2012年(主日B年) 4月8日 復活の主日
使 10:34〜43  コロ 3:1〜4  ヨハ 20:1〜9

「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声を上げ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ」(ヘブ 5:7)と書かれている 「御自分」 とは、
“私たち罪人に代わっての御自分” であったことを(Iペト 2:24)、そして 「わたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」(イザ 53:6)という十字架と復活の出来事を、あなたはまだ信じていないのですか。
洗礼の秘跡によって、私たちキリスト者はみな 「キリストと共に死んだ」(コロ v.3、ロマ 6:8)のです。
今や私たちの(永遠の)命は、「キリストと共に神の内に隠されているのです。」

私たちキリスト者の人生に残されているのは、ただの肉体の死だけであって、すでにキリストは死に勝利されました。
来るべき日には、キリストがその勝利を私たちに与えてくださいます(コロ v.4、Iコリ 15:54-57)。

私たちが毎週ミサで唱える信条の中の、「主は、生者と死者を裁くために、栄光のうちに再び来られます」 という条項の重要性を、あなたはこれまで真面目に考えて来たでしょうか。
実に教会は、すでに私たちのために神の裁きに対して御自身を献げ、すべての呪詛(罪が支払う報酬である死)を私たちから取り除いてくださった審判者キリストが、天から来られるのを頭を上げて待ち望んでいるのです。
このキリストを信じる者はだれでも、今やその名によって罪の赦しが受けられるからです(使 v.43)。

・・・・・ 以下、本文参照。
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