>>414
話し合いの場を設けるということはその目的が“摂理をやめさせること”が摂理にいるご家族から見ると明白なわけです
摂理をやめてほしい側にすれば摂理が反社会的でトップも犯罪者、非道徳的な偽装勧誘という悪事にも手を染めなくてはならない
その他諸々合わせて有り体に言えば単なる"宗教や思想の自由”なんてものを越えた悪事を行っている恐ろしい団体だからなわけですよね
でも摂理にいるご家族にしてみれば周囲が悪だと思っていることでもむしろ「良いことをしているのに家族は残念ながら無理解だ」
「よく知らないでメディアの言うことを信じて悪く捉えている、本当は○○なのに誤解だ」
と思うわけでそこにすれ違いが生じます

もし私がどっぷり摂理に浸かっている時だったらいくら家族に言われても無理だったと思います
ますます心を頑なにしていだろうとすら思いますよ
怖いことですよね…
私は家族にもバレず摂理をやめるようなことを身近な人からは言われませんでしたが
唯一可能性があったかもしれないと思うのは「家族が聖書をもって摂理の御言葉の矛盾を論破してきた場合」でしょうか
s-tationの手記にも確かそういうケースが載っていたような記憶があります
牧師さんの助けを借りたのだったかな?
ただし、いきなり牧師さんと二人きりにされたら家族に不信感を抱いて駄目だったかもしれません
それで成功した方もいるようですしある人には有効だと思いますが