マハーカルナー禅師の潔白を検証するスレ Part 3
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>>636
なるほどw
暇だから、出来るだけ話が続くよう、話を引っ張っているわけか。妄想膨らませた方が話が続くしな。
それなら納得だ。 とはいえ、他に趣味や夢中になれるものを見つけた方がいいんじゃないかと思うよ。時間がもったいない気がする。老婆心ながらw 夢のような人生であるならば
夢中になることを探すのも苦しみの始まり
全てが無常と明らかに悟ったならば
ただ淡々と人生の終わりが来るのを過ごす >暇だから、出来るだけ話が続くよう、話を引っ張っているわけか。妄想膨らませた方が話が続くしな。
他人の考えることは「妄想」だが、自分の考えることは「妄想」ではないという恣意的な線引きを笑ってはいけません(笑) 笑ったら失礼ですからwwww 笑うなって(^_^;) >>634
心配してくれてありがとう
でもその理屈だと関わりのない我々の心配をしてくれる
あなたの努力も無駄ということになるね もうさあ、パオセヤドーから法脈云々も
反発しか起こらないんだから早めに
看板外しちゃったら良いと思うんだけどね
マハーカルナーさんのアビダンマの知識だけで
充分人は集まると思うんですよ 男は勝手にすればいいよ。
従順な性格の若い女性は、深く関わるのはやめておいた方がいい。
男と違って、その後の人生が全く変わってしまうこともあり得るので。 >>641
努力するわけないだろw
なんでどこの誰かも分からん2chに書いているような奴のために努力するんだよ。
のぞいてみたら中身のない話に時間を費やしてて
ぶっちゃけ馬鹿みたいだなぁと思ったとので
何を思ってやっているのかと。
心配するわけないだろw パーリ論蔵は原始仏教だけど、
パーリ律蔵は原始仏教じゃない、
という(暗黙の前提になってるとみられる)理屈も、よく分からない。 自分の書き込みには「中身」が有ると思ってるらしいよ。
笑っちゃだめだよ。しつれいだから
ぷ 時代はMK師よりも山下良道師でしょ。
こんなイベント近々あるのでみんな来てね!
光の中のマインドフルネス出版記念講演会
「マインドフルネスの軌跡を永続化させる」
goo.gl/dpcQ8U >>644
夫婦善哉のやつですな
確かに今見直してみると色々考えさせられる
しかしこのpādaparicārikā、辞書で調べた限りでは
下女もしくは妻というほどの意味らしいけど
あとスメーダ行者がディーパンカラブッダから説教受けたってのも 途中で送信してしまった
説教受けたってのもどこの出典なのかね
ジャータカ読んだ限りでは奥さんの存在すら言及がないけど
とはいえ、上記のポイントがすべて経典に書かれてたとしても
己を菩薩となぞらえて好みの女性騙くらかして
あなたが私のpādaparicārikāだ!とかいって
ドビュッシー法悦してたんだろうなあ
ってのは想像にかたくない >>645
そんなに時間は費やしてないけど
ちょっと読んで、書きたいことがあったら書いて、数分でしょ
オレについて言えば、普通に会社行って、家事をこなして、朝昼夕夜は瞑想、ダンマの勉強やら他の趣味やらやって、ここ以外にもスレ見たり書いたり、そんな感じでこのスレに費やしてる時間なんてほんの少しだよ
目下の問題は、Wikipediaの修正をする時間がなかなかとれないことかな、ロングスリーパーなんでw
馬鹿みたいな話ばかりに見えるかもしれないし、確かにただ叩ける人を叩いて遊びたい奴もいるだろう
でも、今後初心者が自分が思ったものと違う道に踏み込んでしまわないように、という思いで書いている人もいるのだから、十把一絡げで馬鹿みたいと言うのは感心しないな
皆やるべきと思ったことをやっている
その中で、他人のやることをわざわざ見にきて馬鹿みたいと言うことほど無駄な時間の費やし方はないんじゃないか >>648
その山下良道氏についてなんだけど
新刊『光の中のマインドフルネス』を読んでいて
パオセヤドーの意向を都合よく恣意的に忖度、解釈して
自説の正しさの裏付けとしているとこがあって
いってることおかしいよなと思っていた。 この人もマハーカルナー氏と同類だと思う。
みんなの意見を聞かせて欲しい。
決してスレ違いでないと僕は考えるので
『光の中のマインドフルネス』p196
「パオ・セヤドーから得た」から
長くなるが引用させてもらう 引用1
私は実物のパオセヤドーに四年間かけて、
一部は本に書かれていないかもしれないこと
も含めて教わりました。
私がテーラワーダに関して話していることは、
だいたいはテクストに書かれていると思いますが、
書かれていないことがあるとしたらそれは全部、
セヤドーとのインタビューで確認したことです。 山下氏のスレは別にあるから、そっちでやるほうがいいかも。 引用2
「ジャーナとは別の部屋に入ることだ」
というのもテクストには書かれていません。
正し、セヤドーに直接確認をとったことのひとつです。
私の感想を述べると、セヤドーは反対しませんでした。
もう、毎日毎日瞑想の進捗状況をチェックされて、
ちょっとでも違っていたら
「だめ、やり直し!」と言われる世界ですから、
その理解で間違いないと思います。 引用3
さらに私が瞑想で唯一信頼できたマレーシア出身の若い比丘も
同じことを言っていました。
彼は、「あ、この人は私と同じ瞑想体験をしている」
と感じられた唯一の人です。
パオ・メソッドを、もう一気に駆け抜けた人です。
だからジャーナというのは、
「別の部屋に入る」ということでいいと思います。 山下氏を信用するなら山下氏の発言内容を信用しうるし、
信用できないなら信用できないっていう、
ただそれだけの問題とちがうの。 引用は以上だけど...
ね?都合よすぎませんこの論法?
まあ、「ジャーナ」を「別の部屋に入る」という
言葉に置き換えただけでショーもない話で中身は無いんだけれども
こんな話を繋げて一冊の本にしちゃってる。
パオセヤドーも
「それが何か???」って取り合わなかっただけかもしれない。
それよりも
この論法がまかり通るなら
マハーカルナー氏の言い回しも通用してしまう。 >>663
>この論法がまかり通るなら
>マハーカルナー氏の言い回しも通用してしまう。
その「〜なら××する」というロジックがピンとこない。 >>665
山下氏の論法より前に、あなたの「論法」がはっきりしない。 パオセヤドーが誰に何を言ったのか正確なところを知りたいんだったら自分で調べるしかないだろうし、
そうしないで「パオセヤドーがこう言ったのを私は聞きました」という伝聞を受け取るだけでいいんだったら、その伝聞を伝えてる人(山下氏なりマハーカルナー氏なり水源禅師なり…)を信用できるかどうかという問題に帰着するよ
ただそれだけ。 >>663
凡夫ならば誰しも自分の都合の良いように解釈するものなのでしょうが
山下氏はある意味わかりやすいニセモノなので
そういうエピソード開陳されても微笑ましさすら感じるけど
MK氏の場合はパオ森林僧院日本支部のでっち上げから始まり
己の都合の良いように平気で嘘つくから比べものにならないほど悪質 自分の聞いた話を伝聞として喋ったらアカンというルールはない以上、「先生が私にこう言いました」という発表はできるんだし、
先生の言ったことに対する自分の解釈を語るのも、そりゃできるでしょ。一般論としては。
※戒や律で禁じられてるならはなしはべつだけど。 パオセヤドーに自説をぶつけてみた。
パオセヤドーが何にも答えなかった。
何も言わないってことは自説はパオセヤドーがお墨付きをくれたってことに違いない。
パオセヤドーがお墨付きをくれた
この自説を広めよう本にしよう。
人の信用の問題でなく
論理の飛躍の問題です。
パオセヤドーはお墨付きをだしていないのに
自説をパオセヤドー直伝とか
経典にもないパオセヤドーの秘伝とか
パオセヤドーの意向を捏造していることが問題だと思います。 >>670
あなたがこれに論理の飛躍を感じなければそれはそれでいいですよ。
パオ日本道場も経歴の件も受戒の疑惑も
なんとでものらりくらり言い訳できますね。
実際そうしてるしね
パオセヤドーが否定しない限り。 >>672
>パオセヤドーに自説をぶつけてみた。
>パオセヤドーが何にも答えなかった。
>何も言わないってことは自説はパオセヤドーがお墨付きをくれたってことに違いない。
>パオセヤドーがお墨付きをくれた
「セヤドーが何も答えない」というのがどういう文脈のもとにあるかが大切だと思うんですよね。
あなたが>>660で引用してるこれね↓
>私の感想を述べると、セヤドーは反対しませんでした。
>もう、毎日毎日瞑想の進捗状況をチェックされて、
>ちょっとでも違っていたら
>「だめ、やり直し!」と言われる世界ですから
>その理解で間違いないと思います
「ちよっとでも間違っていたら、セヤドーからダメと言われる」という状況で自分の見解を語ったら「反対されなかった」という文脈なわけでしょ。
単に「反対されなかった」のとは違うと思うよ。
「セヤドーは、間違っていたらダメと言う」というのが、まあ大前提としてそこにそのように書いてあるわけでしょ。
それがそのとおりかどうかは、現場に居なかった人間にはもはや分からないことなんですよ。
だからこそ結局、「そういう大前提があった。そのうえで自分の見解を語ったら、セヤドーは反対しなかった」という山下氏の報告を、
信用できるかどうかという問題になるわけよ。
「パオセヤドーのその時の沈黙」を、山下氏は「肯定」と解釈したわけでしょ?
それがどれほど正しい解釈か。その場にいて状況を見ていたわけでもない以上、
報告者かつ解釈者である山下氏を信用できるかどうかで判断するしかなくなると思いますよ。
報告者がマハーカルナー氏である場合も、構造は同じことよ。 >>673
「沈黙」と「肯定」がイコールでないのは当たり前ですよ。
そもそも>>660であなたが引用してる山下氏の著述だって、山下氏の解釈を語ってる(セヤドーの沈黙は肯定を意味したんだ、という解釈)のだから、
解釈であるという意味で「飛躍」はあるに決まってるじゃないですか。
山下氏のその解釈がどんだけ妥当な解釈なのか、という観点で吟味しないと意味ないと思いますよ。 >>676
解釈者がマハーカルナーさんである場合もまったく同じ。
セヤドーが言ったことが直接記録されてない以上、我々のもとには伝聞しかないわけ。「セヤドーは私にこう言いました」というね。だから、その伝聞の伝達者を信用できるかどうかが焦点になってしまう。 だからまあ>>663に戻ると、
>この論法がまかり通るなら
>マハーカルナー氏の言い回しも通用してしまう。
「セヤドーは私にこう言いました」という伝聞を信用する人がいれば、伝聞がそのまま「まかり通る」し、その伝達者の解釈も一定受け入れられるし、信用されなきゃそれまでっていう、ただそれだけの話だと思いますよ。
だってセヤドーの発言記録が無いんだもの。伝聞しか与えられないんじゃ、その伝聞を土台にしてモノ考えるしかなくなってしまうじゃないですか。
ほんとうにホントのこと知りたいんだったら、セヤドーに面会して質問するとしないとしょうがないんではないでしょうか。それができない人は、伝聞に頼るしかない。そこで誰がまともな伝達者か、という信用問題が再燃。結局そうなる。 誰に何言われたら納得するのかはっきりさせてみ。自分で。 >>672
>パオセヤドーはお墨付きをだしていないのに
>自説をパオセヤドー直伝とか
>経典にもないパオセヤドーの秘伝とか
>パオセヤドーの意向を捏造していることが問題だと思います
「お墨付きを出してない」・「捏造だ」というのがそもそも証拠のない判断。
なぜなら、セヤドーが「私はお墨付きを出してないぞ」「マハーカルナーの言うことは捏造だ」と言ったという記録がないから。
記録がないものは真偽不明。
ところが、それを勝手に「セヤドーのお墨付きは無いんだ」と判断しているのが貴方。
マハーカルナー氏も勿論信用ならないが、あなたのこの判断は無根拠なものだよ。
「お墨付きを出してない」の根拠は? マハーカルナー氏が経歴を書き換えたのは根拠にならないよ。それはマハーカルナー側の行為であってセヤドーの行為ではないから。
「マハーカルナーは信用できないから、セヤドーのお墨付きはなかったと思う」と、ただそう判断してるだけというなら、結局、信用問題で決着つけちゃってるんではないの? >>681
>まだ荒らすの?
何がどうだから「荒らし」なのか説明しなくても使えちゃう便利なワードが「荒らし」。
「カルト」、「マインドコントロール」とかと同じように、「言ったもん勝ち」的逃避の道具。 >>682
直伝とか秘伝とかいう言い方が、マハーカルナーでなく山下氏の著述にあるんだったら、出典しめしてくださいね。 繰り返しになるけど、「自分が先生に言われたこと」についての自分の解釈を発表するのは、たんに表現の自由として当然できるにきまってるよ。
>>660の引用分はただそれだけのことだし、660の内容が山下氏の解釈であるのは本人の書きぶりから明らかじゃん。
解釈を語ることぐらい許してやれよ。
宗教者にも表現の自由はあるよ。
戒律で禁じられてるというなら話は別だけどもよ 徳
が
枯
れ
る
だ
け
な
の
で
や
め
ま
し
ょ
う 怒
り
は
功
徳
の
林
を
焼
き
尽
く
す 「セヤドーの沈黙は肯定を意味した」は山下氏の解釈よ。
>>660読んでみなよ。どうみても彼の解釈だろ。
解釈を語るのは表現の自由だよ。
そんなもんの制限を訴えるなよ。
なんの権能があって〈解釈の披露〉を規制できるのよ。
律のどこかに書いてあるんか? ないなら表現の自由として容認するしかなかろーが。 Wikipedia編集できる方
以前>>274を書いた者ですが
お暇なときにこちらで指摘した
パオ僧院への日本での連絡先の事も
ご編集願えますでしょうか
お前がやれって話ですが
あんまり詳しくなくてすみません >>682
「パオ・サヤドーはお墨付きを出さない」は、
パオ・サヤドーの著書にある。
「パオ・セヤドー問答集」だったかな、
再確認は、していないけど。<菩提樹文庫>収録。
インタビューで「私はこれができました」と
嘘をつく弟子がいるから、「お墨付きは
ださない」と、パオ・サヤドーは言っている。
ただし、MK氏と山下師が、「別格」という場合もある。
その場にいなかった第三者がワーワー言っても
仕方ない事だけど、MK氏、山下師、ご当人の心が
一番知っている。 >>692
どこに記載するか難しいですが、考えてみます まずベースに自分で見極めて修行してやるくらいの気概が無いといけないのかもと思った。 >>695
何を見極めるかですよね
月を見極めるか月をさす指の真贋を見極めるか
月をさす指の真贋を見極めようとする人は、どの指が月に近い方向を指してるかって一生かけて探すんでしょうし
それもまたその人の人生か >>696
そうですね。どちらにせよ自分でしっかり考えて、人任せで動かされ過ぎないようにという自戒も込めて思う事でした。 >我思う、故に我あり
これは人間理性のフレーム内部においては正しい。
禅はそこから出てしまうので、三昧に至ったら、その判断の物差しはもう使えない。 Wikipedia修正した…
本当に事実だけしか書いてないから編集合戦になる余地は無いだろう
ガチで叩きたい人には不満かもしれないけど
あれ書くのに傳修院のHP見に行ったりして、後ろ姿の写真とか見ると顔知ってたり話したことある人とか分かるんだよ…
もうこんな役回りは御免だわ…
寝る >>697
すみません、パオ森林僧院のページから日本のコンタクト先無くなってるみたい
Googleの履歴にはあるんですけどね… 考えてみると、ヲチスレとしては、傳修院参加者の方が自由に
話せる場にしておいた方が良いのでは。 そういうスレたてれば?
マハーカルナー禅師マジ神!
マハーカルナー傳修院をガンガン盛り上げて行こうぜ!的な(笑) >>702
お疲れ様です。
Wikipedia確認させて頂きました。
素晴らしい編集だと思います。
また、損な役回りをさせてしまい申し訳ありません。
あの後ろ姿を見るのは何とも、切ないというか、やるせないというか。
また、パオ本部のホームページは丁度リニューアルされたようですね。
現在の連絡先リストのアドレスは
https://www.paaukforestmonastery.org/connect
になっているようです。
こちらは私がWikipedia編集方法を勉強した後になりますが、追記させて頂きます。
ともあれ、素晴らしいお仕事でした。
ありがとうございます。 >>707
はい、では日本のコンタクト先の件はお任せしますね
なんか経歴に実際の出来事を追記しただけで、ヤバい団体っぽくなっちゃったけど
事実を正しく認識してればその感覚が正しいと思うんだけどなあ…
なんで行く人いるんだろう… 鈴木一生さんのブログに書かれた内容に触れていない時点でだいぶ恣意的にまとめられているがw
wikiが信用ならぬことは分かったな。 何言ってるか分からないなら、
当スレの対象者の名前に「噂」をつけて検索してみたらいい。このくらいの情報ぐらい編集するなら分かってるもんだと思うがな うっかり者の一生さん。
いつも過剰に信用してた。
功罪ともにでかい。 >>713
wikiは一人で編集するものではないよ。
お仕着せで何でも誰かにやってもらおうとするな。
どんな編集者でも偏りやケアレスミスや見落としはある。
ある記述に反駁する内容は別の人がやってもいい。
両論おのおの別の人がそれも人数が多い方が、信頼度がます。
編集者の質にもよるが、
気がついたらあなたがやりなさい。あなたが。
横着者めが! >>712
ああ、そうか
あのmixiの発言のことは忘れてた
追記しておく
でも、M禅師自身がテーラワーダの比丘じゃないって言っちゃってるから、鈴木一生さんのせっかくのフォローを自分でぶち壊してないだろうか?
正確な発言は覚えてないから…まあ確認してみますね
でもね…自分で編集してもいいのよ…
> wikiが信用ならぬことは分かったな。
そういう姿勢では世界は良くならない
Wikipediaは誰でも登録すれば編集できるようになっている
事実とエビデンスに基づく記述であれば誰も修正を妨げない
あなたがWikipediaを信用できる媒体にするんだよw >>712
ということで >716 で述べた通りWikipedia編集完了です
他に書いた方がいいことはあるかな?
いまなら大サービスでっせ
「指導姿勢・内容」の箇所は書いてはみたんだが、いまいち自信はないので
言ってもらえれば、事実とエビデンスに基づいていれば書きますですはい 信用できることが担保されないものを
信用してよいものであるかのように
公開していい気になっているような厚顔無恥にはなりたくないものだな。 >>718
事実でないことが書いてあるというなら指摘してみなさいなw …あー…でも事実として間違ってるとこあったら教えて下さいね、直させて頂きますので…(弱気w >>718
wiki編集の場合、大元の出典が明らかにできるというレベルの事実
の積み重ねで十分でしょう。
wikiに絶対的な真実があると盲信する必要もない。
地方紙の新聞記者の友人が、新人に調べものをさせ記事にさせると
wikiの丸写しをしてくると嘆いていた。
10年前からそういう状況らしいので
wiki信仰も結構強力だとは思うが
マハーカルナー氏やその支持者が反駁する機会は閉ざされてません。 >>718
「パオ・セヤドーより、パオ森林僧院日本本部の設立と日本におけるパオ瞑想システム指導の命を受け、2013年5月帰国」
「禅師は、パオ・セヤドーからkammaṭṭhāna(業処)の法脈を受け継ぎ、日本にダンマを伝えるよう求められました。」
↑
これらもMK禅師側が一方的にそう言っているだけで、他に根拠があるのでしょうか。
まさに「信用できることが担保されないものを 信用してよいものであるかのように
公開していい気になっているよう」ではありませんか? あそうそう、まだ編集方法学ぶまで行ってないんですが、
重要なポイントをチェックできたのでご報告。
パオ森林僧院本部のコンタクトのページ
http://www.paaukforestmonastery.org/contact.htm
で、去年11月の時点で日本の連絡先はミャンマーテーラワーダ仏教協会だったと
いう事はお伝えしていた通り。
今回、インターネットアチーブという存在に気付き、調べてみたところ、
この連絡先はIAで確認できる限りの2006年から変わった形跡はありませんでした。
2006年
https://web.archive.org/web/20061017055537/http://www.paaukforestmonastery.org:80/contact.htm
MK氏凱旋帰国2013年
https://web.archive.org/web/20130926031054/http://www.paaukforestmonastery.org:80/contact.htm
法友会に名義変更2016年
https://web.archive.org/web/20161021084217/http://www.paaukforestmonastery.org/contact.htm
他の支部は着実に増えて行ってます。
マレーシアなんか何もないところから10年で3つも支部が増えてる。
これはこのページが絶えず更新されているという証左であり、
また正式な支部であれば登録されている、という事実の証明になるかと。
一方日本の連絡先は支部などでなく、ミャンマーテーラワーダ仏教協会の
関係者の一個人のケータイ番号でしかない。
これが何を意味するでしょうか。 AさんがB=Cと言いましたって事柄があったら
Wikipediaに書くのは
「AさんがB=Cと言いました」(参照先)
って感じの情報だから
もう事実以外の何物でもないっていうか、紛れは無いんだよね
オレがやった修正だってもう既に何人もの手が入ってるし
つい「マハーカルナー禅師」って書いちゃったらすぐに誰かが「マハーカルナー」に直してくれたし
(記事中では尊称等は省略することになってる)
まあどんなに慎重にやってても間違いはゼロではないので、皆で協力して維持してくんだけどね >>723
GJ
次スレ立てる時、テンプレに入れて下さい >>975 六根清浄 急急如律令
六根清浄 急急如律令
六根清浄 急急如律令
六根清浄 急急如律令 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) アアスレガジョウカサレテユク…
(´・ω・`)
(´・ω:;.:…
(´:;….::;.:. :::;.. …..サラサラサラ… 本日(1/25)は上弦、布薩日である。
八斎戒
(1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。
(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いを離れよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。
(7)花環を着けてはならぬ。芳香を用いてはならぬ。(8)地上に敷いた床にのみ臥すべし。 似たもの同士が集まる。
これはネットの掲示板も同じだろう。
駄弁好きには駄弁好きが、卑しい人には卑しい人間が集まる。
はて、皆さんは何なのかw 他者が共感しようが批判しようが
自身の行いの報いは自身に返る。
芸能人ネタではなく
宗教の問題であって、
人の人生にもたらす影響が大きいことをお忘れなく。
ぶっちゃけ、「個人」を叩いて楽しんでいるようにしか見えない。 >にしか見えない。
前提に思い込みがある場合と、問題を把握できていない場合にはそうなるね。 のうまく さんまんだ
ばざら だん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらたかんまん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています