だと いろいろあってもう死にたい
坐禅組んだまま即身仏のように死ぬのが理想なんだけど、飢餓状態とか堪える自信がない
好きなもの食べて満たされた気分のまま坐禅組んで死ぬ方法ないかな? >>483
もちろん嫌な思いはすぐには消えないでしょうけど、呼吸を意識した瞬間は思い出せないわけですし、
できなくてもやってるうちに少しずつ、過去を思い出す癖はなくなっていくと思います。
また、心の状態と呼吸は連動してるので、嫌な思いが生じてるときは連動して呼吸も荒くなってますし、
呼吸を観ることで、嫌な思いを思い出さなくても心がどれだけそういう状態にあるか間接的にわかると思います。
そして、呼吸を意識すると呼吸自体少しずつですが静まっていくので、それに連動して心も少しずつ冷静になっていくとも思います。
初心者といっても向き不向きあるでしょうし本など読んで自分に合ったやり方を見つけるのが一番ですね。 数息観、手動瞑想、歩行瞑想あたりから始めた方がいいんじゃない?
瞑想慣れしてない人がいきなり呼吸を観るのはけっこうハードル高いよ
まあ、人によるけどね >>481
頑張って下さい
最初の頃は既に自分の理性で理解している中ボスの正体が明らかなことが多いのでどんどん進むかも
感情の発生 思考の発生を0秒で気づくぐらいの意気込みで
慣れてきたら呼吸 動作 を観察するのも容易になります
無理しないのも肝心 人間は同時に二つのことは考えられないので、息や言葉、イメージに集中している間は嫌なこと考えられないんだよ 理屈としてはそうなんだけど、少なくとも集中対象をイメージに置くのは
ヴィパッサナやマインドフルネスではないですよね マインドフルネス突き詰めたらアレキサイミアにならないの? 人生色々妄想するから楽しい部分もあるのでずっとマインドフルネス(ビバッサナ)でありのままを観察していろというのもキツイw
そんな生き方つまらないw 呼吸を意識しつつ他のことを考えるのと
二つのことを同時に考えるのは不可能であることは違う。 呼吸について考えればいいの?違うでしょ
呼吸に集中しようとしたって意識は揺れ動くから、それに気づいたら呼吸にまた意識を戻すようにすればいいんでしょ
呼吸と共にある状態が今に意識を保っている状態 お釈迦様は菩提樹の木の下で座禅を組んでヴィパッサナー瞑想で縁起の理法を悟ったんだよ 厳密には呼吸の観察と考えることは同時にはできないんでしょ
それぞれ観察と思考が知覚できない速さで交互に起きているだけ
マインドフルになっていくとそれがわかると言われている >>495
だから、人は同時に二つのことは考えられない、と書いたんだけど。 >>490
誰もが通る道だね
マインドフルネスで教えられてる呼吸瞑想は実はサマタ系の集中瞑想
これだけでヴィパッサナーの本質である心随観以降まで行くのは難しい(不可能ではないが時間がかかる)
熊野教授の言葉を借りると、気づきを呼吸だけに限定せずパノラマ的に広げる段階がサマタからヴィパッサナーに移行するのにどうしても必要
例えば、
ゴエンカ式ではアナパナから呼吸を軸にして身体感覚に細かくサティを入れるボディスキャン
ルアンポー・ティエン式では手動瞑想や歩行瞑想で規則的に動く対象にサティを入れることで、次第に空間的に広がるサティになる
経験者ならわかると思うけど、気づきを広範囲に広げるようになってから潜在意識の深いところにある心を観れるようになるんだよ
マハーシ式とか、他のメソッドは未経験だから言及しないでおくよ 間違えて>>490にレスしちまった
特定の人にレスしてるわけじゃないので悪しからず >>498
経典というか、瞑想合宿の体験談のブログなどで殆どのブログ主は「釈迦が悟った瞑想法!ヴィパッサナーの体験合宿に参加してきました」みたいなこと書いている >>500
ヴィパッサナー瞑想(ヴィパッサナーめいそう、巴: vipassanā-bhāvanā)は、
ナーマ(こころのはたらき、漢訳: 名〔みょう〕)とルーパ(物質、漢訳: 色〔しき〕)を観察することによって、仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想である[1]。
ヴィパッサナー(巴: vi-passanā)とは「分けて観る」、「物事をあるがままに見る」という意味である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3
ウィキペディアに書いてある通りだね
ちなみに起きている間ずっとヴィパッサナーであり続ける人生は自分にとっては面白くもなんともないがね >>502
ソースブログかよ...
経典に「ヴィパッサナー瞑想で悟った」という記述はないのかな
ここ経典から引用する人よく見かけるけど誰か知らないかな? >>504
リアルはクソゲーってやつ
よく分かってるやんw >>505
無い無い
そもそも初期経典にはサマタとかヴィパッサナーとか無いもの 経典ソースだと信憑性あると判断できるのはなぜ?
スッタニパータも成立までは口伝で数百年たってるわけでしょ? >>511
信憑性があるって程じゃない
初期まで遡って経典に書いてあれば多少マシってくらい >>511
経典に載ってたら100%信憑性があるとは思ってないけど
最低限経典には載ってるのかなとおもって テーラワーダの多くの僧が何十年も修業した結果、
サマタでは解脱できなかった、ヴィパッサナーも必要
って自身の体験から言ってるんだから経典より修業僧たちの体験から得た生の知見の方が説得力あると思うけどなあ ヴィパッサナーも必要、
のヴィパッサナーの定義が曖昧過ぎるわ
解脱の定義も曖昧だけど サマタでは解脱できなかった、ヴィパッサナーも必要ってのは経典を解釈した内容で
修行僧たちの体験からきたものじゃないでしょ
テーラワーダは経典遵守で修行僧は最初から経典に沿って修行始めるんだから
サマタだけで解脱できるか試した修行僧なんてほとんどいないだろうし
そもそもテーラワーダでも解脱(阿羅漢に達した)した僧なんてほとんどいないだろうし
自由の旅のジョーティカ師だってたしか阿羅漢の手前の不還もいってないとか書いてなかったっけ 経典を鵜呑みにするならば沙門果経によると智慧に目覚めて解脱すると六神通を得られることになっているが実際に得られた人はいるのかな? よし 今日は意識について観察したよ
実感として手術で保存液につけられた脳だけになっても
この意識は残るだろう これは自分だという感覚
これが難関
体の動き 思考 感情は自分ではない だって周囲の環境に合わせて勝手に動いてるだけだからね もうそれはわかった
精神統一して集中したら意識がわかった
でも思考で整理しようとしてたらまたわからなくなったんだよね >>517
仏典上の解脱のプロセスは、複数あるよ
釈迦以降の仏教者が権威付けのため、過剰な超能力、神通力の描写を加増付加
した可能性が高いというのが有力と学者がね
釈迦が解脱した方法とそれを踏まえ、釈迦仏陀の本筋の教えがある
つまり仏典全体の中から一筋の本筋の教えの流れが共通してある
それが四諦であり、智慧の解脱
相応部経スシーマに、解脱した比丘たちに、神通力を得たのか聞くけど、
漏尽通(煩悩滅智)以外の五神通 (神足、天耳、他心、宿命、天眼)を否定し、
智慧によって解脱したと説かれている
パーリ小部には、神通力を得ることを目的として修行するのではないとあり、
仮に神通力を得ても披露するのは恥とパーリ長部にあるけどね >>518
サンキャ哲学における二元論はプルシャとプラクルティ。
プルシャは永遠に滅びない真の個で、プラクルティはこの世界に産まれて来るのに必要な性質、物質の部分。
分かりやすくプルシャは魂と訳されることもあります。その周りにプラクルティがくっついて自分を形成しています。
サンキャ哲学におけるゴールとは何なのか?
それはプルシャとプラクルティを分離すること。
本来の自分自身であるプルシャの存在に気が付くまでプラクルティは活動を続けます。
今の体が死んでも、また生まれ変わってこの世の中に返ってしまいます。輪廻が続く限り苦しみは避けられない。
しかし、完全にプルシャを認識してプラクルティと分離し解放されると、プラクルティの活動は止まります。
その時、輪廻から解放されて完全な自由が手に入ります。
http://blog.livedoor.jp/yukamangalam/archives/1008671926.html >>510
最初の
仏教の修行法と瞑想体系
https://ameblo.jp/morfo
これは読み物としては面白いね
仏教の変遷を学ぶこともできるし
ここに書いてある修行法を試そうとは思わないけどw
四念処(四念柱)とかも面倒くさいw
悟りに至る道はもっとシンプルだと思うのだが >>521
うっ…
https://ameblo.jp/morfo/entry-12109674499.html
これほどまでに内容0の駄文は久々に観たぜ…香山リカかよ…
長すぎて途中でやめてもたw
2号の文章のほうがまだ理解できる
誰か産業で訳してクリ 大した内容がないと自分は思ったと一行書けばいいのに >>522
まとめようとしたけど、無理ですた…
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<現世否定か現世肯定か>
伝統的な仏教は
その核心を一言で表現すれば、「現世否定」であり
そこが仏教の優れた点であるがまた問題点でもあると筆者は考える。
当ブログは「現世肯定」的な
後期密教やゾクチェンを肯定的に評価してきた。
がしかしそれでも十分ではない。
近年、欧米に目を移すと、仏教シーンに新たな潮流 が見られ、ブログ主はそれを高く評価している。
その「欧米新仏教」の特徴は概ね以下の三点
・超宗派・超宗教的(包括的)
・瞑想志向
・「現世肯定」的
<現実肯定・現世利益ではなく創造の自由>
中国・日本仏教、禅宗の「現実肯定」的傾向
および
初期密教の「現世利益」的傾向は、
肯定的に評価することはできない。
「現世肯定」はそれらとは異なる。
煩悩のある状態をそのまま肯定する「天台本覚思想」や、現象を実在とする「天台実相論」、そしてそれらに類する思想は、支持できない。
「現世利益」は、「自我」に基づく欲望を肯定する立場です。
初期密教に代表される、「現世利益」的思想は評価できません。
また、欧米の「マインドフルネス」の目的が、心理療法として治療そのものや、ビジネス上の実利性そのものに限定されるなら肯定的に評価できない。
社会や経済の体制が人に強いる、特定の価値観や常識、執着は否定しなければいけません。
⇒つまり禅宗肯定…かな?
仏教は、「苦」の原因を、心理的、認識論的に分析したが、社会や経済の側面から分析しておらず、それが仏教思想の弱点。
つまり、「現世肯定」とは「社会的・経済的」な「自由」であり「創造」なのです!
「自己解脱の道」では、もはや、煩悩をなくすことは重要ではなくなり、常に自覚することで、それが現れないようにします。
【ここがPOINT!】
社会生活も、概念的な思考も否定しないこと。 <認識ではなく創造>
心を「認識」と「正しさ」ではなく、
「創造」と「自由」から考えること。
これが「現世肯定」的思想に必要なこと。
<哲学的教義における創造>
ゾクチェンの思想は「自己解脱」と表現されますが、心が常に創造され、創造された心を制限することなく、自由に解き放つ
⇒言い換えれば、無為自然。
<新しい仏教>
無我や空の思想の基づいて、利己的な執着なしに、社会生活の中で、創造的に概念的思考も行いながら生きる…、21世紀の仏教に求められているのは、そのような道である
それは、既存の社会的な価値観を肯定するだけのものでなく、それを相対化して、真の自由、新しい価値創造に向かう流れ
⇒簡単に言うと、タオイズム?
ねる 好きだねぇ、その記事
実際にマインドフルネスにそういう弊害があ(りう)ろうとも
その記事自体はチラ裏レベル >>524
https://i.imgur.com/kijuFNW.jpg
http://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/04/1999_26_hikaku_07_shaku.pdf
画像の段が変わるところで法然が言ってるように仏道の悟りの道は戒定慧の三学なのだから
戒を守り禅定して心を定め気をつけて智慧を得る
禅定は数息観のようなシンプルなもので全然構わないと思う
気をつけるのは煩悩の渦に巻き込まれないことや自己じゃないものを自己とする我見を持つことなどに対して
一方でそれが修養できないのなら法然のように阿弥陀仏に帰依するバクティの道も大いにありだと思う
資料にある一遍はその道を極めているといえよう
神仏に対する絶対的な信仰・帰依が必要になるけどね 「好きだねぇ」つったら、俺がその記事好きみたいに読まれちゃうか
全然違うけど
頻繁にそのGIGAZINEさまの記事をあげる人がいるからさ ひたすら念仏を唱え続けるのも思考を止めるマインドフルネスみたいな効果はあったんだろな >>527
あんたもその記事好きねぇ〜。
ちょっとだけヨ
どれどれ
びっくりするほど何関係!
びっくりするほど何関係! >>527
> >>522
> 君に知識がないだけさ
では君が三三行でまとめなさい 呼吸に集中って「あ、今自分は呼吸してるな」みたいな感じにすればいいのかな? >>536
身体の中で呼吸を感じるポイントーー呼吸の度に膨らんだり凹んだりするお腹、鼻の気道、鼻から風が入ってくる胸、などーーを決めてそこをひたすら観察する。 >>536
集中じゃなくて観察だと思った方がいいかも >>537
>>538
なるほどありがとう
集中じゃなくて呼吸した時の凹んだりするお腹とかを「あ、凹んでるなあ」って見続けるのね
そうすれば脳内麻薬ドバドバかあ 一年ぐらい瞑想してるが瞑想15分も経ったら集中力の限界に達してウトウトし始めるからうざい それは呼吸法でマインドフルネスではないよね?
って覚者様からツッコまれるぞw 毎朝の掃除の時、あるいは読経(または本の音読)の時などでもマインドフルネスは可能。
例えば掃除を例に取ると周梨槃特ではないが箒や掃除機で掃除をする際に掃除だけに集中して掃き残し吸い残しがないように注意して観察する、
掃除の途中で雑念妄想が湧いて来たら考え事モードにならないように掃除に意識を戻す、これでマインドフルネスでいられる。
この間はひたすら綺麗にする以外の考え事がないので悩み苦しみから離れていることが可能。
掃除をやめたらまた再び鬱モードに戻るけどね。
といって掃除の代わりの対象(呼吸でも仕事でもなんでも)に意識を向けてマインドフルネスを続けるというのもまた難しい、意外と疲れるんだよね、ずっとマインドフルネスであり続けるって。 >>545
>掃除をやめたらまた再び鬱モードに戻るけどね。
これ書いてて思い出したけど、無所有処や非想非非想処をもって心解脱として、心解脱では瞑想している間しか煩悩が働かない、瞑想が終わればまた煩悩に包まれる、だから慧解脱じゃなきゃ、と間違えたことが書かれているサイトが結構あるのね。
無所有処や非想非非想処の世界は心解脱ではないのにね。
それにしても、仏弟子特に現在の修行僧で非想非非想処などの無色界四禅定はもとより色界四禅定も出来てる人っているのかな?
つうか禅定中に「あ、この境地は空無辺処だ」とか、いちいち分類して認識するものなの? >>544
呼吸法を呼吸法って言ってる発言にどうやって突っ込むwww http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta3.html
上のサイトに禅定について色々書いてあるが、書いてる藤本晃という住職はかなり教条主義、原理主義者っぽいな。
パーリ仏典を本当に信仰しているのだろう。
しかし、この藤本氏自身はしたり顔で記述している色界四禅、無色界四禅を体験しているのだろうか?
もし、自身の体験なしに仏典に書いてことは絶対だと思って書いているのならそれこそ非科学的な話である。 >>545
>>546
>雑念妄想が湧いて来たら考え事モードにならないように掃除に意識を
だから、何度書いたら分かるの
それは集中のみで、正念がない
考え事モードにならないようにという思いではない、という思いから
も離れている
日常で考え事が起きても、非同一化が徹底されているのが慧の修習の一つ
>意外と疲れるんだよね、ずっとマインドフルネスであり続けるって。
笑った、ずっと無心でいなくてはという強迫的な思いではない
観行を続けていれば、自己と思考にスペースが誰にでもできるor起こる
貴方はまだ思考と自己が直結していて、無心でいなくてはならないという思いに
束縛されているわけ、それは集中三昧のみで正念、観行がないから
境地に執着する禅宗の欠陥は、これまで何度も書いてきた
そして貴方は、自分の観念信念に執着固執していて上座部を貶めることに走る
そこの誤解を貴方に説明できるけど、長文になって大変なのよ
私は在家現代人で、五感を適度に楽しんでるし、ワナにハマらない
何かの依存症にもならない、以前より理性的で、怒りの炎にも燃えない、
ウツにもならない、そして人間関係も苦もなく良好になった 非同一化されても慈悲の心みたいのは身につかないものなんですね >>547
ここはマインドフルネスのスレだから呼吸法はスレ違いです
とでもツッコむんじゃないか?論文大好きカテゴライズ馬鹿はwww >>549
随分と勝手な妄想が働いているね、笑ったw
まさにこのスレのピエロ2号だわw
さて、一つ確認しておこうか。
正念と慧とはなんのことか2号の口から説明してもらおう。 >>553
もう書き込まないでもらえませんか
迷惑です >>554
横レスだが見たくなければNGワード入れたら良いっしょ
2号の弟子とかなら別だが >>551
そんなん、昔々に呼吸法の発言ばかりになっちゃった時くらいやんかw
> とでもツッコむんじゃないか?論文大好きカテゴライズ馬鹿はwww
ほらほら誰もやってない事を妄想するのは止めて、あなたの心の中にしか存在しない人物像と戦うのも止めましょうね
アンカーは現実に置くw 誰とも戦ってないけどな
そう勝手に人の心中を妄想してるのは愚か者だけだろw だったら現実に存在しない事や、現実に存在しない人物について語らないことだよw 論文大好き馬鹿もカテゴライズ馬鹿も現実に存在するけどな
馬鹿は自分のことに気付けないだけでw >>553
え、何度も書いてきましたよ
梵我一如思想の人は、観察行では〇△□に帰一できないから、
無心、無我夢中、そのものになる行に束縛されてますからね
念仏でも無心になれますし、けどなんですよ、仏陀って頭いいよね
そういう作為的なものは無常で壊滅して解脱に至らないと喝破してるし、
健康効果があるから無駄とは書かないですよ
日本のマインドフルネス療法の第一人者の大学教授が、集中でなく観察だと
主張しているのに、宗門に鵜呑みして囚われた教えをここで教線拡大のために
宣伝しても 人々を苦から救えず、あるがままなんだよとしか説けないわけでしょ
で、煩悩あるがまま宗門の僧侶は統計データによると毎年犯罪を起こしてますよね >>559
論文の根拠が無いと認めない!っていう「発言」や、カテゴライズしたがる「発言」はあるけどな
発言はあるけど人はいない
読んだ側が己の心の中に構築しない限り
理解した? 発言はあるけど人はいない
その書き込みボタンも発言が押したのか?w
馬鹿の論理は理解できないw >>562
ここマインドフルネスのスレだよな…
マジで理解できない?
そのあなたの心の中の人物像と、現実の人物を対応付けできる?
まあブログとかだったら出来るだろうけど…
ここでそれが出来てるなら、超能力者だよ?w
それが出来ないなら、その人物像はあなたの心の中にしかいない概念なのさ 2号は自分のキャラを半分分かってて>>560のような荒唐無稽なレスをするんだろうが、可哀想なのはそのキャラが誰からも必要とされてないことに真に気づいていないことw >>563
今ここの現実の人間か、それとも自分の中で構築した他者のイメージなのか
これの区別、ほんとにマインドフルネスのコンセプトをちゃんと理解した上で実践できてるかどうかの判断基準になるね
レス見る限り>>562は区別できてないし自分で自分の馬鹿さ加減を露呈してる 馬鹿の屁理屈を理解する必要もないし
そんな無駄な時間はない
一生屁理屈こねてれば?w 「馬鹿」っていうカテゴライズはおkなんだ?あははは 愛語
あいご
仏教用語。
菩薩(ぼさつ)が人々を救うにあたって、人々を誘い仏道に導いていくための四つの方法(四摂法(ししょうぼう))のうちの一つ。
優しいことば、親しみのある心のこもったことば、人々に対する慈悲心(慈しみの心)から発せられたことば、親愛の心をおこさせることばをいう。[伊藤秀憲]
https://kotobank.jp/word/%E6%84%9B%E8%AA%9E-23661 うーん、やっぱり理解されなかった…
でも本当のところは、
現実に会って話していてすら相手の人物像と相手自身を一致させられる事は無いし、
そもそも自分の人物像と自分自身が違っているから迷っているわけであってwww
いろいろ偉そうに言ってはみたものの自分も全然変わらんからなあ…
さて夜座でもしますかね… 現実と自分の心が映しているものは別物
それを知っているだけでも日常はずいぶん違うでしょう
このマインドフルネススレでさえ、それを分かろうともしない人はいるんですよ…
さて、自分も寝る前に坐りますかね ジョンカバットジンの子育ての本、Kindle読み放題で無料
子供いないけどすごくためになった 冒頭の19歳の息子の話だけでも読む価値あるかもですね >現実と自分の心が映しているものは別物
そんなこと瞑想してる人間なら常識だろ
分かろうとするとかしないとか以前の問題 >>573
おぉ、意味なく毎月980円引き落とされてるUnlimtedが初めて役にたちそう
あそこの禅関係の本ゴミみたいなのしかないだろ
一冊しか読んでないけど >>576
そうかなあ…
禅だったら げんにーび はどう? ちょっとちょっと
どっからそう思い込んだのかしれませんけど
女性を見たら あオッパイを見たいと思っている
相手に腹が立ったら あ 殴りたいと思っている
っていうのを観察するんですよ? >>575
むしろ
「三界は虚妄にして但(た)だ是れ心の作なり。
十二縁分も是れ皆心に依る。」
全ては心の作用である
故に現実の本質は虚妄である
(ついでに言えばその心でさえも最終的には虚妄である)
これは瑜伽行を極めた唯識華厳宗の人の教説である
瞑想するとそのような世界観が見えてくるようである 文殊の利剣は諸虚を断つ、覚母の梵文は調御の師なり。
チク・マンの真言を種子とす。諸経を含蔵せる陀羅尼なり。
無辺の生死、いかんが良く断つ。
ただ禅那・正思惟のみあってす。
(空海:般若心経秘鍵)
〈現代語訳〉
(この世が幻想である)という文殊菩薩の智慧の剣の刃は、すべての幻想を絶(断)ちます。
「チク・マン」の般若仏母のサンスクリット文字は、心を超意識へ導く先生です。
生まれ・生まれて、生死を繰り返す人生を断って解脱するには、
禅那(冥想)と正思惟(正しい哲学・科学)だけが必要なのです。 瞑想中、自分が呼吸してるって意識が無くなって
呼吸だけがある感じになって
誰が呼吸してるかわからなくなって
なんとも言えない恐怖感が出てきたんだけどこれ何?
脳の一時的な混乱? よくある事だし上手くいってるから気にしないで続ければいい >>584
自分は今呼吸をしている
吸った 吐いた
(お腹が)膨らんだ へこんだ
などのラベリングをして常に客観的でいるべし >>584
うーん 良いんじゃないでしょうか
体の感覚が無くなるのはサマタなんかではお約束的で意識が感じられなくなるところまでいきますよ
ただ幻覚を見やすくなる場合も多いから何か不思議なものを見たり聞いたりしても 気にしないで下さいね
体調に変化があっても気にしない >>584
そうそう 言い忘れたw
自分の不思議 人間の不思議 を感じて楽しんで下さい 逆にいうと、ブッダが呼吸しているんだから、それを客観的に観察していればいい 大抵の人が一日中、頭の中で過ごす
黙ってしばらく自分の想念を観察すると、考えようと意図しなくても
どこからともなく色んな考えや記憶(イメージ、音(音楽)、が浮かんで来る
それには何かしら情緒…感情が伴い、それが気分に影響する
一瞬でもそれが鎮まると、知覚が一変することがある
その後物事の捉え方が変わる事もあるし
どれだけ自分が固定化した見方をしていたか気付いて驚く
そんなとき自分を取り巻く世界が崩壊するような恐怖が襲ってくることがある
人間、自分が安住できる世界を日々築いている
歳をとればとるほど、世界を取り巻く壁は分厚くなって、外の世界に出られなくなる
=老化だろうな…
日々刻々勝手に湧いてくる想念、その想念がどっから来るのか探った時期があったな
その奥になにがあるのか知りたくて 半ば無意識に築いた自分の城、城壁の外に出て、鳥瞰しなければ見えない世界がある 愛は人を苦しませたり悲しませるだけではなく強くもさせる
ケンシロウはそのことを知っていた
サウザーは知らなかった
が、最後の最後にサウザーもケンシロウに教えられた
「お前も温もりを覚えているはずだ」
ケンシロウに諭されてそれまで愛を憎んでいたサウザーは完敗を認める
「フッ、北斗神拳後継者、俺が敵う相手ではなかった」
と 唐突だけど、村上春樹って瞑想を習慣にしてるとしか思えないような文章書くね
主人公の思考とか感情の動きや、物事の存在の在り方を、読んでるだけでマインドフルに味わっている気分になる
作品以外でもネルケ無方とのやりとりなんか特に、マインドフルネス的な見方そのものに感じた
瞑想はじめてから読んだら特にそう感じたな
他にわかる人いるかなー 村上春樹は何度読もうとしても読めない。
生理的に無理。 四念処の中でも不浄観はやりすぎなんだよなあ
https://i.imgur.com/4b4cq3c.jpg
ここまでイメージしてまでも異性への煩悩を絶つというのはキチガイの沙汰 >>600
弟子を教え導く工夫の歴史でもあるから今となっては極端に感じるかもしれないね
現代でもお葬式で骨を見たり死体を見る機会はあるから自分の未来の姿を知るのは大事だと思うよ
マインドフルネス的には死体 死骸を観察しつつ自分に沸き起こる変化を見るのが王道だと思う
自分の知り合いはネットに転がってる死体の写真を集めて自分の反応が無くなるまで自分を観ていたよ
私も津波の犠牲者の腐乱死体を観て自分を観察してたよ >>602
この正法眼蔵の三十七品菩提分法おいて我々にとって大事なのは、三十七品菩提分法そのものよりもむしろ
https://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38593887.html
に書いてある出家至上主義だよ
というのは、この宗教板には道元によって悟りを得たような書き込みをしておいて、
その中身は実はちょろっと参禅しているだけだったり、瞑想時のちょっとした宗教的体験(というよりも禅病の一種だと思われる)を経験しただけだったりしただけ
なのにいかにも大層なことを語るなんちゃって覚者がけっこういるんだよねw
一方の道元の言
https://i.imgur.com/mxHTtI0.jpg
道元に習うのならまずは出家してから仏道の蘊蓄を語らないとねw
在家の人はここで偉そうに覚者めいたことをいうよりもまずは在家向きに書かれた修証義というお経を毎日読んで正しく生きるように努める方がよほど尊敬できると思う マインドフルネスなんて宗教信者かどうかみるためのものでしかない >>604
これ出家者用のやつん
道元ってメンタル病んでない? >>606
道元の出家至上主義のスタンスは正法眼蔵出家功徳ではっきりしてるよ
http://seesaawiki.jp/w/turatura/lite/d/%BD%D0%B2%C8%B8%F9%C6%C1/
修証義の成立や概要についてはこちら
http://www.zen-essay.com/entry/syusyougi
もちろん修証義を読経するだけじゃなく参禅したりするのは大いにけっこうだと思う
でもそれで仏道を見切ったかのようなスタンスに立って、このスレでしたり顔で道元を引き合いに出して「仏教とはこういうものでこれだけが正しい」みたいなこと語るなんちゃって覚者がけっこう居るのよw
道元があの世でなんちゃって覚者の言説を聞いたら鼻で笑うか嘆くかするだろうw >>607
本も良いけどマインドフルネスというアプリを落とすと入門編で呼吸の仕方から音のとらえかたから心の持ち方から全てガイダンスで説明してくれるよ
入門編の5つのカリキュラムが終了したら各3分、5分、15分、30分の瞑想セッションがあり、ガイダンスで詳しく説明してくれる
慣れてきたらガイダンスオフにして瞑想するといいと思う
座禅の雲堂もガイダンスで座禅の流れを説明するので良いアプリだよ
その雲堂の紹介動画
https://youtu.be/PWVF6XGhq6E
初めての座禅のホームページもここで併せて紹介
http://www.soto-kinki.net/sp/zazen/beginner.php >在家の人はここで偉そうに覚者めいたことをいうよりもまずは在家向きに書かれた修証義というお経を毎日読んで正しく生きるように努める方がよほど尊敬できると思う
極論だねえ
人それぞれ信じるものは違うだろうに
自分が固定観念に囚われてるのわからないかなあ 瞑想は心理学の問題である。
それは宗教とは関係がないよ。 >>610
固定観念って便利な言葉だね
では出家しなければ仏道を歩めないとした道元も固定観念にとらわれていたということだね 在家に可能なのは、仏道を学ぶことのみであるが、それによって道に達した者はいない。
道に達する時は必ず出家しているのである。
出家に耐えない者がどうして、仏に成ることが出来ようか。
ではあるが、ここ2〜3百年のあいだ、大宋国で禅宗の僧であるといわれているものに、在家の学道と出家の学道は同じだという者がある。
この者たちは、在家の供養を受けるために、迎合する輩である。
https://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38593887.html
俺の言葉じゃないよ、道元の言葉だよw >>612
道元が囚われていたかどうかは知らないが
君は道元の作り出した観念に囚われている
別に覚者じゃなくても、名色(ナーマルーパ)を真面目に瞑想して体感して理解すればわかる
もちろん自分も囚われてないとは言えない
仏教は行学二道
誰が何を言ったかではなく、まず自分で瞑想なり坐禅なりで見える世界を体験してみては? 膀胱炎にならない程度にションベン我慢するとマインドフルネスになるよね。
頭の中が悩みとかいろいろ考えられないぐらいションベン一色にしてギリギリのところで
放尿、これである。トイレで悩みが吹き飛んだとかもそれと同じ事。 >>615
おしっこを利用するのは実用性がないから難しいけど
どこか 胸とかこめかみとか頭とか 意識し易い場所を設定して自分を観る 探求する派もあるよ
呼吸でお腹や鼻を観察するのと一緒だね そもそもマインドフルネスのスレでなんで道元の話になってんのよ
あんまり関係ないやん >>614
そうではないw
俺は出家しなければ仏道を歩めないなどとは言ってない
ただ「出家至上主義の道元を自己の教説の裏付けとするのなら」ここでなんちゃって覚者として振る舞う以前に出家しなさい、出家しないのならなんちゃって覚者はやめなさい
なんちゃって覚者になるよりも修証義を毎日読んで人として正しく生きる方が大切ではないの、と言ってるだけだ
そもそも君がなんちゃって覚者でなければ関係ない話だw >>619
そのなんちゃって覚者さまの発言にアンカー付けなよ
藁人形でないのなら >>620
>>604
俺はこの宗教板には道元の都合のいい部分だけを拾ったなんちゃって覚者はいるとは書いたが、このスレになんちゃって覚者がいるとは書いてないw
で、上記のようななんちゃって覚者はこのスレには恐らくいない
まあ今思うと俺のなんちゃって覚者へのちょっとした嘆きをこのスレに書いてしまったのかなとも思う
そこは反省する
なんちゃって覚者への捉われは捨てるわw ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想は、どのような人がやっても効果あるのでしょうか?
具体的にやり方教えて欲しいです。
またこれらの瞑想法で悟れますか? #知恵袋_https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14177002824 道元、道元・・・・って何度も言ってると頭のなかにローハイドが流れてくるよね >>621
>このスレになんちゃって覚者がいるとは書いてないw
>>608でこのスレでしたり顔で〜って書いてるな なぜ文字情報の書き込みのみでしたり顔かどうか判別がつくのか
これこそ覚者の為せる技かな? うえの方の人、個人ブログの解説とか知恵袋とか好きだねぇ
知恵袋って、まともで適切な回答ってほとんど見たことないけど、宗教・マインドフルネス系って参考になんのかな
お笑いネタ、暇つぶし、IT系情報の叩き台にたまに使う
個人ブログは瞑想会のレポートで参考になるのはたまにある。 >>624
あ、ゴメン!
それは単純に俺のミスでこの板とこのスレを間違えた
それは心から謝る、ごめんなさい
>>645
ゴメン、これは正しく俺のミス…
したり顔で書いたわけではないがそう思われてしまっても仕方がない、ミスってしまってるからね >>626
知恵袋の宗教関係は割と詳しい人が多いよ
これはどうだろうという人ももちろんいる
それは自分で判断すればいい
そのために知識が必要となるけどね 出家と在家は面白いテーマだよ
現実的には在家でも目覚めた人は世界中 今でもたくさんいる
仏教じゃなくてもね
生まれた頃から出家なのか 成人してから出家なのか
一通り人生経験してから出家なのか 自発的なのか
私の結論は探究心 執念があれば関係ないんじゃないかと思う
でも出家先に良い先生がいれば別だな 「悟った人」「覚者」「目覚めた人」ってどういう状況になった人を指すの?
それ誰が認定するの?
自分で「ふふん♪悟っちゃたんだもん!こんな不思議体験もしちゃってるだもん」とか?
その筋の人に(その人自身悟ってるかもわからない人に)「あんた、すげーよ(いろんな意味で)」って認定されりゃいいの?
煽ってるわけじゃなくて(1%くらい煽ってるけど)本当にわかんないんですよ
コーヒーブレイク Rawhide ローハイド
https://www.youtube.com/watch?v=m6BXvWwAa48 >>611
瞑想ってマインドフルネス瞑想のことですよね
山下良道さん、島田さんとか、"宗教抜きにして何がマインドフルネスだ"っていう意見もありますが、
どうですか
山下良道さんによると、精神医学者の立場からも熊野さんから同趣旨の発言があったらしいですが(真偽不明
どうですか?) ちょっと記述ミスっちゃったんで>>632下記のように訂正
>>611
瞑想ってマインドフルネス瞑想のことですよね
山下良道さん、島田さんとか、"宗教抜きにして何がマインドフルネスだ"っていう意見もありますが、
その意見はどうですか?
山下良道さんによると、精神医学者の立場からも熊野さんから同趣旨の発言があったらしいですが(真偽不明)
それはどうですか? 精神医学の立場から見て宗教性は排除しないほうが好ましいのであればマインドフルネス教とか作ったらええやん別に。 マインドフルネスというものが既存の宗教と全く別のものである、あるいはそうあるべき、
というならそうでしょうね
でもそういうんじゃないと思いますよ 17/03/26 「これまでの何十年の人生がすべて間違っていた」という良き知らせ | 一法庵 :
http://www.onedhamma.com/?p=5878 ひとりカラオケで集中してまわりを気にせず歌ったり叫んだりしたらすっきりするけどこれも一種の瞑想かも >>642
そうですね
人によりますが特に初期にやった方が良いかも
ストレス発散 集中力 心の解放 力の解放
自分の存在が確かにあることを確かめる
それに自宅ではないので内外部への集中力が高まります
私は昔はお皿を割ったりしましたね
何かをクタクタになるまで殴ったり
昔でいうダイナミック瞑想的な感じですね >>644
そういう固定観念は捨てた方が良いかもよ
要は、今、ここに意識が向いてる状態を作れば良いんだから >>645
今ここに意識が向いている状態から覚めたらまた鬱モードになるね すべての行動をマインドフルに行うように意識するということは出来るけど
カラオケや暴力といった発散する行動が瞑想になると思ってしまうのは違うんじゃないだろか 一緒だよ
そこに慈悲の心が伴わないケースは問題だけど
行為そのものは判断基準にはならない >>646
むしろその鬱モードを観察できませんか?
そっちの方が観やすくありませんか?
日常生活で明らかに思考 感情が没入してしまう対象が
あったならそれは目につきやすいし気づきやすいはず
例えば親との折り合いが悪い場合なんかだと
話してると 嫌な感じ 嫌な感じ 苛立ち お腹が変な感じ
怒り 怒り 呼吸が大きくゆっくり とか
まあ難しいですけどね でも自分が何に怒っているのか
何を求めているのかわかった時には 凄い....ですよ
鬱モードではなくて鬱病の場合は回復が先だそうです サティを入れて日常の中の事をマインドフルネスにやることはできても、それだけでは心を深い層まで微細に観察することはできないよね
サティは入るようになるけど、観察の精度は上がらない
サティだけでも楽にはなれるけど、サマーディを得るために静かに坐してする瞑想もある程度必要だよ
プラユキ師やアーチャン・チャー師はサティだけで十分だと言ってるけど
ゴエンカ師やマハーシ師はサティとサマーディの両方必要だと言ってる
どちらを選ぶかは、その人が目指す地点によるけどね 座らなければサマーディに入れないのかという点と悟っていくのにサマーディが必須なのかという点と >>649
内側を見ずに画面の歌詞を見てるんだろうな
それでマインドフルネス瞑想だと >>655
そのうちスマホいじいじしながらでも悟れるような時代になるよ >>656
夢ではなくて現実に近づきつつあると思いますよ 自由意志の存在 私の存在 ベンジャミンリベットの実験 脳の機能の解明
現代人は科学に弱いですから証明されたと言われると随分すんなり受け入れますからね
100年以内には「この私っていう感覚は瞬きとか欠伸とか腸の蠕動運動とか それと同じただの機能の一部なんだって」
「そりゃそうだよ 虫とか自我がなくてもちゃんと生きてるじゃん 自我はただのオプション機能だよ」となると思う
キリスト教徒は発狂しそうだけどw カラオケは流石に瞑想とは別物とは思うがボイトレの丹田呼吸方法はヨガのプラーナヤーマの基本となるものなのでせっかくカラオケで歌うのなら丹田呼吸方法をマスターするとよいと思われる
丹田呼吸法により歌も上手くなるしヨガ瞑想時の呼吸法(プラーナヤーマ)を掴む手がかりともなる
よく瞑想時の呼吸の際は自然呼吸の場合においても吸う時は宇宙や大地のエネルギーを取り入れるつもりでという説明がある
このエネルギーこそがプラーナである マインドフルな小説とか本おしえて
上には村上春樹と書かれてるね >>659
滝本竜彦の「僕のエア」って小説
なんか色々瞑想について書いてた記憶がある >>658
まあ ガッツリやりたい人には止めはしないけど 観たり止めたり充満させたり同時にやると結構大変なことになるよ
後戻りしたくても自分ではどうしようもなくなるからね
一つの方法で行き詰まったら浮気しても良いかもしれない
肛門括約筋が鍛えられるのは間違いないw >>659
そのラインならよしもとばななとか江國香織ちゃうんか
ホモではないが >>663
>有田 面白いのが「読経」。
>僕は読経の研究で、お坊さんからいろいろな読経のデータを取らせてもらったんだよ。
>読経の内容って色々な種類がある。
>最初は文章部分。お釈迦さんがどうしたとか、よく理解できる部分のお経の内容があるんです。
>その下には、偈文といって五文字くらいの漢字で出来ている韻を踏んだ部分がある。五文字がずっと繰り返されていて、ほとんど理解できないよ。ある意味、音のリズムなの。
もうひとつが、題目を唱える、というか念仏を唱える。「南無阿弥陀仏」とか、言葉の繰り返しだね。
五文字の偈文の代表が妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(いわゆる観音経)だな
https://youtu.be/NnkBb7InkII カラオケに限らないですがそういうのはマインドフルネス状態ではあると思いますよ
しかし瞑想とは意味が全く違うし代替にはなりえないでしょうね
厳しい自然に淘汰されてきた人間は元々刺激の強いものを優先的に認識するように出来てます
音、光、動く物、痛み、熱さ...
映画や音楽やパチンコやゲームやスポーツにマインドフルになるのはむしろ避けられないと言ってもいいと思います
瞑想はこのような刺激物だけでなく、もっと刺激の弱くてつまらないものにも、意思によってそれらと同じだけの注意を使えるようになろう(あるいは、そうして鍛えた注意力を使って悟りを得ようとする)という練習でしょう
自然にマインドフルになってしまうものについては、これがマインドフルネスだと喩えとして教えるにはいいと思いますけどね
30分瞑想 43日目
最近ようやく辛くなくなってきた
30分背筋を伸ばして座っているのは30日を過ぎたあたりから
注意を向け続けることはここ一週間くらいかな
もう苦もなくできるようになった
あとはもう、どれだけ注意の密度と時間を保てるかということだけに集中できるようになった感じ
前からちょくちょくあったが、最近は毎回瞑想を始めてからたぶん7、8分ほどすると、体がざわざわして頭らへんがぐいーんとなるなんとも言えない感じが起きる
少しするとおさまるしそれが起きたところで何か変わったわけじゃないんだけど...
強いていえば驚いて注意が乱されてしまう
苦痛を受け流して注意を戻すのは上手くなってきたと思うけど執着や依存がどうしても消えない
昔からそう 苦痛には強いけど誘惑には弱い
執着から距離をとったりするにはどうしたらいいんだろう
瞑想が深まればそこら辺もできるようになるんだろうか? カラオケとか夢中になったり集中するのはサマタ瞑想だろうな
そもそも>>642はカラオケも一種の瞑想ではと言っててマインドフルネス瞑想とは言ってないし
読経もマントラも瞑想ならカラオケも瞑想になるだろうね
それをマインドフルにできるならマインドフルネスだろうし
クリシュナムルティは効果的なマントラはと聞かれてコカ・コーラとでも繰り返せばと答えてたな カラオケには瞑想効果があるという論文はあるんですか? カラオケ瞑想の俺は、えーりっひふろむの愛するということを買ってきました
。難しそうだけど1回読んでみたいと思ってたので たしかにカラオケ瞑想はマントラとかにも似てますよね マインドフルネス(観瞑想)じゃなくて促進瞑想のたぐいだな
ヨーガでプラブリッティマールガに分類されるやつ
シャーマニズムと共に使われてた訳だからある意味最古の瞑想かも
自分はノリ悪いタイプで無理なんで、あれで瞑想できる人はある意味羨ましいですw 歩きながらアーとかウーとか繰り返し唱えて瞑想してる
変なひとでもいいや笑 >>672
当時、実際、「踊り念仏」を行って、
エクスタシー状態になる人が続出したといいます。
もう恍惚、エクスタシー^^;
浮き世の苦しみを、踊り念仏の恍惚感で紛らわすことができたのでしょう。
そのため、庶民の間にも大流行したのではないかと。
こうした恍惚感は、瞑想による近行定(きんぎょうじょう)という、
サマーディの一歩手前の状態でも得られます。
(略)
そうして一遍は、念仏にリズムを付けて、踊りながら歌って唱えることで、
変性意識に入りやすくし、サマーディの入口まで誘うことを行った人
とも見ることができます。
http://bossanovaday.hamazo.tv/e5290273.html
踊り念仏が瞑想に近くサマーディの近くまで到達できるのだったらカラオケもそうなのかもね!?
瞑想に近いというか一種の瞑想というか
カラオケでトランス状態とかゾーンに入れれば…入れる人はいるとは思う
(自分の楽器演奏の体験上) 去年のためしてガッテンでのマインドフルネス特集ではダーツやプラモデル作りでもマインドフルネスの効果があると紹介してたな
http://hamsonic.net/2016/09/28/gatten-meisou/#i-7
ただ脳波の状態についてはガッテンのは正しくないと思う
ヨガの瞑想では脳波はシータ波になるんだろうけどマインドフルネス瞑想や座禅や読経ではα波、マントラ瞑想や阿字観瞑想ではガンマ波だと思った
ダーツやプラモデル作りでシータ波が多く出た脳をマインドフルネスと一緒にして果たして本当に良いのか?
まあシータ波でもα波でもそれぞれに効果はあるのだろうから良いと言えば良いんだけどね 熊野さんのマインドフルネスの認識については誤解がありそうだが
うつ、強い煩悶、ストレス、不安を抱え、落ち込みやすい人には熊野式マインドフルネスでも効果が見られるという話(↓)
http://bossanovaday.hamazo.tv/e7054045.html >>676
去年じゃなくて一昨年だよ
一応公式
http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20160928/index.html
もうちょっと詳しい内容、例えばダーツとかでシータ波が云々とかは
上記HPの「番組内容を印刷する」をクリックで表示。↓URL ただしPDFファイル
http://www9.nhk.or.jp/gatten/pdf/program/P20160928.pdf
以前は公式HPで番組内容をもっと詳細にupしてたと思うんだけどなぁ youtubeにも件の放送アップされてんのね・・・
一応アレ関係の問題があるんでリンクはしませんです カラオケ瞑想いいですね
Kill em All とかいいですよね?
慈悲に溢れてますもんね もっとも、「次はどの曲にしよっかな〜」とかやってたら促進瞑想にはならないがw
それだとただ遊んでるだけ
ヒトカラで同じ曲をひたすら歌って変性意識に突入するとかじゃないとなあ ヒトカラ行くと1人で歌い放題で嬉しいんだけど、10曲も歌えば飽きてきて、でも時間まだあるしお金払ってるし歌わなきゃもったいないよなあと葛藤している心の動き カラオケ好きな人でマインドフルに生きてるとか悟ってる人なんているのかな
日常でストレスためこんでカラオケで発散というのを繰り返してるだけにしか思えないんだけど カラオケ好きな人でマインドフルに生きてるとか悟ってる人なんておそらくいないけど
マインドフルに生きてるとか悟ってる人はカラオケをとくにわるいものと見たり否定したりはしないと思う
原始仏教的にはカラオケなんて修行者がすることではないだろうけどね 684は固定観念が強くて685はふところが広いのはわかる じゃあ、まわりが何言っても肯定も否定もしないでふーんて流すことが解脱なの?それだと会話できなくないかな その辺、マインドフルな人はどうしてるのか教えてください たぶん「マインドフルな人は優れている人」という固定観念を持っている人はここで多い気がするけど、きっとそんな事はない 俺は>>686の固定観念が強いなと感じてる
>>685が言ってるのは、すべての行動は気をつけていれば並列であるということでしょ
そういう部分に俺は疑問を持っているわけではない >>688
評価をせずに、ありのままに見るのがマインドフルネス >>693
そしてそれを観察してますよ、って風に皮肉る解説者 固定観念なんてお互い様でみんな持っている
言い出したら切りがない
それを自覚せずに人のことを名指しで固定観念が強いなどと最初に言った人が一番角を立てた張本人となるだろう
もちろん↑の考えも俺の固定観念に基づいているw 固定観念という先入観、偏見から決め付けを行うのは認知の歪み
凡夫、人は皆、何らかの固定観念、信念とかはあるでしょ
思想、観念からの解脱がブッダの教えで、
こだわりが強いと、異なるものに排他的で、他者と素通しになれない
世間体という固定観念があれば、世間体概念を外れると悩んだりジャッジを
するし、思想、観念との同化は自我を強化させるものなの
ここで道元、道元と被れている人もそうだし、
自灯明,法灯明なのに、日本は宗祖教の似非なる改造仏教国だからね
原初仏教では、集中三昧のみでは解脱できないと教えているのに、
本当に日本は止行が浸透している、マントラとヨーガと禅の流れで
日本仏教学会の学者は、禅宗は釈迦仏教とは異なると根拠を示しているのに
カラオケ、模型づくり、ダーツ遊び、、集中三昧系、無我夢中行なんて、
すべて一時的なもの、一時的な気晴らし、もちろんそれが悪いわけでなく、
健康効果はある
けど、本来の仏教でいう解脱に至る道ではない
日本のマインドフルネス療法の第一人者の熊野教授は、
テレビ出演後に、観察なのに、集中と誤解されたと述べてるのね 固定概念はダメだという固定概念はダメだという固定概念を疑え 人は自分も含め一人残らず固定観念だらけで、いい加減なものだから、まじめに正しさを示そうと頑張っても疲れちゃうよ
ってくらいがちょうどいい塩梅じゃない? 固定観念なんて座標系みたいなもんだから、自分がどんな固定観念持ってるか分かってて、自分の物事の見方にそれがどう影響してるか分かってればいいんじゃないですかね
自分が見てて、ああ危険だなって思うのは、それが分かってないっぽい人を見た時
そして騒がしいなって思うのは分かってないっぽい同士で座標系の優劣で争ってる時
まあでも人間みんな大なり小なり分かってないんでしょうけどwww >>697
>原初仏教では、集中三昧のみでは解脱できないと教えているのに
その論拠となる経典等はあるんですか?
明確に「集中三昧のみでは解脱できない」と教えているんですか? >>665
おー 良いですね
体がざわざわ は正座で足が痺れる程度に考えて気にしないで下さい 恐らく観照状態かな
依存や執着についてはそりゃ簡単には消えませんw
何故ならパワフルに生きるのにこれまで必要だったからです
自分で執着を分析しても良いとは思いますが結論としては自分の本当の姿を観るだけで次第に縮小していきます
でもそれだけ続いてるならそろそろ起こるでしょう
応援してますよ! 固定観念のもので最も根本的なもの と聞いて皆さん何が浮かびますか?
全ての観念が発生する根本原因 わかりやすく言えば好き嫌い 正しい正しくない 幸福だ不幸だが発生する場所
観念の内容が重要なのではなくて観念の発生場所 その発生場所自体のカラクリを探求するのが瞑想なんです
自分は存在しますか?それは体ですか?脳ですか?意識ですか?記憶ですか?それとも魂ですか?
もしかしてどこにも自分は見つからないかもよ?w >>707
えーっと…
固定観念に根本的とか表層的とかのレベルがあると思ってることとか? あらゆる観念の源は言葉
言葉が思考を生み、思考が観念を形成する
感覚だけに意識を向けることで、言葉による事象の概念化がなくなり、体験はより純粋なものになる
と、自分の体験から分かってるのはこんな理解だが >>707
瑜伽行唯識学派の先人がそのカラクリをヨガつまり瞑想で解明しようと試みて阿頼耶識という答えを見つけ出した
(参考)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
しかしスマナサーラは阿頼耶識を否定していた
(阿頼耶識を真我と一緒にするという誤解もあったようだが)
このことは瞑想による解明の限界を示している例となる
見えてるものが違うのだから
誤解があったとしてもスマナサーラには阿頼耶識は瞑想でも確認できなかったのだろうし
唯識の先人は確認できていたのであろう >>710
瞑想によって、幻視幻覚をこれこれと解釈、推測、断定するものでないんだよ
長部経の中で、それらは、色受想行識の範疇の接触を縁としていて、
かれらが接触もなく感知できるという、この道理は存在しないと説かれ、
五蘊の範疇を縁としている意識誘導の観念的解釈に過ぎない
外界の存在を否定する唯識無境説なるものは、観念的思想
阿頼耶識は、不可知論、空に反して実体視、
瞑想によって恒常不変な神がいることを発見したというのと同じレベルの話、
そういう思想信仰なら自由だけどね 「苦痛を受け流して注意を戻すのは上手くなってきたと思うけど
執着や依存がどうしても消えない 」
仏教はそのためにあると言っても過言ではない^^
つまりそれを解決できたらきみも阿羅漢やな・・^^ 一切衆生は本より涅槃常楽の体にして、法身般若の智身なれども、
此(この)五蘊の色心に迷ひ、ゆえに凡夫となり三界に流浪するなり。
鉄眼禅師 仮字法語 かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて、
千万年も、死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。
鉄眼禅師 仮字法語 【二の一】
第一に、色というは、我この身なり。
また世界の天地草木にいたるまで、形のあり、色のある物はみな、この色のうちなり。
楞厳に、一切衆生無始よりこのかた、己にまよいて、物として、本心を失いて、
物のために転ぜらる、といえり。
【二の二】
この意(こころ)は、一切万法はみな法身真如の体なる事を知らずして、
かえって天地の中の万物と思いて、その万物の境界にまよいて、物のために、
わが心を転ぜられて、さまざまの妄想を起こすという事なり。
【二の三】
また古人、法身は形殻のうちにかくるといえり。
形殻とはこの身なり。
この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、わが身と思えるは、
法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、貪瞋煩悩をつくり、
ふかく悪道にしずむなり。 【二の四】
本より法身の如来なるを、まよいて万物と思い、またはわが身と思うには、
二重のまよいあり。
【二の五】
まず一重のまよいは、この身は、地水火風の四大を、仮にあつめて、
つくりたてたるものなり。
身の内の皮肉筋骨のたぐいは土なり。
涙よだれ血などは水なり。
あたたかなるは火なり。
出入の息と、うごきはたらくは風なり。
この地水火風をはなれては、わが身というべきものなし。
ただ今なりとも命おわりて、地水火風もとにかえりぬれば、ただ白骨となりて、
つゆほどもわが身とたのむべきものなし。
かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、このされこうべにつかわれて、
地獄の業をのみつくりて、三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。 かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて
千万年も、死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。
【二の六】
さてまた二乗は、凡夫よりも、智恵かしこきゆえに、この身は地水火風の、仮のものぞと、
よく見あきらめて、この身をまことの白骨のようにみなし、身においてちりほども、
執着の心なし。
かつてこの身のために我執我慢をもおこさず、貪欲瞋恚をもおこさず、
いつわりへつらいもなく、ねたみそしりもなし。
かくのごとくのさとりはひらけぬれども、いまだこの身の、法身如来なることをしらず
、これによりて、世尊、小乗とて大いにきらいたまえり。
かの法身の当体をさとらざる故に、二乗の智恵にては、仏の内証、菩薩の境界は、
いまだ夢にも見ず。 これまた二乗の、一重のまよいなり。
さきの凡夫のまよいとともには二重なり。
二乗は法身にまようこと一重。
凡夫は法身にもまよい、また二乗のさとりしところにもまよう故に、二重のまよいなり。
鉄眼禅師 仮字法語 【四の九】
この妄想を夢ぞとしらざる故に、無始久遠のいにしえより、今生今日にいたるまで、
その輪廻たえずして、地獄におち餓鬼となり、畜生に生まれ、修羅となる。
されば仏になるも、地獄におつるも、その源をたずぬれば、この妄想のあるとなきとなり。
よくよく眼(まなこ)をつけて、この妄想のわざわいをなす事を知り、また妄想の
夢のごとくにして、全体なきものなる事をあきらむべし。
【四の十】
世上のおろかなるものの、ぬすみをして、王法のいましめにあい、今生にては、
はじをさらし、来生はながく地獄におつるも、物をむさぼる一念の妄想なり。
また人むほんなどをたくみて、天下国家をくつがえさんとはからいて、
その身もふかき罪にいり、妻子兄弟眷属までにたえがたきくるしみを見するも、
ただ一念の妄想なり。
かかるむほんなどをたくまんと、おもいいたす最初の一念は、たばこの煙などのごとくにして
、きわめてかすかなる、ただ一念の妄想なり。
【四の十一】
この一念の妄想を、わざわひの本ぞと知らずして、ひたと思いかさぬる故に、
はては一天にみつる雲のごとくにして、いよいよ思いやめがたし。
その最初の一念のとき、やれ妄想よと、あきらめ知りて、胸の内にて消さん事は、
何よりもってやすき事なり。 一念心をひるがえせば、無始久遠の妄念も、刹那があいだにはるるなり。
このことわりをわきまえて、夢の妄想を思い捨てて、さとりの心にもとづくべし。
鉄眼禅師 仮字法語 百億の三千大千世界も、衆生の妄想よりおこり、一百三十六の地獄も、
人々の妄想の火をおこして、百千万劫その火に身をこがすは、あさましき凡夫のありさまなり。
この妄想を思い捨てて、第三の想蘊をこえて、さとりの田地にいたるべし。 つまり・・・^^
三界流浪の凡夫・・^^
お・・おっ・・・おまえらぁ嗚呼ああああああああああああああああああああああああああ^^ 「この妄想を思い捨てて、第三の想蘊をこえて、さとりの田地にいたるべし。 」
いい表現やな・・・^^
さすが・・鉄眼禅師ちゃんや^^ 自と他を分別するところから迷い無明が生じる・・
ゆえに無分別を重要視してるんだよな・・仏教は・・・^^ >>711
途中にレスが大量に入ったので改めて
2号君、それは長部のなんという経典? 固定観念の話は超簡単にまとめると 自我 エゴを自分そのものと考えていることが一番大きな固定観念だということです
我思う 故に我あり
普通はこうですよね 冷静に客観的に理論的に考える賢い哲学者でもかつてはそう考えました
トリックなんです 笑い話です 仰天なんです 落とし穴です
自分は人間だと思っていたロボットが怪我をして白い血が出るのを見て一瞬で自分には生命がないことを理解する感じでしょうか?
思考も 感情もプログラムでちゃんと生じ無意識に愛想笑いさえできるのに 自分には生命の核がなかった.... それを知ってしまったら..... たとえ話ですけどね goo 辞書
むふんべつち【無分別智】とは。意味や解説、類語。仏語。相対的な主観・客観の分別を
離れた真実の智慧。識別・弁別する分別智に対して、それを超えた絶対的な智慧をいう。
wikipedia
無分別[
そこで説いたことは、修行法が中心であったと考えられるが、教学的には、概念化された理
解では真実の体験は得られない、ということが中心に据えられている。これは認識が、
思考過程で概念化されなくては、人間は理解できないという点についての反省の上に
出来上がった説だと考えられる。
それが後に無分別智と呼ばれるものであり、これこそ修行体験によってのみ
得られる智慧であるとされる。しかしながら、これは論理を否定することでもあり、
概念化なしに認識を認識のまま受け入れるということによって、既成概念なしに
観察することができて、正しい知を得ることができる、とするのである。
前に書いてあった固定概念にも通じるな・・^^ 仏教ではもともと人間同士も自然も一体のものであるという考え方をします。
しかし人間が本来は存在しない「自分」というものに執着するので、「他人」が発生し、
そこに競争や対立や比較が発生するということです。
この「自分」に対する執着心を無くしていくのが、爽快に生きるポイントです。
そして執着心をなくしていく一つの知恵として「三輪清浄の無分別智」というものが
あるそうです。
ふむふむ^^ 十住心論 空海
1. 異生羝羊心 - 煩悩にまみれた心
2. 愚童持斎心 - 道徳の目覚め・儒教的境地
3. 嬰童無畏心 - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地
4. 唯蘊無我心 - 小乗仏教のうち声聞の境地
5.抜業因種心 - 小乗仏教のうち縁覚の境地
6.他縁大乗心 - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地
7.覚心不生心 - 大乗仏教のうち中観・三論宗の境地
8.一道無為心(如実知自心・空性無境心) - 大乗仏教のうち天台宗の境地
9.極無自性心 - 大乗仏教のうち華厳宗の境地 10. 秘密荘厳心 - 真言密教の境地
タオって3番目の境地かな^^ だいたい人は十住心論的な道を辿る^^
例外もあるけど・・・^^ 「だいたい人は」じゃないな・・^^
仏教に縁のある人は・・か^^ 「五蘊皆空」やな・・・^^
空とは、そこに見えているものには「実体がない」ということを意味している。
ふつうは、実体があるからこそ、そこに物や人が存在していると考える。
しかし仏教では、その存在はたんに現象にすぎないのだと見る .
つまり・・・^^
実体のない現象として生じているのだと^^
縁起によって現実世界が生じているのだと^^
こういうことやな^^ 「じゃあ君はどこにもいないんだね?」
実体の無と現象の有の問題やな^^ 「しかし人間が本来は存在しない「自分」というものに執着するので・・」
この表現がチョットちがう^^
「しかし人間が本来は実体のない「自分」というものに執着するので・・」
こうかな・・・^^ 実体という言葉の定義を生滅変化しないもの(=常住)にしているのだから当たり前 ご立派にこの5chで講釈垂れてる先生方
君ら自身の瞑想のレベルは如何程で?
先生方、君らは私より遥かに仏道の心得が深いようだから、是非とも君ら自身の修業の成果を聞かせて頂きたい
まさか観念上の言葉遊びばかり達者で、未だ第一禅定すら入ってないって言うんじゃないんでしょう? 生滅変化しないものはこの現象世界には存在しない^^ 【六の五】
もしまた人ありて、このことわりをあきらめて、人間天上の楽(たのしみ)は
たのしみには似たれども、六道輪廻のうちにして、有為無常の楽なればこれまた
無明の夢の中のあだなる楽ぞと心得て、大真実の信をおこして、坐禅工夫を
なす時、その心のうちに善、悪、無記の三性のしなおこる。
善というは、よき事をおもう心、悪というは、あしき事の心にうかぶをいう。
無記というは、善にもあらず、悪にもあらず、茫然としてうかうかとしたる心なり。
この三しなの念おこりてやむ事なし。
あるいは悪事を思わざれば、善事を思う。
善事を思わざれば、悪事を思う。
もしすこしの間など、善念も悪念もおこらざれば、無記とて、何ともなき茫然と
したる心にて、うかうかとしてあるものなり。
その悪念は、地獄、餓鬼、畜生の種、善念は人間天上の種、無記はいまだ善悪の
わかちのなき愚痴無明のすがたなり。 【六の六】
かように善悪無記の内を離れざる間は、いまだ坐禅の熟せざる初心の人のありさまなり。
かかる念のおこるにもかまわず、いよいよこころざしをふかくして、退屈の心な
く、ひたと坐禅する時は、坐禅の心(ここ)ちと熟して、時として善念もおこら
ず、悪念もまたおこらず、うかうかとしたる無記の心にてもなくして、その心
すみわたりて、とぎ立てたる鏡のごとく、すみわたれる水のごとくなる心、
すこしの間生ずる事あり。
これは坐禅の心もち露ほどあらわれけるしるしなり。
かようの事あらん時はいよいよすすみて坐禅すべし。
ひたとおこたらず坐禅すればはじめはしばらくの間すめる心になりたるが、
漸々にその心すみわたりて、坐禅のうち三分が一すむ事もあり。
あるいは三分が二すむ事もあり。
あるいははじめ終わり澄みわたりて、善悪の念もおこらず、無記の心にもならず、
はれたる秋の空のごとく、とぎたる鏡を台(うてな)にのせたるがごとく、心虚空
にひとしくして、法界むねのうちにあるがごとくおぼえて、そのむねのうちのすず
しき事、たとえていうべきようもなくおぼゆる事あり。
これははや坐禅を過半成就せるすがたなり。
これを禅宗にては打成一片といい、または一色辺といい、大死底の人ともいい、
普賢の境界ともいう。 >>748
「固定観念」と言ってる時点で空も無常も全く理解していないよな
「固定観念」と「諸行無常」
対義語と言っていいレベル
諸行無常という立脚点から観れば「固定観念」なんて言葉は笑止千万 縁起やな・・・^^
相互に相依って起こる諸事象が・・
生滅変遷する姿を・・
凡夫の立場から見た場合にそれを輪廻と呼び・・
同じ事象を解脱した立場から見た境地が・・
ニルヴァーナと呼ばれるものです・・
言いたいことはわかる^^ しかるに衆生の三界に流転するは、万法の幻化を知らずして、その夢幻の六塵に貪着して、
十悪五逆の幻業をつくるゆえに、地獄餓鬼の幻果を受く。
わが身本より幻なれば、その心もまた幻なり。
その心すでに幻なれば、その煩悩もなまた幻なり。
煩悩本より幻なるゆえに、その悪業もみな幻なり。
悪業ことごとくげ幻なれば、三途の苦果もこれ幻なり。
三途すでに幻なれば、人間天上もまた幻なり。
三界の生死幻なれば、四生の因果も、ことごとく幻にして、一大法界のその中に、
幻にあらざるものある事なし。 衆生幻業をつくりて、幻苦を受くるゆえに、諸仏幻慈をたれて幻法を説き、幻苦を救って、
幻楽を与う。
これを涅槃の大楽という。
この大楽を受くる事は、その幻法を知るゆえなり。
衆生は幻法に迷うゆえに、幻業によりて幻苦を受く。
諸仏は幻法をさとるゆえに、幻苦を脱して、幻楽となす。
幻法にまよう衆生は、夢幻の生滅にばかされて、生死無常の行苦を受けて、
行蘊の遷流となす。
幻法をさとる諸仏は、夢幻の生死を涅槃となして、行苦を滅して常楽にのぼる。
いかんしてか生滅の行苦をもって涅槃の常楽となすとならば、これ別に造作にあずかるに
あらず。
ただ万法の遷流、生死の法を徹底夢幻と知ればなり。 このゆえに円覚にいわく、幻と知ればすなわち離る。
方便をなさず、幻をはなるればすなわち覚なり。
また漸次なしと。
そのゆえいかんとなれば、三界万法すでにこれ幻なるゆえに、幻は本より生ずることなし。
すでに生ぜぬ万法なれば、いずれの時か滅する事あらん。
すでに生滅去来にあずからず、あに不生不滅の涅槃にあらずや。
すでに不生不滅の体なれば、何ぞ是非得失の沙汰あらん。
本より生死なきゆえに、涅槃というも仮の名なり。
生死にも涅槃にもあらざれば、煩悩菩提のわかちもなく、衆生諸仏のへだてもなし。
生死のわずらいは煩悩なり。
煩悩なきがゆえに菩提もなし。
煩悩もなく生死もなければ、何をか衆生と名づくべき。
衆生のさとりたるを諸仏という、本より衆生にあらざるゆえに、いまさとりて、
諸仏というべき事もなし。
されば悟という事は、かくのごとく人々の、本より迷わずして、ただ本のすがたなることを
たしかに見つくるをいうなり。 本に書かれていることをここに貼り付けられてもなあ。 >>729
長部梵網経の62見は、瞑想による幻視幻覚等から形而上的解釈、
推測、哲学的断定、禅定で得た感覚を、解釈して真理だと思い込むな
という教え 結局、その解釈は、色受想行識の範疇の接触を縁としている
わけです 瞑想で恒常不変なる神を発見したというレベルの話と同じです
天地と一体にある世界、宇宙的無意識とかいう鈴木大拙の
インド仏教と異なる日本独自の大拙乗も世界の学者が批判しています
それと空なるものが存在するとか言わないでね
http://fallibilism.web.fc2.com/052.html
仏陀の戒めを破り哲学化、結果、ウパニシャッドと同じになりました
シャカ仏陀の教えが、最初から梵我一如だったなんて言う人もいます
我田引水のご都合解釈もやめてほしいね
仏性なんてインドでは、仏に成れる可能性がありますよ まででした
それを仏性が「在る」とタオと融合した中国思想家が勝手に実体視したわけね
観念論にすると凡夫には分かりやすくなるけど、
そういう妄執も自我の構成に変わりなく、智慧が開発されないと
非二元で悪行OKですなんて人まで出てきて、智慧とは異なるでしょ
悔い改めるため刑務所があるわけで、その煩悩あるがままで毎年禅宗僧侶が捕ま
っている統計データがあります
キリスト教も罪人も救われるが、悔い改め自我を神に明け渡すことで
悪行OKでないですからね 戒はスルーで、非二元悟り思想に固執しても
自我強化にしかならないわけです >>761
聞きたいのですが、人を殺すことは良いことですか?悪いことですか? >>761
> 悔い改めるため刑務所があるわけで、その煩悩あるがままで毎年禅宗僧侶が捕ま
> っている統計データがあります
これ毎度同じこと言ってるけどエビデンス出せる?
エビデンスがあったとして、そこから仏教教義との相関関係を導くには、異なる教義圏での同様のデータと合わせて分析しないと導けないんだけど、それはやった?
あと、上座仏教圏で仏教徒によるイスラム教徒の迫害や虐殺が起こってるんだけど、それについてはどう思ってるの?
以上3点、よろしくお願いします それしょっちゅう書いてるよな
曹洞宗への相当の恨みがあるんだろうね
書いてる人仏教徒だとしたら、なんでその自分の「怒り」を見つめないんだろうか? >>761
比丘たちよ、その場所(処)は存在する
――そこにおいては、まさしく、地なく、水なく、火なく、風なく、
虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処:虚空のように終わりはない、という瞑想の境地)なく、
識別無辺なる〔認識の〕場所(識無辺処:心意識に終わりはない、という瞑想の境地)なく、
無所有なる〔認識の〕場所(無所有処:いかなるものも断片的対象物として存在しない、という瞑想の境地)なく、
表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処:表象があるでもなく表象がないでもない、という瞑想の境地)なく、
この世なく、他世なく、月と日の両者はない。
比丘たちよ、そこにおいて、また、わたしは、まさしく、帰る所(現世)を説かず、赴く所(来世)を〔説か〕ず、止住を〔説か〕ず、死滅を〔説か〕ず、再生を〔説か〕ず、
これ(涅槃)を、依って立つところなきものと〔説き〕、〔対象として〕転起されることなきものと〔説き〕、まさしく、〔転起された〕対象ならざるものと〔説く〕。
これこそは、苦しみの終極“おわり”である」と。
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-3.html
これが瞑想による幻視幻覚ではないという根拠は? >>730の続き
ここで面白いのはその後のロボットはどうなるのか?という問題です 生命ではないとわかった瞬間霧のように消えてしまうのでしょうか?
自我が無くなって茫然自失として精神活動が消失してしまうんでしょうか?
自分は偽物だと気づいたまま生きていくんでしょうか?
その場合は生き方はどう変わるでしょうか?
人間とロボットの違いは?
赤ん坊の頃から自動給食装置だけしかない真っ白の部屋に20年間閉じ込めた生き物は人間でしょうか?
まあ SFの話ですけどねw 何よりも不思議なのは医者や専門家以外、皆自分の身体といいながら各臓器の名前や働きを全て知らない、説明できないこと。
毎日自分の身体とはいいながら、何も分かっていない肉体を運び歩いている事実。 >>762
なら人を殺したい行為は、何にもとづくのでしょ
非二元論だと善悪を無化するので道徳も成り立たないわけです
仏典には、智慧によって慈悲も道徳もあらわれると説かれてます
全人類、生きとし生けるものが幸せにあれと、
清らかな心で善い行為をして、みんなのことを心配して生きる
平和で差別なく、救われる弱者もいて、それの何がいけないのですか
非二元主義によって道徳を壊さず、普遍的宗教になってるわけでしょ
私の両親、子供を殺されても、非二元あるがままでOKです
世の中、犯罪者が増え続け やりたい放題も、非二元あるがままOKです
大量虐殺も非二元あるがままOKです
無化、非二元の結果が何をもたらすか、分かるでしょ
石ころ人間になりたいなら、どうぞご自由に、皆に強制しないでね >>763
ニュースリンク付きの僧侶の犯罪者スレから、統計とれてます >>765
五蓋を滅した時に現れてくる清浄な意識状態を説いているのと、
実在論は異なります
原始仏典に、阿頼耶識なるもの、仏性実在視したものは説かれてません
意識状態の説明と何らかの実在論は、異なります
中部140経
空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、
これらは作られたものであると了知する。
作られたものは無常であり、有も非有も構想せず思念しない
構想せず思念しないので、世間において何ものにも執着しない。
執着しないので恐れない 恐れないので自らまさに完全な安らぎに入る。
すなわち出生は尽きた。清らかな修行は完成された。為すべきことは無し終えた。
さらに、この世(輪廻の状態)に至ることは無いと了知する。
と説かれています >>771
> >>763
> ニュースリンク付きの僧侶の犯罪者スレから、統計とれてます
「僧侶の犯罪者スレ」っていうののURLを教えて頂けますか?
あと、「僧侶の犯罪者スレ」にて「統計」が記載・開示されてるんでしょうか?
もしそうでないなら、その統計データはどこにあるのでしょうか?
もしお手元にあるならその統計データと分析手法を教えて頂けますか? ちなみに法務省の犯罪白書はこちらにあります
http://www.moj.go.jp/housouken/houso_hakusho2.html
もちろん、僧侶だとか禅宗僧侶だとかの統計はここにはないはずです
調べてませんけど
そんな統計政府機関がとったら憲法問題になりますから >>770
戦時中はお国のために敵国人を殺すことは名誉だった。
末期の病気で痛みや苦しみをみていられずに家族を手にかける。
自分が遊びたいお金が欲しいために強盗殺人。
恨みがあったり、三角関係になった相手を殺す。
上記全て殺人です。
別に私は殺人をすすめているのではなく、その中身には色々あるということ。
それを十把一絡げに判断するのは法律ですが、宗教もまた一緒なのか問いたかっただけです。 >>772
>五蓋を滅した時に現れてくる清浄な意識状態を説いているのと、
その清浄な意識状態というのが幻視幻覚ではないという根拠を聞いているのだが >>775
十把一絡げに「判断」はしていないでしょう
「殺人罪」(あるいは同意殺人等)にある意味(少なくとも構成要件段階では)十把一絡げに「殺人」のワクにあてはめているでしょうが、
犯罪の成否、情状酌量等中身の「判断」自体は個々のケースによってなされていると思いますけどね、正当防衛含め 日本のお寺の数! 宗派別の僧侶の数とお寺の数は? 各宗派の信者の数は何人!?
http://hokekyo-k.seesaa.net/article/441204906.html
【日常】僧侶の犯罪・不祥事を語る【茶飯事】2 [転載禁止]©2ch.net・
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1447667384/
僧侶の数が多い真宗と曹洞宗に犯罪者が多く出ているようだ
5 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2015/11/17(火) 09:38:21.17 ID:y7rKKwqo0
前スレ2011〜2015/09までの宗派別犯罪の適当なまとめ(判明分)
1位 浄土真宗 15件(西7、東7、高1)
2位 禅宗 13件(曹9、臨4)
3位 真言宗 10件
4位 浄土宗 4件
5位 日蓮宗 3件
というレスもあるがしかし板の中では真宗の文字がやたらと目立つ反面曹洞宗はそうでもない >>770
>>>762
>なら人を殺したい行為は、何にもとづくのでしょ
・お国のため、苦しむ人の苦しみを消すため、
自分のため、サイコパス、その他。
>全人類、生きとし生けるものが幸せにあれと、
>清らかな心で善い行為をして、みんなのことを心配して生きる
>平和で差別なく、救われる弱者もいて、それの何がいけないのですか
・いけないと一言も言っていません。
清らかな心で善い行いとか?
>私の両親、子供を殺されても、非二元あるがままでOKです
>世の中、犯罪者が増え続け やりたい放題も、非二元あるがままOKです
>大量虐殺も非二元あるがままOKです
・全部OKなはずないでしょ。
あるがままの意味が違うかと。
>石ころ人間になりたいなら、どうぞご自由に、皆に強制しないでね
していませんが? >>777
だから、殺人は情状酌量があったりしても裁判で罰せられるのはどれも一緒。
色々なケースを踏まえ、
殺人=悪はあなたの宗教では同じかどうか尋ねているのですが。 >>780
正当防衛が成立すれば罰せられませんし、執行猶予がつくケースも多々ありますよ
裁判しないで最初から特例扱いしてどうすんですか?そのほうがおかしいでしょ
762 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 09:19:38.83 ID:UbJ3HTbm [3/7]
>>761
聞きたいのですが、人を殺すことは良いことですか?悪いことですか?
これ、聞かれているの私じゃないんですけど、私の宗教ってなんだろw >>781
あら、失礼。
あなたではありませんでした。 あっ、母体保護法(旧優生保護法)上の人工妊娠中絶は「殺人」ではないですけどね >>761
汎神とか唯心とか一元とか非二元だとなかなか分かりにくいから
二元論的に説明するとどうなるん?
心、もとい意識/無意識は存在する?しない?
脳は存在する?しない?
善悪は存在する?しない?
山川草木は存在する?しない?
原子は存在する?しない?
中性子/陽子/電子は存在する?しない?
光子は存在する?しない?
超紐は存在する?しない?
時空は存在する?しない? >>784
仏生は存在する?しない?
仏になれる可能性は存在する?しない?
成仏出来る可能性と出来ない可能性がある時、仏は存在する?しない? >>788
輪廻が存在するかしないか、ではなく
信じるか信じないかだよね。
証明できないのだから。
存在は証明できるもの。
神や輪廻は信じるか信じないかじゃないの? >>789
存在は証明できるというのは、
存在即ち証明できるもの
という意味だよね?
証明できないものは存在しないと。
つまり神も輪廻も証明できない=存在しないと言うことだよね?
信じるか信じないかというのはどういう意味? >>790
証明できないけど、信じるはあるでしょ。
自分はサムシンググレートやUFOを証明できないけど信じているよ? >>791
証明できないものは存在しないが、存在しないものを信じていると言う意味? >>792
あなたは人を好きになったことある?
その気持ちを証明できないなら存在しないことになる? 何かを証明できなくても信じる自分がいる。
しかし、信じる自分がこの世からいなくなれば地球も宇宙も存在しないと同じじゃないの?本人にとっては。 >>765
涅槃は存在する
つまり涅槃は実在?空ではない? >>793
あるよ
遠回しな言い方するな…
証明できないものは存在し得ない、もしくは、存在するとは言えない、のどちらかの意味だと思ったが、
どちらかといえば後者だね?
恋心は証明できるものではないから存在するともしないとも言えない
しかし存在すると信じる
とこう言いたいのかな? >>795
涅槃とは、輪廻から解脱する事だよね?
つまり、輪廻が存在することを前提として、涅槃が存在する…かな??
涅槃が存在する、故に輪廻も存在する
とこうなる? >>796
間違えた
> 恋心は証明できるものではないから存在するともしないとも言えない
恋心は照明できるものではないから存在しないけど…
でも信じる
あるもん絶対だもん
信じるものはすくわれる。なにを?足もとを。
って言ってるんだよね?つまり。 >>771
> ニュースリンク付きの僧侶の犯罪者スレから、統計とれてます
「統計データ」があるのですよね、>761 で発言されたように。
そのエビデンスを示してください。
不特定多数が書き込む匿名掲示板の発言では統計データどころか、事例にもなりませんよ。
あと、私の質問は3つなので、
残りの2つについても、何らかの回答を頂きたいですね。
都合が悪くて答えられないのでなければ、ですが。
参考までに再掲しておきます。
2番目の質問。
>エビデンスがあったとして、そこから仏教教義との相関関係を導くには、異なる教義圏での同様のデータと合わせて分析しないと導けないんだけど、それはやった?
3番目の質問。
>あと、上座仏教圏で仏教徒によるイスラム教徒の迫害や虐殺が起こってるんだけど、それについてはどう思ってるの? >>800
その人いろんな学術スレでエビデンスは?って論争するのが趣味の荒らしだから構ってもしょうがないよ >>801
いやオレ普段そんな事してないんだけどw
どうやって「その人」を特定しとるん?(^^; >>778
そのスレから小学生並の分析(てか割り算)をしてみると、
適当にぐぐって出てきた
http://hokekyo-k.seesaa.net/article/441204906.html
ここに書いてある僧侶数を信じるなら、
真宗 36876→0.04%
禅 19422→0.06%
真言 12389→0.08%
浄土 10871→0.04%弱
日蓮 8146→0.04%弱
なので、
ダントツは真言宗ながら、二位は禅宗なので、日本仏教の範囲内の比較なら禅宗よくないですねって話もわからんではない
ただデータが少な過ぎるwww >>800
ですから、そこはニュース記事リンク付きで僧侶の犯罪を紹介しています
それをカウントしていけば数まで出ます
傷害、放火、窃盗、スカート内盗撮、児童買春、酒気帯び運転、、
仏性顕在ではなかったのですか、すでに仏って何でしょう
事実の指摘であって、どこの国の何教との比較が問題ではないのです
迫害のニュースは知ってますが、それ在家仏教徒が含まれますでしょ
国は、イスラム化を認めてないでしょ
それを言うなら、戦争を支持した日本仏教は、どうなるのでしょ
昔は僧兵もいました >>805
基準を設けてデータを収集しないと統計とは言えませんよ
匿名のスレ住民がニュースをピックアップしてて、その網羅性を誰も担保してないでしょう
「統計データ」ではありません
> 事実の指摘であって、どこの国の何教との比較が問題ではないのです
では、中国思想やタオと関連付けて語ることは出来ませんね
> 迫害のニュースは知ってますが、それ在家仏教徒が含まれますでしょ
在家仏教徒を扇動している上座仏教僧侶(それも高僧)がいますね
ウィラトゥーの969運動
当然ご存知ですよね
私は別に日本仏教も曹洞宗も擁護してませんよ
比較で上座仏教とどっちがって話をしているわけじゃないんです
統計をもって曹洞宗を批判するなら
その統計は正しくかつ典拠を示せるものでなくてはならないし
批判対象を、仏教全体ではなく曹洞宗や日本仏教に限定するなら、その結論を元の統計データからどう導くのか説明が必要だということです
統計は原理的に元のデータの範囲内の事しか語れないので
日本仏教固有の思想を原因として推定するなら、その思想を含まない要素も含めた母集団で統計をとって、相関関係を見ないと駄目です
というわけで、まだ1〜3ちゃんとお答え頂いていない形になってます
特に2をお忘れのようで
よろしくお願いします >>806
中国思想と関連している宗教が、毎年犯罪者を生んでいるのは事実です
犯罪ゼロの年がないんです
しかも仏性が有ると主張する仏教徒の僧侶です
統計データというのは、803のように容易に算出できるデータです
私が曹洞宗を批判するなら、むしろ日本仏教学会の学者の学術研究結果から
ゴータマ仏陀の教えが釈迦仏教ならば、それとは明らかに内容が異なり、
中国の土着思想によって変容された似非なる改造仏教でしょう
煩悩に対する感官抑制防御も甘い、慧の修習が欠けた教えです
犯罪を生み出す要因に、煩悩は関係します そんなお手軽情報、「統計データ」なんていいませんよ >>807
> 中国思想と関連している宗教が、毎年犯罪者を生んでいるのは事実です
> 犯罪ゼロの年がないんです
中国思想と「関連していない」宗教が、犯罪者を生んでいない、若しくは犯罪ゼロの年がある、という事を貴方は確かめましたか?
それがあって初めて中国思想と犯罪の関連性を語れるんですよ
> 統計データというのは、803のように容易に算出できるデータです
私が計算したアレですか?…
ありゃ統計なんて大層なもんじゃないですよ
各宗派の固有の要素を正規化してない、ただの割り算です
しかも対象は日本だけ
というわけで、
1は統計データが他にあるならある、無いなら無い
2は比較をやった事があるならある、無いなら無い
3はウィラトゥーとそれを支えるミャンマーの上座仏教会についてどう思うのか、犯罪性があると思うのかどうなのか
さくっと答えてくださいな
深く考えること聞いてないですよね >>810
事実の指摘という意味が分かってないよね
・地球を調べたら、球形でした
・昔、オウム真理教という教団が、犯罪事件を起こしました
・中国思想と関連している宗教が、毎年犯罪者を生んでいた
しかもそれが仏性があると主張する仏教徒の僧侶です
これら3点のどこに間違いがあるのでしょう
5ちゃんに言論統制でもあるのでしょうか
語ってはいけないって何、貴方側の観念であって、どこにそのような
法律、規則があるのかな >>811
曹洞宗の僧侶は16000人
うち年間何人が犯罪を犯してるの? >>811
>・中国思想と関連している宗教が、毎年犯罪者を生んでいた
> しかもそれが仏性があると主張する仏教徒の僧侶です
中国の仏教は不覚→始覚→本覚
日本の一応源信が確立したとされる(実際に誰なのかは不明)本覚思想は最初から本覚
この違いがある
曹洞宗はその宗祖の道元が本覚思想に立脚していたとはいえ、平安末期に流行していた既に悟っているから修行不要という立場はとらずに修証一如(修証一等)とした
だから曹洞宗の僧侶で犯罪を犯しているのは単純に修行が足りないからとなる
修行が足りないので悟りの世界、即ち仏の世界をまだ体現できてなく犯罪に手を染めてしまったということである 道元さんパイセンやで?
わしら瞑想家のパイセンやろ
その大パイセンの悪口よく言えるな >>811
> 事実の指摘という意味が分かってないよね
だから貴方の場合は、自分の主張に都合のいい事実「のみ」を取り出して、
自分の主張の裏付けとして持ち出すから、駄目なんですよ。
しかも、データの収集基準が明らかではない恣意的な事例の集積にすぎないものを統計があると言った。明らかな間違いです。
ダブルスタンダード。
自分の主張にとって都合の悪い「事実」について聞かれると、一切答えない。
5chに言論統制はありませんが、この私の指摘も規制は受けません。何度でも指摘します。
貴方の主張はダブルスタンダードだ。
それを覆したいなら、
まず↓のような都合の悪い質問にも単純に端的に答えることが出来ること。そこからです。第一歩は。
再掲します。
>1は統計データが他にあるならある、無いなら無い
>2は比較をやった事があるならある、無いなら無い
>3はウィラトゥーとそれを支えるミャンマーの上座仏教会についてどう思うのか、犯罪性があると思うのかどうなのか
では、よろしくお願いいたします。 僧院で過ごしたビートルズの中でも、ハリソンとレノンが瞑想の修行に最も熱中した。
『ビートルズ・アンソロジー』の中でレノンが「僕は部屋の中で5日間瞑想した」と言っている。
「何百という曲を作った。眠れなくて、狂ったように幻覚を見ていたし、匂いまで感じる夢も見ていた。2〜3時間瞑想すると、その後に3〜4時間そういう状態になる。瞑想はそういうトリップした状態に入るための方法で、その後は本当に最高のトリップを体験できるんだ」と。
ボブ・スピッツ著『The Beatles』の中で、シンシア・レノンがその時のジョンは瞑想すると何も気にならなかったと言い、
「ジョンとジョージは(僧院で)水を得た魚のようになった。彼らはマハリシの教えに没頭し、幸せで、穏やかになっていた。そして何よりも、長い間彼ら自身が否定していた心の平和を見つけられたのだ」
と述べている。
ハリソンは瞑想とマハリシの両方が自分の人生に大きなインパクトを与えたと感じた。
彼は「瞑想で酔ったような状態になるのが最高だった」とポール・サルツマンに語っている。
「ドラッグを使っていた時よりもハイな気分になれる。それにこれは僕にとって神とつながる方法でもある」と。
また、ハリソンは僧院に来た目的を真剣に捉えていた。
『ビートルズ・アンソロジー』でマッカートニーがハリソンについて
「彼は本当に真剣だった。僕が次のアルバムの話をしたら、彼は『ここには音楽の話をしに来たんじゃない。瞑想をしに来たんだ』と言った。
そこで僕は『ああ、わかったよ、ジョージ君。でも冷静になれよ。ここでだってユーモアは必要だぜ。実のところ、僕もここは気に入っているよ』と返したんだ」
http://rollingstonejapan.com/articles/detail/28045/4/1/1 超越瞑想とマインドフルネスは根本的に違う
三昧で悦に浸るだけの瞑想ならオウムと変わらん >『The Love You Make』でピーター・ブラウンが>「ポールには全く効果がなかった。マハリシの偽りの真剣さも、瞑想の退屈さも、彼にしてみれば、まるでつまらない学校に通っている感覚だった」
>と書いている。
マラリシの超越瞑想はポールには全く効果がなかったとピーターブラウン氏は書いているようだが、
最近になってポールはマハリシと超越瞑想の素晴らしさをマスコミの前で積極的に語ってるし、
その中でインドでの瞑想中の不思議な体験についても語ってたりしているから
ポールにもちゃんと効果はあったようだ
同じくリンゴにも
https://youtu.be/zGPH3TYNhaM
https://youtu.be/BsTPFUnOgN0
ただ超越瞑想は一般人がやろうとしても金がかかって中々できないのが欠点
ヴィパッサナー合宿では出来る範囲での布施をすれば良いみたいだが超越瞑想のコースは高額な金額での明瞭会計となっている
http://tm-meisou.jp/detail-tm-course-tuition/ 瞑想ってハイになりがちなもんでね?
超越瞑想はもともとそういうもんだと思ってるから当然として、
座禅はそれほどでもないとはいえ、
禅病とかあるからな…、
やっぱ丹田とかに意識もってっちゃったりするとなりやすいとか、あったりするかな?
つうかつま先とか指先だったらならないとかありうるんか?そもそも。
気が昇ったら下げたら下がるけどそれは瞑想とはいわないだろうし…
観想とかゆうやつ?
それはともかくある程度ハイにならないと背筋伸びなくない?
背骨の湾曲が正常な人は座ったまま寝ても背筋まっすぐとかあるんかな?
旧陸軍の人で立ったまま寝てたつう人いたからありえなくはないか… またアンチが沸きそうなネタを持ってきちゃってもうw… ウィキペディアによると超越瞑想は一日に朝夕の二回一回15〜20分のマントラ瞑想を行うとなっているけどその範囲ならそんなにハイになることはないような気がする
ジョンとジョージはそのハイなりトリップするのを求めて2〜3時間も瞑想してたからそうなったんであって
マハリシの指導がどうだったのかは知らないけど
達磨禅師も瞑想でハイになって瞑想中毒になってしまったから手足がなくなったと比喩されるほど座禅し続けたという説もあり
長時間瞑想してるとどこかでドーパミンがブレイクしてラリラリになるんだろうね ハイみたいなものはピントが合えばほんの数秒でもなるよ
瞑想じゃなくても催眠とかでもなる人はなるし
ビートルズのメンバーなんてドラッグやりまくりだったんだから心のコントロールのコツだって知ってるでしょ
ハイなんていくらなっても大した意味ないと思うけど 最後の行だけ同意なんだけど、
いわゆる
「マインドフルな状態」というのが、高揚感にも抑鬱感にも大した意味はないという見方かというと、ちょっと違うような気もする。
まあ、ないんだけど。 >>822
超越瞑想は原理的にはマントラ使ったサマタ瞑想とほぼ同じだからな
んな怪しいとこに十数万も払うくらいならヴィパッサナー合宿でアナパナ習ったらいい >>827
>ハイなんていくらなっても大した意味ないと思うけど
煌々とした光悦感の中で神(宇宙)と繋がることができるみたいだね
ビートルズの記事を読むと
>『ビートルズ・アンソロジー』によると、レノンは「マハリシに『僕たちはここを去る』と言ったんだ。
>彼は『どうしてだ?』と聞いてきた。
>僕は『あなたは宇宙とつながっているのだから、その理由もわかるはずだ』と言って、『あなたは分別があるはずだ』と繰り返し言い続けた。 >>831
自分は色々な道はあってしかるべしとは思うが超越瞑想のお金の件はやはり引っかかるね
ビートルズみたいなお金持ちは良いんだろうけどさ サマタっぽい話も出てきたので体験談を少し 私の先生は解脱以外は意味がない 戯言に過ぎないっていう過激な人だったので最後の最後はサマタ(ぽい何か)だと言ってました
一生懸命やりましたよ 死んだようになりました でもやり方間違ってたんですよね
人生ですべきことは全部これでもか!とやった後に という注意事項を見逃してたんですね 一応感覚も意識も一切働かない境地(無意識は動いてる)までいったけど何も変わりませんでした
それから自分を観る瞑想をやったんですけど
最後はサマタのような気がしますね ハイにしろ神秘体験にしろ無の境地にしろ、何か求める自分が消えないと意味ないじゃん
何か求める自分が消えたらもう不満も文句もないんだから言うことないし、結局まだ欲や恐怖の主体が消えてないだけなんでしょ >>833
> >僕は『あなたは宇宙とつながっているのだから、その理由もわかるはずだ』と言って、『あなたは分別があるはずだ』と繰り返し言い続けた。
妄想と常同行動?
インド大麻ではないな…
アシッドでもない…
統合失調症の前駆症状ですね。 >>836
そうなんですよ 仰る通りで本当は瞑想に入るのは全てをやりきって虚しさが残った人 または生きるためにどうしても真実を知らなければいけなかった人が向いてると思います
でもマインドフルネスの場所なのでそこまで気合入ってなくても良いと思いますけどね
ところでマインドフルネスの状態が続かないと感じてる人は何に困難を感じますか? 途中で思考に乗っ取られるとか?
集中力が続かないとか? 怖くなるとか? 一切衆生は本より涅槃常楽の体にして、法身般若の智身なれども、
此(この)五蘊の色心に迷ひ、ゆえに凡夫となり三界に流浪するなり。 この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、
わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、
貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり。 かかるむほんなどをたくまんと、おもいいた最初の一念は、たばこの煙などのごとくにして、
きわめてかすかなる、ただ一念の妄想なり
この一念の妄想を、わざわひの本ぞと知らずして、ひたと思いかさぬる故に、
はては一天にみつる雲のごとくにして、いよいよ思いやめがたし。
その最初の一念のとき、やれ妄想よと、あきらめ知りて、胸の内にて消さん事は、
何よりもってやすき事なり。 妄想もまた、これに似たり。
最初の一念の時、はやく思い捨つべし。
一念心をひるがえせば、無始久遠の妄念も、刹那があいだにはるるなり。
このことわりをわきまえて、夢の妄想を思い捨てて、さとりの心にもとづくべし。 最初の一念は、たばこの煙などのごとくにして、
きわめてかすかなる、ただ一念の妄想なり
つまりや・・・^^
簡単に言うと・・^^
一念三千や・・^^ >>840-843
そういうのは分割レスするよりもそのお経が書いてあるサイトのURLを貼る方がよろし 瞑想を妨げるものは瞑想より楽しいことが他にあるという幻想である。 >>845
そりゃドラッグでドーパミンへの耐性(ドーパミン受容体のダウンレギュレーション)が随分とついていたと思われるビートルズの面々に
耐性をものともせずにドラッグ以上にハイにさせることができたりするからねえ>瞑想 >>815
どうなるかと思って見てたが逃げられちまったじゃんwww >>848
まあ2号さんだから答えに窮すると逃げるでしょ 東京マインドフルネスセンターのリトリートに参加する予定ですが、行ったかた感想お願いします >>848
>>849憶測乙
相対的な観念論の域に入ったからね、あーだ、こーだと
議論が終わらなくなるからね、観念的議論しても戯論でしょ
他のスレで忙しいし
議論に勝たないと気がすまない人は、気づきのない思考でまだ無知なのよ
どういうことか教えたいけど長くなる、昔は自分もそうだったけどねw
とにかく事実を書く、観念論でなく、思考に支配されず、思考を道具として ペーパーフィルターをメッシュフィルターに替えればコーヒーの味が変わるように
人間が変われば見えている世界も変わるだろうね >>852
いやいやいや、何言ってるの。
私、事実がどうなのかしか聞いてないでしょうに。統計の話とウィラトゥーの件。じっくり考える内容でもない。
まだ回答もらってないから、あの質問生きてますよ。
1と2は事実についてYes/No。
3は事実に対する意見だから、いま思ってることをさくっと言うなり判断出来ない理由を言うなり、とにかく別に難しくはない。
この852を書く余裕があればさくっと書けるでしょうに。
どうする?質問再掲する? >>852の内容がまさに観念論そのものなのだが、2号さんはそれも自覚していて、というかワザと観念論で書いて大ボケでお茶目に逃げようしているね
もし想像乙というのなら>>815の実にシンプルな問いに答えてみてよ
YESNOだけで考えなくで答えられる問いだから直ぐに答えられるでそ >>856の自己レス
YESNOだけで考えなくで答えられる問いだから直ぐに答えられるでそ
↓
YES/NOだけで考えなくても答えられる問いだから直ぐに答えられるでそ 自分の信念にとって都合のよい事実しか取り上げない心の特性=確証バイアス。
それを見せてあげてるのになあ…
こんな事でちゃんと回答できない様じゃ一生己の確証バイアスに気づけないと思うんだけどねえ… >>859
確証バイアスは心理学用語なので解説付きが良いかと。
確証バイアス - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/確証バイアス
"認知心理学や社会心理学における用語で、
仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと[1]。
認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている[2]。" >>860
ありがとですw
>>861
> 両方調べるのは何バイアス?
偏ってないのはバイアスとは言わないですね。
バイアス
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/バイアス
「バイアス(英語: bias)とは
偏りのこと。
「サンプリングバイアス」(標本抽出の問題により、母集団を代表しない特定の性質がまぎれこんでいる)
のように統計で用いられる。」
なるべく影響の無いフィルターを使う。
そのようにして事実と世界を観る。
それがバイアスを除去するということです。 バイアスという言葉は2号さん(>>852)が好んで使ってたw >>852
>>855
どっちもやめてほしい
あなたたちが議論が好きなのがわかるだけで、なにも有益なものがないから >>865
え、あなたこの話から何も有益なものを得られないの?
マジで?…
事実をどう観るかって話だよ?
議論が嫌いなだけで、中身読んでないんじゃないの? >>865
もうこのスレ見るのやめた方がいいかもね
観念(パンニャッティ)による認識では真実は見えないし
それすらわかってない人の多さよ
このスレ見る時間も瞑想に充てた方が断然有益だよ
瞑想仲間との意見交換はここ以外いくらでもある
ここは観念に囚われて瞑想をろくに経験してない人の集まりになってしまった
自分はもうここ卒業するよ
今までちゃんとした瞑想仲間はほとんど去って行ったよ >>868
お前性格の悪さ滲み出てるな
瞑想なんて全くしてないだろ >>867
千眼のなんとかとか二つ名持ってたりする? >今までちゃんとした瞑想仲間はほとんど去って行ったよ
エスパーですか? >>865
>>867
>なにも有益なものがないから
という思いと同化してなく離れなさい
知ってた?、某長老は、在家は根拠,証拠をもとに大いに議論しなさいってw
有効な思考があることは、テラワダでも認めてるのよ
>瞑想に充てた方が断然有益だよ
という思いでなく同化してなく離れていなさい
>卒業するよ >瞑想仲間
他の人間に対して排他的、差別的になるのが瞑想ね
専念したい環境を求めるのは自由だけど、
準備が不足している人の結果は知れているけどね
ちょっと波が立つくらい、5ちゃんだし、無常だし、
状況に観念で抵抗してネガティブにならなくてもね
こうでなくてはダメという観念に束縛されていても、見取見
私は常駐しているつもりないけど、たまに知らなかったこと知れて
参照してるし、このスレに依存的にハマらず、自己を観てたら いい議論もあるけどまともな議論にならない議論はするなって仏陀も言ってるしな この掲示板はマインドフルネスにぴったりだよ!
大人になったらあんまり対立 衝突しないでしょ?自分の意見なんて会議でもシンポジュームでもほとんど言わないし
ここは匿名性高くてむき出しにできる場だから価値が高い
自分には価値がある 認められる存在だ という根深い思い込みを観るのに最適! この思い込みは最後の最後まで残りやすい
自分も8割ぐらいこの目的で覗いてますw いや、そんなに難しい話じゃないよ
2号さんが>>815の質問にさっさと答えれば終わる話をgdgd理由つけて逃げてるから終わらないだけ
ただそれだけ 相手が逃げてると思うならもう議論しなければいいのに
逃げるものがあるなら逃がしてやればよかろうよ >>815
そうやって追求するのがくだらないと思う >>877
ただそこにある事実を示しているわけで、バイアスとは異なる
バイアスによる影響は、その主観的視点、見解を事実と混同する
例えば、オウム真理教について、教団の特徴と事件の事実を説明するとする
そこに恣意的なものはない
同じく某宗門についての特徴と事実を書いた
おそらく彼は、バイアスによる観念的見解と、単なる事実の区別ができてない
またこういうこと書くと、反論がくるわけでしょ
ですから私が逃げたのでなく、あえて無記でストップさせたんです 今まで散々某宗門()を批判し続けてきて
今さら釈迦気取りで無記かよ
だったらこれからもずっと無記でいろよ
ウザイから >>882
無知なのか、形而上学問題について無記、そこんとこはシャレ
仏典を読めば、如来の教え(仏教)とは、〜〜で、それ以外の教えは
外道と説かれ注意喚起していた また択法覚支、解脱に役立つ教えと、
そうでないもの、利益となる教えと有害となる教えを分別、物事の正邪真偽を
実際に判別して示していた 仏典と学者の学術研究結果の引用
うざいなら5ちゃん見なければ、娯楽の代わりの瞑想ごっこでなく、
その うざい思いがどうして発生したのか、自分で分からず瞑想してんのか >>881
>>761
>仏性なんてインドでは、仏に成れる可能性がありますよ まででした
>それを仏性が「在る」とタオと融合した中国思想家が勝手に実体視したわけね
これは事実ではない
仏性が本性として具わっているという論はインド由来だ
大乗だけではなくパーリ仏典にも心性本浄説の句がある
>非二元で悪行OKですなんて人まで出てきて、智慧とは異なるでしょ
非二元で善悪はないから悪行もOKなどという理論で悪行を成すものがいるという証拠は?
事実というのならその証拠を出さないとな
>悔い改めるため刑務所があるわけで、その煩悩あるがままで毎年禅宗僧侶が捕まっている統計データがあります
僧侶の犯罪スレでは統計まで出してないだろ
ここでも事実ではないこと言ってるしどうしようもないな >>883
>そうでないもの、利益となる教えと有害となる教えを分別、物事の正邪真偽を
>実際に判別して示していた 仏典と学者の学術研究結果の引用
曹洞宗の教えは有害だと仏典を根拠に2号さんが論を述べることができるのか?
学者で曹洞宗の教えは有害だと研究した人がいるのか? >>884
>>885
スレチでしょ、誰も曹洞宗の教えが有害とは書いてない、被害妄想
田上太秀、大蔵出版の本から抜粋
「仏性は煩悩をすべて除去すれば顕現すると言っており、すでに実体として
内在するとは説いていない。この点を理解しなければならない。」
仏種は、仏になる可能性(仏性)の種という説明
佐々木閑、NHK出版の本から抜粋
「大乗涅槃経では、仏陀に成れる資質を備えているとは言ったものの、
すでに仏、悟りに至っているとは、一言も言っていません。
条件さえ整えば、仏陀になることが※可能であるという話です。」
仏性、実在実体視論の発案は、中国思想家、嘉祥大師と松本氏の論文に
非二元で善悪関係ないという人が実際に5ちゃんに複数いた、1号もそう
実際、曹洞宗の僧侶が犯罪を犯して捕まっている
簡易的な統計なら出せる、犯罪者が発生している事実、累積にすると多い 不安になった時とかみんなどうしてるの?
やっぱり「不安になってるな」って客観的に考えるのが一番? >>881
> ただそこにある事実を示しているわけで、バイアスとは異なる
私あなたの示した事実については反論してませんよ。
中国思想と結びつけて論じるには、いま提示されている事実のみでは母集合が足りないと言っているのです。
> ですから私が逃げたのでなく、あえて無記でストップさせたんです
では逃げないで。
私が質問しているのは事実です。それ以外の何物でもない。
質問1は、あなたが言及した「統計データ」は他にあるのか?
Yes or No。
スレは統計データではありません。理由は述べました。
質問2は、中国思想との関連を語るには中国思想の影響下にない地域の犯罪データが必要です。実際にその比較をしたのか?
Yes or No。
質問3は、ウィラトゥーの939運動とそれを支えるミャンマーの上座仏教圏についてどう思うのか?
これもどう思ってるのか事実だけです。
犯罪だと思うなら何らかの形で上座仏教圏の犯罪統計に組み込む必要がありますからね。
すべて事実についての質問です。
そして、事実については私は反論しません。
てか事実は反論不可能ですよねw だからしないのではなく、出来ません。
以上、よろしくお願いいたします。 >>886
> 実際、曹洞宗の僧侶が犯罪を犯して捕まっている
> 簡易的な統計なら出せる、犯罪者が発生している事実、累積にすると多い
その計算したの私ですがwww
数では浄土真宗がトップ。
僧侶との比率では真言宗がトップ。
そのデータで何故曹洞宗にこだわりますか?w
あと犯罪だったら上座仏教僧侶でも捕まってますからね。調べたの2,3年前なんでデータはHDD掘らないと出てこないですが…
それから、ロヒンギャ族の虐殺の扇動をどうカウントするかですよねえ… >>886
曹洞宗の教えは悪くない、ならそれでいいじゃん
2号さんの>>883の
>そうでないもの、利益となる教えと有害となる教えを分別、物事の正邪真偽を
>実際に判別して示していた 仏典と学者の学術研究結果の引用
この言葉は全くの不要、というか>>882へのレスとしてこの言葉を入れてはいけなかった
理由は>>882の最初の一行を読めば分かるだろう
仏性は一切衆生悉有仏性はインド由来だということ
一方で五性格別も中国ではなくインドの唯識由来である
ちなみに梵文法華経では仏種の説明として「真理を見る目は常に確かに存続していて、諸々の法の本性は常に光輝いているのである」としている
これでインドで実在視してなかったと言えるのかい?
非二元で善悪関係ないは2ちゃんの話か、狭い世界だね
犯罪者も非二元だから罪を犯しても構わないという確固たる思想の下に罪を犯したというのかと思ったらそうではなく、2ちゃんの人物から類推しているだけ
犯罪者の心理として事実ではなく単なる推測しかも推測のソースは2ちゃんの特定人物
簡易的な統計データで「煩悩あるがままで毎年禅宗僧侶が捕まっている」ということが分かるのか?
本当に事実を書いているのか?
言ってることが無茶苦茶にしか思えないのだが
敢えていえば自分に都合のいい学説のみ貼りまくっている印象はある 犯罪者も非二元だから罪を犯しても構わないという確固たる思想の下に罪を犯したというのかと思ったらそうではなく、2ちゃんの人物から類推しているだけ
↓
「犯罪者は非二元だから罪を犯しても構わないという確固たる思想の下に罪を犯した」というのかと思ったらそうではなく、2ちゃんの人物から類推しているだけ 単純明解な事実に関する質問なのに、
よほど自分の信念にとって都合が悪いのか、
全然答えてくれないもんだから話が進まない。 >>887
そうだね
まず不安になってることに気づくことからはじめること
気づかないことには脱同一化できないから
気づくことを繰り返してれば、だんだん不安を一歩引いたところから眺めている感じになる
順調にマインドフルが進展すれば、やがては不安そのものがなくなる
自分が不安になる、その自分という主体がなくなるからね >>893
本当に自分という主体はなくなるの?
あなたはそれを体験してもうすでにその境地にいるの? マインドフルネスは主客分離して主体が客体を観察し続けることで今ここであり続けるんじゃなかったかな?
客体を観察している主体がある限り主体がなくなることはないんじゃない? そんな大げさなことではなくて主体なんて部分的に消えたり増えたりするでしょ
同じことでもそれが不安になる人もいれば不安にならない人もいるし不安でも不安にならなくなったり不安になるようになったり
元々確固たる主体があるわけじゃないしそれぞれ自分で無意識に主体を増やしたり減らしたりしてるだけ
主体というと大げさだけど自我を大きくしたり減らしたり 客体をありのまま観察することで余計な自我(判断、感情、価値観)が生まれないようにするのがマインドフルネスでしょう
余計な自我を生じさせない、いままで持ってた余計な自我を手放すという意味で主体がなくなるということ >>897
観察する主体は残るよね?
自我は客体であって主体ではないと思うよ >>898
元が不安になる主体がなくなるって話だから不安になる主体=自我のことなんじゃないの?
その流れで主体=自我って話をしたんだよね
不安になる人は心を主体と思ってるわけでその主体はなくなるしマインドフルネスでいえば心は客体だよね >>886
仏性を説いた大乗涅槃経では仏性=我としている
「我とは即ち是れ如来蔵の義、一切衆生悉く仏性有り、即ち是れ我の義なり。」(新国訳大蔵経大般涅槃経295頁)
http://www.homyou.hello-work.jp/ron43.html
詳しくは上記サイト真ん中の「仏性は真我」を参照 >>887
不安を感じきって観てますね
「不安」て言葉は何を意味するのか 具体的には体の反応があって感じる不快感ですよね
もっというとそれは「不安」ではなく恐怖 怒りかもしれない あー 胸の辺りが嫌な感じするなー 自分はこのことは何か苦手なんだなーと観る感じです
客観的に分析して原因を理解して対策を立てて上手くいく場合もあります 例えば手の平に人を書いて飲み込めとか
ただ上手くいったとしても大抵原因の理解は的外れだし本当に客観視すると その瞬間に不安を妄想して体が反応しているとしか言えません
客観視も妄想なんですよね >>887
マインドフルネススレだからとくに言わないほうがいいかと思いましたけど自分は不安が生じる原因まで熟考してます
自分に何か守るものがあるから不安になるわけで何も守ってなければ不安にはならないですし
じゃあ一体何を守っているのかそれは守らないといけないのかということ
初期経典ではその守ってるものは永遠なのかそうでないのか、永遠でないならなぜ守ろうとするのかみたいな釈迦の説法が多いです
いつか消え無くなる無常なものをなぜ守ろうと抵抗するのか、みたいな
何故不安が生じるかというと、何かを永遠のように錯覚してたり心身の連続性や生死の観念を持っていたり、
そのへんの根源的な無明から枝葉的に生じていることがみえてくるのですが、本当に納得できるほどそれがハッキリみえると不安は生じなくなると思います 横からむしかえすけど、覚者たる人は「不安」ってのはなくなるの?本当に?
不安がありながらその不安をありのままに見られるのが覚者なのか
不安そのものがなくなるのが覚者なのか
精神異常者でなくて、本当に苦や不安はなくなるの?煽ってるんじゃないからね そもそも不安だったら恐怖心があるからありのままになんて見れないし
本当にありのままに見ることができたときは恐怖心もなくなってるわけでそこにはもう不安はないでしょう
覚者じゃなくたって性格の違いでなにに不安になるかなんて違うんだしその人が不安だと思うものが不安なだけなんだから >>903
それって凄く気になるし理解しがたいし疑問ですよね
私が初期の無我の理解を得た後の経験では自分がハリボテだとわかったせいか一気に肩から重荷が降りた感じです
主に仏教系の瞑想をしてました
一方修行記録を公開していてなおかつ悟りの境地を語っている覚者の中には視点が変わるのが悟りで執着の量は関係ない
中には頭上の少し上から笑ったり泣いたりしている自分を見ているという人までいます
結論は身もふたもないですがやっぱり自分で確かめるしか無いんですよね >>902
家族、信用、信頼、友人、責任、それらは守るべきものであり、それらを捨てるのは出家しないと厳しいよ
悪魔パーピマンが言った。
「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。
ブッダは答えた。
「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」
スッタニパータ ダニヤ経の結びだけど、俗世ではパーピマンのいうことの方が納得できる人の方が多いと思う
パーピマンがいう喜ぶことの源泉となる執着するもとのものとは言葉を変えれば守るべきもの
その拠り所を捨てるというのは簡単ではないと思うよ >>903
イスラム国に捕らわれた人、悟りの境地のお顔でしたよね。
自分の死直前にあんな風でいられる人はいないかと。 >>908
守るべきと執着して守っているのと
いつ失ってもいいと執着せず一応かたちとして守っていくだけなのとあるでしょう
厳しくても後者なら出家しなくても誰でもしようと思えばできるのでは >>911
後者は不安の種にはあまりならないと思う >>900
日蓮教学から引用とは、後世創作思想の大乗涅槃経、
仏が内にいるよでも、よく読めば仏に成れる可能性の話でしょ
仏教学会の学者の禅宗の非仏教説は、探偵並みの頭がないと理解できない
この謎解きが実に面白いけど、肝心の松本史郎氏の論文リンクが消えてて、
本読んでくれとしかね
根源基体説と仏性顕在説→中国思想家、嘉祥大師の案、タオ思想の影響
非二元一元論→天台の荊渓、依正不二の立場、草木成仏が説かれる
山川草木悉有仏性、草木国土悉皆成仏は、インド仏教にない
インド仏教にない無情(山川草木、自然界の事物)仏性が説かれる
そして煩悩のない無情仏性が優れていると、無情のあり方を目指し、
無念無想、無分別、不二へと陥る 最終的に梵我一如、ウパニシャッド化
人間の頭は、本当に、超越的な根源真実在、神、宇宙何とかと一体が好き、
自然界に神仏が宿る(顕在)と、キリストでは神の被造物、
古代の人の頭で創った思想が先で、瞑想とドッキングしてしまった
宗祖が有名だからとか伝統だからとかで、信じることなかれと説かれて
いる古層仏典、注意喚起していたけどね お前らそんなことより一法庵、山下の次スレ立ててやれよw >>914
>仏性を「仏になるタネ」としたら、実体的な感じがしてよろしくないが、「仏になる可能性」だったらいいのではないかと私は思うが、
>そつのない松本史朗氏のことだから、「仏性には仏になる可能性という意味はない」とちゃんと釘を刺している。
松本史朗『縁起と空 如来蔵思想批判』 3 仏性・法
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/12c2a22ae6567df92065b7237c13b89c >>902
おお 素晴らしい! 非常に探求者的ですね! >>893
>>901
>>902
わざわざ詳しくありがとう!
凄い参考になるよ
これからやってみる それにしても一つの質問に詳しく教えてくれる人がたくさんいるなんていいスレですなあ >>921
不安を観る時に自分の本当の気持ちはどんなだろうと嘘偽りなく勇気を持ってぶち当たって下さい!
無意識は必死に弱い自分 不甲斐ない自分を見せまいとオートマチックに働きまくってます
心 思考を観ると同時に分け隔てなく体 動作も観て下さい
....っていきなりは無理ですよね
とにかく頑張って下さい! >>914
たぶん書いたの2号さんだと想定してレス。
統計であからさまな間違いを言ったりしなければ私も突っ込まないので。
統計があるとかいう話を避けられたようで、慎重なのは良いことです。
私のあの3つの質問も答えられないなら答えなくても結構ですが、
でも、今そのあなたの持っている確証バイアス(「バイアス」とは違う)とは、いずれ直面して、自己を見つめないといけないと思いますよ。
まあ私の言いたいことは、こんなとこです。 >>923
貴方は、瞑想でなく、般若心経や修証義等を読経している人
でしたっけ?なぜこのスレにいるの?2号と呼ぶ人、最近ではいないからね 理屈ばかりの人は瞑想なんてしないんだから
放っておいたらいい >>922
ありがとう!頑張るよ
動作とかも見てみるようにするね >>926
で、その決め付けと差別と排他性は、貴方の瞑想(迷走)の結果ね
毎日しているけど、報告する義務もない 歩行中でも可
Sn.782「自分の行について、自らまくしたてる論者は、凡愚にして
聖ならざる者の論である。」 >>924
いや、般若心経とか読んだこともないし、どちらかというとマハーシ系の瞑想ばっかりやってる。
国内で短期のリトリートも何回か行ってるし。いつか長めの休暇をとってミャンマー行って短期出家でもしてみたいと思ってるけど。
2号と呼ぶのは他の人が呼んでるのを読んだからで、何が2号で1号がいるのかどうかも知らないよw >>927
スマホ使っているならMEISOONという瞑想アプリもお勧め
誘導瞑想なんだけど実に巧妙に誘導してくれる
https://i.imgur.com/8mrhNt5.jpg
無料のベーシックな瞑想だけでも充分だけど、より個別的なアドバイスが欲しい場合には自信をつける瞑想もいいよ
ただし有料(と言っても数百円)だけどね
https://i.imgur.com/jNVHPNV.jpg
双極性障害だけど治療やめたった! うつ状態は瞑想することで切り抜けました!
https://hr-diary.com/interview-2
より
https://i.imgur.com/fLMRALf.jpg 理屈っぽい話をすると、瞑想やってないんだろとか、瞑想やっててそれかとか言われたこと何回かあるし、
別のところで瞑想体験を口ばしってスピ系みたいな扱い受けたこともあるけど、
マンガのキャラクターじゃないんだから自分の抱えてる類型パターンになんか人間そうそう当てはまんないって。
誰あてでもなく呟くけど、
仏法は世界全部を含むから理屈も仏法の一部だから。
理屈では理解できないことがある、理屈じゃないもの、理解でもないものがあるという理解は必要だけど、
理屈でいくのが正しいものは理屈でいかないと間違うからな。
その切り分けが出来なきゃ世界にはアプローチできんよ。 >>929
2号です、魚川氏は、インサイトメディテーションの創始者コーンフィールドさん
のミャンマーのマハシ式センターでの体験で、ここで瞑想の技術が向上しても、
人格的には向上しないと両氏の感想がありますね
そしてコーンフィールドさんは、そのような瞑想者には成りたくないと、 1号、2号のネーミングの由来とそれぞれどういう人なのか
簡単でいいから誰かちょろっと教えてよ
誰もが知ってるみたいに1号、2号とかいう記号が出されても何だかわからん
掲示板的に言えば一種の馴れ合いだぜよ >>932
瞑想やっても人格は向上しないですね。
でも、私は人格の向上などという曖昧なものは求めてないので。
〇〇〇が出来るような素晴らしい人になりたい、とかたまに聞きますが、
だったら今すぐ〇〇〇をやればいいんじゃね?…としか思いません。
なりたいなりたいは、〇〇〇を今すぐしない理由付けか、〇〇〇をすることの世間からの称賛は受けたいけどそれに伴う内面の葛藤やストレスはお断りしますというワガママにすぎないです。
それが悪いとまでは言いませんが、私はボランティア活動とかの行動の方を選びますよ。自分の人格を向上させても得をするのは自分だけなので。 >>934
得するとか考える時点で偽善者にしか。。。 >>933
1号とは無我というコテハンの人で自分のスレを持っている
【不安障害治癒】「無我」の教え Part.2 【仏教、悟り】 [無断転載禁止]©2ch.net・
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1488727814/
最近行方不明だが
仏教大学出身で宗教的体験があるということを自負しておりそれを議論の武器に使う
道元を始め中国や日本の禅師を尊敬している
上座部、テーラワーダのことを小乗と侮蔑する大乗仏教至上主義者であるが最期の方で上座部のことを一部認めてはいた
議論で返答に詰まったり面倒になったりすると相手を精神病扱いして終わらせようとする
2号は自分自身で意図的に自分のキャラ付けをしている目立ちたがり
そのキャラとは簡単に言えば上の無我氏へのアンチテーゼである
無我氏とかつてよく口論していた
その時の怨念忘れまじと禅宗を批判しテーラワーダが大切にするパーリ仏典からやたらと引用して理論武装している
本人に言わせると半分は暇つぶしでやっているとのことだが禅宗批判とパーリ仏典から見てそれは正しくないを唐突に出してきて第三者に論争を持ちかけるのが既に癖になってしまっている
その業は深くなる一方である
以下は2号の発言である
https://i.imgur.com/d5QYKrL.jpg
https://i.imgur.com/elitTsW.jpg
https://i.imgur.com/jklFEWr.jpg
https://i.imgur.com/OswerBt.jpg
https://i.imgur.com/ZvNU7k8.jpg
https://i.imgur.com/IgDB7yA.jpg
パーリ仏典からの引用の他に某上座部長老(スマナサーラのことだろう)、エックハルトール、あと松本史郎、袴谷憲昭、小川一乗といった批判仏教学の学者の説で理論武装することが多い なんか他人のあれこれ考えてヒマそうだね
執着になってないならいいけど 2号は松本史郎、袴谷憲昭、小川一乗といった批判仏教学の学者の説を鵜呑みににはしてなく
ただ単に禅宗や仏教の一元化批判のための武器として論拠として道具としてそれらの説を用い引用している様子である エックハルト・トール、本の内容自体は良いのに講義やセミナー動画などで本人を見るとカルト的な胡散臭さを感じるのは何故だろう 自分を変えたいと思った時やるべき、たった2つの方法――マインドフルネス第一人者が語る
https://www.businessinsider.jp/post-160225 >>936
>>938
秀逸なレスだ
ちょっとワロタ >>927
あー 言い忘れたこと沢山あるー
まず一つは自分の存在を強く感じながら観ることです
大げさに言えばラグビーのオールブラックスのハカダンスのように 自分は在る! を維持すること 疲れますけど....
もう一つは外部からの刺激を観る時 例えば音でもいいですが 音の発生源を観るのではなくて耳を観ることです
これまでの認識方法を変える必要があるのでこれも最初は疲れますけどね
最後に確実に変化はあります 嫌でも変わってしまいます ゆっくりの方が良いです 体がおかしくなるので >>943
なるほどありがとう
自分の存在を強く感じながら見るのね
後半のは今までのただ「不安になってるな〜」って見るやり方より効果的なのかな?
それならやろうかなあ >>930
ありがとう!アプリとかダウンロードするよ >>943
横レスで悪いんだけど
俺はまだマインドフルネスやったことなくてこれからやろうとしてるんだけど
嫌な事思い出した時に>>901の「胸の辺りが嫌な感じするな」って見ようと思うんだけどそのやり方でも効果ある?
最初は簡単なやり方でやろうかな思ってるんだよね
ただ慣れたら色々やってみたいけど >>936
これまた詳しいね、ということはスレ作成主さんかな >>939
二行age氏はさ、いつも対象に対して否定的なネガティブ主観感想だよね
その本の内容がいいと書きながら、その逆の思考でコメントしていること
気付いたらどうだろ >>934
人格向上は、某長老が仏教の優先順位の一位ですと説いてますけどね
それは自分が幸せになるため、自分と関わる他者のため、またその行為は、
皆(社会)のためになると(ラーフラ教戒経の通り)
中村元も原始仏教の分析において、理想的な倫理的主体としての自己、
苦、煩悩、妄執を超え、理法に沿った倫理主体としての自己こそ非我の当体と
仏陀は考えていたと説明してますけどね >>935
文脈どころか一個の文の意味も無視で、単語だけ切り出されて困惑w 人格の話定期的に出るけどあの本で言ってたのは一般人が想像するようなテンプレ良い人にはなりませんって話で、
悩みや苦も少なくなれば執着やストレスも少なくなるし、当然他人に粗暴にしたり八つ当たりするようなこともなくなるわけで、
人格の向上(悪い部分がなくなっていくこと)はあるでしょ
普通の人なんてみんな性格で悪い部分を持ってるわけだからそれがなくなってくって意味で良い人になってくとは思うよ
いつもニコニコ他人にやさしいようなテンプレ人格者にはもちろんならないだろうけど >>950
周りの人々を幸せにするよう心をくだき行動もした結果、人格とやらが向上するならいいんですが、
人格っていう実体がわからない謎の存在を向上?させて、効果の波及が社会のためになるとか、ちょっと性に合わないです。
ところで、何故人格の話になったんでしょう? >>952
> 人格の話定期的に出るけどあの本で言ってたのは一般人が想像するようなテンプレ良い人にはなりませんって話で、
(途中省略)
> 人格の向上(悪い部分がなくなっていくこと)はあるでしょ
ストレス減って八つ当たりとか無くなるって話ならわかる。
そういう意味で人格向上って言ってるなら。
実体があるっぽい言い方がちょい不思議だけどw >>952
あの本では、マハーシ式瞑想センターにおいて、
修行現場で いじめがあったり、師の行為に慈悲がない具体的な例が示され、
そこでのハードコアな瞑想が人格向上をもたらさないって趣旨の話で、
そして米国のヴィパッサナーセンターの創始者コーンフィールドさんは、
チャー師の元に再び行って、師から手放すものができてよかったねって
言われたエピソードの話なのね しかし人格なんて曖昧なもの実体あるのかな。私、これが私の人格か…って存在は観たことないですよ。
心すらあるかどうか分からないのに。
昔自分で人工無脳(人工知能ではない)ってのを作ってみたことがあったんですね。人工無脳イライザの真似っこ。
会話を形態素解析して形容詞とかを取り出してオウム返しにしたりたまに定型文を発射したりするだけのチャットプログラムで、当然心は無い。
「最近会社で辛いんだよ。」
「そうかあ、辛いんだね。」
「同僚に低スキルだと思われてるらしい…」
「同僚に低スキルだと思われてると感じてるんだ。それは辛いね。」
こんな感じの会話でプログラムに「心」があるとか裏に人間がいるような感じを得てしまう。そして思いのほか癒されるw
人間の感覚なんて結構いい加減だよななんて苦笑してる人達のなかで合わせながら、ちょっとゾッとしたんですよね。 ほう、某長老の本って大量に出版されていると思うが、その中の同じ本を読んでいる人が2号を含めて3人いるのが、このスレに >>953
仏教では一切空だからと道徳を破る話は、邪見と説くのね
何でも空で極論化する話でなく、
空なりと観て智慧を得ていく上で、人格向上に繋がるものなんです
で、950の意味が分かりますよね だって、心を持たないただの機械の動きに「心」を感じてしまう錯覚がヒトという生き物の特性なら?…私たちは自分自身に「心」があると思ってるけど、それも錯覚かもしれない。
それでまあ同じくこれって…って表情を浮かべていた同僚と一緒に、チャットのコードを変更しては何も知らぬ被験者(同僚)を捕まえて実験を繰り返して、この錯覚の発生条件を探ったりして、
当時は何の知識も無いので、同じく自然現象に意志の存在をみるアニミズムの文献を参考にしたり、
あの実験で見つけた心という錯覚を消去する原則には、今になってみると初期仏教の観点に酷似しているものが幾つかあって。
とまあ、こんな理屈っぽい話をすると、また何の価値もないとか言われちゃうから、この辺にしときますw
存在を疑ったこともないけど見たことないってモノがあったら、それ疑ってみた方がいいかもという話です。逆も然りですが。 >>959
???
私、空の話なんかしてないですよ?
人格の向上なんか目指すより、実際にボランティアなりの行動する方が、私は性に合ってるという話をしたんですけど? >>961
いえ、貴方が実体の話を持ち出してきたので、
人格の向上なんか、なんかって、、ああそう、どの位の教説理解か分かりました
まぁそれを目指すという意識なくても、結果はそこに繋がってきますよ
私は変われた実感がありますね、かなりエゴの強い人間でしたから
今では周りから親しまれますし、苦悩減少、生きやすくなりましたよ 人格の実体の話が出てますが誰も人格に実体がある前提の話なんてしてないのでは?
実体なんてあろうとなかろうと、むしろ確固たる実体がないからこそ上がったり下がったり変化してるような言い方をしているとも言える気がしますが
人格が良い悪いという言い方しますがそれは複数人の中でのその人の評価を言ってるわけで人格を実体視してるかどうかは別ですよね
そもそも名前のあるものなんて皆空間を任意に区切っているだけで認識と区別以前にそういう個別のものが在るとは言えないわけでですし
会話の中に勝義諦と世俗諦が混ざったら話にならないでしょう やっと何故話がすれ違ってるのか分かった。「実体」って言葉は、「空」と対になった言葉だと思われるのか。
>>962
私が言ってるのは、仏教概念の実体じゃないんですよw 普通名詞ですw
人格の向上って話が最初に出たから、それって向上させる「対象にとれる」ものなの?私は瞑想してて、これが私の人格か!って存在観たことないですよ?
ということです。
2号さんは観たことあります?自分の人格を自分の心の中に。
>>963
> 人格が良い悪いという言い方しますがそれは複数人の中でのその人の評価を言ってるわけで人格を実体視してるかどうかは別ですよね
複数人の中でのその人の評価、それ私が「人格」って言葉に持ってるイメージにすごく近いです。
向上させる対象にとれないですよね。
いい人に思われたい!と同義にしかならない。 >>964
評価を上げるって言い方しますし対象になるでしょう
いい人に思われたいかどうかは知りませんが、いい人に思われるようになるといった評価が上がることはあるでしょう
実体はなくとも関係性はあるとも言えるわけで、関係性がよくなるということも当然あると思いますが
まわりとの関係性がよくなることを人格向上してると言っておかしくないと私は思いますよ >>944
>>947
二つの方法が違うように感じるかもしれませんが やっていることは同じなんです
歩いていて電車の音が聞こえてそちらを向く ふと昔不良に電車で絡まれたことを思い出すとします
歩いている 歩いている (大きな音だから)音に気づいている 嫌な記憶に気づいている という感じです
皮膚の感じ 温度の感じ 視覚 ぜーんぶ気づくのは無理なので一番自分が意識を持っていかれるもの または人工的にそれを作って気づくようにします
人工的というのは手を握ったり開いたりだとか 記憶を思い出して自分の反応をみたりすることです
色んな流派があるので自分に合う方法も探してみて下さいね >>957
そのアプローチは凄く面白いですね
あなたの自我を脅かしてるのではないですか?w
私はそのゾッとする予感は真実だと確信しました
最後の謎はこの意識です
意識 認識 これが難しい.... 瞑想を単純にいうと、今ここに集中することのみで良いですか?
いろいろ考えるとわけがわからなくのですが。 これ、多分Eテレ「きょうの健康」の内容をとりこんだサイトですな
「きょうの健康」もNHK内のサイトであちこち分散されてまとめられちゃって使いづらいなぁ >>964
世俗諦で説明している部分に、貴方が真諦で考えてしまうわけです
人格とか、人柄がいいって世俗社会で、何を意味するか通じあってますよね
貴方は、そういう会話の意思疎通が不能ってことではないですよね(煽ってないよ)
この人は人柄がいいとか、人格者だとか、言葉、聞いたことないですか
ググると、どういう人がそのように評価されるか出てきます
次の965さんは、その辺は柔軟に察する能力あってか話通じてますが
私の話は自説でなく、某長老以外の仏道指導者の本も同様に説かれてます
965>誰か知らないけど、私の書いていること通じるよう援護してくれて感謝ですが
仏典に慈しみの意を起すべしとか、十不善と三毒が説かれているのはなぜでしょう
それでミャンマーに行かれて、何を体得するつもりでしょう
それと仏教かじる人は、仮構の自己の話は、皆知っている話ですので >>967
意識、意識がアートマンとか君は言いたそうだね >>965
人格を向上させるために瞑想をする、みたいな目標設定の仕方に、私すごく違和感があるんですよ。
でも、この違和感を伝えるのは案外難しいって分かりましたw
人格の向上というのが、他者の評価だったり周りとの関係性だったりするなら、それは人生で自分が社会の為に必要だと思う行動を具体的にした結果としてついてくるオマケじゃないですか。
いわば船を動かした航跡みたいなもの。
人格を向上させるために瞑想するっていう目標設定は、私には航跡をつくる為に船を動かすと言っているような違和感があるんです。
下手すると船を動かす気もないのに航跡をつくろうとしてたり。
〇〇〇出来るような素晴らしい人になりたい?なに先延ばししてるんだ、本当にそう思うなら今すぐ〇〇〇やれ!って感じなんですが…
ここまで書いて読み返してみて確信しました。これは伝わらないかw >>973
アートマン ブラフマンか その辺りはよくわからないですね...
正直 宇宙が崩壊する何億年後には同時に崩壊してしまうのでどうでも良いのでは?と思っていますw >>972
> 世俗諦で説明している部分に、貴方が真諦で考えてしまうわけです
そうなのか。
まあそう言われても私は世俗諦か勝義諦かなんて意識してないです。観たこと無いから観たこと無いって言って、向上させる対象に選べなさそうだから出来ないんじゃない性に合わないし、って言ってるだけです。
> 人格とか、人柄がいいって世俗社会で、何を意味するか通じあってますよね
> 貴方は、そういう会話の意思疎通が不能ってことではないですよね(煽ってないよ)
そりゃわかりますw
問題はそれの向上が目標にとれるかどうかです。
> 私の話は自説でなく、某長老以外の仏道指導者の本も同様に説かれてます
そうですか。
でも仏説かどうかは私気にしてないので、どうでもいいです。
> それでミャンマーに行かれて、何を体得するつもりでしょう
そうですねえ…どうしようかな…
2号さんがこれに答えてくれたら私も答えますw
>964
>2号さんは観たことあります?自分の人格を自分の心の中に。
> それと仏教かじる人は、仮構の自己の話は、皆知っている話ですので
人工無能の方の話は10年以上前の若気のいたりなのでw
まあ聞き流してくださいw 実体がないから目標にできないって話だと仏教元々の苦や悩みをなくすっていうことも言えなくなっちゃいますよ
苦や悩みなんてその人の想いでしかないわけですから
もちろん、苦や悩みなんて元々ないでしょ、はいそれに気付いてって言い方もできるし、マインドフルネスの実践ではそれが正しいとも言えるけど、
実体のないものを会話の中でいろいろ扱いながら人格に関してだけ実体がないと目標にならないっていうのはさすがにおかしい 自分の心に余裕がないと人に優しくはできない
瞑想は心に余裕を作るための手段でもある
心に余裕ができて人に優しく接することができれば他人から見て「人格者」と言われるようになる マインドフルネスというアプリの瞑想の誘導の声とか表現がよくて入り込める 呼吸に集中してたら雑念湧きまくる・・・
なんというか雑念雑念って言うのを繰り返してばっかりでこれであってるのか分からないんですが合ってます?
あとさっき見てたテレビの映像とか好きな曲が「膨らみ膨らみ・・・」って心の中で言ってる間に流れまくるのどうすればやめれますか? >>976
いえ、目標として選ぶというより、こういう書き方の方がいいのかな
「仏道によって、なんか人格も向上するんだとか
で、その利己的な性質を帯びる(我執)仮構の自己の克服に、実践があって、
その実践の中に、現象を観察したり、ヴィパッサナー瞑想なるものがある
それは、苦、煩悩、妄執を超え、理法に沿った倫理主体としての自己を
非我の当体と考えていたとか、某著名な学者先生が解説してるようだけどね。」
で、悟りたいから仏道実践するにしても、
教理と実践から、そういう思いから離れられるようになるわけだし、
仮に人格向上して評価を得たいという人が もしいても、
教理と実践から、そういう思いから離れられるわけで
ミャンマーについては、本の中の諸先輩の体験談を紹介しただけです
で、ナーマとルーパ、洞察智どうのこうの、
結局は、って話で、私は指導者でないから、これ以上書かない
そこはテラワダでも流派があって、ご自分の選択でご自由にってことで マインドフルネス瞑想?は出来てるか分かりませんが
イライラした時とか落ち込んだ時にその気持ちを客観的に見る方法をやったら本当に気分が落ち着きますね
強迫的な考えがどうでもよくなる・・・ >>981
雑念を止めようとしないのが大事だと思うよ
雑念に気づく→呼吸に意識を戻す
このプロセス自体が「筋トレ」みたいなものだと思えばいい
雑念が出てくる→うわぁダメだな俺…
を、
雑念が出てくる→よしチャンス!
みたいに捉える 自分の場合は雑念が出て、呼吸に戻ると1ポイントゲット
と言うような感じでやっていました
つまり雑念は、待ってましたと言うような >>984
その無という観念を抱えてるから、あーだこーだに抵抗してますよと
その固執束縛から解脱してれば、覚者のように寛容でいられるでしょ 宗教色は薄いのかもしれないけど、マインドフルネスストレス低減法はすごく参考になる >>981
きましたね この悩みが...
連想 妄想 雑念が浮かびすぎて飲み込まれてしまって観察にならない場合どうすればよいのか
実体験として一つの方法は自分を止めて落ち着く方法の併用があります
目をつぶって寝転んで無限の深海に無限に落ちていくようなイメージを繰り返して心身共に完全脱力を目指します 心の状態によっては危険.... 度のすぎたリラックスと考えれば良いかも 寝てしまっても構いません
もう一つは短時間それこそ10秒だけ強烈に集中して観ることを繰り返す方法です こっちは集中力の強化ですね
後は何故か観察が捗る瞬間があります 人混みの中なんかは低レベルの緊張(集中)が長く続くので その緊張を自分に向けられればやり易かったりします きましたね、って
瞑想初心者に雑念の悩みはつきものだろw >>987
>>>984
>その無という観念を抱えてるから、
無という観念?
>その固執束縛から解脱してれば、覚者のように寛容でいられるでしょ
覚者なんてどこにいる?
ああ、自然の話ね。 (カーリング女子かわいいよな)
↓
「雑念」・・・もどります。膨らみ、縮み、膨らみ、縮み
↓
(おしゃべりももかわいいんだこれが)
↓
「雑念」・・・もどります。膨らみ、縮み、膨らみ、縮み
↓
(北海道民だけあって乳でかいよな)
↓
「股間」・・・膨らみます、膨らみます、膨らみます
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