> だから疑問なのですよ。
他者に慈悲を持つのはインドに特有の教えで、それは後に 大乗仏教や救世主教として世界に 広まりました。
が、そういった教えの濃いインド以東は常に戦争にまけ、 弑殺にあい、そこの住人はいつも強いものに征服され、奴隷か家畜のように生きざるを得なくなっています。
この教えが間違いであるというのならどうして解脱などができようか、と。
生命に対する慈悲がなければこの世から解脱はできないと仏教では説いていたはずです。 』



何かをはき違えてますよね。
仏教は世界に伝播していく過程で戦争を取ものわなかったのです。

唯一絶対神の宗教は、その排他性から宗教戦争を繰り返します。

もう一つは、1万年前からの地中海湾岸諸国において、宗教都市国家が興廃していきました。
その国家をつかさどる農業神、豊満なる収穫美の女神は、国家が勝てば生き残り、国家が負ければ叩き壊されていったのです。

仏教の伝播には、こういう戦いがありませんでした。

あなたが固執しているのは、国家や、民族の興隆を問題視されているのでしょうね。

それらは、経済活動が軍事的優位性の中で行われていった事実ですが、つまり、支配、被支配の関係性の中sでの略奪を言っているのでしょう。

それは、帝国主義と呼ばれるものです。

仏教とはかかわりがありません。

ただし、我が国において、明治、富国強兵策の実現に向けて、人を殺すなの仏教を弾圧する廃仏棄釈の抹殺政策が行われ、明治政府は法律で僧侶の妻帯を保証し、僧侶は檀家の青年を軍隊として戦場に兵隊や馬を送り続けた。

第二次世界大戦敗戦後も、僧侶の妻帯は続いている。

日本の仏教はこういう形で戦争協力し、妻帯はなぜか現代においてもいけしゃーしゃーと続き、妻帯の可否を問う宗教会議も無く続いているのである。

これは、汚点である。