>>755
> 集中しやすいなら、“鼻”でもいいの?

自分が知ってる範囲、初期仏教の止瞑想のアーナパーナについて言うと
鼻全体じゃなくて、鼻の下の唇部分とか鼻孔とかとにかく狭い範囲ですね
鼻全体じゃない
注意をおくのは呼吸の触覚

何故鼻全体じゃないのか?
ちょっと細かい話になっちゃうけど、身体の形状って人が頭のなかに造り出した抽象概念なんですね
実際に人が感じているのは皮膚の触覚で、身体の形状を直接知覚する神経は人にはありません
知覚を合成して「形状」という知覚しえないモノを脳内モデルとしてつくってる
これを初期仏教ではパンニャッティと言います

そしてパンニャッティは…身体の形状は瞑想の状態が進むと、自然と溶けるように消えてしまいます
つまり途中で使えなくなるんです
これが鼻全体ではなく鼻付近の息の触覚を使う理由です