ルーテル教会3 [無断転載禁止]©2ch.net

1壬生町2017/06/26(月) 22:45:24.04ID:YNwfs4fo

113壬生町2017/10/16(月) 22:42:49.54ID:quKQmpuZ
ネトウヨ

114壬生町2017/10/17(火) 23:30:33.04ID:iFt9kTVz
ネトウヨ

115老クリスチャン2017/10/19(木) 13:04:00.85ID:kqYRv9rW
2005年(主日A年) 10月16日 年間第29主日
イザ 45:1〜6  Iテサ 1:1〜5b  マタ 22:15〜21

「神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、私たちは知っています。 私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。」(Iテサ vv.4-5)

使徒パウロはこのように書いて、テサロニケの教会のことを神に感謝しました。
マケドニアに渡って最初の町フィリピで投獄の難に遭ったパウロとシラス(シルワノ)は、テサロニケに着いて 「激しい苦闘の中で神の福音を語った」(Iテサ 2:2)のでした。
そして彼らは 「聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(Iテサ 1:6)、来るべき怒りから私たちを救ってくださる復活のキリストが再び天から来られるのを、待ち望むようになったのでした(Iテサ 1:10)。

この福音は “秘められた計画”(天に蓄えられている希望)を知らせるものであり、その完成を待望する終末的な群としての教会を “造り上げる” という実を結んだことを理解しましょう。
聖書が聖伝と共に現代の私たちに伝えていることは、教会がこのような救済史の中を旅する群であるということであります。
私たちが聖書に親しみ、ミサの中で “ことばの典礼” が正しくその役割を果たすとき、テサロニケの人々に働いたのと同じ聖霊は現代にも働いて、私たちに “秘められた計画”(天に蓄えられている希望)を知らせてくださいます。
なぜなら福音は、復活して今も父の右におられる現在のキリストからの“良い知らせ” だからです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

116老クリスチャン2017/10/19(木) 13:21:29.19ID:kqYRv9rW
2005年(主日A年) 10月16日 年間第29主日
イザ 45:1〜6  Iテサ 1:1〜5b  マタ 22:15〜21

この物語りで、主イエスの対抗勢力であるファリサイ派の人々の判断基準は、“律法に適っているか、いないか”(マタ v.17)でありました。
そして恐らく伝承は意図的に彼らの口に 「神の道」(マタ v.16)という言葉を入れて、これを彼らの律法主義に対比させています。

使徒パウロはその改心前に、“この道に従う者”(使 9:2)を迫害しました。
エフェソの町でプリスキラとアキラが信徒伝道者アポロに伝授したのも、「神の道」 でありました(使 18:24-28)。
新約聖書で “道” とは、キリストの福音によって救済史の中に生きるようになることであり、“秘められた計画” を知ってその完成を待望する終末的な群としての教会を “造り上げていく” ことなのです。

聖書を読むこと、それも色眼鏡なしに素直に読むことが、日常の習慣とはほとんど無縁になった近・現代のキリスト者たちは、この “道” をキリスト教的な文化や思想、また道徳観や価値観に置き換えて理解して来ました。
そのような価値観や基準に “適っているか、いないか” に人々の関心が寄せられて、キリストの福音の内容である “秘められた計画” と教会を “造り上げていく” という目的に沿って歩むということは忘れ去られてしまいました。

117老クリスチャン2017/10/19(木) 13:22:53.60ID:kqYRv9rW
(つづき)
皇帝のものを皇帝に返すとは、ローマ帝国民としての法的、また道徳的な責務を果たすということですが、それは律法が要求していることではない。
だからその責務を果たしたからといって、神の要求をいささかでも満たしたことにはならない。
それは神に仕えることの免責理由にはならないと、そう初代教会は主イエスのことばを理解したようです。

律法にせよ他の価値観や基準にせよ、それに “適っているか、いないか” という判断の仕方と対比して、“神の道” を考えることの大切さを知りましょう。
「知恵のある人はどこにいる。 学者はどこにいる。 この世の論客はどこにいる。 神は世の知恵を愚かなものにされたではないか」 と使徒パウロは言いました(Iコリ 1:20)。
福音の前進に役立っているか(フィリ 1:12)、教会を造り上げるために益となっているかどうか(Iコリ 14:12,17,26)という視点が大切なのです。

「神のものは神に返しなさい。」(マタ v.21)

これまでしばしば教会は頭脳明晰なこの世の論客たちに振り回されて、無用な議論に引き込まれて疲れ果て、本来の “神のものを神に返す” ことをずっと後回しにして来たのではなかったでしょうか。
そのような私たちのありのままの姿を、復活のキリストは天から、また祭壇から御覧になっているのです。
今朝の福音朗読から、そのキリストの眼差しを感じることが出来る人は幸いです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

118キタ━━ヽ(゚ω゚)ノ━━!!2017/10/19(木) 16:42:06.81ID:CF+NPq16
>>103-104
>>106      老クリスチャン 降臨
>>110
>>115-117 
   
                〃^゙'"^ヽ
  ┃   ┃━┓      〈〈(ノ)ノ)〉〉           ┃┃┃
┗┓━ ┃━┓ ┗━━<ヾパ ヮ゚ノノ>).━━━━. ┃┃┃
┗┓━ ┗  ┃      ⊂Y巫Yつ.           ┗┗┗
  ┗       ┃      </</j_|>ヽ>        ┗┗┗
:                 "しソ

119老クリスチャン2017/10/20(金) 12:30:54.21ID:qvWueY0b
2008年(主日A年) 10月19日 年間第29主日
イザ 45:1,4-6  Iテサ 1:1〜5  マタ 22:15〜22

神は捕囚の民の解放と、エルサレム神殿再建のために、ペルシア王キュロスの心を動かされました(歴下 36:22)。
第二イザヤ(イザ40〜55章)が、当時の急速に変化する世界情勢に目を向けて、その政治解説を行った偉大な宗教的思想家であったと観る人々がいます。
現代のテレビのニュースキャスターが、あたかも大所高所から政治や社会問題への批評を語るように、現代の教会もこの世に対する社会的政治的発言をなすべきだという手本を、ここから読み取ろうとするのです。

しかし、預言者は救済史を、神の御業を、その民に語りました。
「あなたは知らなかった」(イザ v.4)、「あなたは知らなかった」(イザ v.5)、「わたしが主、ほかにはいない」(イザ v.6)。

かつて古い伝統的な朗読配分では、今朝の福音書のテキストに フィリ 1:3-11 が組み合わされていました。
教会がそこからどのように福音を聞いていたかを、それは示しています。
神の国も、復活も、永遠の命も、皇帝のものではなくて神のものであると知りましょう。
そうであるなら、私たちは聖書から復活と神の国の希望を、キリストとその教会への愛を、そして罪の赦しの福音への信仰を学ぼうではありませんか。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

120キタ━━(゚д゚;)))━━!!2017/10/20(金) 13:06:35.60ID:W3K21+71
>>106  
>>110
>>115-117       老クリスチャン 降臨
>>119 
                     へ
  ┃   ┃━┓          ∠ゲソ>...         ┃┃┃
┗┓━ ┃━┓ ┗━━━━━|.⌒.| ..━━━━. ┃┃┃
┗┓━ ┗  ┃          (:: ゚∀゚)          ┗┗┗
  ┗       ┃          リ|;|;|;|;|し       ┗┗┗

121老クリスチャン2017/10/21(土) 10:16:23.66ID:huQTKptB
2011年(主日A年) 10月16日 年間第29主日
イザ 45:1〜6  Iテサ 1:1〜5b  マタ 22:15〜21

「わたしは、祈りの度に、 ・・・・・ あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」(Iテサ vv.2-3)

ミサの “ことばの典礼” で朗読される聖書のテキストを、聖伝と聖書という背景から抜き出して、自分たちが生きている世界の政治や社会の問題にそのまま当てはめようとする傾向が、多くの人に見られます。
司祭や牧師たちの多くも、まるでそれが当たり前のように、聖書を材料にして自分が工夫した “現代人の歩み方” を説教しています。
毒にも薬にもならないそんな説教に、信者はすっかり馴らされて来たのではないでしょうか。

先ず 「信仰によって働き」 とは、使徒たちから伝えられたキリストの福音という土台の上に(Iコリ 3:10-17)、神の国の到来を待ち望む共同体を造り上げることを指しています(Iテサ 1:9-10)。
「希望を持って忍耐している」 根拠は、教会が福音を通して神の招きを受け(Iテサ 2:12)、教会の中に神のことばが 「現に働いている」(Iテサ 2:13)からです。
「愛のために労苦し」 とは、教会の中で信者が “主の言葉に基づいて ・・・・・ 互いに励まし合っている”(Iテサ 4:15-18)ことに外なりません。

122神も仏も名無しさん2017/10/21(土) 10:16:55.38ID:Tc0++iRk
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  i ヽィ' `ー‐‐'´ ..:.  ヽヾヽ::,,,,,,;:::'´エヽ  ̄`  / ト..: .)
   ヽ|_     _r:. .:. .:::...,、、,    `,/T`    i/  /
    h ̄ ̄.:.! ヽ:... ::.'´ ヽ- ̄ ̄      |__ノ
    i.::::::::.゙  ヽ,     /   `ヽ     h
     !.::::;; ト、  ヽ=_- '´     イ.:.|  /   ,
     ヽ.:::. ;,.¨! 、'_;__;__;__,..=-イ.:/ /  /    !
     ^、.:.  ヽ! l丁│ i ソノ ′   ,'    亅   
      ヽ.:.  ;  ̄ ̄ ̄ ̄ /    /   /トr‐‐- 、
       ネ  ヾ ̄_____,,,... '゙       / | ヽ、_  `ヽ、
_,.r 、´ ̄   ,i、    ̄ ̄        r'  } /  ト    ヽ
* -ヽ、 '´ヽ、 〕 、...        .:.:.:.:/   hn │|ヽ
3X_ x Y Xy /! 〔ヽ..::: : : : : : :.:.: ,.. '゙     //‖ i ヽ、\
癶弋ヽ亠-勹'八_yヽ ` ー─‐‐ '"      i l / ノ ├ 、__
┼ヽ‐- 、`ヽY Y´!ヽ 丶           ノ '´   ト、├--r 、     

123老クリスチャン2017/10/21(土) 10:17:01.64ID:huQTKptB
(つづき)
教会は、ただ一度成し遂げられたキリストの永遠の贖い(ヘブ 9:12)を根拠に存在しているだけではなくて、復活して神の右に上げられたイエスがその体である教会の頭として、今もその御業を継続しておられる(エフェ 1:20-23)のです。
それは “時が満ちるに及んで完成される”(エフェ 1:10)終末的な “新しい時”(ロマ 13:11、IIコリ 5:17)に属しています。
この教会はこの世に存在していますが、この世には属していません(ヨハ 18:36)。
だからと言ってこの世に対して責任がない訳ではなく(ロマ 13:5-7)、ただ “この世の有様は過ぎ去る”(Iコリ 7:31)ことを知っているのです。
“わたしたちの本国は天にあります。”(フィリ 3:20)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

>>121 >>119 >>115-117 >>110

               老クリスチャン 降臨

  ┃   ┏━┃  ((;;;;゜;;:::::(;;:  ∧__,∧ '';:;;;):;:)):).) .     ┃┃
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  ┛       ┛   ("((;:;;;(;::  (⌒) |. .どどどどど・・・  ┛┛
                     三 `

125壬生町2017/10/21(土) 23:07:04.09ID:EORaqTrZ
ネトウヨ

126壬生町2017/10/22(日) 23:35:15.31ID:jc/TFUOh
ネトウヨ

127壬生町2017/10/24(火) 23:12:43.54ID:J7fFIPTu
ネトウヨ

128老クリスチャン2017/10/26(木) 11:00:21.34ID:GcHaAzJx
2005年(主日A年) 10月23日 年間第30主日
出 22:20〜26  Iテサ 1:5〜10  マタ 22:34〜40

寡婦や孤児と並んで寄留者を同胞と同じように愛せよという律法の命令には、「あなた達もエジプトの国で寄留者であった」(申 10:19)、
「あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない」(申 5:15)という理由が付いていました。
彼ら寡婦や孤児が贖われた民に属しており、あるいはその民の中に生活しているということが前提とされていたのです。

「あなたの神である主を愛しなさい」 「隣人を自分のように愛しなさい」 という聖句の前提になっているものは、「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」(使 20:28)であることを、現代のキリスト者は再発見しなければなりません。

「御言葉」(Iテサ v.6) 「主の言葉」(Iテサ v.8) とは、使徒パウロが 「私たちの福音」(Iテサ v.5) と言っているもののことです。
この福音が 「力と、聖霊と、強い確信とによって」(Iテサ v.5)テサロニケの町に伝えられて行ったとき、これを受け入れた人々は
「偶像から離れて神に立ち帰り、 ・・・・・ (来るべき怒りから私たちを救ってくださる)御子が天から来られるのを待ち望むようになった」(Iテサ vv.9-10)と書かれています。

129老クリスチャン2017/10/26(木) 11:03:03.31ID:GcHaAzJx
(つづき)
聖書を自ら読もうとしない多くの人々は、それが永遠の真理である格言や理念を集めた教訓集であるという先入観に陥っています。
そのような人々にとっては、「御言葉」(Iテサ v.6) 「主の言葉」(Iテサ v.8) とは単なる普遍的な “教えの集成” のように思えるに違いありません。

しかし、「信仰の創始者また完成者であるイエス」(ヘブ 12:2)は、再び私たちが福音を聞き、神の国の相続人である教会、すなわち “キリストの体” を造り上げる(エフェ 4:12)生きた石(Iペト 2:5)となるために、
聖書を通し、感謝の祭儀を通して、今朝も語っておられるのです。
聞いている耳は幸いです(マタ 13:16)。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

130キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!2017/10/26(木) 21:18:47.43ID:cSnneGS3
>>128-129 >>121 >>119 >>115-117 
 
              老クリスチャン  降臨
    ┃   ┃━┓       ハ_ハ.       ┃┃┃
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131老クリスチャン2017/10/27(金) 11:35:53.07ID:2JCy7vQs
2008年(主日A年) 10月26日 年間第30主日
出 22:20〜26  Iテサ 1:5〜10  マタ 22:34〜40

使徒パウロはテサロニケの町で、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」 と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」 と、福音を語りました(使 17:3)。
そして、「力と、聖霊と、強い確信とによって」(Iテサ v.5)御言葉を受け入れたテサロニケの信者たちは、「偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり」(Iテサ v.9)、更にまた、御子の再臨を待ち望むようになりました(Iテサ v.10)。
この 「わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたイエス」(ロマ 4:25)を信じる信仰によって、
テサロニケの信者たちは生活し、同じ信仰に生きる仲間たちへの愛のために労苦し、キリスト再臨への希望を持って忍耐していました(Iテサ vv.3,8)。
このような人々の間で、 “神を愛し、隣人を愛する” ということが、どのような意味で理解されていたかを私たちは聖書から学ばなければなりません。

132神も仏も名無しさん2017/10/27(金) 11:36:08.22ID:h//ERSLz
>>128-129
『老クリスチャンの長文コピペについて』
  
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
   そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
   どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
   老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。

【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/

133老クリスチャン2017/10/27(金) 11:36:40.22ID:2JCy7vQs
(つづき)
聖書を読んだことも学んだこともない人たちが口にする、ただの道徳訓としての “敬神愛人” が、キリスト教文化の標語のように思われて、既に久しい時が経ちました。
そして多くのキリスト教信者も、実際それに何の違和感も抱いていないように見えるのです。
しかし、「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか」(エフェ 1:18)を悟ることなしに、
原始教会の人々が抱いていた “神を愛し、隣人を愛する” という信仰と倫理を、私たちが共有することは出来ないのです。

神を愛し、隣人を愛しているテサロニケの信者たちへの、使徒パウロの激励の言葉は次のようなものでした。
「そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。」(Iテサ 3:13)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

134神も仏も名無しさん2017/10/27(金) 11:38:37.33ID:h//ERSLz

135キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!2017/10/27(金) 12:05:33.25ID:BfD7UuVQ
>>131>>133 >>128-129 >>121 >>119 
 
              老クリスチャン  降臨
  ┃   ┃━┓                         ┃┃┃
┗┓━ ┃━┓ ┗━━━━━(゚∀゚)━━━━. ┃┃┃
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136老クリスチャン2017/10/28(土) 12:02:00.32ID:gJszB28L
2014年(主日A年) 10月26日 年間第30主日
出 22:20〜26  Iテサ 1:5c〜10  マタ 22:34〜40

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」(マタ v.36)

日本語の翻訳聖書が一貫して、旧約聖書のトーラーおよび新約聖書のνόμοςを “律法” と翻訳して、世間における各種の法律一般から区別しようとして来たことに注目しましょう。
と言うのは、残念なことに殆どのキリスト信者が旧約聖書における律法についても、新約聖書が述べている新しい掟(Ἐντολή)やキリストの律法(νόμος)についても、その独自の意味を知らないでいるからです。

しばしば誤解されて来たように、それは一般社会における正義や道徳の規範とは次元の異なるものであります。
ですからこれをそのまま世界に通用する法律のように考えたり、場合によってはこの世の法律に対抗するより高度な指針であると解釈するのは、聖書そのものの本来の主張ではないのです。

旧約聖書におけるトーラーとは、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出 20:2)、「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である」(申 7:6)という前提に立ってイスラエルの民に与えられたものでありました。
ですからこの前提を知らないで、あるいはこの前提から切り離して、いわゆる一般論として 「どの掟が最も重要でしょうか」 と尋ねるのは、見当外れなことなのです。

137老クリスチャン2017/10/28(土) 12:02:57.14ID:gJszB28L
(つづき)
同様に教会はキリストの血によって贖われ、罪を赦された者たちの共同体であって、そのような神の国の相続者である新しいイスラエルのために、「互いに愛し合いなさい」 という “新しい掟”(ヨハ 13:34)が与えられているのです。
ところがこの前提を無視して、聖書を一般教養書のように自らも読み、他人にも “良いことがたくさん書いてある本” として推薦している中に、いつの間にか現代の教会は “信仰” という骨格を失ったただの文化団体のようなものに形骸化してしまいました。

“神である主を愛し、隣人を愛する” ということが、私たちが主日毎にささげるミサの体験そのものでないとしたら、それは私たち一人一人がクリスチャンであるとは名ばかりで、“ただの人” “肉の人”(Iコリ 3:3)に過ぎないということです。
福音書というものの成立の背景が、初代教会のカテケージスであって、「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい」(Iペト 2:5)という奨めのために編集されたということを理解しましょう。
主が私たち信者一人一人を憐れんで、“キリストの体を造り上げていく”(エフェ 4:12)情熱を、もう一度与えてくださいますように。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

138学術2017/10/28(土) 12:53:49.89ID:zfA3CvKn
人間が奴隷であることは論証済みで、自覚済みだよな。

139キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!2017/10/28(土) 23:02:19.09ID:fy4yo0W3
>>136-137 >>133>>131 >>128-129 >>121 
     
    ∧_∧       老クリスチャン 降臨
   ( ・∀・)/ヽ
    ノ つつ 老 )  老栗 チャッチャッチャッ♪ 老栗 チャッチャッチャッ♪
  ⊂、 ノ   \ノ
    し'

140キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!2017/10/28(土) 23:03:43.18ID:3sdLVbfX
 
              ○____
                ||      |
                ||  老 栗. !
                ||      |
                || ̄ ̄ ̄ ̄
          / ¨>.||  今ここに
         .厶/ww||   侵略の旗を
          ノリ ^ヮ^ ||     立てるでゲソ
         ヽ   つ0  
    ,、         、、
   ;          、、、、
  ,              ,、
 ,、 ヽ         〜ヽノ ,
 、   `〜ヽ   ,〜 ' 、、、、 、

141神も仏も名無しさん2017/10/31(火) 23:52:29.24ID:KCrvQ9s3
宗教改革500年おめでとうございます

http://www.christiantoday.co.jp/topics/500th-anniversary-of-reformation

142神も仏も名無しさん2017/11/01(水) 22:46:17.83ID:s98ucWMO
>>141
ルター派と改革派以外の分派が宗教改革を我が物のように祝うのを許すな!
バプテスト、メソジスト、福音派、聖霊派、など。こいつら分派から分派した連中でしょ?
こいつら宗教改革なんてしてないからw

143神も仏も名無しさん2017/11/02(木) 16:48:43.56ID:LGBSEGjW
バッハ 管弦楽組曲第3番 第2楽章「アリア」
https://www.youtube.com/watch?v=thQWqRDZj7E

144壬生町2017/11/02(木) 23:14:05.13ID:FHUeR/WD
ネトウヨ

145老クリスチャン2017/11/03(金) 17:15:58.56ID:Ioc5/lRE
2002年(主日A年) 11月3日 年間第31主日
マラ 1:14〜2:10  Iテサ 2:7〜13  マタ 23:1〜12

使徒パウロはテサロニケの教会の人々が、彼の伝えたキリストの福音を神のことばとして受け入れたことを、大いに感謝しました。
福音は力と聖霊と強い確信とによって(Iテサ 1:5)、テサロニケの信徒たちの中に働いていました(Iテサ v.13)。
彼らは偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになった(Iテサ 1:9)ばかりでなく、更にまた、御子キリストが終末の日に天から来られるのを待ち望むようになりました(Iテサ 1:10)。

「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。
御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」(Iテサ vv.11-12)

私たち教会は、この使徒たちが伝えた福音を再び聞くこと、受け入れること(Iテサ v.13)、これを信仰生活のよりどころとすること(Iコリ 15:1)を今朝呼びかけられています。
しかしこのことは、福音を語る者にとっても聞く者にとっても、共に 「激しい苦闘の中で」(Iテサ 2:2)なされねばならないことを歴史は教えています。
そして歴史は私たちにとって、現在を写す鏡の役割りを果たします。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

146キタ━━━━━(*・∀・*)━━━━━━!!!!2017/11/04(土) 02:50:14.54ID:1baA/FgJ
>>145 >>136-137 >>133>>131 >>128-129 >>121  >>119 

  老クリスチャン  降臨

     ∧_,,∧      老栗 チャッチャッチャッ♪
. /\. (`・ω・´) /ヽ
 | 老 ⊂   ⊃ 老 |   老栗 チャッチャッチャッ♪
 ヽ/ /   く \ /
    (ノ⌒'、)...

147キタ━━━━━(*・∀・*)━━━━━━!!!!2017/11/04(土) 02:51:24.91ID:2tfKBRa/

148老クリスチャン2017/11/04(土) 17:58:55.65ID:vh3YDHJE
2011年(主日A年) 10月30日 年間第31主日
マラ 1:14b〜2:2b,8-10  Iテサ 2:7〜13  マタ 23:1〜12

「わたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。」(マラ v.14)

かつて宗教改革時代にルターが “万人祭司” を強調したために、これがまるでプロテスタントの主張ででもあるかのように誤解されて来ました。
しかし、先に述べたように教会憲章は、これを “信徒の共通司祭職” という言葉で再確認しました(Iペト 2:9、黙 1:6 参照)。

「祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。 彼こそ万軍の主の使者である」(マラ 2:7)という栄誉が、自覚と教養のある信者にも与えられる可能性があるのに、
実際にはしばしば教会で奉仕する無自覚な信者が 「教えによって多くの人をつまずかせ、レビとの契約を破棄してしまった」(マラ v.8)のを、私たちは見て来ました。

すべての司祭が、必ずしも知的なレベルや学識において信徒に勝っている訳ではないので、信徒や奉仕者のそのような逸脱を適切に処理出来ないでいることを、決して非難してはなりません。
彼らは学問や知識に特に優れているから司祭になったのではなくて、イエス・キリストによって小羊の牧者となるために召されたから司祭になったのです。
叙階の秘跡はその人に “消えない霊印” を与えたのです(カトリック教会のカテキズム p.481)。

高ぶるのではなくてへりくだり、しかも自ら熱心に “使徒的伝承” を学ぶ “神に仕える祭司”(黙 1:6)として、主が私たち信者一人一人を育ててくださいますように。
どうか間違った人間的熱心によって、自分が教会の “困った君” になることから、主が私たちを守ってくださいますように。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

>>148 >>145 >>136-137 >>133>>131 >>128-129 >>121 

      老クリスチャン  降臨

     ∧_∧   老栗 チャッチャッチャッ♪
 /\( ・∀・)/ヽ
( 老 と   つ 老 )   老栗 チャッチャッチャッ♪
 \/⊂、 ノ  \ノ
     し'

150壬生町2017/11/05(日) 23:33:28.11ID:YGmPHtUU
ネトウヨ

151壬生町2017/11/06(月) 22:18:27.91ID:kqjPbZwv
ネトウヨ

152壬生町2017/11/07(火) 22:17:12.76ID:yG0ux9v0
ネトウヨ

153神も仏も名無しさん2017/11/08(水) 10:32:16.45ID:9Jes88mm
>>145 >>148
『老クリスチャンの長文コピペについて』
  
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
   そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
   どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
   老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。

【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/

154壬生町2017/11/11(土) 23:04:20.59ID:Ts0e2uFU
ネトウヨ

155壬生町2017/11/12(日) 22:23:36.48ID:wI8sN7vf
ネトウヨ

156神も仏も名無しさん2017/11/13(月) 21:59:01.94ID:jTNh3a+D
これ、どうちがうの?
 
日本福音ルーテルと日本ルーテルが宗教改革500年で合同行事 聖餐礼拝に730人参加
2017年11月11日06時49分
http://www.christiantoday.co.jp/articles/24733/20171111/luther-500-jaher-reformation.htm

157壬生町2017/11/13(月) 22:28:02.01ID:VMhDO4ya
ネトウヨ

158壬生町2017/11/14(火) 22:45:33.80ID:19VujYoK
ネトウヨ

159壬生町2017/11/16(木) 23:37:22.25ID:Bnrt5ZZq
ネトウヨ

160壬生町2017/11/17(金) 22:05:05.73ID:1c/65Mrq
ネトウヨ

161神も仏も名無しさん2017/11/20(月) 17:44:36.54ID:VMk/AEBt
キリスト教やヤーウェ(ユダヤ教)は不動明王に非常にだまされやすい。
西洋の分析では見抜けない所から、嘘おおげさ紛らわしい術他を不動は仕掛けてくる。
だから西洋が東洋の術を見破るにはKSAから東洋のよくよく仏陀になったものを何体もつれてこなくてはならない。
東洋でもアマテラスみたいに浅知恵だとだまされている。(例えば今まであたった霊媒師達が私のことを
こぞってわるくいってるのにひっかかていたが、それらは全員不動の術中にはめられてる者たちだった。)
釈迦もだまされていた?ことがある。
過去にキリストはだまされて神戸の地震をおこしてると霊媒師に何件も聞いたし、
ヤーウェは不動にだまされたまんま豊田にいやがらせをした。そしてだまされたまんま
どちらもこっちの邪魔をしてくる。だから不動はみんなおがんじゃいけないし
不動はもはや悪い方へ行ってしまったのではやく上の神仏が弁償大きくとって抹消しきらなきゃいけない。
イルミナティも不動のわけ御霊だといっていた霊媒師がいたので同じ。
今後もこんなことが続くようならクリスマスも祝って栄えるに値しない。
もちろん初詣も不動関係の神社には絶対いってはいけない。みんなつぶしあいになって
ダメにされてしまう。

162神も仏も名無しさん2017/11/22(水) 23:26:40.09ID:AhaM7Dq1
>>156
宣教母体が違うとかだったような
日本福音ルーテル教会はアメリカ南部一致シノッド
日本ルーテル教団はミズーリシノッド

163壬生町2017/11/23(木) 22:12:06.06ID:561YQ/XO
ネトウヨ

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