キリスト教初心者です。いろいろ教えて
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
♪ ∧,_∧ ♪
( ´・ω・) ))
(( ( つ ヽ、 ♪
〉 とノ )))
(__ノ^(_)
∧_,∧ ♪
(( (・ω・` )
♪ / ⊂ ) )) ♪
((( ヽつ 〈
(_)^ヽ__)
∧,_∧ ♪
(( ( )
♪ / ) )) ♪
(( ( ( 〈
(_)^ヽ__) ∧,_∧ ♪
(( ( )
♪ / ) )) ♪
(( ( ( 〈
(_)^ヽ__)
♪ ∧,_∧
( ) ))
(( ( ヽ、 ♪
〉 ノ ) ))
(__ノ^(_)
∧_∧ ♪
(´・ω・`) ♪
( つ つ
(( (⌒ __) ))
し' っ
♪
♪ ∧_∧
∩´・ω・`)
ヽ ⊂ノ
(( ( ⌒) ))
c し' __
 ̄ ̄ ̄二二ニ=-
'''''""" ̄ ̄
-=ニニニニ=-
♪ ∧,_∧ _,,-''"
( ´・ω・) )) ♪-''"; ;,
(( ( つ ヽ_,,-''"'; ', :' ;; ;,'
♪ 〉 とノ'", ;,; ' ; ;; ': ,'
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :' ┼ヽ ヽ/ レ |
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :' d⌒) (__ __ノ ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人
,.r‐く: : : : -二ニニー_‐-=__ ',
l /l |ヽヽ、 .,,,,,,,,,,,,,、`老''ーミ l
l /7ノ `ヾ、_二ニ二、 ,,, ,'
___',ゝ1ィ , ,' -tッ.、 `i .,.......'ミ;l、___∧,、 ____________
 ̄ ̄>- ,' -l ‐ _ , ' ,'γ-t=、,' ヽ  ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-┬ 'l l ゝ- ‐.ァ '´ i, `''`:. /
l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 「わたしがキリストに倣う者であるように、
l ',', ,' , ´`ー-'! c, '
l ',ヽ ! 'ゝ-===、 / あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」
l ', \ ``ーァ゛/
l ヽ \ `゙ ´/
l ヽ、 >‐---イ
>「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声を上げ、
>涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ」(ヘブ 5:7)
>と書かれている 「御自分」 とは、“私たち罪人に代わっての御自分” であったことを(Iペト 2:24)、
>そして 「わたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」(イザ 53:6)という十字架と復活の出来事を、
>あなたはまだ信じていないのですか。
,,..,,_
, -''"´ `゙''-、 ,, -‐ 、
,." `ヽ /' ヽ
l 老 l / i
l__ 、、、_ } { _、、、 __ l/ ≼ⓞ≽..i
{l〈 ヽ., --)-(-=-_ノ / ..::::::::::::::::|
ヾ|  ̄ノ  ̄ / ..::::::::::::::::::l
l (、{,___,},.) / ..::::::::::::::::::::!
l \ `ニ´ / .::::::::::::::::::::/
ヽ / ー \/ .:::::::::::::::::::/
\ / .:::::::::::::::::::/
. ‐'"´ `'‐,r''"~ .:::::::::::::::::/
/,. -‐‐- 、 l′ ..:::::::::::::/|
:,' / !.:::::::/:i..:..l
r 、 / !::::::::::: i..:..i
l .......`:i i !:::::::::: ゙、:.i
! ::::::::::/ i i:::::::::: ヽ:i
.! ::::::::/ i .....i::::::::::: ヽ
.ヽ ::::::| `、 `、 .....::::::::::::l:::::::::::: `,
/ \:::l. `、 ヽ::::::::::::::::::::l::::::::::: /'''ー─----、
`ヽ `、 .::::\:::::::::::::::|::::::::: /,, ,. ‐;''"
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1285440009/809
>私たちが毎週ミサで唱える信条の中の、
>「主は、生者と死者を裁くために、栄光のうちに再び来られます」
>という条項の重要性を、あなたはこれまで真面目に考えて来たでしょうか。
,,..,,_
, -''"´ `゙''-、 ,, -‐ 、
,." `ヽ /' ヽ
l 老 l / i
l__ 、、、_ } { _、、、 __ l/ ≼ⓞ≽..i
{l〈 ヽ., --)-(-=-_ノ / ..::::::::::::::::|
ヾ|  ̄ノ  ̄ / ..::::::::::::::::::l
l (、{,___,},.) / ..::::::::::::::::::::!
l \ `ニ´ / .::::::::::::::::::::/
ヽ / ー \/ .:::::::::::::::::::/
\ / .:::::::::::::::::::/
. ‐'"´ `'‐,r''"~ .:::::::::::::::::/
/,. -‐‐- 、 l′ ..:::::::::::::/|
:,' / !.:::::::/:i..:..l
r 、 / !::::::::::: i..:..i
l .......`:i i !:::::::::: ゙、:.i
! ::::::::::/ i i:::::::::: ヽ:i
.! ::::::::/ i .....i::::::::::: ヽ
.ヽ ::::::| `、 `、 .....::::::::::::l:::::::::::: `,
/ \:::l. `、 ヽ::::::::::::::::::::l::::::::::: /'''ー─----、
`ヽ `、 .::::\:::::::::::::::|::::::::: /,, ,. ‐;''"
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1285440009/809
> いったい傍観者というものは、いくらでも減らず口をたたくものですが(マコ vv.13,18,29-32)、
> 同様に多くの “聖書物語” でも、さらに司祭たちの説教でも、
>傍観者としての人間の勝手な感想や敬虔を装った作り話のようなものが、
>神の子である苦難のキリストを抜きにして語られることが多いのです。
_,, ... ,,,
. ;,ィ'"゙ `'-、
. ./'' ゙ :::::゙iミl
ミ′: 老 : ..::_; ミ;リ
,!__、、、_}{ __、、、__ :::ミ:;リ
. 〈 ヾ::“)-(::'゙.”゙;_ノ':;゙i::く
. |:ヽ .,r ..::丶 ..:::: ::::;´: !}
|.:. :' ''ー;^''::ヽ. :':::;; シ丿
. l: 、l←‐'‐→、! ..; ;;l´
.ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '"::;;;ハ、
_,,/`i、 -:: -::::'::;ツ'::`:::-、.._
" 、 i":;;:::::;::,::::::;!:
゙ ゙ヽ /':: "::::/::::::::: :
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1494362600/526 ______ / ヽ__/ ヽ
| ____ / 老 :::::::::::::::\
| | /━━ ━━ :::::::::::::::|
| | |‐=*ニ,> <,ニ*=‐ ::::::::::::::|
| | .| :::::::::::::|
| | | (__人__丿 いいかな?
∧∞ヘ
( ´・ω・) いやどす
ハ∨/~ヽ
ノ [三ノ |
(L| く_ノ
|* |
ハ、__|
""~""""""~""~""~"
68 :老クリスチャン:2018/03/29(木) 11:58:19.82 ID:MCk58KaU
>> 62
今年末に刊行予定の 「聖書 聖書協会共同訳」 の実例集によると、出3:14 の “エヘイェ” は 「私はいる」 となっています。
ヨハネ福音書におけるイエスの言葉 「エゴー・エイミ」 を、神顕現の言葉としてではなくて、「父=御子イエス」 つまり 「同一」 と理解するのは、神学を学んでいない素人の屁理屈に過ぎません。
キクンケ・ウルト(通称アタナシウス信条)を、現代の素人の知恵でバッサリ切り捨ててしまうような連中だけが、そんな屁理屈を大真面目に主張して粋がっているのです。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1521793664/68
__,.-‐" "⌒~^'ー:ヽ
_,.‐'´ :::::::::::;;;;;ヽ、
ァ'´ :::::::::::::;;;;;;::}i |_
/ 老 :::::::::;;;;;;;;;;i
::: l _ ,. -‐ ´::::::::::::::;;;;;;;;;;;;:;; f^ヽ
:{ ` 、 ;;rz彡彡ミミ‐:::;;;;;Vムリ|
ヾ゙、ミミミヽ :: 'ゝrtッ_‐ァ::':::;;;;;∨/! いいかな?
. :::ヾ 、_tッ、,l :::::!:`ー ___::::;;;;;::::;:∨/
_ ::;;; :ヽ -'´,ノ :::::!、`、::::::::;:;;;;;;;;:::;:|
/ ノ〉::::::ハ;;; ;;;/,イ ::'ヽ::\;;;;;:::;;;;;│,
. _厶 〃_| ;;;:ヽ;; i::,,:^ー^:':...-、 ::::;;;: l, .
. r'´__ノ〃i .;.\' ζ:: ==ァ‐‐、;;`; ;;;/, -‐ -‐ .
. ,.┴┐ ′ | _ _;;〉 ( ;;;;;;´;;;;;;_,/
/ ァ'´ , -‐┤,.‐' _;;;.>、_,>;;‐'´/|
辷..ノ / _ └--‐'_._ノ: /\__| |__/
__,イ /≼ⓞ≽. _/ | . l|
ノ` / _,-‐'´ │ ||
ト、 ィ7 ̄ │ ||
くちびるは なぜ
遠くまで 聞こえるの
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
あの蜘蛛はなぜ
わたしを狙ってるの
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
教えて おじいさん
教えて おじいさん
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
教えて
ア×ルの揉みの木よ
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
口利きは なぜ
遠くまで聞こえるの
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
あの蜘蛛は なぜ
たわしを持ってるの
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
教えて おじいさん
教えて おじいさん
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
教えて
秩父のもみの木よ
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
__
'´ ヽ
lカノノル ピノス
从タ ゚ ヮ゚ノソ
⊂[]二[]つ
/∴∵ヽ
<∵∴∵>
(/ ∪
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /.i /.i /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーライヤッチャ
〈,(・∀・;)ノ・∀・;)ノ・∀・;)ノ エーライヤッチャ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ヨイヨイヨイヨイ
〈__〈 〈__〈 〈__〈
101 :野菜名人:2018/04/02(月) 20:10:45.28 ID:sa8wFdQi
老クリスチャンさん
イザヤ9:6ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、
ひとりの男の子がわれわれに与えられた。
まつりごとはその肩にあり、
その名は、「霊妙なる議士、大能の神、
とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
ここではメシアを「とこしえの父」と呼んでいます。
イエスが父なのですか?
108 :野菜名人:2018/04/03(火) 18:38:27.52 ID:KcZ/tCdH
老クリスチャンさんに質問です
申命記32:8の「イスラエルの子の」についてですが
BHSは「イスラエルの子の」
死海写本は「神の子らの」
70人訳は「神の御使いらの」
と分かれています。
それで口語訳、新改訳はBHSに従い
共同訳 新共同訳は死海写本を採用しいるようです
老クリスチャンさんはここを何を採用されますか? そして根拠は?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1521793664/101- >>395
110 :老クリスチャン :2018/04/04(水) 13:46:34.91 ID:KTPMMX6v
>> 101
(1) 私は聖書翻訳者ではありませんし、ましてや聖書の編集者でも著者でもありません。
ただ神学書やコメンタリーを通して、歴史の教会が積み上げてきたいろいろな解釈を学んでいるだけです。
ギリシア語やヘブライ語を学ぶのも、それらの神学的成果を理解するための手段にしか過ぎません。
(2) 旧新約聖書を、救済史を導いておられる生ける神から独立した一種の企画書か設計図のように、人間の屁理屈で分析したり説明したりしてみせることに私は興味がありません。
(3) >>101 のような愚問を弄ぶ暇があったら、学問的に権威のあるコメンタリーの一二冊にでも先ず目を通すべきでしょう。
(4) >>108 も、聖書原典の校訂という際立って高度な学問の世界を、まるで小学生か中学生の英語の学習と同じレベルのように見くびって口出ししているようなものです。
聖書を読む人たちの中には、それによって 「キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を」(IIテモ 3:15)得る人もいますが、
教会の信仰とも救いともなんの関係もない、ただの議論屋で終わる人も多いのです。
> (2) 旧新約聖書を、救済史を導いておられる生ける神から独立した
> 一種の企画書か設計図のように、人間の屁理屈で分析したり
> 説明したりしてみせることに私は興味がありません。
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトを見れば、すべて解決じゃての
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── '
101
老クリスチャンさん
イザヤ9:6ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、
ひとりの男の子がわれわれに与えられた。
まつりごとはその肩にあり、
その名は、「霊妙なる議士、大能の神、
とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
ここではメシアを「とこしえの父」と呼んでいます。
イエスが父なのですか?
> (3) >> 101 のような愚問を弄ぶ暇があったら、
> 学問的に権威のあるコメンタリーの一二冊にでも先ず目を通すべきでしょう。
.r''''ゝ` -"〈....-、
/:::::::::ヽ老 ノ:::::::::ヽ
.!:::::::::::::::~Lr^:::::::::::::i
. j r,r'´´ ̄ ̄ ̄` ー、::::l
l__ 、、、_ } { _、、、 __.l
{l〈 ヽ., --)-(-=- _ノ 〉!}
ヾ|  ̄ノ  ̄ |シ
l (、{,___,},.) l
l\ `ニ´ /:l
ヽ / ー \ /
\ /
_ノ '-====-'ヽ
108 :
老クリスチャンさんに質問です
申命記32:8の「イスラエルの子の」についてですが
BHSは「イスラエルの子の」
死海写本は「神の子らの」
70人訳は「神の御使いらの」
と分かれています。
それで口語訳、新改訳はBHSに従い
共同訳 新共同訳は死海写本を採用しいるようです
老クリスチャンさんはここを何を採用されますか? そして根拠は?
> (4) >>108 も、聖書原典の校訂という際立って高度な学問の世界を、
>まるで小学生か中学生の英語の学習と同じレベルのように見くびって
>口出ししているようなものです。
>
> 聖書を読む人たちの中には、それによって 「キリスト・イエスへの信仰を通して
>救いに導く知恵を」(IIテモ 3:15)得る人もいますが、
> 教会の信仰とも救いともなんの関係もない、ただの議論屋で終わる人も多いのです。
,,..,,_
, -''"´ `゙''-、 ,, -‐ 、
,." `ヽ /' ヽ
l 老 l / i
l__ 、、、_ } { _、、、 __ l/ ≼ⓞ≽..i
{l〈 ヽ., --)-(-=-_ノ / ..::::::::::::::::|
ヾ|  ̄ノ  ̄ / ..::::::::::::::::::l
l (、{,___,},.) / ..::::::::::::::::::::!
l \ `ニ´ / .::::::::::::::::::::/
ヽ / ー \/ .:::::::::::::::::::/
\ / .:::::::::::::::::::/
. ‐'"´ `'‐,r''"~ .:::::::::::::::::/
/,. -‐‐- 、 l′ ..:::::::::::::/|
:,' / !.:::::::/:i..:..l
r 、 / !::::::::::: i..:..i
l .......`:i i !:::::::::: ゙、:.i
! ::::::::::/ i i:::::::::: ヽ:i
.! ::::::::/ i .....i::::::::::: ヽ
.ヽ ::::::| `、 `、 .....::::::::::::l:::::::::::: `, 2000年(主日B年) 4月30日 復活節第2主日
使 4:32〜35 Iヨハ 5:1〜6 ヨハ 20:19〜31
教会は今年も主イエス・キリストの復活を祝って、この期節のミサをささげます。
教会が “共にミサをささげる神の民” として、主の再び来られる日まで地上の旅を続けて行くことが出来るように、復活のキリストは使徒たちをお遣わしになりました(ヨハ 20:21-23)。
彼らの使命は福音を宣べ伝えること、洗礼の秘跡を行うこと、ミサを司ることでありました。
この使命を今日も受け継いでいるのが世界各地の司教であり、彼らに従属する司祭たちと共にその任務に奉仕しています。
司教、あるいはそれに従属する司祭が洗礼の秘跡を行うとき、またミサを司るとき、そこに聖霊が働きます(Iヨハ 5:6)。
私たちのミサの感謝の典礼の中で司祭が唱える奉献文には、エピクレーシスと呼ばれる部分があって、特別に聖霊の働きを祈るのですが、
その一つは 「あなたにささげるこの供えものを、聖霊によってとうといものにしてください。 御子わたしたちの主イエス・キリストの御からだと御血になりますように」 であり、
もう一つは 「御子キリストの御からだと御血によってわたしたちが養われ、その聖霊に満たされて、キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように」(第三奉献文) です。
そして、ささげ物を携えてミサに参加する私たちも、「世の罪をあがなう御子の奉献に、わたしたちが一つに結ばれますように」(主の洗礼の祝日の奉納祈願)と祈ります。
“信仰に生きる”(今朝の集会祈願)ことは、“愛すること”、“共にミサを守り続けるために一致協力すること” です。
主の復活を祝って、ハレルヤ! アーメン。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 --
† 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから入って行く者が多いのです。
(新約聖書 マタイの福音書7章13節)
-- >>12
> このスレはアンチキリスト、愉快犯によるネタスレなので
> なるべくスルーしましょう。
>
> 反応してるのも単なる自演の可能性が高いです。
∧_∧ ∩,_∧ ∧_∧゙
(´・ω・`) | |・ω・`) (´・ω・ )
(( ⊂ ⊃ / ,⊃ (⊂、 ⊃゙
(( ⊂,,, ノ゙ ((( ,,_,,⊃゙ ((⊂,,,_,, )
(__/,, ヽ_),, (_/, >>12
> このスレはアンチキリスト、愉快犯によるネタスレなので
> なるべくスルーしましょう。
>
> 反応してるのも単なる自演の可能性が高いです。
∧,_∧ ♪
( ・ω・ ) ∧,_∧ ♪
♪ ∧,_∧ ( つ ヽ、 ( ・ω・ ) ))
( ・ω・ ) )) とノ ∧,_(_∧ ヽ、
(( ( つ ヽ∧,_∧_)( ・ω・ )とノ∧,_∧ ♪
〉 とノ ( ・ω・ )( ( つ ヽ ^(( ・ω・ ) ))
(__ノ^(_( つ ヽ 〉 とノ ))( ( つ ヽ
〉 とノ ))__ノ^(_) 〉 とノ )))
(__ノ^(_) (__ノ^(_) ♪ >>12
> このスレはアンチキリスト、愉快犯によるネタスレなので
> なるべくスルーしましょう。
>
> 反応してるのも単なる自演の可能性が高いです。
,,..,,_
,. -''"´ `゙''-、
,." `ヽ.
l l
l__ 、、、_ } { _、、、 __.l
{l〈 ヽ., --)-(-=- _ノ 〉!}
ヾ|  ̄ノ  ̄ |シ
l (、{,___,},.) l
l\ `ニ´ /:l
ヽ / ー \ /
\ /
_ノ '-====-'ヽ
/\ヽ:. ヽ.
. /´ \ l ヽ
. / ヽ / |.|
/ ヽ / || .__
/ 、 ー' 「| |: : : : :|
. /\ }/ L!_ __l : : : n
. / \ / | / フYYリノ
.( >イ | __ -┴'′
..\ \ | 「
. . \ \ |
. 丶、 \ |
`ゝ ヽ ∠|
. L〕j i l | _ -=ニニ|
|`ー'|ノイ-―=ニニニニニ| >>12
> このスレはアンチキリスト、愉快犯によるネタスレなので
> なるべくスルーしましょう。
>
> 反応してるのも単なる自演の可能性が高いです。
/\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ´⌒ヽ,/ ,. '  ̄ `ヽ. .\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
γ⌒´ ヽ, / ', \ ̄ ̄ ̄ ̄
//"⌒⌒ゝ、 ) l \ ̄ ̄ ̄
i / ⌒ ⌒ ヽ )、 ,' |\ ̄ ̄
!゙ (・ )` ´( ・) i/ ./ / .. ' |  ̄ ̄
| (_人__) |/ / ̄ |
\_`ー' _/. / . |
/ ,,,, ヽヽ / 12 1 |
{ ヾ)''/ ↑ 2 .|
\ /.. | |
" ̄ ̄" ̄ . └‐→ 3 .. | >>12
> このスレはアンチキリスト、愉快犯によるネタスレなので
> なるべくスルーしましょう。
>
> 反応してるのも単なる自演の可能性が高いです。
マ マ
ジ ジ マ
レ マ レ ジ
ス ジ ス レ
の レ ノ ス
嵐 ス ア の
マ マ ノ ラ 嵐
ジ ジ マ ア シ マ
レ レ ジ ラ ジ
ス ス レ シ レ
ノ の ス ス
ア 嵐 ノ の
ラ ママ ア 嵐
シジ ジ ラママ
レ マ レ ジ ジ
ス ジ ス レ レ
の レ ス ス
嵐 マ ス の ノ
マ ジ 嵐 ア
ジ マ レ マ ラ
レ ジ ス ジシ
ス レ ノ レ
の ス ア ス
嵐 ノ ラ の
マ ア シ 嵐
ジ ラ ママ
レ シ ジジ
ス レレ
嵐 2009年(主日B年) 4月19日 復活節第2主日
使 4:32〜35 Iヨハ 5:1〜6 ヨハ 20:19〜31
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハ v.31)
イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神のもとから聖霊が降って、教会の土台としての最初の使徒たちがたてられてから、教会は今日に至るまでその使徒の受けた務めを継承して歩んで来ました。
その使徒の務めとは、「すべての造られたものに福音を宣べ伝え」(マコ 16:15)、信じる者に 「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタ 28:19)て 「永遠の命を得させる」(ヨハ 3:16)ことです。
使徒パウロは、「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないこと」(IIコリ 4:7)を力説していますが、ヨハネ福音書の復活物語りに登場する “ディディモと呼ばれるトマス” もまさにそのことの証人です。
代々の教会は使徒継承というものをそのように理解し、トマスと共に 「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハ v.28)と宣言して来ました。 (つづき)
最初の使徒たちは、復活されたイエスを見た人たちであり(使 1:22-26、Iコリ 9:1)、キリストと父である神によって(ガラ 1:1)、「神の福音のために選び出され、召され」(ロマ 1:1)ました。
その意味で、使徒は一代限りの存在でありましたが、その使徒の受けた務めは今日に至るまでキリストの体である教会によって受け継がれて来ました。
代々の教会は使徒たちの後継者である司教たちを任命するのが常でありましたが(使 14:23)、そのことによって教会は自らをキリストの福音にゆだねて歩んで来たのです(使 20:32、Iコリ 15:1)。
現代のカトリック教会は、“信じる者すべてに救いをもたらす福音”(ロマ 1:16)を宣べ伝えることを第一の課題としていると言えるでしょうか。
教会は人々に “罪の赦し” と “永遠の命” を得させるという目的を最優先にしているでしょうか。
今朝の福音書のテキストを通して、神は問いかけておられます。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
//・\老/・\\ あ
|  ̄ ̄  ̄ ̄ | な
| (_人_) | た
\ \_| / に
/ /・\老/・\ は
|  ̄ ̄  ̄ ̄ | 、
| (_人_) | わ
\ \_| / た
/ /・\\ し
|  ̄ ̄ | を
| (_人_) お
\ \_| い
/ \ て
| | ほ
| | か
\ /. に
//・\ \ 教
|  ̄ ̄ | 師
(_人_) | が
\_| / あ
/・\老/・\ \ っ
| ̄ ̄  ̄ ̄ | て
| (_人_) | は
\ \_| / な
//・\老/・\\ ら
|  ̄ ̄  ̄ ̄ | な
| (_人_) | い
\ \_| / 。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
//・\老/・\\ あ
|  ̄ ̄  ̄ ̄ | な
| (_人_) | た
\ \_| / に
/ /・\老/・\ は
|  ̄ ̄  ̄ ̄ | 、
| (_人_) | わ
\ \_| / た
/ /・\\ し
|  ̄ ̄ | を
| (_人_) お
\ \_| い
/ \ て
| | ほ
| | か
\ /. に
//・\ \ 教
|  ̄ ̄ | 師
(_人_) | が
\_| / あ
/・\老/・\ \ っ
| ̄ ̄  ̄ ̄ | て
| (_人_) | は
\ \_| / な
//・\老/・\\ ら
|  ̄ ̄  ̄ ̄ | な
| (_人_) | い
\ \_| / 。 | ____ / 老 :::::::::::::::\
| | /━━ ━━ :::::::::::::::|
| | |‐=*ニ,> <,ニ*=‐ ::::::::::::::| いいかな? 2012年(主日B年) 4月15日 復活節第2主日
使 4:32〜35 Iヨハ 5:1〜6 ヨハ 20:19〜31
「弟子たちは、主を見て喜んだ。 イエスは重ねて言われた。 “あなたがたに平和があるように。 父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。”
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。 “聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。 だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。”」(ヨハ vv.20-23)
イエスの弟子たちが ・・・ 後の時代の言葉で言うと ・・・ 使徒に叙階されたのは、イエスが復活された後であったということを、新約聖書は強調して述べています。
各々の文書(マタイ、マルコ、ルカ、使徒言行録、そしてヨハネ福音書)で伝えられている形は違っていても、それらに共通しているのは、
すでに復活して父のもとへ上られた(ヨハ 20:17)イエスが現れて使徒たちに使命を授け、聖霊によって彼らの働きに自ら共にいてくださる(ヨハ vv.22-23)という、原始教会の体験でありました。
それは繰り返し語られ、信者への教えや訓練の中で頻繁に伝えられたであろう “叙階の出来事” の強烈な記憶でありました。
それは初代教会が 「使徒や預言者という土台の上に建てられる」(エフェ 2:20)という唯一の目的のために語られたのであって、現代のニュースのような意味での “出来事の報道” ではありませんでした。
ですから私たちが今日聖書で知るのは、いわばこの重大な使徒叙階の出来事のエッセンスのようなものであって、その場面を再現して見せるための描写ではないのです。 (つづき)
信仰や救いを、あたかも人間の心の持ち方の一つにしか過ぎないように考える人は、原始教会が伝えたこのような出来事の重大性を理解することが出来ません。
自分の空想の中で聖書の物語りの場面を再現して、そこから自己流の解釈や宗教思想を編み出すことになります。
しかし、私たちが救われて新しい命を与えられた “秘跡” は生ける神の御業であって、それは現在も神の国に向かって進行中の “救済史” の中の出来事なのです。
「それから、トマスに言われた。 “あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。 また、あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。”」(ヨハ v.27)
トマスにとってだけではなく、その後の時代の信者たちにとっても、信仰の事柄はいわば 「目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」(Iヨハ 1:1)であって、ただの心の中だけのものではないことを、初代教会は強調しました。
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハ v.31)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人
____________
| __________ |
| | | |
| | |> PLAY. | |
| | | | ∧_∧ ∧_∧ ∧∧
| | | | ピッ (´∀` )(・∀・ )(゚Д゚ )
| | | | ◇⊂ )( ) | ヽノ___
|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ||―┌ ┌ _) ┌ ┌ _)⊂UUO__|| |
| °° ∞ ≡ ≡ | || (_(__)(_(__). || |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ,-、
. //||
// .||
. // 生 || ∧∧
//_.再 ||__ (Д゚,,)、 < みんなで
i | |/ ||/ | ∧_∧ ,| ヽ!
| | / , | (∀・ ,,)UUO〜 < 仲良く
.ィ| | ./]. / | ∧_∧ ∪)!`ー- '
//:| | /彳/ ,! (∀` ,,),( _ノ..| || < 見るモナ
. / /_,,| |,/]:./ / ◇と し )!'し'-'´ /,!\
/ ゙ / / / ( ( _ノ.| || `ー-‐'´
| ̄ ̄ ̄ ̄ |,,./ / し'´し'-'´ /,!\
| | / || `ー-‐'´
| | ./ /,!\
|_____レ" `ー-‐'´ ,-、
//||
// .|| ギュルルルルルル
. // 戻 || ∧ ∧
//_.巻 ||__ (( (Д゚三゚Д) ))
i | ll|/ ||/ | ∧_∧ 三⊃
| | / , | (( (∀・三・∀)三 ⊃ ))
.ィ| | ./]. / | ∧_∧ 三 つー- '
//:| | /彳/ ,!. (( (∀`三´∀) ,三 _つ ||
. / /_,,| |,/]:./ / ◇と 三 つ◇'-'´ /,!\
/ ゙ / / / (( と 三 _つ || `ー-‐'´
| ̄ ̄ ̄ ̄ |,,./ / `ー-ー' /,!\
| | / || `ー-‐'´
| | ./ /,!\
|_____レ" `ー-‐' _________
|┌───────┐|
|│ロ▓▒█░░▒▓ .│|
|│ .█▓▓▒▓█ |│
|│ ..▒░█░▓▓▒█ |│
|│ ▓▓█▒░█▓▒▓..|│
|└───────┘|
[::::::::::::::::MONY:::::::::::::::::]
ピッ ∧_∧
◇,,(∀・ ) ヤッパリ ヒトリデコソーリミルヨ
. (⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
| |
└────────────────┘ キリスト教は「永遠の命」の宗教です。キリスト教の救いとは「永遠の命」を得ることです。
キリスト教における信仰者の究極的目的は「永遠の命」です。キリストを信じることによって
得られる救いとは、他でもなく、「永遠の命」です。新約聖書においては、
「永遠の命」とか「永遠に生きる」という表現が、新約聖書にきわめて頻繁に(44回)
出てきます。「永遠の命」こそ人間が得るべき最も大切なものであるという思想が、
繰り返し繰り返し、述べられています。 キリスト教の詐欺は、この「死ななくなる詐欺」の他に、「お前ら罪人詐欺」「世界が終わる詐欺」「異教は全部迷信詐欺」がある。(笑)
おっと、「キリストが世界救いました詐欺」もありましたね。(笑)
(^。^)アホかと。(笑)
_,,..,,
_ /・e・ヽ 、ああああ、あほっ!
//\ パカッ! (ノ;;;;;;;:: )>
| ̄|[l■XXXXXXX⊂⊃
| || ̄||
| |||||
| ||/゜||
.\|| ||
 ̄ 2000年(主日B年) 5月7日 復活節第3主日
使 3:13〜19 Iヨハ 2:1〜5a ルカ 24:35〜48
ルカ vv.36-43
復活されたイエスにお会いした弟子たちは、初めはそれを信じることも正しく理解することも出来ませんでした。
聖書が語るキリストの福音を、そのまま率直に信じたり理解することが出来ない ・・・・・ というのは、決して現代人だけの問題ではないのです。
どんな時代の人々にとっても、聖書が語る福音はそのままでは信じることも理解することも出来ないものだったのです。
しかし福音の証人として立てられた使徒たちに、復活のキリストが繰り返し現れて親しく語りかけ、彼らの心の目を開いて行ってくださった物語りが、彼らのケリュグマ(宣教)を支えているのです。
ルカ vv.46-48
この使徒たちの証言の上に、私たちの教会は立っています。
ミサにおいてこの使徒たちの証言である聖書が朗読され、説教され、私たちがキリストのいけにえを記念し、一同でこれに与かるとき、教会はキリストの福音への信仰を現代に向かって宣言し告白しているのです。
それは決して隠れて密かに行われていることではなくて、この世のすべての人々に対して公に宣言し告白されていることであり、洗礼の秘跡によって神に立ち帰った民である私たちは、その告白に参加しているのです。
「過越の神秘によって新たにされた人々が、不滅のからだに復活し、あなたの栄光をたたえることが出来ますように。」(今朝の拝領祈願) アーメン、ハレルヤ。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 こわいこわいこわい
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 使徒たちは 「これらのことの証人」(ルカ v.48)、「キリストの証人」(使 1:8)、
「主の復活の証人」(使 1:22,2:32,3:15)でありますから、
現代のキリスト者も、時代が変わったといえども、使徒たちが告げ知らせたものに反する
“別の福音” を決して宣教したり信じてはならないのです(ガラ 1:1-9 参照)。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1494362600/610
>現代のキリスト者も、時代が変わったといえども、
>使徒たちが告げ知らせたものに反する “別の福音” を
>決して宣教したり信じてはならないのです。
_,, ... ,,,
. ;,ィ'"゙ `'-、
. ./'' ゙ :::::゙iミl
ミ′: 老 : ..::_; ミ;リ
,!__、、、_}{ __、、、__ :::ミ:;リ
. 〈 ヾ::“)-(::'゙.”゙;_ノ':;゙i::く
. |:ヽ .,r ..::丶 ..:::: ::::;´: !} 「あなたには、わたしをおいてほかに教師があってはならない。」
|.:. :' ''ー;^''::ヽ. :':::;; シ丿
. l: 、l←‐'‐→、! ..; ;;l´
.ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '"::;;;ハ、
_,,/`i、 -:: -::::'::;ツ'::`:::-、.._
" 、 i":;;:::::;::,::::::;!:
゙ ゙ヽ /':: "::::/::::::::: : 2006年(主日B年) 4月30日 復活節第3主日
使 3:13〜19 Iヨハ 2:1〜5a ルカ 24:35〜48
「その名を信じる信仰」(使 v.16)とは、イエス・キリストの名による罪の赦しの福音を信じることです。
その罪とは、キリストを拒み(使 v.14)、キリストを殺した(使 v.15)罪に他なりません。
それはかつてのユダヤ人たちの罪であるだけではなくて、全世界の(Iヨハ 1:2)、すべての時代の人の(ロマ 5:12、Iコリ 15:22)罪であって、私たちも皆かつてはこの罪の中に閉じ込められていました(ガラ 3:22)。
しかし、キリストの福音は “罪の赦しを得させる悔い改めの福音” でありますから、私たちもこのキリストに立ち帰って(使 v.19)、信じて救われました。
使徒たちが宣教したのとは違う仕方で “悔い改め” を説明し、使徒たちが伝えたものとは違う内容の“信仰” を教えるなら、それは教会の宣教ではありません。
21世紀のキリスト者は、自分自身と教会との過去を深く吟味してみる必要があります。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 罪やで
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 罪やで
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 2009年(主日B年) 4月26日 復活節第3主日
使 3:13〜19 Iヨハ 2:1〜5a ルカ 24:35〜48
「この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(Iヨハ v.2)
私たちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦された(エフェ 1:7)という事実の上に、共にミサをささげる民としての教会は成り立っています。
それは信仰の事実でありますが、決して現実とは無関係な心の中の “ただの宗教感情” のようなものではありません。
福音宣教の内容も、ただのキリストに関する美しい物語りではなくて、「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」(Iヨハ 1:1)であり、現に教会と共にある事実です。
ミサで聖書が朗読されるとき、いつもキリストはその救いをもって会衆に臨んでおられます。
そのような現実の上に、互いに神から生まれた者たちとして愛し合うということ(Iヨハ 5:1-5)、すなわち神の掟を守る(Iヨハ v.3)、神の言葉を守る(Iヨハ v.5)ということが実現します。
それは私たちのあらゆる理解を超えた神の偉大な業であって、「それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(ロマ 1:17)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 先ず、聖書と聖歌とロザリオは、持っていた方が良いですけど、何時行く教会とバージョン同じでないと使いにくいから注意、讃美歌のCDと讃美歌自動演奏器も有れば尚良いです、家庭祭壇は、簡単な奴自作しても良いですし、無くても大丈夫です。
後は教会仲間に聞いて必要な物が有れば揃えて行きましょう。 2003年(主日B年) 5月11日 復活節第4主日
使 4:8〜12 Iヨハ 3:1〜2 ヨハ 10:11〜18
「わたしはよい羊飼いである。 よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハ v.11)
羊のために、羊に代わって御自分の命を捨ててくださったイエス・キリストは、罪と死に勝利して復活されました。
私たちキリスト者は、洗礼によってその死と復活に与かる者とされ、罪と死の支配から解放されてキリストに属する民となりました。
私たちが “キリストによって”、“キリストを通して” 贖われ、救われたのは、そのいけにえとしての死によるのであり、復活のキリストはこれを記念するミサを教会に託されたのでした。
ミサが本質的に “いけにえ” であることは、使徒継承による教会の確固たる伝承であり、現代の教会においてもキリストの救いの力は、ミサを通して私たちの間に働いています。
主イエスが 「自分の羊」(ヨハ v.14)と呼んでおられることから分かるように、初代教会の宣教が始まったときからいつも、この世にはキリストのものではない羊たちがたくさんいました。
最初に福音は各地のユダヤ人を対象にして宣べ伝えられましたが、それは多くの羊たちの中からキリストの羊を呼び集める働きであると理解されていました。
間もなく福音の宣教が異邦人世界に広がるようになり、そこからもキリストの羊たちが呼び集められて行きます。
キリストの福音の宣教によって異邦人がユダヤ人と一緒に神の国の約束に与かる者となるという 「秘められた計画」(ロマ 16:25、エフェ 3:3)が、教会を通して展開するのです。 (つづき)
「こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」(ヨハ v.16)
このように教会を通して進められる福音宣教が、キリストの羊とそうでない羊を分ける働きとなるということを、聖書はいつの時代にも教会に向かって語って来たのでした。
福音宣教は 「滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。」(IIコリ 2:16)
生きている者と死んだ者を裁くために来られる終末のキリストは、キリストの羊たちにとっては、「わたしたちのために呪いとなって」(ガラ 3:13)
私たちが受けるはずの裁きをすでに十字架の上で私たちに代わって受けてくださった、そのような審判者(使 10:42)なのです。
「ほかのだれによっても、救いは得られません。 わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使 v.12)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より --
† 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから入って行く者が多いのです。
(新約聖書 マタイによる福音書7章13節)
--
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 世の中には、男性を天に昇らせる女性もいれば
豊胸パッドを入れて男性を騙して地獄に突き落とすために
存在する女性もいて、それぞれの働きをしているのですね 牧師は、当然一週間、主日に備えて祈るんだろうけどその間お金を儲けることは難しい、、、いろんな理由をつけてお金を信徒から巻上げる算段をする牧師までもいる。
そりゃ、牧師や宣教師だって人間だから家族を支える為に必死だ。時には伝道集会や講演会などの理由・名目で献金を募りこっそりかなりな額の上前をはねる。
教会の役員をしていたので知ってるが、そのような悪事は既成教会より福音派などを謳うが実は個人商店化しカルト化した教会に多い。
宗教法人にすると公に会計書類を提出する必要も限りなく無いに等しいし(営利事業は別)、当然、有っても役員に現世的利益をちらつかせ、その目やその信徒さえ誤魔化せば良い。
これは忌々しきことだが現実で、神さまはそんなパリサイ化した指導者の状況を永遠に許すわけが無い。
少なくても牧師の衣を借るそのような教会関係者は無意味な事をしてる事に気がついていないか(気がつく義務は有る)、
気がついているとしたら、神さまは居ないから現世のうちに大胆に周囲を騙し、金を献金という名目で巻上げる、、、と腹をくくったか。
大半が後者だろう、神さまの前では言い訳は利かないのは当然だ。
キリスト教を騙り信仰を悪用した泥棒である。神殿の中で堂々と商売をしてるわけである。
自分だけは楽をして信徒には負いきれない重荷を押し付ける、自分の栄誉・宣伝のために意味の無い苦行などを強いるなど、あの手この手だ。
カトリック教会の修道士などは清貧を義務づける修道会も有るのはそういった現実的な意味も有るからだ。
現世と隔絶した生活、当然現世のままを享受するのは不適切と考える修道会が出てきてもおかしくはない。
社会的にもすばらしい業績を残すだけではなく、多くのものが信仰に導かれている。
一部の福音派と呼ばれる教会の中にはそれを非難しそんな肉的な行為で信仰に導かれるのではないと言う。
しかし、そんな戯言を言うのは、ただ、愛がないだけである。つまり、神さまから愛されていない、呪われた頭でっかちの牧師が言う事だ。
一度、献金した金品は法律的にも返還請求するのは難しい。
少しでも疑問が有るのなら、そういった牧師から離れその教会も去ることだ。
それは不信仰なことではなく、神さまに対しても素直なことである。
この日本でも、他にもすばらしい信徒の群れはたくさん有る。 2009年(主日B年) 5月3日 復活節第4主日
使 4:8〜12 Iヨハ 3:1〜2 ヨハ 10:11〜18
「わたしは良い羊飼いである。 良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハ v.11)
もし教会の信者のだれかが、教会の主であり、頭であるキリストのことを考えないなら ・・・・・ 、この世の良い指導者や教師のための高貴な教訓を聞いているように考えるなら、その人は聖書を全く理解していないことになります。
この世の多くの指導者たちの中で、イエスは “羊のために命を捨てる” 一歩抜きん出た偉大な指導者であって、従って私たちの手本であるという教訓を聖書が教えていると理解する人は、教会のことも福音のことも知らない人です。
教会は、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったこと」(ロマ 5:8)、私たちは 「キリストの血によって義とされ」(ロマ 5:9)、「御子の死によって神と和解させていただいた」(ロマ 5:10)ことを、
福音を通して確かに聞いた(コロ 1:5)者たちの集まりだからです。
キリストは御自分の死によって、私たちに “神との間の平和”(ロマ 5:1)を得させてくださいました。
そのように理解しない人は、“羊飼いを知らない羊”(ヨハ v.14)です。 (つづき)
実際、教会の目的はこの世に平和を作り出すことであるという主張が、しばしば聞かれます。
マタ 5:9 がその根拠とされるのですが、そのような主張は “聖書も神の力も知らない”(マコ 12:24)人々の共感を得るのに大いに好都合であって、そこでは福音も信仰も抜きにしての連帯が可能になります。
しかし神は、私たちがまだ敵であったときに(ロマ 5:10)、キリストの死を通して私たちを御自分と和解させ(IIコリ 5:18)、和解の福音を私たちすべての信者にゆだねられたのです(IIコリ 5:19)。
それは全く神の業であって、人の業ではなく、人間の努力や行いによるのではなくて、神の賜物です(エフェ 2:8-9)。
この囲いの中の羊でも、ほかの羊でも(ヨハ v.16)、このキリストの福音を聞き分ける羊こそが、“キリストに属する人”(Iコリ 15:23)なのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人
チロチロ 2009年(主日B年) 5月3日 復活節第4主日
使 4:8〜12 Iヨハ 3:1〜2 ヨハ 10:11〜18
「ほかのだれによっても、救いは得られません。 わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使 v.12)
“神との間の平和”(ロマ 5:1)は、全く神の業であり、神の賜物であるという点で、新約の福音は旧約聖書と決定的に異なっています。
旧約の律法は、年ごとに絶えずいけにえを献げることを命じていましたが、雄牛や雄山羊の血は罪を取り除くことが出来ませんでした(ヘブ 10:1-4)。
しかし新約の福音は、「ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされた」(ヘブ 10:10)と宣言しました。
ペトロが足の不自由な男をいやしたように、現代の教会も各種の救済事業や医療、教育などの働きをしています。
それら一つ一つの活動は、それぞれ有益であって、少しも非難されるようなものではありません。
しかし、私たちがそれらの活動について説明したり弁明したりするとき、イエス・キリストの名による救いを、しかもそれを前面に打ち出して、明確に宣言しているでしょうか。
“善い行い”(使 v.9)については雄弁に語れても、「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ」(IIコリ 5:18)てくださつた ・・・・・ などという難しいことは、自分には説明できない ・・・・・ と思っているとしたら、
その人には自分が本当に救われているという確信そのものが存在するのか、はなはだ怪しいと言わざるを得ません。
新約聖書を通して伝えられている原始教会の福音は、当時の “無学な普通の人”(使 4:13、Iコリ 1:26-31 参照)が信じて受け入れた神のことばでした(Iテサ 2:13)。
同様に、現代においても 「正しい者は信仰によって生きる」(ロマ 1:17)のです。
確かに、天上のキリストは今朝、ともにミサをささげる私たち一同に、期待を込めて語っておられます。 “わたしの羊は、わたしの声を聞き分ける”、と。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまといも、子供の奇声も、ドアバンも、ヘリのノイズキャンペーン(騒音の嫌がらせ)も全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)も、クソダニ米国の腐れAIが波動(周波数)を悪用して作り出したもの。波動で人を操ってやる。真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています