密教入門は法華経解説を桐山氏が独自に著わした箇所が重要。
この意味は法華経に関する解釈権を示したと考えれば良い。
誰にもお経の解説、解釈をする権利はある、つまり自己思想の自由表明。
ところがこの桐山師解釈が一部の大教団と衝突して現在も其のままだ。
是でどれ程の敵が生まれたのか諸氏は想像できようか?
天台ともぶつかる訳だが、さすがに懐が広いのが伝教大師八宗兼学末弟とも言える。
もっと判り易く別の話をしよう解釈権の重さである。
創価と正宗寺の一連の騒動はお経に関し解釈権にまつわる権威の移動を争った、そう見るべきが
妥当。
檀家総代肥満師が我が弟子を云々、の段階で指導すべき、これって寺の手落ちだろう。
話は戻し、現状幹部のままでは阿含の将来が疑問だ。
疑問のまま行きますと、深山センセイの日当も疑問になる恐ろしさ。←忖度な